メシヤ講座no.127三重(平成23年8月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』総篇 救い主と贖罪主」(文創  昭和二十七年)

本文は『文明の創造』55ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 三重支部】

 

思春期に感動した御教え-なぜ神様は悪をわざわざおつくりになられたのか

楳木代表

私が御教え拝読を本格的に始めたのは中学二年生の時だったのですけども、その中学二年生の時に拝読した中で、今日拝読して頂いた一番冒頭の部分ですね、

『一体神や仏は愛と慈悲の権化であり乍(なが)ら悪人を作ってをいて罪を犯させ、それを罰するといふのは大いに矛盾してゐるではないか。それならいっそ最初から悪など造ってをかなければ、罰を当てる必要もないから、それこそ真の神の愛ではないか”といふのである。成程此(この)質問は尤(もっと)も千万(せんばん)で一言もないが、実をいふと私にしても同様の考へ方であるから、其(その)都度私は斯(こ)う答へる。“成程それには違ひないが、元々私が悪を作ったのでないから、私には説明は出来ない。つまり神様が何か訳があって悪を作られたのであるから、何(いず)れ神様はそれに就(つい)ての、根本的理由をお示しになるに違いないから、それ迄待つより仕方がない”と曰(い)ったものである。』

この部分が非常に中学二年生の思春期に感動をしたところであります。

若く純粋でしたから、なぜ“悪”をわざわざ作ったのか、ということが大変な疑問点であった訳なのですけれども、それをメシヤ様がこの様にお説きになられたということが、非常に感動しまして、当時の心境としましてはこの様に解説されるという教え方とかそういうものは、それまで読んだことがないし聞いたこともないので“これは素晴らしい教えだ”という、この部分で強く思って、それからズーッと御教え拝読を続ける動機に繋がりました。

だか、ら中学の頃から人生とは一体何かということと、その人生にどういう意味があるのか、ということを御教えに求め続けながら、ズーッと御教え拝読をいたしました。参考にして頂ければと思います。

そしてメシヤ様が長年そういうふうに答えてきましたけども、

『処が愈々(いよいよ)其(その)時が来たので神は其(その)事を詳しく啓示されたので、私は喜びに堪(た)へないのである。』

これが昭和元年の主神様からの御啓示の一番中枢の部分であろうかと思います。こうやって拝読していくと“なるほどな”ということがわかるのではないかと思います。この具体的内容は、今までの『文明の創造』の中でズーッと拝読して来た通りであります。その拝読して来た内容をメシヤ様はこの『救い主と贖罪主』というところで御解説して下さっておられるということです。

 

教祖になる人は人を救う言葉を身につけると同時に真理の御啓示を神様から受ける

楳木代表

それから2ページ目になるかと思いますが、

『処が愈々(いよいよ)悪の期限が来たので、主神の直接的力の発揮となった事で、茲(ここ)に私といふ人間を選び、善と悪との根本義を開示されたのである。それといふのは今迄の各宗開祖は力が足りなかった。』

ということでありますので、メシヤ様が前段の御啓示をいただくと、信仰読本の「祈りの栞に寄せて」の中にですね、「教祖」という項があります。

教祖はどうして教祖になれるかということが書いてあります。そこを参考にして、ここを読んで頂きたいと思います。教祖というところとこの部分を繋げてここを拝読して頂きますと、教祖になる人はいろんな苦労をしながら人を救う言葉を身につけます。

それと同時に真理が神様からの御啓示として下ります。神様から御啓示が下ると同時に力を授けて頂きます。

例えば以前の話になかでは、美空ひばりというのはお亡くなりになった後も何回も何回も特別番組でやっています。そして、その歌を聞いているとみんな“ああ、いいな~”と思いますね。

これは美空ひばりという天才少女がいたということと、それを広めて行こうという取り巻き、スタッフ達が練り上げて美空ひばり像というのを作り上げて行きます。この作り上げて行くときに独特の力がみんなの知恵で出来上がっていって、ああいう歌姫というのが出来上がってくるのです。

