メシヤ講座・特選集no.121(平成23年2月分)

<御教え>

『文明の創造』総篇
既成文化の謬点(びゅうてん)

(文創  昭和二十七年)
此(この)著は序文にもある通り、現代文明に対する原子爆弾といってもよからう。そうして既成文明の根幹となってゐる宗教も、思想も、哲学も、教育も、科学も、芸術も悉(ことごと)く包含されてをり、其(その)一々に就(つい)て鋭い眼を以て、徹底的に批判し究明し、赤裸々に露 呈してあるから、之を読むとしたら何人と雖(いえど)も古い衣を脱ぎ棄(す)て、新しき衣と着更(きが)へざるを得ないであらう。此(この)意味に於て本著が人々の眼を覚ますとしたら、茲(ここ)に既成文明は一大センセーションを捲(まき)起し、百八十度の転換となるのは必然であり、此(この)著完成の暁は全世界の宗教界、各大学、学界、言論界、著名人等に適当な方法を以て配布すると共に、ノーベル賞審査委員会にも出すつもりであるが、只(ただ)惜しむらくは同審査委員諸氏は、唯物科学の権威であるから、初めから理解する事は困難であらうが、此(この)著の説く処科学の根本をも明示してあり、悉(ことごと)くが不滅の真理である以上、充分検討されるとしたら、理解されない筈(はず)はないと思うのである。

之に就(つい)て重要な事は、今日迄の学者の頭脳である。それは彼等は宗教と科学とを別々のものとして扱って来た事で、此(この)考へ方こそ大きな誤りであったので、それを根本から解明するのが此(この)著の目的である。そうして地球上に於ける森羅万象一切は、相反する二様のものから形成されてゐる。それは陰陽、明暗、表裏、霊体といふやうになってゐる。処が今日迄の学問は体の面のみを認めて、霊の面を全然無視してゐた事である。といふのは霊は目に見えず、機械でも測定出来なかったからでもあるが、其(その)為学問では今日迄地球の外部は、只(ただ)空気と電気だけの存在しか分ってゐなかったのである。処が私はそれ以外確実に存在してゐる霊気なるものを発見したのである。之に就(つい)ては先づ地球上の空間の実態からかいてみるが、それは斯(こ)うである。即ち前記の如く霊気(火)空気(水)の二原素が密合し、一元化した気体のやうなものが、固体である地塊(土壌)を包んでをり、此(この)三原素が合体して、宇宙の中心に位置してゐるので、之が吾々の住んでゐる世界及び周囲の状態である。処が科学は右の空気と土壌のみを認めて、霊を認めなかったが為、空気と土壌の二原素のみを対象として研究し進歩して来たのであるから、言はば三分の二だけの科学で全体ではなかったのである。此(この)根本的欠陥の為如何に進歩発達したといっても、三位一体的真理に外れてゐる以上、現在の如き学理と実際とが常に矛盾してゐたのであるから、此(この)欠陥を発見し是正しない限り、真の文明世界は生れる筈(はず)はないのである。そうして右三者の関係を一層詳しくかいてみると、経(たて)には霊、空、地の順序となってをり、彼(か)の日月地の位置がよくそれを示してゐると共に、緯(よこ)即ち平面的には三者密合し重り合ひ、距離は絶対なく、渾然(こんぜん)と一丸になって中空に浮んでゐるのが地球である。勿論三者夫々(それぞれ)の性能と運動状態は異ってゐる。即ち火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。そうして経(たて)と緯(よこ)とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動してゐるのである。そうして此(この)気流なるものは空(くう)の如く無の如くである為、現在の学問程度では到底把握出来ないのである。然(しか)るに意外にも此(この)気体其(その)ものこそ、実は一切万有の力の根原であって、其(その)本質に至っては実に幽幻霊妙想像に絶するものである。仏者のいふ覚者とは此(この)一部を知り得た人間を言ったもので、それ以上になった者が大覚者であり、一層徹底した大覚者が見真実の境地に到達したのである。釈迦、キリストは此(この)部類に属するのであるが、只併(ただしか)し此(この)二聖者は時期尚早の為、或(ある)程度以上の力を附与されなかった事である。それが為救世的力の不足はどうしやうもなかった。其(その)証拠として両聖者は固より、其(その)流れを汲んだ幾多覚者達の努力によっても、今以て人類の苦悩は解決されないに見て明かである。処が愈々(いよいよ)天の時来って絶対力を与へられ、其(その)行使による人類救済の大使命を帯びて出顕したのが私である以上、私によって真理の深奥を説き、人類最後の救ひを実行すると共に、新文明世界設計に就(つい)ての指導的役割をも併せ行ふのであるから、実に全人類に対する空前絶後の一大福音(ふくいん)である。

