氏を変更する取り組みから家庭天国へ

鎌倉支部 川延京子

 

メシヤ様御降臨祭おめでとうございます。
鎌倉支部の川延京子と申します。報告をさせていただきます。

私は14年前に3人の息子を連れて離婚しました。当時、中学3年生、2年生、小学校5年生でした。子供たちは思春期の時でしたので名字はそのままにして戻しませんでした。

10年程前に世界救世教いずのめ教団へ子供達と入信させて頂きました。色々な学びもありましたが、だんだん疑問を感じるようになり足も遠のいていました。

昨年7月にメシヤ教鎌倉支部の月次祭へご参拝をさせて頂きました。ピカピカに光った御神前で新鮮な気持ちでご参拝をさせていただき、大きな大黒天様、楳木先生の迫力を感じながらご挨拶をさせて頂きました。

 

結論を急がず、息子たちと話し合いを重ねてから・・・

質疑の時に、楳木先生へ名字のことでご質問をさせて頂きました。「本来ならば、離婚をした時点で旧姓に戻すべきでしたね。今からでも大丈夫ですよ。今までにも戻された方がおられます。」と、具体的に説明して下さり、「しかし、家庭裁判所への申立は急がないで下さい。息子さんたちと時間をかけてよく話し合って下さい。話し合うことが大事なのです。」と、ご指導頂きました。

私は、今まで名字を戻すことは出来ないと思っていましたし、私だけ戻すことで子供達と離れてしまう様な思いもありました。

現在、息子たちは、30才、29才、26才になり、下の息子は家庭を持ち1才の息子に恵まれました。息子たちとの会話は面白く楽しんでいます。しかしこの度の話し合いは成人した子供達とどのように向かい合ったら良いのかと悩みました。その返事には突然の話で戸惑った様子でした。会社の関係や、所帯を持っているということから変えられないということや、「いずれ俺の墓を作るから一緒に入ればいいよ。」と、このような会話を何度も続けました。

長男は、昨年の5月から連絡が取れなくなり、生きているのか?ちゃんと食事をしているのか?そんな気持ちで時を過ごしておりました。捜索願を出していましたが、帰ってこないことには、話し合いも出来ません。

その半年後こと、仕事の帰りに運転している方が道を間違えて信号待ちをしていた時、人ごみの中から横断歩道を渡ってくる男性に目が止まり、その瞬間、長男とだとわかりました。咄嗟に大声で名前を呼び「連絡ちょうだいー、お父さんが危篤なんだ。」と叫ぶと「うん。」とうなずいていました。信号待ちの一瞬でしたが、祖霊様が、長男の元気でいる姿を見せてくださったと感じました。

元夫は、長男と連絡が取れなくなって、まもなく脳出血で倒れたのですが、そのことを知らなかったのです。しかし長男は、すぐには連絡がありませんでした。元夫の病院の手続きなどの世話は全て次男が動いてくれていましたが、長男は元夫のことでは随分嫌な思いもしたのではないかと感じていました。

離婚してから息子たちとは14年間の空白があり、親戚関係や、お寺とのことなど私が助言する度に「お母さん、離婚しているんだから関わらないほうがいい。」と、その言葉には筋が通っていて、私に対する優しさなのはわかっていても、私は1人浮いている寂しさを感じていました。

今年5月に長男は車の運転免許書の書替えがきっかけで連絡が取れて家に帰って来ました。友達のところに居たとのことでした。その日から次男はお兄ちゃんが自立出来るようにと協力してくれて、「まずは3ヶ月間頑張ろう!」と、3人の生活が始まりました。

私は、長男を自分の職場につれて、一緒に仕事をしました。その働く様子を見て、長男のあまりの変貌ぶりに驚き、(この子は本当に私の息子なのだろうか?)と自分の心の整理がつかず辛い日々がつづきました。(本当ならば、帰って来た事でハッピーエンドで進むことなのに…。)

日曜日には鎌倉支部へご参拝をさせて頂き、菅谷さんご夫婦にご指導を頂いて、また1週間を過ごせるという日々でした。「家庭天国とは何なのでしょうか?」とまで問いかけてしまったこともありました。

それから3ヶ月が経った時、長男はまた友達の所へ戻って行きました。次男は、「お母さんも俺も、充分協力したし、良くやったよ。」と言ってくれたのです。

 

