<今月の御教え>
「『文明の創造』科学篇 口中の病など」(文創 昭和二十七年)
本文は『文明の創造』193ページに記載されています。
【メシヤ講座 三重支部】
楳木代表
今日は『口中の病など』の項目を拝読させていただきましたが、先月拝読させていただいた『脳貧血其他』の189ページに『医学では勿論(もちろん)原因すら不明である』と書かれています。これは昭和27年当時の医学のことを指しておりますので、現在では随分解ってきていることもあります。それで現在医学ではどのような原因を解説しているかということを興味を持って拝読すべきであろうと思います。現代の医学はどのように解説しているかということをいつも頭に置いて拝読させていただきたいと思います。
それから次に、191ページに『私が長年唱へて来た説が、漸(ようや)く認められるやうになったもので、満足に堪(た)へないのである。』と書かれております。そうしますとメシヤ様がお説きになられ、〝医学的に漸く認められるようになった″ということが増えていくことが天国化していくことですので、現在ではどのように〝メシヤ様が説かれておられるところまで医学界が認識するようになったか″というようなことまで合わせて考えておきながら拝読をズーッと続けて行っていただけると有難いと思います。
そういうことを念頭に置かせていただきます。今回はまず歯のことから触れておられます。
冒頭に『歯の強弱の原因は、全く全身の健康と正比例してゐるものであって』ということですので、歯にいろいろ出た時には全身の体調と対比して考えておいていただきたいと思います。
私も今、ほぼ欠けて根っこだけになっている歯があります。日頃は痛くないのですが体調を壊したり、疲れが出てきますと痛み出してきます。痛いときには歯の痛いところと首肩と腎臓を繰り返し30分ほど浄霊をすると痛みは消えて行きます。これは体調が歯茎に直(す)ぐに出てくるということですね。
ですから、止むなく歯医者にかからなくてはいけない時には全身の浄霊をして歯の具合の変化を見ながら歯医者へ行くことです。それから今回メシヤ様が『従って私などは歯医者でセメンを詰めて貰ふ場合、必ず薬を使はせないやうにする』と御指摘されておられますように「消毒をしないように」と医者に確実に頼んでから治療を受けることが大切です。
消毒しても気休め程度のことなのです。しかし、消毒を一旦してしまいますとそれが残存して口内にいろんな症状が後から出てきますのでできるだけそういうことは避けていきたいと思います。
『メシヤ様の御精神を現代に求める座談会』http://mesiyakyou.blog13.fc2.com/
のブログに書き込みをしましたが、また結石が出たのです。朝四時頃から痛み出しまして、いつもは浄霊して排出するまで、5時間かかるのです。それで次の日が一日なので〝祭典に影響があるとこまるなあ″と思いまして、できるだけ廊下を歩いたりうずくまったりいろいろいろしながら浄霊をズーッとしておりました。6時10分くらい前にまず砂状の石が出ますと大部楽になりました。それから1時間くらいしてかなり大きい塊が出て随分楽になり、一日祭を滞りなく執行することができました。
この石と言いますのは私は54年前まで薬を飲んでおりましたので、この54年前の薬と尿石が化合して石になっております。50年経ってもまだ薬毒が体の中に残っているということです。
『御教え「毒結五十年」栄光百七号(昭和二十六年六月六日)
私は十八歳の時肋膜炎を患ったが、其時は、横腹を穿孔して、二百瓦程水を除った、処が其際の消毒薬と、そうして一旦治ってから、一年後再発した時の服薬と都合二回の薬毒が、恰度背中の腋の下の間位の処に固まっていたのを近頃発見したので、溶して了おうと思い自分で浄霊をした処、初めは随分固かったが少し宛溶けて段々軟かくなり溶ける度毎に必ず下痢する、大して痛みはないが判で捺したように正確なのだから面白い、之によってみても毒結なるものは何年経っても消えない事が分る、私は今年満六十八歳だから、恰度五十年間出ずに固まっていた訳である、だから浄霊を知らなかったとしたら、将に一生涯帰らないお客様という訳なのだ。
右の如く、毒結が溶けて下痢になって出る程気分がよくなる、今迄長い間気が付かなかったが、普通の気持と思っていた、それは、今度気が付いてみると、思いもよらない爽快感が湧いたという事で実に嬉しい、先ず之で二、三十年は寿命が延びるような気がする、オマケに頭も非常に具合がよくなり、原稿も今迄よりよく書けるようになった。
之によってみても、薬毒なるものは、浄霊を知らないと一生涯消えないという事が判るのである、それから下痢の原因の個所は私が常にいう如く、殆んど頭と背中である、それで其部の毒結が溶けて、一旦腹に集まり下痢する場合と、飲食物の中毒による場合と両方がある、特に頭の浄化による場合は血液が多く出る、其際肛門から出るのを痔出血と言い、それが腹の方へ一旦滞溜してから出るのが赤痢である、それで其毒血を早く出るよう自然の役目をするのが赤痢菌であるから、赤痢に罹った場合放っておけば順調に毒血が出て治るのである、処がそれを知らない医学は、彼の手此手で出さないようにする為悪化するのだから、此理を医学が知ったとしたら人間は如何に助かるだろうかと思うと、私は残念で堪らないのである。』
楳木代表
この薬毒が残っているのが体の中でいろいろと病的症状になって、外へ排泄されるので〝薬を入れるということは、いかに恐ろしいか″ということの現れであろうかと思います。
どうしても歯を抜いたりするときには麻酔を使わないと耐えられませんので、麻酔を使った場合には家族なり支部なりに連絡をしておいて、歯医者から帰ったら直ぐに一時間は麻酔を使ったところを浄霊していただくようにしてください。そして、浄霊をいただきますと何か臭いがするものが出てきますので、それを〝取っては外へ出す″ということを重ねていただければ〝薬が残ることを少しでも避けて行けるのではないかな″と思います。
『御教え「歯科医の注薬」(昭和24年9月7日)