才能というのは絶対音階を持っているのと、伴奏と百分の一のスピードも狂わないで歌い続けるというのが歌手の中では必修条件になります。今は踊りながらのグループがあったりして見せながらの歌というのもあるのですけども、プロが聞いていて伴奏と全く狂わないで歌えるというのは美空ひばりと後数人しかいなかったと言われております。

しかし、それが晩年には狂い始めたので“もう長くないな”とまではゆかなくとも、“この頃変だ”とプロ達は思っていたら、ああいうふうに早くお亡くなりになったということです。

そういうものを見ていくと、教祖と似ているところは歌を聞くだけで、みんなに力を与えるとか、生きる勇気を与えるとか、そういう独特の力を歌手というのは与えられて生まれて来ています。

それは、あの歌手が好きだから得る力、まあ自分の力になったとか癒してくれるそういう関係です。

男性の場合我々の世代から言うと石原裕次郎とかに憧れたりしている為に感化を受ける歌い方をする。

そこへいくと教祖という人は、好きであろうが嫌いであろうが、バッーッとくれるような力をある神様から与えられて教祖になってくる訳ですね。これが客観的に見た教祖の誕生の仕方ということであります。

 

主神様から根本義を示されたのはメシヤ様だけ

楳木代表

しかし、私達はメシヤ様を絶対の御存在として仰ぐことができるのはこの、

『主神の直接的力の発揮と処が愈々(いよいよ)悪の期限が来たので、主神の直接的力の発揮となった事で、茲(ここ)に私といふ人間を選び、善と悪との根本義を開示されたのである。』

という御記述の内容であるからです。この根本義を開示されたのはメシヤ様だけですので、主神様から開示されたのは。だからメシヤ様には主神様からの直接的力が…直接的力がくるのでメシヤ様から我々に。霊線を通して浄霊力として授けられるわけです。

この関係が明確にわかっていないとメシヤ様の御力をさらに世の中に宣べ伝えて行くということになかなかなりにくいのです。

とりわけ若い方々はそういう宗教の構造というのをね、キチッと頭の中で理解して、そして主神様とメシヤ様の関係を持って信仰というのをズーッと育んで頂きたいと思います。

 

次の世代でメシヤ様のお役に立つ子育てをしよう

楳木代表

特に三十代、四十代の方々はね。そして、その思考の形態を持って子育てをして頂きたい訳ですね。子供が学校へ行き始めていろんなことを学んで行く、節目節目にそうした思考形態ということを教えこんであげて頂きたいと思います。こういうとをやっていかないと、次の世代で真にメシヤ様のお役に立てる人間が育って行きませんので。

ユダヤ教の家庭では、正しいか正しくないか、真実かそうでないかということは別にしてね、

毎日そういう教育を親が子供にしていっている。しかも、それを何千年前のことを昨日のことのように語り聞かせている、というのが教育の根幹の中にありますのでね。

そういう姿勢をぜひ育てていって頂きたいと思います。

 

メシヤ様の教えによってこそ、十字架の形を真に理解できる

楳木代表

それで次に、

『キリスト自身は贖罪主といったが、救ひ主とは曰(い)はなかった。贖罪主とは読んで字の如く、罪の贖(あがな)ひ主である。つまり万人(ばんにん)の罪を一身に引受け、主神に謝罪をし、赦(ゆる)しを乞ふ役目である。早くいえば万人(ばんにん)の代理者であり、赦(ゆる)される側の神で、赦(ゆる)す方の神ではなかった。其(その)為罪の代償として十字架に懸(かか)ったのである。』

とあります。だから、この十字架の形を真に理解できるのはこのメシヤ様の教えによって理解できるのです。

キリストがなぜ磔になったかということは聞いたことがあるでしょう。最近の映画では十字架をかつがされて丘へ登っていって、そして丘の上で十字架を立てて、立てる前に手首に太い釘を打ち込まれるでしょう、それで吊るされるわけだから、どんなに手が痛いか想像しただけでも打ち込まれるだけで痛いので、そこへ今度は体重がかかる、生半可な痛みではないですね。キリスト教の信者さんでさえ、その理由について真剣に考える機会はあまり無かったのではないかなと思います。

 

