メシヤ講座no.140岡山(平成24年9月)

<今月の御教え>

御教え『文明の創造』科学篇  「無機質界」〈本文は『文明の創造』131ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

 

メシヤ様の示されていることを実現するのが我々の使命

 

楳木代表:この『無機質界』という、メシヤ様が書かれた内容を少し確認させていただきますと、昭和27年に書かれた御論文です。この時にはですね、顕微鏡で約6万倍まで見えていたと、今は発達をしてきてですね、7月8月と勉強させていただいたように、素粒子をおよそ確認する事が出来ました。

 

ですから、メシヤ様が科学が一歩手前まで、昭和27年の当時は一歩手前までなんだと。無機質界の一歩手前までなんだと。しかし、現代は素粒子を、およそ全て17の素粒子を確認したので、いよいよ物質文明は、極点に達しているという認識を、皆さん方は持っておいていただきたいと思います。

 

で、これから物質界が極点にまで発展したので、これからいよいよ霊的な世界が我々の役目なんだということです。で、皆さん方は、長いこと世界救世(きゅうせい)教、それから○○○○教団、そして今メシヤ教で勉強されておりますけれども、そういう過程の中で、実はこのことをメシヤ様が我々に示されていることを実現するために、実は大きな使命をいただいているということです。

 

それからメシヤ様は、今回は理論神霊学ということと、実験神霊学というふうにお説き下さっておりますけれど、この実験神霊学を我々は現場でやっているわけですね。

 

で、8月分のメシヤ講座の中では、まず皆さんの体験が一つ出てます。これはですね、これはお蔭話として載せてますけれど、実は実験神霊学の一端を担った事例だということですね。それから二人目の○○さんの報告を載せておりますけれど、これも実験神霊学のその証しの2例として、ここに載せているというふうに、そのようにこのメシヤ様のですね、『文明の創造』の本日の『無機質界』というところと岡山支部の事例、3例を結び付けて考えるようにしていただきたいと思います。

 

まあ、そういうふうに今日は最初に御願いさせていただきまして、そしていつものように質疑応答に入らせていただきたいと思います。では、よろしくお願い致します。

 

今ちょうどお二人、並んでおられるので、事例の二人並んでいるので、実験神霊学の事例として今回載せたんだというご自覚を持っておいて下さいね。メシヤ様の理論を裏付ける、そういう御守護報告なんだと、そういうふうに思ってですね、ここでは一応AさんBさんになっていますけど、これは私のことだという風にして皆に話をしてあげていただきたいと思います。

 

それから○○さんのところはどの方が・・・。

 

岡山8月度メシヤ講座、Bさんの次女の体験

 

参加者:この子が次女です。

 

 

楳木代表:ああそうですか、その人がこの前霊?かり状になった。ところで、今は大丈夫ですか。

 

参加者:たぶん。

 

楳木代表:たぶん。(笑い)「祈りの栞」を受け取った時、どうだったの。

 

参加者:手に持ってて、じわじわして来たんです。

 

楳木代表:ふーん、そして浄霊をいただいた時に、光に包まれたようになったの。

 

参加者:明るくなったというか・・・。

 

楳木代表:目を開けてて。

 

参加者:目はつむっていたんですけど、明るくなってきたんです。

 

天津祝詞と善言讃詞について

 

楳木代表:なるほどね、これはメシヤ様がお作りになった祝詞なので、その祝詞の・・・まあ、今日は私が代表してですね、祝詞を奏上させていただいたけれども、この善言讃詞・・・天津祝詞の方はですね、大和民族の宗家にあたる神様が太古の昔にお作りになったものですので、これも神世の時代にできた祝詞で、善言讃詞はメシヤ様がお作りになったので、この配列、言葉の並び方が地上天国を建設していく上で非常に大事なものなんですけどね。

 

そういう完璧な祝詞だからこそ、光に包まれるわけなんでね。そういう貴重な体験をしたので、それを大事に持っていただいて、いつも思い浮かべて、苦しかった時にこれを手にした時の温かかったこと。それからお母さんがメシヤ様とお祈りしながら浄霊をした時に、明るくなった。その事をいつも思い浮かべながら生活をしていただきたいと思いますね。

 

今、20代ね。

 

参加者:はい。

 

楳木代表:これから60代になっても、70代になっても、その時の瞬間の事を昨日のことのように思い出せるように、いつも思い出していただいて生活をしていただくと、いつも光に溢れるような、そういう人生を歩んでいけるのでね。そういう風にして下さいね。

 

参加者:はい。

 

楳木代表:で、この、今お話しました善言讃詞を残念ながら世界救世(きゅうせい)教はずいぶん作り変えてしまいました。それはもう仏滅が来たので、そういうことで作り変えたというふうに言っておりますが、実はメシヤ様の作られた祝詞を人間の立場で作り変えるというようなことは、これはあってはならないことなんですけれども、そういうことを平気でやってしまう、当時の指導者であったということですので・・・。

 

それでは申し訳ないので、再度メシヤ様のお作りになった祝詞に戻して、このように作り変えておりますので、この善言讃詞こそがですね、地上天国建設の上で必要があるというふうに思って、日々奏上していただければありがたいと思います。

 

夜叉龍神の作戦は霊的知識の抹殺

 

楳木代表:で、先ほど、皆さん方にこれ(8月度メシヤ講座)を読んでいただいていたのですが、最後まで到達しましたか。

 

参加者:まだ途中でした。

 

楳木代表:途中まで・・・。実はですね、今回特に載せたこの御論文はですね、これ(文明の創造)を持ってきている人は、これの366ページを開けて見てください。この366ページに「基督教と善悪」という御論文がありますが、その6行目のところに、「夜叉は片目の悪魔で闇そのものであるが、先頃の昼間の世界が終るに連れて世界を掌握する為には、先ずその時の人間が知っていた霊的知識を抹殺させる必要があったのである。」と。

 

この霊的知識を抹殺させる必要があったのであるというところが、実は今日の天津祝詞とかですね、そうしたものを唱えることの意義を分からなくするということですね。

 

そうすると、○○之○教団が天津祝詞を奏上しなくなったということは、非常にこういうところと密接に繋がっているということですね。

 

子育てとは、言葉使いをきちんと教えること

 

楳木代表:それから、言葉の配列を見ていきますと、日本語だけはですね、言葉が非常に論理的に出来ています。論理的に出来ていると言っても非常に分かりにくいんですけど、実は母音と子音の組み合わせによって、あいうえお、かきくけこ、さしすせそ、というのが出来ております。

 

アルファベットの場合はですね、ABCDEFGというふうに単一でずうっと並んでおります。で、日本語だけは母音と子音の組み合わせによって、あ行の場合はあいうえお、か行の場合は、子音の「か」というものと「あいうえお」が組み合わさって、「かきくけこ」になっております。さ行は、「さ」という子音と「あいうえお」が組み合わされて、「さしすせそ」になっております。

 

そして動物の中ではですね、例えばさるは、か行の音だけ許されておりますので、さるはキキキと鳴くわけですね。それから馬の場合は、は行の子音が許されているので、ヒヒヒーンと鳴きます。で、牛はま行だけ許されておりますので、モーと鳴きます。(笑い)

 

動物の場合は、その子音だけしか許されてないということです。まあ勿論、言葉を発声する事が許されてない生き物もおりますけれども、おおよそ哺乳類の場合は、言葉の発生が許されてきて、その中でも制限されて許されているということです。で、人間だけは、全ての子音と母音を発声する事が許されているということです。

 

だから、そういうことが分かると、言葉というのは大事にしないといけないということになるわけなんで、子育てをする時に、言葉使いを一番きちんと教えていかないと、人間を育てていっているという事にはならないということです。動物を育てているという事になります。言葉を疎かにして育てていっていると・・・。

 

ですから言葉使いを子供にきちんと教えていく、あるいは孫にきちんと教えていくということが、実は子育てをしているということになってくるわけです。これをしていないと、子育てをしているつもりが、動物の部分を多く含んだ子供を育ててしまうということになっていきますので、今日のような御論文を拝読しながら、メシヤ講座と照らしながら、そういうところをもう一度自分の中にですね、御教えをしっかり入れる、あるいは腹に落としていくという生活をしていただければ大変ありがたいと思いますね。

 

御教えは毎日拝読を

 

楳木代表:で、今日の『無機質界』というところを、また今日からですね、30日間、毎日拝読していただいて、そして、他の御論文も拝読していただきたいと思います。大体頭にですね、全ての文言が留まるというのは1ヶ月では難しいですけれども、昔ですね・・・今○○之○教団は入信は何歳からです?

