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御降臨祭(平成28年12月)

メシヤ様御書

体験報告

「霊界の御先祖様とともに」
札幌支部 北川とき子

「メシヤ教との出会い―私が今ここにいる理由」
鎌倉支部 松本乙梨惠

「東京国分寺支部発会のご報告」
東京支部 窪田宜昭

 

代表挨拶 楳木和麿 

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皆さま、御降臨祭誠におめでとうございます。 続きを読む

メシヤ講座・特選集no.179(平成27年12月分)

メシヤ様 御書『神人の力』

メシヤ様 御書『神人の力』

<御教え>
『文明の創造』『天国の福音書』序文  救世(メシヤ)教とは何ぞや
(文創 昭和二十七年)

本文は『文明の創造』380ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。)なお、『序文 救世(メシヤ)教とは何ぞや』は平成28年1月に拝読し学び合う御論文です。 続きを読む

メシヤ講座・特選集no.155(平成25年12月分)

 <御教え>
『文明の創造』科学篇
総論 手術

(文創  昭和二十七年)


本文は『文明の創造』225ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では72ページです。)
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メシヤ講座・特選集no.143(平成24年12月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
胃病

(文創  昭和二十七年)

 本文は『文明の創造』153ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造 二・上』では94ページです。) 続きを読む

メシヤ講座・特選集no.131(平成23年12月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
病気とは何ぞや


(文創  昭和二十七年)

寒冒

愈々(いよいよ)之から病気に就ついての解説であるが、現代医学の解釈は、人体を単なる物質と見做みなして、唯物療法を進歩させて来た医学は、どの点に最も欠陥があるかを、順を逐(お)うてかいてみるが、それに就ついては先(ま)づ、実際の病気を取上げて説明してみるのが、最も判り易いからそういふ事にする。 続きを読む

メシヤ講座・特選集no.119(平成22年12月分)

<御教え>

世界救世(メシヤ)教教義

(救世五十三号 昭和25年3月11日)

抑々、世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、此(この)地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずるのである、之(これ)に対して人間を神の代行者とされ給うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである、故に今日迄の人類史は其(その)為の準備工作に外ならない事を信ずるのである、従而(したがって)、神は其(その)時代時代に必要なる人間と、必要なる宗教を顕(あら)はし給い、それぞれの使命を遂行させ給うのである。

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メシヤ講座・特選集no.107(平成21年12月分)

<メシヤ様対談記・16>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

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メシヤ講座・特選集no.95(平成20年12月分)

<メシヤ様対談記・4>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

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メシヤ講座・特選集no.84(平成20年1月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
本教の誕生

 

抑々(そもそも)、本教誕生の理由は、何であるかというと、先づ人類が数千年以前から孜々(しし)として作り上げた処の、近代文化を検討してみる時、外形的には如何にも進歩発達し、絢爛たる容装は実に幻惑されるばかりである。之を観る現代人が如何に絶讃し謳歌して来たかはいう迄もない。処が、飜(ひるがえ)って其(そ)の内容をみる時之は又余りにも意外である。凡そ外形とは全く反対である事に気付くであろう。反対とは勿論精神方面であって、些かの進歩も見られない。寧(むし)ろ古代人の方が勝っているとさへ思えるのである。今人間の心を善悪の計量器で測るとすれば遺憾乍(いかんなが)ら善より悪の方が多いであろう。 続きを読む

メシヤ講座・特選集no.83(平成19年12月分)

<御教え>
世界救世(メシヤ)教早わかり
(昭和25年11月20日)
はしがき

此(この)小著は、まだ本教を知らない人の為に、手引としてかいたものであるから之を読んだだけでも、本教の片鱗に触れ、概念だけは得られると思う。何しろ本教は今迄の宗教とは余程異っており、既成宗教観念では一寸判り難いと共に其(その)点に本教の大いなる意味を見出すのである。早く言えば、今迄と余り異いがない宗教とすれば、発生の必要はないからである。

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