この一年を振り返り更なるお光の強さを知る

岡山支部 高橋幸治(元世界救世教いづのめ教団所属)

 

皆様、メシヤ様御降臨祭、誠におめでとうございます。岡山支部の高橋と言います。この一年間に亘りまして、私自身と私の回りの方々にいただきました御守護の数々について報告をさせていただきます。

メシヤ教に繋がるまでの経緯

先ず、私がメシヤ教に繋がるまでの経緯を報告させていただきますが、その発端は妻の浄化が元でした。数年前より、食べ物が食道で詰まり、胃へ入りにくくなり、詰まりや嘔吐があるような状態が続いていました。逆流性食道炎かなと思い、病院で診察を受けた所、「食道アカラシア」という十万人に一人とかの病気であることがわかりました。

その時、私や家族は、○○○○教団に入信しておりましたので、その当時の西日本教区長に面談をして頂き、ネットや何かで病気のことについて、もっと調べて見なさいとのお言葉をいただきました。教区長の真意ははっきりとは分かりませんでしたが治療法や対処の仕方を自分なりによく調べなさいということだと受け止めました。

ちょうどその頃、私自身も造船所内で鉄板を切断するという仕事を独立し始めた頃であり、仕事量も少なく時間を持て余しておりましたので、スマートホンで妻の病状のこと、治療法や手術法治療の得意とする病院などをずっと検索しては情報を集めていました。

私の所属していた○○浄霊センターでも、いつの間にか、何かあると病院へ行くようにとの指導を受けるように変わって行っていました。本当にいつからとなく、段々と変わっていったように思います。

あらかた妻の病気の事などについて、調べがついて病院に掛からないといけないのかなと思い始めていましたが、時間を持て余しておりましたので、病気のことだけでなく、世界救世教のことなんかもっと調べてみようと思い、色々検索して見ると、ネットの情報の中には様々なことが出ており、日々奇蹟や、厚いご守護もある教団や信者さんが沢山いることに正直驚きました。その中の一つにルクスオリエンス教団というのがあり、代表の中橋先生の

ご講話などを繰り返し読んだりする中、妻の浄化はきっとご守護頂けるものと思い直し、妻には病院には行かないようにしようと話をしました。

ネットの情報では色々なことが出てまいります。御教えが自由に閲覧出来る神慈秀明会の「通信カレッジ」というのがあり、今まで目にしたことのない御教え等も読む機会をいただき、こんなに沢山の御教えがあるんだなと感激し仕事の合間を見つけては拝読していました。又、「世界救世教 いづのめ教団」と検索しただけで、信じられないような事柄が沢山出てきます。

半信半疑でそれらに色々目を通しているうちに、世界救世教を痛烈に批判している「メシヤ講座」なるものに出会ったのが昨年の夏頃でした。なんの気なしに読み出したのですが、読み出すと止まらなくなり時間の許す限り読みふけっていました。明主様のご神格の受け止め方、御教え通りでない「みたまや」での先祖の祀り方、信仰姿勢、それらの誤りを中々その当時はすぐに受け入れることは出来ませんでした。

今までやってきたことが悉く無駄であったような思いになることもありました。ましてや、「お光」なしで浄霊が出来る時代が来たと言われても「本当かなあ」と疑いの気持ちもありました。ですが、皆さんの体験発表や御守護報告を読んでいますと、神様の御守護の厚さに、驚きとまた羨ましいなという思いが湧いてきました。

そのような中、昨年の熱海での御生誕祭に参拝した際、新幹線内でブログ「日月地」をずっと読んでおりまして、「楳木先生に会ってみたいな」という気持ちになりました。私は尾道在住で岡山支部が近いと思いましたので、年明け直ぐに岡山支部にメールを送りました。

メールの内容は妻の病状の事に始まり、私の家族は次々と不幸な亡くなり方をしたこと、明主様の御教えが絶対のものだと信じれなく道徳のように感じてしまうというような事でした。岡山支部の原田さんよりお返事いただき、1月11日に岡山支部にお伺いすることが決まりました。

