メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月)

<今月の御教え>

『文明の創造』科学篇 結核と精神面 (文創 昭和二十七年)

 

【メシヤ講座 浜松支部】

日本の医者の対応と海外の医者の対応の違い

楳木代表

前回まで、メシヤ様が感冒に始まり結核を中心にして肺患にについて解説してくださっていますけれども、今回はそのことにあわせて精神的な面も重視すべきである、ということでご説明してくださっています。

これが60年ほど前にこういうことを書かれているのでありますが、実は現在の日本にピッタリ当てはまっている文面があります。

それはどういうふうにあてはまっているかというと、先日4月2日にイギリスから7歳と5歳の子供を連れてお参りにきた人がいたのですが、その人は日本で育って、イギリスで結婚したのですが、やはり子供が小さいとき、まだメシヤ様の教えを知る前は、すぐに病院に連れて行ったそうです。例えば37度くらいの熱が出て咳が続いているときに、医者に連れて行ったところ「このくらいの熱は何ともないし、咳はいくら出ても大丈夫だから学校に行かせなさい」と。これがだいたいイギリスの小児科の先生方の対応だということです。

これはアメリカでもそうですね。日本だけです。37度くらいの熱で薬を出して、そして咳がでていると心配だからと薬を処方してしまう。これが日本の現状です。しかし海外、欧米諸国では、先進国でもそんなに薬をやたらと出すものではないということを、いろいろな話の中でそういうことを伝えてくれました。

そういうことをもとに今、人間ドックがありますが、人間ドックは日本だけです。人間ドックをしている日本の医療に対してアメリカや欧米の人たちはどのようにみているのかというと、“具合が悪くないのに何故病気をさがそうとするのか”という問いかけをしているのです。検査結果の書類が出て、「胸のところがなんだか気になるな」と言われたら、皆さんどのように感じますか?それとか「おなかの下のほうに何かあるな」と言われたら、“おなかのところにガンができているのではないか”という心配が起きてきますね。そうすると「もう一回精密検査をしましょう」ということになって、検査のときには組織をちょっととって、がんセンターに送って、その結果がでるまで、みんな不安いっぱいですね。これが、今、日本人が陥っている、過度な、神経質な病気に対する心配だということです。

しかし、モノのわかっている人ほど、例えば大学教授とかは、大学に勤めている間は健康診断や人間ドックを定期的に受けないといけないけれど、退職と同時に一切健康診断を受けないという人たちが今、増えています。ですから、メシヤ様の考え方に60年経ってみんな近づきつつあるということです。

 

高齢者のガンの治療

楳木代表

それから先月お話しましたように、ガンになった場合、とりわけ高齢になってガンになった場合には、ガンを治療した場合、たとえば手術をするとか抗がん剤治療をするとか、そういう治療を受けた場合と、全く治療を受けないで余生を過ごした場合の生存率を調べていくと、全く一緒だということです。

だから、こういうことがわかっている場合は、ガンになった場合、医療的措置を一切受けないほうが安楽に暮らせるということですね。治療を受けると、手術の前後の苦しみが一つと、それから抗がん剤を入れられた場合は、髪の毛は抜けるは、嘔吐はして食欲はでないは、非常に苦しみ続けて最期を迎えないといけないということです。その点、歳をとってガンになった場合は、ある説によると昔はほとんど寿命というのはガンで死んでいったということがいわれています。

そのかわり、ガンになってどんどん体が朽ちていっても、体が枯れていっているということなのだ、と。だから痛みが全くなくて、最期を迎えることができると。ここに治療をすると痛みがでてくるわけです。だからガンになっても歳をとった場合には、一切治療をしないほうが安楽に最期を迎えることができて、大往生をむかえることができるということです。

だから変に検診とかをしないほうが、最終的には良いということです。

 

毎日ガンができているけれど、排泄する力が人間には備わっている

楳木代表

今、医療上、我々の日常生活の中では、我々の体には毎日ガンができています。しかし自分の免疫作用によって、ガンを全部排泄しております。ガンはできているのだけど、いつも排泄しています。

