メシヤ講座no.126浜松(平成23年7月)

<今月の御教え>

『文明の創造』総篇 健康と寿命(文創 昭和二十七年)

 

【メシヤ講座 浜松支部】

メシヤ様は人類を幸福にするために医学を批判解剖するのであって、医学と対立するわけではない

楳木代表

6月の「地上天国祭」で頒布させていただいた『文明の創造 (二・下)』は、拝読してみましたでしょうか・・・・・?

今回掲載のところでは、書き出しのところに『私は之から医学を全面的に批判解剖してみるが、其(その)前に健康と寿命に就(つい)てもかかねばならないが、現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなければならない筈(はず)であり、それと共に漸次(ぜんじ)延びてゆかなければならない道理であるばかりか、そうなる迄に数百年で充分であるのは勿論(もちろん)、現在最も難問題とされてゐる結核も伝染病も全滅するし、病気の苦しみなどは昔の夢物語になって了(しま)ふであらう。』とあります。

今回掲載した項目と頒布した『文明の創造(二・下)』を関連して考えてみますと、結局、『医学を全面的に批判解剖する』というのはどういうことかと言うと、【人類を救済したい】ということなのです。メシヤ様の御心は・・・・・。

メシヤ様は【人類を救済したい、幸福にしたい】ために、当時の医学では人々は助からない、寿命は延びない、健康にも恵まれていかない、だから批判解剖するという御姿勢です。だから医学と戦うわけではないのです。対立することでもないのです。人類を救うために批判解剖するのだ、ということです。

だからこそ、頒布した中(二・下)では、種痘の発見を評価されています。

これは人類が救われた部分があったから評価したのです。しかし、救われない部分は、メシヤ様は評価されないということですので、ブログ「岩戸開き」でも『抵抗力の考え方の違い』として御指摘されている内容を紹介しているのです。この根本を見ておかないと・・・、どうしても「薬はダメだ」とか「手術はダメだ」というと、医学界とメシヤ様が対立関係にあるような認識をしてしまい、これではよくないのです。

そのことを、今回の書き出しでメシヤ様が『医学を全面的に批判解剖する』というように書かれている、メシヤ様の御心というものを再確認しておいていただきたいと思います。

 

現在の〈間違った事〉とは

楳木代表

それから二段落目に『最低百二十歳』は生きられるということですので、○○さんは、あと40年は充分生きられるということですので、頑張っていただきたいと思います。『間違った事さへしなければ』と、その下に書いてあります。昭和27年当時の〈間違った事〉というのは、メシヤ様は医学による薬ということを中心に書かれていますけれども、現在は平成23年です。現在の平成23年の〈間違った事〉というのを指摘してみてください。

浜松支部が最初にメシヤ教になったところですから、先頭を歩いている人たちが間違っている事を指摘してみてください。現在の・・・・・。

参加者

新しい薬をどんどん開発してそれを投与しているということです。

参加者

添加物がたくさん入っている食べ物を食べているとか、農薬をたくさん使っている野菜を食べているとか。

楳木代表

農薬が出たら、ペアになっているものは?

参加者

化学肥料です。

参加者

便利な世の中になって我慢ができなくなっているので、私たちも考え方を変えていかなくてはいけないのかなと思います。

楳木代表

その中の間違っていること。百二十歳まで生きられない間違ったこと。
「これがなければ百二十歳まで生きられそうだ」という間違ったことですよ・・・・・。

参加者

テレビやCMの情報に流されてしまって本当は違うのに良かれと思ってやってしまっていることです。

楳木代表

その間違ったことというのは・・・・・?。メシヤ様は『間違った事さへしなければ』とおっしゃっているので、その間違った事を挙げていかないと・・・・・120歳まで生きるためには「これ」、「これ」と挙げていかないと百二十歳まで生きていけなくなってしまいます。

参加者

熱中症対策と言って、子供に必要以上に水を飲ませて自分の身体での保水能力を下げてしまったり、「身体のためにサプリメントを飲みましょう」と言って飲んでしまったり・・・・・・。

参加者

予防接種もこれをしないといけないと言われて、うってしまっていることです。

楳木代表

体質を変えてしまっているということですね。

参加者

予防接種も私たちは「はしかでも出してしまったほうがいい」と教わったのですが、今では「出さないほうが良い」と言って、なんでも予防接種をうってしまうことです。

楳木代表

大体頭に浮かぶことはそんなことですか?