妻にきちんとした相談もなく決めてしまったので、最初妻は他教団の方にお世話になるのはどうかと思うと言っておりました。また、妻はセンターで数世帯ですが、お世話人として活動していましたので、複雑な心境であったと思います。ですが、どうしても夫婦で岡山支部にお伺いしたかったので、妻にお願いし一緒に行ってもらうことを了承してもらいました。

 

浄霊力を拝受していただいて・・・

当日、原田さんご夫妻は、初めてお会いするにも係わらず、私や妻の話を根気よく聞いて下さいました。何て感じの良い柔和な方達なんだろうという印象を強く受けました。メールを送っただけの初対面の私達に対して、どうしてこんなに丁寧に答えてくださるのか、お相手をしてくれるのか、少し不思議な思いも持っていました。

ですが原田さんの仰ることは、すっと心に入ってくるご返答や話ばかりでした。昨年夏頃よりメシヤ講座も色々読んでいましたので、「浄霊力拝受お願い書」というものがあると知っていたので早速書かせてもらい、ご祈願をして頂きました。この時は「お光」なしで浄霊力が本当に頂けたのかなと半信半疑でした。

「お光」なしで浄霊が取り次げるとのことだから、試しに当分外してみようと思いお光を外してみました。私は体を使う現場作業をしてますので、体の異変には敏感な方です。その私の体は不思議と軽く、羽が生えたように動ける自分にはビックリしました。

何だろうこの爽快感は・・・疲れ知らずというか、いつまでも同じペースで動ける事に驚いていました。

妻にこの事を話すと、「お光」を外してみようと言って外してみましたが、体が軽くなるようなことはありませんでした。人により様々な感じ方があるんだなあ、一概には言えないんだなと感じました。

ちょうどその頃、メシヤ様ご在世当時からの信者さんで、現在83歳になるAさんとご縁ができました。Aさんは昔から自然農法でお米や野菜を作っており、数々の経験を持たられている方ですが、色々なトラブルがあり、それまで作っていた畑で農業が出来なくなり落ち込んでいた所、私の妻の母であるBさんが、

「高橋家の土地が荒れ放題になっているから、高橋の家で畑をしてみたらどうか。」

というような話をしたことから、私宅でステイしながら農作業を始めていました。

私は浄霊力を拝受していただいたばかりで、物は試しとばかり、Aさんにご浄霊をお取次ぎさせて頂きました。浄霊が終わり、どうだったと?聞いてみた所、

「すごいお光だったよ、前を浄霊してもらっている時に、ここ数年ずっと魚の目が痛いのが、ものすごい痛みになって、浄霊が終わると同時にその痛みが全く消えた・・・なんなのこれは・・・?」

との事でした。浄霊をお取次ぎさせて頂いて痛みが出たり、それが治ったり、すごい浄霊力だと言われるようなことは初めてでした。

「やっぱり浄霊力伝授は嘘ではない、「お光」がなくてもメシヤ様というご神格を認識し、メシヤ様に直に太く繋がりさえすれば、凄いお光がいただけるんだ。」

と実感させて頂きました。

AさんもBさんも不思議がっていたので、メシヤ教の岡山支部という所へ伺って浄霊力伝授して頂いた事や、「お光」を外して浄霊を取り次げる時代になった事などを説明させてもらいました。そして、『メシヤ教』というものを理解してもらうために、2005年、6年頃の「メシヤ講座」をプリントアウトしたものを渡し読んでもらいました。その数日後、二人とも「浄霊力拝受お願い書」を書いてくれました。

それ以来、Bさんも「お光」を外すようになり、私と同じように、体の軽さを体験され驚かれていました。毎日、センターで浄霊を頂かないと、しゃんとしない体の状態だったのが、嘘のように変わっていった現実に驚かれていました。

 

初めての月次祭で・・・

岡山支部2月度の月次祭に、私達夫婦とAさん、Bさんと共にご参拝が許され初めて楳木先生とお会いしました。初めてお会いした時の印象は柔和なお顔の中に、物凄く鋭い目でこちらを見つめる方で、眼力に圧倒されてしまい、自分の中にある悪い所を見透かされたような気持ちになりました。

