メシヤ講座no.148大阪(平成25年5月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 肝臓、胆嚢、膀胱の結石」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』174ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 大阪支部】

「肝臓と胆嚢」の働き

楳木代表

本日は『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』ということでメシヤ様が御解説をして下さっております。

肝臓についてはですね、皆さん方、大枠、肝臓は何をやってくれているのか?というのは御存知ですよね?大枠で言うと・・、目があった○○さん。

 

受講者

解毒と、

 

楳木代表

解毒と、

 

 

受講者

グリコーゲン?

 

楳木代表

(笑)まぁ栄養素を貯蓄。あとは?

 

受講者

・・・

 

楳木代表

あとは? あともう一つは貯蓄したものをまた必要に応じて作り出すということ。だから我々の子供の頃、力仕事をする人たちというのは、弁当はご飯と漬物。まぁ沢庵と梅干ぐらいで、栄養素を作りだして、全身に栄養素を送って・・・、そして力仕事を根気よく続けることができたのは、そういう役割を担ってくれるところが非常に活発であったということですね。

それから、ここで酒を充分飲める人という人、手を挙げてみて下さい。(笑)

 

受講者

(笑)十分というか、普通に飲める程度です。

 

楳木代表

(笑)普通に飲めると・・・。

(笑)お酒全く駄目という人は?もう全く、ちょっと飲んだだけでも真っ赤になって、目が舞いそうになるという人は?

えーとそういう、今手を挙げた、酒がまぁま飲めるという人と、もう全く飲めないという人の、肝臓でアルコール分を分解する能力というのは、だいたい20倍違うと言われております。飲める人と飲めない人と。

それから薬を飲んでも、割とですね、薬毒が溜まらない人もいます。でもテキメンに溜まる人もいます。これはですね、その薬だけを分解できる能力が肝臓にたまたまあった人は、そういうことができるんですけれども、だいたいまぁ異物は、肝臓もいくら努力しても分解できないんですけれども、たまに分解できる力を持っている人がいますので、そういう人たちは割と薬に強いということがある。酒と一緒でね。

酒も、アルコールというのは人間にとっては害毒なものなので、分解して外に出そうという働きがあるんですけど、活発に排泄できる、分解できる人と、分解できない人の差が、ここに二人並んでいても、20倍その能力が違う。人間にはそういう個体差が、お互いにあります。

しかし、その個体差がある中で、私達は健康を維持していこうという時に、幸いなことにこの浄霊というものに、私たちは出会っていますので、この浄霊のお蔭で健康を維持することができていますので、大変ありがたいということですね。

それからメシヤ様は、肝臓の回りに余剰尿が溜まって、そして圧迫していくので、肝臓が十分な働きができないと。

これは現代ですね、医学的に解明しているのは脂肪肝ですね。この肝臓の回りに、ものすごい脂肪がベッタリ溜まって、この脂肪が圧迫するために肝臓の働きが弱まっているとかいうことも、最近の医療は気付いてきたので、この脂肪肝の脂肪を取っていきましょうというふうに患者さん方に説明するところまできております。メシヤ様が今から60年前にこうして御指摘になったことを、今の医学会がだんだん気付き始めているということですね。

 

受講者

出たことがあるような、ないような・・・

 

楳木代表

まぁ灰色っぽい便、白かったり灰色の便が出たり、これはですね、胆汁が出ない時にそういう便の色になっていきます。胆汁が出れば、我々の便は黄色い便ですけれども、胆汁が出ない時には、そういう便が出るので、そういう時には、この胆嚢から胆管をよく浄霊してあげると、そういう不具合が無くなってくるということですね。肝臓を、胆嚢というところを、よく浄霊していけばいいということですね。(肝臓の働きとしては、胆汁を作り胆嚢へ送り濃縮するということがあります。胆汁は脂肪の分解や脂溶性ビタミンの消化のために必要です。)

 

「結石」について

楳木代表

それから石ができるということについても、メシヤ様はこのように御説明してくださっています。

私も数年前に石ができて、御浄霊によって、ここに書かれた通りに、砂のようになって、3回ぐらい排泄してよくなりました。それから昨日の岡山支部の責任者も胆嚢に石ができたようなんですけれども、それも浄霊によって外に出たということを報告してくれました。

それから最近、医療ではですね、石にレーザー光線をあてて、そして物理的に石を破壊、木端微塵にして砂状にして外に出そうという治療に今挑戦しておりますけれども、まぁレーザー光線というのは、浄霊の光線がこれぐらいの高さだとすると、レーザー光線はこのレベルの光ですけれども、一応こういう硬いものを破壊することは、医学的にはできる医者も出てきているということが言えると思いますね。

このメシヤ様からいただく御浄霊に勝るものはないんですけれども、あのような硬い石が砂のようになって排泄を許されるというのは、大変ありがたいことであると思います。

そして何よりもですね、最後から5行目、

『従而、之を治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活墢にさせ、余剰尿を作らないやうにする事で、それより外に方法はないのである。』

ということですので、『余剰尿』というのをいつも課題にして生活をさせていただければいいと思います。

 

御浄霊にたいする観念

楳木代表

そうかといってですね、「毎日腎臓を浄霊をしないといけない」というふうに考えていくと、これはまた浄霊に対する観念が間違ってきます。メシヤ様は浄化を促進するために毎日浄霊をいただくように、という御指導はない訳ですね。具合が悪い時にこういう形で浄霊をしないさいということは書かれておりますけれども、普段にですね、浄霊をして、いつも毒素を溶解させなさいということではない訳ですね。

初めて松原の方に来て、「馬のおしっこのように尿がたくさん出た」と聞くと、羨ましくなります。そんな浄化を月次祭で許されて、そしてグゥーと細くなるというのは、“私もそんな浄化を許されたいわ”とかいう思いがこみ上げてきてですね、“そういう浄化を許されるために、浄霊をいただこう”というような想念が起きたりすると、これはまた間違ったことになります。

それはなぜかと言うと、それは私達の信仰によって「徳」を積ませていただく、あるいはメシヤ様から「お役」をいただくことによって、それに応じて、そういう浄化は許されてくるものなのです。浄化というのは許されないと起きてこない訳ですので、“浄化をほしい、ほしい”と思っても、浄化をなかなか許されない。

また逆にですね、浄化をいただくと、「また浄化しちゃったわ」という話になってきます。

この辺が狂うと、浄化に対してですね、困ったということになってきます。「こんな重たい浄化をいただいて困ったわ」という話になります。

これはもう御教えから遥か離れた観念になりますので、このことを間違えないように私達は生活をさせていただかなければ、メシヤ様の信仰とは違ったところの信仰をやっている、いわゆる既成宗教の信仰をやっているというのと同じようなことになっていきますので、ひたすら、私たちは「救われた命」、あるいは、「真実を教えられたこと」に対して、そのことを大勢の方々に「お伝え」して、今日司会の方が読んで下さったように、メシヤ様から「地上天国建設の御力をいただけるように」ですね、日々念じて、そして御神業に臨ませていただくことによって、その「徳」によって自分が浄められて、あるいは徳が備わってきて、そのことによって「必要に応じて浄化が許される」ということです。

これが壊れていって、M●Aみたいにですね、毎日浄霊を探査しながら浄霊して、溶かすという浄霊をしていると、もう終戦前のですね、信教の自由が許されない時代の、メシヤ様が隠れ蓑としてやった浄化療法の時代に遡って、逆もどりをして、真の御神業にはならない訳です。