茲(ここ)で話は戻るが、前記の如き物質偏重の文化を見真実の眼を以て、大局から検討してみる時、意外にもそれによって今日の如き絢爛(けんらん)たる文化が発生し、進歩しつつあったのであるから、此(この)矛盾こそ実に神秘極まるものであって、之こそ神の経綸に外ならないのである。之を一言にしていえば、現在迄の文明は前記の如く体的面は成功したが、霊的面は失敗した事である。では何が故(ゆえ)に神は最初から失敗のない完全な文明を創造されなかったかといふと、此(この)疑問こそ此著を順次精読するに従ひ、初めて判然と理解されるのである。

 

≪解説≫
あらゆる文化の切り替えを導く
御論文『文明の創造』

メシヤ教代表 楳木和麿

『空前絶後の大事変』とは何を指すのか

2月度のメシヤ講座の内容は、最初に三重支部が発信して、次いで浜松支部、枚方支部、と続いて発信してくれました。今回、本格的な言霊学の引用文があり、その解説も加えていますので、原稿作成は大変であったことと推察いたします。それにもかかわらず、それぞれよくまとめていただいています。また、各地でお願いした『文明の創造』本文に対する質問も個々に寄せていただきました。どなたにもご理解いただける内容を目指す上で、質問内容が仕上げの完成度を高めますので、今後とも質問の投稿を継続していただきたい、と願っています。

さて、『文明の創造』総篇の序文は幾度となく書き直されたことが拝察されます。それ故に、信徒としては繰り返し拝読して御神意を求めてゆかねばならないところです。その点、三重支部で的を得た質問が出ましたので、それに答える形で論を展開することができました。“『文明の創造』の編纂、校正の作業で拝読回数が多いだけに、さすがに鋭い質問である”と心中ニンマリしながら質疑を続けました。三重支部HPから冒頭部分を引用します。

 〇空前絶後の大事変

(質問者)
『空前絶後の大事変』とは何を言うのでしょうか

(先生)
これね、良く読んでください。大事なところだから。

『そうして右の如く最後の審判が終るや、』です。そして『愈々(いよいよ) 新世界建設の運びになるのであるが、其(その)転換期に於ける凡(あら)ゆる文化の切換へこそ、空前絶後の大事変であって、』と書かれてあるからね。『凡(あら)ゆる文化の切換へこそ、空前絶後』なんだと。「何でしょうか?」でなくてね。

この文化の切り替えが那辺たるやということですね。【那辺・・・どのあたり】 これが今自画自賛になってしまいますが、メシヤ講座で話している言霊(ことたま)の内容とかが文化の切り替えの根底になってきます。

要するにメシヤ様は言霊学とかお話されてはいましたが、時期の関係上『今は言えない』と仰っておられたのです。

今回は文章が現代文ではないので解りにくいのですけども、言霊学の根っこになっている大石凝真素美(おおいしごり ますみ)という人の論文を紹介した訳です。空前絶後でしょう。読んでいたら(笑い)・・・。こういうものの真諦(しんてい)をメシヤ様は明らかにされて、しかも平易な表現で私達に教えてくださっているので大変有り難い訳です。それで、今回その根っこの部分を皆さま方に提示してそのことによって文化を切り替えて行くのです。