月次祭の直会後に面談をして頂き、御教え通りに「みたまや」でのお祀りでなく、お仏壇を整えていくことによって、ご守護頂きやすくなるとのご指導をいただきました。また、私達のそれぞれ思い思いに発する質問にも、的確に分かりやすく優しくご指導してくださる楳木先生の姿に皆一同驚きました。

○○○○教団の先生達は、質疑応答形式の座談会や、解決策を共に導き出してくださるような面談はあまりしない為、楳木先生の様に御教えに基づいた考え方や解決策を示されるのはとても新鮮で、お言葉がすっと心に入ってきました。

楳木先生に入会についての心得を聞いた際に、やる気のない者や、メシヤ教を支えていく気のない者に入会して頂いては困ると、きっぱり言われてしまいました。頭をガツンと叩かれた気になると共に、よし入会が許されるよう努力精進していこうという前向きの気持ちも湧いてきました。

お仏壇でのお祀りのご指導を頂いたのですが、当家は真宗ですので、お位牌を仏壇内に置くということを住職が非常に嫌い、以前父の代でお位牌を作った時に住職に叱られた経緯がありまして難しいなと当分の間、迷っていました。私の姉も浄霊センターの代表世話人をしており、ちょくちょく家に訪問に来たりするので、余りいづのめ教団から見て反感を買うことや刺激することをしたくないとの思いから、躊躇していました。

ですが、入会はしたいという思いを妻に相談したら、”今はそのつもりはないが、あなたが入会したいのならどうぞ”と言ってくれたので、岡山支部で教修を受けさせて頂き、3月29日に入会を許されました。

その頃妻は、センターでのお世話人としての自分のあり方、私の○○○○教団に対する考え方、間違っていたお取次ぎをしてきたことが整理出来ず、どうしたらいいんだろうと言っては悶々としていました。2月、3月、4月と、続けて月次祭の後に楳木先生にご面談して頂き、『焦らず、ゆっくり変わっていけたらいいのではないか。お世話をしている方に、ここで学んだ、正しいと思うことを伝えてあげて欲しい』とのご指導をいただいていました。

 

Cさんの帰幽を通して・・・

少し話は戻りますが、2月下旬の事です。Aさんの娘さんは、○○○○教団の専従者であるCさんのところに嫁いでおられまして、Cさんが体調不良とのことで、Aさんは様子を見るために九州へ向かわれました。

Cさんは数年前より「メシヤ講座」を読み、「文明の創造」を購入され、独自に研鑽を積まれておられたようで、自分に繋がっている信者さんや、教団の上役の方達にも岡田茂吉教祖の御神格は『メシヤ様』であるのではないかとの進言をしているような方でした。

教区長までやっていた方ですが、次第に一センターにまで押し込められるような形で○○に転任していました。Cさんの「文明の創造」は手垢だらけで、大事な箇所にはいっぱいマーカーで線を引かれているのを後で見せてもらいました。

2月24日の日にAさんが福岡に着き容態を見てみると、思っていた以上に悪く、原田さんに連絡してご祈願をして欲しいとの連絡を受けました。直ぐに原田さんに連絡しご祈願をして頂けるようお願いをしました。

その際に原田さんから、Cさんの今までの信仰姿勢を簡単で良いので本人に聞いてみて下さいと言われました。

私も一信者ですので、専従者に対してそんなことを聞くのは失礼で躊躇する思いもありましたが、思い切って聞いてみました。

その際Cさんが仰ったのは、自分なりに勉強して明主様の御神格はメシヤ様であると認識するのだけれども、結局人を救う浄霊力がいただけなかったというお話でした。

失礼ではありましたが、私も思う処がありましたので、「信者の皆さんに対して、Cさんから繋がるメシヤ様でなく、メシヤ様と直接繋がることを主眼としたメシヤ教に皆さんをお繋ぎすることが本筋ではないですか?」と言った所、「全くそう思う」と仰っていました。