参加者

エアコンの中にいることが多いので、自分で体温を調節することが出来なくなってしまって弱くなってしまったと思います。

楳木代表

それは体質を弱くしてしまったということですね。他にはどうですか?

参加者

手術をしてしまうことです。臓器をとってしまって・・・・・。

楳木代表

メシヤ様は『肉体的には臓器をとってしまっては、結果的にかたわにしてしまっている』と御指摘されています。それを『病気がよくなったと錯覚している』とも御指摘されています。しかし、『肉体的には不具者を作ってしまっている』とおっしゃっていますね。

参加者

大気汚染もそうだと思います。

楳木代表

はい。

参加者

安易に医者に行き、安易に検査を受けすぎだ、ということです。

楳木代表

そのほかにはいかがですか?
すぐに答えられないのは、浮かばないような思考形態をしているということである

楳木代表

これはね、今、すぐにみんな頭に浮かんでこないから答えられませんね。浮かばないような思考形態をしているということです。

だから〈間違った事〉を言うときには、〈間違った事〉ということを頂点に置いて、それを細分化していくときの順番の思考が出来てないから、あまり気がつかないのです。

メシヤ講座の勉強でいつも指摘してきているのは、何を指摘しているのかと言うと、先ずは《心言行》と《衣食住》 です。

だから《心言行》と《衣食住》 とした時に、今みんな言った「薬を服む」とか「安易に検査を受ける」 というのは、これは《衣食住》の生活全般の姿勢にあたる部分です。そして「添加物や農薬、化学肥料」は《食》になります。そうすると《衣》がまだできてないでしょう。

参加者

化学繊維を使った洋服を着ているということです。

楳木代表

婦人病ができた最大の原因はナイロン製の下着を使ったということです。それから生理用品が純粋パルプ製品を使わないで、再生紙パルプを使った生理用品を使った場合は婦人病になっていくのです。化学物質を使っているから。そういう風に分析をしていかないと、人を救済するということに繋がっていかないのです。《衣》の部分で他にはありませんか?

参加者

洗濯をする時に合成洗剤や柔軟剤を入れてしまうので、それが身体に入ってしまうことです。

楳木代表

そうです。ではなぜ身体の中に入ってしまうのですか?

参加者

直接身に付けるからですか?

楳木代表

直接身につけて、と言っても正確ではありません。

それは化学洗剤の場合は界面活性剤が入っているので、皮膚を広げてしまうのです。界面活性剤がなぜ汚れを落としていくのかというと、界面活性剤が繊維の網目を広げて、そこに洗濯剤が入っていくので綺麗にしていくのです。それが付いていると、その洋服だけでなく、人間の皮膚も広げて入っていってしまうのです。だから合成洗剤がいけませんよ、というのは、そういう理由からです。だいぶ良い所にきがつくようになってきましたね。

《食》 というものをもう少し見つめていくと、例えば家からここに来るまでにコンビニがあると思いますが、コンビニに入ったら、夏はとりわけ気をつけないといけないのです。弁当を買った場合。弁当を作っている人は絶対食べないでしょう。コンビニの弁当は。なぜ食べないのでしょう。

参加者

消毒や添加物がたくさん入っているからです。

楳木代表

そうでしょ。冬の間は容器を消毒しておくだけでよかったけれど、夏は詰める時にもう一度消毒するでしょ。だから、コンビニの弁当は消毒だらけ。それを食べているとガンになっていく可能性があるということが言えます。

それから今、良い食材を提供している会社をその会社から買っている人たちが批判していますが、どんな点かわかりますか?

