メシヤ講座no.156三重(平成26年1月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 総論 手術」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』225ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 三重支部】

メシヤ様は『医学の再出発を願っておられた』

楳木代表

それでは三重支部でまとめた資料を読んでください。

(支部責任者、資料を読む。)

楳木代表

前半は今回の御教えの要約ですね。そのようにこの資料は読んでいただきたいと思います。

今回は『総論』ということで、ここの箇所(タイトル)は文字をもう少し大きくしておいた方が良かったかもしれません。

メシヤ様は

『病気に対して詳細に直接的解説を与へて来たから、病気なるものの真原因と、既成医学が如何に誤っているかが判ったであらうが、まだ知らなければならない点が種々あるから、之から凡ゆる角度から医学の実体を検討し、解剖してみようと思ふのである。』

ということで『手術』ということに触れたのだということなのです。

それで実際『手術』の箇所の冒頭をもう一度確認していただきたいのですが、

『近来、医学は大いに進歩したといひ、取り分け手術の進歩を誇称してゐるが、私から見れば之程の間違ひはあるまい。考へる迄もなく、手術が進歩したといふ事は、実は医学が進歩しないといふ事になる。といふと不思議に思ふであらうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能を除去する手段であって、病其ものを除去する手段ではない。』

これは考えてみればその通りなのですけども、どうしても私たちは医者の言いなりになってしまって、〝これが治療だと思い込んでしまっている″ということがありますので、メシヤ様はまずこのことに気付いて貰いたいということでお書きになっておられるのです。

それで次に、

『判り易く言えば、病気と其機能とは密接な関係はあるが本質は異ってゐる。従って真の医術とは病だけを除って、機能は元の侭でなくてはならない筈である。処が医学が如何(いか)に進歩したといっても、病のみを除り去る事が不可能であるから、止むを得ず二義的手段として、機能をも併せて除去して了(しま)ふのであるから、此事を考へただけでも、手術の進歩とは、医学の無力を表白(ひょうはく)する以外の何物でもない事が分るであらう。斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかないとしたら、今日迄の医学者は驚くべき迷蒙に陥(おちい)ってゐたのである。従って何としても大いに覚醒して、初めから行(や)り直すより外(ほか)あるまい。即ち医学の再出発である。』

ですから、メシヤ様は『医学の再出発を願っておられた』ということなのです。

しかも、『斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかないとしたら』ということですので、この〝気が付く″ということが大切だということなのです。

『文明の創造』だけでなく、御教え全般にわたって私達信者に願っておられることは、〝迷蒙に気が付いて欲しい″と言うことなのです。

私達は何事に直面しても〝迷蒙に気が付いているか″自分に問いかけていただきたいと思います。〝気が付く″ということが実はメシヤ様を信仰していくということなのだ、と言えるのではないかなと思います。

 

癌が消えている

楳木代表

年末年始から休む間もなく電話がかかってきておりまして、ある支部で肝臓癌と医師から宣告を受けたご婦人がおります。浄霊をいただくと楽になるので医者からは手術を勧められたのですけども、「手術したらどうなりますか」と聞きますと、「手術しても来年の4月まで持つかわからない」ということなので、「手術しても来年の4月まで持つかわからないのならもう手術はしません」ということで、浄霊一本でズーッとやってきまして、年末に検査をしましたら、〝癌が消えている″のです。

「4月まで持つかわからないと言ったじゃないですか」と医者に食いつきましたら、「希にそういうこともある」と言うのです。こんないい加減な医者は〝何を考えているのだ″と言いたいくらいです。そのご婦人は今浄霊をいただきつつ元気に過ごして今年の4月までと余命を切られていますので、「4月までは体を養生しながらしっかり浄霊をいただいてください。」と言いまして、支部へ通いつつ自己浄霊と家族からの浄霊をいただくことに取り組んでおります。非常に健康な顔をして生活をしてくださっています。余命を切った医者も医者ですが、浄霊をいただくことによって健康を確保して癌の症状も消えていっていますので大変有難いと思います。

それから、信者さんの母親が70代前半なのですが、乳癌を患って治療をズーッと続けていたのですけども、医者から「効果的な新薬が出たのでぜひ試させていただきたい」とお願いされたのですが、「今は体調も復調しているから、これ以上の抗癌治療はやめてもらいたい」と娘さんが言ったのですが、母親が「お医者さんに親切にしていただいたので、もう一回受けてみる」と言うので治療を受けさせましたら、腕がパンパンに腫れてしまいました。そして脇からリンパ液が出始めたのです。それで治療をした医者が慌てて「この治療はあなたに合わなかったのだ。もうこれ以上する術(すべ)がないので、病院を世話するので緩和ケアに移ってください」と言うのです。

