メシヤ講座・特選集no.131(平成23年12月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
病気とは何ぞや


(文創  昭和二十七年)

寒冒

愈々(いよいよ)之から病気に就ついての解説であるが、現代医学の解釈は、人体を単なる物質と見做みなして、唯物療法を進歩させて来た医学は、どの点に最も欠陥があるかを、順を逐(お)うてかいてみるが、それに就ついては先(ま)づ、実際の病気を取上げて説明してみるのが、最も判り易いからそういふ事にする。

先(ま)づ、人間として、何人も経験しない者のない病としては寒冒であらう。処が寒冒の原因は医学では今以もって不明とされてをり、近来僅(わず)かに発見されたのが、ヴィールスによる空気伝染とか、アレルギー性によるとか言はれてゐる位で、吾等からみれば問題とするには足りない稚説(ちせつ)である。此この説も近き将来無意味とされる事は間違ひあるまい。

 

抑々(そもそも)、人間は先天的に種々なる毒素を保有してゐる事は、医学でも認めてゐる。例へば天然痘、痲疹、百日咳等は元より未知の毒素も色々あるであらう。処でそれら毒素は自然生理作用が発生し、外部へ排泄されやうとする、これを吾等の方では浄化作用と言ふ。そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。其(そ)の場合神経を使ふ処程多く集まる、人間が最も神経を使ふ処は、言ふまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである。人間が目が醒(さ)めてゐる間手足は休む事はあっても、頭脳を始め、目、 耳、鼻、口等は一瞬の休みもない。としたら毒素集溜の場合もそうであって、肩、 頸くび、淋巴腺、延髄、耳下腺附近は固(もと)より、頭脳が主となってゐる。此(こ)の様に各部に集溜した毒素は、時日を経るに従って、漸次(ぜんじ)固結する。それが或ある限度に達するや、排除作用が発生する。ここに自然の恩恵を見るのである。何となれば固結の為ため、血行が悪くなり、肩や 頸(くび)が凝り、頭痛、頭重、視力減退、耳の鈍聴、鼻詰まり、嗅覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩、腰痛、浮腫等々により、活動力が減殺されるからで、それが為(た)め人間本来の使命が行はれない事になる。それで造物主は病気といふ結構な、浄化作用を作られたのである。

 

右の如く、毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり、 健康上最も必要なもので、神の恩恵中最大なものといふべきである。故に若(も)し人類から、病気を取除いたとしたら、人間は漸次ぜんじ弱って、遂には滅亡に到るかも知れないのである。処が私は、病なき世界を造るといふのであるから矛盾するやうに思うであらうが、これは根本的に異ってゐる。といふのは人間が無毒になれば、浄化作用の必要がなくなるから、共に病気もなくなるのは判り切った話である。此この意味に於て私は、 之から出来るだけ解り易く徹底的に説いてみよう。

 

話は戻るが、固結毒素の排除作用を、私は浄化作用と名付けたが、先(ま)づ初め寒冒に罹かかるや発熱が先駆となる。自然は固結毒素の排除を容易ならしめんが為(た)め、熱で溶解させ液体化させる。此(こ)の液毒は速すみやかに肺に侵入するが、此(こ)の作用は実に神秘であって、例へば吾等が浄霊(之は療病法の名称)によって、固結毒素を溶解するや、間髪を入れず肺臓内に侵入する。其(そ)の場合筋肉でも骨でも透過して了(しま)ふのである。何より身体各局所にある固結毒素(以下毒結と称す)が、普通一、二個所位なら軽い症状で済むが、局所を増す毎(ごと)に重くなる、最初軽いと思った寒冒が漸次(ぜんじ)重くなるのは、その意味である。

 