キリストは主神様に謝罪をし赦しをこう役目

楳木代表

十字架にかかったという事を、実はメシヤ様は『主神様に謝罪をし赦しをこう役目である』というふうに仰っておられます。それはその時もそうだっただろうし、その十字架をズーッとお祈りし続ける現在のキリスト教も実は赦しをこう祈りを本来し続けなければいけない、ということです。

その赦しをこう中身は何かというと、いわゆる聖域である日本を侵略した素戔嗚尊の蛮行と、それから今度その素戔嗚尊が聖域を乱したところへ神武天皇が中国から来て制圧して覇権主義を日本に根差してしまった。そして、その結果ズーッと武力で日本を治めて来て最終的に第二次世界大戦まで繋がったということですね。第二次世界大戦まで繋がってその時に神風が吹いて日本は敗戦を迎えたと。この敗戦を迎えたからこそ世界救世(メシヤ)教は生まれたわけですね。

このおおよそ三千年間の流れと、今回の御論文というのはくっつけてぜひ拝読をしていってただきたいと思います。

 

仏教の根っこは伊都能売神皇様の教え

楳木代表

すると日本の神様が素戔嗚尊が来て皇位を譲れと迫って来た時に、絶対平和主義の伊都能売神皇様が密かに日本を抜け出て、そしてインドまで下っていってインドの補陀落山で結跏趺坐する中で、お釈迦様が訪ねて来てお釈迦様に日本の考え方を教えたわけです。これが仏教の根っこになったわけです。

そして、お釈迦様はいろんな人を済度しながらズーッと伊都能売神皇様から教わった事を構築して来たのですけども、やっとその中身が七十二歳の時にわかったということです。それが見真実なのです。七十二歳になってこれから本当のことを説いて行くというのが弥勒出現成就経であり法華経二十八品であるわけです。

で、ある教団から『文明の創造』の英訳発刊の時に、仏教界に配慮してこの部分については明確に書く事ができなかったわけです。仏教界は真実を知らないから今の仏教で意義を唱えるわけです。その意見を聞いてしまうと真実にならないのです。

ですからどうしてもこの『文明の創造』を創り上げるということは「禁断の木の実」のことと弥勒出現成就経と法華経二十八品というのが見真実を得た後の真理に気付いたということでお釈迦様が発奮したということが世に出ていかないことには、世界を救うということにはならないのです。ズーッと止められて来たのだということです。

このことを三重支部の人は良くわかっておいて頂いて、校正作業をやって頂きたいと思います。ですから『文明の創造』をここで校正するという事は、人類史上偉大なることをやっているのです。自分達に自覚がないかも知れませんが、実は素晴らしい御神業を担っているのだということを自覚して頂いて、『文明の創造』の校正作業に取り組んで頂ければ大変有難いと思います。

 

我々は一厘の力を持って御神業をする

楳木代表

三ページ目になると、

『処が茲(ここ)に主神は深奥なる真理を愈々(いよいよ)開示される事となった。此(この)著に説く処明快にして些かの疑点なく、何人も容易に真理を掴み得るのである。そうして今迄強大なる悪の力が一切を九分九厘迄掌握し、後一厘といふ間際(まぎわ)に来て、意外にも茲(ここ)に一厘の力が現はれ、邪神の謀略を一挙に覆(くつが)へすのである。』

この御神業が私達の御神業だということですね。ここはもうギュウギュウに線を引いておいて下さい。我々は一厘の力を持って御神業をするのだと。

だから自分達も本当に世界人類の中の一握りのいわゆる御神業の発起人なんだ、と。実はもうメシヤ様が六十年も前に打ち出しては下さっているのですけども、当時の弟子の方々がそのことを真に受け止めることができなかった為に六十年間ズーッと延ばされて来たのですけども、今もう一回メシヤ教としてやろうとしているので、それを支える、あるいは共に御神業に臨むということは、ここなんだ、というふうに繰り返し繰り返し読んで見て下さい。

 

医学を是正-容易ではないからこそ、やり抜かないといけない

楳木代表

それから一番最後に

『之程世界人類から固く信じられてゐる医学を是正するのであるから、容易な業でない事は言う迄もない。』

確かに容易な業ではない為に、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団の中でも最終的には医者に罹るように罹るように指導してしまっています。容易ではない、ということを、もうここでメシヤ様は予言されておられるわけです。