「あなたの治療でこんなに腫れてしまったのにこの腫れたのを治さないで退院させるのか」と言うべきなのですが、とても医者に対してそこまでは言えなかったそうです。

それで転院した病院でも「もう片方にも転移しているから治療しましょう」と言われたそうです。それで「これ以上治療したらもう片方の腕もパンパンに腫れて両手が動かなくなるので、充分考えなければいけない」と私はアドバイスをしました。

治療した責任を取ることなくタライ回しで次の病院に送ってしまう〝無責任な医者がいる″という現実に直面すると〝医学とはいい加減なものだ″とやっと気付くのですが、気付いた時には手遅れな状態になってしまうことが多いです。今回メシヤ様がこのように手術について御指摘されておられることは、私たちの日常生活にとっては非常に大切なことですので、そういうことをしっかり受け止めながら繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。

 

僅かの期間で脳梗塞から回復

楳木代表

身内のことですが、私の兄が年末に脳梗塞で倒れてしまいました。比較的軽い脳梗塞で右手右足が痺れている状態で、口が良く話せないので、浄霊をしてみますともう脳梗塞は終わっていまして、そのあとも修復に向かっている状態でした。それで母に「ごはんをしっかり食べさせるのと、酒とタバコをやめさせないと脳梗塞がまた再発するからやめるようにということと、こういう運動をさせるように」と指示をしましたら昨日で大体良くなりましたので、今日から出社する予定です。

ですから徹底的に浄霊をして運動としっかりした食事をとれば脳梗塞というのはこの位の日数で回復するのです。

これを精密検査して治療を始めると長期入院になってしまうので大変なことになります。我々がこの『浄霊力』を授かっているということは大変ありがたいことでありますし、慣れてきますと「このくらいの症状だったら何日間位徹底して浄霊していけば良い」ということが脳血栓とか脳梗塞とかいうのはわりとわかりやすいのです。ですからメシヤ様の『救済力』、『浄霊力』と『御教え』をいただいておけばどういうことが起きても大体対応できるのではないかなと思います。

しかし、残念ながら今までの所属の教団ではそこまで的確な指示ができなかったので、多くの方々が壁にぶつかったまま医療と併用してしまったりということで不幸なことが起きております。どうか、支部責任者を中心に三重支部でメシヤ様が本来お示しくださっている智慧と力を大勢の方々に授けていただきたいと思います。

 

日常生活で『錯覚』を起こしていないか

楳木代表

それからもう一つ、メシヤ様は『錯覚』ということを御指摘になられております。

『つまり唯物科学は、生物である人間も他の動物も、無生物である鉱物や植物と混同してゐる錯覚である。といふのは本来動物なるものは無生物ではないから、唯物科学の分野に入れてはならないに拘(かか)はらず、どう間違へたものか、入れて了(しま)った事である。之が根本的誤謬(ごびゅう)で、それによって進歩して来た医学であってみれば、手術といふ人体を無生物扱ひにする行(や)り方も当然であらう。』

医学の陥っている『錯覚』を御指摘くださっているのですが、これは医学だけでなく私達の日常生活の中でも『錯覚』を起こしてはいないか、ということをよくよく自分に問いかけて行っていただきたいと思います。

どうしてもテレビとかから流れてくる情報を中心に捉えて行ってしまったり、インターネットで得た情報を確かなものと思ってしまいます。これが『錯覚』ということに繋(つな)がってしまいます。

さきほど支部責任者が紹介して下さった資料で「生存率」が出てきます。

それで「生存率」というと読んだだけでは手術してから〝ズーッと生きている″と錯覚してしまいます。しかし、医者達がネット上で言っているのは5年間しか生存していないということです。本来生存というのはズーッと寿命まで生きる筈なのですが、癌の生存率はたった5年間で区切っているのです。こんないい加減な表現なのです。恐ろしいことですね。

例えば60歳で手術して成功と言ったら私達は〝80歳くらいまで生きられるのだろう″と思ってしまいますが、この統計上では5年間生きたことを言っているのです。

如何(いか)に皆生きていないかということです。

 

支部責任者

それも100%ではないですからね。

 

楳木代表

1期、2期、3期となるに連れて段々下がってくるわけですからね。

こんな恐ろしい現状を私達は平気で受け入れているという『錯覚』です。これが『錯覚』なのだということをよくわかっておいていただきたいと思います。

 