だから『御神業の本筋』というのは、メシヤ様が「世界救世(メシヤ)教」を開教されて進められようとする御神業に臨ませていただくことが、『御神業の本筋』に取り組ませていただくということになる訳ですね。

「信教の自由が許されない時代」にメシヤ様が、過渡期としてですね、構成した浄化療法というところをやっていると、地上天国建設ということは実現しない訳です。

「信教の自由」が許されて、本来メシヤ様が進めようとされた、その御神業を進めない限り、地上天国建設ということはいつまで経ってもですね、絵に描いた餅になる。

私達の「浄霊の取り次ぎ方、いただき方」というのは、間違ってはいけないところは、そこにあります。

ですからメシヤ様は、浄化をいただいた時、あるいは具合の悪くなった時の浄霊の仕方を私たちに教えて下さってあるのであって、日頃何もないのに溶かそうという浄霊を、あまりやってると、溶けてしまうと動きができなくなります。動きができないと、御神業が進まなくなるので、もう浄霊の生活だけになっていってしまうということです。

私たちは御神業を進めるためにこうして信仰させていただいているので、そのことをですね、「あの方が非常にこんな素晴らしい浄化をいただいて体がすっかり良くなった」と、“私もそんな高熱が出てみたいわ”とか、そういうような気持ちになってしまうと、少しメシヤ様の信仰からズレていってしまうということですね。

私たちは、ただひたすら、こうして最高最貴の御神霊に真向かうことが許されて、そして真理の教えをメシヤ様からいただいている、その教えを一人でも多くの人達にお伝えして、この世の中を天国にしていくということに率先して取り組もうとしている訳なんで、その取り組む時に、もう少し頭が浄まらないと進めることができない場合は、神様から頭を浄めていただける浄化を許される訳なんです。必要に応じて起きてくる浄化が御神意のもとにいただく訳ですね。

そして、専門に・・、我々のように専従者として御神業している時に、3日以上・・例えば寝込んだりすると、もうそれは「御神意に適ってない」と、昔の専従者達はいつも厳しく言われておりました。「想念が間違っているから、それ以上長く浄化をしているんだ」ということで、資格者とか専従者というのは最も厳しい信仰をですね、メシヤ様から問われてた訳です。まぁそれは信者さんまでは問いませんけども、一応資格者という者は、そういうことを絶えず自分に課せられてですね、御神意に沿う生活ということを、日々心がけて生活をさせていただいていた訳ですね。

ですから、今日は、『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』ということを通してですね、浄霊のいただき方、浄化の許される、「浄化をどうやって許されていくか?」ということを、もう一度心にですね、とどめながら、これから1ヶ月間この御教えを拝読をしていただきたいというふうに思います。

どうしてもですね、未信者の方々が結石ができて浄霊する場合と、信者で長いこと信仰していて、私みたいに教団代表までしていて石ができるというのと、この石のでき方というのはまた違います。浄霊を知らない人ができる石のでき方と、浄霊というものを知ってて、そして御教えを知ってて石ができるということは、この石のでき方というのは、全く違ってきますので、我々のように御用を担っている人間に、そういうものができた時には、想念を相当正していかない限りですね、浄化を乗り越えていくことはできないということも併せて、今日のいい機会に、留めておいていただきたいというふうに思います。

そういうことを最初にお願いをさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。

 

御教えどおりの生活と価値観を!

楳木代表

それで、今日は質疑応答に入る前にですね、○○さんが久しぶりに月次祭にご参拝にきておりますので、○○さんにですね、その間の報告を一言、そこで読みあげて、ここにきて読みますか?みんなに聞こえるように読んでね。

 

受講者

私は2月からメシヤ様の御神業に真にお使いいただけるために、自分を見つめ直さなければならない想いに至りました。こんな自分が本当にメシヤ様に申し訳なく、なんとかメシヤ様に強く繋がらせていただくように、ならせていただきたいという想いでした。そこで代表先生及び支部責任者の許可をいただいて、三重支部の月次祭に臨ませていただきました。何故かといいますと、以前報告させていただいた体験報告の内容を絶えず確認することもなく、そのためにお詫びの御神業に務めることもなく、緊張感が薄れ、結果自分の言動で皆様に何かと御不審、御迷惑をおかけ致しました。申し訳ありませんでした。今後は何事に寄らず、支部責任者へ「報告指導」を徹底し、メシヤ様の御神業に身を捧げさせていただきます。

これから改めてメシヤ教大阪支部の信徒として、2年前に報告した体験報告を毎日目を通し、お詫びの御神業に精進させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

楳木代表

はい、ありがとうございました。

今○○さんが報告していただいたのは、三重支部で勉強していただいた一端ですけれども、ここの大阪支部はですね、枚方支部を発会させていただいて、そして私の都合も一つはあるんですけれども、松原会場に行く日程がなかなか取りづらくなりましたので、合流していただいて、一緒に月次祭をさせていただきたいということで、こういう大阪支部として、新たに、この場所に会場を移して、そして支部として月次祭を中心にですね、御神業を進めさせていただきました。

枚方支部ができた時に、まぁ○○さんにM●Aでずっと続けてきた、メシヤ様の御神業と外れたところを見つめ直してもらって、そして、いろんな間違いをやっていた部分をお詫びしながら、・・「お詫びというのは御神業をさせていただいてからこそメシヤ様に対するお詫びになるんだ」ということで原稿を書いていただきましたけれども、いろんな変遷を経てですね、お詫びの御神業が止まってしまっておりましたので、それで自分を見つめていただいて、お詫びの御神業に再度ですね、取り組んでいただきたいということで、他支部の講座に、月次祭並びにメシヤ講座に参加していただきました。

お詫びの御神業というのはですね、東方●光教団、あるいはM●Aとしてですね、活動、活動で来たために、5月5日岡山支部の責任者が報告して下さったようにですね、50年間世界救世教の信仰して家庭天国ができなかったのが、メシヤ教に移って、そして御教え通りの御神業に参画する中で、あっという間に家庭天国ができあがった事例やですね、まぁ30年間世界救世教の信仰をしてても、家庭が全く変わらなかったのがメシヤ様の教え通りに信仰させていただく中で一挙に家庭天国に向かい始めたという報告をして下さいました。

昨夜その発表原稿は、岡山支部のホームページの方へアップしてくれてますので、目を通していただければありがたいと思います。

私達の御神業というのは、「救い」というのが中心になる訳ですね、病気治しではない訳であります。病気治しはきっかけであって、そこからメシヤ様の揮われる御光の強さ、あるいは教えられる真実に基づいて、自分の生活を切り替えていくということが大事な訳であります。あるいは自分の考え方がメシヤ様の示されたような価値観を持つということが大事な訳ですね。そうしなければ、救いに繋がっていくということがない訳であります。

「浄霊をいただいて具合の悪かったところが良くなった」と言ったところで、それだけでは幸せにはなっていかない。良くなったことは、メシヤ様の揮われるその偉大な光があったからこそ良くなった訳で、「その偉大な光を出される御存在が説かれた御教えだからこそ真理である」と我々は信じて、「その御教え通りの生活をさせていただく」ということが、幸せに繋がっていくという、これが私達の信仰の根幹になければいけないんですけれども、ずっとやっているうちに、そういうところが、一旦は“そうだな~”と思ってもですね、支部運営をしていくなか、参画していくなかで、その一番大事なところが薄れていきますと、どうしても発展ということが許されていきませんし、この支部に来ることによって自分の家庭が幸せになっていくということに、繋がっていかないところがあります。