厳しい言葉や優しい言葉は、祖霊様からの言葉と受け止め

その頃の話し合いの中の厳しい言葉や優しい言葉は、祖霊様からの言葉と受け止め、『もういいから戻っておいで。』と呼ばれているように感じ取れ、私は旧姓に戻そうと決心がつきました。

家庭裁判所で申立をし、今年10月1日に市役所で受理されました。前日に息子たちに報告すると、「それがいいよ。その方がいい。もっと早くしなければいけなかったのかな。」と言ってくれました。その2日後に、同居している息子は独立する方向で住まいを探していたのですが、急に決まりだし、引越しもあっという間に終え、我が家の表札は旧姓「川延」になりました。その夜、1人になった私にお嫁さんから「お母さん、何かあったら連絡してね!私、お母さんの娘なんだから。」と電話をもらい、とても有難いことです。

それから3日後に、ご仏壇が整い、ご遷座祭を執り行う運びとなりました。前日に夢を見ました。祖霊様が喜ばれて楽しくお祝いをされている夢です。その光景は、父のお通夜の時に盛大なご馳走を食べて、みんなが大喜びだった時のような光景でした。

父は子供の頃、いつもお腹をすかせていた時期があり、いつも私たちがちゃんと食事をしているのかと気にかけていて、その思いからのご馳走で、親戚家族が楽しい時を過ごし、後々、誰もがあの時は良かったねと喜んでいました。まさに、その雰囲気が夢に現れたのです。

ご遷座祭が始まる少し前には、ご仏壇に近い1枚の扉だけがカタカタとしばらく揺れて祖霊様が喜ばれておるように感じました。

 

仏壇から男性の強い声

それから数日後、ご仏壇の方から男性の強い声で、『壁が白く綺麗になったからご神体の用意を早くしなさい。』との声で私はビックリして起き上がり、辺りを見回してしまいました。その声は今でも覚えております。

私は離婚をしてから塗装業の職につき、今でも続けております。その疲労から昨年9月頃から膝がパンパンに腫れて曲がらない状態が1年続いていました。

今年10月26日、伊都能売観音様入仏記念式典へご参拝が許されました。祭典中、気がつくと正座が30分出来ていたのです。嬉しくてたまりませんでした。

その前日に元夫が夢に出てきました。大勢人がいてその中の1人という感じで夫のイメージではありませんでした。そのことを楳木先生にお話させて頂きましたら、「ご縁が切れましたね。」と仰って下さいました。私は、肩の荷が下りた感じです。

また昨年は、お給料が滞っていて、楳木先生にご相談させて頂きましたら、大黒天様をお迎えするようにお勧めいただき、申し込みをし、翌月の月次祭にご開眼して頂きました。

その翌朝の大黒様のお顔はめいいっぱい笑っておられてとても嬉しそうでした。お顔が変わるのです。ご開眼を終えて、我が家に改めてお迎えすると、りりしいお顔をされており、一生懸命にお働きくださる様に感じました。お陰さまで、最近はちゃんとお給料を頂けるようになりました。大黒天様のお顔はとても穏やかなお顔をされています。

振り返りますと、去年楳木先生から、氏の変更の指導を頂けたことで子供達と時間をかけて沢山話し合いが出来たことで今は楽しい日々を送っております。お鍋いっぱいのご馳走を作って会食をしたり、皆が気遣い合いながらささやかですが我が家の家庭天国でしょうか?

今月14日には、御神体御奉斎式を執り行いました。ご浄化も頂けて、菅谷さんには大変お世話になりお陰さまで我が家も少しづづ整って参りました。

メシヤ教にご縁を頂いてから、毎月の月次祭に参列し、メシヤ講座の勉強はとても楽しみにしております。学びと感動の数々です。ご参拝の仕方が変わりました。ご浄霊の頂き方が変わりました。そして今年は、メシヤ様から浄化を乗り越える大変なお力を頂けました。私が経験したことを含め、これからご縁のある方へお伝えさせて頂きたいと思っております。

主神様、メシヤ様、代表先生、感謝を込めてここにご報告させて頂きます。ありがとうございました。

 

[御蔭話(家庭・家系の悩み)御降臨祭 2013(平成25)年12月]

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