右の如く、液毒は迅速に肺臓内に侵入し、稀薄な場合は痰(たん)となって即時排泄されるが、濃度の場合は一時停滞し、咳といふポンプ作用を待って、間もなく気管を通じて外部へ排泄される。咳の後には必ず痰(たん)が出るにみても明かであり、嚏(くさめ)の後に鼻汁が出るのも同様の理である。又頭痛、咽喉(のど)の痛み、中耳炎、淋巴腺炎、手足の関節や、鼠蹊腺(そけいせん)等の痛みは何いずれも其その部にあった毒結が溶解し、出口を求めやうとして動き始める。それが神経を刺戟(しげき)するからである。そうして液毒には濃い薄いが出来る。濃いのは喀痰(かくたん)、鼻汁、下痢等になるが、極(ご)く薄いのは水様(みずよう)となり、盗汗(ねあせ)や尿によって排泄される。此(こ)の様に浄化作用なるものは、最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。一体造物主即ち神は、人間を造っておきながら、 病気などといふ人間を苦しめ、活動を阻害するやうなものを与へられる筈(はず)はなく、常に健康であらねばならないのに拘はらず、人間が誤った考へで毒素を作り、貯溜させるので、止むなく排除の必要が発おこる。それが病気であるとすれば、寒冒の場合も何等の療法もせず、自然に放任しておけば完全に浄化が行はれるから順調に治り、健康は増すのである。此(こ)の理によって人間は出来るだけ風邪を引くやうにすべきで、そうすれば結核などといふ忌いまわしい病は跡を絶つのである。

 

処がどうした事か、何時いつの頃からか不思議にも、右の清浄作用を逆解して了しまった、 そこで発病するや極力浄化を停めやうとする。何しろ浄化の苦痛を悪化の苦痛と間違へたのだから堪らない。其その為ため熱を恐れて下げやうとする。解熱すれば毒結の溶解が停止されるから咳嗽せきを初め凡あらゆる症状が軽減する。恰度ちょうど病気が治るやうに見えるのである。判り易く言えば、折角溶け始めた毒結を元通り固(かた)めやうとする。其その固(かた)め方法が医療なのである。氷冷、湿布、薬剤、注射等すべてはそれであって、全部固(かた)まると同時 に症状が消失するので、之で治ったと思って喜ぶが、何ぞ知らん、実は折角掃除をしやうとする其(そ)の手を抑おさへつけるやうなもので、之は事実が証明してゐる。よく風邪が拗(こじ)れるといふが、之は人体の方は浄化しようとするとそれを止めやうとする為ため、つまり浄化と非浄化との摩擦となるから長引くのである。一旦風邪が治っても、暫(しばら)くすると必ず再発するのを見ても分るであらう。故に結果から言えば、医療とは病気を治す方法ではなく、治さないで延期させる方法といふ事である。従而(したがって)本当に治るといふ事は、毒素を外部へ排泄させ、体内が清浄となって、病気の原因が皆無となる事である。だから真の医術とは浄化が発(おこ)った際、固結毒素をより速く溶解させ、より多く体外へ排泄させる事で、それ以外真の療法はないのである。

 

右の理に対し一つの譬(たと)へをかいてみよう。即ち借金をしてゐる場合である。段々利息も溜り、期限が来て返済を迫られるので、一時に払ふのは辛いから、外から利子の金を借りて一時凌(いちじしのぎ)をする。すると又期限が来たので又借金して一時免(いちじのが)れをするといふ工合で、元金の外に利子も段々増へ、請求も厳しくなるが益々返金が出来なくなる。そこで貸主は承知せず、差押へ、又は破産の訴へをするが、返済が出来ないので破産する。つまり寒冒も之と同様で、最初の返済期が来た時、苦しくとも払って了(し)まえばそれで済むものを、辛いから借金を増しても一時免(いちじのが)れをする。それが薬を主とした 医療である。従って引延ばす毎に薬毒が殖え、遂に一時に請求をされる事となる、之が肺炎である。処が貸主も相手の支払能力を考慮し、緩慢(かんまん)な請求をする、之が結核と思えばいいのである。

 

≪『メシヤ様御降臨祭』挨拶≫
御神業推進の根幹部分を自覚させる
御論文『文明の創造』

メシヤ教代表 楳木和麿

皆さま「メシヤ様御降臨祭」おめでとうございます。

昨日ぐらいから“大寒波が南下してくる”ということで、随分とここへ足を運んでいただくことに心配をしておりましたけれども、予定されていた方々がこうして無事に集まることができまして“本当によかった”と思います。

