C型肝炎に御守護

岡山支部 小川(胡)多恵子

 

皆様、地上天国祭、誠におめでとうございます。岡山支部の胡 多恵子と申します。
メシヤ教と巡り会い、明主様からメシヤ様へ・・・この転換を通していただいた御守護の報告と共に、今まで抱えていた問題に解決の道筋が見えたことなど、私の体験した報告をさせていただきます。よろしくお願い致します。

 

宗教との出会い

そもそも私と宗教との出会いは、昭和57年、私が30才の頃、実母が三日坊主ならぬ三ヶ月間の信者として入っていた「真○」へ、私にも入信をと勧めてくれましたが、得体の知れない新興宗教にいるのはよくないから、すぐにやめるように注意し、「信徒集めのためにするのはおかしいよ、辞めるなら名前を貸すよ」という条件で形式だけの入信をしましたが、その日の内に真○の「おひかり」は外しました。

この時は、まだ宗教とか信仰とか全くと言っていいほど何も分からない状態でしたが、昭和61年、次女の頭蓋骨骨折に御守護をいただくと共に、亡くなった義母の供養になればとの思いで「天○○○会」に入信することにしました。その入信日と「真○」の入信日が、年こそ違っていましたが全く同じ日だったので吃驚し、何となく神様との御縁を感じました。又、○○会の御本を拝読した時には明主様に対して、何故かしら、「やっと巡り会えましたね」と自然に涙が溢れ感謝していました。そんな気持ちの湧き上がる自分に驚きました。

 

家庭不和から一時信仰を辞める

それから私の「天○○○会」での信仰生活が始まりましたが、ある時、支部への日参中、事故に遭うも無傷の御守護を戴き、1年後には夫も御守護をいただきました。子供の頃より夢で天国らしき情景、「神」への道へ進めというお告げ、霊界の一部分と思しき情景、予知夢のような光景等を見ましたが、中でも「おひかり」を外したいと導いて下さった方に申し出た時、その夜見た夢は今でも鮮明に焼きついています。そんな中、日々の御神業を夫や義父は狂気と思ったのでしょう、親族を交え「信仰を取るか、家庭に納まるか」の二者択一を迫られることになり、又○○会より御守護の度に高額の献金を要求されることに不審を抱き始めていたので、やむなく退会しました。この時、私は35才でした。

こうして明主様を心の奥に封印し、もう二度と明主様とのご縁ないものと覚悟を決めていました。時の経過と共に、明主様は忘却の遥か彼方のお方でいらっしゃいましたが、職場で友となる人、訪問先でお世話する人は明主様にご縁を戴いている人、そんな人達との巡り会わせで明主様を電光石火の如く心に浮上させていただき、畏れ多くてどうしてこのような巡りをいただくのか、不思議でなりませんでした。

 

再び明主様のご縁に繋がる

そして今から10年前、54才の頃には離婚も経験し、その翌年には「頚椎椎間板ヘルニア」でレイザー光線放射手術を受けました。しかし、二日後には首の付け根辺りに凝り感があり、肩がとても重く痛みも強くなってきたので、友人に浄霊のお取次ぎをお願いしました。いづのめのセンターへの日参を決め、2ヶ月を過ぎる頃になると痛みも分散し、ピリピリ感が少しずつ無くなっていきました。明主様のこの偉大な御守護に感謝し、御守護に報いるため

にも、浄霊のお取次ぎをさせていただきたいとの思いで平成19年、56才の時、「○○○○教団」に入信しました。入信後も「想念の実践」や「感謝の想念の実践」を通して多くの体験をさせていただき現在に至っております。

 

箱根参拝での思いで・・・

本日、箱根に参拝させていただき、○○○○教団に入信して3年目、一泊二日の研修会で箱根強羅、神仙郷に参拝した後、明主様(メシヤ様)の奥津城に御参りした時の記憶がよみがえりました。奥津城の廻りの落ち葉を拾うという御奉仕があり、「この辺りが明主様の足元ですよ」と案内係の方からお聞きし、少し薄茶色を帯びた芝生に右手を置き、当時私なりに「建設献金の意義や大切さ」を理解していたので、心の中で私に出来る範囲内で精一杯の事をさせていただきますとお誓い申し上げると、手を当てた箇所が地中より込み上がってくるような錯覚を受ける感じでポーッと熱くなり、「私は浄霊実践が中々出来ないので申し訳ないことと、私に出来ることは月々お金を溜めて献金させていただきますね。」と・・・そうしたらフワーと熱くなって、明主様が私の心を受け取って下さったのだと思うと、感激し思わず涙が出ました。ほんの一瞬の出来事でしたが、思い出深い一コマでした。そのことを思い出しました。

