メシヤ講座no.153三重(平成25年10月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 下半身の病気と痔疾」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』197ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 三重支部】

楳木代表

今日は痔疾のことで三重支部では資料を用意してくださっていますね。この中で大事な所を読み上げてください。

 

支部責任者(資料を読み上げる)

『痔疾は辛い物を喰べると糞便に混るから肛門を刺戟し痛む事がある』
(「辛いものを避ける」救世四十九号  昭和二十五年二月十一日)

 

『痔疾のような肛門に関係ある病気の原因は、殆んど後頭部にある毒結であるから、其処を浄霊するとよく治る』
(「神霊医学断片集(一) 浄霊の急所」栄光百四十五号  昭和二十七年二月二十七日)

 

 

『原因である排便時間を短縮する事で、少くとも一回五分以内にしなければなりません。又水分を出来る丈多く摂って便秘を防ぐのがいいのであります』
(「脱肛」 岡田先生療病術講義録  昭和十一年七月)

 

『自然浄化による血液中の毒素が、膿汁となって排泄する場合、排泄に有利ならしめん為、其膿を溶解する必要がある』
『肺結核痔疾等にて、喀血や出血するといふ理由もそうである』
(「新日本医術と既存医学の誤謬」新日本医術書 昭和十一年四月二十一日)

 

 

『瘻孔から膿が出て治る。肺を止めると痔瘻となるのはよくある』
(「結核より痔瘻となる」御講話 昭和二十四年七月二十六日)

 

『脱肛は古くなると固くなる。浄霊すると軟くなる。』
(「脱肛―浄霊法」御講話 昭和二十四年九月十八日

 

【病気としての痔:

直腸や肛門付近の血管は、頭の方向に血液を送っているため、普段から非常に大きい圧力がかかっている。(2013年4月22日 (月) 04:22ウィキペディアより)】

これによっても

『痔疾のような肛門に関係ある病気の原因は、殆んど後頭部にある毒結であるから、其処を浄霊するとよく治る』

とメシヤ様が浄霊の急所を御教えくださっていることとピッタリあってきます。

 

楳木代表

なるほど。よくわかりました。

そういうことも合わせて今日拝読させていただいた下半身の病気特に痔疾というところを確認させていただきたいと思います。不思議に思いますのは、メシヤ様が〝よくこれだけの痔の種類を御存知であったな″ということです。御自分がならないとこれだけのことはわかりませんね。それからご家族がなられたか、そういうことでかなり研究をされたのではないかなと思います。

まず最初に『言はば肛門は糞尿以外の汚物の排除口も兼ねてゐるといふ訳で、神は巧(うま)く作られたものである。』と書かれておりますので、痔になった場合は神様が〝汚物を排除するために痔という病気を用意してくださっているのだ″と考えていただいて〝過去の毒素をそこに集めて出させていただいている″ということですので、出産の時に痔を悪くしようが痔になったら〝過去の毒素の排除を許される″という感謝で痔には真向かっていただきたいと思います。

次に『脱肛にも痛むのと痛まないのとがあるが、痛むのは後天性薬毒がある為である。』と書かれています。痛まないのは先天性毒素ですので、先天性毒素の場合は自分の前世とか親から受け継いだ毒素が流れて来ますので、こういう場合、〝脳天から脊髄を貫くような浄霊″で痔に光が上から行くような気持ちでまずしていただいて、それから痔の場所を浄霊していただきたいと思います。

家族とか身内の場合、浄霊をいただく人はお尻を少し高く上げて後ろから痔に向かって直接浄霊してあげてください。

支部とかではそのような格好ですと奇異に映りますので、御家族同士の場合にそのようにしてあげてください。

痔の場合はわりと自己浄霊ができますので自分でよく浄霊をするのと、脳天から脊髄までを良く浄霊してください。

それから後天的毒素の場合は、〝神経を使うところ″に薬は集溜していきます。痔に集めて出て行くのですが、〝元々どこに毒素が固まっているか″ということを探ることも大切ですので、過去に使用した薬というものは自分なりにわかっていると思います。そこから〝神経を使うところ″に集溜しているはずですので、肩ですと肺に流れやすいとかはあるのですが、例えば下半身より下に関わる薬を飲んだ場合はそこのところを良く浄霊して、それから痔を浄霊するということを心がけてください。

痔が悪いという人に出会った場合は〝全身を浄霊する″のと〝痔の部分″を浄霊するのと、それから〝痔の種類を聞く″のと〝痛みがどんな感じで出ているのか、出ていないのか″を聞いて浄霊をしてあげていただきたいと思います。

それから便所の構造が出ていますが、メシヤ様が5分に限っておられることが〝几帳面であられたのだなあ″と思います。トイレで本を読んだりするのは昔の構造の和式であると『5分を過ぎると痔に悪い』というようなことを時計を見ながら測ったのではないかと思います。

 

受講者

和式で本を読めますかね。

 

楳木代表

読めるよ。若い時には10分くらい読んだことがありました。

 

楳木代表

田舎へ帰った時に和式なのでとても数分座っておれないです。

 

楳木代表

それは自宅が洋式だから鍛えていないからですよ。昔の人はああいう座り方をしてもなんともなかったのですよ。常時和式の場合は耐えられるのです。

メシヤ様は時計を見ながら痔になる確率ということを〝ご自分の体で確認していかれたのではないかな″と思います。

そういう御方を我々は教祖として仰いでいるわけですので、大変ありがたいですね。

それから次に、現在では和式は珍しくなってきていますので、構造上では痔になりにくくなってきていますので物質的なことを考えると天国に近づいているというわけです。トイレの構造も天国化しているのです。

しかし、一方日本では清潔症的なところがありますのでウォシュレットを付けているということです。

このウォシュレットを使いすぎると、肛門を守る菌まで洗い落としてしまうので、また痔になっていく可能性があります。構造上はよくなっていっているのですが、日本人の清潔症が現代日本では痔疾を生んでいる実態もありますので、ウォシュレットの使い方も十分気を付けていただきたいと思います。

それから『文明の創造』の始めから一貫してメシヤ様がお話されていることは『病気は放っておけば治る』ということです。痔もそこへ毒素が集溜して〝出てしまえば治る″ということです。

最後に出てきた肛門掻痒症は、天然痘の毒素とか他の薬毒が原因ですので別で時間がかかりますけども、後の痔は〝集溜して出せば治る″ということです。

ですから病気は殆ど放っておけば治るのですが、放っておく忍耐力が現代の日本人には非常に欠けてきていますので直ぐに治療に走ってしまうのです。

治療すると薬毒が加わってきますので、余計に次の病気の原因を作ってしまいます。そういうことをメシヤ様は御指摘しておられるのです。

そのようなことを確認しながら拝読していただければ有難いと思います。

今回は『神は巧(うま)く作られたものである。』とメシヤ様が冒頭感心されておられるそのことをいつも自分に言い聞かせて、『病気と言うのは浄化作用であるので浄化が済んでしまえば必ず良くなる』ので早まって治療とかに向かわないような心がけをお願いいたします。

