細胞癌で右腎臓摘出後、体調不良を救われる

本部直属 O.T

御降臨祭おめでとうございます。

本日は私がメシヤ教に御縁を頂いてからの御守護について、ご報告させていただきます。

私は、母が○○之光教団に所属していたので、物心ついた頃には、家に御神体があり、浄霊の恩恵を受けていました。小学校高学年の時におひかりを頂いて、母に浄霊をしていました。浄霊をすると手がびりびりしたり、熱くなったり、何とも言えない感覚になったりして、神様はいらっしゃるんだと身近に感じて育ちました。

成人してからは、給料をもらえるようになると外での飲食の機会が増え生活はガラッと変わりました。

また、そのころ教団もいろいろ変化があり、天津祝詞が無くなったり、分院という体制になっていました。何をするにも分院を通さないといけなくなり、あまりかかわりたくなくて、仕事を理由に距離を置くようにしていました。だんだん月次祭にも行かない日があったり、おひかりを外しっぱなしになることもありました。

でも、風邪をひいたり、熱が出たり体調が悪いと浄霊を求めていました。教団はやめたかったけど、浄霊があるから何とか続けてきました。

沖縄に療院が出来た時にはいろんな○○Aの活動は嫌だったのですが、浄霊だけに集中できるので毎週土曜日は仕事が休みなので療法士として奉仕に上がっていました。また、その頃妹は統合失調症にかかってしまい、家でも浄霊だけで直そうと母と浄霊に取り組んでいました。

それでも生活習慣はあいかわらず外食や飲み会が多くいいものではありませんでした。

娘を妊娠したのを機に、お酒もやめ、食生活も変えていき、毎日御教え拝読や浄霊を頂くようになっていました。無事出産できたのですが、産後はかなり体力がおち、体重もだんだん落ちていき、妊娠前よりも痩せていました。

今から4年前の11月、娘が2歳のころ、仕事はとても忙しくて体はいつもだるく疲れが取れにくくなっていました。肌の調子も悪く、乾燥してガサガサで、顔色は黒っぽく、今までの疲れとは何か違うと思っていました。

その矢先、千葉に出張があり、せっかくだから箱根で参拝させて頂きたいと思い仕事の前日に箱根に行き、奥津城で参拝させて頂きました。妹の浄化のことがあり、今まで真剣に○○Aの活動も関わってきませんでしたが、「自分はこれからどうしていけばいいのか教えて下さい」と明主様に御祈願させて頂きました。

翌日仕事を終え、夕方に帰宅しました。なぜかその日の晩から腰とお腹がものすごく痛くなり、トイレに行くと真っ赤な血尿がでてさらに痛みがひどくなりました。

その晩は母に浄霊を頂き何とか過ごしましたが、朝になってもまだ痛みがあり、腎臓結石かもしれないと思い、まずは検査だけでもという気持ちで病院に行きました。すると、「腎臓に腫瘍が出来ている、出血がまだあるから絶対安静」と言われ、精密検査も必要という事で即入院となりました。

一週間の検査入院の結果、右腎細胞がんで9×13cm位の腫瘍ができている、治療方法は、手術で腎臓を摘出するというものでした。また、このまま進行すると癌が大動脈に到達して体中に癌が広がり薬物治療も行わないといけなくなると言われました。

私の状況を聞き、入院した日から専任のスタッフが病院に駆けつけて下さり浄霊をしてくださいました。当時2歳だった娘を残して自分はどうなるのかと不安でいっぱいでしたが、浄霊を頂くと落ち着き冷静になれました。

退院してから職場に戻り癌の手術を受けないといけないということで病休をとることにしました。そして専任のスタッフが手配して下さり午前中は療院で、午後はスタッフの奥さんや青年の皆さんなどたくさんの方から浄霊を頂き、1日6~8時間も浄霊を頂くことが出来ました。私一人のためにたくさんの方から絶え間なく浄霊を取り次いで下さり、ただ事ではないお力が働いていると思い、浄霊を頂くごとに献金をさせて頂きました。