体験報告

生理不順に御守護」 札幌支部 S.J

重要な使命に身の引き締まる思い」 正和出張所 責任者

本筋の御神業に出会えて」 岡山支部 原田多津子

今、三人の方からご報告いただきましたが、今月の各支部月次祭、各会場のメシヤ講座で12月23日を迎えるにあたって、まずメシヤ様がお歩みになられた御事績、一人の男性としての人生を見つめるということと、それを踏まえて「自分の一年間のことを見つめて、整理をして23日を迎えていただきたい」というふうにお願いをいたしました。

三人の方々のご報告が、正にそういうご報告でありましたので、じっくりと聞かせていただきました。

札幌支部・S.Jさんの報告を通して―青年期から主神様という御存在を中心にした思想体系を構築するように願う

まず、Sさんは「いづのめ教団」で青年活動をズーッとしてこられて、それから少しの空白がありメシヤ教に入会をされました。この青年活動という事を見つめていった時に、世界救世(きゅうせい)教時代に“青年活動とはいったい何であったのか”ということを見つめていくと、そこには大変残念ながら不足していたものがあったがために、せっかく動いたり共に活動してもですね、自(みずか)らの信仰というものを育てるということになかなか繋(つな)がりを得(う)ることができなかったように思います。

とりわけですね、我々にいただく救済力の根源であるメシヤ様の認識がどうしても深まっていっていないところがあります。

それからメシヤ様が主神様から御啓示をいただいて、そして、我々に救いの方法、御教えをですね、垂(た)れてくださったにも拘(かか)わらず、その主神様という認識が深まっていかない。あるいは自(みずか)らの意識の中で高まっていかないために、本来青年としてどのような信仰を培(つちか)っていくべきかということがはっきりしないまま今日(こんにち)を迎えてきました。そして、そのことに気づかないまま、まだ今も続けている人達がいるわけなのですね。

その方々に手を差しのべなければいけない、ということを強くSさんの体験報告を聞きながら感じさせていただきました。

学生とか青年というのは勉学に励む一方、“人生というものをどのように歩んでいくか”ということを真剣に考えていく時であります。

この人生を考えていった時に、その中心に主神様という御存在をおいて、そして、自分の人生を組み立てるという、そういう作業を若いうちにしておかないと、日々の学びが自分の中に思想体系として培(つちか)うことができません。

今、科学者の方々の中では以前ご紹介しました“サムシング・グレート”という表現によって“ある偉大な存在によってこの宇宙は創(つく)られて、そして、我々人類も誕生を許された”という表現をしている村上和雄氏の本が、ずいぶん売れております。

読む人が多いということなのですが、その“サムシング・グレート”という概念をズーッと意識して持っていくと、実は、今月は特に地球から500光年先に地球の約2.5倍の水を持った星がある、ということがわかったとされる発表がありました。そういうことを知ると生命の可能性があるということが期待されます。しかし、一方では我々の身体は約60兆個の細胞で構成されて、で・・私は体が大きいのでもう少しあると思いますが。(笑い)平均で大体人間の身体はその位の数の細胞で成り立っている、と言われています。

その1個の細胞が誕生するのは・・・、みなさん年末ジャンボ宝くじを買われたと思いますけれども、大黒様に堂々とお供えしている支部もありまして、年末が非常に楽しみですね。(笑い)例えば、この宝くじ1億円が100万年連続して当たるくらいの確率だそうです。この宇宙に細胞1個が生まれるという確率は・・・。ですから我々はその確率の中でこの世の中に生まれてきているわけですね。1億円が100万年連続して当たるくらいの、ほとんどゼロに近い確率なのです。

生命の誕生の38億年前からズーッと続いて暫(しばら)くしてやっとその細胞1個が生まれたくらいですので、この地球の中に今様々(さまざま)なことを言う方々がいらっしゃるのですけども、この地球の中に生命が宿って、そして、その生命が我々人間というところまで、進化してくる過程というのは大変に長く複雑な仕組みのもとにズーッと人間が生まれてきたのであって、この人間として生まれたことが実は大奇蹟なわけなのです。

その奇蹟的な人間に生まれたということをまず感謝するような若者になっていただく、ということが本来青年活動の根幹にあらねばならないわけなのですが、どうしても訪問活動とかですね、夏とか冬の練成(れんせい)会というような行事を進めていくことに時間を費(つい)やしてしまって、人間が本来見つめないといけないところをですね、どうしても疎(おろそ)かにしてしまっているところがあります。