 

C型肝炎と判明、投薬による治療へ

そうした中、私がC型肝炎に罹患していることが判明したのは、今から5年前の秋の事、会社の健康診断の結果によるものでした。

それには早急な治療が必要とだけ書いてありましたが、それでも指示通りの対処はせずに約1ヶ月間が経過しました。私の病状を心配する家族を安心させるために、又自分の体にどんな異変が起きているのか明確にしたいとの思いもあり、受診を決意しました。

全く予想もしていなかった医師より告げられた病名に、我が耳を疑い愕然として、職業柄感染の可能性が高いとショックより中々立ち直れませんでした。紹介された消化器管専門医の下での病状観察が開始となりました。投薬による治療は希望してなかったので、治療開始の3年と半年間は採血検査と肝臓のエコー検査のみで、肝臓の異変の有無をチェックする方向にもっていっていただくようにお願いしました。

ところが1年前、白血球や血小板の減少があるため、これ以上治療せずに放置を続けると、ウイルス増殖と共に肝機能への大きなダメージとなり、後々肝臓癌を発症するリスクが高く必然的であり、今なら治療費助成制度を利用する事ができるので、一日も早く取り掛かった方が賢明であると、投薬治療の開始を強く勧められました。そして、「肝臓癌になった時、激痛と治療するのに莫大な医療費が掛かると共に、その医療費負担は個人は基より、あなた以外の人達が収めている健康保険料で賄われていることを考えてみて下さい。」との言葉を聞いた時に、ふと、人の幸せを祈り願う「利他愛」という言葉が頭をよぎり、不本意ながら薬剤とインターフェロン治療を受ける事にしました。

治療の効果を見るための3日間の入院と約7ヶ月間の在宅療養をしている間に、薬による種々の副作用が体を蝕み、想像していた以上に体力が消耗し、経験したことがない症状が次から次へと発症し、一日中ほとんど横になっている有様でした。その症状は、貧血によるめまい、立ちくらみ、少し動くと動悸や息切れ、胸痛等の運動誘発性狭心症、嘔気による食欲不振、脱毛、無気力や倦怠感等ですが、幸いにも眼病や鬱病にはなりませんでした。

さらに味覚障害で食事を十分にとることが出来ませんでしたが、味覚障害で添加物の入ってない物と自然農法で取れた果物を食べると、とてもおいしくて甘味を感じ、この体験をお許し下さった明主様(メシヤ様)に感謝申し上げます。

体に異物を入れることが、どれほど大きな害を齎すことになるかを教えて頂きました。そして体に異物を入れることへの罪悪感と今まで戴いた明主様の数々の御守護に対する背徳行為を恥じ、申し訳ないという思いで一杯でした。この状態に置かれている私に出来ることは、可能な限り明主様の御光をお取次ぎすることだという思いが湧き、毎日数十名の方に想念浄霊をさせていただきました。お取次ぎの最中は、以前にも増してティシュペーパーの箱が2日でなくなるほどの喀痰の量と回数が頻繁に増加してゆき、治療終了するまで継続してゆきました。治療開始より3ヶ月後にはウイルスは検出されていませんが、相変わらず投薬とインターフェロン注射は続きました。

治療開始当初より長女夫婦が休日を利用して浄霊のお取次ぎをしてくれたり、体調の良い時には又病院で治療した後にはセンターに出向き相互浄霊をしていました。戴いている時は体が温かく気持ちよくなりましたが、帰宅後はすぐに横になる状態でした。

 

新たな光明が差し込める

そのような状況の中、私の体を心配して下さったAさんが、Bさんから聞かれたことをお話して下さり、「おひかり」無しでの浄霊力拝受のことと、明主様を「メシヤ様」の御神格で呼称することを教えて下さり、「メシヤ講座」の冊子、本を読んでみてはどうかと勧めて下さったので、早速持ち帰り拝読させていただきました。今まで知っていたつもりでいた自分の無知を今更ながらに思い知らされ、ただただ感嘆の境地に浸り、メシヤ様の御神格を感得させていただいた感謝で一杯になりました。

早速、浄霊力拝受の申し込みをした後、自己浄霊を数十分間すると、今まで感じたことのないほどの感覚が起こり、掌が熱くなり、御光が体の中にスゥーと入っているんだなぁと判り、正当な御神格を呼称するだけで、これ程の違いがあるのかと歓喜しました。「メシヤ様」という御神格での呼称以前は「明主様」とお呼び申し上げての浄霊力と較べると御光の強さが断然違うと感じ取れました。