以下、三重支部での「メシヤ講座(平成23年2月分)」を再読していただき、参考にしてください。じっくりと目を通していただきたい願いから、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に次のように書き込みました。

(前略) 2月度「メシヤ講座」を全国で開催してみて、言霊に関する解り難い文章に対する向き合い方に課題がありました。私が説明したのは、「言霊学だから発声することに主眼を置かなければ理解できない」ということです。それで読み方の見本を示しました。会を重ねる毎に補足して説明を加えるうちに、こちらも引用すべきものが明らかになってまいりましたので、次回特選集にまとめたいと考えています。

そして何より、御論文『文明の創造』では三重支部でアップされた内容の冒頭の質問が的を得ており、『空前絶後の大事変』の中身こそ多くの人々が取り違えていることを指摘することができました。

『最後の審判』を強調しても『文化の切換へ』に対する説明不足のために、恐怖信仰に利用されてしまいました。

取り分け、『文化の切換へ』のための探究、つまり、メシヤ様が『今は言えない』とされた内容を明らかにする取り組みの不足のために、教団紛争に明け暮れてきたのが現実です。例えば、『善言讃詞』の内容(表記)を変更するについても、教義的な裏付けを取らずに行っております。裏付けとは『今は言えない』内容の説明です。説明ができるからこそ変更も可能なはずなのです。

しかし、言霊学を理解していないために言霊の並列に対する認識が浅く、安易な言葉上の解釈で行っているのです。

ですから、それらを正す意味において今月は特に言霊学の大家とされる大石凝氏の文章を引用いたしました。その意味するところをご賢察いただきたいところです。

更に、三重支部では『罪深き者は滅び、罪浅き者は救はれて』に関する質問が出ました。そのことから、メシヤ様が採用された天津祝詞と一般神社が使用している天津祝詞の違いは教義上重要な意味を持つことなども説明できたことが良かった、と顧みています。(後略)

ここで、特に認識していただきたいのは、『序文』中の

『聖書にある世の終りとは、此(この)仮相文明世界の終りを言ったものである。』

という御指摘です。『世の終わり』という文言から『終末論』的な論立てを多くの宗教が採り、人々の恐怖心を煽って信仰心を持たせようとしましたが、メシヤ様の示された内容は全く趣(おもむき)を異にされているのです。『仮相文明の終り』という、そうした視点を持たなければ、『あらゆる文化の切換え』に繋がる論立てにはなりません。そういうことでは、例えば芸術論に対しても本来的意味を理解できないことになります。

善言讃詞の言霊の並列に対する認識に併せ、『天津祝詞は大和民族の宗家である神様が御創りになったもの』と教えられているにもかかわらず、その奏上を廃止する目論見は何か。その答えは言わずと知れたことになるのです。本来の御神業とは異なる方向にあることを指摘しなければなりません。そうした点を注視する機会にしていただきたいのです。

思考停止を乗り越えてゆく糸口

ところが、ともすると、私達には、今まで目にしたことのないような文章を読んだ際に、自らの好みに合った内容の場合は素直に「興味深い話ですね」と言うのですが、そうでない場合は「難しいですね」と言って、思考を停止させる癖があります。しかし、そうした癖に引きずられていては、三重支部で質問が出た『空前絶後の大事変』に対応できません。

それを乗り越えてゆく糸口にしていただきたく、浜松支部所属の小学生が挑んでくれた宇宙の半径の概略を計算した内容を次に浜松支部HPから紹介します。

先生

今回の文章はわかりやすかったですか、難しかったですか・・・?その前に○○君、先月の計算はできていますか?

参加者○○君

はい。

先生

では答えを言ってみてください。

参加者○○君

1419垓(がい)1200京(けい)になりました。

先生

そうするとその京(けい)には0(ゼロ)はいくつ付きましたか?

