メシヤ講座・特選集no.125(平成23年6月分)

<御教え>

『文明の創造』総篇
健康と寿命

(文創  昭和二十七年)

私は之から医学を全面的に批判解剖してみるが、其(その)前に健康と寿命に就(つい)てもかかねばならないが、現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなければならない筈(はず)であり、それと共に寿命も漸次(ぜんじ)延びてゆかなければならない道理であるばかりか、そうなる迄に数百年で充分であるのは勿論(もちろん)、現在最も難問題とされてゐる結核も伝染病も全滅するし、病気の苦しみなどは昔の夢物語になって了(しま)ふであらう。処が事実は全然其(その)反対ではないか。としたら真の医学でない事は余りにも明かである。

そうして次の人間の寿命であるが、之も造物主が人間を造った時は、寿命もハッキリ決めた事である。尤(もっと)も之に就(つい)ても私は神様から示されてゐるが、最低百二十歳から、最高は六百歳は可能といふ事である。従って人間が間違った事さへしなければ、百二十歳は普通であるから、そうなったとしたら実に希望多い人生ではないか。而(しか)も只(ただ)長命だけではなく一生の間溌剌(はつらつ)たる健康で、病気の不安などは消滅するのであるから、全く此(この)世の天国である。では右の如き間違った点は何かといふと之こそ驚くべし医学の為である。といったら何人も愕然(がくぜん)とするであらうが、此(この)百二十歳説に就(つい)て、最も分り易い譬(たと)えでかいてみるが、先づ人間の寿命を春夏秋冬の四季に分けてみるのである。すると春は一、二、三月の三月(みつき)として、一月の元旦が誕生日となり、一月は幼児から児童までで、二月が少年期で、梅の咲く頃が青年期であって、今や桜が咲かんとする頃が青年期で、それが済んで愈々(いよいよ)一人前となり、社会へ乗出す。之が花咲く頃であらう。次で四月桜の真盛りとなって、人々の浮き浮きする頃が、四十歳頃の活動の最盛期であらう。よく四十二の厄年といふのは花に嵐の譬(たと)え通り、花が散るのである。次で五、六、七月は新緑から青葉の繁る夏の季節で、木の実はたわわに枝に実るが、それを過ぎて気候も下り坂になって、愈々(いよいよ)稔りの秋となり、之から収穫が始まる。人間もそれと同じやうに、此(この)頃は長い間の労苦が実を結び、仕事も一段落となり、社会的信用も出来ると共に、子や孫なども増へ、人生最後の楽しい時期となる。そうして種々の経験や信用もあり、それを生かして世の為人の為出来るだけ徳を施す事になるのである。それが十年として九十歳になるから、それ以後は冬の季節となるから、静かに風月などを楽しみ、余生を送ればいいのである。然(しか)し人によっては活動を好み、死ぬ迄働くのも之亦(また)結構である。

以上によってみても、四季と寿齢とはよく合ってゐる。此(この)見方が最も百二十歳説の裏付けとして好適であらう。此(この)理によって医療が無くなるとすれば、右の如く百二十歳迄生きるのは、何等不思議はないのである。処が単に医療といっても種々の方法があるが、二十世紀以前迄は殆(ほと)んど薬剤が主となってゐたので、長い間に薬剤で沢山の病気を作って来たのである。何しろ薬で病気を作り、薬で治そうとするのだから、病気の増へるのも当然であると共に、寿齢の低下も同様である。此(この)何よりの証左として、医学が進歩するとすれば病気の種類が少なくなりそうなものだが、反対に増へるのは、薬の種類が増へるのと正比例してゐるのである。今一つ人々の気の付かない重要事がある。それは医学で病気が治るものなら、医師も其(その)家族の健康も、一般人より優良でなければならない筈(はず)であるのに、事実は寧(むし)ろ一般人より低下してゐる。何よりも種々の博士中医学博士が一番短命だそうだし、又医師の家族の弱い事と、結核の多い事も世間衆知の通りである。そうして現在の死亡の原因は突発事故を除いて悉(ことごと)くは病気である。而(しか)も病死の場合の苦しみは大変なもので、之は今更言う必要もないが、よく余り苦しいので、一思ひに殺して呉(く)れなどの悲鳴の話をよく聞くが、では此(この)様な苦しみは何が為かといふと、全く寿命が来ない内死ぬからで、中途から無理に枝を折るやうなものであるからで、恰度(ちょうど)木の葉が枯れて落ち、青草が枯れて萎(しお)れる。稲が稔って穫(とり)入れるのが自然であるのに青い内に葉をむしり、青い草を引抜き、稲の稔らないのに刈込むと同様で、不自然極まるからである。といふやうにどうしても自然死でなくてはならない。然(しか)し近代人は弱くなってゐるから、自然死といっても九十歳から百歳位が止まりであらう。