ガンは何故できるのかというと、化学物質が体に入ってくるためにできるわけなので、おおよそ化学物質が体に入ってこない生活をしている人はいません。

今、どんなに気をつけて食事をしていても、外へ出たら車がいっぱい走っていて、その中にはディーゼル車があるので有害物質を吸い込まざるを得ないですね。

それからどんなに気をつけて食事を作ったとしても、必ず添加物が入っています。何等かの形で・・・。それこそ山にこもってですね…。デンデラという映画を観た人います?浅丘ルリ子が主演で倍賞美津子や草笛光子などが出演していて、昔、姥捨山ってあったでしょう。その姥捨山に捨てられた人たちが生き残って、そして自分達で共同生活の環境を作って、いろいろなものを採取して過ごしているといって始まる、そういう物語なのですが、そういう生活をすると、ほぼ化学物質が入らないと思いますが、やはり現代社会の中ではどうしても化学物質が体の中に入ってきます。入ってきた分は、細胞分裂の過程で影響を与えて突然変異性原素というものが添加物に含まれますので、必ず自分の細胞が突然変異をするものがあって、それがガン化するわけです。

しかし、それは自分の免疫作用によって、外に排泄する力が人間には備わっているのです。だからガンは、毎日できているわけなので、段々歳をとってきて、免疫作用が弱ってくるとガンになってくるけれど、そういったときのガンは痛みをほぼ伴わないということです。だから大往生に繋がるということがモノの分かった医者がいつも解説することであります。

で、こうしたことがやっとメシヤ様が昭和27年にこのように書かれたことが現代の科学の発展によってやっとわかり始めたというふうに、今日は見ておいていただければ良いのではないのかなと思います。そのようにとらえておいていただければありがたいと思います。

 

昔、結核患者のいる家の前を通るときには…。

楳木代表

来る途中、年配の方に聞くと、「あの家には結核患者をかくまっているぞ」といった場合には、その家の前を通るときには、口と鼻を押さえて通ったとみんな言っていますが、そんな経験はありますか?

参加者

走って通りました。

楳木代表

走って通ったね。それをメシヤ様は笑っていらっしゃるのです。そんなことはしなくてもいいと。

参加者

私の家のすぐ横の家にはひとりだけ結核患者がいましたが、家族で住んでいました。その家の妹は私の家のお風呂に入りにきていました。

楳木代表

ほう。結核患者の家から。でも全然うつらなかったのだね。

参加者

全然うつりませんでした。

楳木代表

だからこれはメシヤ様の生活もそうで、いつも結核患者が何人か同居していたけれど、結核はうつりませんでした。

○○さんがこどもの頃はそういうことをやっていてもうつらなかったということです。自分にはね。ただしかし、我々の中にも結核のあとが残っていることもあります。それは仮になったとしても、自分の力で治していくことができていたということですね。

参加者

今思うと、その人はよく痰をだしていたな・・・。

楳木代表

患った人ですね。その人は痰つぼを持っていたでしょ?

参加者

そこまでは~。

楳木代表

そこまでは持っていなかった。昔はよく痰つぼっていうのがあったね。

だけどやっぱりうつらなかったのだから。メシヤ様の言われたとおりですね。

 

昔、農薬を避けるために口を押さえて走っていた。今は…。

楳木代表

我々の子供の頃は鼻と口を押さえて走ったことがあります。それはなぜかというと、パラチオンという農薬を覚えているでしょ。今はもう禁止されているから。危険だから。だからそのパラチオンをまいているという田んぼは息を止めて鼻と口を押さえて、吸い込まないようにして走ったことがあります。

だから我々の頃からは農薬とかの方が恐ろしい存在だったのです。結核菌よりも農薬のほうが恐ろしいものであったので、口を押さえて走ったことを覚えています。

△△さんの頃は結核患者がいたら、口を押さえて走り、我々の頃は農薬を恐れて口を押さえて走り、今は化学物質があるところで口を押さえて走らないといけないのです。

だからマンションとかそういうところで・・・新築のマンションで化学物質を使ったマンションに住んでいる場合は、まず誰もいないところに帰って鍵を開けたら、口と鼻を押さえて窓を開けてまわって、それからベランダでまた一呼吸して、もう一回、中の空気を入れ換えないと化学物質だらけということです。

それから、新車を買った場合には3年くらいは新車に乗り込む前に、息を止めて、ドアを開けてエンジンをかけて窓を全部開けて空気を入れ換えて、それから運転をしないといけない、ということになります。

こういうことがですね、マンションの場合はおよそ20年コンクリートが乾くまで時間がかかります。コンクリートが濡れている間は、やはり化学物質をクロスの間からだしてしまうので、濡れているから。それで乾ききってしまうとあまり影響がなくなってきます。