それで“お詫びの御神業”というところに、もう一度○○さんの場合は立ち返っていただくために、今日からさらに2年前に発表していただいたあの原稿を毎日読み返していただきながら、今日の御教えも毎日読んでいただきながら、やっていただくということに、意思を固めていただいた訳であります。

 

今と昔の「報告指導」

楳木代表

それからよく世界救世(きゅうせい)教の時代からですね、「報告指導ということを徹底しましょう」というふうにやってきましたけれども、世界救世(きゅうせい)教時代の報告指導はですね、どちらかというと数字の報告が多かったですね。それで指導をいただいても、その指導のいただき方は、指導をアドバイスというぐらいに受け止めていたので、「実はね、こういうことが大事なのでシッカリやって下さいよ。」というと「あ~そうですねぇ、大事ですね~。」と言って聞き流してしまうという指導の受け方を長年の間で染み付けてしまっている。しかし、報告指導というのは、報告していただいた指導というのは、「絶対的にやる」という姿勢がなければですね、報告指導というのは成り立たないのです。

指導する側というのは、メシヤ様の教えに基づいて「こうあるべきですよ。」というふうにお話するんですけど、「それは大事ですね。しかし、私の場合は、ちょっと、難しいですねぇ~」といった場合は、これは報告指導にならない訳です。「やりません!」と言っいてる訳です。

「難しい」というと、何か自分を卑下しているというか謙虚な言葉に聞こえてくるけど、「いや、私、それは、難しいんですよねぇ~」と言った場合は、実は「今、せっかくいいお話を聞きましたけど、私はやりませんよ」と言っているのと一緒になるんです。しかし、言葉が上手なもので、「私は難しいんですね」と言ってしまう。「私はそれはできません。」と言えばいいものをですね、「難しい」という言葉になってしまいます。

ですから、これから報告指導ということをさせていただく時には、「信仰上の報告指導なんだ」と。だから信仰上はですね、「メシヤ様の教えに基づいて、精一杯させていただきます」という言葉を必ず重ねておいていただきたいと思います。

そういうことをお願いをさせていただきたいというふうに思います。

 

肝臓の「解毒」詳細

楳木代表

そういうことをお願いいたしまして、質疑応答に移りたいと思います。えぇ~ちょっと厳しい話をしたので、質問はしにくいかと思いますけど、あっそれから、・・どこ行くの?

 

受講者

ちょっとトイレに・・・

 

楳木代表

じゃあトイレから戻ってきてから、話があるから。

 

受講者

じゃぁその間に、いまちょっといいですか?・・さきほど肝臓の、薬毒に強い人があるというお話が、なんか分かったような分からないような感じなんですけれども、薬毒を肝臓が分解してくれる、と。二つちょっとお伺いしますが、まず一つは、昔「お酒に強い人は麻酔がかかりにくい」というのを聞いたことがあったなぁというのと、それからもう一つは、薬毒を分解してくれるというのは、薬毒がなかったことになるというふうな意味になるんでしょうか?

そうすると、ちょっとまた疑問がいっぱい湧いてくるんですけれども・・・

 

楳木代表

ちょっと言い方が悪かったんですけれども、薬毒を分解するんではなくて、薬を分解するということです。入ってきた薬を、意外と早く分解できる人がいる訳ですね。

 

受講者

すみません。その薬を分解するということが、また分からないんですが。

 

楳木代表

排泄能力の強い人がいる訳・・・。

 

受講者

そうすると、それはさきほど言いました、薬が、麻酔が効かないというのと同じなわけですか?

 

楳木代表

同じ。

 

受講者

はぁ~、はい。

 

支部長代理

アンモニアという化学記号がありますよね~?これが、肝臓の方の分解酵素であるチトクロームP450というのがありますけど、酒を沢山飲めば飲むほど、肝臓が元気な人は、アルコールが入れば入るほど、今の酵素がどんどん作られていく。そして今言ったアルコールの記号をですね、分解してしまう。

これはアルコールでしたらまぁまぁですけれども、薬ということになればですね、いくら分解しても人工物なので、毒素ですよね、それがまた腎臓の背面から、処理できずに出ていく。出ていくというか、溜まっていくということですね。

 

受講者

はい。

 

楳木代表

いいですか。

 

受講者

はい、ありがとうございます。

 

楳木代表

だからといって、酒が強い人が、他の薬を分解する力があるかというと、これはまた違う。全部人間は一律ではないんだと。

人間の体もですね、やっぱりいっぱい皆から遺伝子をもらっているので、我々も先祖を辿っていくと、皆さん一人一人軽く何億人も先祖がおりますよね?何億人も先祖がいるので、その人達のDNAをずっと受け継いでいますので、例えばね、我々は主神様の御経綸によって、この地球ができてですね、約45億年前に地球ができて、そして生命が38億年前に宿って、それからずっと進化してきて、人間はいつごろ生まれた、とだいたいなっているからね、・・前にも話したことがあるけど、覚えてないかな?人間、人類は?

 

受講者

38億年前

 

楳木代表

それは生命。肉体的な人間はだいたい600万年ぐらい前に・・、その要するに、葬式をした形跡が600万年前に残っているということなので、600万年前に精神活動がだいぶん高まった猿人から原人になったところが、そういうところだろうと言われております。

それからずっーと精神性が備わってきて、今○○さんが言ったように、一万年前ぐらいに石器(これは高度な石器のことで250万年前のものも発見されています。)とかいう道具を作り出してきておりますね。そして今はですね、これだけ非常に便利なものを作り出して、人間というのは生活をしております。

人間というのは一番最後に出てきた生き物なので、すべての生物の能力を、すべて持って生まれてきております、皆さんお一人お一人が。だから、神様は万能の存在ですけれども、私たちはいわゆる霊長類というふうに言われております。そしてすべての生物の能力を持って人間は生まれてきております。

しかしながら、ハチから刺された場合にですね、まぁミツバチぐらいなら少し腫れるぐらいですけれども、大きいハチに刺されると、たまにはショック状態になったりします。このショック状態になるということは、どういうことかといいますと、あまりにも毒が大量に入ってくるので、人間が防御するためにショック状態に出てくるということです。しかしその刺したハチの毒は、人間も持っているということなので、それは肝臓が作り出すことができるということです。

今日の肝臓の話と関係してくると、我々はその毒もすべて作り出して、消化することができるので、この春先になるとですね、アクの強いものを食べても大丈夫ですよね。エグいものを、そのアクをとって、その苦みとか、エグ味とかというのにも、味わいながら食べて消化することができるというのは、肝臓でですね、いろんな生き物の毒物的に感ずるものも抽出して、消化に使うことができるということです。

だからこの能力は肝臓が持っているので、たまたま外で作られた異物としての薬が入ってきても、その薬によってはですね、鉱物から作ってない場合、植物由来の薬の場合は、分解して出す力が、たまたまある人がいるということです。

