<今月の御教え>
「或(ある)客との対談」
【メシヤ講座 浜松支部】
参加者
今回、入会と入信について書かれていますが、入会と入信は一緒でなくてはならないのですか?
楳木代表
御神体ご奉斎と入会はセットではありません。御神体をいただく人は入会しておかないといけないけれど、入会する時に必ず御神体ご奉斎しなくてはいけないわけではありません。
参加者
艮(うしとら)の方角とは
楳木代表
艮の方角とは鬼門の方角です。 北海道の芦別岳が根っ子になります。 根っ子ではありますが、芦別の方向という訳ではなく、東北の方角です。 象徴的なところが芦別岳ということです。芦別岳には、艮金神様がお鎮まりになっています。そして、そこから人類全体に清浄な霊気が送り続けられるようになっています。
だから人が踏み込んで穢さないように周辺にクマを棲まわせたのです。 人間が入ると汚れてしまいます。ですからクマが棲むような場所を選んで、そこに艮金神がお鎮まりになられたのです。その山全体に。
だから、敬虔な気持ちの人しか登れないのです。 変な気持ちの人が登ろうとすると、クマに襲われてしまうのです。 慰霊碑がいっぱいありますが、それはクマに殺された人の慰霊碑です。それだけに、聖なる気持ちでその霊気に触れさせていただくという気持ちで行かないとクマが出てきてしまうのです。
芦別岳は大きな山を幾つも越えなくてはならなくて、登りで普通の人で8時間半、下りで4時間半かかりますので、登る人は足腰を鍛えないと途中で足が動かなくなってしまいますよ。
参加者
メシヤ様は結構登山されていらっしゃいますが、御立教されてからも行かれたのですか?
楳木代表
いや、御立教前が主体です。
参加者
その目的は何ですか?
楳木代表
深い御経綸のためですね。 山に鎮座する御神霊から招かれたこともあったようです。
また、メシヤ様の腹中に宿っている御光によって、夜昼転換するために行かれたのです。その山自体に鎮まっている神様を夜の時代から昼の時代に転換させるためです。
とにかく夜昼転換を各所でする為に、すべての神仏を転換させるために動かれていたのです。
参加者
京都や奈良に行かれたこともそういう意味ですか?
楳木代表
そうですね。あと信者さんが関西に大勢増えているので、出向こうという御心が強いと思います。
あとを継ぐ私たちはどういう気持ちで各地をまわるべきか、そこから参考にすべきです。
メシヤ様との霊線が繋がっているからこそ、自分がいろいろなところに行って、メシヤ様の作られた善言讃詞を唱えることが実は大変尊いことなのです。
だから仏閣に行った時は、善言讃詞を奏上するのです。そういうことを重ねていくとみんな夜昼転換をしていきます。これが実は一方の御神業です。
困っている人を救うとともに、各仏閣へ行ったら善言讃詞を、神社へ行ったら天津祝詞、善言讃詞を唱えてください。
そうすると各地の神様はメシヤ様の御光に触れたいのですから、大変喜びます。
浜松の近くですと、小国神社は遠州の一宮ですから、年に何回はお参りに行ってくると良いですよ。
桜の時期、紅葉の時期に合わせるのは良くないので、お参りを目的にして行ってください。
行ったときには、恥ずかしくなければ聞こえるように天津祝詞、善言讃詞を奏上すれば良いのですが、恥ずかしいようでしたら小さく口の中で唱えるようにしてください。
主宰神も祝詞を聞きたがっているのですから。お玉串には名前と住所を書いて納めてください。 氏神さまのときも同様です。
参加者
あるお寺に行ったら、善言讃詞を上げたくなりましたが、上げずに帰ってきてしまったのでずが・・・。
楳木代表
上げたくなったのなら、上げてきてください。上げたくなったというのは向こうが上げて欲しいということです。
善言讃詞はすごい祝詞ですから、向こうの御神霊が正守護神を通して、上げたいという気持ちにさせるのです。御神霊は祝詞を聞きたがっているのです。
だから素晴らしい祝詞をいただいている私達はその祝詞をそういうところで唱えてゆく使命があるのです。
参加者
薬毒によって侵されると正守護神の働きも弱まるのですか?働きが弱まると、そういう気持ちもおきなくなってしまうのですか?
楳木代表
そうですね。この御教えを拝読していると、そういうことになるということです。唯物的になり、副守護神の力が強くなります。
参加者
こどもがキレるというのはやはり食べ物に含まれる薬による薬毒でしょうか?
楳木代表
子供がキレる原因には薬毒と、糖分の摂り過ぎがあると言われています。
例えば、炭酸飲料にはたくさんの糖分が含まれていますね。キレる子はそういうものを余計に飲んでしまうのです。 糖分を摂ると血糖値が上るので、インシュリンで下げます。ところが糖分を摂りすぎていると、血糖値を下げすぎてしまうのです。その下げすぎた時にイライラとしてしまうのです。そのときにイヤなことを言われてしまうとカーっとなってキレてしまうのです。 食生活の乱れのために、体のバランスが崩れてしまっているのです。あまりにも飲む量が多すぎるので、過剰反応してしまい、血糖値を下げてしまうのです。バランスの良い食生活、おやつ等にもバランスの良いものを親は与えないと、子供がこういう状態になってしまうのです。
参加者
子供には、浄霊を取り次ぐだけでよいのですか?