やはり20年くらいはそういうことが心配だと。しかし、木造でこれだけ木があると、木が吸ったり吐いたりしてくれるので、割合良いと。そして、これだけ空間があるので、クロスの場所が少ないために、割合この家はよかったということが言えます。

だから、先月もお話したように、タバコもタバコ自体よりも煙硝剤が化学反応を起こして2000種類の化学物質を発散するから、この煙硝剤が恐ろしいということなので、タバコが悪いというとニコチンとかそういうものが悪いとみんな錯覚しているけれど、まずはタバコ自体を栽培するときに農薬と化学肥料を使うと。それから加工してタバコにしたときに、煙硝剤の付いた紙を入れるので、タバコに含まれる化学部分と煙硝剤によって2000種類の化学物質をこの空気中に発散する、これを吸ってしまうのが一番恐ろしいということです。だからもうできるだけタバコを吸う人は、外に出て吸ってもらう。あるいは台所の大きな換気扇のところで吸ってもらう。換気扇の小さいところは大きい換気扇にかえて・・・。このくらい注意していかないとガンになっていくということです。その点、気をつけておいていただきたいと思います。

 

痛風の研究結果が教えてくれたこと

楳木代表

それから、もう今日は日曜日ですから、先週の火曜日に、痛風の研究結果を発表していたのをニュースで見ましたかね?

参加者

何かみました。

楳木代表

何か見ましたかね。何て言っていましたか?

参加者

腸から治るとか。

楳木代表

それです。そのニュースです。

参加者

痛風も腸が関係しているとお父さんが言っていました。

楳木代表

そうそう。それがやっとわかってきたというのがニュースで報告されていました。これを他に見た人はいましたか?

参加者

聞いていないな。

楳木代表

ラジオでは言わなかったね。テレビでしか言わなかったね。これはどういうことかと、今まで痛風の原因は何でしたか?

参加者

尿酸?

楳木代表

そうです。尿酸が局部に溜まって、それが痛いのです。○○君、最近筋肉痛になったか?何もしていないのに急に走ったりして、筋肉痛を起こしたか?

参加者

なりました。

楳木代表

そのとき何日くらい痛かった?

参加者

2日くらい。

楳木代表

まだ若いから2日くらいで済んだわけだね。これは乳酸菌が筋肉に溜まるわけですね。急に使うと。普通いつも鍛えていると乳酸菌は外へスッと出していくので痛みが残らないのだけど、あまり作業してなくて急に作業をすると、それが筋肉に残るから痛いのです。我々の歳くらいになると3日間くらい残ってやっと筋肉から外へ乳酸菌を出してしまうのです。

で、尿酸のほうは尿のほうなので、みんな腎臓が悪いと思って、痛風の方の場合はだいたい腎臓を中心に浄霊して今まできました。しかし、今回の科学的な、いわゆる研究の成果で、尿酸を外に排泄するタンパク質を、実は小腸と大腸でも造りだしている、という。それがこの前の報告(今回の発表では、腎臓が全体量の三分の二、腸が三分の一の割合ということです。)です。そうすると、この小腸と大腸が活性化しておけば、尿酸を外へ排泄するタンパク質ができるということですね。そうすると浄霊をする場所は、腎臓と同時に小腸と大腸をよく浄霊すれば痛風には非常に効果があるということになります。

では、なぜ小腸・大腸がこれほどタンパク質を作る能力がなくなっているかというと、その原因の一つにはサプリメントがあるということです。サプリメントは何かというと、本来食べ物を消化して小腸から栄養を吸収して、肝臓と全身に送って、各細胞への栄養にしていくところを、サプリメントを飲むとすぐに吸収するから小腸が動かなくなってくるのです。要するに寝ていて良いわけです。小腸が・・・。

例えば今、たけのこが出始めたでしょ。たけのこを食べ過ぎたらどうなります?