 

参加者:12才です。

 

楳木代表:12才ね・・・、以前7才から入会が出来るという時期があったんですよね。しかし、その時にですね、入信教修をどのようにしたらいいかということで、ずいぶん悩んだ時に、今日○○さんに拝読していただいた『世界救世(メシヤ)教 教義』というのを暗記できた子は、一応お光を拝受しようということでやった時に、小学1年生があれを暗記するのに約1ヶ月掛かったんです。で、1ヶ月、大体毎日拝読すると今日の『無機質界』のことが大体頭に入りますので・・・。

 

何だったかねぇーと言ったら、この通り出て来なくても、こういう意味だったよーということが言えるようになると思いますのでね。まぁね、中学生くらいで御教え拝読すると非常に入りは早いんだけれども、これからでもいいですので、精一杯毎日読んでいただきたいと思います。

 

夜叉龍神の解脱を願って

 

楳木代表:それから話は戻りますが、『基督教と善悪』の御論文の3行目に夜叉龍神というところがあります。

 

この夜叉龍神が立てた計画が『夜の時代』の計画ですから・・・。で、地上天国を造る時に、この夜叉龍神が解脱してもらわないといけないので、覚ってもらわないといけないので、善言讃詞を奏上する時にですね、「夜叉龍神も解脱為し」というところを、この教えに基づいて「夜叉龍神も解脱為し」と発声していただかないと、天国は来ないんですよ、善言讃詞を奏上する時に・・・。

 

で、そういう奏上の仕方をしないで文言を変えてしまっている為に、世界救世(きゅうせい)教は、地上天国建設を担っていけない教団になってしまった。それで○○之○教団は、それを少し修正しようとしたんだけれども、メシヤ様という御存在まで修正できてない為に、中途で終わってしまっているということですね。で、○○○○教団は、この善言讃詞のですね、「多宝仏塔聳(ソソ)り建ち。七堂迦藍は霞(カス)みつつ」というのが「救世(グセ)の神館(ミヤカタ)霞みつつ」とか、そういうことになっていますね。

 

ですから、そういう部分が地上天国建設を担えない状態にしてしまっているということです。で、そういうことを今回はもう一度認識していただきたい為に、この中に御論文を二つですね、『時局と霊界』というところと『宗教、哲学、科学の一致』という、この二つの御論文を載せてありますので、こういう御論文をメシヤ様が『文明の創造』の前年に書かれておりまして、その時には、夜叉龍神は明らかにされてなくて、○○龍神というふうにその時は書かれております。

 

それから国武彦尊ということについても、○○○之尊と書かれておりますので、それを、この『文明の創造』を御記述になる時に、昭和27年に明らかにしていこうという事で、書かれたというふうに拝察を申し上げて、そして、これから我々が地上天国建設を担っていくんだというふうに、お考えになりながら生活を送っていただければ大変ありがたいと思います。

 

話はあちこちいきましたけれど、一つ汲み取っていただいて、日々御教え拝読に取り組んでいただきたいと思います。

 

御神前にお茶は?-大黒様との違い

 

初参加者:今日はじめて来させていただいたのですが、○○之○教団では、明主様にお茶をお上げするということでしているのですが、そこのところが・・・。

 

楳木代表:実はですね、世界救世(きゅうせい)教は、メシヤ様が御昇天されてからですね、お供え物が変ってしまった部分があるんですね。それは、塩と生米と水をあげている時代があって、これは龍神にあげる物だと、龍神が食べる物だということで、ゆくゆくは鯛も火を通してお上げするんだという御言葉があったわけですね。

 

だからそれに即して、お茶ということに○○之○教団は踏み切ったわけです。しかし、お茶ということになると、どういうことになるかというと、メシヤ教の場合は、大黒様にお茶をあげているんですけれども・・・これは成り立ちがありましてね、大黒様の場合は元々こういうにこやかな顔をしてなくて、武闘派だったわけですね。で、ものすごく怖い顔をしているし、筋肉粒々で怖い人間だったんだけれども、あの時、神様に弟子入りをさせてくれという時に、もう少しにこやかに笑いなさいというふうに言われて、それを心掛けるようになって、福の神の方へ、まあ配置転換されたわけですよね。

 

だから元々は人格神だということです。人格神なので、お茶でいいわけですね。しかし、メシヤ様の場合は、御在世中は勿論肉体を持っておられたので、人間という部分があるんですけれど、これだけ万人を救う程の浄霊力を我々に授けるということからすると、最高最貴の御存在であるので、最高最貴の御存在に対してお茶というのは、これはちょっとおかしなところがあります。

 

それから、主神様ということになると、主神様は全てを御造りになった御存在なので、態々人間がお茶をあげる必要はないわけ、造った側なので。いくら感謝を表現するといっても、造った側の御方に、そういうものをあげてもですね、余りふさわしくないという事で、メシヤ教の場合は、お供え物がないという形を取っているんですね。

 

ただ、今、秋を迎えて、とうもろこしとかそういうものが出来てですね、お初の物が出来た時には感謝の報告をするためには、お供えをするけれども、献撰物を揃えて、そしてお祭りをするという形は、余りふさわしくないという事で祭典の時には、献撰物をあげないという形を取っているんですね。そういうことがあります。

 

ですからお茶は人格神にはふさわしいけれども、最高最貴の御存在にはやはりお茶はふさわしくないというふうに考えていったらいいのではないかと思いますね。

 

浄霊は、メシヤ様への祈りが大切

 

初参加者:それから、お光がなくてもいいんですか?

 

楳木代表:最初はやっぱりそう思いますよね。まあしかし、メシヤ様が昭和29年の4月にですね、御浄化に入られて、実際には御揮毫になることが出来なくなったので、それで当時の理事会が印刷に踏み切ったのですけれども、その報告を受けた時にメシヤ様は、いやもう『本当はいらないんだ』とおっしゃっているんでね。

 

で、最後、御浄化に入られてから余計にですね、想念が大事だと、これからは想念が大事なんだというふうに、何度も何度もお説き下さっておりますので、やはりメシヤ様からいただく御光を自分達の掌から通して浄霊をするという、この想念面の方を我々はしっかり持っていかないといけないという、お光を掛けているとですね、何となく安心していきます。

 

これはお光というよりもお守りですのでね。元々メシヤ様御在世中は、お光というよりもお守りでずっと来ましたのでね。そっちの方が現代人にとっては、お守りをかけているんだという気持ちのほうが強いので、メシヤ様と如何に繋がって、そしてメシヤ様からいただく御光を掌から取り次ぐかという気持ちがですね、疎かになっては申し訳ないので、そちらの方を大事にする意味で、もうお光を外した方が不安なのでね、よりメシヤ様にお祈りしながら浄霊をさせていただくことになるということで、思い切ってお光なしの浄霊をしているわけですね。今掛けてますか?

 

初参加者:掛けてます。(笑い)

 

楳木代表:掛けてちゃいかんという事はないんで、自由ですからね。(笑い)

 

浄霊力伝授と入会の違い

 

初参加者:浄霊力伝授と入会とはどう違うんですか?