そういうことを最初にお願いしておいていつものように質疑応答に移りたいと思います。

 

御神体御奉斎により地域が浄まる

受講者

「三重支部の報告から御神体の意義について言及しましたが、布教をする上では加えて切実で深刻なものが実はあるのです。」特選集にありますが、切実で深刻なものとはどういうことでしょうか。

 

楳木代表

それは先達が布教に行くときに実は神様の御用で行くのですけども御神体の御奉斎されていない地域に入っていくと下のほうから悪寒が忍び寄ってくるのです。こういうことは布教師としては恐いことなのです。

メシヤ様の御光を届けようとしても救われていない土地に行くと物凄く悪寒がするので・・・、特に女性の先達でしたので恐い感じで取り組んでおられたそうです。

それから私自身も御神体御奉斎前後では格段に御光の伝わり方が違うと感じるのです。ですから今まで縁の無い所へ行くときには疲れがあるわけです。

本日は御神体を申し込まれた方が複数おられますので、これでまた一層地域が〝浄められていくなあ″と有り難く思います。

御神体を申し込んだ場合今日奉納金をお供えいたしましたので、その瞬間に三重支部の体験記を受け止めて御奉斎までの日を過ごしてください。

 

御神体申し込みの瞬間から御神霊の働きをいただく

「後は御神体を迎えるだけ」となった4月4日に、御神前で、御浄霊をいただきに見えたある方と参拝をさせていただいている時に、御神体を御奉斎するその白壁に、光輝く階段、そして階段上には丸い輝く光々しい物を拝しました。その時、感じたのは、六十段の神界のそのまた上段ではないのかということと、善言讃詞の中の一節『光明如来と現じ 応神弥勒と化し 救世主(メシヤ)と成らせ・・』で、まさしく我家にお迎えさせていただくのは、最高の御神体なのだと、強く強くわき上がる喜びに、胸に熱いものが込み上げてきました。(「メシヤ様にお使いいただける喜び」三重支部体験発表より)」

楳木代表

ということは御神体を申し込んだ瞬間から御神霊のお働きをいただき始めるのです。これをもって今日から生活を始めていただきたいと思います。

ですから三重支部が公開している御神体に関わる体験記をまず読み直して御神霊の働きを認識して御奉斎までの日をそういう認識をもとに生活をしていただきたいと思います。

 

御神体御奉斎は天から光の柱が立つということ

楳木代表

昔メシヤ様の時代は交通機関が発達しておらず移動が大変だったわけですが、信者さん宅へ訪問するのに車の運転手も家を知らない。メシヤ様もその家を知らないという時に必ずメシヤ様がお尋ねになったことは「その家は御神体を御奉斎しているか」ということでした。

それで「御奉斎しております」とお答えしますと「わかった」と天空をお睨みになりまして、それでメシヤ様の指示通りに行きますとそのお宅までいけたそうです。

それは御神体の御軸の掛かっている釘がありますが、この釘の真上に神柱がスーっと天に向かって立っているのだそうです。

それを見えるのはメシヤ様だけなのです。先達の中には一部水晶殿で起きた奇蹟の時とか大切な時には神柱が見えた方もいらっしゃるそうです。

メシヤ様はジーッと睨むと光の柱が立っていますので、それで御存知ない場所にも行けたそうです。

ですから、御神体を御奉斎させていただくということは天から光の柱が立つということなのです。その柱から光を我々はズーッといただくことができますからね。だから御神体御奉斎ということは大変有難いことなのです。

 

(支部長代理:水晶殿の神柱の奇蹟を、「栄光紙」で探しました。参考になりましたら幸甚です。テキストデータは岡山支部サイトより拝借しました。感謝)

 

『水晶殿御遷座祭 「栄光289号」(昭和30年1月1日)

昭和29年12月11日、明主様が、水晶殿に御遷座あそばされた。そして、阿部晴三執事が、明主様の御言葉を次のように御取次された。「本日、明主様が水晶殿に御入りになられますにつきまして、仰せられました「御言葉」を御取次させて戴きます。

「水晶殿は地上天国の一部の雛形として、神様が御造りになるようさせられたものであって、これを神様はメシヤ教に造らせるようになされたものである。

又、今後教団の組織にも多少の変革があるものと思う」との(明主様の)御言葉でございました。

尚、これにつきまして一言附加えさせて戴きとうございますが、明主様には、「この水晶殿は決して独占的のものではないので、一人でも多くの人々に天与の景勝地を楽しんでもらいたい」と仰せられてますので、教団としては、この御趣旨を体し、皆様に御助力願いたいと思います。尤も、御覧のとおり未完成でありまして、今暫く、完成に日時を要する次第でありますので、その上で一般の方々に御覧戴く事になると思います。

又教団の組織の事につきましては、明主様には、段階 ―― 階級を設けられるような御模様でございました。その標準としましては、一つには、最も御浄霊の優れた人、又、信者を沢山お導きになられた方、又、神様に対して非常に御奉仕の強い方、こういった点を考えまして教団で決めるように、という意味の御言葉を仰言っておられました。私から御取次させて戴きます事は、以上でございます。」

また、この日、次の奇瑞が生じた。

明主様が水晶殿へ御入りになったあと、御出迎えした信者の多くは帰途につきはじめていた。また、その場を去り難く、明主様の御出座を思い、水晶殿を見上げていた信者もいた。するとその時、水晶殿の南面より白い靄のようなものが盛り上がり、やがて黄金色に輝きはじめた。「あっ、お光だ!お光だ!」と叫ぶ人々。水晶殿内部を充満した白い靄(もや)の中心に輝く巨大な光の柱が、天空に向かって白光を吹き上げた。』

 

『水晶殿に大御神光を拝して 「栄光293号」(昭和30年1月26日)

明主様、日々の御守護謹みて御礼申し上げ奉ります。この度水晶殿に御遷座の当日、有難くも尊き大御神光を拝ませて戴きました御報告をさせて戴く御許しを、御願い申し上げ奉ります。

昭和二十九年十二月十一日、水晶殿に御遷座の御出迎えの御許しを戴いてメシヤの神様と現れ給いて絶対無限の御威徳を、畏くも愈々尊く御強く四海に普く及ぼさせ給う有難き今日の佳き日に御許し戴けた幸福に、打震いながら

「水晶に 磨き浄めて 水晶殿 昇らせ給ふ 時近みかも」と御奥方様が、秋季大祭に御詠み下されたその時がいよいよ今日となったのだと思うと、ぐっと胸にせまるような思いに、一刻々々を数えつつ、熱海地上天国躑躅山の前に高鳴る胸を抑えながら、御車を御待ち申し上げていたのでございます。午後一時三十五分頃、両側に整列した信者さん方の最敬礼のうちに、御車は静々と水晶殿に向わせ給うたのでございます。

