メシヤ講座no.108日月地(平成22年1月その1)

楳木先生への質疑応答11〜浄化の認識

 

質問者  あけましておめでとうございます。それから、鎌倉支部発会おめでとうございます。今年も宜しく御願いいたします。

 

楳木先生  こちらこそ、宜しくお願いいたします。

 

質問者  今回のご質問は、昨日メールでお送りした様に、「九分九厘と一厘の闘い」「火水土」「文明の創造」についてと考えておりましたが、先程の発会式でのお話を聞いているうちに、こういった事を、もっと生活に即した視点から見て質問しなければならないと心を改めまして、御教えの内容の直接的な質問ではなく、生活の上で起こる様々な事実に即した質問に変更させて頂きます。

 

まず、「メシヤ様御降臨祭」で、三重支部の吉田さんが発表されました「娘のアトピー性皮膚炎、火傷に御守護」の体験報告から感じた事です。吉田さんは、三重支部に御浄霊に通われて、お嬢様のアトピーの症状が落ち着いた所で、自宅でお鍋のお湯がお嬢様にかかって大火傷をしてしまうという事故に遭われていらっしゃいます。そして、体験報告の中で、その事を、「浄化」と受けとめる事が出来ている事に大変感動しました。

 

普段、どれだけ御教えを拝読させて頂いていても、いざ突発的な事故が起きると、それを「浄化」と捉える事はなかなか出来ないものです。とんでもない事をしてしまったという後悔、また、何故自分はこんな目に遭わなければならないのだという意識、物事を悪い方へ考えてしまう癖というものは容易に取れるものではないと思うのですけど、吉田さんがあの様な報告をされたという事は、三重支部での取り組み、勉強会、そして事故が起きた後の三重支部の責任者の方の対応、御教えの伝え方が良かったという事なのでしょうか。

 

楳木先生  御教えの「伝え方」というよりは、責任者の取り組む「姿勢」が素晴らしかったという事です。体験談にも書かれているけれども、実際に事故が起きた直後は「“なんて事をしてしまったのか”と生きる気力さえ失っていました」という事ですから、理屈としては「浄化」という事はわかっても、それをすぐに「浄化」と受けとめる事は出来なかったと思います。やはり、感情的に「自分は何て事をしてしまったのか」という方が強かった。しかし、その時すぐに、救急車を呼ぶよりも先に三重支部の責任者である濵口さんに電話をした。そこからですね。

 

質問者  突然の事ですから、救急車を呼ぶという選択肢もあったと思います。紙一重の差が雲泥の差になったのではないでしょうか。

 

楳木先生  そうですね。とにかく気が動転してしまうと、例えば隣の人に助けを求めるとか、そういう事になると、その人が救急車を呼んでしまう訳ですから。

 

しかし、ここで注意しなければならないことがあります。それは、素人判断をしないということです。支部責任者を呼んで、その重篤度を判断してもらい、また、私にも判断を仰ぎました。そうした連携がまず重要です。

 

次に、吉田さんが、医者に診せた時に怪訝な顔をされたということは、ともすると、幼児虐待にもとられかねないということです。そうしますと、たとえ娘のことを思い良かれと考えてとった行動でも不幸を招くこともあります。そういうことから、細心の注意が必要であることは勿論のことです。

 

質問者  それだけ三重支部の濵口さん夫妻が信頼されていたという事ですね。いざという時、人は信用している人を頼るものですから、私達が真実を伝える時においても、「あの人の言う事なら間違いない」という様に、まずは人から信用される事の重要さを感じさせられました。

 

楳木先生  メシヤ様が『信仰は信用なり』と御教えを垂れている様に、信用は最重要事です。それから、浄化をいただく「順序」というものもあり、例えば、今回の件で、「火傷」が先で、「アトピー」が後だったら、「火傷」の事を「浄化」と捉える事は出来なかったでしょう。

 

質問者  まず「火傷」してしまったら、大抵は御浄霊にそれから通うという発想にはならず、病院に駆け込むのが一般的な行動だと思います。

 

楳木先生  と言うことは、神様と、ご先祖様と、そして、御本人達のつながりにおいて、それまでの取り組みの中で、正確に、救われるルートが決っているから、「浄化」の順番もそのようになったという事が言えると思います。

 

質問者  アトピーが御浄霊によって治る事により、まず「浄化」という認識が出来たのですね。

 

楳木先生  「浄化」の理屈はわかったという事です。時間をかけて御浄霊を頂いている間に、少しづつ綺麗になって行く訳ですから、「こうやって、毒素を排泄して、浄められて行く事が浄化なんだ」という事が、おおまかにわかった。しかし、その次に起こった「火傷」を浄化という様に受けとめられるかと言うと、それはすぐには出来ません。当然「なんて事をしてしまったのか」という感情が先だし、「とんでもない事をしてしまった」あるいは「私、何か悪い事をしてしまったのか」、「これも子供の「因縁なのだろうか」などといった、負の方の意識がどんどん出て来ます。

 

質問者  これは、誰もがそういう感情になると思います。自分に置き換えてみても、すぐに「浄化」とは考えられません。だからこそ、体験報告で、全てが「浄化」であると大きな視点で捉えられていた事に感動したのです。

 

楳木先生  しかし、「火傷」が本当に「浄化」だったという事がわかったのは、体験報告を書き始めた時に膿が噴き出すという浄化をいただいたからです。この浄化の後です。アトピーの時と火傷の時に浄化した箇所以外の所に恐ろしいほど吹き出物ができ、膿が出て来たから、その時に初めて、「アトピー」も「火傷」も毒素排泄の大切な浄化だったのだ、だから、その時毒素がまだ出ていなかった場所に、広範囲の吹き出物が出たのだという事が、やっと腹に落ちたのです。

 

しかも、その浄化は、体験報告の原稿を書いている最中に頂いたものです。それは、メシヤ様から直接の御指導を頂いている様なものです。これは素晴らしい事で、メシヤ様と共に体験報告を書かせて頂いたという表現がピッタリです。

 

質問者  いろいろな事を実際に「体験」し、「体感」しながらわかった事だから、それは「頭」で理解した事ではなく、自分の体験としてしっかりと身につけられたという事だと思います。

 

楳木先生  そして、やはり原稿を書くという事が大事です。体験を整理する中で、新たな浄化が起きて、それがどういう意味なのかを考えながら、また書ける訳ですからね。

 

質問者   体験報告の完成を、神様が手伝って下さったのですね。

 

楳木先生  「確かなお導きを頂いた」という表現が一番良いと思います。

 

質問者   私達にとっても、忘れがちな事をお導き下さっていると思いました。私も、人生の節目節目でいろいろな浄化を頂いているのですけど、これは肉体的にも精神的にも「痛み」を伴うので、普段から意識していないと「何てついていないんだ」「自分の生き方が失敗なのか」「これも何かの因縁か」など、どうしても「浄化の有り難さ」よりも先に負の意識が出てしまうものです。改めて、日常生活に起こる事を「浄化作用」と受けとめる事の大切さを考えさせられました。

 

[メシヤ教鎌倉支部にて 2010(平成22)年1月11日]