 

楳木代表:浄霊力伝授は、浄霊を試してみたいという人には、もう皆にやっていただいているんですよ。入会しなくてもね、あるいはお金を神様にあげなくても、どんな人にでも、どんどんどんどん。で、他教団の人にもですね。で、他教団を絶対排斥する創○○会、創○○会の人も浄霊力伝授を御願いして、メシヤ様と御願いして浄霊している人もいるんですよね。で、御守護いただいているんです。

 

だから、これはどのような教団に所属していても、浄霊力伝授だけは、大いにお取り次ぎしていくという事なんですね。

 

入会の場合はですね、お光無しの浄霊をやってみて、確かに之は効果があると。そういう事を実感した場合ですね、”他の人にもこのすばらしいことを教えてあげよう”というふうに思ったり、”こういうことを進めていく取り組みは非常にいいので、その取組みを支えたい”という人に入会していただくようにしております。

 

だから入会するということは、この浄霊力伝授をより一層みんなに勧めていこうというお気持ちになったり、この取り組みを支えてゆきたいと、メシヤ教を支えてゆきたいという人に入会していただくようになっております。

 

だから、「もうそろそろ入会しませんか」というような話は、こちらはしないですね。浄霊力伝授はどんどん勧めていますけれどね、入会はあんまり勧めてないですね。そんな違いです。

 

教団幹部の抗争と教主様

 

参加者:私達はい○○めにいたんですが、その後直属になって・・・。

 

楳木代表:教主様の事をみんな信頼していますよね。しかし、残念なことに教団は教主様を利用しながらですね、派閥抗争をしてきたということがありますのでね。信者さんの純粋な気持ちと裏腹に、教主様のお言葉が、その時々によって180度変ったりせざるをえない状態を迎えていたのでですね、中々教主様を頼るという事は現在では中々難しい状態になってますね。

 

その前の一元化の騒動の時も、昭和46、7年くらいのですね、騒動の時にも、三代教主様の言葉に沿って動いた人達は、結局は離脱せざるをえなくなったので、この近くでは島根県のみろく神教とか、滋賀県の神慈秀明会とか、それから三重県の救世神教、こういったところは三代様の言葉を信じて、教団改革に立ち上がったために、結局は、最後は離脱せざるをえなかったんで・・・。

 

今回のはですね、三代様の方が逆に利用されたんですけれども、い○○め教団が三代教主様を持ち上げてしまってですね、そうして総裁まで祭り上げていったために、メシヤ様のお子様なので、何とかその言葉通りにいこうというようなふうに、い○○め教団の信者さん方は、そういうお気持ちを持たれたんですけど、残念ながら指導者が、今の三派に割れてしまった原因を作ったのが、い○○め教団の指導者たちなのでですね。その点は、信者さんにとっては、不幸なことではないかなと思います。

 

○○之光教団の現状-○○A活動ではどうしようもない

 

参加者:○○之○教団の所属でずっと○○A活動をしてきたんですが、こういうことはどうなんでしょうか?基本的なことを教えていただければと思うのですが・・・。

 

楳木代表:そうですね。世界救世(きゅうせい)教が陥っていった中身が、今回の御教えのですね、一番最後に載せてるですね、『宗教、哲学、科学の一致』という御論文の4段落目ですが、

 

「又宗教であるが、之も御多分に漏れず行詰ってどうにもならない。というのは宗教の本領である奇蹟が、寔に少ない実状である。そこでやむなく理論によって、それを補おうとしたり、種々の社会事業等によって、存在の価値を意義付けようとしている位で、人類の最も苦悩である病気、犯罪、戦争等に対しては、殆んど何等有効なる活動はなし得ないにみても、やはり行詰りをよく物語っている。」

 

これが今の○○之光教団の現状です。メシヤ様が、昭和26年に御指摘している当時の宗教界の問題点をこのように書いてあるにも拘らず、そのメシヤ様のお弟子の教団である○○之光教団が、こういうところに陥ってしまっている。

 

これが、世界救世(きゅうせい)教が陥っていったところの一番凝縮された形が、○○之光教団になってしまっているということですね。ですから力を何故発揮できなくなったかというと、これはメシヤ様という御神格の認識がないためです。

 

ですから、○○さんでしたかね、浄霊力伝授をいただかなくても浄霊する時に、「メシヤ様、浄霊をさせていただきます。」とお祈りすれば、お光を掛けていてもいなくても、メシヤ様と祈れば、光がもの凄く強くなるということを○○さんは体験されたというですね。

 

これがあれば、今のような○○之光教団の体制を築かずに済むんですよ、奇蹟が出れば・・・。奇蹟が無い為に色んなことをやって理論武装するのと、医学界とタイアップしながら療院活動をせざるをえないということです。これは奇蹟が無い為に・・・。

 

ですから奇蹟がもう一度出るようにすればいいわけなので、メシヤ様とお祈りさえすれば奇蹟が出るわけですから、そういうところにみんな立ち返っていただければいいわけです。

 

しかし、この夜叉龍神がいるもんで・・・この眷属がね、あの手この手で教団の中に、このままではいかんというような形で忍び込んでくる。夜叉龍神は解脱しているんだけれども、その眷属たちがまだ改心してないので、いっぱい付くわけです、教団幹部に。そして「問題を起こさないように医療とタイアップしてしましょう」という謳い文句で、薬併用の施術というような形を進めていっているわけですね。

 

しかし、皆さん方、少し考えていただくとですね、あの野田総理の選挙ももうすぐありますけど、今、インフルエンザ対策とかいうことをやっておりますね。そうすると、インフルエンザはそれほど怖いものかということを考えてみて下さい。インフルエンザは怖いものですか?

 

参加者:風邪引き運動を起こせとまで言われていますでしょう。

 

 

楳木代表:インフルエンザは、1週間休めばいい内容なんですよね。しかしそれを、1週間休まないために事前にワクチンを打ちましょうとかいうようなことを、今社会は進めているわけです。1週間休めば良くなる病気なわけなんです。病気というふうに考えていけばね。風邪は3日寝れば大丈夫なわけです。こういうことは、人間の体の中には決まったものとしてあるわけなんです。それを何とか1週間を短縮させようということで、クスリを用いてきているわけです。

 

そういうように世の中というのはどんどん流れていっているんだと。これは、製薬会社が自分達の富を減らさないために、あの手この手で仕組んでいっていることですのでね。その中に〇〇Aも一緒に入ってやっててどうするんだということですね。

 

まあ、そういうことを少し冷静に考えていただければですね、いつまでも〇〇A活動とかではどうしようもないという事が分かってくるんではないかなと思います。それからここに、「社会事業等によって」というふうに書かれております。メシヤ様は社会事業というのは評価はしているんだけれども、自分達の教団がやるべきことではないというふうにおっしゃってるわけですのでね。

 

どうしても浄霊による奇蹟が少なくなってくると、教団としての意義を維持していくために、社会事業に手を出していくんです。そうすると社会事業に手を出すと、社会的な評価を確かに受けて、上の人達というのは色んなところから感謝状が来たりですね、そういうことがあると、教団がより一層社会に認められたと錯覚していってしまうわけですね。

 

そういうところに陥っていっているので、根本的に人間が健康でですね、そして平和で豊かに生活ができるように導いていくのが、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団のやるべきことなのでね。そういうところをもう一回思い出して、本来の活動をさせていただきましょうというのがこのメシヤ教の取り組みなわけですね。そういうふうに受け止めていただければいいですのでね。

 

左進右退のリズムを生活に取り入れる

 

参加者:私は信仰以前のことが出来ないので、お話しするようなことはないのですけれど、ここへ来たら光をいただけるので、すごくうれしいんです。ですから、兎に角来させていただきたいという思いがあるんです。しかし、本当に信仰以前のことが出来ないので、思いはあるんですが、中々行動に表せないんです。

 

参加者:この人は家の掃除が出来ないんですよ。(笑い)

 

参加者:そうなんです。自分でも感心するくらい・・・。(爆笑)他の方へ出ていけても、何かしようという気力が・・・。それでもこういうところへは凄く来たいという思いが強くなって、何も分からなくてもいきたいという強い思いが湧くんですけど。

 

楳木代表:これはですね、小学校時代は体育は得意でしたか?