そういうふうに捉えておいていただきたいと思います。

自分たちがそういう能力があるかというと、なかなかですね、薬毒をそんなスッーと排泄する力がないので、浄霊をいただきながら、しかし浄霊をいただくと自然治癒力というのは、そういうものが発揮されてきて、排泄していくということになる訳ですね。だから浄霊をいただかなくても排泄することのできる人も、たまにはいるということです、自然治癒力が物凄くある人はね。

だけど我々凡人はそういう能力がないので、浄霊をいただいて、そういうものを乗り越えていくという姿勢をもっていただきたいと思いますね。

 

浄霊に対する観念「因縁解消できる魂へ」

楳木代表

それからさっきの『御神業の本筋』のなかではですね、我々の因縁というものも解消していかないといけない訳ですね。

先日5月5日の本部のですね、御神体御奉斎記念式典に臨まれて、帰りにですね、山口の毛利家の庭園を見てきた人の中にですね、毛利家の屋敷が山頂・・、小高いところにできているんですけれども、そこはもう毛利家の財を尽くし作った家ですので、立派な建物です。そこに8人ぐらいで行った人の中に、「物凄い懐かしくて、初めて行ったのに物凄く懐かしくて、そして屋敷から庭園を見ている時に、もう涙がこみ上げてきて、そしていつまでもここにいたいという気分になった」ということを報告をしてくれた人がいます。

これは毛利家に携わった人で、しかも屋敷の中まで上がることができたということだろうと思います。しかし、それはそういうある位の人だったんだろうということだけではなくて、その立場になったということは、毛利家はですね、三本の矢で有名なように一族をまとめて、そしてあの中国地方一帯を治めて、その敵方から守るための強固なものを作り上げました。この強固のものを作り上げる時には、言うことを聞く人間は優遇するけれども、少し異を唱える者はそうではないということですね。

そうすると、ある一定の立場に立った人間というのはそれを指揮しているということですね。そうすると、不条理な命の取られ方の指示をした人間でもあるということ。ということは、ある程度の立場をもって、その時代に生きたということは、そういう罪を背負っているということであります。

となると、そういう感情を持ったからには、相当な罪穢を前世で積み重ねているということを自覚して、それを祓い浄めていく、まぁ浄化してですね、清らかな魂に戻るために、御神業により一層臨まないといけないということなんですね、という話でご本人も納得してくれたので、より一層これから御神業に励んでいただけると思うんですけれども、実は我々の御神業というのは、そういうところを見ていかないと、この浄霊のレベルが上がっていかない訳です。

「ここの固結をとるために、ここを浄霊をしておかないといけない」というレベルの浄霊をしていたのでは、その因縁をとるというところまでの高い想念での浄霊になっていかない訳ですね。だからその因縁に係わることまで救っていくという姿勢で、御神業を進めて行かないといけないということですね。

 

「因縁」の 御神業

楳木代表

トイレから帰ってきたから、○○家の話を。○○家の後継ぎ決まったの?

 

受講者

いやまだ、そういう具体的な話はないです。

 

楳木代表

あぁそう。実は○○家の王族の自分が、まぁ今の後継者になって、一族の墓を守り、そして自分が後を継いでいくという姿勢を持つということは、本人は非常に決心すればいい訳だけど、今度お姉さんは大変なの。

お姉さんは。今まで弟としてね、「あれせい、こうせい」と、言ってたところがあるでしょ。指示してたところがあるでしょ、ね? ザックバランに話すけどね(笑)、「あんた何やってんのよ!」とか「駄目じゃないの!」とか言ってたね。

信仰姿勢に対しても、「あんた、そこが駄目なのよ!」とか凄い口調でしゃべったりとかね。まぁ姉弟の間はそういうことがあるでしょ?

しかし、一旦、当主というふうにしたからには、自分は弟を立てていかないといけないから、実は周りが一番大変なんです。

お姉さん、信仰の中では先輩のお姉さんの方が、下に下がらんといかん。そして、こうして参拝に来た時も、弟を上座に座らせて、自分が下座に座らないといけないとかいうことが、今までの生活が全部変わってくる訳です。

だから物凄い一大決意は、お姉さんがせんといかん。

実は信仰というのは、こういうことを整えていくという上で、弟さんのほうはただ単に「当主となって自分が沖縄で将来帰って、支部を作らせていただきたい。あるいは出張所として御用させていただきたい」という、そういう決心をするだけでいいんだけど、お姉さんは、今まで弟として上から話をしていたのを、下から話さないといけないので、そうすることで、「女の人」というのは、切り替えていかないといけないという、そういう一事でも出てくる訳なんでね。

だから、本当に・・お姉さん、弟さんに対して「ご苦労様」と言わんといかんようなことを、これからやっていかんといけない。

それがズレてくると、○○家というのは、せっかく王室の子孫であろうが、もう一度因縁に基づいて、沖縄の人たちを、もう一回救済するという御神業というのは、なかなか進んでいかないからね。

こうして“立ててくれた場合は、ありがとう”という感謝の気持ちを、自分の中にもっともっと膨らませながら、そして、沖縄の苦しんでいる・・、沖縄の現状は先月お話しましたのでね、そういうことを一つ一つ救っていくんだということを、自分が決心していかないといけないし、周りの人には「想念」でお礼を言っていかないといけないということがあるんでね。これからの方がもっともっと奥行きのある信仰になってくる訳です。

今までは木原さんにいろいろ教えてもらいながらね、月次祭の前は「こういうご奉仕をして下さい」とか、「当日はこういうふうにしてやってくれ」とかいう指示にそって動いている。言い方悪いけど、動いているだけで良かったんだけど、これからは、そうしたものを深く考えながら、生活をしていかないといけないのでね。

しかし、それができればね、沖縄の人たちを一人でも救うことができるので、是非、そうしたものを支部で勉強しつつ、整えていって、因縁に係わる方々をね、お救いしていっていただきたいと思います。よろしくお願いします。

だから当主に押し立てるということは、大変なことなんです。自分がね、周りが、やっぱりそういうことを変えていかんといかんから、ため口は叩けんようになってくる。(笑)

 

受講者

気持ちは・・・。

 

楳木代表

うん、気持ちはね(笑)

 

受講者

口はそんなに変化しない・・・。

 

楳木代表

そうそう、口はそんなにね、奉らんでもいいからね(笑)

まぁ、そういうのが整っていくとね、何百年前かのところまで帰って、大勢の人たちを救っていけるのでね。また、自分が苦しめた部分もあるのでね。さっきの毛利家の話と一緒でね。

例えば支部責任者になるということはね、大変な訳よね。前回のメシヤ講座でも今回のメシヤ講座でも書いてるけど、相当前世で悪いことやってるんです。

この中では、私を除くと、この人が一番悪いことしてる訳でね。だからいろんな理不尽なことも受け止めて御用をしていかないといけないだけの罪穢れを持ってるから、やってるんです。

それで、私は全国の支部の人たちに、メシヤ様の声を届けていくお世話をしている訳だから、それにまた輪をかけて、前世で何やってたか分からないというぐらい悪いことをしてたかもしれない。まぁおおよそしてたんだろうけどね。

それを改心して、こうして教団代表として動かせていただいている訳なんで、沖縄へ行って、そういうことをさせていいただくということは、その因縁を自分がね、「しっかり因縁使命に基づいて御神業をさせていただく」と、そういう気持ちで行っていただきたいと思いますね。まぁ何年後になるか分からないけどね。

今日は、全体的に重たい話をしていますのでね。そして、その木原さんを支えないといけないという因縁もあるわけなんで、みんなね。一緒に前世で、一族郎党!(笑)、なんかタックを組んで築き上げたものがあるはずなんでね。その時代に、絢爛たる生活も出来たかもしれない、優雅な生活をね。

 

 

「掃除」と「上魂」

楳木代表

その他ありませんか?聞くことがあれば。今日の御教え拝読は、どうやって決めたの?