明主様を、今日の目出たき佳き日に目のあたり御出迎えさせて戴けた感激に、何時までも聖地を去り難く、佇むうちに、躑躅山と笹山の合目に釘附けにされたような感じで、ゆき難く去り難く、水晶殿を拝しておったのでございます。この場所は水晶殿の清明瀟洒な円形と、メシヤ会館の晴麗端正な稜角を、同時に見上げることの出来る恰好の所でございました。

美わしく清々しき眼のあたりに拝み申す水晶殿に、今こそ明主様は御出座遊ばしてましますと思うと、プラスチックの御内側の様はわかねど、諸先生方が御面会を戴く御模様を御想像申し上げて、礼拝させて戴いていたのでございます。

奇しくもこの時大御神光を拝させて戴いたのでございます。プラスチックの区切(柱と柱の間)の左から二番目のその下部に、白い靄の如きものが静かに静かに盛り上り ―― 丁度雲は山の岫出づるとかそれにも似て ―― 次々に金色に変じて参りました。「アッ御光だ!御光だ!」と並居る信者さん方が叫ばれました。恐れ多くも、思わず目を見張ってジッとみつめておりますと、確かに

御光に間違いない、私には初めて拝す御光でございます。

いろいろ御光については信者さんの御話にお聞きはしていましたが、自分自身この目で拝ませて戴くことは初めての為、じっと拝見させて戴いておったのでございます。ところが次第に盛り上った金色の御光は、遂にプラスチックのその区切に一杯に拡がり―― 丁度デパートの飾窓に一杯あふれた如くに ――水晶殿の内部に巨大な金色の柱が打樹てられ、丁度龍巻を高速度写真でみるが如くで、静かに静かに、極めて緩やかに、併し力強く躍動していると感ぜられたのでございます。

すると他のプラスチックの区切にも、次第に白い靄状のものが下辺より盛り上り、それが上昇するにつれて下辺より金粉を塗込めたように変転して、遂に水晶殿の内部はすっかり金粉にいろどられた白い靄が充満され、その中心に巨大な柱が彌々金色燦然として光輝き、益々強く耀いて、遂に水晶殿は大御神光の坩堝(るつぼ)と化してしまったかと思われた程でございます。そのため写真班と思われる二人の方の後姿も、ついに見えなくなってしまったのでございます。

然もこの巨大な金柱の躍動は無限に上昇を続け、悠遠(ゆうえん)の大空にとどくが如く、金粉の白靄は全地球を抱き尽くすかと感ぜしめられたのでございます。鳴呼遂に大救世主様の大御威徳は、熱海の聖地に御顕現遊ばされ給いて、水晶世界の基盤は厳として確立せられたと拝察せられたのでございます。信者さん方も、初めは「オウ素晴しい御光だ」と皆さん互いに知らせ合い、通り過ぎようとする信者さんを呼びとめたりして、感動の面を輝かせつつ、有難い勿体ないと感歎の連呼でございましたが、遂に無言となり、皆さん御光を拝して只感激の涙に咽ぶのみでございました。

六月十五日メシヤ御降誕仮祝典にいただけた無類の大感激に劣らざるこの一時に、熱気あふれて感涙に咽び、合掌に汗して身も魂も打震い、鳴呼、明主様、明主様と、只一筋に明主様、明主様、曇り多く深き私の罪を御赦し下さいませ、地上天国御建設の御用に御使い下さいませと、御祈り申し上げさせていただくのみでございました。

次第々々に靄の晴れるに似て、御光は徐々に御隠れ給いて、すっかり拝めなくなるまでには幾何の時間が経過したものか、明らかではございませんが、実に長い長い時間のように感ぜられました(三分乃至五分間位と後で判断致しております)

いよいよ水晶世界となる今日より、われよし信心、小乗信仰を打捨てて、新しく生まれ変った心になって、正しい信仰の道を進ませていただけるようと、心の底より御用に御使い戴ける人間にさせていただきたいと念じて、参上させていただきましたこの時に、大御神光を拝させていただけましたことのまことに有難く、謹みて御礼申し上げ奉ります。

明主様何卒罪深きこの身魂を御赦し下さいまして、御用に御使い下さいますよう、跪伏礼拝御願い申し上げ奉ります。』

 

『水晶殿に御神光を拝す「栄光293号」(昭和30年1月26日)

明主様、日々厚き御守護を賜わり、有難く謹んで御礼申し上げさせていただきます。

十二月十一日、水晶殿御遷座遊ばされます折、お出迎えのお許しを戴き、身に余る仕合せと、心に深く改心の姿にて、今までの到らなさをお詫び申し上げさせて戴きました。

この感激を胸に、誠の精進をお誓い申し上げ、躑躅山の参道より御挨拶させて戴きました。その時、新つの館のお窓の中央部より、靄の如きお光が拝されましたが、光線の曲折か私の眼の錯覚かと思い、二、三歩又五、六歩、やはり拝されます。魂の引寄せられる如くにて下山致し難きに、無我の境にてメシヤ会館へと上らせて戴き、五、六間先に二、三十名位の信者さんがおられ、私も水晶殿を拝させて戴いておりました処、先刻の靄の如きお光が次第に金色のお光に変り、益々強烈に大いさを増し、燦々と一瞬にして地軸をも焦がすかのお光、観世音菩薩の大慈悲光の具現か、金龍神のお光か、更に彌増す偉大なる御神光御神カに仰天して胸せまり、溢れ出づる涙にくれつつ〝明主様有難うございます。何卒お許し賜わり御神業の一端にでもお使い下さいませ〟と伏し拝み、御神光を拝し、又伏し拝むを幾度ともなく繰返すのみでございました。

御神光も拝されなくなりて、ふと我に帰りまして、ああ、あの最高の主神の御神光を拝し奉りし時が、御言葉賜わりし時かのように拝察させて戴き、一入に無量の感慨に浸らせて戴きました。

明主様、罪深き者にお許し戴き、勿体なくも無上の光栄に、只々有難く御守護の程謹みて御礼申し上げさせて戴きます。』

 

御神体御奉斎時の想念

楳木代表

御神体を御奉斎させていただく時は御軸の場合は釘に掛けた瞬間から神柱が立ちますので、その神柱を立てるようなつもりで御軸をスーッと下げるということが大事です。そのような想念で御神体御奉斎をしていただきたいと思います。

御額の場合も釘に掛けて傾きを整えて手を離す瞬間に神柱が立つという想念で御額は掛けてください。

これが御神体を御奉斎させていただくときに想念の面で大事なことです。それを確認しておきたいと思います。よろしくお願いしたいと思います。

 

三宝はなぜ素晴らしいか

楳木代表

それから三宝が一杯並んでおりますが、少なくとも御家庭では三宝だけはご用意していただくということで三宝の持ち方とかは習いましたか。

 