 

参加者:運動は好きでした。

 

楳木代表:そうするとですね、運動が好きな人達は良く走っていますので、トラックを走りますよね。あれはどっちの方向に走りますか?・・・走る時に右回りで走るか左回りで走るかということですが・・・左回りで走るでしょ。右回りで走ってみてください。中々走れないですから。

 

左回りで走った方が中へ中へ走っていけるんです。スピードが上がっていくんです・・・これを左進右退と言うんです。メシヤ様がお説きになっている左進右退というのは、一つにはこういうこともあるんです。左回りにすると中央へ集中していくんですね。右回りにすると拡散していくんです。

 

だからお米を研ぐ時にも右回りで研ぐ時には、”悪いものが出て行くように”という想念で研ぐんですよ、ね。で、左回りで回す時には、”この米を食べる人が健康を維持できますように”、子供だったら”無事に成長しますように”という思いで左回りに研ぐわけです。これをしていくのが実は左進右退ということを知っている人の米の研ぎ方なんですよ。

 

参加者:出来てません。(笑い)

 

楳木代表:おおよそね、こういう話を聞くまで皆出来てないんですよ。だから、家庭の主婦になる時には、まず御教えからいくと左進右退をまず持って嫁いでいかないといけないし、自分がご飯を食べるにしても家族に食べさすにしても、この研ぎ方が出来ないと、米本来のご飯が出来上がらないわけですね、まずね。いい水とか、それからお米は自然農法とかいうのはあるんだけど、人間が努力する部分では研ぎ方があるわけです。

 

それから次はこういうものを洗いますよね。洗ったら昔の人はよくハンガーに掛けたものは着るなと言ったでしょ。一回きちんとたたんで、それから着なさいと。あれは何故、何故ですか、一番年配者の方。

 

参加者:ハハハハ・・・。(爆笑)

 

霊主体従の法則に沿った日常生活とは

 

参加者:死んだ時なんかに着流しとか言うのは・・・。

 

楳木代表:着流しとかね、縁起が悪いからということを言いますね。しかし、実はですね、たたむ時が大事なんです。洗濯物を取り入れて、しわを伸ばしながらたたむ時に、”これを着る人が事故に遭わないように”とか、”健康を維持することが出来るように”とか、そうやって祈りながらたたむというのが洗濯物のたたみ方の気持ちとしてはそうなんです。

 

そうすることによって家族の祈り合いがあるわけでしょ。奥さんの場合は、”主人が職場で事故に遭わないように”とか、それから”変な女がくっ付かないように”とか(笑い)・・・そういうのを全部含めてお祈りしながらね、たたんでいくわけですね。

 

そうすると、しわがきちんと伸びて折り目の付いたものを着る時に、その家族の祈りを感じながら着るから、今日も家族の為にがんばろうということで、主人や夫が外へ出て行くことが出来るわけですね。

 

で、実は世界救世(きゅうせい)教は、『左進右退』とか『霊主体従の法則』ということを、メシヤ様から教えられているにもかかわらず、信仰指導の中にこういうものを織り込んで話をしてないために、信者さん方が『霊主体従の法則』に沿った生活を中々出来ない状態にしてしまってきたところがあります。ですから、そうしたことを一つ一つ見つめ直していただきたいと思いますね。

 

で、玄関で今日は大勢の方が見えて、私が最後に来る時に、通りやすいように非常に靴をきれいに並べて、気持ちよく私は玄関を入って来させていただきましたが、しかし、それぞれのご家庭の玄関はどうかという事です。靴は・・・。

 

靴が乱雑か、整っているかということはともかくとして、靴はきちんと揃えましょうということで、家族に言っていきますよね。で、自分も揃えるという時に、この揃える時に、靴を揃える時には、靴を履いて一番危険なことは交通事故が一番危険なので、”この靴を履いた人が交通事故に遭わないように”、あるいは”途中で転んだりしないように”という思いで揃えていくということが靴の並べ方でね。これが『霊主体従の法則』に沿った靴の並べ方ということになるんですね。(笑い)

 

これが我々の生活の中で一番底辺にないとですね、信仰してメシヤ様と御縁をいただいている、信仰しているということには繋がっていきません。

 

メシヤ様の信者は、まず掃除から

 

楳木代表:それからメシヤ様が、初めて小間物屋をお開きになった時に、メシヤ様は一番最初に店に出て、掃除からはじめられました。ですから、メシヤ様の信者という人は、掃除からはじめないといけないわけです。

 

で、今度掃除をする時に最初に話した運動というのが大事なわけです。運動を何故自分達はずうっと義務教育の小学校から中学まで9年間、何故義務教育の中に体育が必ず入っているかというと、この体育は体の動かし方の練習をしているわけです、人間として生きていく上での。

 

そうするとトラック競技というのは、左回りにすると円から飛び出さないように、集中して回れるという事を身に付けていくためにやっているわけですよね。で、学校ではそんな話はしないですよ、ですからメシヤ様の教えに基づいて、やっていることの意義付けを見出していくのが、母親の役目ということになってきます。こういう意義があるんだよとね。

 

そうすると掃除をする時にもですね、例えばハタキを掛けていく時に、こうやって(左向きに)ハタキを掛けていくのとこうやって(右向きに)ハタキを掛けていくのとでは、どっちが早いと思いますか?・・・実はこう(左向き)なんです。トラック競技で自分達が練習しているからこっちから掛けていった方が早く動くんです。こうやって掛けるから遅いんです。反対に廻るから、ね。自分達、小学校の時から、幼稚園の時からずうっとやってきたことを、自分の体に染み付いているので、それを生かして動いていかないと面倒くさくなるわけです。苦手になってくるわけです。

 

我々は、義務教育の中で何を学んでいるかというと、体育ではそういう事を学んでいるわけですね。ですから少しからだの動かし方をふり返ってみると、ずうっと小さい時から築いてきたからだの動かし方が出来ている。それを応用してやっているかということが一番大事なことなんですね。是非こう(左向きに)廻ってハタキを掛けてみて下さいね。

 

それから雑巾掛けする時に、昔の人達は何と言って・・・雑巾掛けする時何と言って教えられましたか?親から教えられた時・・・。

 

参加者:ちょっとわかりませんね。

 

楳木代表:例えばね、あんまりきちんと躾(しつけ)を受けてない人はね、こうやって(少しだけ持って)拭く人がいるでしょ。おばあちゃん達はその時何て言ったか・・・「そんな拭き方してたら敷居がくすぐったくてしょうがないよ」とね。だから「力を入れてごしごし拭きなさい」と、「そうすると敷居が気持ちいいと言ってくれる」と言って躾(しつけ)たんです。

 

そうしてね、ごしごし拭くようになってくると、掃除が非常に気持ちよくなってくる。こうやって拭くのは嫌だからこうやって拭いているんでね。面倒臭いと思ってね。(笑い)

 

これがね、敷居が気持ちよくなるんだと思ってやると拭けるようになるわけですね。こういう御神前というのは、いつも○○さんが掃除しているのできれいなんですけど、きれいな御神前でも・・・朝、きれいでも必ず掃除機を掛けると、そこの部屋はもの凄く佇(たたず)まいがよくなってきます。これは、御自身の生活の中でも体験すると思いますけど。塵がなくても、朝必ず掃除機を掛けると、その部屋は非常にいい環境になってきますよね。

 

こういうのは昔は箒(ほうき)だったので、掃き清めるというふうに昔の人は言ってましたね。ですから、掃除というのは先にそういうふうなことを考えていかないと片づけが苦手とか、そういうことが前に出てくると、どうしても生活の中でですね、、やりきれないところがあるので、一つ参考にしていただいて・・・。

 

参加者:ありがとうございました。そういう思いは全然、たまにはそれは思いますけど、いつもそういう思いの心掛けが足りませんでした。まるっきり。

 

そして、整理整頓を

 

楳木代表:是非これから心掛けてね、やっていただきたいですね。で、メシヤ様が人にさせていたんではなくて、御浄化に入られるまで、おおよそ掃除と片づけというのは自分自身が、御自身が課題にされておられました。だから、夜こういう原稿や御揮毫や口述筆記が終った時に、火鉢の火の始末は全部御自身でやられてますよね。奉仕者に「お前やっとけ」なんてことは一切されませんでしたね。