以上説いた如く、神は人間に百二十歳以上の寿命を与へ、病気の苦しみなどはなく、無病息災で活動するやうに作ってあるのを、愚かなる人間はそれを間違へ、反って病苦と短命を作ったのであるから、其(その)無智なる、哀れと言っても云(い)ひ足りない位である。

 

≪『地上天国祭』挨拶≫
概念の変更と意識改革を促す
御論文『文明の創造』

メシヤ教代表 楳木和麿

組織信仰の呪縛から解放させた子供達の導き

皆さん、「地上天国祭」おめでとうございます。非常に強い御光をいただいておりますので、トイレ等行きたくなった場合は遠慮なくお立ちください。

体験報告

段違いの浄霊力に感激」 鎌倉支部 菅谷真紀

幾つもの峠を乗り越え、無事出産」 松原会場 O.T

昨年とは雲泥の差である、充実した日々」 枚方支部 平田邦男

お詫びの御神業に邁進することを決意」 枚方支部 T.J

 

ただ今は、四人の方から「地上天国祭」に大変相応(ふさわ)しい内容の報告をしていただきました。涙無くして聞けないような内容ばかりであったと思います。四人の方のご報告を通して「地上天国祭」の佳き日に学びとさせていただきたいことを、挨拶としてお話しさせていただきたいと思います。

菅谷さんは、ご報告のように神慈秀明会の所謂(いわゆる)“組織のために働かされる”という呪縛(じゅばく)に囚(とら)われ、その中からメシヤ教に御縁をいただいてまいりましたけれども、数々の御守護をいただきつつも呪縛(じゅばく)から解き放たれるまでにかなり時間がかかりました。

“メシヤ教にご案内しても、また以前と同じような・・・”という疑念が浮かび、組織信仰が頭をかすめ、そこはかとない不安が耐えずヒタヒタと押し寄せてくる中で、月次祭の受け入れをご主人と共にしていました。その中で心の変化というものを私はずっと見ておりました。やはり“あれほど大きい団体からの呪縛(じゅばく)というのは物凄いものがあるな”ということを、月次祭ごとに感じながらいたものです。

しかし、素晴らしい子供達の導きで、外へ向かっての浄霊が少しずつできるようになったことを通して、本来の“メシヤ様へ直に繋がってゆくと、多大な御守護をいただく”ということに、少しずつ目覚められました。そして現在、ご夫婦でしっかりと御神業を担っていただいていることに大変感動させられております。

二人目に報告していただいたO.Tさんは、天聖真美会に少しだけ籍を置いてすぐさまメシヤ教に移られました。前の教団の影響をそれ程受けないでメシヤ教に御縁をいただいたので、非常に良かったと思います。しかし、人生観というものが・・・極端な言葉で言えば本来の人生観というものをお持ちではありませんでした。

ところが、「メシヤ講座」松原会場の田中さんのお子さんを通して魂を覚醒させられて、本来の人生観が少しずつ芽生えてまいりました。また、もともと御教え拝読を良くされておりましたので、段々とメシヤ様が指し示された人生観を身につけることに繋がって、大きな御守護をいただくことができました。

大阪人特有の言い回しで“肝炎というのが他の人の血液検査の結果ではなかったか”と言っておりましたが、そんな病院であればとっくに潰れております。やはりご自分がキャリアであったけれども、浄霊の御守護によって解決を許された訳です。それが最も顕著なのが、大体妊婦が貧血になった場合、出産まで続くものなのですけれども、薬を服用せずとも、治療を受けずとも短期間で正常値に戻ることができました。そして、一般的には高齢出産と言われる年ではありますけれども、非常に元気で可愛いお子さんを授かることができました。

課題としては、ご家族が“予防接種を受けさせなければいけない”というお考えですので、その点を乗り越えることができれば大変素晴らしいと思います。この「地上天国祭」を通じて、更にメシヤ様の示された方向へ取り組んでいただくことを願っております。