(問)虫歯になって歯医者に行くと必ずと言う程神経を抜き、セメンを詰め、治療を致しますが、これは自然に逆らうと思いますが、良いのでしょうか、悪いのでしょうか。御質(たず)ね致します。
(答)止むを得ぬ。神経が痛むのは、神経の奥に薬毒が溜るからである。泥棒があるから警察があって、一時的手段を講ずるようなものである。故に、一時的に神経を抜いて埋めるのは止むを得ぬ。セメンを詰めるのも、薬毒のある間は止むを得ぬ手段である。但し、その際消毒薬を詰めるのはいけない。きっと後で痛む。之は私の体験で明らかだ。消毒薬が腐って膿になって出ようとする痛みである。』
楳木代表
それから口内にブツブツが出来たりすることがありますね。
これも過去に使った薬が浸透して溜まっていたのがブツブツで外へ出てくるということですので、できるだけ薬を使わないようにしていただきたいと思います。
とりわけ学校や幼稚園では嗽(うがい)ということを喧(やかま)しく言われます。嗽(うがい)をすると口の中が綺麗になったように錯覚をさせられています。
しかし、唾液が口の中にいつもないと殺菌作用がないわけですので、嗽(うがい)をすると殺菌効果が薄まってしまいますので却って良くないとメシヤ様は御指摘くださっておられますので、できるだけ嗽(うがい)等は避けるようにしていただきたいと思います。
『御教え「文明の創造」(昭和27年)
『そうして今一つの馬鹿(ばか)々々しい事は含嗽(うがい)薬で、之も口内を消毒する目的だが実は逆である。元来人間の唾液程殺菌作用のあるものはない。何よりも黴菌よりもズット大きな或(ある)種の虫は、唾液をかければ弱ったり死んだりするのでも分るであらう。だから実をいふと含嗽(うがい)をしてゐる間だけは、口内の殺菌力は薄弱である訳である。』
楳木代表
それから涎(よだれ)の多い子は歯が丈夫です。涎(よだれ)は乳歯が出てくる時の虫歯予防になりますので〝涎(よだれ)がよく出る子程歯が丈夫になるのだ″と涎(よだれ)に感謝をしながら親は子供のお世話をしていかないといけないのです。
しかし、〝涎(よだれ)は何のためにあるか″ということすら小児科などでは教えてくれていないので、厄介な世の中だなあと思います。
それから目のことについてもメシヤ様は
『御教え「文明の創造」(昭和27年)
『此(この)事は眼も同様で、よく目を洗ふ人があるが実に滑稽(こっけい)であって、目には涙といふ素晴しい消毒液があり、瞼の裏の粘膜は柔(やわら)かく理想的のものであってみれば、硼酸(ほうさん)水(すい)や布巾(ふきん)などで洗ふなどは最も間違ってゐる。』
と御教えくださっております。
我々の体というのは素晴らしい仕組みが備わって主神様から創造されておりますので、こういう御論文を拝読するにつけて人間として生まれてきて、大変有難いなあと思います。
最後に、
『御教え「文明の創造」(昭和27年)
『茲(ここ)で誰も気がつかないものに、顔面皮膚の悩みがある。之は顔が逆上(のぼ)せたり、軽い痛みや、痒み、引張られるやうな感じがする婦人がよくあるが、之は薬剤入の化粧品を無暗(むやみ)に使ふからで、其(その)薬剤が不知(しらず)不識(しらず)の内に滲透(しんとう)して毒素化し、顔面の毛細管から滲出(しんしゅつ)しやうとする為で、大いに注意すべきである。』
とあります。
今年は暑い日が続きましたので皮膚炎がかなり女性の方で増えているようです。
この前テレビである医者が良いことを言っていました。〝汗を多くかいて皮膚炎になる人は、石鹸の使い過ぎだ″そうです。気持ちが悪いのでお風呂へ入って石鹸をいっぱいつけてこすったりしていますと、皮膚を守る層を削り落としてしまいますので、却って皮膚炎になっていくということです。お風呂に入った時には何もつけずにお湯をかけて優しく手で洗うくらいが一番良いですね。
タモリは一切石鹸を使わないそうです。そういうことを言いますとおばさん方から「不潔だわ」と随分バッシングを受けたのですが、そのあと福山雅治が「私も同じことをしている。」と言ったらみんなやり始めたたそうです。
皮膚のことを思えば石鹸はあまり使わない方が良いのです。
そういうメシヤ様が唱えてこられたことが少し認められるようになってきたということですね。
今日拝読させていただいたところからはそうしたことを確認させていただいて、いつものように質疑応答に移りたいと思います。
主神様に真向かう姿勢を意識し自らを高めながら校正に取り組もう
楳木代表
今回は支部長代理が報告してくれた御教えを載せてあります。
(「メシヤ講座・特選集no.151(平成25年8月分)」参照)
『文明の創造』の次に発刊予定の本にはこのご講話も一緒に収録していこうと思います。
全国を回っていて編集の方法につきましてもいろんな意見をいただいておりますので、それらを参考にしながら、早めに表記方針を決定したいと思います。
『主神様とメシヤ様』という出版に携わって行くときに、私たちは日々主神様にお参りをさせていただいておりますので、〝主神様に真向かう時の姿勢″を意識すると同時に自分自身を高めながら校正に取り組んでいただきたいと思います。
そういったことに取り組んでいただきたいために、今回のメシヤ講座・特選集に支部長代理が送って下さった「三重支部より」という原稿を掲載したのです。
これに基づいて神様に求める姿勢を高めて行っていただきたいと思います。
祝詞は先達が奏上して御神名は皆で奏上させていただく
楳木代表
メシヤ様が一番最初に善言讃詞をお作りになられたときは、メシヤ様はお一人で奏上しておられまして、ご参拝の形式も初期の善言讃詞奏上はメシヤ様お一人で執り行われ、最後に「念被観音力」「念被観音行」「念被観音心」を皆で奉誦申し上げました。
私達メシヤ教もその当時に合わせて、祝詞は先達が奏上して御神名は皆で奉誦させていただいているのです。
それでメシヤ様は『御神名の奉誦は一回で良い』という時期もありました。そういうことからしますと、一人で参拝するときは一回で良いわけです。