そんな中、所属の議長は、私の両親に「早く手術で切ったほうがいい」と言っていたそうで、予想はしていましたがショックを受けました。でも、専任のスタッフは、「あなたがどういう決断をしてもずっと付き合いますよ」と言ってくださり、本当に感謝でいっぱいでした。

長時間浄霊を頂いていると、だんだん顔色も良くなり、自分が癌ということも忘れそうなくらい気持ちよい時間でした。

大きな腫瘍で重さがあるので、私の右腎臓は腰骨のところに下がっていて、当時はかなり痩せていたので、横になって触ると異物があり、寝返りを打つとゴロゴロ動いているのがわかりました。1か月もたつとその異物が小さくなっているような気がしました。

もしかしたら、このまま小さくなるかもしれないと思いました。

青年の友達の一人には「絶対切るな、腎臓が無くなったら大変なことになるよ。浄霊は健康法じゃないんだよ。絶対治るよ。み教えにあるだろ」と言ってくれました。

でも、その時の私はそこまでの決心はつきませんでした。癌が無くなるまで、いつまでもこんなたくさんの人から浄霊を受け続けていくには無理があるし、職場にも手術を受けないで休み続けるにも限界があるし、手術を受けるしかないと思いました。

結局、手術の日を迎え、手術室に入った瞬間、後悔した気持ちになりました。麻酔のために点滴の針を打たれたときに血管から外れてとても痛く、その時自分でも信じられないくらい声を出して泣いてしまい、「明主様、こんなことになってしまって本当にすみませんでした」と思いながら眠りました。

手術が終わり、集中治療室で眠っている間、普段おひかりをかけない父が浄霊してくれていて、そのおかげでずっと痰が出続けていました。術後の薬は看護婦のいない間に捨て、飲んだふりをしていましたが、手術の傷は早く治り、普通の人よりは早く退院できました。

今までは浄霊を頂くため母にも全面的に協力してもらっていたのですが、母の仕事もたまっているし、妹や娘の事も母に全部まかせっきりでしたので術後はたくさんの方から浄霊を頂くのをやめ、家で母や専任のスタッフ夫婦だけにお願いして頂くようにしました。

何とか回復して職場に復帰しました。復帰してからはさらに体重が落ち、疲れやすい体質になっていました。

その後も術後1年間は専任のスタッフが家に来て下さり浄霊を頂きました。そのおかげで何とか仕事をこなせたと思います。スタッフがいらした時に、明主様から力を頂くには、毎日、朝夕拝を欠かさず行い、御教え拝読と浄霊を頂くことが大事ということを確認していましたが、今までの私はそれも出来ていませんでした。この浄化をきっかけに毎日実践するようにしました。

2年後に遠方に転勤の辞令が出ました。母に頼ることもできないし娘は4歳で、身寄りのない所で自分の身に何かあったら娘はどうなるだろうと不安でいっぱいでした。でも、新しい場所で今までの自分を変えるチャンスとも感じました。明主様と常に霊線がつながるように毎日朝夕拝や浄霊、御教え拝読をしっかり続けて、力を頂き、絶対変わりたいと思いました。

転勤してみると、思っていた以上に仕事が忙しく、疲れがひどくなっていました。ここでは御神体は無いので、箱根の方角に向かって朝夕拝をして、自己浄霊と御教え拝読をしていましたが、首、肩の凝りや左目の奥の痛みがなかなかとれませんでした。

6月に入り、あるきっかけでメシヤ教のことを知り、メシヤ教のHPを見るようになっていました。前から気になっていた教団浄化の真実や、善言讃詞が改ざんされていた事、祖霊祭祀が全くのウソで紫微宮にご先祖は祀られていないという事実を知り衝撃を受けました。今まで○○之光教団の体制に疑問を持ってはいましたが、そういう事だったのかと納得できました。

また、過去のメシヤ講座を読んでいると初めて見る御教えがたくさん出てきて、楳木代表先生の解説もとてもわかりやすく読めば読むほど引き込まれるようでした。

でも、理解はしていても本当に大丈夫なのか、だまされてないかとどこか不安はありましたが、浄霊力拝受をするのに今の宗教をやめる必要はないと書かれていたので思い切って申し込みました。