要するに、その会社の製品を使っている人たちは、良い食材を使って家族に特に安全なものを食べさせようとしているのです。良い食材を使って家族に安全な食事を提供しようとしているのに、その会社の方向は出来たものが増えてきているということです。食材が増えるのではなく、出来たものが増えているのです。これは結局最初の願いから離れてきてしまっているのです。これは企業としてやり始めると必ず陥ることなのです。だから、どこまでも安全な食材を提供する。しかし、若い人たちに売り込んでいこうとすると、どうしても完成品を提供していかなくてはいけない、ということになるのです。こういうところに、その企業も大変なジレンマがあるということです。こういうことが起きてくるのです。料理ができれば、良いものを使って料理をしようと思うけれど、料理ができないから・・・・・。まあ九州なんかでも、から揚げが非常に売れているというのは、自分の家でから揚げを揚げると、ガスも使わなくてはならないし、電気も使わなくてはならないし、台所も汚れるので、から揚げは買ってくるものだということになってしまい、家でから揚げを揚げる人が断然減ってきてしまっているということです。何とも恐ろしい世界にみんな移行してきてしまっているのです。

そういうことをずっと考えていくと、まあ大体《衣食住》というのは、住環境もいつも言っている通りでね25年以前に作った家は良いけれど、まだ25年経っていない家は化学物質が非常に使われるようになってきているので。それから今、建築しようとしている人は、非常に恐ろしい建材、柱になってきています。無垢の柱は段々使わなくなってきています。ガンガンと貼って中が空洞の柱を使うようになってきています。これは地震にはこっちのほうがいいという評価をされていますが、実は貼り合わせて作っているということは、化学物質を使っているということです。木というのは水分を吸ってくれます。この柱が上までいっている場合はこの木一本でコップ一杯分の水分を吸ってくれます。そして、乾燥の時期になると、水を少しずつ出して調整をしてくれます。しかし、その貼りの柱だとその調整の機能がグンと落ちてしまいます。ということは人間にとっては良い建材とは言えなくなってきてしまいます。

参加者

泥壁のほうが空気は良いということですからね。

楳木代表

一番分かりやすいのは珪藻土というのは、そういうものを吸ってくれるから。水分も吸ってくれるしね、だから非常に空気が良いということです。

参加者

私の家の前に、今新築の家があって、その家を建てだしてからとても疲れるようになってしまい、窓を開けていると気持ちが悪くなるのですが。

楳木代表

多分そういう建材を使っている影響でしょう。要するに持ってくるときに密閉してくるから。そして来たら、パーッと開くでしょ。そうすると辺りに撒き散らされて、風向きによって自分の家に来るので、風向きにあわせて窓を開けたり閉めたりしなくてはいけないということです。

参加者

とにかく昼も夜も眠くなるほど疲れてしまい、夜自己浄霊をしながら寝ていると何度もトイレに起きるようになりました。

楳木代表

それ(排尿)が良いことです。トイレに行くというのは良いことだけど、体調が悪くなるというのは、その化学物質の影響です。それと化学物質の影響と同時にその建材を使うと、中が空洞になっているのでシロアリが入りやすいのです。だから防虫措置をするから、余計に悪い。建てる段階で。だからその建材を使うと二重三重に悪いということです。

しかし、コストは下がり、耐震構造になるという売りでやっているわけですが、実は健康ということを考えていないということになってきますのでね、健康を第一にした住環境を作るということが大事になってきます。

そういう風にして《衣食住》を分析して改善を試みてください。改善を試みるときには、今、様々なサイトで、インターネットで調べることができるので、珪藻土で塗ろうとすれば、珪藻土を塗るための下地を塗るのにしても、今、無添加の下地が出ています。自分で塗れば、非常に安くできます。だいぶムラもできるけれどね。ムラを模様のようにしていけば、デザイン性もでてきます。工夫をすれば、良いものでも非常に安くできます。これが《衣食住》ですね。

それから《心言行》はいつも言っているので、改めてお話しなくてもわかるでしょうけども、支部で受け入れをしている人たちは、こういうことをしたらスラ、スラ、スラーと出るように、もう一回頭をしっかり整理しておいてくださいね。宜しくお願いします。

 