参加者

お通じがよくなります。

楳木代表

お通じがね。いろいろ胸焼けもするし、アクの強いものを食べると胸焼けを起こすし、少しおなかにきたりもします。これは繊維質が非常に強いために、消化するのにものすごく体がしんどいわけです。しかも小腸が一生懸命動かないと、あんだけ硬いたけのこから栄養分を抽出するというのは、小腸がよっぽど働かないといけないわけですね。しかし、このたけのこを食べないで、たけのこに含まれている良い成分をサプリメントで摂りましょうといったら、そんな苦労をしないで体にスッと入ってくるのです。そうすると小腸は全く働かなくてよく、楽をしてしまいます。そうすると楽をするとタンパク質を作らなくなるということにも繋がるので、大きな病気を次に生んでいってしまうということが起きます。ですから、やはり栄養というものは野菜からしっかり摂るということを、我々はこれからも心掛けていかないといけないということを今回の研究発表が教えてくれたと思いますね。

 

そう・うつ病の研究結果とメシヤ様の御教え

楳木代表

それから同じ日にそう・うつ病の研究発表があったけれど、それは見ていませんか?

それは聞きませんでしたか?

参加者

聞きませんでした。

楳木代表

やはり家にそう・うつ病の人がいなければ、そう・うつ病でそんなこと心配することないし、ご主人がどちらかというと糖尿とかそちらのほうの心配があるから、そういうのをみていくわけだね。だから情報がこうやって入ってくるから非常に良いわけですよね。

そう・うつ病の場合は、今までは精神的な面を、今回の教えとは別に、精神的な面を重視して、今まで対応をしてきたけれど、実は脳に欠陥がある場合もあるということが最近わかってきています。

で、脳に欠陥があるということはどういうことかというと、だいたい精神の、例えば、非常にハイになってくる場合があります。お酒を飲んだときにえらい陽気になる人もいるし、ドンチャカドンチャカやりたがる人もいますね。これは脳の中の視床下部というところが、非常にハイになるところをコントロールしています。しかし、あまりハイになりすぎるといけないので、前頭葉の奥のところから視床下部に抑制するホルモンが出てきます。そうするとハイになるところを押さえようとして普通の精神状態にしていくわけですけれども、そう・うつ病の場合にはこっちからの分泌物が出にくいとなるということが最近わかってきたということです。

これは脳科学の世界でありますので、これはいわゆる自閉症の病気の原因を研究すると同時に、脳科学の中で随分わかってきたことです。そうすると、この分泌物が出てこないということはどういうことかというと、これは精密な機械で温度を測っていくと、分泌物が出ないということはそこに熱を持たないということですので、脳が機能しないということです。

で、熱を持たないということは、実は血液が充分そこへ供給されていないということであります。

では、なぜ血液がそこへ供給されないのかということは、医学的にはわからない。しかし、私たちはそのことまで聞くと、御教えを拝読しているので、『日本人と精神病』という御教えを想い出すはずです。首肩が凝っているために、血液を脳におくることが充分にできていないために貧血症状が起きて、それが貧霊現象となっていくのだ、と。

ですからメシヤ様の解説は間違いなかった、と。今脳科学が進んできたからこそ、これが実証されるのだということが一つと。

それからそういうことがわかれば、そう・うつの場合は後ろから脳下垂体を浄霊すると同時に、前頭葉の奥を浄霊しないといけないということがわかってくるわけですね。そして総合的に血液がいかないわけなので、首肩の浄霊をしていくのと、首肩の凝りは腎臓が少し疲れているので、この繋がりを、浄霊をしていけば、そう・うつ病の方々はよくなっていくのだ、と。

このことが研究とメシヤ様の御教えをくっつけていくと、我々の対応の仕方になってくるということです。

ですから、これから『文明の創造』をさらに拝読しながら、医学的な研究と、御教えとをくっつけながら、浄霊をさらに効果的にできるようにしていきたいと思います。

 

ノートに書き留めて、支部で情報のやりとりを

楳木代表

こういう話をすると、すぐに繋げていくということはうろ覚えになってしまうので、それは是非ノート、どんなノートでもいいので、書きとめてもらって支部へ持ってきて話をする、と。そうしてそのことで、自分達で「私も聞いたよ」ということで情報のやりとりをしながら、もしできない場合は「こんなことを聞いたのですが、どうでしょうか」ということで、この勉強で是非尋ねてもらうと・・・。そのやりとりをしながら、我々の知識を豊富なものにしていきたいと思います。それから現実的にこういう人から悩みを受けたということでしたら、すぐに電話ででも聞いてもらって「どこを浄霊したらいいでしょうか?」とか「どのようにアドバイスしてあげたら良いでしょうか」というように聞いてくれれば、それによって取り組んでもらう。そういうことを通して、メシヤ様からいただいている力と智慧をより発揮できるように、これからしていきたいというふうに思いますので、そういうことをお願いさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。