参加者○○君

16です。

先生

よし!よろしい。

今の数字、垓(がい)とか京(けい)とか覚えていますか?億の上が兆で、その上に京、というように数の単位があるでしょう。

これは宇宙の半径を彼に計算してもらったのです。宇宙の半径は大体学者たちは150億光年と言っています。宇宙ができてから大体150億年経ったと言われていますから、宇宙の半径は150億光年というわけですね。光の速度は一秒間に30万km到達するのですが、これは大体地球の7周半ということになっています。一秒間に光がどれだけ進むのかという計算は地球の半径×2×3.14×7.5ということになります。これが一秒間だから、これに60×60×24の計算をすると一日で進む光の距離が出ます。一年間を出すにはこれに365をかけると一年間に光の進む距離が計算できるということになります。それに×150億という計算をすると今の答えが出てきたのだね。よく計算できたと思いますね。これが今の宇宙のおおよその広さの半径です。では何故宇宙の広さを知ろうとしたのかと言うと、宇宙全体が主神様の御肉体、大きさだと大体理解していただければと思います。この宇宙の大きさを知ると同時に、この150億年の間に何が起きてきたのかと考えてみますと・・・。(後略)

この内容について、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に次のように書き込みました。

(前略)浜松支部でアップしてくれた「メシヤ講座」の冒頭で、宇宙のおおよその半径を計算してくれた○○君は小学5年生です。よくぞ計算に挑戦してくれた!と感心しています。

何故、こうした作業に挑んでもらったかと言いますと、『宗教と科学の一致』を意識して唯物的に主神様への理解を試みる場合に、小学生のレベルで理解する手立てとしてこうした表現ができることを示したかったのです。小学生の学力でこれ位の表現ができる、ということを是非認識していただきたいのです。宇宙のおおよその半径の数字や150億光年ということから、「世界一切の極元(ごもと)の眞體(しんてい)をも其(その)成り立ちの秩序をも億兆万々刧々(こうこう)年度刧大約(おほつな)恒々兮(たる)大造化の眞象をも遂一明かに、資(と)り得らるるなり。」という文面がより具体的に理解し易くなるのではないかと思います。

このように数式は如何にも唯物的なアプローチですが、おぼろげながらでも全体像の把握ができます。そうした総合的な概念を有していませんと、進級により各論で深みが出た際にそれらに囚われてバランスを崩してしまいます。そこへゆくと、大きく高い視点を確保しておきますと、バランスの取れた学習を積み重ねることができます。また、大きな視座を志せば、どこまで進んでも浅学の自覚が存在します。それが『稔る程頭を下げる稲穂かな』という境地へと導いてくれます。

この姿勢を確保できると、仮に布教師を志した際には「神は信じないが、宇宙の力は信じる」という考えを持つ人にも柔軟に対応できるようになります。高飛車な態度に出ませんし、無礼なこともしません。そして、たとえ信徒から慕われ高い時所位を得ようとも下意上達の精神を失わずに済みます。

言い方を変えれば、下意上達の姿勢がない教団は、上位者が人格的にも学力的にも低いレベルにあるのです。それが前回書き込んだように、『最後の審判』という文言を用いて脅迫信仰を形成してゆくのです。「経綸に乗れない」「経綸に乗り遅れる」という言い回しによって活動方針に添わせようとするのです。『経綸』とは、そうした短期的なものではなく、宇宙形成の時間軸の上にあるものなのです。

『世界救世(メシヤ)教 教義』冒頭の文面を拝読すれば、一目瞭然なのです。

また、この機会に是非再認識していただきたいことは、「天国会」と「五六七会」それぞれの教義を統合して、より御神意に沿う形に練られたものが『世界救世(メシヤ)教 教義』である、ということです。