昭和二十七年にね。しかし容易ではないからこそやり抜かないといけないという意義がここにありますので、私達はこれをやり抜くんだという決意をより一層膨らませて頂いて、御神業に臨ませていただきたいと思います。ということをお願いしておいて、いつものように質疑応答に移りたいと思います。

 

九分九厘の悪とは現代医学-九分九厘と一厘のことがわかっていかないと御神業とは言えない

受講者

即ち九分九厘の悪とは現代医学であって・・・とハッキリと現代医学を悪だとお書きになっておられます。ここをしっかりと我々はわかっておかなければいけないと思います。

 

楳木代表

そうね。御神業そのものの姿勢が違ってくる。このことがわかっていると。このことがわかった上で信仰していかないと、信仰している意味が全くないということになります。

普通の信仰だったらやっている意義があるのですけども、メシヤ様の信仰としてやるからにはこの九分九厘と一厘のことがわかっていかないと御神業とは言えないのです。

 

受講者

ここを読んでいると、お釈迦様よりもキリストの方が贖罪主としてメシヤ様に赦しをこう意味合いがハッキリ出ているので先に書かれたのではないでしょうか。

 

楳木代表

それはそうでしょうね。

 

御教えの話をすると温度が上がる

楳木代表

暑くなってきましたね。御教えの話をすると温度が上がってくるのです。

岡山支部の発会式の時も、体の表面は冷房で涼しくなっているのですけども

体の中からカッカと熱くなってくるのです。やはり御光をいただくということは内側から熱くなってくるのですね。冷房は効いているのですが、効かない。

 

受講者

仏典は数百年後に弟子達が纏めたと聞きました。聖書もそうでしょうか。

 

楳木代表

聖書は直弟子達がある程度十二人の弟子達が書いているから。

 

受講者

そういうことからすると、御教えはメシヤ様が直接お書きになっておられる

ということはすごいことですね。

 

楳木代表

イエスキリストの時代には紙はまだできていなかったけど革に書いて多少残っているのでね。お釈迦様の時代には紙が無かったからね。

 

イエスキリストと素戔嗚尊の関係

受講者

イエスキリストと素戔嗚尊の関係は?キリストは素戔嗚尊の生まれ変わりでしょうか。

 

楳木代表

そういう話もあるのですけども、そのものだということではないと思います。素戔嗚尊が一番最初に犯した罪が六千年前で、猶太教を作ることを通して詫びをしたのですね。それで次が三千年前で、それでまた向こうへ行ってキリストにお詫びしながら教えを説いた。この辺は明確に書かれていないので良くわからないですね。

 

受講者

それではまだメシヤ様にお詫びしていない素戔嗚尊というのは?

 

楳木代表

それは○○様にかかった素戔嗚尊でしょう。

 

受講者

ああそういうことですか。最後の・・・

 

楳木代表

最後の素戔嗚尊ですね。まあ、出雲へ帰って行ったのですから三代目でしょう。

 

課題を持って次の宗教編の校正作業を行おう

受講者

『之は神示によれば五六七の数字を現はす為で、此(この)数字こそ深い意味が秘めてあった。即ち五は日(火)、六は月(水)、七は地(土)であり、之が正しい順序であって、今日迄は六七五の不正な順序であった。』

のところの意味はどのように解釈すれば良いのでしょうか。

 

楳木代表

もう宗教編の校正を始めていますか?

 

受講者

はい。

 

楳木代表

そこに出てくるでしょう。宗教編にね。ですからその課題を持って次の宗教編の校正作業を行なって下さい。○○さん。その答えがそこへ出てきますから。

 

支部長代理

それでは最初に○○さんに校正して頂きましょう。こうして課題を持って校正すると良いですね。

 

楳木代表

それから岡田茂吉全集の中に観音講座というのがありますから、観音講座にもこの解説がされていますので。ぜひ観音講座も拝読をして頂ければ有難いと思います。

 