受講者

いいえ、習っていません。

 

楳木代表

三宝を実際に手にとって・・・

三宝の構造についてはお聞きしましたか?三宝はなぜ素晴らしいか?聞いたことないですか。

三宝は足(台)が人間を向いています。お盆は神様の方を向いているのです。

人間から見たときには台座が人間の方を向いていて見栄えが良いのです。しかし、お盆の部は神様に捧げるものをのせますので神様の方に表が向いているのです。これが三宝の素晴らしさなのです。

ですから、三宝を用意するときにはその素晴らしさを確認して、そういう素晴らしい造詣(ぞうけい)のものが我が家にあるのだということをまず感動していただきたいですね。

そういう説明は以前の教団ではしなかったと思いますので、一つ一つのことに感動を覚えなかったと思います。

それで三宝の持ち方ですが、横のきざみを中指で持ちます。しかし重いものを乗せるとグラグラしますので親指を添えるのです。

この持ち方がわかっていないと茶碗の持ち方とかがわかりません。神具を取り扱うことから食器類を取り扱うことに発展してきて日本の文化が生まれてきているのです。

ですから、神様事のこういった神具の取り扱い方をしっかり勉強しないと日常生活というのは本来整っていかないのです。

御神体を御奉斎するということは、日本の文化の全体を見つめ直す事が出来ますので。如何に素晴らしいかということです。

それで人間の手垢で三宝を汚さないように隅を持つのです。それが作法の原点になるのです。どうしても触れないといけないので神様にお供えするのに人間の脂とか垢がついってしまいますので、できるだけ汚さない形で取り扱うというのがお供えの作法としてあるのです。

こういうことを自覚しておいていただきたいと思います。

 

受講者

ホームセンターなどでは、お盆と脚が離れた三宝がありますが間違っているのですね。

 

楳木代表

そうです。三宝の意味を知らないからああいった物を作ってしまうのです。

それで複数の三宝を買った場合、しまう時に脚の大きさを変えているのでコンパクトになります。ですから三宝の構造は素晴らしいのです。

日本の物づくりの合理性ということがうかがえますね。

それから支部の場合八足(文台)がありますが、この持ち方は、掌で下から支えるのです。

それから座布団の出し方ですが、紐のところを持ってもう片方で下から支えます。それで座布団を置いてから正面に回してずらすのです。

だからお祭りの時に座るのを円座というのです。

 

※参考(作法心得 HPより)

1.座ぶとんには、裏表がある。「表」とは、中央のしめ糸のふさのついているほうである。また、座ぶとんカバーが使用されている場合、座ぶとんを真上からみて、チャックについている縫い代がかぶさっているほうが、「表」である。

2.座ぶとんには、前後がある。 「前」とは、座ぶとんの4辺のうち、縫い合わせのないほうである。 袋仕立てのものは、袋の底のほうが、「前」である。また、座ぶとんカバーが使用されている場合、チャックのついていないほうが、「前」である。

3.座ぶとんの標準サイズは、縦(前後)75cm 、横(左右)55cm とされている。

4.座ぶとんに座るときは、座ぶとんの敷いてある位置より下座側から座る。

5.座ぶとんから降りるときは、座ぶとんより下座側に降りる。

6.座ぶとんは、部屋の中での座る位置を決めてあるものである。したがって、座ぶとんを勝手に動かしてはならない。また、座ぶとんを膝もとに引きよせたり、裏を返したりするのは、失礼にあたる。

7.座ぶとんに座るときは、主人に、すすめられてから、主人に軽く会釈して、座ること。

8.来客が、予定されているときは、客が、座るべきところに、座ぶとんを敷いて置くことが、礼儀とされている。 不意に来客があった場合でも、その来客を座敷に通す前に、座ぶとんを敷くべきである。

9.宴席など、座ぶとんが敷きつめられている場合、座ぶとんの下座側から座るのではなく、後方から、膝行して座る。

10.座ぶとんに座ったまま、挨拶してはならない。

 

神様事を中心に家庭の運用を考える

楳木代表

今日は諸々確認出来ましたので良かったと思います。

ですから御玉串料を神様側に向けるのか人間側に向けるのかということですが、三宝の意味がわかれば神様にお供えするので神様に読んでいただけるようにお供えすれば良いのですね。

それで神様事を中心にして家庭の運用を考えていけば良いのです。

お茶碗の持ち方やお箸の持ち方を子供たちに教えていけば良いのです。そのようにして展開していけば家が非常に整った家になっていきます。ひとつよろしくお願いいたします。

 

受講者

先生に(御奉斎を)ご相談させていただいてからと思ったのですが、三宝が用意されていて(御神体奉納金を)上げてください。ということでしたので。

それは支部責任者とズーッと話を重ねてきましたので、支部責任者が「良い」ということであればOKです。

 

支部責任者床の間に『光明如来様』の御軸がお掛けしてありますがいつお巻き上げをさせていただいたらよろしいでしょうか。

 

楳木代表

御神体御奉斎式の時に「お巻き上げ式」をして、それで御奉斎してください。

 

支部責任者

釘は新しくした方が良いですね。

 

楳木代表

釘は新しくした方が良いです。

 

受講者

『光明如来様』はもう掛けるところがないので、どのようにさせていただいたらよろしいでしょうか。

 

楳木代表

箱があるでしょう。箱にしまっておいて時々お掛して拝させていただくようにしたら良いです。天気の良い乾燥した時に月に1回はお出しするようにしてください。メシヤ様をお偲びさせていただく日を一日作ると良いですね。

それで炭の欠片を箱の中に一本入れておくと良いですね。

巻き上げるときには半紙を間に挟んで巻き上げると良いです。奉書紙でも良いです。

 

受講者

長い和紙が売っています。

 

楳木代表

それが一番良いね。そうすると中に湿気が篭らないので染みみたいなのが出てきませんから。地のところは挟まなくて良いです。本紙のところからで良いです。

巻き上げ方は、右手を添えて置いて左手でゆるく回して上げていくのです。それで最後にピュッと締めれば締まります。

最初からきつく締めると癖がついてうまく巻けません。

御軸というのは日本の文化の中で素晴らしいもので着物と一緒でね、帯をピュッと締めるのと同じですね。

紐の結び方でもひとつひとつ覚えていくと非常に美しい結び方ができるようになります。訓練して皆さんに教えてあげてください。

 

掃除について

まず御神床を掃除してから他を掃除するようにしてください。大変でしょうけどよろしくお願いします。

 

受講者

掃除用具はどのように。

 

楳木代表

ハタキは御神体表、裏、神床用の3本は用意してください。

 

受講者

紙のハタキは風が出にくいのですが。

 

楳木代表

紙には寿命があるから2年過ぎたら買い替えてください。

 

支部責任者

御神体表には正絹のハタキを使用しています。風が良く出るのです。

 