最終診察日を迎え、「あと2週間分の薬で終了となります。」と言われた時、これで長い投薬治療がやっと終わるんだと安堵すると共に、服薬の害毒が齎す影響力の強さと恐怖を再認識し、その治療の束縛からの開放感を味わうことが出来、心は浮き浮きしました。と同時に、残りの薬を最後まで飲用するか、それとも飲用しないでおくかを自問し、メシヤ様の大きな御光をいただきながら、医師の指示通り服薬を続けるのは不自然で意味がないこと、そして何よりもメシヤ様の御教えを無視することになると思い、飲用を中止しました。

 

メシヤ様と繋がることで先祖も協力

3月に浄霊力を拝受いただいて二週間ほど経った頃、夢を見ました。その夢の中で私の裸の人体が現れて、体の色々な部分が黒く塗られていたんです。それで、そこに曇りがあるからそこを浄霊しなさいという意味なのかなぁと受け止めさせていただいて、それ以来、記憶の範囲内の所をしているんですけど、そしたら段々と気持ちよくなっていっているんです。それと共に、注射している部分とか、関節の内側、肘、膝、股関節、下腹部、それからここの大腿部のところとか、体に痒いところが出てきているんです。本当に不思議だなぁと思っています。

この夢については、楳木代表先生が、

「夢は自分を守護してくれている先祖が、その先祖が創作して、その創作した時に大事な夢を見せてくれる、その許可は神様から出るわけ・・・そういう浄霊の急所をね、先祖がわざわざ神様の許可をもらって夢で知らせたわけなんでね。」

と御指導して下さいました。メシヤ様と繋がることでご先祖様も霊界で働かれ、その証しとして見せていただいたのかなぁと思っています。

だから仕事に行く前に、夢で知らされた部分を30分から1時間ほど浄霊していくんですけど、そうしたら仕事が凄く楽で動けるんです。以前は、同僚からもあまり無理しないようにと言われるほど、体が重くて動かなかったんですけど、今は体が軽いものですからスイスイスイスイ動けるんです。自分でもちょっと違うなぁという感じがします。

 

メシヤ様の御手の写真で更なる御守護

それで食欲が旺盛になって、以前は一口二口食べたら欲しくなくなっていたんです。だから一日6回に分けて自分の欲しいものだけを食べていたんですけど、お光を外させていただいて、毎日自己浄霊・・・不思議なことにメシヤ様の御手の写真に向かって「メシヤ様御浄霊お願いします」と言って、その前に立った瞬間に、欠伸が出るわ、げっぷがゴボゴボ出るわ、それで最初に5分間だけで結構ですとお願いしていたら、本当に5分でピッタリ止まるんです。それは不思議でした。たかが写真なのにという思いは最初あったんですけど、試しにお願いしてみようと思ってやったところ、こんな奇蹟の体験をしました。

ある人は、「いづのめであれほど苦しまれていたのに、たかが数ヶ月でこれほど元気になられて本当に凄いと思う」と言ってくれました。またある人は、「あれだけ薬が離せなかったのに、ごはんが食べられなかったのに、良かったねぇ」と言ってくれました。本当に感謝で一杯です。

 

メシヤ講座の学びを通して

そうして、メシヤ教の月次祭に岡山支部に参拝させていただき、楳木代表先生よりユーモアを交えて、科学的、社会性を帯びたメシヤ講座を聞いて、とても宗教活動をしていますよとは感じさせない、明るさと温かさのある、温故知新の世界に誘っていただくので毎回新発見をさせていただいています。取分け個人的質問にも快く常識のある眼識でもって、明回答をして下さることに感謝しています。

例えば、私は桜の木が大好きなので、今流行の「樹木葬」にしたらと思っていたので、そのことを支部の原田さんに尋ねると、「代表先生は絶対にいけないと言われるよ」と聞いたんですけど、「あらら、買ってしまったわ」と心では思っていたんです。

子供たちに心配を掛けたくないとの思いで、肉体は元々地に還るから、その方がいいかなぁと思って2年前に申し込んでいたんですが、そのことを代表先生に相談させていただきました。言葉を聞いた時はちょっとショックでしたが、色々と説明して下さって、今では購入を決めた石材店の方と解約の方向で話を進めています。

また、現在離婚しているのに、旦那さんの方の姓をずうっと引き継いだ形で来ていたことに対しても、詳しく教えて下さり、出来るだけ早く元の旧姓に戻す方向で子供たちとも話し合いを進めており、家族の浄化のこともそういうことが原因であったことなど、考えてもなかった答えをいただき、感謝で一杯です。

 