Sさんの報告を聞きながら、地上天国祭に見えたときのいろいろ躊躇(ちゅうちょ)する内容ということも含めると、我々がメシヤ様からいただいた教えというのは自分の中に取り込んでいく、そして、自分の人生設計をしていく。あるいは自分の人生観を確立していくという作業が、中々今まで体制側というか、教団側の方針のもとに培(つちか)うことができて来なかったので“大変だなあ”というふうに感じながら聞かせていただきました。

人間が肉体を持って生まれて来て、本来人間として持っている生理活動というのは、人間の考え方一つで不調に陥(おちい)ったり、あるいは生活環境の変化で不調に陥(おちい)っていくことがありますけれども、それがメシヤ様の御光(みひかり)に浴(よく)す中で、だんだんと許されてきたそういう過程が最後のですね、ご立教の御心(みこころ)という形でまとめていただいたので、非常に良かったなと思います。

「枚方支部・正和出張所」責任者の報告を通して―決心により自分の周辺の『夜昼転換』が進む

それから一方「枚方支部・正和出張所」責任者の報告ですが、ご自身は◯◯◯◯の中にいるのですけども、次々と浄霊力伝授を許されております。

そして、発表されましたように、大きな御守護をいただいてきたわけなのですが、この出張所を開設するにあたっては、冒頭述べました『メシヤ様を見つめる』という見つめ方の中の一つにですね、世界救世(きゅうせい)教がきちんと教えていないところがあります。

それは何かというと、鋸山に昭和六年六月十五日にメシヤ様がお登りになって「鋸山で夜昼転換の御啓示をいただいた」という、そういう話し方を教団ではズーッとしてきておりますけれども、『夜昼転換』の御啓示は昭和元年に既(すで)にいただいているわけです。

しかし、メシヤ様の御性格から“これはひょっとすると本当の主神様の御啓示ではないかもしれない。充分検証しなければならない”という慎重さのために一つ一ついただいた御啓示を世の中の流れとか、それから大本教時代にズーッと蓄えてきた霊的知識から検証するのにおおよそ五年弱かかっているわけですね。

そして、“これは主神様の御啓示に間違いない”という決心が昭和六年にできたので、“決心をしてくれたのであれば鋸山に六月十五日に登るように”という御啓示が次に下ってくるわけです。これはどういうことかというと、メシヤ様が主神様の御啓示をすべて検証して“これは主神様の啓示に間違いない”という確信を持った時に大きく『夜昼転換』していったというわけです。

ですから報告者も信仰三世として成長してこられたけれども、当時の教団におそらく何の魅力も感じなかったために、距離を置いた生活をしてきたのでしょう。この距離を置いた生活をせざるを得ない教団状況であったという内容は、この『夜昼転換』が、ただ単に神界からの示された内容で『夜昼転換』されたという認識だけなので(教団がそういう教え方をするので)人間の魂がなかなか変わっていかないわけですね。

我々が、メシヤ様の浄霊、御教えに出会うというのは我々を守護してくださっている先祖の代表からいろいろ思わされて、あるいは手順を踏まされてメシヤ様に出会うということになって、メシヤ様と御神縁(ごしんえん)が結ばれれことを許されます。ここまでが先祖のお働きであるわけですが、ひとたびメシヤ様の御教えに出会ったならば、そこからは自分の責任で決心を固めていかないといけないわけですね。これが魂の問題であるわけです。

この自分自身が決心をして、そして、“メシヤ様の御手足として御神業にお使いいただこう”という決心をしない限り、自分の周辺の『夜昼転換』というのはなかなか進んでいかないわけですね。

おそらく、我々の先祖の中には非常に徳を積んだ先祖がいらして、その先祖によって神様に許可を願い出て、そして、許可の下りた数だけ入会ということが起こってくるわけなのですけれども、先祖の徳によって許されたこの数は次は自分達の決心と徳積(とくずみ)によってしか、およそ広がっていかないくらいの決心、心構えを持っておかないと、大勢の方々を救うということには繋(つな)がってこない、というように思います。