【5年生存率:5年生存率(5ねんせいぞんりつ)とは、ある疾患の予後を測るための医学的な指標である。主として癌について用いられ、診断から5年経過後に生存している患者の比率を示す。治療効果判定のために使われることが多い。あくまでも集団としての患者群を対象とした指標であり、個々の患者の余命として単純に流用することはできない。また、疾患や研究によっては「1年生存率」、あるいは「10年生存率」といった任意の判定期間による統計も存在する。

多くの癌では、治療により癌が消失してから5年経過後までに再発がない場合を「治癒」と見做す。

なお、がんの終生再発率とは直接の関係にはない。あくまで診断後、治療による寛解をみて、その寛解が患者にもたらした余命延長効果を、特定年数後の時点で計測した数値に過ぎない。(2013年4月7日 (日) 12:12 ウィキペディアより)】

 

『科学至上主義に陥っている』

楳木代表

それから、そういうことをトータルで考えていくと、

『それは唯物科学の進歩が、余りに素晴しかった為、何も彼(か)も之によって解決出来るものと信じて了(しま)った科学至上主義である。』

『科学至上主義に陥っている』とメシヤ様は御指摘されています。

今年「はやぶさ2号」を打ち上げますね。これは〝生命の起源″・・・どうやって地球に〝生命が宿ったか″ということを探るために探査に行ってくるということですので、無事に戻ってくれば『主神様』が生命を創造した一番〝原点が分かるのではないかな″と大変期待すべき事業です。しかも、無人で行って戻ってくるのは世界の最高レベルの技術だとわかることでもありますので、大いに期待したいことだと思います。

技術で言えばカーブしたテレビなどが開発されたようです。どの角度からも見ることができますので期待できるのではないかと思います。

日本は4K(フルハイビジョンの4倍の画素数)を中心にしてテレビから飛び出て映るようなものを発表していきます。

私達のテレビに対する概念が変わっていくでしょう。大いに期待できますね。立体的投影によって各方面、医療分野などでも変化があるのではないでしょうか。

〝技術が進んでいく″ということは素晴らしいことでもありますので、メシヤ様も『敢えて非難するものではない』と仰っておられるのですが、しかしそういうものがあるが故に私達は錯覚を起こしてその物の考え方だけで自分の体とかを見つめていくと間違ってしまいます。

例えば牛に「おまえ胃癌だぞ」と言っても平気ですが、人間に言えば大変ショックを受けてしまいます。そういうことがわからないような状態に陥ってしまいます。

これは400年くらいまえからデカルトが人間の心と体を切り離して、体の部分は物というように考えてそこから現代の医学はズーッと進んできているために、精神活動と肉体が密接に関わっていることがわかっていないと、『真の医術は生まれない』ということをメシヤ様はここで御指摘されておられるわけです。

 

【ルネ・デカルト「心身合一の問題」:1643年5月の公女エリーザベトからの書簡において、デカルトは、自身の哲学において実在的に区別される心(精神)と体(延長)が、どのようにして相互作用を起こしうるのか、という質問を受ける。この質問は、心身の厳格な区別を説くデカルトに対する、本質的な、核心をついた質問であった。それに対してデカルトは、心身合一の次元があることを認める。この書簡の後もデカルトは薄幸な公女の悩みや悲しみに対して助言をしたり、公刊された書物の中では見せなかった率直な意見を述べたりと、書簡のやり取りを続け、その間に情念はどのように生じ、どうすれば統御できるのか、というエリーザベトの問いに答える著作に取り組んだ。それは1649年の『情念論』として結実することになる。

『情念論』において、デカルトは人間を精神と身体とが分かち難く結びついている存在として捉えた。喉が痛いのは体が不調だからである。「痛い」という内部感覚は意識の中での出来事であり、外在としての身体と結びつくことは本来ないはずである。しかし、現実問題としてそれは常識である。デカルトはこの事実に妥協し、これらを繋ぐ結び目は脳の奥の松果腺において顕著であり、その腺を精神が動かす(能動)、もしくは動物精気(esprits animaux)と呼ばれる血液が希薄化したものによって動かされる(受動)ことによって、精神と身体が相互作用を起こす、と考えた。そして、ただ生理学的説明だけに留まらず、基本的な情念を「驚き」「愛」「憎しみ」「欲望」「喜び」「悲しみ」の6つに分類した後、自由意志の善用による「高邁」の心の獲得を説いた。