メシヤ様が信仰形態を整えられようとされた御意図がそこに拝察されます。

信仰形態を規定する内容が網羅されている

小学生に何故、宇宙の半径を認識する手法の一つを提起して、その作業に取り組んでいただいたかと言いますと、序文に

『又今一つの“洽(あまね)く天国の福音(ふくいん)を宣(の)べ伝へられるべし。然(しか)る後末期到る”との予言も、此(この)著の頒布(はんぷ)である事は言う迄もない。そうしてバイブルはキリストの教へを綴ったものであるが、此(この)著はキリストが繰返し曰(い)はれた処の、彼の天の父であるエホバ直接の啓示でもある。』

と記述されているからです。前回も触れましたが、この認識が希薄である、というよりも、今日までほとんど注視されてきませんでした。それでは、メシヤ様の御神格も正しく認識できないばかりか、認識不足に起因して恩恵に浴することができにくい状況を招いてしまいます。

つまり、私達の信仰概念に『エホバ直接の啓示』ということが明確に留められていなければ、メシヤ様の説かれた御教えを理解しているということになりません。そして、認識を深めるためには多角的に具体性のある把握に挑まねばならないのです。

そうした意識付けをするために、まどろっこしい学問的アプローチになったのです。

また、ここで触れた「天国会」と「五六七会」の教義は、信仰形態を整えるために作成されたものをメシヤ様から認めていただいたものですが、「世界救世(メシヤ)教」開教の運びを得て、『世界救世(メシヤ)教 教義』として進歩発展しました。『エホバ直接の啓示』という概念が意識付けられた次は、開教後直(ただ)ちに『世界救世(メシヤ)教 教義』を御発表になられたメシヤ様の御意図を求めなければなりません。

ここには、これまで述べてきた神観をはじめ、人間観、宗教観が簡潔にまとめられて、しかも歴史観、世界観に基づく開教の御神意が述べられています。短文ながら信仰形態を規定する内容が網羅されているのです。文字通り教義として存在感が迫ってまいります。

ですから、メシヤ様が『纏(まと)めるのは君達だ』と仰った御意図は、神観、人間観・・・と御教えをまとめて、信仰形態を具体的に整えることなのです。

言霊学者の研究とメシヤ様の御教えの対比で論拠を求める

その内容について枚方支部HPで様々な角度から挑戦していただいていますが、今回初めてアップされた「メシヤ講座」で詳細触れていますので、参照いただきたいと思います。

枚方支部がアップしましたものは、当日の質疑応答をそのままテープ起こしして、未だ参加したことのない人のために臨場感たっぷりに紹介していただいています。

また、各地の「メシヤ講座」で『蓋(けだ)し「ス」の言たるや⦿(す)にして⦿(す)なるが故に既に七十五聲の性靈を全備して、純乎(じゅんこ)として各皆其(その)眞位(みくらい)を保ちつつ有るなり、』にある「七十五聲の性靈」の意味を解説するために引用した資料は、月の前半は提示しながら説明しましたが、群馬会場からは資料のコピーを渡して説明しました。

その資料を枚方支部で掲載していただいていますので、川崎会場から西の方々はそれをプリントしていただき、お手元に資料として常備していただきたいと思います。

資料中のホツマツタヱの表については、母音は、五輪塔の空、風、火、水、地と意味を共通していることを過去の「メシヤ講座」で説明したことがあります。その復習的になりますが説明を加えました。この母音の要素、働き、意味に対して「・」を加えることによって母音の音声がそれぞれ発します。つまり「・」が打たれることにより「あ、い、う、え、お」と鳴り出でることになります。

子音では、「○」に縦線が加わると「か」という音声が発します。要素である縦線は真っ二つに割る、区切る働きとなり、母音の要素に縦線が加わると「か行」となり、御教えでは『カ行、物を区切る働き、カ行音の人は几帳面です。』となっておりますので、一致します。