楳木代表
炭酸飲料は、一旦覚えてしまうと喉が求めるようになってしまいます。ですから、親は管理しつつ、浄霊をしっかりしないと難しいのが、現代です。
終戦前までは、親が管理しなくても、浄霊だけで大丈夫でした。 道徳心がしっかりしていて、家でのしつけもしっかりしていて、或程度の人間性ができていたので浄霊だけでも大丈夫でしたが、戦後は精神が崩れてしまっているので、親は家でのしつけをきちんとし、管理しつつ、浄霊をしないとすぐに曇りを生んでしまいます。
全体の道徳心のレベルが下ってきているので、これを上げつつ、浄霊をしないといけないというところがあります。
道徳心だけでなく、味覚もおかしくなってきています。諸々のものがおかしくなってきています。
アメリカの占領政策によって、間違った民主主義を受け入れてしまい、権利のみがクローズアップされ、義務が植付けられていないからです。権利と義務が同時にないと民主主義とはいえません。 権利だけでは勝手主義になってしまいます。 義務が手落ちで日本には定着してしまっています。それと同時に日本人の味覚は破壊されています。 日本の素晴らしい情緒が壊されています。そして精神性も崩れてきています。
そういうことを立て直しながら、浄霊をしていかなくてはなりません。これが宗教団体の本来の役割の一つであるはずなのに、どこも忘れてしまい、教団を大きくすることばかり考えています。
参加者
現界に生まれてくるのは、我と執着を取るための修業ですか?
楳木代表
メシヤ様の御教えからいくと、『霊界の修業こそ我と執着をとることである』とお答えになっています。
現界での我と執着をとる修行は夫婦生活が典型的ですね。我と執着をとる為に夫婦にさせられているのです。因縁の深い人が一緒になり、言い合いになって我慢して、そして人格を磨かされているのです。
教団の活動は我と執着をとるためではなく、徳を積むためです。浄霊をお取次ぎして徳を積むと生活が豊かになります。 一生懸命やっている人が不幸になっていくのは、おかしいことです。
個人の生活が豊かにならないのは教団方針が間違っているのです。 生活に恵まれていくのが本来の信仰生活です。
楳木代表
皆さんも一度箱根へおまいりに行ってみると良いですよ。 奥津城のななめ後ろに神山という神の名前のついた山があります。そこが本来の御神体ですが、そこでは皆さんが参拝できないからということで、メシヤ様が強羅に聖地をお造りになったのです。 奥津城だけでもおまいりさせてもらえば良いです。 後は美術館を見てまわってください。 子供が一緒でも大丈夫です。
参加者
どうしても嫌な心が出てきてしまうのですが・・・。
楳木代表
一番分かりやすいのは、御教えにもありますが、美人だなと思うのは薄い曇りだけれど、手を出してしまうのは良くありません。ということは、思うことは薄い曇りであるけれど、行動に移してしまうと、一気に曇りが発生してしまうということです。
思う程度は、朝拝、夕拝の祝詞で曇りがとれます。しかし夜、せっかく善言讃詞をあげたのに、夜寝る前にうじうじ考えてしまうと曇りが残ってしまいます。ですからおまいりをしたらスッキリとして休んでください。 考えてもどうしようもならないことを考えていると精神病になってしまいます。考えてもムダなんだと割り切るようにしてください。でもグズグズ考えてしまったのなら、天津祝詞、善言讃詞を唱えれば大体消えます。
これが朝拝、夕拝のありがたいところです。
夕拝後に考えてしまったのならもう一回唱えればいいのですが、神様はしつこいのは嫌いだとも仰っています。あまり唱えすぎてもしつこくなってしまいます。
メシヤ様もいつも丁寧にお答えになっていらっしゃいましたが、余りにも何度も聞くと、『それは御神書に書いてあるから御神書を読みなさい。』とお答えになっています。メシヤ様のご性格は余りしつこいのはお嫌いでいらっしゃいます。ですから日参とかは、神様はあまり好きではありません。 毎日毎日同じことをお参りに行きますが、そんな暇があるなら人を救いなさいというのが神様のお気持ちであります。
しかし、教会の近くに住んでいる人で、人を救いに行く時に力を頂きにおまいりしてから救いに行ったり、問題を抱えている人が家でいろいろ考えてしまっているのは良くないので、毎日行ったりすることはありますが、願い事のために毎日通うのはお嫌いであります。
ですから支部にも月に1、2回行けば良いのです。あとは周りの人を救うことを考えてください。
そして毎日の朝拝、夕拝を大切にしてください。
[メシヤ講座no. 95浜松支部 2008(平成20)年12月]