デカルトが(能動としての)精神と(受動としての)身体との間に相互作用を認めたことと、一方で精神と身体の区別を立てていることは、論理の上で、矛盾を犯している。後の合理主義哲学者(スピノザ、ライプニッツ)らはこの二元論の難点を理論的に克服することを試みた。

1645年11月3日のエリーザベトへのデカルトの書簡をみてみると、デカルトは自身の哲学の二元性をあくまでも実践的・実際的問題として捉えていたことが伺われる。デカルトはその書簡において、自由意志と神の無限性が論理的には両立しないことを認めながら、自由意志の経験と神の認識が両立の事実を明らかにしていると書いている。(2013年12月20日 (金) 12:53 ウイキペディアより)】

 

『霊主体従の法則』イメージトレーニング

楳木代表

ビックコミックという漫画雑誌には「ゴルゴ13」という漫画が連載されています。最新号では「手術が出来ない少年に奇跡が起きる」というテーマです。

ある少年が病院で脳腫瘍の治療を受けてきたけども脳幹にくっついているので手術すると命に関わるので手術ができない。だから「これから君は良いイメージを描いて治療しなさい」と医者が言うわけです。それでその良いイメージというのは「世界の医療の中ではイメージトレーニングで病気を克服した症例がいくつか報告されている」と但し書きがある。それでその子は病院の外で好きなバードウオッチングをして、ゴルゴ13を見つけてしまうわけです。それでゴルゴ13は何百メートルも先のところにコインを置いてそれを打ち抜く練習をしているわけです。それで銃をしまう時にチラッと少年の方を見るわけです。それで子供は〝見られた″と思ってしまって恐くなるわけです。そうするうちにその病院にある曰くありげな政治家が入院してきます。それで玄関に着いた瞬間に狙撃されて死んでしまいます。

それで少年は〝自分が唯一の目撃者だ。このために練習をしていたのだ。目撃者の自分は消されるのではないか″という恐怖感に陥り夜もロクロク眠れなくなります。眠るたびにゴルゴ13に頭を打たれる夢を見て起きてしまいます。そういう日を送っているうちに〝脳腫瘍″のことをすっかり忘れてしまいます。

そして脳腫瘍が良くなっていくのです。それで医者に「君は素晴らしいイメージトレーニングをしたね」と言われるという読み切りのストーリーです。

ゴルゴ13の脚本を書く人たちはチームを作って、世界の動向と様々な科学分野で研究をしている人の情報を集めては毎回ストーリーを形成していくわけです。それで、その動向の中には〝病気をイメージによって治す″ということが〝現実的には起きている″ということを収録することができたわけです。

実はこれはメシヤ様の『霊主体従の法則』にピッタリ当て嵌(はま)っていくのです。(暗殺そのものは抜きにして)

〝良いイメージを持つことによって浄化が完了する″ということもありますので、科学が進んだとしても『科学至上主義では駄目なのだ』というメシヤ様の御指摘と非常に繋がっていますので劇画の話をしました。

この手術というところだけではなくて、みんな気付いていかないといけない、錯覚に陥っている。科学至上主義あるいは経済至上主義に陥っているために様々な問題が生じて来ます。

そういう御指摘になっておられることをこういう御論文を拝読しながら自分の日常生活の中で自分にいつも覚醒させながら生活していくように今年もぜひお願いしたいと思います。

最初にそういうことをお願いさせていただいて、いつものように質疑応答に移りたいと思います。

 

皆が思考停止状態に陥っている

楳木代表

ハンナ・アーレントはどうでしたか。最初大学の哲学の講義みたいだったでしょう。大学生活に戻った気持ちで見ないとね。

 

受講者

ハイデッカーと付き合いがあったのですね。

 

楳木代表

そうだね。ハイデッカーの哲学の本なんか非常に読みづらいですよ。

 

受講者

哲学の本を読むよりは映画を観る方がわかりやすいと思いました。

 

受講者

最後の学生への講義場面はしっかり観ました。

 

楳木代表

〝メシヤ様の教えに基づいて考えていく″癖がついて、そんな中でこういう映画を観ると頭の構造が素晴らしくなっていきますね。

 

受講者

思考停止の話は何度もメシヤ講座で出てきていますので、このようなタイミングでこういう映画が上映されるのは意義のあることだと思います。

本当に皆が思考停止状態に陥っているのだと思います。メシヤ様の御教えを封鎖してしまって御教えを読まないから思考停止してしまっているといえるのだと思います。

“あの先生が言われることだから・・・”とか、“力のあるあの人が言うことだから・・・”と、自分で考えることをせずに盲信してしまい危うい方向へ進んでしまう人がたくさんいるように思います。