しかし、皆で参拝する時には先達が一回奏上してその後、全員で奉誦するという形式で行っております。
『祈りの栞』に、一人の時に一回、皆の時には二回とか書いていきますと、非常にややこしくなってきますので、今は二回奉誦と書いて、あまりそこまで厳密に区分しておりません。
祝詞を奏上し、自らを浄めてから『主神様の御名を唱えさせていただく』
楳木代表
それで、主神様と奉唱させていただきます時は『表現し奉る言辞もない』ということでございます。本来は光の速度で広がっている宇宙そのもの、という極限のない大きさであられる御存在が主神様であるわけなのですけども、『主神様』と口にした瞬間に限定してしまうことになります。
ですから、御神名を奉誦する際には『表現し奉る言辞もない』からこそ、せめて天津祝詞を奏上させていただいて、自分を浄めてから『主神様の御名を唱えさせていただく』という姿勢で朝拝の時はお参りしていただきたいのです。そのくらい尊い御神名なのです。
尊い御神名を唱えることで〝ただそれだけでこの上なく有難いことなのだ″〝我々は大変な力を賜るのだ″という気持ちでご参拝をしていただきたいと思います。
夕拝の時にはメシヤ様のお作りになられた祝詞で、しかも地上天国が建設されていく霊界作りの文言が織り込まれた祝詞を唱えさせていただいたからこそ「どうぞ御神名を唱えさせてください」という気持ちを膨らませて『主之大御神 守り給へ幸倍賜へ』と唱えていただきたいと思います。
『御教え「第三宗教」自観叢書十二号(昭和二十五年一月三十日)
祝詞にして且つ経文である善言讃詞と称するものを奉誦するが、之は私が作ったもので、観音経を出来るだけ圧縮し、祝詞の形式にしたものである。どういう訳かというと、観音経を奏げるには、三十分以上を要し、日本の今日の社会生活には適合しない。どうしても毎朝の礼拝は五分以内で済ませなければ、電車事故などあった場合、勤先が疎かになるという懸念もあるからである。』
『御教え「力」栄光百五十一号(昭和二十七年四月九日)
(略)茲に私の事を少しかいてみるが、私の発揮する力の大きさと強さは、無限絶対と言ってもいい位で、現在行使してる力は一部の発揮でしかないがそれでも知り得た人は驚嘆する。信者は勿論だが信者の中でも熱心な人で何分の一位しか分り得ないのである。言う迄もなく何れは本当に発揮する時が来るから、其時は開いた口が塞らないであろう。故に今から腹帯を確(シッ)かり締めておく必要がある。そうして私が現在現わしている力だけでさえ病気を治す人間を作り、農業の増産法を教え、神の実在を分らせる奇蹟を現わしているばかりか、大規模な地上天国や美術館をも造っているのだが之等はホンの小手調べで時と共に段々押し拡がり何れは世界的に天国を造る事になろうから、本当の神力は之からである。
其様な訳でもっと詳しく知らせたいが、今言った処で到底信ずる事は出来ないし、神秘でもあるから、ホンの一部分だけ時に応じ、進むに従い発表するのである。之を要約すれば善言讃詞にある通りの世界を造ってゆくのである。特に一言いってをきたいのは、最大の争いである国と国との戦争であるが、之も私は時が来れば、一挙に無くす事が出来るだけの力も有っているから、安心して貰いたいのである。』
楳木代表
三重支部の御神前で参拝された時に181段が見えたでしょう。
ですからあのイメージをいつも持って〝その頂点におわします御存在に対してお参りさせていただくのだ″という気持ちを日々新たに持ってご参拝していただければ、この三重支部はさらに輝き続けます。
【御蔭話「メシヤ様にお使いいただける喜び」より抜粋:
「後は御神体を迎えるだけ」となった4月4日に、御神前で、御浄霊をいただきに見えたある方と参拝をさせていただいている時に、御神体を御奉斎するその白壁に、光輝く階段、そして階段上には丸い輝く光々しい物を拝しました。その時、感じたのは、六十段の神界のそのまた上段ではないのかということと、善言讃詞の中の一節『光明如来と現じ 応神弥勒と化し 救世主(メシヤ)と成らせ・・』で、まさしく我家にお迎えさせていただくのは、最高の御神体なのだと、強く強くわき上がる喜びに、胸に熱いものが込み上げてきました。(全文はこちらよりご覧いただけます「メシヤ様にお使いいただける喜び」)】
一神教は、御神名は異るが『主神様』とお祈りしているのと同じ
受講者
イスラム圏の人はやはり偶像崇拝は受け入れられないのでしょうか。
楳木代表
仏像を破壊したでしょう。
遺跡すら破壊するくらいですから偶像崇拝は受け入れられないでしょう。そういう教育を1400年くらい積み重ねてきているわけですから。
受講者
アッラーを崇拝する一神教ですよね。
楳木代表
そう。だから御神名は異なりますが、『主神様』とお祈りしているのと同じなのですね。
ですから最高最貴の神様に真向かうという姿勢はあるわけです。
『御教え「観音様とマホメット教」(昭和23年10月12日)
(問)マホメット教と観音様とは関係が御座いませうか。
(答)直接にはないが、間接には関係がある。マホメットは猶太民族から出たイスラエル民族、印度にはイスラム教がある。月系の神。キリスト教が高すぎる為、低くして説いたのがマホメット教である。マホメット教はアラーの神、キリスト教はエホバ。マホメット教では豚を絶対に食べない。以前マホメット教の宣教師が日本に来た時、豚料理を出し喰べぬ事があった。
蒙古は牛を重宝がる。之は勿論生活そのものにも用途多く、燃料や壁などにも用ひ、その需要範囲が広い。』
『御教え「イスラムとアラーと剣」
(問)イスラム教に就て、一、その霊統、二、唯一神「アラー」、等に就き御教示御願い申し上げます。
(答)一、イスラム教はマホメット教、支那では回々教といふ。アラビヤではマホメットといふ。イスラムはイスラエルの流れで霊的にはイエスと同系統であるから、根本はキリストに同じである。