楳木代表

風が出れば良いですね。お文字のところは風を送るような気持ちで掃除してください。布のところはや裏地は直接はたいても良いです。

何も汚れてなくても掃除をすると清々しくなりますからね。不思議ですね。

ですから、汚れているから掃除をするということよりも、住空間を清々しいものにするために掃除はあるのだ、と思っておいていただけると非常に良いのです。

それからメシヤ様は整理整頓をしないと頭が働かなくなると仰っておられます。それから子供の成績を上げるのにも掃除をしないと成績が上がりません。ですから子育て中の人は掃除を課題にしておいていただきたいと思います。

家族でよく話し合いながら分担して掃除をしていただきたいと思います。

 

受講者

御神前で寝起きしておりますので埃が一杯たまります。掃除するときに「ごめんなさいね」と。

 

楳木代表

「ごめんなさい」じゃなくてね、「失礼申し上げます」ですよ。布団を上げて、それから掃除すればよいわけです。

神様の方からすればそんなのは重々御承知なのです。

 

受講者

仏壇が隣にあるのですが掃除用具は神床と仏壇と分けなければいけませんね。

 

楳木代表

それは勿論分けなければいけません。

仏壇は仏壇用の黄色い布があるでしょう。あれが一番良いですよ。塗りものだから疵を付けないようにしないといけませんからね。

皆さん掃除は得意ですか。人間は子供の頃からトラックを左周りに回っていますので、そのように習性がついているのです。その習性で動かないと片付かないのです。反対に回るとスピードが落ちてしまいます。

体に染み込んだ動き方で掃除をした方が早いのです。ですから掃除の苦手な人にはそういう体の動かし方を教えながら一緒に掃除をしていくと良いですね。

それから小さな子供は抱きかかえるようにして手を持ってね、一緒に掃除をするとやり方を覚えていきます。「あっちで遊んでなさい」と言わずにね。

 

祭典時の遠隔浄霊

受講者

「自己浄霊をさせていただきつつ祭典時の遠隔浄霊をお願いさせていただくことにより、痛みは次第に治まりました。」とメシヤ講座・特選集にありますが、祭典時の遠隔浄霊とはどういうことでしょうか。

 

楳木代表

それは今日のような月次祭の時にも、併せて全国に遠隔浄霊をしているのです。

全体を浄霊しながら特に御浄化の厳しい所へお光が届くような想念を持って浄霊をしているのです。ですから三重の場合今○○さんが体力が弱っていますので、三重を思い出すときには○○さんを集中して祈っているのです。

毎日月次祭があるので毎日遠隔浄霊もしているということです。そのように伝えてあげてください。

 

受講者

有難いことです。良く伝えておきます。

 

楳木代表

ですから、どうしても体調の優れない時には電話でもメールでも良いので「遠隔浄霊をお願いします」と三重支部を通じて連絡をください。

 

楳木代表

それから三重支部の方々はメシヤ講座で確認をお願いしたいことがありましたら安子さんに事前に連絡を入れておくと良いですね。

 

苗字 地名について

楳木代表

○○さんの苗字は珍しいですがこの地方に多いのですか。

 

受講者

私は菰野(こもの)の出身ではありませんが、菰野の方には多いと聞いています。

 

楳木代表

菰野というのはなぜ菰野というのでしょうね。コモを作っていたのでしょうか。

 

【菰野町HPより:

町名の由来は?
菰野は「こもの」と読みます。
その昔、マコモ(真菰・真薦=イネ科の大形多年草)やクサヨモギなどが生い茂る原野が広がっていたそうです。そこを切り開いて村づくりがはじめられたことから、この地を「こもの」と命名し、これが町名になりました。「こもの」の字はこれまで、薦野、古茂野、菰野が使われています。

※参考:菰野町は「日月神示」の岡本天明氏が晩年移り住んだところです。

岡本天明
麻賀多神社入口正面。天明は1944年(昭和19年)6月10日に、この神社の社務所で日月神示を自動書記により書かされた。また、岐阜に移るまでの1946年(昭和21年)から1953年(昭和28年)までの約7年間をこの近くで過ごした。岡本 天明(おかもと てんめい、1897年(明治30年)12月4日 – 1963年(昭和38年)4月7日)は画家、神道家、また、神典研究家である。岡山県倉敷市玉島出身。本名は信之、天明は「雅号」である。1955年(昭和30年) – 至恩郷(三重県菰野町)に移る。(ウィキペディア2013年3月21日 (木) 01:30より)】

 

受講者

百姓の出の苗字だと思います。当主に三代も同じ名前が付いています。

 

楳木代表

三代前は田畑をたくさん所有しておられたのでしょうね。

 

受講者

よく家系がわからないのです。

 

楳木代表

調べてみると良いと思います。有力者ですと治水の管理を行っていたようです。

弘法大師がなぜあれだけ慕われたかと言いますと、一つの要素としては治水を行ったのです。池を作ったり、水の出ない地域で水の出る場所を教えたりしたのです。

ですから宗教家というだけでなく水脈とか治水とかに尽力されたのです。

そういうことと関わりのある苗字ではないかなと推測されます。探そうと思えばなんでもわかってきますから。戸籍謄本とかその前はお寺が持っていますので、そういうことを調べるのもライフワークの一つにしていけば良いかな、と思います。珍しい苗字だという場合はそのような役目が昔はあったのだと思います。

 

『これからが人民の歴史となる』

楳木代表

支部長代理、一杯線を引いてありますが何が気になったのですか。

 

支部長代理

特選集に記載の後半部分と最後の浜松支部のオリンピックの話に繋がりがあるなと思ったのです。

(※以下の内容は「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に投稿した内容です。
続いての御教えから拝察しますと、『日本人だけが支配者の歴史』であったので、『これからが人民の歴史となる』ということは、〝これからが本当の日本人の時代だ″と言えます。

そして浜松支部メシヤ講座の「東京オリンピックの開催が決まって」の内容にその回答を見出すことができます。見事に繋がっているのです。

人民の歴史となるためには、日本人の本来持っている力である、

1、明るい 2、マナーが良い 3、親切 を取り戻していくべきであり、

メシヤ様の御教え『日本文化の特異性』を要約すると、

『自分の国を知らなければならない、日本の役割として、平和的芸術国家を建設することが天の使命である。

それは何故か?日本は風光明媚であり日本人は手指が器用である。

だから、観光事業と美術工芸を国策としていくべきなのである。

恒久平和を実現するには思想革命が根本になければならないが、それは宗教と芸術以外ないのである。』

となります。)

 

楳木代表

そういうように組み立てたので、そこまで読んでくれると私もホッとするね。

 

受講者

国際成人力調査で日本人の読解力は世界一だったそうです。「読み・書き・計算」という基礎ができているのだそうです。

日本の江戸時代の寺子屋は世界的に見ても相当レベルが高かったそうです。

 