このように順々に照らし合わせていただきたいと思います。縦二本線は三等分、縦横十字の線は縦横に区切るという働きと縦横結ぶという働きがある、と言霊学上考えられています。

さらに「T」は上位の意思が垂れる働きを有し、その逆は上位の意思が下位に留まる、行き渡る働きがあります。加えて下意上達の働きおも考えられます。「Y」は集合の働きで、その逆は拡散の働きとされています。そして横一線は横に割る、横に区切る働きです。そして、「□」が回転して「・」が加わると「わ」となり、これは回転すると角が取れるから輪になり、御教えの『 ワ行、和、輪、柔らげる働きです。』に共通するところです。

このように言霊の働きとメシヤ様の御教え(下に引用)を照らし合わせた瞬間に、その意味するところがお判りになる部分があるのではないかと思います。

こうしたことを踏まえてこそ、ご参拝の際に「謹んで御神名を唱えさせていただく」という想念が確立でき、姿勢づくりもできるのです。かつて、「主神様の御神体では、その御存在が高く大き過ぎてしまうのでは・・・」と意見を寄せた役員もいましたが、そうした屁理屈を言う前に『⦿(す)』という意味を求め、意味を心得たならば、それに相応しい想念づくりに取り組むことこそ最重要事なのです。

言霊学の引用は、想念と信仰姿勢を高めるために教材としたことを重く受け止めていただきたいと思います。それでは下記に引用いたします。

HP_メシヤ講座・特選集no121_201102

 

次は御教え『御光話録』よりの引用です。

 “言霊学上ア行以下各行の働き、意味につき御教示を御願ひ致します。

“ア行は天、火、霊の働きで、オ行は地の働きです。ウ行は中間。

ア行、基礎音、上の働き、例へばアタマ等。
カ行、物を区切る働き、カ行音の人は几帳面です。
サ行、天狗の音、サ行音の人は天狗で、云ひ出したら聞かない。
サ行音が二つの人は特にさうです。
タ行、物を強める働き。
ナ行、地の音、七の働き。
ハ行、開く、又火の働き、八。
マ行、女性音、オミナ等。
ヤ行、速度の働き。
ラ行、竜神の働き。
ワ行、和、輪、柔らげる働きです。

(御光話録 昭和二十三年十月十八日)

このホツマツタヱの表は、どこまでも解説者がまとめたもので、存在の事実は正しいのですが解釈の全てが正しいという立場にないことを明記しておかねばなりません。それは、御光話録にある御解説と一部食い違うところもあるからです。その点をご賢察の上で照らし合わせていただき、今後の学びの参考にしていただきたい、と思っております。

“それでは、この古代文字はどのように扱われていたか”ということが、各地でも話題になりました。当時の人々は薬毒の影響を受けていないので非常に記憶力がよく、記録のための文字を必要としなかった、と言われています。生まれてから死ぬまでの自らに関わる事象をすべて記憶していた、と言われます。しかし、皇室だけは各地の記録を残すために文字を使用し、その一つがホツマ文字であるのです。しかも、霊性の高さから、同じ文字の使用でも何を表わしていたかを察知できた、とされています。

記憶力について疑問を持つ人もいるかと思いますが、不肖私の祖父は、村の過去の行事について何年何月何日を全て記憶しており、他界するまで生きた記録簿としてあり続けました。そのことは絶対音階を有する才能と並べ併せて解すれば、類推できるのではないでしょうか。

話は戻りますが、教義を出発点として御教え編纂に基づく信仰形態の整備が不可欠であることを認識していただきたいのです。『文明の創造』の仕上げとは、その作業なのです。

こうした基礎を前提として持った上で『文明の創造』を拝読すると、より理解が深まると思われます。今回掲載の『既成文化の謬点(びゅうてん)』を拝読した時に、私達の培った信仰の概念がメシヤ様の御神意に沿っていることを確認できる箇所があります。3月の「メシヤ講座」では、その点をより深めて学び合いたいと考えています。