祭典の意義と想念(平成29年10月)のあり方

<研鑽資料>

平成二十九年十月二十六日「伊都能売大御神様御出世奉祝大祭」の意義と想念のあり方について

 

〇本祭典に至るまでの経緯

当岩戸観音堂にご奉斎されている「伊都能売観音様」は、昭和十年当時、メシヤ様と遠戚関係にあられ、小樽定山渓自動車道株式会社支配人であった地崎宇三郎氏の発願により、厳しい風雪の中、死傷者が続出していた、小樽札幌間自動車道開削工事の、安全と無事の開通を祈願し、同年十月二十六日、当地にご奉斎された、メシヤ様御真筆の観音像であります。

当時の北海道は、今よりも風雪が厳しかったのですが、この観音様をご奉斎することにより、工事の安全はもとより、気候自体も、次第に緩やかになるという顕著な御守護を得たため、その後、当観音堂は、地崎氏ゆかりの方々の手により、工事犠牲者の御霊とともに、当地において、大切に守られて参りました。

一方、当のメシヤ様関連各教団は、この観音様の霊的重要性を認識できぬまま、メシヤ様ゆかりの史跡程度の扱いを、長く続けて参ったのですが、平成の初年において、その霊的重要性に気づかれ、信者を挙げての参拝に導かれた方が、誰あろう当時若き布教所長であった、本教代表楳木和麿師その人でありました。

爾来、平成十二年のメシヤ教発足から現在に至るまで、この「伊都能売観音」様が、「将来の教団統一の時期に大きな意味を成す」、とのメシヤ様直接の神界通信に基づき、本教は、毎月二十六日を参拝日と定め、この観音様をお守りし続けるとともに、毎年十月二十六日には、本部重要祭典の一つとして、「伊都能売観音様入仏記念式典」を、丁重に執り行って来たところであります。

思えば昭和十年、大日本観音会の発会に符合するこの時期に、「国常立之尊」様が御鎮まりになられる北海道に、「伊都能売観音様」の御姿でありながら、「日之出観音様」の御名で、当地にご奉斎されて来た意味合いは、夜昼転換に伴い、順次霊界から現界へと日の出を迎えるに際し、時を待たれていた神様が、次々に元の御位に御戻りになり、現界に御出生されるであろう平成の時期をにらみ、「伊都能売大御神」様の、「裁き」の半面を体現する「国常立之尊」様御鎮まりの北海道の地に、「救い」の半面を体現する「観世音菩薩」様を御鎮めし、時来たれば両者が結ばれ、元の「伊都能売大御神」様として御出生遊ばされ、「御裁き」と「御救い」を結んだ伊都能売の御働きをなさる、現界の「日之出」の含意が込められていたのです。

〇本祭典挙行の意義について

我々は去る六月十五日、「地上天国祭」の場において、「メシヤ降誕仮祝典」のやり直しの位置付けの下に、日(火)の力の根源である「天照皇大御神」様を、現界にお迎えいたしました。また今は、「日月地(火水土)三位一体の「日月地大御神」様をお迎えする一歩手前、すなわち「日(火)」と「月(水)」の結びの時期に来ています。火と水は五(いづ)と三(みづ)でもあり、その結合は光そのものであり、「伊都能売」ですから、今我々が、人類を代表してお迎えすべき神様は「伊都能売大御神」様をおいて他にはないわけであります。

一方、北海道は世界における物質文明の雄であるアメリカの型であり、定山渓の「定山」を言霊返ししてみますと、「ジョウザン→ズ」となり、言霊学的には、これまたユダヤ的、唯物的な意味を持っていることを考え合わせますと、唯物文明が極まった現界に、「伊都能売」の御光をお出し申し上げ、一層の御働きをお願いする意味合いを持っているわけであります。

〇本祭典挙行に伴う想念のあり方について

以上の事から、本祭典においては、この地この時を期して、火と水が結ぶ「光」そのものと言うべき「伊都能売大御神」様を、謹んで現界にお迎え申し上げ、より一層の御神力を、発揮頂く想念をもって、その「御裁き」の御働きに対しては、我々の積み重ねた罪穢れへのお詫びと、より一層の精進をお誓い申し上げ、その「御救い」の御働きに対しては、より一層その手足とならせていただくことを御許し賜るように、そして、我々一人一人が、世界救世(メシヤ)教復興の中核となり、地上天国建設の原動力とならせて頂くことを、改めてお誓い申し上げ、その尊き御名を奉唱させて頂きつつ、ご祈願申し上げるものであります。

 

[研鑽資料no.11 「伊都能売大御神様御出世奉祝大祭」の意義と想念のあり方 2017(平成29)年10月24日]

この投稿へのお問合せ