 

受講者

先月の松原の勉強会で、先々月、実は、「○○さんお願いします」と言われたんですけど、ちょっと「月次祭を休ませてもらいます」ということで、で次は△△さんに言われたので・・・。

 

楳木代表

△△さん、今日、御教えを読み間違えた原因は、前の「祈りの栞に寄せて」の本で読んだから間違えた訳でね。御教え拝読とかを頼む時には、「最新の御教えはこれですよ」というふうにしてお願いをしてね。

どうしても、前は、今までの『世界救世教教義』と同じ文章にしているので『聖旨(せいし)』になっているので、それでいろいろ調べていくと、やっぱり『聖業(せいぎょう)』がメシヤ様の教え通りだということだったので、『聖業(せいぎょう)』に一番新しいのは変えているのでね。そういうお世話をこれからしてあげて下さい。

 

受講者

以前の松原勉強会の時に、『聖業(せいぎょう)』にします、ということは、先生の方から何度かお聞きしています。それをメモしていなかったということが・・

 

楳木代表

ということは、こういう御用を担ったからこそ、間違っていたということが分かる訳なんでね。やっぱり、御神業というのは、声をかけられたら率先してやらせていただくということが、大切なことだということでね。書き換えといてね。

 

受講者

はい、もう書き換えました。

 

支部長代理

もう普通の質疑応答、ですかね(笑)

 

楳木代表

はい、どうぞどうぞ。

え~と、5月5日に見えたのは○○さんだけかね。

 

支部長代理

○○さんもです。

 

楳木代表

○○さんはどうでしたか?感想は?

 

受講者

私は、今まで、御本部参拝させていただいた中で1番ストーンと入ってきたんですね。松の心っていう、先生が仰られた言葉、大和魂ですね。いつまでも変わらぬ誠の心ということを目指して、新たに出発させていただこうという想いで・・。はい。

 

楳木代表

うーん。なるほど、挨拶が肚に落ちたということだね。

 

受講者

もうぜ~んぶ凄かったですね。

 

支部長代理

あるいは、辛抱強く「待つ」という意味でもありますね。

 

楳木代表

まぁいろんな意味で「まつ」だからね。

お蔭でですね。本部の庭園もちょっと不完全なところがあったんですけども、今回、不思議なことに松の木が手に入ったんで、その松を植えてですね。雄松と五葉松を植えて、それでだいたい庭木は完成したような状態になって、非常にありがたかったんですけどね。

それと後、挨拶の中で言わなかったんですけども、本部は、10年間使用していない建物なので、御神前の場合は、天井を屋久杉で作ってあるので、屋久杉の隙間に、どうしても木が乾燥してくると木の破片が残るのと、そこへ埃が付着しているので、天井を掃くほうきってあるでしょ?ホームセンターとか行くと売っている。棕櫚(しゅろ)を編んだのが、こうついている。それで、毎月、天井をずーっと掃いてね、そして、最初に掃除をした時には、ほっかぶりしても目に埃が入って、もう一列掃くと、暫く外に出て休んでおかないと出来ないぐらいに、溜まってたんです。この目の間にね。

それで、毎月毎月やっていくうちに、段々段々そういう物が入らなくなって、先月の月末の時には、ほぼ、そういう物が落ちてこないような状態になって、1年かけて、あの家も“本来の持ち味を出せるところまで完成してきたかな”というふうに思ったぐらい、やはり、“人間も、根気よくずーっと積み重ねていかないといけないな”と思いますね。

それから、皆さん方は、家で掃除というのは・・・。掃除を好きな人もいれば、ちょっと苦手な人も・・・。まぁ、いろいろあるでしょうけども、これは、メシヤ様が御蒐集になられた美術品が何故素晴らしいか?ということに共通しております。

どういうことかと言うと、メシヤ様は、一流品しかお集めにならなかったので、作品自体も、その作家のですね、人格の高さによって素晴らしいものが出来上がってきております。しかし、それを尚且つ、メシヤ様が1点1点御手にお持ちになられてですね、『素晴らしい』というふうに観られたということは、1点1点に「御入霊」されている訳ですね。ですから、我々はMOA美術館に行くと、その美術品を観ることによって、更に清々しい思いになって、観ることができる訳ですね。

それと一緒でですね。私たちがこう柱を磨く時というのは、これは、掃除として磨くんですけども、実は、家というのに、入霊しているのと一緒な訳ですね、磨きをかけるというのは。

ということは、家が建って、だいたい皆、家が建つまでが大変なんで、やれやれと思って、家が建ったと思うんですが、実は、建ってからが勝負な訳です。建ってから、住む人間が拭き掃除とか掃除をしてですね。そこに自分の想いというのを、この家を“誰が来ても、和むようなそういう家にしたい”とか、“皆が寄ってくるような家にしたい”とか、“来た人が落ち着くような家にしたい”とか、そういう想いで磨き込んでいくことによって、その家にですね。自分の想いが込められてくる訳です。そして、それが輝いてくる訳ですね。

だから、掃除というもの一つにしても、そういうふうに捉えていかないと、面倒くさくなってきます。私も忙しいから今日はちょっと手抜きしとこうとかいう気分になってきますけど、その一つ一つが、我が家をですね。いい家にしていく唯一の手だということですね。だから、「入霊」のような気持ちで掃除をしていただきたいと思いますね。

まぁ、前にも話したように、若い方々は、玄関の靴を揃える時には、自分の主人が、“今日、出掛けて行って仕事をする時に事故のないように”、あるいは“人々に迷惑をかけないように”、あるいは“人々に明るさとか元気さを与えられるように”、“そういう動きをしてもらいたい”という想いで靴を揃えていくとか、これが信仰なので、“あーほんとに、うちの主人たらしょうがないわね”っという気持ちで揃えていくのでは(笑)これは、信仰者が靴を揃えることではないのでね。

それから、まだ自分の子供が小さいときは、“怪我をしないように”とか、“交通事故に遭わないように”という想いで、小さい靴を揃えていくという、そういう想念をもって揃えていくことが、『霊主体従の法則』という教えを知った人間のやり方だということだね。

これは、洗濯物をたたむときでもそうですし、洗濯物を干すときもそうだし、お米を研ぐときもそうだし、炒め物をするときもそうだしね。もう何をする時でも、「心をどうやってもっていくか?」ということが、実はメシヤ様の信者の信者たるところですのでね。

『霊主体従の法則』に沿って、健康を作り出すとか、安全な生活をしていくとか、ということを心がけていくことが、我々の信仰だということをですね、この機会に改めて確認させていだだきたいというふうに思います。

 

支部長代理

「心を天国に」って御教えをいただいたり、人から耳に入ってきたりと・・。本当にそう思います。というのは、「心を天国に」と想って、ずっと一日過ごしていけば、自分も、その霊主体従になり、家の方も、そうして入霊していくと、いわゆる霊的には、そういったそれ相応の霊層界の家ができていくことになっていくんですね。