二、アラーの神は最高の神の名で、エホバともいふ。日本では天之御中主大神である。アラーはその土地により、神格を落す場合がある。アラーはアラビア地方で唱えたので、あの辺は文化が低いから、低い神格で救ひをされたといえると思ふ。アラーの神へ動物を殺して上げるなど――。但し、神は如何に神格を下げられても争ひは絶対なさらない。戦いは邪神が乗じたものである。夜は月の光以上は発揮出来なかった。(国祖御隠退もそういふ訳である)
不動の剣は破邪の剣で、両刃の剣である。刃はヤイバで、之は人を殺すのがヤイバで、剣――つるぎ――は言葉の働きをする。舌は剣――つるぎになる。言霊の剣といふが、つるぎは詰めると月で、月の働きになる。刀は月の形になる。(剣もホロロ。舌鋒鋭く)
玉は魂で太陽。劔は月。鏡は大地で、東西南北とその間で八角になっている。(八紘)これで日月地になる。』
神観における『経緯(たてよこ)結ぶ』を認識する
受講者
日本自体は昔から多神教ですよね。あらゆる自然のものを神として崇拝してきました。
難しいなあ。
楳木代表
「難しい」というのは、『主神様』という御存在を認識することが難しいのです。
アラブの人達の方が毎日『主神様』を認識していますからね。
受講者
目には見えない絶対的な創造主、宇宙万物の主宰者の御存在を認識していますね。
楳木代表
しかし、その霊格の高さという点においては具体的ではないわけです。
多神教の礎がないと〝段階がある″ということがわからないのでね。〝神と人間″という1対1としての関係としての絶対的存在はあるのです。
日本の場合、多神教ですので、神社であれば伊勢神宮がトップだとすると各地に一宮があり、次の位の神社があるのです。
受講者
日本人は仏教も一神教も取り込んで一神教として『主神様』を崇めるならば全部を習合していると言えるのではないでしょうか。習合が得意な人種ですのでそのように神様は日本人をお作りになられたのでしょうか。
楳木代表
文化的には日本に元々そういう考え方があって、その一部分が西洋に行っているという捉え方の方が良いと思います。しかも西洋は人間を平面的に捉えています。
だから平民対トップという考え方ですが、日本は縦の世界ですので、縦の頂点に『主神様』がいらっしゃるという考え方ですので。なかなかね。
受講者
それでは『経緯(たてよこ)結ぶ』というのは。
楳木代表
この『経緯(たてよこ)結ぶ』というのは、今までの捉え方の『経緯(たてよこ)結ぶ』という考え方より、もっと神観において『経緯(たてよこ)結ぶ』という、『主神様とメシヤ様』を出版することによってそうした世界が認識できるように皆がなっていただかないといけません。ですから私の文章も難しくなるかもしれません。
『御教え「竹内四郎氏外との御対談 日本の使命」栄光百九十三号(昭和二十八年一月二十八日)
もう一つはこういう事も言いたいのです。講和以前には言いませんでしたが、民族では日本人が一番優秀なのです。これは事実を見れば分りますが、日本人くらい世界中の文化を吸収できる国民はありません。以前に一寸した小さな講演会で話したことがありますが、日本は自動車の組立工場と思えばいい。フォードでは部分品を各工場に作らせて、それを本社に集めて来て組立てて売出すということですが、それが丁度日本だと思います。アメリカの文化、イギリス、ドイツの文化、東洋でも、中国、インドの文化などがみんなはいって来て、それを組立てて立派な文化をつくるというのが、日本の使命だと思います。その使命を果す民族が日本人とすると、日本人が一番偉いということになります。ところが今迄は、各国の部分的の文化を見て感心していたのです。それは機械的なものはアメリカには迚も敵いませんし、又英国の社会主義を見ては感心するとか、フランスの芸術面に於ける絵画、文学に頭を下げていたのです。今後はそういう各国の特長をとり入れて、それを綜合した理想的な文化をつくるのが日本人なのです。それはこれからそうなるのです。ですから今迄の日本はその準備行為でしょう。 そうして第三次戦争が済んでから、急にそうなってくるでしょう。日本人の素質は将来そういう使命があるのです。又日本人位各国の文化を消化できる国民はありません。大体、東洋というのは精神文化で、西洋は物質文化です。東洋は経で西洋は緯です。それを結ぶ時期は今言った通りでその結ぶ国は日本です。それで日本に於ける結びは救世教がやるのです。救世教のバッジは十の字なのです。この赤い丸は日本を象徴し黄色いのは黄金時代というわけなのです。なにしろ日本人は劣等感が非常にありますからね。
『御教え「神と善悪、伊都能売、大乗の見方」(昭和二十三年六月二十四日
神様でも、戦犯者で追放になった神もあり、心ならずも戦に加はった神もある。之等は末端の神である。正神と邪神とあり、最高の神は善悪はない。悪人も必要である。悪人からみると善人は悪人、善人など邪魔気のものとなる。主神は悪人も善人も御自分で造られた。但し、之は想像である。故に善悪無差別である。之は大乗の説き方で、下根の者にこれを説くと弊害があるから一般に説く事は出来ぬ。大乗、他力、キリスト━水。小乗、仏教本来は経で、自力。本当はどっちも間違いである。今迄は大乗小乗は別々になっていた。これはどちらも間違いで、これが結ばれたものを伊都能売といい、その十の字の真中に人間は立ち、善にも悪にも、経にも緯にもなる。之が自由無碍の観音の働きである。経緯結ぶと力が出る。力――霊の力は左進右退であり、物質の力・体の力は右進左退である。
米国は水、日本は火、共産主義は火であるから、米ソ戦えばソ連は負ける。十に結んで開けるのは十八。之は五六七であり、三六九である。富士山をハチスの山といふ、八の字とスといふ事である。日本を善い国にするのはアメリカで、日本は日、アメリカは星になる。』
『主神様とメシヤ様』『天国の福音書 続篇』
受講者
本のタイトルはどのようになりますか。
楳木代表
『主神様とメシヤ様』がメインタイトルで『天国の福音書 続篇』がサブタイトルになります。シリーズで出版していきます。続篇1、続編2、続篇・・・・(一同笑い)
楽しいね。
受講者
重要な役割を担うことになりますね。
消毒液を吸い込まないよう注意する
受講者