 

それぞれの役割の人が、その役割だけしておけば、メシヤ様は『それでいい』というふうにおっしゃって、自分のことはおおよそ全部御自分でされておられました。だから、物を取ってきてもらう時に、『あの部屋の箪笥の右の引き出しの上から何番目の左の手前のところに何があるから、持ってきてくれ』という指示を出していました。

 

ということは、整理整頓が行き届いているということです。ですからメシヤ様の信者たるものは、まずはそういうところから日々取り組んでいただきたいと思います。しかし、活動をやりすぎるとね、家の事をほっといて活動ばっかりにかり出されて、家の事を疎かにしている教団が多いですね。

 

あれはどこだったかな・・・四国の愛媛県だったかな、愛媛県のですね、ある造船所の専務の奥さんが布教所長をしていたんですけれど、その人は凄いなぁと思ったのは、主人が職場から帰ってくる頃になると布教所から走って帰って、そして旦那さんを迎えて食事を食べさして風呂に入ってそして寝付くまで家に居て、寝息が聞こえ始めたらまた布教所へ行って、そして夜の面談とか片づけをして帰ると。

 

そして、朝は、主人より先に起きて家の事をして主人を送り出してからまた布教所へ出て行って、布教所長としてですね・・・だからそこは発展してましたね。それだけ家族に尽くしている人が布教所の責任者をやっていましたからね。我々にとっては大いに学びになる先輩の方だったですけどね。まあ、話は長くなりましたけど、参考にしていただければと思いますね。

 

クリニックで対人恐怖症と言われて

 

参加者:この子が病院へ行ったら対人恐怖症と言われたんですけど、どうしたらいいでしょうか?

 

楳木代表:もう少し詳しく教えていただけませんか。

 

参加者:兎に角、外へ出るよりは家の方がいいんですよ。人に会ったら変に気を使ってしまうんです。何か外へ出るほうが疲れるんですよ。今、2歳未満の子がいて主婦なんです。

 

周りからは、ちょっと気を使いすぎとかは言われていたんですけど、それで自分はみんなと違うのかなぁと思って、クリニックへ行ったら言われました。

 

楳木代表:お母さんから見てどうなの?

 

参加者:余り人としゃべるのが苦手なので、もう少し年を取ればよくなるのではと思いますが・・・。

 

楳木代表:余りしゃべらない人は貴重な人だと思いますけどね。しゃべりすぎる人がいっぱい居るでしょ。女の人でね・・・。(笑い)よくしゃべるし、それでこっちが聞かないと怒るしね。そういう人に較べたら、静かな人というのは別に悪くないと思うんですけど。

 

あの、自分が他の人より違っているんではないかということは、これは誰でも思っていることなんで、このことはあんまり真剣に考えていく必要はないんではないかなと思いますね。それより、まだ自分が困ることが何かあるかどうか、対人恐怖症のために生活上困ること・・・特に困ってないでしょ、結婚も出来たし、子供も生んだし、夫婦生活もこうやって見てくれているんだから旨くいっているんでしょ。困ることは別にないでしょ。

 

だから余りそれを深刻に考えることはないと思うんですよね。で、「祈りの栞によせて」という本がありますかね。

 

今はみんなね、人間は同じじゃないといけないというふうに思い込まされているんですよ。だけどみんな一人一人特徴があって、神様から特性を持たせられて生まれてきているわけなので、自分の特性は何かということを見つめていくと、自分はしゃべらないんだと、しゃべらない人なんだと思っていけばいいんで、この本持ってますよね。

 

この本の中に『人間とは』という、短い抜き出した御教えがあるんですけど、

『本来人間というものは神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。そうして神は一人一人それぞれの使命を与へ、特長を持たせ、生き更り死に替り、理想目的に向って前進せしめつつあるのである。』

ということだから、神様から一人一人それぞれの使命を与へられ、特長を持たせられているんだと。だから私に与えられている特長は、今の自分なんだと。それで困ることがなければ別にいいわけですね。

 

主婦の役割、やるべきことは

 

楳木代表:それから、夫婦で一番大事なことは、夫が気持ちよく働くように奥さんはしないといけないので、この機会に、夫を気持ちよく働かせるように日々生活しているかどうかということを見つめるのが一番大事で、対人恐怖症なんていうのはどうでもいいわけ。

 

そんなことよりも、自分の主人が気持ちよく仕事に行くような生活を、私は日々送っているだろうかということの方が大事なことでね。それはどうですか?

 

参加者:出来てないです。(笑い)

 

楳木代表:どの辺が出来てないの。

 

参加者:旦那には腹が立つことがあったら、ずばずば言うんですよ。向こうは大人の対応で黙っているんですけど・・・腹が立つことがあったら、言うんです。

 

楳木代表:旦那には言えるけど、他の人には言えないの。

 

参加者:でも筋が通ってないと思ったら、上の人にでも言います。

 

楳木代表::じゃあ、別に対人恐怖症でもなんでもないですね。(笑い)

 

それでね、そのことは置いといて、ご主人との関係で行くと、例えば漁師の女房が絶対やってはいけないことってあるでしょ。そういうのは聞いた事はないですか。

 

参加者:ないです。

 

楳木代表:漁師の女房は絶対やってはいけないことがあるんです。それは、漁に出る前にけんかをしてはいけないということです。夫婦喧嘩をしてはいけないということです。海に出ていく時には命がけのことだから、喧嘩をしたらその喧嘩した内容が頭に残っていると、ちょっとした手違いで海に落ちたりとか、船を転覆させたりしたら命取りになっていくので、絶対に漁師の女房は漁にいく前にけんかをしてはいけないと。どんなに腹が立つことがあってもけんかをしてはいけないという決まり事があるんです。

 

で、漁師の女房だけではなくて、おおよその女房たるものは、旦那が会社なり仕事に出る前に絶対にけんかをしてはいけないです。これだけは自分に言い聞かせておかないと、どんなに腹の立つことがあってもね、喧嘩してはいけないと。これだけは守るのが女房の役目なんだということ。だから仕事から帰ってくると喧嘩してもいいんだよ。(笑い)その代わり、次の日の仕事に差し障りがあるくらいにはしないということです。また次の日には気持ちよく仕事に出て行かなくてはいけないのでね。夜の喧嘩も程ほどにね。そして早く休むという事です。睡眠不足は、怪我の元になりますからね。

 

浄化を整理して対策をー奥さんは旦那のカウンセリングを

 

楳木代表:それから足に水が溜まるということが何故起きたんだろうか?ということを少し見つめていかないといけないですね。

 

で、介護の仕事は非常に体力がいるので、介護体操とかあるでしょ。

 

参加者:知らないです。

 

楳木代表:人が横になっているのを起こす時の起こし方のタイミングの取り方とか、それから車椅子に座ってもらう時のタイミングの取り方の時に、それを習得しているとふぁっとこちらに乗せる事が出来ると。これが出来ているのかどうかということをまずチェックしておかないと。うちの旦那はそれが出来ていたのかどうかを。

 

で、それが出来てないためにいらないところに力を入れて水を溜めてしまったということがあるので、そうした基本的なことが習得できていたかという事が、まず旦那の場合は見ておかなくてはいけないです。そして、課題となるものをしっかり見て、一緒にそういう練習を・・・介護の仕事をこれからも続けるのであればね。この機会に習得して体に負担が掛からないようにしておかなくてはいけないですね。まずこれが一段階。

 

もし体に負担がかからない、そういう動き方を習得しているのであれば、水の溜まった原因はまた別にあるんです。その場合は、おおよそ奥さんから色々言われたことが、旦那のストレスになって一番弱いところに水が溜まってしまうということがあるから。だから段階で考えていかなければね。

 

要するに、介護の仕事をする人が、当然身に付けておかなくてはいけない肉体的に習得する必要があるものを完全にマスターしていたのかどうか、で、完全にマスターしてなくて水が溜まった場合は、完全にマスターさせるというのが課題になってくる。

 

で、完全にマスターしててもここに水が溜まったんであれば、これは奥さんがストレスを掛け過ぎているというのが一つあるから、私はどうかと見つめてみないといけないです。そうすると、ガンガン言うことを少し変えていかないといけないということになります。

 

で、もう一つは職場での問題があるから、職場でご主人がストレスを抱えてしまっていたことがあるかもしれないので、その点はどうかということを・・・その点は話し合いをしてみましたか?