メシヤ様は概念の変更を我々にお示しくださっている

この予防接種ということについては、今日お配りする『文明の創造(二・下)』の中でメシヤ様は触れられております。

『種痘は千七百九十八年、英国の医学者エドワード・ジェンナー氏によって発見された事は、世界的に有名であるが、』というくだりです。そして、メシヤ様は、この発見を評価されておられます。時代の流れの中で評価されておられます。しかし、一方ではですね。一番最近のブログ「岩戸開き」の中で、予防に関連して抵抗力ということの概念について触れられた御教えがあります。

我々は、子供の頃から抵抗力をつければ病気にならないと刷り込まれてきました。病気ということを恐れるがあまり、病気に対する抵抗力ということを学校生活の中で刷り込まれて、人生における抵抗力という概念ができ上がってしまっています。そして、浄霊力があって御教えを拝読していても、やはり抵抗力をつけるという言葉が頻繁に出てきます。これが『夜の時代』での最終点での刷り込みによる間違った人生観ということです。

しかし、メシヤ様は『抵抗力こそ病気なんだ』と、抵抗力のある人が病気になるんだ、とこういうふうに仰っておられます。

自分の中にある薬毒、これを外へ出す作用が病気ですので、この病気になる力がある人が抵抗力があるのでね。このことを三好医師が上手に説明してくださっていることを同ブログで紹介しています。

例えば、昔は麻疹(はしか)にかかった子がいたら、その家にみんな子供を連れて行って、同じ様に麻疹(はしか)にかからせました。そして、抵抗力をつけるということをしていたのです。しかしながら、正確には麻疹(はしか)の病原菌が体のなかに入った時に、実は抵抗力ができたというよりも、体の中で「麻疹(はしか)によって排泄しなければいけない毒素がもう自分の中に無いので、麻疹(はしか)の菌は必要ありません」と反応するのです。

だから、一回麻疹(はしか)になっていれば麻疹(はしか)にならないのですよ、と。非常にわかりやすい解説をしておられる訳です。この内容は最新のブログ「岩戸開き」に掲載されていますので、今日帰られたらもう一度確認していただきたいと思います。

『錯覚』状態に陥(おちい)らされている現代人

こういう概念の変更を、実はメシヤ様は我々にしてくださっておられるのですが、それ以上に子供の頃から抵抗力の話がズーッとなされて来ています。

それで、梅雨に入る時必ず注意があります。入梅時には「○○ということに注意していかなければいけない」というような注意です。また、夏休みになる時には「暴飲暴食を慎みなさい」とか、「外から帰ってきたら手を洗いなさい。嗽(うがい)をしなさい。」・・・こういうことが幾重にも繰り返し教え込まれます。

そのために我々の中に育っている健康に対する概念は、全く勘違いさせられたものを持たされています。これをメシヤ様は、今月掲載した『文明の創造』の中では、『錯覚』という表現を用いられています。この錯覚状態に我々は陥(おちい)らされているというふうな認識を持っておかなければ、いつもテレビなどから入ってくる情報に知らず識らずのうちに振り回されて、自分達の信念体系がグラグラにさせられるという世の中であります。

しかし、一方では今回の大震災を通して(まだまだ行方不明者がたくさんいらっしゃいますので、中々このことに触れることができないのですけれども)日本人の善意というものが確実に広がって来ております。それから、それに知恵が加わってきています。今朝のテレビでもですね、行方不明者の方々を機動隊の応援部隊が来て沼地に長靴を履いて、そして、肩まである手袋をして手探りで泥を全部かき揚げながら、ご遺体の捜索をしております。一時間に1メートルしか進めないという中で、機動隊はご遺族のために、一体でも発見したいということで奮闘しております。

そういう人間観、素晴らしい人間性とともに、ボランティアの皆様の中では、現地にいけない方々が、我々もそうですけども被災地に必要な物をどのようにして送り届けるかということで、インターネットを通じて、“この避難地にはこういう物が必要です”と、それから避難地で仮設住宅の抽選が当たって、住めるようになった時には“家電のこういう物が必要です”というように、そういう情報のサイトを開いて被災地と連携して本当に必要なものを送るという知恵も出て来ています。非常に情報を共有できるような世の中になって来ています。

このことが、今回掲載の『文明の創造』の中にメシヤ様が、お述べになっておられることに繋がります。

『人間の不幸をより減らすべく社会の組織機構は固より、政治、経済、教育、道徳、芸術等、凡(あら)ゆる文化面に亘(わた)って学問を進歩させ巧妙な機関施設等を作り、それが進歩発達して、現在の如き文明社会を作ったのであるから、帰する処来るべき地上天国樹立の為の準備に外ならなかったのである。』