知人が看護師なのですが、薬を使っているためかと思いますが、手が荒れてきたのです。それで精神状態も不安定になっているのです。消毒の影響とかがあるのではないかと思うのです。水道水でも手が荒れてしまうそうです。
楳木代表
精神が不安定になるのは〝消毒液を吸い込んでしまう″ということがあります。独特の匂いがありますね。洗う時に、蒸発したのを吸い込んでしまうのです。それで吸い込んだ際に脳の下を通って体に入ってきてしまって精神状態も不安定になってくるのです。
受講者
病院に入った途端に薬の匂いがしますが、あれも気化したのを吸い込んでしまう可能性があるのでしょうか。
楳木代表
あれは壁にくっついた匂いなので〝匂うなあ″という程度ですが、実際に消毒するときにピュピュッとやりますね。その時にフワーッと飛散するのです。それで気化したものを吸い込んでしまうのです。
主婦が脂肪がつきやすいのは料理をするからです。油炒めをする時に油が飛散したのを吸い込むからです。(一同みんなの体型を見て大笑い)だから、油炒めをする時ぐらいマスクをすると良いかもしれません。
塗装屋さんがするようなマスクがあるでしょう。あれだったら脂肪が入ってきませんから。しかし、脂肪が女性らしさを作るのですがね。(笑い)
受講者
車は新車を買われたようです。
楳木代表
新車の場合車に乗る時には空気を入れ替えないといけません。1年落ちの車でも化学物質の臭いが夏は凄くするのですよ。
炎天下の時には窓を開けて空気を入れ替えてから乗車しないと目の奥の方が痛くなってきます。
ですから「天気の良い日は取り分け空気を入れ替えて乗った方が良いよ」というふうにアドバイスをしてあげてください。
それから、どうしても消毒液とか洗剤の濃いのを使わないといけない時には「息を止めて洗うくらい気を使ってやった方が良いよ」とアドバイスをしてあげてください。
まあ美容師の方も手は荒れるでしょう。あれは使用しているパーマ液と染める薬剤ですね。〝あんな手の荒れるようなのを髪の毛によく付けるなあ″と思います。
看護師とか美容師は直接薬に手を触れなければいけないので〝大変な職業だなあ″と思います。
龍巻は言霊界を浄める
受講者
最近龍巻が多いですが、なぜかなあと思うのです。龍神が神上がっているのでしょうか。
楳木代表
まあ、そういうことであれば大変めでたいのですが、そうしたら〝アメリカが一番神様になっている″ということになります。
私達の言霊界が乱れているので浄める働きの方が多いのではないでしょうか。
受講者
台風はどうですか。
楳木代表
台風は全体的ですから。龍巻は2~300mの間くらいでしょう。そこを曇に沿って通っていくわけです。大変お気の毒なのですが。
受講者
人を浄めるのでしょうか。土地を浄めるのでしょうか。
楳木代表
土地ですね。しかし、土地を浄めなければならない原因が人にもあるのです。
受講者
雷は〝神に成る″ということではないのでしょうか。
楳木代表
そうではなくて〝我は神也(かみなり)″ですね。神様の音を出しながら浄めて行くというふうに考えていただくと良いかと思います。
雷がなったらすぐに車に乗っておけば安心ですからね。
受講者
伊勢でも龍巻がありました。珍しいことです。自衛隊の基地がある周辺です。
楳木代表
自衛隊があるというと平らなところですか。
受講者
そうです。平地ですね。
楳木代表
龍巻は平らなところで起こりやすいですね。
受講者
日本は山が多いですがアメリカは平地が多いから龍巻が起きやすいのですね。
楳木代表
龍巻が起きたら「浴槽に入って蓋をしておけば良い」と言います。
『御教え「雷光の稲妻型」(昭和24年7月1日)
(問)雷光は何故、稲妻型に光るので御座居ましょうか。御教えを賜り度う御座居ます。
(答)空中で陰陽電子が摩擦の刹那起るのであるから、非常に早いから起る。宗教的にいえば、火龍―火を扱う龍神―が、口から火を吹く。それが吹くんでそうなる。どっちも間違っていない。信じられる。
『御教え「龍巻」(昭和23年)
(問)龍巻について――。
(答)霊界で曇りのひどい所に対し、その曇りの堆積を龍巻でとってしまふか、又は火でやくか、いろんな方法で清掃するのである。龍巻は龍神の特性を実に良く出してゐる。即ち風を蛇行形に巻くのである。龍巻は局部的のものである。暴風なども渦を巻くが、之等は凡て龍神の形になってゐる。
『御教え「龍巻(龍の昇天)」(昭和23年)
(問)龍巻について御伺ひ申します。
(答)霊界の曇の強い所は、普通の暴風ではとれぬ。然し浄化しなくてはならぬ。するとその掛りの龍神がゐて曇がとれる。又、龍の天上する時も龍巻が起るといふ。水底に居て修行が済んで、雲をよんで、雲に乗ったり、雲に蔽はれたりして昇る。龍神は水がなければ活動出来ない。
『御教え「雹(ひょう)と龍と雷雨」
(問)二十一日の夕方、中京地方に季節外れの烈しい雹と雷雨がありましたが、如何なる原因でせうか。或人が何処かの池の龍が昇天したとか言はれますが、雹と龍の昇天と何か関係があるのでせうか。
(答)雹とは関係はない。龍が昇天する時は、龍巻や大雨を起す。水気がないと天へ昇れない。
雹は急に中界に寒波が行く時に、雲が分散して凍る。雷雨は浄化作用で、霊界の曇を火で焼くのである。
『御教え「言霊・想念・物(総説)」(昭和24年7月15日)
(問)言霊に就てお伺ひ申し上げます。
(答)言霊は簡単には出来ぬ。長くかからねば納得のゆくようにはならぬ。言霊とは言葉の霊であり、人間に聞こえるのはその体である。その言葉の霊が働くのである。聖書には「太初(ハジメ)に言(コトバ)あり、万物之によって造らる」とあるが、言霊の働き方は偉大である。例えば家を造るとすると、想念によって想ふと想念界に出来る。次に土木屋、大工など呼んで指図する。之は言葉でし、この言葉で出来る訳である。又材木なども買入れる。之は物質になる。即ち、想念―言霊―物といふ順序である。「傀儡師胸にかけたる人形箱仏出さうと鬼を出さうと」といふが、之は言葉の働きを言ったものである。和合するも喧嘩するのも言葉による。言葉の外に霊がある。善い言葉と悪い言葉は霊により違い、人により異る。