50歳を過ぎたら徳を施す人生を

楳木代表

それから、その下をずっと拝読していくと、年齢別に整理しています。そして、皆さん方はどのへんになっているかはわかりませんが、『五、六、七月は新緑から青葉の繁る夏の季節で、木の実はたわわに実るが、それを過ぎて気候も下り坂になって、愈々(いよいよ)稔りの秋となり、之から収穫が始まる。人間もそれと同じやうに、此(この)頃は長い間の労苦が実を結び、仕事も一段落となり、社会的信用も出来ると共に 』 と書かれています。それから『そうして種々の経験や信用もあり、それを生かして世の為人の為出来るだけ徳を施す事になるのである』とあります。

ですから、50、60、70歳くらいになって経験や信用ができたので、そこから徳を施すことができるようになるのですよ、ということですのですね。だから70、80歳になってやっと徳を施すことができるようになるので、ここにいる70代、80代の方々には頑張っていただきたいと思いますので、おばあちゃん、宜しくね。頼みますよ。○○さんは家に来た人に浄霊をしてあげているそうですから、おばあちゃんも徳を施してください。社会的信用と、経験があるのが大体70歳くらいでできあがるので、そこから本当の意味で徳を施す事ができるのですよ、ということですので、ここのところを一つ年配者ほどよく読んでいただきたいと思います。

で、60代の人たちはだいぶできたかどうかをチェックしていかないといけないね。あと60年生きなくてはいけないから、これからの人生は徳を施す人生にしていかないと。

 

『無智』からの脱却を

楳木代表

さて、そういうことをずっと読んでいくと、メシヤ様は最後に『その無智なる、哀れと言っても云(い)い足りない位である』とおっしゃっています。

だから無智ということは、そういうことが無智だとおっしゃっているのです。自分達もメシヤ様とご縁をいただいて、御教えをこれだけ拝読させていただいているので、その御教えをもとに社会を見つめると、さっきのような〈間違った事〉の分析ができるようになります。その分析ができる人が《無智から脱却した人》 ということになります。社会の流れの中に流されていって、未だに皆さん方が指摘したような生活をしている人は『無智』だということです。そういう人が『無智』な人だということになります。

そこから気づいた人が『無智』から脱却した人だということだ、と。

で、お釈迦様が今から2千数百年前におっしゃった、人類の不幸は何か、という以前話したことがありますね。一番有名な仏教の言葉です。「人間の不幸は無智だ」ということなのだと。だからお釈迦様も2千数百年前に【無智】とおっしゃっている。

そして今、メシヤ様がまた『まだまだ人間は無智である。哀れな状態だ』とおっしゃっているのは、この【無智】ということですので、我々はそういう【無智】から一歩でも二歩でも脱却させていただいて、より幸福に近づいていくように歩いていきたいと思いますので、今回の御論文からはそういうことをお願いしておきたいと思います。

それではいつものように質疑応答に入らせていただきたいと思います。

 

人間の想念は本守護神、正守護神、副守護神の三位一体の綜合体である

参加者

子どもから「普通の時の私と違う時の私とどちらの私が好き?」と聞かれますが、どのように返事をすれば良いでしょうか?

楳木代表

「メシヤ様の御教えに沿って私は生きているので、そのメシヤ様の御教えからすると人間の想念というのは、本守護神と正守護神と副守護神の三位一体の総合体が人間の想念である」と伝えます。

そういう意味で、「そのすべてを私は愛しているのだ」と答えてください。

「○○ちゃんのそのすべてを私は好きなんだ。愛しているのだ」と。想念というのは、正しいことばかりでできているわけではありません。やはり動物霊の働きと、ご先祖の働きが加わって人間の想念が出来上がるわけなので・・・・・。

その想念を包んでいるのが○○という子どもだから。だから、その子全体を私は愛しているのだ、ということを強調すべきです。この部分が好きで、この部分が嫌い、とかいうことではなくて、全体を愛しているのだ、と。だから、もしそのことについて「どっちの私が好き?」とかいうのを聞いてくるのであれば、これは動物霊に間違いなし、と判断してください。

参加者

二、三歳で憑いた動物霊ですか?