ですから、“汚い所の霊層界が嫌だ”と思ったら・・、埃が落ちていたら、やっぱりそういった『霊主体従』の霊を意識していくと、埃一つも見逃すことが出来なくなってしまいますね。非常に、落ちていると嫌な気持ちになりますものね。

 

楳木代表

そういうことになるね。まぁ、これから掃除が楽しくなると思いますけども(笑)

 

支部長代理

反対に汚すとね、汚い所に住んでいるということになりますからね、霊的には。なかなかそういう所にいながら、「こうありたい」とか、都合のいいことを言ったり、願っても、そういう世界に自分で住んでいるんですからね。

 

楳木代表

そうかといって、小さい子のいるところにね、子供に「汚さないでー」って言うようなことを言っちゃいけないので、そうすると、母原病の原因になっていくので、そのところはね、後ろからついてまわって掃除をするぐらいに、追いかけながら掃除するぐらいの気持ちでいかないとね。それだけに、若いうちに子供を産んでおかないと、年取って産むと、なかなかついていけないところがあるからね。若い人は、早く子供を産んで下さい。

 

受講者

そういう意味で、大袈裟に考えますと、人間というのは、もともと霊の(聞き取れず)っていうですか、ちょっと大袈裟な言い方ですけど、メシヤ様じゃないですけども、自由自在に自分の思う通りの人生っていうか、運命が獲得できるっていうんですか・・

 

楳木代表

そうだね。それから、御教えの言葉ではないけど、「現在の自分は、未来の預言者だ」という言葉があるでしょ?自分の生きている通りに未来が生まれてくる訳なんで、その未来を築くためには、今、努力していかないと、いい未来はできない訳だから、予言者は、自分な訳ね。自分の思ってやっている通りに未来は築かれていく訳なのでね。

 

受講者

日頃、そういう思いで、入霊ってことですね。

 

楳木代表

まぁ、建物とかはね。

それから、メシヤ様は、さっき読んでいただいた「祈りの栞に寄せて」の中にですね。信者さん方の課題というものを書いてくれています。『信者たるもの』というところね。

 

受講者

御教えですか?

 

楳木代表

うん。二行に渡って書いてあるでしょ?太字で。あれは、毎日唱和するぐらい読んでもらいたい。

『信者たるもの、常に魂を磨き、言葉を練り、上魂の人間たることを心掛けるべきである。』

と、そういうことを心がけるのが信者さんなんですよということでね。

だから、言葉を練れない人は、信者にはなれない。まぁ、信者とは言えない、ということ。絶えず『上魂の人間』を目指していかない限りはね、「信仰している」ということにはならないのでね。どうか魂を高めていくような生活をしていただきたいと思います。

 

受講者

やっぱりまず、想念を正す、訓練というんですかね・・・常に・・・。

 

楳木代表

だから、メシヤ様は、心がけなさいと仰っている。訓練というより、心がけることが大事なんだと。これが信仰するということの一つなんだというふうにお説き下さっているので、そのメシヤ様の御言葉通り生活させていただくのがいいということだね。

 

それで、メシヤ様御自身も、掃除とかね、片付けとかは凄く上手だったらしいので・・、我々が足元に及ばないくらい、タンスの中、引き出しの中まで、整理整頓されていたね。どこに何を置いているかっていうところまで、お分かりになっていた。私のデスクの中もできるだけ、それを目指しているんだけども、やっぱり、時々は、乱雑になってしまうのでね・・。

 

支部長代理

今、物が多いですからね。携帯電話一つとっても、付属する物が沢山・・、便利になった分そういったものを、やっぱり、整理していかないと、(出すとき)面倒くさいですからね(笑)。(入れるとき)面倒くさいと思わないようにして、いい心がけをしていかないといけないですね。

 

楳木代表

そうね。もう細かいことやっていると、“あ~もう、イヤ!”ってならないように・・・(笑)

 

信者たる者の心構え

受講者

言われたようにね、できればいいんですけど・・。全然なかなか・・、木原さんは「『はい!』って言えばその気になる」というけど、私が「はい!」が出ないのが悪いんだけども・・。

 

楳木代表

出ないのが悪いんだけども、が、余計な言葉なんだよ。

 

受講者

そうです。そうです。「はい!」って言わなきゃいけないですね。

 

楳木代表

いや、「やらせていただきます」と。それで、そのあと、何もくっつけない方がいいの。

 

受講者

“いやーできるかなぁー?”って思っちゃうんですよ。

 

楳木代表

だから、“できるかなぁー?”と思っちゃうことが信者じゃない、っていうことなんで、だから、大阪支部の信徒として、ということは、そういうことを心がけさせていただくということなのね。“私できるかぁー?”と思うのは、もう信者じゃないということ。心がけさせていただく、というのが信者なんだということですね。

 

受講者

(聞きずらく不明)“するする”って気持ちになる、させてもらう・・、これ家でもなんですけどね、そういうこと言われても、できなくて・・・

 

楳木代表

期待してるから。毎日ね、あの原稿を読んでね。長い原稿書いちゃったから、大変だね、あれ読むの。相当長いからね。

 

支部長代理

(大変なら)あれ自分で(心込めて)読んで、テープで録音して、聞いてもよいですね。

 

楳木代表

毎日ね、目を通していくっていうことが大事なんで、今まで体験発表した人たちは、皆自分の原稿を、毎日読んで下さいよ。

そうしないと・・・、「メシヤ様と我々の違いは、一体何か?」というと・・・、まぁ、メシヤ様は、神様であられたんだけども、人間として教祖になる要素があったっていうことで、教祖になる要素は何かというと、一回いただいた御守護とかいうのを、忘れなかったということです。

忘れる人は、メシヤ様から非常に遠いところにいる、ということ。

一旦いただいた御守護を忘れてしまうと・・、「いやー覚えてますよー」って言っても、こと細かく覚えていないのが凡人な訳ですね。しかし、教祖になる人は、人からかけられた言葉とか、それから、ためになる言葉とか、それから、自分が神様からいただいた御守護というのを、絶対に忘れない人しか教祖になれない訳です。

忘れてしまう人は、教祖に、いくら霊験あらたかな神様がこう・・何か伝えにこようと思っても、“これはすぐに忘れるからだめだ”って、教祖にすることはできないんです。

だから、教祖になれる人となれない人の差はそこにあるんだと。

ですから我々は、「メシヤ様に一步でも近づく」ということは、いただいた御守護とか感謝を、片時も忘れないような生活を心がけるということが、メシヤ様に近づくことでもあるんだと。

○○さんに話してるんだからね、人が入ってこようが、何しようが、こっちをずっと見て(笑)ねっ、メシヤ様に近づいていく信仰というは、そういうところも要素としてあるんだと。ねっ、強い浄霊力とか、御教えに精通している、とかということもあるんだけども、やはり、いただいた御守護の感謝を片時も忘れない。

「感謝を膨らませていく」ぐらいの気持ちでいかないとね。さっきクッションのボールがあったけど、そのボールがいつもパンパンになるような、そんな気持ちで生活をね。

“感謝で、いっぱいなんだ”という生活をさせていただかないとね、私もそういうことを心がけていますのでね。

まぁ、大阪は、今マレーシアの人とかにも繋がってきてですね、国際色も豊かになって、そして、とりわけ、北陸の方と四国の方とマレーシアの方と教線が伸びつつありますけども、そういうところにですね、木原さんに出て行ってもらわないといけなので、その出て行ってもらう時にですね、やはり、集団浄霊が出来るような資格を持って出て行ってもらいたいので、早く、皆さん方に、その資格に到達するだけの入会者を作っていただきたいと思います。

