メシヤ講座no.110日月地(平成22年3月その2)

楳木先生への質疑応答17〜個人から家庭へ

 

(御教え「本教と天国化運動」より 昭和24年7月20日)

本教の最大目標たる病貧争絶無の世界とは言うまでもなく全世界をして、天国化する事である。それには先づ個人を天国化し、家庭を天国化し、社会を国家を、終には全世界を打って一丸としたる天国化であって、之こそ凡ての宗教が理想として未だ達し得なかった処のものである。

 

質問者   前回の質疑応答の内容は、一言であらわすと「個人の天国化」であったと思います。地に足がついた生活、祭典の意義、伊都能売思想、全て個人の天国化から始まるものです。個人の天国化は、それこそ、一人一人が日々精進邁進すべき課題でありますが、次にある「家庭の天国化」については、更に一歩進まなければなりません。家庭は個人の集合体ですけれど、夫婦といえども、それぞれの育った環境、人格、考え方、役割、全て異なっています。その、全く違う人間同士が、一つ屋根の下で家庭を営み、そこを天国化していくという事は、文章にするとシンプルに表現されますが、実践するとなると、それこそ、全ての御教えに含まれている内容を実践させて頂く中で、成り立って行くものだと思います。

 

現代社会において、親子、夫婦のコミュニケーションがうまくいっていない事から起きる社会問題が後を絶ちません。本日は、地上天国の型である「家庭の天国化」について、お話をお伺いしたいのですが。

 

楳木先生   この問題は、「簡単な様で難しい」という様に皆感じているのですけれど、これこそ、メシヤ様の追体験を心がければ良いのではないかと思います。家庭を天国化するにあたって、メシヤ様がどのような事を心がけていらっしゃったか。

 

質問者   まず思い浮かぶのが、メシヤ様と二代様がお出かけになる時のエピソードです。メシヤ様は、何事もお早いですから、「出かけるよ」とおっしゃるともう玄関に出ていらっしゃる。ところが、二代様は、万事悠々としておられたので、何だかだと時間がかかって、やっと玄関にお出になったかと思うと、忘れ物を取りに戻られたり、車に乗って走り出してからでも、忘れ物を思い出して引き返されたりしていた。メシヤ様はその度に、「やれやれ、またか」という様なお顔で我慢してお待ちになられていたという事です。

 

楳木先生   その時に、我慢してお待ちになられていたのか、どう考えられていたのかという事ですよね。『景仰』を拝読させて頂いても、先達の方々からお話を聞かせて頂いても、例えば、二代様が明日の朝の献立をメシヤ様に御伺いした時に、メシヤ様は、味噌汁の具の中身まで説明されていらっしゃったというお話があります。普通の家庭だったら、「何でもいいよ」で済ませます。

 

質問者   そうですね。「何でもいい」「任せる」で済ませる事がほとんどですね。

 

楳木先生   子供の教育にしても、「俺は外で働いているのだから、お前がちゃんと見ておけ」で終わってしまう訳です。その点について、メシヤ様の御姿勢というものは、味噌汁の具の中身までおっしゃっていた。あれだけ大きな事業をされた御方なのに、そこまで細かい部分までお話をされていたのです。

 

質問者   ご飯を作る側の立場に立って、自分も共同作業する様な気持で、そのようにお答えになられていたのだと思います。

 

楳木先生   例えば夫婦はどうあるべきかという事について、今の時代に当てはめると無理があるかも知れませんが、メシヤ様は御教えで『妻は夫を気持よく働かせるようにし、夫は妻を親切にし安心させ喜ばせるようにする』と述べられています。「家庭の天国化」において、家庭を構成する人が心がけるべき事は、こういう事なのです。そして、子育ては、夫婦力を合わせて、叡智を働かせて、子供の将来を考えながら育てなさいという事ですから、叡智を働かせないといけないという事になって来ます。そうすると、最近では、脳の研究が非常に進んでいるので、何故女性が長電話が出来るかという事が言われているのですが、男は、長電話出来ないですよね。

 

質問者   出来ないですね。電話というものは、用件を伝える為のものですから、わざわざ電話で長話をする必要はないと思います。男が長電話する時は、相手が女性の場合ですね。用件が終わっても中々切らないから、仕方なく長電話になってしまいます。

 