おひかりをはずし、練習を重ねるうちにものすごい浄霊力を実感しました。長年ずっとひどかった首肩の凝りが嘘のようにすっきり無くなり爽快感を得ました。そして左目の違和感もいつのまにか取れていました。

それから3ヵ月後に月次祭で楳木代表先生に初めてお会いしました。どんな方なのかドキドキでしたが、優しそうな方でホッとしました。片方の腎臓が無いのでとにかく浄霊を頂くようにとご指導をうけ、自己浄霊しかできない私の状況を思って下さって少しでも浄霊をたくさん頂けるようにと当時5歳の娘にも浄霊力拝受を頂きました。

今年に入り、地上天国祭で参拝させて頂いて、7月に入った頃から左の奥歯が痛み、一週間ほどたって次は右の奥歯が痛み、頬も腫れるほどで何とか浄霊でやり過ごしていましたが、その週末に我慢が出来ないほどの強烈な痛みに襲われました。あまりの痛みに起き上がれず、自己浄霊もまともにできない状況でした。そのため6歳の娘に、背面から腎臓を浄霊してもらいました。すると、短い時間でスッと痛みが引き、驚きました。

その後何日かまた、痛みがありましたが自己浄霊と娘の浄霊でひどい痛みは無くなりました。その浄化の後から、術後なかなか戻らなかった体重が戻ってきて、体力も出てきて仕事の後も疲れにくくなっていました。

しかし、11月頃から急に入った仕事があって、残業が続くようになっていました。そのため、疲労がピークに達していました。胸の奥に違和感があり疲れがひどくなると息をするのが苦しくなっていて浄霊で何とかやり過ごしていましたが、ある日夕方、娘を保育園から迎えて一緒に職場に戻って仕事をしようとしても体が特に左半身がきつく息苦しくなって、まともにしゃべることもできず、立つとフラフラしてきたのでこれはまずいと思い、早めに切り上げて帰る事にしました。でも車を運転しようとしても余りに息苦しいので運転席の後ろから娘に腎臓あたりを浄霊してもらいました。するとものすごく体が熱くなり頭がボーッとしてきて、しばらくすると息切れが少し落ち着いてきたので、車で5分程の自宅に帰りました。

家に着くともう7時半を過ぎていて娘も疲れていたので急いで夕食を何とか1品作り終えると、さらに息苦しく息切れがひどくなっていったので、もし私の身に何かあったらと思い、実家の母に電話をした後、楳木代表先生に電話して状況を伝えました。

先生からは、「腎臓を浄霊した後に肩の上からおへそを狙うように浄霊して15分たったら電話して」言われ、自己浄霊をすると少し落ち着いてはきましたが、下半身がしびれてきていたので報告すると、その後先生から、「腎臓の働きが弱いのが原因で肺に水が入っていると思う。しびれているのは、栄養が不足していると思うから、塩分を摂って、食事も摂ってみて。もし不安だったら夜遅くてもいいから電話を掛けてきてもいいからね。」と言って下さり、安心して食事をするとだいぶ落ち着きました。その夜は遅くまで、胸の違和感が無くなるまで浄霊してから眠りました。

翌朝は、寝不足でしたが昨日までの事が嘘のようにすっきりして、その日の仕事は早く片付けることができました。数日の間は、やはり胸の違和感があって息苦しくなる事が何度かありましたが、浄霊により何とかなっており今に至っています。

また、娘の浄霊があったおかげで何度も助けられました。こんなに小さな子でも、私の事を思ってメシヤ様にお祈りし、力を抜いて、浄霊をしてくれています。本当にびっくりするほどの浄霊力です。私の娘でいてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。

今回の事で、「文明の創造」にもありますが、片方の腎臓が無いということは、本当に大変な事だと思い知らされました。前世や現世で自分が犯してきた罪の代償だと受け止めています。

でも、メシヤ教に出会う事が出来て、メシヤ様からの恩恵を受ける事が許されて、本当に良かったと思います。

これからも、自分の魂を磨いて、メシヤ様のお役に立てる人間になりたいです。

本日はありがとうございました。以上で報告を終わります。

 

[御蔭話(その他)御降臨祭 2015(平成27)年12月23日]

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