それからCさんは、少し体調も持ち直し「浄霊力拝受お願い書」を書いて下さり、私自身もお光を外して体が軽くとても調子が良くなった経緯を伝えると、やっぱりそうかと仰って、すぐ「お光」を外されました。そして一時体調が良くなりかけたので、私自身、何とか回復に向かえばいいがと思っていた矢先、2月28日の未明、Aさんや家族に見守らる中、帰幽されました。

この知らせを聞いた時は、悲しくて悔しくて、涙が止まりませんでした。Cさんは亡くなる前に、「これからは、メシヤ教しか救われる所はないから、後はよろしく頼む、楳木先生に会いたかった・・・」と、Aさんに言葉を残し亡くなられたとのことでした。

私も未だにこの事について整理がつきませんが、この時のCさんの言葉に勇気づけられると共に、一人でも多くの岡田茂吉教祖に繋がる方にお伝えしたいと思いました。

 

入会を通して更なるお光の強さを知る

そしてCさんの50日祭を終えAさんが、農作業をする為に我が家に帰ってきました。その時、私は入会しておりましたので、また試しにとばかりに、Aさんに浄霊のお取次ぎをさせて頂きました。

すると、またお光の強さに驚き、魚の目が治った時より凄いお光だと言っていました。浄霊力伝授を通して見せていただいた浄霊の奇蹟、そして入会を通してさらなる浄霊力を頂けたのだと実感できたと共に、メシヤ様は証を見せてくださっているのだと感謝と共に嬉しさがこみ上げてきました。

また義母のBさんは自分の体調がすごく良くなった事や、メシヤ様のご神格を認識し浄霊力伝授を通し、今までとは雲泥の違いで浄霊力を授かることを、浄霊センターの方や東方之光のお友達の方に声を掛けていました。

本年のメシヤ教の地上天国祭でご守護報告をされた小川(胡)さんもそのうちのお一人で、C型肝炎を患いインターフェロンの治療を受けていたのですが、余りに体調が悪いのを見かねて、義母と妻がちょっとお話しようと家に誘ったのが始まりでした。

その後浄霊力を伝授いただき、岡山支部の月次祭へのご参拝が許され、楳木先生との面談を通し、先生のお言葉を素直に受け止め取り組まれた結果、自己浄霊にて大量の痰や涙が出て体調も好転しメキメキ元気になり、あの頃の姿が嘘のように元気な身体を許されると共に、様々な問題が解決されていきました。私の弟と小川さんの娘さんは夫婦なのですが、家庭内のトラブルが結構あり、楳木先生にご相談して、そのご指導どおりに素直に私の妻や小川さんが取り組んだ所、すぐにご守護頂き、今では仲良く夫婦生活が送れるようになりました。

メシヤ教と繋がってから、様々な問題に対する御守護の速さや、神様のお働きが今までとは全く違います。一時期には、神も仏もなしとまで思っていた私ですが、浄霊の力、ご守護の厚さ、問題解決の速さを通し、今までの間違った信仰姿勢をお詫びし、メシヤ教で一から学んでいきたい、人の役に立ちたいと思えるように変わってきました。

又、義母と仲の良かったDさんも、義母と小川さんとでお話をされて直ぐに「浄霊力伝授お願い書」を書いて下さり、浄霊力伝授のことを聞く前の日から、お光が強くなったとの認識が有り何か変わったと言っていました。その様な中でDさんも岡山支部の月次祭のご参拝が許されるようになってきました。こうやって少しずつですが、岡山支部にご参拝が許される方たちが増えていきました。

 

仏壇を整え、霊壇用御神体をお迎えした証

楳木先生や原田さんから色々ご指導頂き、又私もメシヤ教に皆さんをお誘いしているのに、自分の都合でお仏壇を整えるのを躊躇していてはいけないな、ご先祖様をきちんとお祀りしてあげたいという気持ちに変わっていきました。住職の言や、○○○○教団の方たちを刺激するかもしれないと、先越し苦労を考えましたが、これこそ神様にお任せしようと思い、お位牌を整え、お仏壇に霊壇用御神体のご奉斎を決意しました。

 