人の悪口を言ふと何となく感ずる。想念で思っても感ずる。之は言葉が霊界に記録されるからである。然し乍ら、行動に表はさなければ、そう大して罪ではない。想念の曇りは極く少ない。言霊界が曇ると台風や大雨、雷鳴、大風等で浄められる。
サムシンググレートについて
受講者
「メシヤ講座・特選集no151(平成25年8月分)」に“そしたら、さっきのがんを治療すると、また人口調整のために新たながんができあがって来るというジレンマに医者たちがぶつかっているところに、その論を求めて、「主神様は、いわゆるサムシング・グレートは本来こういう意図でこの世の中を創り上げていこうとされているんだ」ということを提供してあげていくと、その研究者たちに指針が生まれてくるということです。”とありますが、サムシング・グレートとはどういう意味でしょうか。
楳木代表
学者が神という言葉を使えないので、『主神様』の御存在をサムシング・グレートと呼んでいる人達がいるのです。神様の意思が分かっていかないと本来の人間の仕組みということがなかなかわからないということです。そういう人たちが増えていかない限り学者も技術論とかばかりに進んで行ってしまいます。〝本来の人間の存在とは何か″という考え方をしていかないと、どうしても対症療法だけに走っていってしまうことがあるのです。
そういう意味で特選集で取り上げたわけです。
【サムシング・グレートについて(「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋)
受講者:サムシング・グレートについて書かれていましたが、「天地創造の謎とサムシンググレート(久保 有政著)」では、“はたして進化論は本当に正しいのか。今、アメリカで「インテリジェント・デザイン理論」が注目を集めている。人類はもちろん、あらゆる生物と宇宙は、すべてはじめから知的にデザインされているというのだ。”と「インテリジェント・デザイン理論」がとり上げられています。これは今まで学んできた“生命誌”“進化論”とは異なる見方です。人間は完成形として天地創造者が最後におつくりになられた。いわゆる完した形が設計されていたのだ。という見方です。
楳木代表:ですから設計された通りに進化してきたのですね。それを進化と呼ばないだけではないですか。サムシング・グレートというのは使い方によって違うのではないでしょうか。そうしないとね、人間は一番最初から胎児になっていないといけないのではないですか。
受講者:これ以上単純化できない複雑なものは偉大な創造主が設計されたものである、と。
楳木代表:それを神と呼ぶかどうかですね。それで生命誌を辿(たど)ったのか、最初から人間がいたのかという考え方ですね。】
受講者
知人に『御浄霊』を理解していただくのに「お光なのよ」ではわかってもらえないと思うのです。
楳木代表
「お光なのよ」でわかってくれる人もいるのです。経験を持っている人はわかるのです。経験のない人には科学的なことで話をしていかないとわからないのです。
それで、この前雀蜂に刺されたでしょう。その雀蜂の毒自体も〝自分の体には持っているんだ″と。生命の進化の最後に人間ができてきたので、その中の過程はすべて人間の中にあるわけなのです。そういう考え方を持っておかないと小動物とか他の動物とかが全く違うものだと思うと人間の言葉が通じるとか通じないとかいうことがわかりません。
霊学を学んだ人は蜂が来ると「私は危害を加えに来たのではない」と言霊(ことたま)をかけるのです。そうすると蜂は止まるそうです。
「来ないでえ~」では弱いのです。人間のほうが霊格が高いわけですから言い聞かせればわかるのです。
ですから〝人間という存在がもっと高いものだ″とみんなが認識できるようになっていかないといけないわけです。
それが今ではペットに支配されているご家庭が多いでしょう。人間よりペットの方が上になっているご家庭が多いのでね。これでは人間の存在が低いものになってしまいます。
ぜひ御高齢者ほど今の日本を考え直すという話をいつもしてもらわないといけないのは、離乳食の時におじいちゃんおばあちゃんの噛んだのを絶対食べさせないね、今の若い人は。
しかし、今日の御教えからしますと、唾液を入れることがいかに良いことかということが分からせていただけます。〝最強のものを孫に入れてやる″という、これほど素晴らしい離乳食の時期の営み方というのはないわけなのです。
それを若い人たちは清潔感だけが先行しているために本来の人間の持っている力とか万物の霊長とかいう意味ががわからないで、子供を育てているところがありますのでね。
お年寄りほど反省しながらいつも仲間で話合いをしておいていただきたいと思います。
そういう機会にサムシンググレードという言葉を中心にして話し合いをすれば、それ自身がメシヤ様の御教えを広めていく布教に繋がっていきます。
「わからんなあ」と言われたら「それじゃあ分かるところへ一緒に行きましょうよ」と支部へご案内してください。
楳木代表
子育ての時に赤ちゃんで母乳だけを飲んでいる時は、固形物を消化する菌が胃腸にないわけなのです。その胃腸に菌を産ませるためには、口移しでしか産ませることはできないのです。だから身内みんなに噛んでもらって入れてもらうとその子供は最強の子供になっていくわけです。
しかし「きたない」という言葉が先に出てきてしまいますからね。
大体自分が生まれてきた時にどんな格好で生まれてきたのかということです。粘膜が付いたまま生まれてきてそれを拭いてあげて綺麗になるわけですから。それが10ヶ月間守ってきた袋と液体なわけですからね。
清潔感を持って見ると汚く見えますが、そのお蔭で赤ちゃんは守られてきたのです。そういう現実的な話をお年寄りたちももう一度話し合ってもらいたいのです。
江戸時代はトイレが家屋に一つはなかったのです。桶があってそれはオシッコをするためのものです。大きな方は一箇所に行って野にやってくるのです。ですから便が山積みされて蠅がたかって・・それでも伝染病とかはめったに起きなかったのです。人間というのはいかに強い存在かということがわかります。