その人の話したことが〝メシヤ様がお話になったことなのだ″と錯覚してしまうのです。ちょっと考えてみれば御教えに基づいて話してないことがわかる筈なのにと思ってしまいます。

 

楳木代表

そういうことだね。

至近の例では○○さんも▲▲さんを、神様の代わりの人だと思い込んでしまっていたのですからね。やはり根本のメシヤ様を忘れるとそういうことに陥ってしまいます。

それから仏教でも本来お釈迦様の説いた仏教と各宗派とはまた違う形になっているのです。一部分の教えに基づいて宗派を作ってしまうので本来のお釈迦様のお考えとは異なってくるのです。

お釈迦様ご自身も本来『伊都能売神皇様』から教えを受けたものなので、日本の教えが本来なのです。全編を読んでいないためにこの教えの根本はインドだと思い込んでしまっているのです。

〝根本は日本ですよ。″ということをわかっていただくことが実は『宗教改革』の根幹であるわけです。そういうことを遡って根本を考えていけるようになっていかないと本来のメシヤ様の説かれたところには近づいていけないのです。

今回『手術』の箇所を改めて読ませていただきますと、メシヤ様は相当御研究なさっておられたのだと分からせてただけますので、こういう勉強会は大変有難いことだと思います。

『御教え「光明世界4号(昭和10年7月25日)

観音様は、日本の仏様と言ふ事は、日本より出でました神様の化身であらせられ、祝詞にもあります伊都能売之大神様であります。

釈迦時代、印度へお渡りになって、補陀落山といふ山へ、御宮を建てて、種々と経綸をされたのであります。そして約三千年後に日本へ御出現になるといふ予言の下に、種々な事をお釈迦様に伝えられた。そして御自分は、一旦御昇天になられ、霊体に依って、今迄、観音として御活動をなされたのでありまして、お釈迦様の仏教に依って支那を経、朝鮮を経て、日本へ入られたのであります。つまり御自分が御留守中の日本が心配になるんで観音様に化現され霊身を以て、日本に間違ひのないやう、又現身に依る御出現の準備工作も共になされたんであります。

本地とは、本の土地といふ事で、本の土地といふ事は、即ち日本といふ事であります。

仏教の真髄といふものは、伊都能売之大御神様が、御釈迦様に教へられたのが根本で、お釈迦様は檀特山で修行して或程度迄悟ったがそれから先が、どうしても分らなかった処恰(あたか) もよし、此時印度の南方補陀落山に坐す、南海大士(別名、観自在菩薩)を知ったのである。そこで早速、補陀落山へ登って、南海大士即ち後の観世音菩薩から、深奥なる天地の経綸を聞かされたのであります。此事を華厳経に斯(こ)う出てをります。南方に、ホダラカと呼ぶ山あり。観自在菩薩在り。時を得て、善財童子(釈迦如来)が遊行して其山の頂に上り、菩薩を尋ねて会ふ事が出来た。其地は樹木生ひ茂り。処々に流泉と湿地があり、其中心のいとも軟かき草地の上の金剛宝座に観自在菩薩は結跏趺座なされ、多くの聖者達に恭敬されながら、大慈悲経を説諭されて居たとあり、其時の侍者として、二十八部衆居り。大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀王、毘舎門天、阿修羅王等の外、ナーラーヤナ金剛、ワヂラバーニ金剛の兄弟二人(仁王尊)等の諸天である。又支那天台の始祖、南岳大師の記に(昔は霊山会場にあって、妙法蓮華経を説き給ひ、今は西法浄土に在して阿弥陀仏と名付け奉る。而も人界普門に示顕しては救世観世音菩薩となり給ふ。故に過現未にわたる三世の利益は、之観音一体に帰す。斯ういふ訳で、南岳大師の言ふ如く、法華経も、実は、観音が最初骨子を説かれたのであって、未来に渉る世界経綸の鍵は、釈尊で七十三歳の時に観音様から秘かに開示せられたのであります。故に、吾七十三歳にして見真実を得たりとの釈尊の言葉は、此事を指したのであります。それが判ったから、正像末、即ち、末法の後が仏滅といふ事を言はれたんで、仏が滅するといふ事は、観音様から知らされたんであります。それで、本地垂迹(ほんちすいじゃく)といふ事は、本の国へ救を垂れるといふ事で、それは日本から出た神様でありますから、故郷の日本を救はんとされたのであります。然し、霊であられるから、止むを得ず、仏師が拵えた像とか、坊さんの書いた画とか書とかを拝まして救ひを垂れ給ふたのであります。それで、本当の御姿といふと一寸八分の金無垢の御像になってをります。黄金は、観音様の御本体であり、又清浄無垢なものであります。又、金は高価なもので、大きな物が出来ませんから一寸八分にしたもので、一寸八分といふ事に就ては光明世界の第二号に詳しく出てをりますから御覧になれば判ると思ひます。