 

参加者:職場の話は辞めたというのは聞いたんですけど、普通ではないところだとは言ってました。

 

楳木代表:まぁ、上の人が普通ではない場合はね、その人を見たくない方向に顔が動いていくので・・・頸、肩の凝りになってくる、そういう場合はね。

 

面白い病気があってね。ある日突然、こう(首だけ左に)向いてしまった人があるんです。(笑い)それでこれが戻らなくなった人があるんです。最近多いんです。それはね、職場にね、こっちのデスクに嫌な上司がいて、何ヶ月も嫌味を言われていたために、見たくないというので首だけこっちに向いちゃって(爆笑)、こっちに曲がらなくなっちゃった。(爆笑)

 

これね、言ってると笑い話になるんですけど、本人はものすごく辛いんですよ。こういう病気が、やっぱりあるんですよ。そういう場合は、大体頸、肩に来ますので、そういうところが凝っているかどうかというので、職場のストレス。

 

それからもう一つはね、介護する相手も最近は権利を主張するようになって、実際にする時に変なことを言う人が結構今多いので、そのストレスでどうしても足に力を入れないといけない時に、そういう言葉を聞いたりするとここへ、毒素が集まってくるという事があるので、実際に、奥さんという人はね、旦那のカウンセリングをする人が奥さんなの。

 

いいーっ、職場という所はね、もの凄くストレスが多いところだから、そこから帰った時に酒を飲む人は、「一杯どうぞ」と言ってくれるとだいぶストレスが消えるわけです。で、がぶがぶ飲んでいるのを「その位で止めなさい」というとストレスが増えるわけです。(笑い)気持ちよく飲んでいかないといけないということがあるんだけれども、しかし、職場の事を中々言わなくても、顔をみていれば、今日は何かあったなぁとか分かるから、「あんた大変じゃないの」とかいう言葉を掛けながら、そのストレスを取ってあげるというのが実は奥さんの役割であるわけです。

 

で、子供を産んだことがあるので、女性というのはね、肉体全体から見てもね、女性というのは吸収する力があるんです。吸収する力があってね、子供の時からね・・・「母」という漢字があるでしょ「母」。母という字の、「ちょん」「ちょん」は乳房からきているということを聞いたことがあるでしょ。この乳房が何故大事かというと、赤ちゃんの時は、生まれてきた時は全く視力がないと言われてたんだけど、最近は視力を持って生まれて来るというのが大体わかってきた。

 

で、どの距離が見えるかというと、ここに抱いて乳首をくわえさして、この目と目の距離だけ焦点が合うということが最近分かってきたんです。その時に、この黒眼ね、これだけが赤ちゃんが見える。これが点々が見えるから母という字の点々だというのが、もう一説としてはあるわけですね。この距離だけが焦点が合うわけですね。

 

お母さんは、赤ちゃんの救世主

 

楳木代表:それでおっぱいを吸うと・・・乳飲み子の時の胃袋というのは、お腹が空いた時にどう感じるかということは聞いたことがある?

 

参加者:ないです。

 

楳木代表:どう感じると思う。

 

参加者:泣きますね。

 

楳木代表:何で泣くの。お腹空いたと言えないから泣くの?・・・違います。胃が痛いからです。赤ちゃんの胃袋はね、中に何にもなくなったら痛むようになっているの。だから痛いから泣いているの。で、痛いから泣く時に、一口ね、乳首からおっぱい吸って、一口ゴクッと飲んだ瞬間に痛みが消える、そういう胃袋になっている。

 

だから、乳首をくわえた瞬間、ゴクッと飲んだ瞬間に痛みが取れるので、救世主なわけです、お母さんのおっぱいは。哺乳瓶であろうが一口飲むと痛みが取れるから、泣き止むわけです。そういうふうにしておかないと、お腹が空いても、空いたと言わなかったら死んでしまうでしょ、痛むようにしておかないと。

 

だから神様は、非常に精巧に人間を造っているんです。乳飲み子の時には胃袋を痛むように造っているんです。そして固形物を食べるようになると、お腹が空いたという感覚に変るようにしてあるんです。これは処女を失う時と一緒なわけです。処女を失った時を思い出して・・・。

 

参加者:突然ですね(爆笑)

 

楳木代表:皆さん痛かったでしょ。最初の頃、言うに言えないけど。(爆笑)しかしその後、気持ちよくなったでしょ。人間の体というのは、神様はね、すばらしい仕組みを造り上げているんです。だから赤ちゃんの場合、胃袋が痛かったんです。それが、おっぱいを一口飲んだ瞬間に痛みが取れるので、お母さんは救世主なわけです。

 

だから、「母」という字は、眼だというふうに言う人もいるわけなんです。救ってくれた時に初めて見えた点々がお母さんだったということがあるのでね。それで、「母」という字は、点々と打つんだという2種類の理由があるんです。だから、女の人の乳房というのは救う力があるんです、ね。だから旦那さんが職場でショッキングなことがあっても、「あんたどうしたの」と言って手を掴んで胸に触らせたらね、半減する、そういうストレスがね。

 

それを「あなた、私も疲れているのよ」なんて言って、こうしちゃう(手をはねのける仕草)とストレスが倍増してくる。夫婦というのはそういう関係があるので、女性の持っている力をフル活用しながら、旦那さんが世の中で仕事をして世の中の為に生きていくように、支えていくのが主婦の役割としては大きいので、そうしたところを少し見つめ直していってもらいたいと思いますね。

 

だから対人関係というのは、こうして話してても普通に話すでしょ、初対面の人間に。対人恐怖症なんてないから。そういうことを気にするよりも、自分は、夫が如何に気持ちよく働くようにするには、どうしたらいいかということを絶えず考えながら、旦那さんのストレスを取ってあげながら、あるいは体の悪いところはこの機会によくしていきながらね、仕事に又復帰できるように、そういうふうにしていこうというふうに思って下さい。

 

まだ後何人か子供を作る予定はあるの?

 

参加者:あと一人くらいは・・・。

 

楳木代表:あと一人くらいはつくろうと思っているわけね。そうしたらまた、子供を産む時にさらにね、心掛けることとかあるから、そろそろ次が欲しいなぁと思った頃、またこういう話を聞いたら、子供に取ってはもの凄く大事なことがいっぱいあるからね。

 

では12時になりましたので、一旦終わらせていただきましょう。

 

参加者一同:ありがとうございました。

(午前の部、終了)

 

 午後(直会)から―精神的浄化の人への接し方

 

参加者:段々良くはなってきているのですが、ノイローゼというか精神的に浄化している娘と一緒に、聖地に行けば治るだろうというくらいの気持ちで持って、毎月聖地に参拝しているんです。

 

楳木代表:聖地のどこに行ってますか?

 

参加者:奥津城をはじめ、皆が行くコースをぐるっと一通り行ってます。(笑い)

 

楳木代表:熱海には行かないですか?

 

参加者:熱海は、美術館だけ行きます。

 

楳木代表:じゃ、美術品を見てますね、どんな見方をしてますか?浄化している娘さんが美術品をどんなふうに見ていますか?