墓も立派な墓を建てることはできませんでしたので、死産などの場合、決められた場所に埋めていました。浜松ではいまでもそういう場所が残っているそうです。
ですから江戸時代まで遡ると現代とは全く違うわけです。そういうところに目を瞑っていたら人間という存在が十分理解できないまま年をとっていくことになります。
お年寄りほど考え直していただきたいのです。
受講者
戦争を体験したお年寄りと戦争を知らない子供達では非常にギャップがあります。
楳木代表
そのギャップをきちんと伝えていないからいけないのです。
受講者
伝えるのを億劫がっているのですよね。
楳木代表
そうです。
若い人たちにきちんとした考え方を伝えていないところに今の日本の問題点があるわけです。
受講者
「はだしのゲン」を判断力のない子供たちに見せるのは問題があるとのことです。
楳木代表
判断力がないと思い込んでいるのは先生方の方で、小学生は十分に判断力があるのです。
判断力がないという教育者が間違っているのです。
親の話をみんな聞いているわけですからね。〝いい加減な話をしているなあ″と思いながらゲームをしているのです。
小学生は随分考えていますよ。その子達に「はだしのゲンを見てはいけない」ということ自体がおかしいのです。
受講者
大人たちが一方的に価値観を決めてはいけませんね。
楳木代表
読んだ後でね、「何か不安なことがあったりわからないことがあったら何でも先生に聞いてきなさい。」と言えば良いのですから。
受講者
先生自体がわからないのでしょうね。
楳木代表
戦後教育を受けた人間ですからね。考える力がなくなってきているのです。
受講者
判断力が無くなるのは社会的責任でしょうか。
楳木代表
だから基本はさっきからの話になってきますが、清潔すぎるのです。
「汚いから触らないで。それをやっちゃあ危ない。もうダメよ。何やってるの」・・・と、親がそのようにして子供を制限してしまいますから、考える力が無くなってしまうのです。少々怪我などをしてもさせておかないといけません。
夏休みの自然学級みたいなところはまず入ってきたら自分達でナイフを使って箸を作らせます。そうしないと食べられないから。手を切ってしまわないように切られる方を動かせば良いのですね。そういうふうにして刃物の使い方を学ぶのです。体験することは大事なことだと思います。
受講者
今の話を聞いていますと、会社でもバイトの子でも自分で判断できる子が少なくなってきています。応用が効かないので、全く同じことでないとできなかったりします。それで「なぜ間違ったの」と聞くと「教えてもらっていない」と言います。
自分のことを優先していますので、忙しいのにバイトに来てもらっているのに来てもらった意味が無くなってしまうことがあります。忙しいのに皆がまとまって休んだりします。それで、仕事に来ても一つ仕事をすると言われないと自分で考えて次の仕事をしないのです。
楳木代表
「終わりましたが次は何をしましょうか。」と聞きに来ないわけですね。
受講者
そうなのです。
楳木代表
これは家庭でそういうことをさせていないからわからないのです。
子供と一緒に年末の大掃除などもしていないでしょう。
受講者
学校の先生から聞いた話では今の子は自習ができないのです。
することを全部書いておかないと、やり終わったらボーッとしてしまって〝自分で考えて次のことをしよう。″としないのだそうです。
楳木代表
今は自習はあまりないでしょう。副担任がいますからね。
お年寄りの話から大部話が広がりましたね。40代、50代が産んだ人たちが今度は子供を産む世代になってきています。もっと酷いことになっていく恐れがあります。
受講者
家庭に子供が少ないですからね。我が家は大人数でしたが。(笑い)
楳木代表
そういう大勢で育った子供たちはまだ良かったですね。
楳木代表
日本の政治家も二世議員が増えて頼りなくなってしまいました。
受講者
メシヤ様が〝『アメリカを救う』をお書きになられたのは何故か″と思っていましたが、現代ではやはりメシヤ様の御教えが広がっていかなければならないのですね。
楳木代表
〝本来の宗教がどういう順番で生まれてきたか″という教えというのはメシヤ様しかないわけです。
三千年前に朝鮮半島から素盞嗚尊(すさのおのみこと)が押し寄せてきたので日本の主宰者である伊都能売神皇(いづのめしんのう)様は絶対平和主義で皇位を天照天皇に譲って海外へ出られてインドへ降って仏教をお作りになられたのです。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)は400年弱日本を治めたけども性癖によって国が乱れたので、そのことを見てとった中国から宮崎の高千穂峡に潜んでその情勢を見ていた神武天皇が東征して日本を治めて天皇家の始祖となったのが2600何年という皇紀の歴史なのです。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)は国を乱したという叱責を受けてキリスト教を作ったわけです。キリスト教はそれを挽回するために世界にキリスト教圏を広げていったのです。
キリスト教圏を広げる上で根っこにあるのは〝人類は最強の存在なので世界を征服する″という考えです。
強い存在ということだけでは人間というのは過ちを犯すということでそういうものではない。ということからイスラム教ができてきたわけです。
ですから人間は弱い存在だとしてイスラム教を作っていったのです。
弱い存在だから〝女性は目以外を出してはいけない″としたのです。悩ましいところが男に映ると男は愚かな人間なので襲うから女性の色っぽいところは全部隠させたのです。
それから豚というのは雑食なので、人体には良くないので「豚は食べてはいけない」とする戒律が生まれてきたのです。それだけでは良くないので断食をしてお腹の中を全部空っぽにする時期を作らないと人間は生きていけないということで断食月を作るというように戒律を構成していったのがイスラムの教えなのです。