 

書籍〈大往生したけりゃ医療とかかわるな〉

参加者

この頃バスに乗っていると〈大往生したけりゃ医療とかかわるな〉という本が売れていると掲示板に出ていました。

楳木代表

中村なんとかという人が書いている本ですね。今20万部くらい売れているらしいですね。是非買ってきてください。その本を。それを読んでおいてください。

参加者

それと浜松の保険証を持っている人は4月1日から聖隷病院で人間ドックを受けると良いですよということも出ています。

楳木代表

二つでているわけですね。そういう対極的な、医療にはかかわらなくても良いという人と今後も積極的にかかわってくださいという人とね。

割と、くる途中、その本を結構みんな読んでいます。

参加者

そうですか。では買って読んでみます。

楳木代表

そのほか今回のことで確認したいこととかありましたら。

信仰心とは

参加者

『悲劇を滅する』という御論文の中で『見えざる力が見ゆるものを動かすその力こそ、真の信仰の本質である。本教によって現に行なわれつつあるところのものはこれであって、この意味において私は力の宗教というのが本当ではないかと思う。』という部分が印象に残りました。ある方から「信仰心を持ちなさい」と常々言われてきたのですが、信仰心とは何なのでしょうか? 今回のメシヤ講座に出てくる進駐軍の将校の話も信仰心のことと捉えていいのでしょうか?

 

【御教え 『悲劇を滅する』光十二号(昭和ニ十四年六月十一日)より】

此世の中に於て人間が最も厭うのは悲劇であろう、悲劇を全然無くする事は不可能であるが、或程度軽減する事は敢て難事ではない、それに就ては先ず悲劇なるものの正体を検討してみよう。

事実、悲劇なるもののその原因の殆んどが病患からである事は厳然たる事実である、成程病気以外、恋愛問題、物質欲等から生れる不正行為等もあるが、之等もよく検討する時、精神的病患からである事を知るのである、健全なる精神は健全なる肉体に宿るといわれているが、全く真理である、私が永年の研究の成果からみれば、恋愛も不道徳も不正者も短気も大酒癖も怠惰も不良少年も、必ずと言いたい程肉体的に必ず病的欠陥のある事を発見するのである、とはいうものの現代までの医学や其他の方法によっても病患を全治し、霊肉共に健康体になすべき確実なる方法は見当らないのである、仮令(たとえ)その原因は発見し得た処で真に解決すべき方法がなかった、今日迄病原の発見、治療法の確立を完成し得たと誇称するものも現われるには現われたが実は一時的効果を挙げるに過ぎず、何時しか消えてしまう事は、余りにも多かったのである、全く日昏れて径遠しの感なくんば非ずである、本紙のおかげ話中、幾多の実例にある如く難症重症が解決されその喜びと感謝に溢るる心情は涙なくしては読まれない程のものである。

以上の如き病患や不幸の解決は所謂(いわゆる)見えざる力の発現に由るのであって神霊の力の如何に偉大であるかは体験者でなくては知り得ない処である。

一切万事現実と、そうして実証的でなければ納得も得られない現代人であるとすれば如何に巧妙なる理論を説き、教の道を勧めるといえども、現実的効果を見ない限り、結局は空念仏に過ぎない事になり、普(あまね)く人類を救い、社会の福祉を増進する事は夢でしかないであろう。

見えざる力が見ゆるものを動かすその力こそ真の信仰の本質である、本教によって現に行われつつある処のものは之であって、此の意味において私は力の宗教というのが本当ではないかと思う、そうして既成宗教の殆んどはその名の如く教が根本であるから、外部から内面の魂へ向って覚醒を促がそうとするのである、然(しか)るに本教団によって行う処の浄霊法はイキナリ内面の魂に霊光を放射し、一挙に魂を覚醒させるのである、所謂無為にして化する訳で、説教の如きは第二義的のものとするのである、釈尊は即心即仏といい覚者たれば菩薩であるといったがまことにその通りである、本教団における入信者は頗る短期間で等覚を得、正覚に達し、自己の悲劇を顧慮する必要がないばかりか、進んで他人の悲劇を滅消すべき有資格者となるのである。

 