ですから、出張所発会の時には、この『メシヤ様の御決心』と、それに続く「我々の決心」が『夜昼転換』を進めていくのだ、というふうに覚悟を決めて臨まなければいけないと思います。しかし、世の中の流れは、ズーッと『夜昼転換』が続いて、『昼の時代』にどんどんなっていっています。メシヤ様と御縁をいただいた人達がその流れの中にいるかどうかというと、残念ながら遠ざかっている方々が大勢いらっしゃいます。

それが、木原さんとの出会いでですね、本来メシヤ様が進められようとするものに少しずつ目覚めていくことができたので、大変良かったなあと思います。

岡山支部・原田多津子さんの報告を通して―メシヤ様の御教えを根幹において御神業を見直す働きかけを

それから最後にですね、原田さんに報告していただきました。原稿を各支部、各メシヤ講座会場分を印刷してくださっておりますので、支部責任者は帰りに一部ずつ持って帰ってください。

これを読めば、私が解説する必要はありません。それくらい、原田さんの原稿はまとまっていますので、このまとまった通りを受け止めていただければいいのではないかと思います。

ただ、◯◯A自体があまりにも酷(ひど)い状態になってきておりますので、原田さんの話を読んだり思い出しながら、原田さんと同じように気づいた人達が浄化を起こしてきておりますので、その浄化をいただいている方々の中身を少し解説しておきたいと思います。

まず、御教えを拝読し始める。そしてメシヤ様のことをズーッと求めてしていると、“これは、この教団は、◯◯A活動というのはメシヤ様の本来の御神業とは違う”ということに気づいてきます。

これは、理性によって前頭部で気づいていきますが、いろんな方針がまた入ってくるので“どうしたらよいか”ということで後頭部が曇ってきます。その前頭部で方針とそれから御教えということの整理をすると、やはりこれは明らかに間違っているということが前頭部でわかってきますが、“今まで世話になったところだし、根本霊地の箱根を離れるわけにはいかない(実際は離れることではないのですが)”という感情論がズーッと後ろにできてくるために曇りが発生します。

そうすると前頭部と後頭部のちょうど中心に曇りが発生してきて、これがだんだん、だんだん頭に曇りの固まりを形成していきますので、頭の病気を防ぐために浄化を起こします。

そして、何とか何とか浄化を重ねながら、生命が維持できるわけなのですけれども、しかし、御教えを拝読すればするほど真理に目覚めていくので、どうしても“おかしい”という気持ちが膨らんできます。頭の中には前頭部と後頭部の衝突によって中央に曇りが発生するのです。

こういう状況にある方々が◯◯Aの中にはたくさんいらっしゃると思います。というのは、目覚めていることを期待をしているわけですね。御教えを拝読することによって、この教団の方針はおかしいということに気づいている方々が、おそらくいっぱいいらっしゃるだろう、という期待をしているわけです。

その気づいた方々の頭の中には、日々そういう曇りが発生しておりますので、早く手を差しのべていかないと、その中の曇りが物質化してくると頭の病気が起きてきます。具合が悪いだけではなくて、いわゆる脳の病気として症状的に出てきますので、そうならない前に大勢の方々に手を差しのべてあげていただきたいと思います。

地上天国祭の時に枚方支部の竹内淳子さんが発表してくださった、あの原稿と付き合わせて、そして、◯◯Aで活動している方々に読んでもらってください。そうすればおそらく少しは動いて(気付き、目覚めを得るという意味で)ゆくのではないかと思います。(そして、『文明の創造』を細かく拝読することを通して学びを重ねてきた御神業の根幹部分をお伝えください。)

そうしなければ、世界救世(きゅうせい)教自体が本来の役割を担えない形になっていきます。それはメシヤ様の教えを根幹において、薬とかあるいは医療ということを見つめていく見つめ方がどうしてもですね、医者に丸投げになってしまっているからです。

先ほどの出張所責任者が報告してくださった中にですね、“具合が悪くて休むと仕事が止まってしまうので、御神業が止まってしまう。だから薬を飲みながら仕事を続ける”という、こういうちんぷんかんぷんな話が今の専従者の中で横行しておりますので、これを目覚めさせなければいけません。