楳木代表

文盲率ということは貧富格差の社会問題と関連してきます。だけどインドは数学ではトップを走っていますね。

 

神々について

受講者

三千年前に伊都能売神皇の時代に素戔嗚尊が日本へ来たとのことでしたが、今回のメシヤ講座・特選集には『素戔嗚尊が世界を放浪してイスラエルの祖先となった』と書かれていて以前のメシヤ講座(メシヤ講座・特選集 (平成十八年十一月分)参照)では『6千年前に素戔嗚尊がユダヤ教を開教した』とあって時系列がよくわからないのです。

 

楳木代表

それは三重支部が引用している御教えの次の箇所に『素盞嗚尊は神須佐王、速須佐王、武速須佐王と三代続き』とありますので、この初代が六千年前ということです。

 

受講者

物凄く長生きだったということですか。

 

楳木代表

いえ、初代、二代、三代とは何千年と違うということです。

 

受講者

親子のように続いているのではなくて生まれ変わってということですか。

 

楳木代表

そういうことです。

 

受講者

先程の○○さんの三代当主に同じ名前が付いている。という話題と繋がりがありますね。

 

楳木代表

ああ、そうだねー(笑い)

 

楳木代表

それで縄文時代には400歳とか600歳とかの方もいらしたようです。現代人からは想像できませんね。

伊都能売神皇様は、日本からインドへ降っていかれて仏教の元を作られて、お釈迦様に仏教を教えて日本へ帰ろうと中国あたりまで来られたのですが、崩御なされました。その帰路で説法をされたので、道筋に観音教は残っていると推測されます。ですからその期間は相当長いですね。

それで少し現代人より大きかったようですね。座って鴨居くらいまであられたようです。その時代の神人は大きかったのですね。

ですから各地に巨人伝説とか残っていますがそのようなことが元になっているのではないでしょうか。

三内丸山遺跡へ行きますと遺跡の中に塚がありますが鯛が大きいのです。3キロ位の鯛を食べていたのではないかと推測されます。それを釣り上げていたのですから人間も大きかったのではないかと思われます。

 

『御教え「善悪の真諦と光明世界の建設」 観音講座(昭和10年8月25日)

又下級の霊程小さいものである。霊でも救われた霊は人とほとんど同じ大きさなのである。八衢の霊も人間と同様位で、神格を得るに従って大きくなります。観音様の御姿はお座りになって鴨居位まであって、私はこのお姿を見て書いたのが元本部の御神体になって居りました日の出観音様なのであります。ほとんど裸で光明が非常に強くきらきらとしています。これは観音様の御姿の書き初めであったのですが、この為見当がつき書くのに非常に参考になったのであります。

ある小母さんを鎮魂の時聞かされたのであるが、「この方は古い神である。名を言うことは出来んが彼の病人に魔が付いているから、その方に魔を払う事を教えに来たのである。艮(うしとら)の方へ塩を撒き、祝詞をあげる様に毎朝やれば癒る」との事でお引取りになられたのである。その小母さんが「随分喫驚しました。先生が鎮魂の時祝詞をあげられたら、急に大きな神様が木の葉の衣服を着て青、赤、紫でピカピカして綺麗で、頭の毛は後方に下げられて鉢巻をして居られた。座っていて鴨居位の大きさの神様であった」と。その通りにすると癒ったのであります。この神様のお姿をその後大本教の出口王仁三郎先生に聞いたら、国常立尊の戦を遊ばされた時のお姿であると申されました。その後先の小母さんは何んとなく私の宅に来にくゝって来る事が嫌で堪えられないのを無理に来られましたところ、鎮魂の際神様が出られて自分より他の霊の様な黒い物を殴打って出してくれた。これは小母さんが悪魔に憑かれて来る事が嫌になって来られなかったのを無理に来た為、神様が鞭で打ち追い出して下さったのであります。神様のところへ来るのが嫌になったのは悪魔につかれて居るから悪魔が来させん様にしているのであって、信者やその他の人でも神様の所へ来るのが嫌になるのは、皆この意味なのであります。この様な時、何でも彼でも来れば悪魔は離れて終うのであります。この類(たぐい)の霊は神様が怖くて、又光が怖ろしくて来られんのであります。』

 

楳木代表

それから序(ついで)の話になりますが、ピラミッドがありますがよく人間の力であれだけのものを拵えたなあと思いますが、奴隷には樽にビールを入れて栄養源としていたようです。だからジョッキに取っ手が付いているでしょう。

ビールは40度くらいの温度で美味しくなければ本物ではないのです。エジプトの炎天下で飲んでいるわけですからね。

現代はエネルギー源として飲むのではなくて疲れを取るために飲むのですからね。それで冷やして喉越しを良くして飲んでいるわけです。

それでも大きな石を積み上げるためには特別な掛け声をかけていたのではないかと思います。

 

受講者

お白石持ち行事の時には「エイヤー エイヤー」と掛け声をかけました。

御遷座の時は「カケコー カケコー カケコー」でした。

外宮は「カケロー カケロー カケロー」だそうです。

 

楳木代表

カケコーですか。何でキクがないのでしょうね。聞かないということでしょうか。夜になぜそういうことをするのでしょうか。光を当てられない御神体なのでしょうか。やはりあちらの系統なのでしょうね。

 

(支部長代理:鶏鳴三声(けいめいさんせい)といい、鶏を真似て発声する。これは 古事記に書かれた神話に由来する。天岩戸に隠れた天照大御神に出て貰う為 長鳴き鳥を集めて鳴かし、と書かれており これを再現する。太古の昔より、鶏は闇を払って暁を告げる鳥として大切にされてきました。)

 

『御教え「御教え集14号」(昭和27年10月15日)抜粋

これは先にも書いたことがありますが、武家の先祖と言いますか、それは素盞嗚尊なのです。素盞嗚尊が神武天皇にやられたのです。まあ、息子の大国主命の時です。これは歴史にもありますが、神武天皇の系統を日の系統だということがあります。天照大御神の系統だということに なってますが、天照大御神の傍系になっているのです。ですからまあ――系統とも言えるのです。本当の系統は押し込められたのです。岩戸隠れになっている。 その傍系が神武天皇になっている。そこで大国主命は素盞嗚尊の系統ですから、月の系統になる。そこで日の系統をやっつけようと思って、そうして始終闘って いたのです。それが日本の戦争に次ぐ戦争であった原因なのです。そうして最後が徳川家康です。あれは素盞嗚尊の系統だからです。そこで今度は、素盞嗚尊の方をやっつけて、そうして日の系統が立たなければならないということが明治なのです。王政復古です。その一番根本的の一つの手伝い、援助者がアメリカです。アメリカから、日本の開国のためにペリーなんかが来ました。それはどういうわけだというと、月の時代――英国は月の国だということは、私は言ってます が――を過ぎて、月がだんだん隠れてきて――月が隠れると闇になるから、そうすると星が光ってくるのです。そこで英国がだんだんおとろえるに従って、米国が勃興してきたのです。米国は星の国なのです。そうすると、星が過ぎると日が出るのです。これは天文学的にいっても良く分かります。月がなくなると真っ暗 になり星が光る。そうして今度は日が出る。ですから「星」という字は「日が生まれる」と書いてある。米国は日本の日の系統を生んだわけです。米国が日本を開国したために、徳川というものは没落したのです。そうして日の系統である天皇の方が、天下を治めたということです。』