今迄は、木仏とか金仏、或は画など、そういふものを通して救ひを垂れたんであります。それを基督教等では、偶像崇拝などと言ってをりますけれど、信仰は矢張り的がなければならぬもので、基督教では、霊体の関係が解らないからそう言ふのであります。神様仏様の方でも、人間を救はれる場合、何物かを通じれば、非常に具合がいいんであります。丁度、ラジオの中継放送のやうな理屈であります。又、祈る時に、或物体に向へば、人間の方でもそれに精神が篭りますから、神仏へ通じ易いのであります。所が、段々と世の中が行詰って参りますと、今迄の如うな、物体を通しては、救の御力が弱いのであります。それでは何時迄経っても、真の地上天国を造る事が出来ないのみならず、人類の悩みが益々激しくなる、それが約束の時期が来た事なのです。生きた人間を通して、直接お救ひにならなければならなくなったのであります。生きた人間なれば、木仏金仏とはマルデ違ふ木仏金仏に、いくら物を訊いても、応へては呉れません。病気だからと言ふて御願ひしても、直接、手を出して治しては呉れません。観音様が、御神体を御書きになりたいとすると、之も人間の体を通せば、思ふ様に書ける。光も入られるんであります。そういふ風に、木仏金仏と生きた人間とは天地の相違であります。処が人間は、今迄木仏金仏を拝んでゐた癖があります。其為に、生きた人間、糞を垂れ、物を食ふ人間を、却て信じ難いのであります。併し、私に或期間接近された方は、それらの真諦(しんたい)を能く悟り得られて、絶対の信仰に入られるのであります。

併し何れは、人類の夢にも想はぬ、驚くべき、観音力をお出しになるんだそうですが、今は必要だけの力を出されるのだそうです。霊写真なども、一つの例で、観音力のほんの片鱗を見せて下すったのであります、観音様は力の主でありますから、今迄の外の神様や仏様を拝む様なつもりでゐると、一寸勝手が違ふ訳であります。要するに、不可思議力を揮はれるのであります。今日も或人が、それは五六日前に、観音様をお祭したのでありますが、或役所の課長級の方であります。前から奨めてもなかなかお祭りしなかったんですが、最近やっと祭られた方であります。今日会ひましたから観音様をお祭りなすってからどうですかと訊きますと、其人曰く、実に不思議な事には、役所へ行くと部下の者が、今迄より余計に頭を下げる。併も、今迄は部下に命令すると、いつも不承不承に仕事したのが、あれからは非常によく言ふ事を肯(き) く。従而(したがって) 仕事は捗がゆく、どうしても之は観音様がなされてゐるのに違ひないと思ふとの事で、私は、それは当然の事で、観音力を戴けば其人に自然と、権威が着くからだと説明してやりました。即ち、霊的向上する為に、何となく崇められる様になるんで、自然に頭を下げられる様になるんです。病気の治るなどの外に、斯(こ)ういふ御利益もあるのです。先刻、或婦人に、斯(こ)ういふ事を話しますと、実は、自分もそういふ事があるんで、最近、子供の附添に学校へ行くと、小使等が、今迄と異って、迚(とて)も親切に、丁寧にして呉れるんで、小使に何か与ってゐるんではないかといふ評判が立ってる位だと云ふ話であります。

話が、横へ外 れましたが、又本論へ戻りませう。本地垂迹に就て、大変な間違った解釈を今迄してゐたといふ事が判ります。それは、今日迄仏者は、本地とは仏の祖国印度であると思ってゐた事であります。成程仏法は確に印度が本であるが、其仏の本が日本であるといふ事が不明であった為に、間違ひのまま、今日に到ったのであります。甚だしきは、仏が本体であって、神は仏の化身であると言ふ事で実に怪しからんのであります。ひと頃、伊勢の大廟の奥の院に阿弥陀如来を祀ったといふのは、天照大神様は、阿弥陀如来の化身で在すと、解釈した為であって、実に、今日考へると、慄然とすべき事であります。若し此理を今一歩進めたならば、我日の本の皇祖は印度御出生といふ事になるので、洵に懼(おそ)れても恐るべき事であります。斯(かく)の如くであって、仏教に限らず、総ての物は日本が元であり、日本は世界の祖国であり、皇祖天照皇大神様が宇宙の根元神であらせられ、其御系統たる我天皇陛下こそ、来るべき大光明世界の、一あって二なき世界統治権を行使遊ばす大君主であらせらるる事は、如何なる方面から視ても議論の余地は無いのであります。