 

参加者:どんなふうに見ているんでしょうね、私はついて歩くので精一杯なんで・・・。

 

楳木代表:少し美術品自体の見方を話し合いしてみたらいいですね。美術館に行って美術品を見る時には、娘さんのような、そういう症状の人ほど美術品がいいわけですね。

 

参加者:ああ、そうですか。

 

楳木代表:いいんだけど、美術品の見方をちゃんと見とかないとね。その美術品を見て救われるという事にはならないのでね。すうーっと通ってちゃしょうがないね。

 

参加者:そうですね。

 

楳木代表:まぁ、その為には、お母さんの方が少し美術の勉強をせんといかん。家にはそれだけ熱心であれば、美術品の解説の本があるでしょ。図鑑が・・・。

 

参加者:はい。

 

楳木代表:今月例えば行くとしたら、どんなものを展示しているのかという事を、美術館に聞くなりして確認して、それについて行く前に前もって図鑑を見ながら確認して・・・この美術品は、どういう作者がどの時代にどういうふうにして作られたかとか、描かれたものかということを少し調べて行かないと、見たってわからないでしょ。

 

そうして、「何年の時にこういう願いで書いたらしいよ」とかっていうのを、娘さんに言ってみる。すると、「そんなの知っているよ」ということになれば、「それじゃあ、お母さんに少しその内容を教えて」というふうにして、そういう話をしながら見ていかないと、娘さんの気持ちというのはほぐれていかない。今もう、だぁーっと固まってしまっているわけだから。それをほぐすためには、少しそういう会話を重ねていかないとね。

 

あんなりっぱな美術品があるのにね、普通の人では買えないでしょ。一点一点、何億もする物だから。しかし、それを信者であるが故に、縁をいただいて見ることが出来るので・・・メシヤ様はどうしてこの美術品を買われたのかねとか、手に入れられたのかねというふうに話をしながら、美術館を歩いていかないと、すうーっと見て廻るだけじゃ勿体なくてしょうがない。そんなことも少しは取り入れてやって見て下さい。

 

で、浄霊する時には、今日のお参りした時の「惟神霊幸倍坐せ(かんながらたまちはえませ)」の世界なので、魂が太くなるように魂に向かって浄霊していかないと、どうしてもこう下向いたり黙っていると、この子どうしたんだろうかと思いながら浄霊しても効かないから。

 

その中の魂に対して光がすうっと入っていくようなね、そんな気持ちで。魂を「惟神霊幸倍坐せ」というふうになるように、「霊幸倍坐せ(たまちはえませ)」となるような気持ちで浄霊していかないといけないので。浄霊の仕方もそういうふうに切り替えてやって下さいね。

 

参加者:はい、わかりました。

 

参加者:外へ出て活動してたら何とかなるというのが、私達、元東○の○の信者がやってきた世界だけど、これからは家で落ち着いてそういう事をしていかないとね。

 

楳木代表:娘さんは信仰心はあるの?

 

参加者:朝拝、夕拝はきちんとします。

 

楳木代表:そういうことがきちんとできているんですね。それから○○さんが先ほど言ってたように、天津祝詞は上げてないでしょ。

 

参加者:はい、上げてないです。善言讃詞だけです。何か今日、ちょっと違いましたね、善言讃詞が。

 

楳木代表:ええ、善言讃詞は違いますからね。東○の○の場合は、善言讃詞はメシヤ様が御作りになったものに少し手を入れているのでね。

 

そういう状態であれば、天津祝詞も奏上した方がいいんですけどねぇ。

 

参加者:ああ、そうですか。

 

楳木代表:だから、まぁ、娘さんと、「今日はこういう話を聞いてきたんだけれど、天津祝詞を上げるの、あなた嫌かねー」とかいう感じで聞いてごらん。そういうところから何か話し合いをしながら、決めていったらいいと思いますね。

 

それから、そういう頭のいい人であれば、「この本(信仰読本「祈りの栞」に寄せて)を是非読んでもらいたいと言われて、お母さん渡されたから」って言って、今日買って帰って娘さんに渡して下さいね。

 

 浄霊力が違う訳-その証

 

参加者:昨日の夜は寝られなかったんです。何か分からないけど何か行きたいという気がして、早く連れて行ってくれないかなぁと思っていたんですけど、それと同時に騙されているかもしれないという・・・(爆笑)。浄霊力が違うんですかね?

 

楳木代表:断然違います。

 

参加者:それはメシヤ様とお唱えするだけで・・・。

 

楳木代表:そうです。繋がってくる御神格が高いから、メシヤ様という、善言讃詞に「メシヤとならせ」とあるでしょ、それが信じられたかどうかだけですから。だから、そういう御存在と繋がれば、当然光は強くなってくるわけです。

 

参加者:代表が出しているメシヤ講座や、色んな支部のホームページに浄霊力の違いが載っているんよ。私も最初は、浄霊力の違い、浄霊力の違いと出ているんだけど、私は疑い深いから、何でかなぁと思って信じられなかったんだけど、凄い色々と見せられたから・・・。

 

それで今回もこの人、この前入会されたこの人が、この人に浄霊したんだけど・・・。

 

参加者:私は知らなかったんですよ。この人が入会してるなんて。それで、1週間前に浄霊を頼んで受けたんです。その時は、入会してるなんて一言も言わないんですよ。それで、1時間くらい御浄霊してもらって、でも仕事は無理だろうなぁ、明日の仕事は行かれんわと思って、お父さん明日は無理だわぁと言っていたのに、そしたら次の日は体が動くんですよ。何これと思って、今までの浄霊と断然違うんです・・・そしたら入会してると聞いて・・・(爆笑)

 

勿論自己浄霊もしてたんですけど、今までのこの人の浄霊ならこんなはずはないのに、何で1時間の浄霊で治ったんだろうと思ってね・・・今までにない浄霊だと私はこの場で言います。

 

教団幹部の信仰姿勢は如何にあれば

 

楳木代表:さっき拝読した御教えとかが、昭和27年に書かれているんですけれど、その後の教団は何をやってきたんだということですね。あんな肝心要のことを明らかにされているにもかかわらず、それで皆さん方に大変御苦労をお掛けした60年でしたという感じですね。

 

で、その苦労が報われるように、これからメシヤ教が大きくお世話していきますので・・・。

 

参加者:まぁ、悪いですけど問題解決してないですね。要するに個と家の完成でしょう。それが世界に広がっていく・・・そこのところが置き去りになってますわね。個人自身が救われてないですね。

 

楳木代表:トップが分かってなかったということです。

 

参加者:ある程度のところまでで、止まっていたんでしょうね。個と家の完成が。

 

楳木代表:というか、家の完成のことがわかってないということですね。個の完成の場合はやっぱり、メシヤ様を目指すという取り組みを皆しないといけないのが、教団の役員自体がメシヤ様を目指してないでしょう。

 

役員の名を持ったならば、仮に浄化がきつくなって病院に掛からないといけない時には、命を捨てるくらいの気持ちで役員はやらないといけないのがですね、すぐ平気で手術を受けたりしているもんですからね。

 

信者さん方が、ご家庭の事情とか、ご本人の気持ちで、そういう事をされるというのなら仕方がないけど、教団の役員及び幹部たる者が、そういうことをするというのは、辞めていかないといけない立場ですからね。

 

美術品の観方と手鏡「翰墨城」について

 

楳木代表:それから話は変りますが、皆さん分院さんですかね。凄く御神業を担って来られたと思うのですが、さっきお話させていただいた美術品を観る時に、例えば手鑑「翰墨城」っていうのがあるでしょう、国宝の中に。手鑑「翰墨城」って何ですかって聞かれたら、皆さん何と答えるんですか?