楳木先生   それは、男と女の脳のしくみが違うから、と言われています。男性は、電話をしながら他の作業をする事は中々出来ません。女性は、他の作業をしながらでも電話が出来るから、長話が出来るのです。

 

質問者   電話で話している間も、脳の中では、会話とは別の他の作業が行われている訳ですか。

 

楳木先生   そうです。例えば、女性はテレビを見ながら電話出来ますね。テレビが面白くなってきたら、そちらに集中して、電話の方はパーセンテージが下がる、そして、テレビが面白くなくなってきたら電話の方のパーセンテージが上がる。そういう脳の使い方が女性には出来るらしいのです。男は、大体は、一つの事しか出来ないですから。

 

質問者   テレビを見るなら電話は後回しにして見る、電話をかけるならテレビを見ないでそちらに集中する、二者択一です。

 

楳木先生   それは、脳の使い方の問題なのです。そういう事を家庭生活に当てはめて行くと、男と女はそれぞれ持ち味が違うから、役割分担が必要になって来ます。

 

質問者   他人であれば、長電話しようが何をしようが、初めから自分と違う人間であるという認識が強いから問題は起こりません。しかし、夫婦、親子、兄弟というものは、他人として割り切れるものではないから、また、どこか自分と同類であるという意識があるから、脳の構造の違いを含めて、人間の違いを認めようとせず、自分と違う部分を中々受け入れられないのかも知れません。

 

楳木先生   それから、何故男と女が一緒に暮らさなければならないのかという事です。

 

質問者   脳の構造まで違う人間同士が共に暮らす訳ですから、ある意味、大変な修行であるとも考えられますね。

 

楳木先生   全く違う、異質な者同士が暮らすという事を、修行と考えるのか、あるいは、どういう風に考えるのかという事です。

 

質問者   何か、新しい物を創造する上においては、異質なもの同士を組み合わせた方が良いという事もあります。

 

楳木先生   結局、男と女が一緒に暮らすという事は、外部へ出て行くとストレス社会だから、そのストレスが「家に帰る事によって消える」家庭が天国と言えるでしょう。しかし、家庭に帰ってもストレスが消えない場合がある。

 

質問者   消えないどころか、家に帰ったら更にストレスが増えるという家庭が多いのではないでしょうか。

 

楳木先生   「家庭天国」がうまくいかない事に関しては、そこが一番の原因です。

 

質問者   家に帰りたくないお父さんが増えていますからね。帰っても居場所がないから、仕事を無理につくって残業したり、休日出勤したり、また、それとは逆に、夫が帰ってこない事を妻が喜んで、外出の予定を立てたり、世の中、そういう事が多い様な気がします。

 

楳木先生   それでは、家庭天国は成り立たないですね。基本的に、男と女は何故一緒に暮らすのか、それは、一緒に暮らした方が、良い事が多いから暮らす、という風に考えていかないと、どうしても、男は、「家族を養っているんだ、食わしてやってるんだ」という言葉が出て来てしまいます。

 

質問者   その言葉が出る様では、『夫は妻を親切にし安心させ喜ばせるようにする』からは程遠くなりますね。

 

楳木先生   そうです。「俺に従え」という事になってしまいますから。

 

質問者   今でもそういう事はあると思いますけど、最近は、女性も社会に出る様になりましたから、昔程そういう言い方は多くないと思います。しかし、それでは、女性が社会に出る様になって、自立する様になったからと言って、それが「家庭天国」につながっているとは思えません。

 

楳木先生   やはり、二人とも仕事を持っているにせよ、男と女が一緒に暮らす事にどういう意義があるのかという事を考えて行かないといけないという事です。そうすると、やはり、二人で暮らす事によってストレスが消える様にして行かないと、このストレス社会の中で、長生きが出来ない訳です。

 

質問者   そうですね。一緒に暮らしている相手がストレスになってしまう様では、家庭を持つ意味がなくなってしまいます。しかし、御教えに『それには先づ個人を天国化し、家庭を天国化し、社会を国家を、終には全世界を打って一丸としたる天国化であって』とある訳ですから、さて、個人を天国化した、しかし家庭を天国化出来なかった、仕方ないからこの部分を飛ばして社会を国家を、世界を天国化しようとしても、そういう順序では物事は進まないですよね。私達は、景仰を拝読して、メシヤ様がどのような家庭を営まれていたのか、もっと学習し、深く考える必要があるという事です。

 