メシヤ様の教えの根本がわからないと、医学科学は『錯覚』に気付かない

受講者

『医学を是正する』とメシヤ様が仰っておられますが、今までは必要あって医学も残されてきた。それをわかって見識を持っていなければいけないのですけども、科学も医学も物凄く進歩が早いですね。何年か先にはいろんなことが解明されて行くのだと思えますが。そうした時にその進歩発展した科学は、御教えを良く自分の中で吟味して科学が正しいのだろうなというところまでいけるのでしょうか。

 

楳木代表

行けますが、メシヤ様がお説き下さっている根本がわかっていないと行けません。例えば手術は、肉体的な不具者を作ってしまうから間違っているということです。そして、それで病気が治ったと錯覚しているということです。

病気が治るということは、肉体が健全化するから治るわけで、切り取ってしまって症状が治まったことを治ったと勘違いしているわけでしょう。メシヤ様はそのことを指摘されておられるのです。

だから医者が手を加えて肉体が完全に治れば、それは評価している。その考え方でみて行けば間違いないでしょう。

そして歯医者はそれは大工仕事みたいなものですから、脱いたり入れ歯を入れたりするのはこれは良いのだと。

歯と一緒でカルシウムに関係のある骨折とかはある程度きちんと繋いであげないと、骨は自分でくっ付いて治って行くのですけども、曲がってくっ付いてしまいますから。骨接ぎは必要なわけです。曲がったままくっ付いてしまうと歩けなくなくなるから。ですからそういうことを是正するということは、これは必要なことだから。

だから何でもかんでも医療が駄目だという事ではなくて、人間の持っている力によって、自分の体を修復して行く時に、それが元の形に修復するように補助するということはこれは必要な事です。

 

医学の必要性

楳木代表

だから怪我してボコボコに血が出ているのにね、浄霊だけするというのはこれは無謀でしょう。

ですから一応止血しつつ浄霊した方が浄霊する方も安心できるでしょう。それから受けている人達も安心でしょう。一応縛って血を止めてという事は、やったって悪い事ではないのです。

 

救命について

受講者

人工呼吸もそうでしょうか。

 

楳木代表

人工呼吸もそうですね。それから今はあちこちに備え付けられている電気でバーンとやる。

 

受講者

AEDですか。

 

楳木代表

AEDは人体の仕組みがわかっているからできるわけで、それで生き返った時に体に損傷は全くないから。電気の流れを作ってやるという事においてね。

可能性においては私達は浄霊をするけども浄霊を知らない人達はあれを当てるというのは命が助かればね、その方が良いわけですから。

私は若い時に水難救助の資格をとったのですけども、溺れた人を立ち泳ぎでね後ろから救助します。立ち泳ぎで、何百mも泳げないと救助なんてできない。そんな訓練をしました。

夕べ「また陽は昇る」というドラマやっていたでしょう。あれで立ち泳ぎの練習をやっていたでしょう。泳いだ人は前からいったら助けられないから。後ろに回らないとね。

しかも、相手の手に届かないようにしないと、相手にしがみつかれたらこっちも死んでしまいます。相手がしがみつかないように冷たく救わないと。だから後ろからズーッと行って顎に手をかけて離れて泳がないと、相手の手がこっちにまとわりついたらもう泳げなくなるから。そしてしがみつかれたらどうしたら良いか。

 

受講者

水につける

 

楳木代表

正解、潜れば相手は離すから。それでもう一回後ろに回って顎に手をかけて後ろ向きに泳げば助けられます。それには体力が入ります。

 

受講者

沈まないのですか

 

楳木代表

後ろに引っ張るとね浮いてくるから沈まない。あれはね、水を飲むから沈んで行くのです。

噛まれないようには注意しないといけません。指を噛み切られないようにね。それでスピードつけて泳がないと沈んでしまう。

 

受講者

練習したのですか

 

楳木代表

そうです、そういった練習や両手を挙げて立ち泳ぎの練習をしました。まあ、私が習ったのは古式泳法と言って泳ぎながら紙に筆で書くのです。

 

夏休み特集-子供達に

楳木代表

(子供に)

休憩しないで何メートル位泳げるようになったの?