そういうように〝日本を征服したところから生まれてきている″のが世界の宗教の根っこにはあるのだということを教えてくださっているのはメシヤ様だけなのです。
ですから、それだけの世界観を持って各宗教を見つめているのは岡田茂吉教祖を教祖と仰いでいる信者さんしかそういう大きい考え方はできないのです。
しかし、残念ながら過去の教団はそこまでのことを教えていないので非常に狭い考え方の信者さんになってしまっているのです。
ですから、今回のメシヤ講座を通してメシヤ様から教えられていることを根底において一つ一つを見直していくと人間という存在の大きさとか偉大さがより一層認識できるのではないかと思います。
ぜひ年配者の方も後45年くらいはありますので、そういうことを積み上げて行ってみんなに啓蒙をして行ってください。
受講者
霊界へ行ってからそれはできますか。
楳木代表
できません。生きている人間を変えない限りダメなのです。
霊界は霊界の各宗の支配者がおります。その教祖の元に集ってやっていかないといけないのです。ですから現界にいるうちに一人でも目覚めさせておかないといけないのです。
まあ、みなさんはこうしてメシヤ講座を学んでいますからメシヤ様の集団の中に入れていただけると思いますがね。
しかし、世界宗教をこのように考えることができるのは他所の教団にはないのです。
メシヤ様の教えに基づいてもう一度世界の宗教を研究していかないと、こういう考え方というのはできないわけです。
受講者
こうして話を聞くと岸本英夫先生とその弟子たちがまとめた「世界の宗教」にまとめられた各宗の成り立ちと見事に順番があっているなあと感心させられました。
メシヤ講座・特選集にイスラムの事が出ていましたので世界の宗教のことを勉強しておかねばと思い取り寄せて読んだばかりです。
楳木代表
そういうふうに繋いでいかないと地上天国はつくれないからね。
こういう話がわかる人達と一緒に地上天国を建設していかないと、ただただ浄霊一筋だけでは地上天国はできないのでね。宗教観が確立されていかないといけません。
受講者
相手の宗教のことも分かっていかないといけませんね。
(先生)
ということで世界宗教の講義になりましたが、時間になりましたので終わらせていただきます。
一同
ありがとうございました。
『御教え「イスラエル民族と日本人」(昭和24年1月七日)
(問)イスラエル民族と純正日本人との関係(純日本人━天孫民族━イスラエル民族と存じますが)――
(答)いろんな説があるが、私の解釈は違ふ。イスラエル民族はユダヤで、純正日本人とは関係はない。猶太の本元は素盞嗚尊で、朝鮮民族である。素盞嗚尊が世界を放浪して、今でいふユダヤのエルサレムへ住居して、朝鮮民族とヨーロッパ人との混血児(民族)が出来た。これがイスラエルの祖先である。十二人の子を生んだが、之が十二の流れである。その中の一種族は二千年前(イエス昇天後間もなく)東の方面へ行って帰らぬ。それは支那の後漢時代(北方へ住む進歩的民族。勢力扶植せんとしたが支那は進歩的でない)日本の九州へ渡来して天孫民族となった。日本民族はコーカサス方面から来た。今のアイヌ族と、出雲朝━朝鮮民族は最初出雲へ来た。その後、越後、越中方面から信濃、茨城方面へ相当入った。それから右の天孫民族である。純正の日本民族は、弥生族で、これ等が混血しているのである。』
『御教え「瓊々杵尊と日本民族」
(問)皇孫瓊々杵尊と日本民族に就て――
(答)瓊々杵尊に就ては今言えない訳がある。日本民族は日本、朝鮮、支那の三人種が混血したものである。本来の日本民族は絶対闘争しない。大和民族が征服されてから戦いが起った。
日本の歴史は戦争の歴史である。然し乍ら、他民族が入ったために、仏教等の文化が日本へ入ったので、これがやはり神の経綸である。』
『御教え「日本と天孫民族」
(問)天孫民族に就て――。又、天孫民族種が一番最初に神様によって造られたのでせうか。
(答)天孫民族は支那の漢族で、瓊々杵尊とは漢の英雄である。これは確実な事はいえぬが、猶太ではないかと思ふ。といふのは、イスラエルの十二種族の中、一種族だけが東方へ行ったきり帰らぬといふ事で、それは支那へ行った。そして支那で何かしようとしたが、支那では国が栄えていて、事を挙げる事が出来なかった。それで日本へ来たものと思ふ。
もう一つ、ユダヤ民族は放浪癖があり、一個所に固定しない。それでその支那へ渡ったものの中の一族が九州へ渡り、鵜茅葺不合尊となり、神倭磐余彦命となった。当時山に居たんで、誰言ふとなく天孫民族といった。富士山に住んでいたといふ説があるが、これは本当ではないと思ふ。天孫民族は二千数百年前のものである。
神が一番最初に人間を造られた時は、何万年か何十万年前か分らぬが、木の葉の着物を着ていた時は随分古い事である。
素盞嗚尊が日本へ渡来し日本を征服した。それを又神武天皇が征服した。そして今日迄日本を支配した。要するに、朝鮮系と支那系が日本を征服したので、原住の大和民族は下積みとなり、埋もれてしまった。本当の日本人は被支配者となった。
素盞嗚尊は神須佐王、速須佐王、武速須佐王と三代続き、それから大国主命となった。
日本歴史は朝鮮支那両民族の天下の奪り合いで、大抵の戦いは此両民族の争いが多い。であるから、日本には人民の歴史はない。これは外国とは大いに違ふ。外国では人民の歴史が多い。日本だけは支配者の歴史である。これからが人民の歴史になる。
徳川家康は大国主命の霊系の直系である。天皇は多く神武天皇の霊系である。南北朝もそれで、南朝が素盞嗚尊、北朝が天孫の系統で、之は寧ろ歴史に歴然としている。
天理教の御筆先にも「日本の真の柱は唐人や」と書いてある。大本教でも支那の盤古大神(支那民族の先祖)が渡来して、日本の天皇になったと言っている。
瓊々杵尊と神武天皇の間には意外な事がある。
<来月の御教え>
「『文明の創造』科学篇 下半身の病気と痔疾」(文創 昭和二十七年)