楳木代表

まあ今ですね、皆さん方のお世話になって、本部がいよいよ新しい所を購入する事ができるようになって、5月からそちらで祭典をさせていただくのですけれど、先月報告した岡山の人で、5月5日に発表してくれる方が、子供の時にタイヤが転んできて背骨がグキッと折れたのではなくて、自転車で昔、三角乗りっていうのを練習していましたね? 私もやった覚えがあるけれど、その三角乗りをしている時に、どうしても友達と競争心があって自分が負けないつもりで、暗くなってから練習していたので、それで田んぼにドーンと飛んで落ちたときに自転車が上にガクッと落ちてきたらしいのですよね。そういうことで苦しい生活をしていたけれど、今から35年前に世界救世教に入信して、そしてそれから浄霊を頂きながら少しずつ良くなってきたけれども、やっぱり背中には定期的に痛みが起きたり、どうしても疲れてということが起きていたりしたけれど、この前、3月に、主神様、メシヤ様に心底お祈りしたときに、それがガッガッと伸びたという、まぁ先月お話ししましたね。で、それを原稿にまとめてもらっていますので、来月それを皆さん方にメシヤ講座で発表することができると思うので、それを祈るときの祈り方というのを参考にしてもらいたいと思います。これが一つです。

もう一つはですね、日本自体は自然宗教というのが根底にあります。自然宗教的な考え方。そしてキリスト教は創唱宗教と。大きく分類すると、宗教というのは自然宗教というものと創唱宗教、創唱宗教というのは天地創造の”創”と、それから口偏の唱えるという”唱”の創唱宗教ですが、このキリスト教とかはこちらの部類です。

日本は自然宗教でずうっときたのはどういうことかというと、縄文時代の遺跡を見ると、ほとんど、人を殺傷する武器は出てきていません。遺跡から。しかし、弥生時代に入ってくると人を殺傷する、殺傷能力のある武器が出てきます。

要するに人とそういう戦いがその頃から始まるのですけれど、その前で、一番わかりやすいのは、青森県の三内丸山遺跡に行くと、その海辺の所に高い、今でいう火の見櫓(やぐら)みたいなのが建っております。

栗の木で直径1メートルぐらいの柱が、9本建っていて、海に漁に行った人が帰ってくる目印と、それから山に入っていった人が、日が落ちるまでに帰ってくる目印として建っているわけです。それはどういうことかというと、縄文時代、三内丸山遺跡は6500年前から3500年ぐらい前の遺跡で、そこに塚がずうっと3000年分溜まっているので非常に調べるのに素晴らしい遺跡なわけです。で、それを見ていくとその頃の人間というのは日が上がっている間しか行動できないし、陸地の場合は歩いて何かを取りに行くとか採取して歩いて帰ってくるためのテリトリーというか、領地がそれだけだったわけです。海の場合は船でザーッと行ってまた夜が暮れるまでに帰ってくると。これが大体自分たちの生活をする上での生活圏だったわけです。

だから宗教というものの役割は、必ずどこ以上、どの山より向こうへは行ってはいけないという、そういう掟(おきて)を作ってきたわけです。それはその村人を守るためにそういう掟を作って、それをシャーマンといういわゆる祈祷(きとう)する人達がいつも祈りながらみんなを守っていくのと、実際にみんなを管理する村の長がそういうことを取り仕切っていたわけです。これはどこまでも自分たちの生活を守るためにずうっとやってきたのが延々と続けられてきて、そして、お亡くなりになった人を何歳以上はこちらへ埋める、何歳以下はこちらへ埋めるというような制度をずうっと作ってきながら、古神道という形でだんだん生まれてきたわけです。だから日本の場合はそういう宗教の出方であったわけですね。

ところが、ヨーロッパ辺りは狭い国が土地を争っているために、いつも戦いをしながら領地を取ってかないといけない。領地を取る時に、自分たちの方が正しいのだいうことを持っていかないと戦いはできないために、そこへ宗教が後ろに・・・、我々の守り神はこういう尊い神様なんだということで、その神様を中心に自分たちの神様から選ばれたという選民意識を作り上げながら、宗教というもので自分たちの民族を守ってきたという歴史があるわけですね。そして、その領地を広げていくということをずうっと積み重ねていきました。だからどこまでもそこに働く神様と、それからその神様の教えを取り次いだ教祖という人の教えを中心に宗教というのは出来上がってきたという大きな歴史上ですね、宗教の出来方が日本と海外の場合は違った面があります。