4月の月次祭で楳木先生より霊壇用御神体をご下付頂き、自分でご奉斎してもいいですよと仰って下さったので、仏壇内の清掃後自分でご奉斎をさせて頂きました。しかし、その際に霊壇用御神体を引っ掛ける金具を仏壇裏に落としてしまい、探しても見つからなかったのでピンで直接止めるようにしてご奉斎を終えました。

後日、原田さんが遷霊式を行うため我が家に来てくださった時にそのことをお話すると、もう一回探してみようと金具を探し始めました。そして、仏壇内の棚を外して奥の方を良く覗いてみると、仏壇の一番下にネズミが巣を作っていたようで、新聞紙が小さくちぎられたようなものが山のように散乱しており、ゴミの山のようになっていました。

それから掃除をし直し綺麗にして、再度仏壇内を懐中電灯で照らした所キラッと光る金具が見つかりました。探しても見つからなかったものが、掃除が済んだとたんに見つかり、出来すぎた話に唖然としてしまいました。この事を通して、神様は汚い所、掃除の出来てない所には、働かれないんだなと痛感しました。形ばかりの掃除をしていたことに反省すると共に、とてもいい学びになりました。

私宅の仏壇はかなり古いもので、金箔も剥げかけているのですが、遷霊式が終わった後仏壇を見ると、仏壇の中がスッキリして、清々しく、キラキラ輝いて見えました。普段より仏壇にお参りしていましたが、初めて受ける感覚でした。妻も家の仏間や仏壇は暗くてあまりこの部屋に入りたがりませんでしたが、そんな妻もお祀りした後に、”こんなにすっきりしてたかな、今までより広くて明るく感じる”と言っていました。

勿論照明などを変えているわけではありません。未だに古い仏壇は、毎日ご参拝が始まると私にはキラキラして見えます。そして遷霊式の時にわかったことですが、当家の「みたまや」には御神体が掛かってなくて、唯の箱だったことがわかりました。

本来、「みたまや」や「紫微宮」の中には、御神体が通常は掛かっていなければならないという認識もありませんでした。ただの箱にご先祖様をお祀りしていたことを、知らなかったこととは言え深く反省しお詫びしました。

高橋家の出来事を義母に伝えた所、B家も御教え通りにお仏壇での御祀りをしたいと言われ、新規にお仏壇とお位牌を用意し遷霊式をしていただく運びになりました。

私の家での仏壇への祀り換えで、私自身、とてもすっきりした気持ちになりましたので、これは百聞は一見に如かずと思い、岡山支部へ参拝が許されるようになった方々に霊壇用御神体ご奉斎、遷霊式に来てくださるよう案内しました。

そして、霊壇用御神体がご奉斎され、祝詞の奏上が始まったと同時に、千手観音様より熱風のような強いお光を感じ、夫々にお仏壇を整えることの大切さを感じたとのことでした。

 

Bさんの入会後の証し

またその頃、私達がメシヤ教の方に出入りをしていることが、浄霊センターの方たちに伝わり始め、私自身も月次祭の祭員の奉仕をしていたのが呼ばれなくなりました。”警戒されているのだろうな、誰かがブロックをかけているのかな”と思うような出来事などがありました。

その頃、義母のBさんは、私たちの今の心境などを理解して欲しい気持ちから、センター長に相談をしました。その際にセンター長は「お光なしでの浄霊を気持ち悪がっている人がいる、どっちつかずは困る、教区長の意見を聞いてみる」等の受け答えをしたとのことでした。

それからBさんは、センター長から教区長たちの意見が帰ってくると待っていたのですが返答もなく、悶々とした日々を送っていましたが、そうした中、こちらから電話を掛けても出てくれない状況などから、これ以上センターの方に迷惑をかけてもいけないし、嫌な気持ちを持ってもらいたくないとの思いから退会を決意しました。その際に妻も、Aさんも一緒に退会しました。