若し、仏教が印度を根本としたものならば吾々日本人は、之に向かって額づく事は出来ないのであります。日本には日本の否、天地の主宰神たる、天照大神様が、厳然と鎮座ましますに於てをやであります。故に、此一事こそ、日本人全体が明かに知らねばならぬ緊要事で、之を知って初めて、仏教の価値も判るのであります。

 

「腰割り」「テッポウ」トレーニング

受講者

○○さんですが、心地が悪いので、婦人科に行ったら「子宮が下がるとか膣が下がる」「手術しても再発する恐れがあります」と言われたそうです。泌尿器科へ行きましたら「三重県では手術出来るところはないので大きい病院を紹介する。しかし、検査をして病名を確定する必要がある。」と言われたそうです。

 

楳木代表

子宮が下がるということは子宮に筋があるでしょう。筋腫になる筋です。

 

受講者

以前子宮筋腫の手術を受けたそうです。

 

楳木代表

筋(すじ)で引っ張っているわけです。その筋が緩んでくるので、下がってくるのです。そうするとそれに子宮や膣とかもくっついているので、全体的に下がってくるからどうしても違和感があるのです。

それで三重県で手術が出来ないというのであれば〝手術をしない方が良い″というように受け止めて、『浄霊』に徹すると良いと思います。そして運動が大事です。引っ張っている筋を鍛えれば良いのです。

肛門を引き締める運動とかが良いと思います。ギューッと引き締めると筋が復活してくるでしょう。

それからお相撲さんが良くやる四股(しこ)とテッポウを応用した筋トレがあるのです。

(支部長代理:「腰割り」「テッポウ」トレーニング というようです。)

「腰割り」をすると足の付け根のリンパ腺とかが解(ほぐ)れるので、まず血行が良くなってきます。それからリンパ液が流れやすくなりますので、肩幅より少し足を広げて無理にならない程度にズーッと腰を下げていくと解れてくるのです。フワーと下がる程度に何回かやると良いです。それで次に四股を踏むのです。そうすると体のバランスが取れてくるのです。筋が緩んでいるということはバランスが崩れているのです。

それから次は「テッポウ」・・・足も一緒に動かしながら「テッポウ」をやると良いです。

実際に柱にやると家が壊れるので「空(から)テッポウ」です。これをやると肩が解(ほぐ)れてくるのです。

これを熱くなるぐらいやると体中血行が良くなっていきます。血液の流れとリンパ液の流れが物凄く良くなっていきます。中年になりかけているご婦人方でも大いにやるべきだと思います。

ですから、『浄霊』と運動をすれば必ず治っていきます。もともと若い時には筋で吊り上げていたものですからね。それが手術したりした時に使った薬等が影響して緩んできているのです。もう一回引っ張り上げれば良いわけなのです。それを手術するというのは緩んだ筋を切って繋ぐのです。すると短くなるので上に上がりますが筋自体弱っているので、また下がってしまうのです。だから緩んだのを力を付けて引っ張り上げるようにするのが、手術より効果的なのです。「一度浄霊と運動をやってみないかい」と話をしてみてください。

私の兄の脳梗塞の時にやらせたのが『浄霊』と〝階段の上り下り″でした。

 

受講者

高血圧だそうです。

 

楳木代表

それも影響しているのです。高血圧の薬は腎臓の薬ですので腎臓の裏側に薬毒が溜まっているのです。それが流れ出て子宮の手術をした箇所へ薬毒が行って筋を緩めさせているのです。

ですから腎臓を良く浄霊して悪い箇所を浄霊しつつ少しづつ運動をしていけば必ず回復に向かいます。それで気分が良くなってくれば手術する必要はないわけですから。

支部を紹介してあげてください。『浄霊力伝授』を受けて定期的に支部で浄霊をいただいて、自分で浄霊を続けると良いです。

 

受講者

私は歩く運動をしたら血圧が147から130台まで下がりました。

 