とお書きになっておられますので、『地上天国』樹立のための、そういう物的な準備が確実に進んでいるということなのです。

しかし、残念ながら一番最後にご報告のあったT.Jさんの内容のように、世界救世(きゅうせい)教の箱根神仙郷を管理している団体がそのことがさっぱりわかっていません。宗教の役割をわかっていない上に『超宗教』という言葉を使って、社会のことがわからない上に『社会性』という言葉を使って、活動を進めているということです。これが呆れるほどに残念なことなのです。T.Jさんが吐露された心情の核心部分でもあります。

信仰改革、教団改革が先送りされたために不幸者が続出

もうこの発表を聞きながら、私の涙が止まらなかったのは・・・。昭和五十九年から教団浄化が起きて、そして私は現・主之光教団の前身である「教団護持委員会」を通して、教団改革に立ち上がったのですけども、この教団改革を成し遂げることができなかった、という申し訳なさに涙が出たのです。

本当に信者さん方に申し訳ないままに、教団改革を中途半端なままにしてしまったということは、現在でもそのために苦しんでおられる方々が、大勢いらっしゃる訳ですので・・・この方々に大変申し訳ない、という思いで・・・最後にT.Jさんが、メシヤ様にお詫びをしていただいたこと、その言葉に尽きると思います。

ここに参集する皆様方の尽力によって、メシヤ様の御精神、御意図が遍(あまね)く広がるような取り組みを進めて、何としても本来の御神業推進をさせていただきたい、と切に願っております。

そして、そうした時に力になるのが平田さんの発表であります。昨年八月に入会をして、今年一月までご家族や信者さん以外の方に浄霊を取り次ぐことができなかったのですけれども、支部で力をいただきつつ様々な勉強をする中で、浄霊をすることが許されるようになりました。純真かつ素朴なご心境を笑いを誘いながら発表していただきました。ここに集うお一人お一人がそういうところへ、一段でも二段でもステップアップしていただいて、メシヤ様の御光を一層間配る機会にしていただければ、大変有難いと思います。

(実際は、参拝の皆さんに発表したい御守護報告がたくさんあることを承知しています。また、報告したい顔もされていました。時間の関係から、その中から厳選して発表していただいたのです。)

そういうことを進めてゆく根っこに、もう一度ですね、この「地上天国祭」の意義である『夜昼転換』ということをしっかりと、肚に入れていただきたいと思います。『夜昼転換』という御教えは、言葉はズーッと頭の中に入って来ているのですけれども、これを日常生活の中でどのように実践に活かしてゆくかというか、実践してゆく取り組みが既存の教団では弱かったと思います。メシヤ様を教祖として仰いでいる教団では、押し並べて『夜昼転換』の御教えは根幹になる教えなのですけれども、その実践化が非常に弱かったところがあります。

日々、朝夕拝をさせていただくのですけれども、その朝夕拝の祝詞の意味を確認して、そして、祝詞に沿って、自分自身を『夜の思想』から『昼の思想』に変えてゆく確認をするような指導がなされていないところがある訳です。どうか「地上天国祭」を機会にそういったところを再確認していただいて、進んでいただきたいと思います。

今月の「メシヤ講座」最終のところで、「詳細に亘(わた)って解説を加える」と記述しましたが、T.Jさんの原稿を、枚方支部のホームページへアップしていただきます。お聞きのように、昭和二十八年から平成二十三年まで時系列で纏(まと)めてくださっておりますので、そのことをもう一回確認していただいて、自分の中に染み付いている組織上の信仰態勢というものをチェックしながら、どうか自分自身を『夜昼転換』させるような、精神革命の営みに活かしていただければ、その事が本日の解説に繋がると思いますので、一つお願いしておきます。

『夜昼転換』の歴史観が不可欠

それから、『夜昼転換』の御教えというのは世界救世(メシヤ)教の歴史観でありますので、歴史を見つめる時の根底にこの御教えをおいていただきたいと思います。そして、現在子育て中の方も、あるいは、お孫さんがいらっしゃる方も、『夜昼転換』を根底においた歴史の見方というものを、しっかりと取り次いでいただきたいと思います。

『夜昼転換』の歴史観がない人間というのは、これから『地上天国建設』という御神業推進にはお役に立てません。

それだからこそ、お子さん達やお孫さん達に取り次ぎながら、自分自身にもこの歴史観を自己教育していただきたいのです。この教育を通して『地上天国建設』のお役に立つ自分づくりを、一方では進めていただきたいと思います。