妻は世話人をしており、退会すると私の姉や皆さんに迷惑や心配をかけるから、中々難しいだろうなと思っていましたが、あっさり退会したことに驚きました。

妻がその頃思っていたことは、今まで自分が正しいと思ってやってきた事は、逆に人を不幸にしているのではないか・・・間違ったことを伝えたり、取り次いで来たのではないか・・・そう考えると恐ろしくて、これ以上続けることは出来ないとのことでした。

妻がセンター長に、

「登る道が違っても一緒の山に登ってるのだから、いずれは一緒になる日が来ると思う・・・ メシヤ教はその活動をしてるのだから。」

と言って退会してきたとのことでした。私も心からそう願うばかりです。それから程なくして皆さん教修を受けられ、9月29日、メシヤ教に入会が許されました。

その後して、入会した義母のBさんは、ある日、最近疎遠になっていたEさんが、突然家に来られたので浄霊をお取次ぎしたところ、「○○教区長より凄いお光だ」と言って吃驚して帰られたとのことでしたが、当のBさんも戸惑っておられていましたが、そのことを原田さんに言うと、「その人の口を使って、もの凄いお光を頂いていることを見せてくれているんだね」と教えてくださいました。

 

祖霊による夢知らせ

そういうこともある中、楳木先生や原田さんのご指導の元、D家、小川家のお仏壇の御祀りが整いました。そして、Aさんも仏壇での御祀りをしたいなと思う気持ちはあったのですが、中々踏み切れずにいました。そうした9月下旬頃ですが、Aさんが面白い夢を見ました。

私ともう一人知らない方が小船に乗って現れ、

「お仏壇を用意しに参りましょう、そして10月20日にお祀りをするように。」

と言ったとのことでした。Aさんはこのような夢を見たので、この日に御祀りをさせて頂きたいとの思いを原田さんにお伝えすると、平日でしたが快くお引き受けくださり、夢での指示通り霊壇用御神体ご奉斎並びに遷霊式が許されました。原田さんご夫妻にはお忙しい中、毎月のように福山に足を運んで下さり感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さん御教え通りのご先祖様の御祀りが許され、口々に日々のご守護のありがたさを感じ感謝の言葉を仰っています。ここにはまだ書ききれないくらい、沢山のご守護をいただいています。そして、ほぼ私たち家族と一緒に生活をしているAさんは、

「農作業にしてもすべてが思うように行く。今までこんなに思うようになったことはない。本当にありがたい、ありがたい。」

と毎日のように言っています。83歳だけど、まだまだ自然農法での御用が頂きたい。最低でも90歳まではお使いいただきたいと意気込んでいます。

 

更なる御守護をいただく

私も、三年程前に仕事を独立してから昨年までは仕事量も薄く、用意した資金が昨年末には、ほぼ尽きているような状態でしたので、年末にはこの仕事をもう辞めようかなとも思っていました。それが不思議と今年に入って、メシヤ教と繋がるようになって、段々と生活に困ることが無くなっていきました。そして、大黒様をお願いした5月位からさらに急激に仕事量が増え、それから僅か3か月で昨年度の損失分を取り戻すことが許されました。

メシヤ様の大いなる御守護と共に、現在大黒様は未だに当家には来てくださっていませんが、まだ見ぬ大黒様が御働きいただけてるのかなと感謝しています。

また仕事で使っている機械が、今まではよく故障して仕事が出来なくなることが多かったのですが、思い返してみるとこの一年間殆ど故障なく仕事をさせてもらえました。多少の故障がありましたが、その際には虫の知らせか、交換部品を頼んでおり、修理時間も待つこと無く復旧することができて、大変ありがたいご守護でした。少しずつではありますが「健富和」に向かっている実感があります。

 

御神体御奉斎を通して・・・

そうした様々な証やご守護を通し、自分の悪い癖や弱い所を乗り越えるお力を頂けるよう、メシヤ教のご神体御奉斎が許さるようになりたいとの思いが強くなってきました。今までの二階に御奉斎させて頂こうか、それとも床のある客間にしようかと散々迷いましたが、二階の隅っこに神様を押し込めるようなことをしてはいけない、これが弱い心の元だと思い、妻に相談してもその方が良いと思うと言ってくれたので、皆さんが来られる客間に御奉斎させていただくことにしました。