 

受講者(子供)

八百メートル位です

 

楳木代表

八百泳げれば大したものです。陸上と、走る時と呼吸法を逆にしないといけないのでこれが難しいですね。

走る時は鼻から吸って口から吐いた方が良いけど、泳ぐ時は口から吸って鼻から吐かないと水が入っちゃうから。この呼吸法と体の動かし方を覚えればもうお手のものです。

走るのが遅い人は呼吸法を知らないから遅いわけでね、口で息しながらハッハッとやると全然早く走れない。鼻は下向いているからね、口を空けると口に空気が入ってくるからスピードがでない。それで百メートルの時は息なんかしないでしょ。呼吸する暇はないでしょう。そういう事をきちんと身につけば軽く走れるようになる。

それでね、走る時の勝負は手の振りにかかっていますから。手を振り上げたら足も上がってきます。ですから陸上は手の振りが綺麗に動いた方が早く走れるようになるのです。

この子は走るのが早いかな?遅い?じゃあ手の振り方を教えてあげて。それから次に膝を上げる練習ね。

(子供に)

腕立て伏せみたいにしてごらん。

(子供が言われるように動作する)

それでね膝を胸に付ける、片方づつ。それを片方十回ずつやるのです。これを毎日やると足が物凄く上がるようになる。

 

受講者

瞬発力ですか

 

楳木代表

瞬発力というより足運びが良くなるので転ばなくなります。卓球でもね、今みたいな練習は良いと思いますよ。今日は子供達の夏休み特集になりましたね。

でね、子供達が大きくなってきた時に、親が読むべき一番良い本は明治大学の齋藤孝さんの本ですね。親が読んでね親が実践しながら声の出し方というのを声の出し方をキチンとしていくとこれから数学が難しくなってきた時に、数学が難しいのは文章を読んで理解しないといけないから。

それは声の出し方を訓練しておくと、その文章をキチンと読めるようになる。

文章を理解すればそれに数式を当てはめて行けば良いから数学はドンドン伸びて行きます。これを親がわからないで、勉強しなさい勉強しなさいと言うので子供は嫌になるのです。勉強の仕方の基礎をああいう本を読んで、子供達に教えて行けば子供達は自然と勉強ができるようになります。自然と。

「声に出して読みたい日本語(齋藤孝著 草思社)」

それで最初股割りをしてそれから声を出す練習とかすると物凄く良い声が出るようになります。

 

受講者

股割りはいつするのですか

 

楳木代表

股割りしてから声を出す練習をするのです。股割りすると体がほぐされるからすると声がより出てきます。声がより出てくるようになると日本語が綺麗に聞こえてくるのです。日本語が綺麗に聞こえてくると書いてある内容がわかってくるのです。

(子供が股割りを実践する)

これは齋藤教授が指導していることです。そうしてから御教えを拝読すると御教えが良く入ってくるから。声が出るようになって力を入れて読むと響きが物凄く良くなります。で、世界救世(メシヤ)教教義を読めば拝読しているだけで気持ち良くなってきます。するとね、御教えを次から次へと響かせたくなります。

 

受講者

黙読より音読の方が良いということでしょうか

 

楳木代表

子供の頃は音読の方が良いです。大人になって色々調べ物する時に音読してたら時間がかかっちゃうからね。

声を出す練習をすると言葉自体が美しくなるから良いのです。

それから算数の基礎は数字だから、数字を言って行けば良い。イチ ニ サン シ ゴ ロク ・・・

とね。すると数字の概念が頭の中に入ってくる。そしてこれを足すとどうなるかとかね、自然とわかってきます。

だからね昔風呂に入って百まで数えさせていたでしょう。あれは非常に良いですね。山へ登って景色を見ながら数えると景色とともに数字の概念が芽生えてくる。

それから日野原氏は毎日首と肩の体操をしているそうです。ですから、あのお年で活動ができるのです。実は私もいつも朝お風呂に入ってシャワーを首と肩に当てながら体操をやる事にしています。するとほぐされるから。

 

真の祈りとは-参拝について ダイジャスト版

楳木代表

○○さん、月次祭来ないと今ドンドン「メシヤ教」の取り組みは進んでいるからね。休むとね、えらい事になっている。

それで先達が一人で祝詞を奏上して皆がお祈りをする、形式はまだ何回も経験していないかもしれませんが、なぜこのような形になったかと言いますと、今までの参拝の先達はね、