御教えの理解を深めるための専門書を紹介

それで、目覚めさせる時にですね、「薬理学の基本がわかる辞典(久保鈴子監修・西東社)」というのは非常にわかりやすい本ですので、活用していただくように紹介します。

薬がどのように体の中に入ってきて効いていくか。そしてこの中に、排泄されるところまで書いていますけども、メシヤ様は『排泄が十分できないために新たな病気を作っていく』というふうに御指摘しておられるわけですが、御教えを理解するためにはこの本を読んでおいた方が理解が早まると思います。どうして飲んだ薬が排泄されないのか、ということで、これは信者さん方、回し読みでも良いのでグループで買ってでもですね、まず、信者さん方一回は目を通してしていただきたいと思います。全ページカラーでわかりやすく載っていますのでね。

それから、支部の責任者の方にはですね、「史上最強図解」と銘打った「これなら解る薬理学(丸山敬著・ナツメ社)」という本があります。これを支部の責任者は読んでおいていただきたいと思います。

赤いシートが付いていまして暗記できるようになっています。自己教育するために非常に良い本ですので、支部責任者は大変ですけれども、これを読み込んでおいていただきたいと思います。そうしないと、メシヤ様の『浄化作用』のメカニズムとか薬毒が形成されていた時にどこへ溜まっていくかというようなことが、言葉だけを聞いていてもわからないところがありますので、こういう図解のものを見ると御教えの理解度が深まっていくと思います。ひとつやっていただきたいと思います。

それから、文藝春秋の12月号と新年号ですが、12月号の中では、「患者よ あなたに透析は必要か」というタイトルで、いわゆる透析の概論が書かれております。そして新年号にはですね、透析を先送りすることを目指す保存療法について書かれてあります。

それで、その最後のページに、保存療法ができる病院名が書かれておりますので、これを参考にしながらですね、今年一年ズーッと学んできた、高血圧に対する浄霊の仕方と薬の効き方の問題点というところを指摘してきましたけども、この二号を読むと我々が救っていかなければいけない対象者の方々の状況が、わかってくると思います。

ここで、腎臓の働きというのをもう一度確認しておきたいのですけれども、腎臓は血液を濾過(ろか)して体に有害な老廃物や余分な毒素を排泄するというところがメインです。

このメインが壊れてくるので透析をしないといけなくなるのですが、透析をし始めると腎臓自体がどんどんどんどん機能が弱ってきます。この機能が弱ってくる時に、次の問題として起きるのが、血液中のナトリウムなどの濃度とか体液量の調節、血圧も含めてですけれども、そういうことができなくなってきます。

そのために新たな症状が体のあちこちに起きてきくるので、命に関わるような方以外の方々が透析を受けてしまうと、そういう障害が起きてくるので、人間として生きていく上には大変なことが加わってきます。

それから、もう一つは造血ホルモンの分泌がしなくなりますので、造血ホルモンに変わる薬をまた投与しなければいけないという状況に陥ってきて、透析を受けている方々は、生きている間ズーッと地獄のような生活を余儀なくさせられます。

因縁使命に基づいた御用に邁進を

非常に気の毒ですので、メシヤ様は『浄霊は腎臓をよくしておくように』ということを絶えず我々に投げかけてくださっておりますので、御教えを左手に持って、このような本を右手に持って見比べながら勉強しつつ、参考にしながら浄霊力強化と浄霊の仕方を高めていくような取り組みをしていっていただきたいと思います。

今日から新しい年に入りましたので、今年はそうした知識を元に積極的に大勢の方々に働きかけてゆく年にしていきたいと思います。

この場で、一層メシヤ様に対する自分の考え方、それから自分自身の決心の度合ということを見つめ直していただいて、自分の因縁どおりの御用とは一体なにかということを見つめ直していただいて、因縁使命に基づいた御用にですね、邁進(まいしん)していただきたいと思います。

そういうことをお願いいたしまして、挨拶とさせていただきたいと思います。

寒波がきておりますので、特に西に向かわれる方々は雪の心配もありますので、気をつけておかえりいただけるようにお願いをして終わらせていただきます。ありがとうございました。

(要旨。また、時間の関係で『文明の創造(三)』の説明、頒布は祭典終了後に執り行いました。一年を通して学ばせていただいた『文明の創造』は、拝読を重ねるごとに、私達に御神業推進の根幹部分の自覚を促しました。心から感謝申し上げます。)