壁の塗替えや神床の磨き上げを自分で行い、ご奉斎に向けての準備を整えていきました。そして、ご奉斎当日に夢を見ました。それは御神体をご奉斎し、その後直会をしている夢でした。夢の中で直会が終わり、それを片付けようと思い御神体の方を見ると、御神体が裏返っていたので直さなくちゃと思い御神体に近づいていくと、御神体がひらっと元に戻り、戻った御神体には○にチョンのお文字が消えていました。ドキっとして目が覚め、改めて自分の考えが甘かった事に気付かされました。

御教えには、御神体を病気治しや何かの道具に使ってはいけない、家や家族のためだけに頂いているのではないとありますが、御神体をいただけば勝手に幸せになっていくだろうというような安易な思いも持っていました。

地上天国建設の為にメシヤ様が選んで下さった場所であり家だと・・・そのための御神体であり、その為の我が家なんだと、引き締まる思いで朝から掃除をし直しました。そんな思いの中、11月29日に、ご神体御奉斎が許されました。

私たち夫婦は光が見えるとか感じることがない為、実感がなかったのですが、ご神体御奉斎した瞬間にものすごいお光が、この部屋中に走ったと・・・Aさんはそのような感覚を覚えたとのことでした。また御神体から、金色の光りがずっと出ては消えしているとのことです。朝夕拝時には、ずっとそれが見えているとの話を聞き、分からない私達に神様がその実在を示して、お教え下さってるのだなと感じます。

 

来年に向かって・・・

皆さんが言ってくれる中でとっても嬉しい言葉があります。それは、

「メシヤ教へ繋がることが出来たのも、厚いご守護が頂けるのも、あなたが岡山支部に連絡を取ってくれたからだ、ありがとう。

という言葉です・・・やっと本当の信仰に出会えた・・・生きがいを感じて生活できるようになった・・・センターへの参拝や活動に縛られることが無くなり、御教えを読む時間ができ、また御教えを読むのが楽しくて堪らない・・・メシヤ様に真向かっていく為の御神体のご奉斎が許されたい・・・皆さん口々に今の喜びを語ってくれます。

そして、皆さんが健康になっていき、嬉しそうに喜びを語る姿は何にも代えがたい私の幸せです。小っちゃい勇気を振絞り、岡山支部にメールを送らせてもらい、楳木先生を始め原田さん御夫妻、岡山支部の皆さんとご縁を頂けたこと、心からメシヤ様に感謝しています。

○○○○教団でも現在では、薬を飲みながらの浄霊、誰々が手術したなどの話をよく聞きます。余計なお世話かもしれませんが、様々な事で悩んでいる方がおられると思いますが、ちょっとの勇気を出して、メシヤ教の近くの支部にメールを送って見られてはどうでしょうかと、強く思わずにいられません。私もたかが一年間の歩みですが、これ程色んなことを学んだ年はありませんでした。

神の実在を否定しかけていた自分ではありましたが、メシヤ様はお見捨てにならず、数々のご守護や奇蹟をお与え下さり、そのご存在を見せて下さいました。そして、この発表原稿をまとめている最中の出来事ですが、私の二人の子供に浄霊力伝授のお許しをいただきました。「そんなものは絶対書かない」と言っていた二人でしたので、まだまだ先かなと思っていたのですが、親子でゆっくり話をする機会に恵まれ、話し合う中でお願い書を書いてくれました。

メシヤ様、ご先祖様のお働きをものすごく感じ、改めて家庭天国に向けての第一歩を歩み出せたことに感謝でいっぱいです。

これからも本来の御神業を目指して、御教えの拝読とその実践に向けて自らを戒め、怠ることなく日々精進していこうと思っております。

取り留めのないような話ではありますが、今年一年を振り返って報告させていただきました。長くなりましたが、これで体験報告を終わらせていただきます。今後共、よろしくお願い致します。

ありがとうございました。

 

[御蔭話(御神業の変遷)御降臨祭 2015(平成27)年12月]

この投稿へのお問合せ

[print_link]