みろくおおみかみ まもりたまえさきはえたまえ

おしえみおやぬしのかみ まもりたまえさきはえたまえ

と言ったあとにお祈りをする時間があったでしょう。するとそのお祈りと善言讃詞はどうかと比較して見た時に、善言讃詞こそ祈りであるわけです。後ろの方をズーッと拝読すると

『仁慈の御胸に抱かれん  吾等が日々の施業にも』

吾等が日々の施業にもというと施術ということなので、施術の業というふうに解釈するというのが、浄霊を中心とした救いの業というのともうひとつは仕事職場での仕事ですね。

『吾等が日々の施業にも 妙智を賜ひ眞覚を得さしめ 家は富榮え』

これこそが人間の生きていく上においての最大の祈りでしょう。この祈りをきちんと響かせないで、いくら頭を下げてお祈りしたところで大した祈りにはならないのです。メシヤ様が我々信者に対して代りにつくって下さった祝詞だということなのです。

『家は富榮え 壽は永く無医藥に』

だから薬を用いないで長生きをさせて下さい、と。そして 善徳行を重ねる中で福壽海無量の大功徳を垂れさせ賜へ座せ、と。ですからここに祈りを集中させて祝詞を響かせない限り・・口早に祝詞を唱えてもね。響いているだけですね。自分の祈りが入ってこないでしょう。

そしてそういうふうな文言を唱えて最後に

『念々從心 下座頓首』もう下座から幾重にもお願いしますというふうにするのが、『念々從心 下座頓首』ですから『跪伏禮拜願ぎ申す』とお願するということです。これが皆でお参りしているとね『跪伏禮拜願ぎ申す』の意味など全くわからなくなる。

跪伏とはひれ伏しているわけだから。そして禮拜してお願いたします。というのが『跪伏禮拜願ぎ申す』だから

そのことを神様に対してきちんと意味を持って唱えていかないとあまり奏上している意味がなくなってしまいます。

まあそういうことを認識して頂きたいためにね、先達者が一人で唱えて、ただその先達者は十人集まったら十人の中で一番立場の高い人がお祈りの言葉を唱えるという姿勢が参拝の度に必要だということです。

最後に御神名を唱える時には御教えから行くと、高位の神様の御神名を唱えるだけで光を頂けると。ですから低い氏神様などの御神名を唱えるとそれなりの光をいただくというわけです。

最高位の御神名を唱えるからこそ強い光を頂けるのです。

主神様は181段の頂点の神様ですから、その御神名を唱えるわけなので、「その御神名を唱えさせてお頂きます」という姿勢で御神名が出て来ないといけません。こういうものだからこのように唱えるのだ、というのでは本来の光を頂けない。

一呼吸おいて「最高神の御神格の一番頂点にある神様の御神名を只今から唱えさせて頂きます。」

という気持ちを胸いっぱい膨らませて、

『主之大御神 守り給へ 幸倍給へ』

と唱えてこそ、その御神格に相応しい光を頂けるのです。

そういう姿勢を持ち直して頂きたいと、そうしたらその御神名を唱えただけで光を頂けているわけですから、感謝に溢れた気持ちになって

『惟神霊幸倍坐世』

と唱えて頂きたいということですね。惟神(かむながら)というのは「神様の御心のまにまに」なので、参拝するのにここへ座った時に、メシヤ様が御覧なっておられるのは腹の中を見ておられるわけです。『本当に惟神(かむながら)なのか』と。

そういうふうな姿勢で、逆に自分に問いただしてね。そして『霊幸倍坐世』と魂を太くして頂いてね、そして一層幸せに恵まれるようにね、適えられていくんだと。これが参拝の時にもう一度我々が確認しておかなければいけないことなんだという事です。

まあこの何ヶ月間をダイジェストのように編集すると今のような話になります。今回は「夏休み特集」と合わせて「ダイジェスト特集」になりました。それでは時間になりましたので終わらせていただきます。

 

受講者一同

あとうございました。

 

<来月の御教え>

「『文明の創造』総篇 地上天国」(文創  昭和二十七年)」