楳木代表

うん。それに間違いない、と。どうなのだ、と。このように聞けば良いです。「私は、メシヤ様の御教えに基づいて今は話しているのだよ」というふうにして答えてあげてください。

参加者

たぶん、その動物霊が話していると思うのですが、最初は嫌がっていましたが、最近「浄霊やってくれないのー?」と言うようになってきました。

楳木代表

なるほど。それも救われたいからです。それに向かってずっと浄霊していけば救われていくから・・・・・。

参加者

それが、ばあばが「浄霊をしてあげる」というと言うと、とても嫌がるのですが・・・・・。

楳木代表

それはなんで嫌がるの?

参加者

「もうやらないでー」「うるさーい」とか言うのでやめます。

楳木代表

そういうときにはやらないで、しばらく経ったら「ばあばにお願いしたら」と言って。

参加者

ばあばに浄霊をしてもらったときの方が、夜荒れます。

楳木代表

なるほど。

参加者

それは?

楳木代表

良いことです。それは表に出るから良いことなので、できるだけ浄霊をしてもらったほうが良いのです。なにしろ、こういう問題は表に出ないとダメなのです。隠していて大人になって出ると大変なことになってくるから。

だから子どものうちに出てそれを浄めていっていれば、あとは安心だから。

アトピー性皮膚炎の人も、子どものときにせっかく出ても抑えてしまっては大人になってから取り返しのつかない状態で出てしまうでしょ。子どものときに全部出してしまっておけば、大人になっても安心だ、ということです。で、アトピー性皮膚炎という名前をつけてしまったから良くないね。昔あれはなんて言っていた?この辺りでは?

参加者

体毒と言っていました。

楳木代表

この辺ではもう体毒と言っていた?

参加者

あかちゃんが生まれたばかりに頭に出るのは「くさけ」と言っていました。

参加者

私たちは体毒と言っていました。「体毒が出るだで、良いら~」と言っていました。

楳木代表

この辺では体毒と言っていたのだね。あれが本当はうんと出れば。あれがアトピーと同じなのだから。

参加者

私の子供はそれが出なくて、口のまわりが泥棒さんみたいになっていました。

それで「漢方薬は大丈夫だから」と医者に言われて、二、三歳になるまで漢方薬と塗り薬を使っていました。

楳木代表

それで抑え込んでしまったから、中に溜まってしまったから。そうすると霊が憑(つ)きやすいのです。

 

【御教え 『悪人は病人なり』栄光百三十一号(昭和二十六年十一月二十一日)より】

此(この)標題を見たら、誰しも首を捻(ひね)るであろう。何故なれば、悪人でも、健康そうに見える者も沢山あるからで、寧(むし)ろ悪人の方がそういう人間が多い位だ。

然(しか)し之(これ)は表面から見るからで、内容即ち霊の方は立派な病人なのである。というのはいつもいう通り、悪人というものは悪霊が憑依して、本守護神を押込め、正守護神を蹴ッ飛ばして、早くいえば其(その)人の霊の大部分を占領して了(しま)い、悪霊自身が主人公になり済まし勝手気儘(きまま)に振舞うからである。

其(その)悪霊とは、言う迄もなく、狐、狸、龍神、其(その)他の動物霊であるから、其(その)行為は動物と大差ない事になる。従って人としたら到底出来得ない程の、無慈悲残虐な事を平気で行(や)る処(どころ)か、反って面白がる位だから、如何(いか)に人間離れがしており、常識では考えられないかが分るのである。