そして、メシヤ様を教祖と仰いでいる教団の人達へ積極的に働きかけ、その歴史観に気付いていただくようにしていただきたいのです。メシヤ様に繋がる者達が本来の役割を担っていけるように、本来の役割を担いさえすれば御守護に溢れる、そういう生活が今日の発表者のように日常的に許されていきますので、この場に全国を代表してお集まりいただいたお一人お一人が、そうした使命感を今一層持っていただいて取り組みを進めていただければ今日の祭典が大変意義あるものになります。

また、明日から西へ向かって「メシヤ講座」をズーッと開いていきますが、前半学んだ方々はその時に得た「メシヤ講座」の内容、特に『文明の創造』を拝読した時にメシヤ様がきっちりと教えてくださっている、そのお言葉一つひとつを噛み締めておいていただきたいと思います。

『神の経綸の骨子』という重いお言葉

T.Jさんが「経綸」だと教団の中から出てくると「ああそうなんだと思ってしまっていた」と振り返っていただいていますが、『神の経綸の骨子』というものを今回明確に記述していただいております。

それから、『茲(ここ)に神は文明の大転換を行はんが為、私に対し真理を開示されたのであるから、・・・』という表現をなされていますけれども、主神様はメシヤ様に真理を解き明かしてくださった訳です。

三重支部の「メシヤ講座」で触れた内容ですが、メシヤ様の御尊影は真正面を向いておりません。主神様にお参りする人間を見られております。何故そういう角度でメシヤ様はお写真を撮影させられたのか。真正面からお祈りさせるためではなくて、主神様に真向かう人間をメシヤ様はジッと、そのお参りする人の肚を見ているのだ、という角度で写られております。

このメシヤ様の眼差しに自分がより照らされる中で主神様にお祈りさせていただいているという、そういう信仰をより自分の中に問いかけながら支部での参拝、家庭での参拝に取り組んでいただきたいと思います。そして、そのメシヤ様の御心に適うべく、「惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)」という言霊を唱えていただければ大変有り難いと思います。

非常に言葉足らずではありますが、四人の方々の貴重な体験報告を感涙に咽(むせ)びながら聞き、そして、学びとしたいところを皆様方にお伝えして、私の挨拶とさせていただきます。

どうか今日を新たな出発点として、御神業により一層ご精進していただけることをお願い致しまして「地上天国祭」の挨拶を終わらせていただきます。ありがとうございました。

<参照ブログ:「岩戸開き」>

メシヤ様(岡田茂吉メシヤ教教祖)の御教えより

抵抗力

『よく医学では「病気に侵されないようにするには抵抗力を強くしろ」というが、之(これ)は反対である、何となれば抵抗力があるから病気に罹(かか)るのである、言う迄(まで)もなく抵抗力とは浄化作用であるからである、処(ところ)が逆理的医学(ぎゃくりてきいがく)は、病気に罹(かか)らないようにするには抵抗力を強めるとなし、薬毒を入れるので反(かえ)って衰弱する、その為浄化力が発生しない、抵抗が弱まるから病気に罹(かか)らないという訳で、如何(いか)に間違っているかが判(わか)るであろう。』

(「救世 50号」  昭和25年2月18日)

<参照サイト:「メシヤ講座・三重」>

○御神体御奉斎の形式だから、「将来メシヤ様の御尊影を御神体にしたらどうか。」という意見もありますが、メシヤ様は斜めを御向きになっておられます。真っ直ぐを御向きになっておられませんね。御神体とすべきであるならばメシヤ様は真っ直ぐ正面をお向きになっておられないとね。

しかし、御神体にお参りしようと、皆さんがここへ座られると位置的にピッタリなのです。角度的に。この御尊影をお撮りになられたときに、正面を御向きになられなかったということは、今のこのような御奉斎形式を御想定の上でお撮りになられたのではないでしょうか。

○主神様とメシヤ様の御関係

『文明の創造』をお書きになられた時に、『私に対して真理を開示された』と、書かれておられますので、『私によって開示した』とはお書きになっておられません。

『文明の創造』をお書きになられた時に

『私に対して真理を開示されたのであるから、之によってある程度悪を制約し、善主悪従の文明世界樹立の時となったのである。』

と書かれている訳ですので、神様のことを細かく書いてはおられませんけど、主神様と御自分の関係ということをこのように開示して下さっておられます。ですから、ここの項は物凄く有難い。

我々が今後信仰を益々磨きをかけて行く上でね。大変有難い書き方をされておられるかと思います。そういうふうにして繰り返し繰り返し拝読して頂けると我々の信仰が一気に引き上げられると思います。