日本は本当に島国なので幸せで領地を取り合う必要が、まあ日本以外と領地を取り合うことは第一次世界大戦までは必要なかったわけですね。途中、豊臣秀吉が朝鮮半島へ出て行ったことはありましたけども、それほどない中でずうっときたために、我々の中に流れてきている信仰というものは自然の有り様とかそういうものを見つめてきて信仰というのを育ててきた部分があるので、教えを実践するという点が非常に弱い面があります。ですから、信仰心を持つといったときには、この教えを実践するというところがこれからの課題だということで、メシヤ様はキリスト教の考え方を大いに取り入れていったわけですね。

まあそういうことがあるので、信仰心とした場合には、そういった我々のお祈りをする神様のことがまずよくわかるということと、次はメシヤ様がお説きになった教えを如何に自分たちが実践するかということで、GHQのいわゆる占領軍の将校の話というのが非常に参考になるということですね。それから、そういうものを証立てるために浄霊の奇蹟というのは非常に、まあ我々に取ってはわかりやすいということですね。

信仰心ということを考えたときには、そういうふうにして理解しておいていただければいいと思うので、また5月のメシヤ講座を是非楽しみにしといていただきたいと思います。岡山の○○さんという人が発表してくれますのでね。73歳の人ですので。今、その人ね、問題のある学校行って、校長室で浄霊したりしています。それで、そこで学校の生徒が、まあ校長が浄霊してやってくれということでね、「浄霊する手が足りないので少し応援してくれ」ということで、〇〇とメシヤ教と合同でそこは取り組んでいるっていうようなことが、今、起きたりしてるので、非常に活動的に動いている人です。とても73歳と思えないぐらい活発に動いている人です。まあそっちの活動の方は、発表してもらいませんけども、自分が長年、35年間、他の教団では御守護いただけなかったのが、メシヤ様と繋がりがしっかりできて、お祈りがきちんとできるようになって御守護いただいたということは報告してくれますので、参考にしていただきたいと思います。

で、話が今出ましたように、これが新しい本部の玄関です。

(iPadに入れられた、新しい本部の写真を見せて頂く)

それで、その門の屋根の下のところに、去年御奉仕のあったメシヤ様のお書きになった「救世(メシヤ)教」という御書を電飾の看板に焼き付けたものを付けるように看板屋に作ってもらってます。そこは比較的、街頭はあるけれど、暗いとこなので、一晩中その看板だけ点けとくと辺りが非常に明るくなるのでいいんじゃないかなと思います。今の本部でも町中だけどやはり暗いところが多いので、大きいこれぐらいの電気の看板があると、近所の人達が一晩中明るいので非常にありがたいというふうに言ってくれているので・・・

 

メシヤ教に繋がらせていただいたことに感謝

参加者

「メシヤ様よろしくお願いします。霊体を浄めさせていただきます。」という気持ちで浄霊するようにしたら、手を挙げていても全然疲れず、自然に手の力が抜けていることを実感し、治らないと言われていた眠れない日もあったほどの左肩の痛みが、自己浄霊する度に段々と軽くなってきました。昨年、長男に連れられて初めてここに来た時には、「救われるにはメシヤ教しかないから行くんだ」って言うからついてきたのですが、「え~何」って思ったのです。「何で私ここに来なきゃいけないの」って。それがもうじき1年になりますが、こうしてメシヤ教に繋がらせていただいたことに感謝し、メシヤ様、楳木代表、力づけていただいている浜松支部の皆さんにお礼申し上げなきゃいけないと、今回どうしてもそれはお話ししたくて。これから学ばなければいけないことがいっぱいあると思いますが、何事も一つ一つ前向きに進んでいかなければと思っております。

楳木代表

まあね、「何でこんなところに来ないといけないのかなあ」 と最初思ったかもしれないけど、この浜松支部も先月からこのような形で神床がキチンと整って、こんなでっかい大黒様がお鎮まりになってくださるようになったので、非常により一層支部らしくなってきたのですが。本部の場合も昔の世界救世(きゅうせい)教時代のもので、御神前がこういう形で三つに分かれていて、どちらかというとメシヤ様を今まで御奉斎していた方が少し広くて、こちら側に大黒様をお祀りしていたけれど、こっちの方が少し狭いような神床だったので、正中が少しずれていたんですよね。だから正中より少しずれたところが神床の真ん中だったので、私がこうやって座ってお参りするとき、こういう鴨居の上のところが少しずれて、電気も少しずれたところで私がいつもこうやって座らないといけない状態だったのです。