そして、ゆくゆくは、私の代理であっちに行ってくれ、こっちに行ってくれというようなことも可能なようにですね、やっていただきたいと思います。

枚方が出来てから、もう今ぐらいだと、それぐらいのところまでいっておかないといけないのだけども、大阪支部として、色んな取り組みがあったものですから、その点が少し時間が先送りになってしまったので、これから一層、取り組んでいっていただきたいと思います。

そして、四国の方も、○○さんは元気な顔で勉強会に来てくれましたのでね。

 

受講者

はい、来てます。

 

楳木代表

まぁ、やっぱり、腎臓の問題があるので、「コーヒーはどうでしょうか?」と。「いくら安全なコーヒーでも、利尿効果がありすぎるので、控えたおいた方がいいでしょう」という話をして、「コーヒーの一番人間にとって効能は何かというと、いい香りなので、コーヒーを自分で落としなさい」と。「その落としている時のコーヒーの香りを楽しんで、落としたものは、奥様にどうぞ、召し上がって下さいとして出すように」と話したんでね。

「それができているかね~」と確認しといて下さい。メールなり電話なりでね。

まぁ、「随分、家庭が天国になってきた」って言ってた。「奥さんの機嫌が非常によくなった」って。「天聖○美会を辞めて、いつも出事ばっかりが無くなっているので、奥さんの機嫌が良くなった」と言ってたけど、「更に奥さんを天国にしてあげんといかんので、まぁ、今までやってもらったことの中で、自分のやれることはそういう形でしてあげて下さい」ということを頼んでおきましたんでね。

 

 

「結石」詳細

受講者

いいですか?、胆石のことなんですけども、先ほど何か、信者さんと信者さんでない方と全然治り方が違うと仰られたんですけどもぉ、

 

楳木代表

治り方が違う、という話じゃなくて、胆石ができる理由が違う、と。

 

受講者

前に社宅の人が、石ができて入院して、それで、お見舞いに行って、ちょっと浄霊をさせてもらったんですね。そんな長い時間じゃなかったんですけども、その後、「お手洗いに行きたい」って言ってね。「お手洗いに行ったら石が出た」って言って、私も“えーっ”と思ったんだけど、あまりにも簡単だから“全然関係ないかなぁ~”と思って、でも今、考えたら、ご浄霊で出たような感じがするんですよね。その頃、そんなに奇蹟がいっぱい出ている時ではないから、そんなに簡単に治ると思ってなかったんで・・・。でもお話を聞いてやっぱり、こう信者さんにするのと、いただいたことのない人がいただくのとでは、全然違うと言われたから、それで、“そんなことあったんかなぁー”と思って、“やっぱりあれは、ご浄霊で石が出たんかなぁー”と思ったりしたんですけどもー、どういうふうに・・

 

楳木代表

「思ったりしたんですけどもー」じゃなくて、そのように受け止めんといかん。

 

受講者

やっぱり、そうですよね。“そう受け止めるべきかなぁー”とずっとこの御教えに入ってから、ずーっとそのことを思い出すんですよね。

 

楳木代表

浄霊をいただいたことのない人は、一回の浄霊とかで奇蹟が出る訳です。

 

受講者

本人も「あれ?出たみたい」って。

 

楳木代表

浄霊で御守護いただいてもね、その後の生活が御教え通りになっていかないと、また、いろんな浄化が起きてくる訳。

 

受講者

まだその時、私、「浄霊で御守護だったね」って、言ってないんですよ。確認してないし、全然・・・

 

楳木代表

もう何年も前でしょ?

 

受講者

もう何年も前。

 

楳木代表

今更言ったって、もうしょうがない。その時、に言っておかないと。

だから、いまここで話した時に、その時、に「自分は、メシヤ様に対する恩恵を忘れてしまって、大変申し訳ありません。」っていう話をせんといかん。

 

受講者

そうですよね~。

 

楳木代表

「そうですよね~」じゃなくってね。

 

受講者

そうだったんじゃないかな~。

 

楳木代表

「そうだったんじゃないかな~」ということではなくて、「そのように受け止めることができなかった自分の信仰の浅さを、大変申し訳なく思います。」という話にしてくれんといかん。

 

受講者

そうですね。はい、分かりました。

 

楳木代表

はい。それで、大変こっちも気分が・・・(笑)。

どうしても、それが、「M●A的な考え方」になっちゃう訳だね。東方●光教団というのは、世界救世(きゅうせい)教時代から、そういうふうな「メシヤ様に繋がる信仰」というのを疎かにしてきたためにね、「そうだったんじゃないかな~」っていう話になってしまう。

“ことごとく、メシヤ様の恩恵を賜っている訳なので、そのことに感謝をいつもさせていただく”という生活をさせていただかないといけない。

 

支部長代理

やっぱり、奇蹟をいただく時は、“メシヤ様は何故、奇蹟を人間に、特に初めての方に、お与えになるのかな”というところですよね。

やっぱりそれは身体だけじゃなくて、心身健全になっていただきたい・・、立派な人間になっていただきたい、というふうな・・、で、そこにいくためには、「御救いをいただいている」ということですね。それは最大の目標ですのでね、そういったことをよくお伝えして、具体的に課題っていうか・・、そういったものに(自らが)気付いていっていただけるように話していくことが大事ですよね。

 

楳木代表

それから、今月のメシヤ講座に、「ストイックにならないように」という文章を書いてあるんですけども、ここにいる私たちは、支部中心の人間としてですね、悪い物を口に入れないとか、それから、掃除を心がけるとか、そういうふうにいつも自分には課しているんですけども、“人様は自由だ”という姿勢をもっておかないとですね、“あの人は、これが出来てないからダメなのよぉー”とか、そういうふうな感じになってくると、御神業というのが拡がっていかないので、“自分は、教え通りに精一杯させていただく。だけど、人はまだ気付かないので、そこまではいけてない”というような気持ちのゆとりを持って進んでいかないとですね、・・こう目がこーなってしまうので、・・あるいは、寄ってしまうので、そういう生活をしていかないといけない(笑)

 

受講者

同じ胆石が出たとしても、信仰している場合には、結局、信仰姿勢とかを省みないと、因縁とかも考え合わせて、と。

 

楳木代表

だから、その時、に考えてね。・・自分に石が出きた時、にね。まぁ、○○さんの性格では、出来ないから。

 

受講者

まぁ、そうかもしれないですけど(笑)

 

楳木代表

大丈夫!

 

受講者

どういう性格に出来るんですかね。

 

楳木代表

よく牧師さんとかに出来やすい。牧師さんは、人の悩みを他へ絶対言ったらダメだから。人の懺悔を受けるでしょ?懺悔とか反省を、言ってもらう。これは絶対に他人にしゃべれない。家族にもしゃべれないから、自分に留めとかないといけない。これは、精神的にそういうモノを作り出してしまう。ペラペラしゃべる人にはできない訳・・・(笑)

 

 

支部長代理

それでは、(○○さんは)絶対出来ません(笑)

 

楳木代表

だから、ほぼ出来ない。秘密を漏らしたり、とかね。そういうことを、自分の中に、幾つも作っていかないといけない職業とか、その一番が牧師さんであるし、それと弁護士とかね。そういう人たちも・・、まぁ、よくしゃべる弁護士もいるんだけども、大体、やっぱり、職業柄しゃべってはいけないことなんでね。

 

受講者

中に内向するというか、溜めるということ、・・溜めて、それが石になるということですか?