といっても人間誰しも副守護神、即ち動物霊は生れながらに憑(つ)いている事は、私が教えている通りであるが、之(これ)も人間の生存上止む事を得ないので、それは体欲が必要だから神は許されているのである。処(ところ)が悪人となると新しく動物霊が憑(かか)る場合と、元から居る右(上記)の副守護神が動物の本性を表わす場合との両方がある。ではどうして其(その)様になるかというと、つまり其(その)人の霊に曇りが生じ、其(その)曇りが濃厚になるに従ってそれ相応の動物霊が憑(つ)く事になり、憑(つ)くと前述の如く、人間の本霊の方が負けて了(しま)うから、彼の思い通りになって了(しま)い、活躍するのであるから、悪人とは即ち霊の曇りが原因であって、其(その)霊の曇り通りに血液も濁るから、何(いず)れの日か猛烈な浄化作用が必ず起るのである。其(その)場合曇りの程度の苦痛が生れる。それが不時の災難や、病気其(その)他の不幸の原因となるのである。面白い事にはよく大悪人が些(いささ)かでも反省の念が湧き、仏心が起ると間もなく悪事が露見し、捕まるという事をよく云われるが、それはヤハリ浄化が発(おこ)ったからである。又悪旺んなれば天に勝ち、天定まって人に勝つという諺なども其(その)意味で、つまり人間は心に曇りが溜ると、苦しみによって浄められる天則の為である。

斯(こ)うみてくると、悪人になる原因は吾々から見ると霊の曇りで、立派な病人なのである。勿論大悪人程、浄化も猛烈であり、大苦痛が起り、大病人となるのは言う迄もない。処(ところ)が霊に曇りが生ずるという事は、本守護神に力、即ち光が足りないからで、それを免れるには宗教によらなくてはならないという訳になる。従って信仰に入り、常に神に向っていれば、霊線を通じて神の光が魂に注入され、光が増えるから曇りが減る口で、その為動物霊は苦しみ、居侯の方は早速逃げ出すが、元からいる副守護神は縮んで了(しま)い、悪は出来なくなるのである。

此(この)理によってみても、神に手を合わさない人は、何時(いつ)如何なる時、何かの動機に触れて悪人になるかも分らない危険があるのだから、無信仰者は危険人物といってもいいので、現代社会は此(この)危険人物が多いかは、右(上記)によっても分るであろう。全く社会悪が一向減らないのも右(上記)の理に因るのである。従って現在如何に善人であっても無信仰者である限り、真の善人ではなく、言わば悪人の素質を有(も)っている善人に過ぎないので、無信仰者には絶対気は赦(ゆる)せないのである。昔から人を見たら泥棒と思えというのは、無信仰者を指したものであろう。

処(ところ)が右(上記)のような簡単な理屈でさえ、今の偉い人も政府当局者も、全然判らない結果、宗教を否定し、法のみに頼って悪をなくそうとするのであるから如何に間違っているかが分るであろう。

 

参加者

出るものは出たほうが良いですね。こどもの時には体毒が出て、かさぶたみたいのがたくさんできたら、出るだけ出たほうが治ると言われていました。

楳木代表

そうなのです。そういう線でいっておけば良かったのに、やはり美しくしたい、美しくしたい、と言うことですぐ止めてしまうのです。

参加者

なんでもすぐに医者にかかってしまうからね。

楳木代表

そうなんですよ。そういうのが出ていかないといけないわけです。

 

夏でも寒い方への浄霊は

参加者

私の友達で毎年夏になると汗は出なくて寒くて歩けなくなり、食欲もなくなってしまう人がいますが、それはどういうことでしょうか?食べることができず、歩くこともできないので、タクシーに乗って医者に行って点滴とかしているようですが。他の季節は普通に過ごせるのですが。暑い夏になると太陽のもとに出ることも出来ず、寒いと言って靴下を履いたり長いズボンを履いたりしています。

楳木代表

その人は浄霊をいただくことができますか?

参加者

まだ浄霊をしてみたことはありませんが、浄霊で良くなりますか?