ですから、やっぱり本部がいつまでもそういう御神前では申し訳ないので、何とか神床を二間床(にけんどこ)に作り替えようとずうっと願って、やっと檜(ひのき)で作り替えられるくらい貯まったので、それで3月に先月、大工を呼んで、「こういうふうにいよいよしたいので頼む」と言ったら、ちょうど大工が「いやぁ、実は来月まで予定が中々取れないのですよ」と言うので、「それじゃあしょうがないな」というので違う人に頼もうとして、私の同級生が建築設計士をやっているので、その設計士の関係で宮大工か非常に腕のいい大工がいれば紹介してもらおうと思ったときに、「メシヤ教で買いませんか」というので今の物件が急に、御神前を作り替えようと思ったら、急に入ってきたんですね。そしてこの家は今から十数年前に、土建屋さんがバブルのまだ最終時期に非常に儲けていたらしく、もう財力を全部注ぎ込んで、御神前に来ていただくとわかるのですが、御神前を取り巻く柱が全部これぐらいあるんですよ。こんな柱がどーん、どーん、どーんと囲んで八畳二間を作っているんですよ。そして二間(にけん)の玄関の上がり口のところも、こんな一枚板を二間渡してあるぐらい、もう贅の限りを尽くして作っているんですけれど、今年の始めにその土建屋が潰れて、これが競売にかかって何と熊本の建築会社が落札したらしいんですね。そして建築会社なので傷んでいるところ、雨漏りも3カ所ぐらいしていたので、そういう雨漏りを全部修復して傷んでいるところを全部修理して売りに出したところだった。

だから私のところに一番先に話がきたので、じゃあ一回見せてもらおうということで見たところ、中々いい作りで、庭も敷地が261坪あってかなり広いので、これぐらいあれば本部としても恥ずかしくないということで、最初、銀行にあっさり断られましたが、なんとか資金の目処がついたので、出張から帰ってから契約をして、まだその家の前に駐車場にできるところが110坪あるんですけど、その資金はまだもうちょっとお金が貯まらないと買えないんですけど、一応本部の敷地と建物が買える目処がついたので、帰ってから引き渡しをするいろんなことを作業するんですけど、建築会社が売り出したために非常にありがたいのは、さっきお見せした神床の中央にこれぐらいの柱がこう立っていますね。これをのけて総檜で二間床をつくるということは「材料費だけでいいです」という、そういう好条件なので、「手間賃は一切頂きません」という、そういうことも言ってくれたので、じゃあ是非それでやって下さいということで、今、総檜で中に神床を作っているところです。

そして、伊勢神宮の近くで御簾と御幌(みとばり)というのを頼んでいます。御簾は十六弁の菊の紋章が入った、そういう緞子(どんす)を使って御簾を制作して、昨夜出来上がったという連絡はあったんですけれど、正面に御簾を掛けて、その奥に大黒様を安置して、その上にまた一段

高く奥床を作っていますが、その奥床の上からですね御幌というのは通称ですね御幌(みほろ)と言われているものを、布のものを垂らして神域をもう一つ作るという形で、それも出来上がったので帰ったらそれを取付けて御神前ができあがるようになっています。

だから、ずーっと3月からのそういうことを考えると、神様がわざわざこの古い家を修理しなくて、『儂(わし)が用意しているところに移れ』というふうにおっしゃってくださっているように、非常に感じて、それに呼応して信者さん方が皆さん資金の提供を申し出ていただいて、それからこの支部でも献金を上げてくださっているおかげで何とかそういうところを購入して新たな御神業のスタートがとれる態勢が整ったのです。

そして、その後すぐ『文明の創造』を世に出していけますので、『メシヤ様が進められようとされた本来の御神業』を大きく力強く進めさせていただけるような時期を迎えたことに心から感謝をしている次第です。そういうことを最後に報告させていただいてメシヤ講座を終わらせていただきたいと思います。

ありがとうございました。

参加者一同

ありがとうございました。

 

[メシヤ講座no.135 浜松支部 2012(平成24年)04月]