 

夜昼転換 本来宗教が担うべきこと

受講者

『夜昼転換』と言いますのは三千年毎に規則正しくあるのでしょうか。

 

楳木代表

三千年毎の規則性ということはメシヤ様はあまり仰っておられませんが、まあだいたい三千年ですね。それで人間の生まれ変わりがだいたい三百年です。

前世を考えるときには、親の執着がなければ三百年くらい前を想定して、その時にどのような生き方をしていたのかを想像してみると〝前世の罪汚れ″がだいたい推定できます。しかし罪があった場合はもっと長かったかもしれません。

親が「子供が早く欲しい」と言って無理やり引っ張り出された場合は百年くらいで生まれてきますので、健康上恵まれないとかの様々なことが付随して起きてきますので、そういうことも吟味しながら〝自分の生き方を再教育していく″というのが本来宗教が担わなければいけないことなのです。現代の宗教はそういうことを念頭に置いてやっていないために組織を中心にした宗教団体ばかりになっているのです。

本来の輪廻転生があって生まれてくれば幸せな一生涯を過ごせるのですけども、様々な人間の執着によって早く生まれてきたり、自分自身の罪汚れの中で生まれてくる期間が遅かったために、いくら言ってもわからない人がいるでしょう。

そういう人は人間生活の経験が少ないのです。それと霊界でも繁殖が行われていますので人間としては遅く生まれてきた魂、今世が初めての魂もあるわけなのです。

そういう場合、〝人間として当然やらないといけないことが備わってない″人もいらっしゃるので、そういう点を補充していくように教育してあげないといけないのです。それがまたもうひとつの宗教の役割になって、その宗教の役割の中で、〝みんなを守るために″ということでは戒律ということができてきたのです。

未成熟な民族では戒律がなければみんなを守ることができなかったのです。

中には違和感のある戒律もありますが、すべて人間を守るために人間を成長させるために、その宗教あるいは民族が作り出してきたものなのです。

ですから、自分の周辺を見たときに〝この人には何をいってもわからないなあ″とか、自分がやって見せても〝なかなかのみこめないなあ″と言う時には人間生活が少なかったか、あるいは人間として生まれてきたのが遅いために〝経験がない″と解釈して、その経験のない分を丁寧に教え込むのと、〝人間としての本来の能力″が発揮できるように『浄霊』をしてあげるのです。そういうことでその人を〝成長させる″あるいは〝魂を完成させる″ということの願いを持って、お付き合いしていけば、がっかりすることもありませんし、責める必要もないのです。

〝ああ人間としてきちんと成長させてあげよう″と教育係みたいに思って対応していけば良いのではないかと思います。

ですから、神様のことはわからないこともありますし、『夜昼転換』もきっちり三千年かと言いますとそうでもなくて、メシヤ様の御説明では『一日でも昼夜があるように弟子の中にも昼と夜がある。』というような説きかたをされておりまして、今私達は三千年の『夜昼転換』の周期に注目していますが、一日にも夜昼があるようにそういうことを折りなしながら歴史が進んでいるということです。

一番大事なのは〝現代生きている人間を幸せにする″ということなのです。

周辺の中で〝生まれ代わりの少ない人″〝人間経験が少ない人″そして純粋だけども幸せになれない人は前世での因縁もありますし、前世ある事情で動物に生まれなければならなかったために、今世で人間としての生活が上手くできない人もおります。

そういう人を見て人間生活ができるように、魂を浄めて行く浄霊と教育を折なしながらその人を成長させていくということが大切なのです。そういうことの方に、人間生活という視点に着目して日常生活を送っていただければより一層今努力していることが良い方向へ向かうのではないかなと思います。

時間になりましたので一旦終わらせていただきます。

 

一同

ありがとうございました。

 

『御教え「夜昼転換」天国の福音(昭和二十二年二月五日)

私は約二十数年間に渉って治療した患者は無慮数万人に上ったであらう。その体験から得た結論は一言にしていへば「病気の原因は薬剤である。」といふ事である。凡ゆる病患の原因を探求すればする程、悉く薬剤ならざるはないのである。もし人類が之に目覚めない限り何時かは滅亡に至るべきは一点の疑ふ余地はない。斯くの如く恐るべき薬剤を救世主の如く信頼し、随喜し、不知不識の間に弱体化し生命を短縮させるといふのであるから「愚かなる者よ汝の名は文化人なり。」と言ふも敢て過言ではあるまい。

戦争も飢餓も、薬剤に比ぶれば物の数ではない。斯く曰ふ私の言葉は余りに極端であるかも知れない。然し私はそうは意(おも)はない。唯だ私がはっきり知った事実ありの儘、些かの誇張もなく叙(の)べたまでである。そうして私が最も不思議に思ふ事は世界に於て最高度の文明国と謂はれる国が此事に未だ気の付かない事である。原子爆弾の原理は発見し得ても医学の誤謬は発見し得られない事である。戦争犯罪者とは誤れる国家主義によって他国を侵略し他民族を殺戮した処の許すべからざる徒輩である事はいふまでもないが、彼等の罪悪は或一定期間だけであって、その野望は遂に打砕かれるに到る事は吾々が現に今視つつある処である。然るに医学のそれは数千年前からの持続的罪悪であるが、其事に気付かないばかりか反って医学とは聖なる職業であり仁術でさへありと思惟する観念に重大性がある。又斯うも言へると思ふ、それは人智の発達程度が医学の誤謬を発見するまでに至ってゐない事である。然し乍ら之には理由がある。それは次に説く事によって読者は諒解するであらう。

霊界と現界との関係に就ては前項に説いた如く、現界の凡ゆる事象は霊界の移写であるとして、茲に霊界に於ては、最近に至って一大転換の起りつつある事で、それを知る事によってのみ凡ては判明するのである。

本来天地間凡ゆる森羅万象は、曩に説いた如く、霊界と現界との両面の活動によって生成し化育し、破壊し創造しつつ、限りなき発展を遂げつつあるのであるが、之を大観すれば無限大なる宇宙であると共に、無限微の集合体である所の物質界でもある。それが極りなき転変によって停止する所なき文化の進歩発展がある。そうして心を潜め之を静かに稽(かんが)ふる時、宇宙意志即ち神の目的と其意図を感知しない訳にはゆかないであらう。そうして一切に陰陽明暗あり、夜昼の区別がある。又春夏秋冬の変化や万有の盛衰を観る時、人生にもよく当嵌るのである。又総てに渉って大中小の差別あり、之を時に当嵌める時、即ち一日に昼夜の別ある如く、実は一年にも十年にも百年、千年、万年にも昼夜の別があるのである。然し乍ら之は霊界での事象で、現界に於ては一日の昼夜のみ知り得るに過ぎないのである。