 

国宝3点の中の一つですよね。藤壺とか紅白梅図屏風はすぐわかりますけど。手鑑「翰墨城」って何ですかって?・・・確かに手鑑なんですよね。

 

参加者:書じゃないですか。

 

代表:そうですよ、手鑑、書の鑑なんですよね。それを見てみんな練習したんですよね。だから手鑑「翰墨城」と言うんですけど。じゃあ、その書を何故練習していたか?・・・これですね、メシヤ様も抹茶を飲んでいる写真なんかあるでしょう。

 

メシヤ様は何故茶道をやられたかというと、お茶を習った場合、お茶事までたどり着いてないお茶をやっている人は、結局お茶が分かってないわけです。

 

お茶事をやる時には、まず招待状を出して、その招待状を受けた側は返事を書いて、その返事の内容に応じて接待の内容が変ってくるわけ、お茶事というのは。

 

だから、その為にその作法は、まず知っておかないといけないけれど、その作法に則って返事をする時に書く為に、書は練習しとかないといかんわけ。その書の為に「翰墨城」というのはあるんだという、こういう繋がりで美術館全体を見ておかないと。

 

ただあれは、いい美術品だとか、高価な国宝、重要文化財、重要美術品なんだという見方では、我々の日常生活は何にも変っていかない、その美術品を観ても。

 

「これはすばらしい国宝なんですよ」と観て帰って来ても、自分の生活は何も変ってない。この美術品は何のために作られたもので、そしてそれを日常生活にはこういうふうに活かされていたんだと。だから我々はそれを観たからには、自分の生活をどのように変えていかないといけないのか、どういうところを目指していかないといけないのかというところまで観て帰って、話し合いが出来て、しかもそれをやり始めた時に初めてMOA美術館に行って来て良かったという話になるわけ。

 

あれ観て来て、「今回は何々展だったねぇ」とかいうのを話したって何にも生活は変っていかない。「あそこで、あった美術品は、こういう願いがあって作られて、それは我々の日常生活の中では、こういうことを生活の中で向上するために、目指していかないといけないことなんだね」という話し合いが出来て、それを実践し始めた時に、初めてMOA美術館に行って来た価値が出てくるわけ。

 

実は世界救世(きゅうせい)教は長い間、美術館を持っていたんだけれども、そういう指導の仕方を専従者がしなかったために、皆さん方に大変ご苦労を掛けてしまったということです。だから生活が一向に良くなっていかない。

 

参加者:知りませんでした。

 

日常生活に御教えを取り入れることが大切

 

参加者:だから御教えもそうですよね。御教えを生活の中に取り入れるという事を教えてないから、全然何も変っていかないんですね。

 

楳木代表:そうですね。だから、メシヤ様が御昇天された後、ずうっと世界救世(きゅうせい)教がやって来なかったために、皆さん方が日々一生懸命、御神業を担ってきたけれども、生活がですね、変ってないご家庭がずいぶんある。その辺が大変申し訳なかったと思うんです。

 

だから申し訳ないがゆえに、今、メシヤ教というものを通して、その点を変えていただいて、メシヤ様が願っているような信仰生活になっていただくようにお世話をしていくのが、岡山県の場合は、この岡山支部を通してさせていただくんだというふうに、受け止めていただければですね、大変ありがたいと思います。

 

だから帰ってからですね、娘さんと話し合いをする時に、そういうようなことを少し話してみて下さい。今聞いた中の1割でもいいから、「今日はこういう話だったよ」と。そして、「そういうものの見方が出来るように、また改めてMOA美術館に行こう」というふうにね、話していっていただきたいと思います。

 

参加者:先生、今、MOA美術館はメシヤ様の集められた美術品の展示はほとんどないですよ。よその美術館の美術品の展示が多いです。まだ箱根美術館の方がいいかもしれません。

 

楳木代表:でも箱根って、展示する場所がほとんどないでしょ。

 

参加者:メシヤ様の御在世中の時に展示したような形体の展示の仕方を一応モデルとして、一部屋か二部屋だけ当時の再現展示をしているんです。それで辛うじて屏風とか掛軸とか多少出るくらいで、MOA美術館の学芸員の考え方も変ったりして、メシヤ様の蒐集された美術品を主に展示するということが少なくなって、美術館との交流の中でよその物を展示することが多くなって、メシヤ様の美術館としての本来の使命を果たしてないから、入館者も少ないという、そういう悪循環になっています。

 

楳木代表:なるほどねぇ。

 

藤壺を購入された御心は

 

楳木代表:そこに藤壺がありますが、この藤壺の使い方というのは聞いたことがありますかね。藤壺をどうやって使っていたのか?

 

参加者:お茶を入れていたんですか。

 

楳木代表:ええ、どういうふうに入れていたか、そういうのは余り聞いたことない?

 

参加者:ええ。

 

楳木代表:あれは新茶を入れて、初釜の時に、上の紐を切って出すために、あの紐を掛けてですね、そして蓋をして縛って、軒下に掛けていたんです。だから、あの取っ手を付ける穴が4つあって、そして掛けて、そして初釜の時にそれを切って中身を出して、それからこうやってお茶を作っていたんですよね。

 

その中に入れるお茶が、如何にもすばらしいというのと、この藤が軒下に飾られてた時に藤が揺れているように見えるから名作なわけなんで、しかもその蔓が一本なんですね。この藤の蔓の一番上に出ているところがあるんですけれどもね、ここからスタートしているんですよ。ここからスタートして一周して、ここで終わっているんです。丁度、一周しているんです。

 

それからこう回しても、藤の花がどこから見てもバランスよく描かれているから、絵付けにしてもすばらしい。それから、ここに通して縛って、軒下へ掛けていた。

 

じゃあ、メシヤ様は何故これを買われたかというと、初釜の時のお客様を接待する心とかを、メシヤ様は全て身に付けていたということですね。だから、掃除から始まって掃除に終わる。

 

それからメシヤ様ご自身が、こういうお花を活けられていたというのは、茶道の全てを分かっていたから、そういうお花を活けたり、そういうこともメシヤ様ご自身でされていたんです。その教祖を我々は信仰しているわけなので、自分達の生活がそこを目指していかないといけないわけなのでね。是非、そういう気持ちを持っていただけるとね。

 

参加者:メシヤ様の御日常を神習えと、ずっと言われてますよね。中々神習う所までいかない・・・。

 

楳木代表:神習えという掛け声はずっと掛けてきた。しかし、その中身が具体的にどうなのかという話がないので、みんなの目指すところが分からないまま、ずうっと来てしまったということですよね。だから、これから目指すところを明らかにしていくということですね。

 

参加者:益々きびしいですね。

 

楳木代表:いや、楽しまないといけない。美術品の意味も分かると楽しいでしょう。そんなんかぁーっと。じゃあ、もっと知らないといけないという気持ちになってくる。

 

洗濯物のたたみ方からスタートするわけですからね、もう家事が楽しくなるでしょう、これからね。

 

参加者:一つ一つに深い意味があるんですね。もう寿命が足らんわー。(爆笑)

 

霊主体従の法則に沿って生活を見つめていくのが本来の信者

 

楳木代表:今、専業主婦の人の所得・・・専業主婦の人を、例えば交通事故で入院させてしまった場合、保障を月にいくら払わないといけないかというのは、聞いたことがありますか?・・・大体20万ちょっとなんですね。だから、専業主婦というのは、20万くらい稼いでいるのと一緒なんですね。

 

専業主婦が全く家のことが出来なくなったら、料理とか、掃除とか、洗濯とかを外部の業者に委託した場合には20万くらいかかるんです。だからその分、保障しなければいけないというのが今の世の中の保証金の算定方法なんです。だから、専業主婦は、外でお金を稼いでなくても自分の体で最低20万は稼いでいるという、そういうことがお金の面では、今では言えるようになったんで、こういうことを実は子供の頃から、今の世の中で教えておかなければいけないのは、法律の精神というのがそこにあるわけです。

 

今、消費税がどうのこうのという問題ばかりが先行してますけれど、税金の持っている精神というのを、小学校時代から教えておかないために、今、税金を支払うことの義務が分かってない大人が非常に増えてしまっているのでね。だから納税しない人が出たり、そういうことになっているわけですね。

 

だから物事には、物事の裏には、必ずそれを支える精神というのがあるんだと。この精神を子供達に教えていかないと、立派な人間というのは育てることは出来ないと、その精神の一つがさっきの洗濯の時に健康を願ってとか、怪我をしないようにというふうに願ってたたんでいくというのがあるんだと、日常生活に於いては。

 

まぁ、そういうことを、『霊主体従の法則』に沿って、一つ一つ生活を見つめていただくのが、本来のメシヤ様の信者だというふうに思っていただければありがたいと思いますね。

 

参加者:私なんか主婦ではないから、何をしたらいいのですか?

 

楳木代表:御神業一筋です。こういうことを皆に教えて廻らないといかん。

 

参加者:自分の身についてないものは、中々伝えられないですね、身に付けずに来たから。(笑い)