今後の決意

こんなことを教えて下さる方もいなくて、とても良い学びをさせていただきました。どれを取ってもメシヤ講座は大変有意義な話で、全てメシヤ様の御教えに基づいての内容で新発見の連続です。

このように「メシヤ教」の月次祭参拝やメシヤ講座に参加をお許し下さるメシヤ様の深い御慈愛と大きな御光で私達を包容して下さっているメシヤ様に感謝申し上げます。又、「メシヤ様」の御神格の御存在を教え導いて下さった代表先生にお礼申し上げます。

今後は、一日も早く入会を許され、今以上にメシヤ様と直に太く繋がらせていただいて、メシヤ様の地上天国建設への参画をお許し戴き、私のこれまでの体験が御神業に生かされますように祈念し、精進邁進させていただきます。

主之大御神様、メシヤ様に深く深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

 

 

補足(当日は報告を省略した部分)―実は、こんな体験も・・・

昭和61年以降の「天○○○会」での信仰生活の中、次のような夢を体験をしました。

その夢とは、天変地変の後の静寂に包まれた薄暗い道を何人かの人達とどこ行くあてもなく歩いていた時、再び地面がぱっくりと口を開け、前行く人達が多く呑み込まれて目の前からその姿は

消えました。

私がその開口に近づくとピシャッと閉じて落ちることはありませんでした。後から続いて来る人達とその場の難を逃れるために彷徨(さまよ)い、水嵩が増しつつある地面を避けるために、目の前に聳え立つ大きな鉄塔がいくつもあり、その塔に登りました。どの鉄塔にも数人の人達が既に登り身を休めていました。

何段か上った所でグラッと2度ほど揺れた時、母親に抱かれていた赤ちゃんが、母親の手より離れ地面に落されました。私はすぐに人をかき分け降りて、赤ちゃんを抱きかかえて膝間づきながら天を仰ぎ、「どうしてこれほどまでに人間を痛めつけるのですか、この世に神も仏もあるもんか!」と罵倒した言葉を大声で叫びました。

すると薄暗がりの中、幾重にも重なりあう雲が広がって晴れていき、その部分だけが明るくなり、そこから白髪の品格が備わったご老人が笑顔で現れると同時に私の膝元に一条の光をサッと送り届けられ、その光に乗って3つの箱が降りて来ました。私が空を見上げると、もうそのご老人の姿はなく、箱を開けようとしたところで夢から醒め、何ともいいようのない畏敬の念と感動を覚え、「おひかり」を外してはいけないと強く思わせていただきま

した。

又私は小学の高学年から中学に入るまでに不思議な夢を何度も見ています。「神の道へ進め」というお告げの夢や身内が亡くなる夢、刀で背中を斬られる夢(これは多分前世で私が相手を殺めたと思っています)、亡くなった方が黄金に光り輝く天国に行かれず、暗黒の寒い地底に身を置き、神の許しが出ることを待っているという夢、羽衣を纏い色鮮やかな花々に囲まれ、特に大きな蓮の上は別格ですが、澄み切った小川の流れに沿ってスイスイと空

を飛んでいる姿の身の軽さ、小鳥のさえずりが人の言葉で聞こえてくる心地良さ等・・・これは丸で天国にいる情景の夢としか思えません。先の天変地変を見さされるのは、何か深い意味があるのだろうと思いました。

「天○○○会」を退会して7年後のことです。あの夢の中の3つの箱のことが気になっていました。偶々(たまたま)妹と将来天変地変が起こる可能性の有無を話しているうちに、この疑問を妹に投げかけました。妹は、心の中に浮かぶことや考えていることへの解答を大先祖様から受け取っている、伝令のようなことをしてくれていました。本人も聞こえてくる声がいつも同じ声質で本当かどうか確実なことは分からないと言っていましたが、良く当たり、結果的には大先祖様の言われる通りになっています。

「お姉ちゃんは夢の中で一人の命を救ったじゃろう。だから与えて下さったんだって・・・3つの箱は三人の子供の事よ。将来お姉ちゃんに大変なことが起こった時、助けの役があるんよ。夢の中のお姉ちゃんの行動を神様が見ておられたそうよ。」

と大先祖様が言われているよって聞いた時には驚きました。神様は夢の中の行動まで見ておられるなんて凄いと思いました。「天○○○会」を辞めても将来再び信仰の道に入ること、また同じ宗教に入ることは確実だと、私が何度否定しても必ず復活すると大先祖様が言われているよと・・・これが本当に現実のものになるとは、この時は全く思ってもいませんでした。

 

[御蔭話(難病)地上天国祭 2015(平成27)年6月15日]

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