楳木代表

はい。まず腎臓をよく浄霊してください。腎臓をよくすれば、そういう症状はだいたい良くなってきます。腎臓が活性化していないのでダメなのでね。それと後ろ頭の延髄のところ。延髄と腎臓をよく浄霊してください。

汗が出ないということはほとんど新陳代謝ができないということですから。

参加者

浄霊をやってあげれば良いと言うことでしたら、やってみます。

楳木代表

やってみてあげてください。お願いします。

 

『夜の時代』の考え方から、『昼の時代』の考え方へ

参加者

家で朝拝や夕拝を始めると、子ども達がふざけだしたり、けんかをしたりするのですが。

楳木代表

それは浄霊不足です。寝入ったときに後ろ頭を浄霊してください。微熱があるから落ち着かないのです。だから夜寝た時によく浄霊しておけば・・・、毎日だよ、そうすれば段々と少なくなってきます。要するに御神前でお参りをすると、光が出始めるから浄化し始めるのです。浄化し始めると、そういうものが段々と出てくるから。そういうことをお参りすることで見せていただける訳ですから、大変有難いということです。それを問題と思うことが夜の時代の考え方だということになるのです。そうやって光をいただくと出てくるわけなので、夜しっかり浄霊していこうということになるのです。

参加者

それが今回の「メシヤ講座」で楳木代表がおっしゃっている《『夜昼転換』の歴史観が不可欠》ということですか?

楳木代表

そうそう。切り替えてないので、腹立ってくるからね。「何で真面目にやる時にやらないの!」と。

参加者

出していただいているということですね。

楳木代表

そうそう。だから夜のうちにしっかり浄霊をして、後ろ頭、特に頭をきれいにしておけば、そういうものは出てこなくなってきます。

参加者

御玉串料をあげさせていただくときに、私と子どもの名前であげているのですが、本当はどうですか?

楳木代表

月次祭とかの時には連名で良いし、家でお参りする時には自分の願いだから、自分だけで良いのです。それで子どもの願いがあるときには、それで子供の小遣いだけであげるときには、子どもの名前であげれば良いです。親が出すときには、親と子どもの連名で上げれば良いです。

何でも難く考えていくと『夜の時代』の考え方になっていくから、夜から脱却していかないといけません。自分が先ず、『昼の時代』の考え方に変えていこう、変えていこう、としなくては。

参加者

『夜の時代』の歴史観ということの具体的には何かなと思ったのですが、ひとつひとつすべてがそうだということですね。

楳木代表

そう、すべてを『昼の時代』の考え方にしていかないといけないのです。

参加者

自分の考え方が『夜の時代』」の考え方なのか、『昼の時代』の考え方に変わってきているのか確認しながらいくと・・・・・。

楳木代表

そうそう。それともう一つは教育の根本は後ろ姿でするのだから。口でするわけではないから。教育とは自分の後ろ姿でするという姿勢を持っておかないと、いくら口で叱ったって何の教育にもなりません。いつもお母さんのやっている姿がずっと子どもに刷り込まれていって教育になっていくのだから。

だから、今の△△さんの完成品は、そのお母さんの後ろ姿を見てできたということです。そのお母さんは自分のお母さんの後ろ姿を見てできあがってきたということです。子どもというのは自分の後ろ姿で育っていくのだと。だから子どものいやーな姿が見えたら、自分が教え込んだの

だ、と思わないと。そうしないと反省もできないでしょう。だから、そういうので、笑い冠句とか作ってみれば。子どものことが目につき「叱ってみれば自分のこと」とかいってね(笑い)

参加者

では自分の親を見て、“こうなりたくないな”と思うことは自分で直していけば良いのでしょうか?

楳木代表

そういうのが反面教師というものです。反面教師はそれだから。だから親の嫌なところが見えれば見えるほど、それを教師にして自分がそうならないように努力していけばいいのです。そうすれば自分が立派になっていく、と。だからすべて自分が立派になるようにしていかないと。自分が爆発してはいけないのです。飽和状態になって爆発しないように、自分が立派になるように目指していかないといけないのです。

参加者

今の状態は自分が立派になるためにあると思えばいいのでしょうか?

楳木代表

そうそう、こういう存在があるのだ、と。ありがたや、ありがたや、と思っていかないと。

参加者

他人に対してもそうですか?あの人は嫌だなと思ったら、それを見てそうならないように自分も変えていけば良いのでしょうか?