楳木代表

素晴らしい御守護だね。

「歩くだけで改善されるから血圧の薬なんか飲まなくて良いよ」と、そういう結果は大いにみんなに教えてあげないといけません。ああいう薬を飲むと脳梗塞を起こす原因になりますからね。

医者は脳梗塞を起こさないために「血圧の薬を飲みましょう」と言いますが、結果的に血圧の薬を飲むと脳梗塞を起こしてしまいます。

ですから「1、2ヶ月やってみてどうしても戻らないのなら手術を検討したらどうか」と、話してみたらどうですか。

 

地縛霊の慰霊は現地で行う

楳木代表

今回体験記を読んでどうでしたか。

 

受講者

浜松支部の体験記に吃驚しました。複数の人格が現れるものなのですね。

(メシヤ教サイト 御蔭話「多重人格に悩む娘に光明」参照)

 

楳木代表

人格がしっかりと形成されていない時に海外ホームステイをしたからね。憑依霊は順番に還(かえ)って行って二度と戻って来なくなりました。

 

受講者

地縛の霊の場合その場所から30年間離れられないですよね。慰霊は現地ですべきですか。

 

楳木代表

そうです。事故死とか自殺した霊の慰霊祭はその場所でしてあげないといけません。その場所から離れることが許されないのです。最長30年間ね。

 

『御教え 「変死地縛霊の供養」(昭和24年11月13日)

(問)変死人の供養の方法を御教え下さい。

(答)普通と同じようで、別に変った事は要らぬ。供養といっても、世間体やお義理等のみでやる、想念で大変違う。変死人などの罪の深い人間は早く助けたいとして充分にしてやるという気持でやると、霊に大きくそれが響く。

地縛は約三十年となっている。供養をすると非常に早く、五年ですむのを半分位で出る。

私などその場所へ行くとすぐに救われる。その場所へ行って、祝詞を三遍も奏げてやると大抵救われる。五、六回やってやると殆ど助かる。』

 

『御教え 「地縛霊の供養法」(昭和24年5月11日)

(問)地縛の霊がいる現場は、度々同様の事故が起りますが、事故防止をするため供養を致したいと思いますが、供養の方法につき御開示を御願い申し上げます。

(答)そこで祝詞を奏げてやる。事故があった中心へ行って祝詞を上げてやる。大先生などそこへ行かれるだけですぐに救われる。三回も奏げてやればいい。』

 

『御教え 「地縛霊の祀り」(昭和24年5月11日)

(問)地縛した霊を救うには如何にしたらよいでしょうか。祭るには仏壇でよろしいですか。

(答)祀ってもすぐに仏壇へ入れぬ。必ず仏壇へ入るに違いないが。祭れば地縛期間が短縮される。』

 

楳木代表

この方も精神的な御浄化だったのです。時間がかかったけども良くなりました。

(メシヤ教サイト 御蔭話「精神的浄化を経て御用にお使いいただけるように」参照)

 

受講者

横痃(よこね)とは何ですか。

 

楳木代表

この辺、もものつけねあたりに出来るでしょう。

(※横痃(よこね):もものつけねにあるリンパ節が炎症を起こしてはれること)

以前私の小さい頃の吹き出物の話をしましたが、親が病院に連れて行き切除しましたが、すぐ3センチ下にまた大きいのが出来たのです。その時は『浄霊』で良くなりました。パンパンに腫れたのですが遂には自然と割れて血膿が出てしまいます。しかし現代人はなかなかそこまで待てないのです。

 

受講者

テレビでリンパ管腫で顔に大きな瘤が生まれた時からある子供の話をしておりました。

 

楳木代表

そこのところが膜が薬毒によって薄くなっているから膨らんでくるのです。

リンパ液というのは浄化力みたいなものですから膨らむだけ膨らんで排泄されれば良いのですけどね。まあ『浄霊』すれば良くなると思いますよ。

 

受講者

耐性タミフルインフルエンザが話題になっています。

 

楳木代表

自然治癒力を高めるのが一番良いのです。自然治癒力を高めるためにも四股、テッポウを実践してください。体が温まったなあ、というところまで冬の場合はやれば良いと思います。

高齢者は無理すると膝を痛めるのでくれぐれも無理のない程度でお願いします。

 

受講者

床に座っての股割りは・・・

 

楳木代表

それはまた違います。相撲取りはやりますけども素人は危険ですよ。立ってやってください。

それでは時間になりましたので終わらせていただきます。

 

一同

ありがとうございました。

<来月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 薬毒の種々相」(文創  昭和二十七年)