此理に由って、今や霊界に於ては何千年目か何万年目かに当然来るべき、昼夜の切換時が来たのである。之は重要事であって、此事を知らない限り本医術の原理は判り得ないのである、と共に之を知る事によって、本医術は固より世界の将来をも見通す事が可能となり、茲に安心立命を得らるるのである。然らば霊界に於けるこの何千年目かの昼夜の切換へが現界に如何に反映しつつあるかを説示してみよう。

右の意味によって、霊界に於ける世界は今日迄夜であった。夜の世界は現界と同様暗くして、定期的に月光を見るのみである。勿論水素が多く、月が光を隠せば星光のみとなりそれが曇れば真の暗黒となる。これが移写せる現界の事象に徴(み)ても瞭かである。即ち今日迄の世界、国々の治乱興亡の跡や、戦争と平和の交互に続く様相等は、恰度月が盈(み)ちては虧(か)ける如くである。然るに天運循環して今将に昼に転換せんとし、恰度その黎明期に相応するのである。

そうして霊界に於ける夜昼転換の結果として、人類が未だ経験せざる驚くべく、悚(おそれ)るべく、歓ぶべき一大変化が起る事である。而もその端緒は既に表はれ始めてゐる。先づそれを説明してみよう。

私が曰ふ昼の世界とは、現界のそれと同じく、先づ東天に日輪の光芒(こうぼう)が現はれるのである。視よ、地球の極東日本-即ち日の本に於ける一大変革である。此国は今や夜の文化即ち既成文化崩壊が開始されたのである。見よ重要文化都市の崩壊、産業経済の致命的状態を重なるものとし、人的には特権や指導階級の全般的没落等々は全くそれが為である。そうして次に来るもの-それは昼の文化の建設であるが、之等も既に表はれかけてゐる。視よ、日本に於ける徹底的武装解除に次いで民主主義の抬頭である。此二つの現実は、日本に於ては建国二千六百年以来洵に空前にして予想すら出来得なかった処のものであるが又世界永遠の平和確立への第一歩でもあらう。本来夜の世界とは闘争、飢餓、病苦に満ちた暗黒時代であるに反し、昼の世界とは平和、豊穣、健康等の具備せる光明時代である。現在の日本-それはよくその転機の様相を表はしてゐる。

然し乍ら、東天に昇り初めた太陽は軈(やが)て天心に到るであらう。それは何を意味するか、言ふ迄もなく、全世界に於ける夜の文化の総崩壊であると共に、昼の文化が呱々の声を挙げる事である。それは凡そ予想し得られよう。何となれば日本が既に小さくその模型をしめしてゐるからである。而も世界の決定的運命は目前に迫りつつある。恐らく何人と雖も此框(かまち)から免れる事は出来得ない。唯だ苦難をして最小限度に止め得る方法のみが残されてゐる。然しその方法は此処に一つある。即ち本医術の原理を知って、昼の文化建設の事業に加はる事である。

聖書の一節に曰く「普く天国の福音を述べ伝へらるべし、然る後末期到る」と、之は何を指示してゐるのであらうか、私は信ずる。それはこの私の著述が右の使命を完ふするであらう事を!

私は本医術の原理を説くに当って世界の運命にまで説き進めて来たが、之は重要事であるからである。それは本医術の原理発見も、医学の誤謬発見も、その根本は夜昼転換といふ一点に懸ってゐるからである。

既に説いた如く、病気の原因は人間霊体の曇りにあり、その曇りを解消する。それが病気治癒の唯一の条件でありとしたら、本医術発見以前の世界にあっては何故発見出来得なかったかといふ疑問であるが、その理由は斯うである。曩に説いた如く病気治癒の方法に二つある。一は毒素を浄化以前に還元する。即ち固め療法であり、二は右と反対に毒素を溶解し排除する方法である。既存医学は前者であり、本医術は後者である事も、読者は既に充分認識されたであらう。

そうして本医術の原理が、人体より放射する一種の不可視的神秘光線でありとしたら、此神秘光線の本質は何であるかといふと、それは火素を主とせる一種の人体特有の霊気である。故に施術の場合、火素の多量を要する訳であるが、昼の世界に嚮(むか)ふに従って、霊界に於ける火素は漸次増量する。何となれば火素放射の根源は太陽であるからである。そうして火素は治病に効果ある以外、今一つの重要事がある。それは霊界に於ける火素の増量は、人体の浄化作用をより促進せしむるといふ事である。即ち霊界の変化は直接霊体に影響する。火素の増量は霊体の曇りに対し、支援的役割ともいふべき浄化力強化となる事である。従而病気は発生し易くなると共に既存医療の固め療法の効果が薄弱となり終に不可能となる。例へば夜の世界に於ては一旦固めた毒素は再発まで数年要したものが、漸次短縮され、一年となり、半年となり、三月となり、一ヶ月となるといふやうになり、終には固める事は不可能とさへなるのである。之に就て最も好き例は彼の種痘である。之は日本に就ての実例であるが、数十年前は一回の種痘によって一生免疫されると謂はれたものが、漸次期間短縮され十年となり五年となり、最近に至ってその効果は非常に薄弱になった事である。其他種々の病気にしても年々増加の傾向を高めつつある事も見逃すべからざる事実である。

以上によってみても、漸次夜から昼に転移しつつある事を知るであらう。全く夜の期間に於ける病気治療の方法としては、溶解よりも固める方が有利であった。それは毒素溶解に要するだけの火素が不足であったからである。従而次善的方法として固める方法を執るの止むを得なかったのである。それが終に人類社会に対し短命、病気、飢餓、戦争等の苦悩の原因となった事は、実に悚(おそれ)るべき誤謬であった。

以上の如く夜昼の転換を認めるとして、その時期は何時頃であらうか。私は最後の転換期は茲数年を出でないと惟(おも)ふ。何となればそれに就て好適例がある。それは私の弟子数万人が病気治療に際し、年一年否一ヶ月毎に治病の効果が顕著になりつつある事である。即ち曩に三ヶ月を要した同程度の病気が、一ヶ月となり、半ヶ月となり、十日となり三日となるといふやうに、時の進むに従ひ短縮されつつある事で、之は異口同音に何れも唱へてゐる。要するに之は霊界に於ける火素増量の速度を示してゐる事であり、昼の世界の刻々迫りつつある事を示唆せる證左でなくて何であらう。』

<来月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 婦人病」(文創  昭和二十七年)