楳木代表

相手が変わるかどうかはわかりません。他人様だから。だから近寄らないか、自分の考え方を変えていくか。そして、「自分はあのようにならないようにしていこう」と考えていけば良いです。先程、やたらと検査を受けたらどうこうという話もあったけれどね。実はうちの母親も敬老会仲間に誘われて検診を受けてしまったのです。

そうしたら、「大腸がんの再検査が必要」と通達が来ました。だから「どうしようか」ということになったのです。私は「検査をしたら必ず大腸がんになるよ」と答えたのです。被爆するわけだから。細かく検査していけば。

だから「確実に大腸がんになりたければ検査を受けたらいいよ」 と私は言ったのです。自由なのだから。「大腸がんになりたかったら検査を受けにいきなさい。そうしたら大腸がんになるから。しかし、救われたかったら浄霊をお願いしなさい」 と・・・・・。

そうしたら、今度は寝込んでしまって・・・・・。朝と夜、浄霊をしていたら、やはりしこりがあったから、それが医者から言わせるとそれがガンの疑いということになるのです。しかし、しこりは薬毒の塊だから、それが溶ければよくなっていきます。検査を受ければガンと診断されるし、浄霊をいただいていけば、そのしこりが小さくなっていけば、それでよくなっていくわけなのでね。朝2~30分と夕拝が終わった2~30分、ちょうど私が家に居た時期なので丸2日浄霊をしたら塊が随分小さくなり、本人もよくなったみたいで、朝拝、夕拝に上がって来られるようになったのでね。私も忙しいから、その後は夕拝の後浄霊をしてあげるだけになりました。浄霊をすると、私を産む前に結核の薬を二年間ずっと服んでいたので、薬の臭いがしてきます。未だに。とりわけ背中をしていると薬の臭いがします。

参加者

もう何十年も経っているのに・・・・・。

 

楳木代表

しつこいのです。昔の薬は特に。だからその臭いがなくなるまで浄霊をしていかないといけない、ということで・・・・・。出張に出るときには元気にしているので、私も安心して出ることができるのですがね。「私もこれで終わりなのかしら」なんて言っていたのですがね。日常、気が強い人はそういう風になった時に本当に気が弱いからね。だから犬の遠吠えと一緒で、弱いものほど吠える。強い人は黙っているのです。何があってもじっとしていて、どうしても許せない時にガッっとかみつくからね。そういう人間が強い人間で、弱い人間はガーガー言っています。

それがね、おとなしくて小柄で上品な人ですが、どうしても許せない事があったときにはっきりと言ったという立派な人がいます。今月は更に楽しみに移動していくのですがね。皆さんにも会っていただきたいくらい上品で立派な魂を持った男性です。

今月は今度の土曜日に出雲支部ができます。出張所はまだ御神体をいただいてないので、正式な発足にはならないけれど、そういう御用をさせていただくことになります。

参加者

世界救世教葬というのはありますか?

楳木代表

世界救世(きゅうせい)教のお葬式はありますよ。

参加者

新聞のおくやみの欄に書いてあったので。

楳木代表

私も、教団専従時代に何回か葬式をやったことがあるけれど・・・・・。

参加者

神式みたいなお葬式ですか?

楳木代表

葬式よりも通夜祭のほうが大事なのです。通夜祭に神霊遷しをして、位牌に代わる御霊璽に遷っていただくのです。その御霊璽を通して葬式をするのですが、そのときにはしぬびというのを奏上して、その人が生まれてからお父さんとお母さんの名前で、誰と誰の間にどこでという○○生まれし○○というとこから唱えていって、人生でこういう功績を残して、こういう子供を残して、世のため人のためにはこういう生涯だったということを祝詞風に唱えて、それから玉串奉呈をみんなでして、今では菊をお供えして、それから善言讃詞を奏上するのです。そういう祭式です。式次第はそんな感じです。だからお坊さんの代わりに参列者500人くらいに御教えに基づいた説教とかを、10分くらいの簡単な説教だけどね、そういうこともありました。葬式の中では説教はしないけれど、通夜祭で説教はします。

そんなこともやりましたけれど、メシヤ教はやりません。

そういうことはお寺に任せます。

では時間になりましたのでこれで終わらせていただきます。

ありがとうございました。

 

[メシヤ講座no.126 浜松支部 2011(平成23年)7月]