楳木先生   景仰で、メシヤ様のお子様方が書いていらっしゃる思い出の中に、『寝坊してもよいから挨拶だけは必ずいらっしゃい』とありますね。メシヤ様は、家庭生活の中で、「挨拶」を非常に重んじられていらっしゃったという事があります。これが「朝拝」の原点です。これを現代風に解釈して行くと、現在、家庭内での会話が少なくなっていると言われていますが、会話の原点は挨拶なのです。だから、家庭では先ず挨拶が大切で、自分でそれを心がけて、子供に躾けて行く。こういう事が疎かになると、家庭天国の条件が揃わないという事になります。それから、先程の話に出た様に、献立を相談された時に、「それはお前の仕事だろ」と言ってしまったら、その時点で、奥さんは聞かなくなります。

 

質問者   夫婦が力を合わせて、共に家庭を築いて行くという姿勢ではなくなりますね。

 

楳木先生   「お前の仕事だ」で片付けてしまえば自分は楽なのだけど、そこで一緒に考える事によって、奥さんの気が楽になります。

 

今回何故くどくどとこのような話題を持ち出したかと言いますと、明らかに違う特性を持った男女だけれども共通する特性もあるということを認識していただきたいからなのです。それは、現在の脳科学では、“私達の脳は、私達が考えている以上に利他的に出来ている”ということが解っているそうです。

 

脳科学者の茂木健一郎氏によると「脳の中では、うれしいこと、生きる上で役に立つことが、ドーパミンという報酬物質の形で表現されています。この物質がどれくらい出るかによって、その人にとってのうれしさがわかる。このドーパミンという報酬物質は、他人のために何かをしているときにも分泌されるのです。われわれは案外、他人のために何かをするのは、うれしいのです。」ということです。

 

このことは、今後「家庭の天国化」に限らずあらゆる面で認識しなくてはならないことです。御教えの『利他愛』の重要性を科学的に裏付ける内容だからです。

 

メシヤ様の御一生の中では、家庭天国に向けていつも努力をされていたという言い方をいたしましたが、その御姿勢こそが天国天人なのだということです。「我慢して」とか「辛抱して」ではなく、「努力」されていらっしゃった。いつも、積極的に、家庭を天国にされようと考えられていたのです。

 

その言葉が集約されているのが、御教えの『私というもの』です。

 

[メシヤ教鎌倉支部にて 2010(平成22)年3月15日]

 

 

 

御教え『私というもの(「地上天国」7号、昭和24年8月30日)』

 

曩(さき)に「私の観た私」という論文を書いたが、先の客観論と違い、今度は主観的にありのままの心境を描いてみようと思うのである。

 

現在私ほど幸福なものはあるまいと熟々(つくづく)と思い、神に対し常に感謝で一杯だ。之(これ)は何に原因するのであろうか。成程私は普通人と違い、特に神から重大使命を負わされ、それを遂行すべく日夜努力しており、それによって如何に多数の人々を救いつつあるかは、信徒諸士の誰もが知る処であろう。

処が私のような特殊人でない処の普通人であっても容易に行われる幸福の秘訣があるからそれを書いてみるが、書くに当って先ず私の常に抱懐している心境を露呈してみよう。

 

私は若い頃から人を喜ばせる事が好きで、殆(ほと)んど道楽のようになっている。私は常に如何にしたらみんなが幸福になるかということを念(おも)っている。これに就いて斯(こ)ういうことがある。私は朝起きるとまず家族の者の御機嫌はどうかということに関心をもつので、一人でも御機嫌が悪いと私も気持が悪い。此(この)点は世間と反対だ。

世間はよく主人の機嫌が良いか悪いかに就(つい)て何よりも先に関心をもつのであるが、私はそれと反対であるから、自分でも不思議のような、残念のような気もする。こんな訳で、罵詈怒号のような声を聞いたり、愚痴や泣言を聞かされたりすることが何よりも辛いのである。又一つ事を繰返し聞かされる事も随分辛い。どこ迄も平和的、幸福的で、これが私の本性である。

 

以上述べたような結果が、私をして幸福者たらしむる原因の一つの要素であるという理由によって、私は「人を幸福にしなければ自分は幸福になり得ない」と常に言うのである。

 

私の最大目標である地上天国とは、この私の心が共通し拡大されることと思っている。この文は些か自画自讃的で心苦しいが、聊かでも裨益する処があれば幸甚である。