 

楳木代表

だから意思の強いとかいうでしょ? 意思の強さとか、意思の堅さとか・・

 

受講者

はい。

 

楳木代表

だから言葉にも似ているわけ、石とか意思(意志)とか。

 

受講者

その、腎臓が悪いだけではない?

 

楳木代表

うん。だから腎臓が悪いだけで出来る人もいるんだけども、職業柄で出来る人もいるということです。

ほとんどの場合、腎臓が悪くて出来るんだけども、職業的に、特殊な職業の場合は出来易い。私もそういうことが重なったんで、出来た訳です。

 

支部長代理

固まる力、ということですね。凝固していく力なんで、医学的には、肝臓があって、肝臓のなかで胆汁を一日一リットルぐらい作っているそうですけどね、その胆汁とそこの肝臓が作り出していくコレステロールというのがありますけども、一部のコレステロールは肝臓内で胆汁によってドロドロの溶液になって、普通はそれが肝臓から出ていくんですけども、その時に「何らかの原因(動物性タンパク過剰摂取などが考えられている)」でバランスの崩れが起きて、コレステロールの方が勝っちゃうわけですね。コレステロールが勝っちゃった時に、コレステロール同士がくっ付き合ってコレステロール結晶となり、それは結石という石までいかないんですけども、もっと非常に細かいものですが、その結晶が、胆汁同様に胆のうの中にも入っていって、そこで胆のうの膜から分泌されるタンパク質と結びついて胆石が出来ていったり・・。御教えに小さい石と表現が2箇所ありますけども、もしかすると、下降する、というのはこの結晶じゃないかなと思うんですね。

 

楳木代表

だから、コレステロールが何故、勝っちゃうかという問題が、そこが、精神と関係してくる。

 

支部長代理

そうなんです。

 

楳木代表

要するに、人の秘密を聞いて、しゃべれないというのはストレスが溜まる。

このストレスを緩和するために、コレステロールが多めに分泌していく。それによってストレスを抑える、コレステロールはストレスを抑えるための物質でもあるのでね。だから、どうしても多量に出てくるので、そういう作用をしてくる訳です。

だから、職業病の中に、コレステロールが大きく関係してくるということです。口の固い人は、やっぱり(結石よりストレス起因の病気のほうが怖いので)コレステロールを多分にとっておかないといかんからね。

だから、メシヤ様は、箱根でね、奥様とケンカしたりとか、それから、いろいろあった時に、すぐに長生教会に行って、縁側にバーっと座られると、教会長婦人がエビとかカニをすぐに焼いて出していたでしょ。あれは、コレステロールを食べておられた訳。そして、メシヤ様も、それを食べて気持ちを落ち着かせていたところがある訳。だから人の好きな食べ物を見ていると、その人の性格とかが、大体分かってくるけども、それを言っちゃうと、私の前で物を食べなくなっちゃうと困るから(笑)。それで言わないところもあるんだけどね(笑)

 

支部長代理

普通の人で結石が長引いたりするのも、薬を沢山飲んでいる人とかは、腎臓から尿素、つまり毒素が出て、それが毒性の多いコレステロールになって・・、と。

精神的なもので、好きなカニとかエビとか天然のいいものを食べるならば、いいコレステロールになっていきますからね、それは短期間に自然と出やすいでしょうが、固まりが大きくて出にくくても御浄霊がありますからね。

 

受講者

あのー、石ができる、結石とかいうのは、再発しやすいというんですけども、やっぱり、御浄霊は、腎臓は毎日した方がいいんじゃないかな?とは思うんですけども。

 

楳木代表

そりゃあまぁ、疲れた時とかね。夜、寝る時とか、疲れるから腎臓を浄霊して、それが毎日であって寝るというのは、それはいいことだよ。

石、石というんだけど、皆さんのおしっこの中にも石は皆入っているからね。

 

受講者

入っているんですか?

 

楳木代表

そう。男の人が洋便器でおしっこをすると、おしっこ飛び散るでしょ。

 

受講者

はい

 

楳木代表

それ落ちないでしょ。あれ石だから落ちない。尿石が少し入ってる。あれが、汚れを作っている訳なんで、だから、男性は、飛び散らしたら必ず拭いて出るようにね、しとかんといけない。それをそのままにしていくと、固まりになっちゃうから。

 

支部長代理

さっきの小さい結晶が尿に入っていくと、尿素(尿たんぱく)と結びついて、尿石になっていくんですね。あれはこびりついたら取れませんもんね。

 

楳木代表

うん。だから、尿石はみんな出ているんだと。それが、固まりを作るのが、さっきの説明のようにね、薬毒の異物とかがそういうものに化合させていくところが多分にあるのでね。だからそういう意味では、腎臓をしっかり浄霊しておくっていうのは大事なんでね。

 

支部長代理

多い人は(聞きづらく不明)人それぞれですね。

 

「使命」と「上魂の世界へ」

楳木代表

要は、「人間が何のために生きているか?」ということの方が大事なんで、神様からいただいた「使命」を遂行するために生きている訳なんで、自分のできる場所で精一杯させていただくということを中心にしていかないと。

そのために健康であらねばならないんだと。

その健康を維持するために、どういうふうにしておかないといけないのか?というふうに、論理の組み立てをしておかないと。

こっちが一番先になっちゃうと、浄霊だけの生活になっちゃうのでね。その点を切り替えて、いつも整理しながら生活させていただくことが大事だと思いますね。

 

支部長代理

とりあえず、地上天国できるまでは、ドンドンと人間の使命は地上天国建設が使命になっていきますので・・、天国になってしまえば、楽しみだけですけども、まぁ、それまではね。

 

楳木代表

まぁ、天国になってからの楽しみとは、どんな楽しみがあるのか、未知な楽しみがある(笑)。というのは、残りの我々の脳の10分の9が動き出すということですからね。今10分の1も使ってないので、残りの10分の9をすべて使えるようになったら、どうなるかという・・、その楽しみをもって、生きていかないとね。

 

支部長代理

もう神と人の区別が無いかもとまで仰っておられますから、水晶天国になっていくと。

 

楳木代表

うん。

 

受講者

「どこでもドア」みたいな、瞬間移動とかできたりできるんですかね?

 

楳木代表

まぁ、物質的には水晶世界にもうほぼいっているでしょ。もう機具的には素晴らしいものが出来ている。あとは、魂とか、霊(想念など)の世界が水晶世界になっていかないといけないので、これが宗教が担う役割なので、それをみんな世界救世(きゅうせい)教を中心に怠慢になっているので、なかなか理想世界になっていかない訳です。

それをもう一度、霊の世界の水晶世界を作るというのが、我々の役目なのでね。そういう意義付けをもって、これから『御神業の本筋』ということで取り組んでいただきたいと思います。

そういうことをお願いして終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

支部長代理

以上を持ちまして、5月度大阪支部月次祭を終了させていただきます。ありがとうございました。

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 神経痛とリョウマチス」(文創  昭和二十七年)