支部発会からの歩み

岡山支部 原田穣(元世界救世教東方之光教団所属)

 

皆様、本日は、本部御神体御奉斎記念式典、誠におめでとうございます。

私は、岡山支部の責任者として支部を預かり御用奉仕をさせていただいております原田です。平成23年8月に支部を発会して以来、今年の夏で丸2年を迎えます。

 

責任者としての信仰信条は・・・

岡山支部の方向性としては、ホームページ上にアップしている責任者の「雑感」に掲載しているように、『一人一人に信仰心、宗教心を芽生えさせ、神を認め、感謝報恩を持ち、昼の時代に生存なしうる魂の持ち主として、個人、家族が日々楽しく生活できるような環境を作れるように、メシヤ様の御心を求め、御教えに沿ったあり方で、悩みや問題の解決の場として支部を活用していただきたい』という願いで、さらに自らには、『メシヤ様の御心を心とし『信仰読本「祈りの栞」に寄せて』に掲載している「神格をいただく道」の御教えを拠り所として努力精進し、自らの魂の向上を目指しつつ、苦悩にあえぐ多くの人たちに真理を知らせ、浄霊を通して真の救いを進めていきたい』という願いを持ってスタートしました。

そうした拠り所を基に、これまで歩んできましたが、この間にいただいた大小さまざまな御守護は数知れず、その中の代表的ないくつかを体験記としてホームページにも掲載しておりますが、本来の御神業を進めることが許されまして、誠にありがたいものと主神様、メシヤ様に感謝申し上げている日々でございます。

本日は、支部を発会してからの歩みについて整理させていただきましたので、報告させていただきたいと思います。よろしくお願い致します。

 

Aさんの場合

私自身が、○○○光教団に所属していた関係上、そういう関係の方と話す機会が多いのですが、この教団は、活動を主にしていましたので、信者の人達は本来の信仰のあり方から遠のいた日常生活を送ってきており、「信仰する」ということがどういうことなのか、考えることもなく教団から出てくる方向性に翻弄されてきておりました。

その為、長年信仰していながら中々家の中が変わらず、自分の持っている癖にも気付かずに来ていました。Aさんもそういう中の一人でした。

この方は、支部発会までに代表から「信仰とは何か」ということについて2回も投げかけられて、段々上滑りしていた自分に気付かされ、日々が信仰であるとの思いから、家庭でもこつこつと実行できるようになりつつあり、先日このようなことを話してくれました。

私、結婚する時にこの人を助けてあげないといけないなぁと思いながら結婚したくらいだったんですけど、お陰で定年退職まで漕ぎ着けて、まだ働いてくれていて、そういうことも全部御守護のもとに来ていたんだなぁということが、やっとしみじみと分かって、私ってこんな大きな奇蹟の中にいたんだなぁって・・・。

奇蹟を追うみたいな変な癖というか、元々そういうものがあったのかもしれないけど、これからメシヤ様をお支えする人にならせていただきたいなぁと思って、やっと吹っ切れた気がしてありがたくて・・・。

代表先生に最大限の感謝をしなくてはいけないと言われたことで、最大限の感謝ってなんだろうなぁと考えていたら・・・こんな結論が出たんですけど、でも、私が○○○光教団に捉われていたのか、私自身に捉われていたのか、その辺がよくわからないんですけど、やっと、やっとという感じです。

この信仰にしても、主人がわからない、わからないじゃなくて、私がしていることを見ているんだなぁ、主人は知ってか知らずかしらないけど、私がちゃんとやって、ちゃんとできるようになったら、すぐにそうなんだというふうな感じでね、来てくれるのかなぁというのをやっと理解できたんです。だからやらせてくれているんだなぁって・・・。 この方も、今まで知らず知らず身についていた教団体質、信仰しながら長年変えることの出来なかった自分の癖を理解して少しずつ転換できてきつつあり、特に信仰をするという事がどういうことであるのか、理解出来ただけずつ家庭の中で行動となって現れていて、本当にありがたいことだと感謝しております。

 

Bさんの家庭について

また、昨年の地上天国祭で発表した、片山さんの体験記に出てきた浄霊力拝受を通して家庭天国が許されてきたというBさんのことですが、この方もAさんと同じように○○○光教団に所属していたのですが、信者とは名ばかりでずうっと家庭の環境は一向に変わりませんでした。

詳しいことは改めて体験記を読んで頂ければいいのですが、例えば奥さんが箱根に参拝に行く時等、車に乗って出ようとしているところをご主人に見つかって、引き摺り下ろされて家に戻されたりと、大変な家庭でしたが、それが、奥さんとお孫さんが浄霊力拝受を許されてから、体験記の中でも書かれていますが、御浄化をいただき、さらにご主人の浄霊力拝受を通して奥さんへ接する態度も180度変り、何事も協力的になり、奥さんは本当に家庭天国だと言われておりましたが、その家庭に、さらに今年は、一度も参拝をされたことがない、反対ばかりされていたご主人と一緒に、夫婦ではじめて地上天国祭に参拝されるようになっており、着実に一歩一歩導かれていることを感じます。

この方も子供の頃から入信されて、長い間信仰されてましたが、今まで変わらなかった家庭内が、このように一気に変わりました。

 

Cさんの場合

また、Cさんも同じく、○○○光教団に所属していた方で、分院として地域のお世話をされていた方ですが、やはりこの団体特有の体質である、言われたことはするが、それ以外のことはしないという、いわいる指示待ちで自ら考えて行動を起こすというこが出来ない人の一人でした。

そういうCさんでしたが、入会後、家族の浄化を通して、支部へ1ヶ月間、毎日ではありませんが継続して参拝されました。そうした中で、魂に光をいただき心に栄養をいただき、支部での奉仕の大切さを実感され、現在では月次祭の前日には、自発的に奉仕に来られて、窓拭きや掃除をされています。

○○Aの時には、言われたことしか出来なくて、自分で考えて行動するという事が出来ないCさんでしたが、毎月の月次祭への参拝を通して、主神様メシヤ様直接の御力をいただいて曇りをとっていただき、少しずつメシヤ様の御心とは何かということを学び、そうした中、人救いをしていかないとC家は駄目になるという危機感まで感じて、自ら考え、行動が出来るようになって来ました。

1年前に本人はこのように言っていました。

目が覚めたような感じがします。本当に初歩的なことから聞かせてもらって、「利他愛とは」というところから尋ねたぐらい・・・私は自分のことばっかりだったなぁという、失敗はようせんかったし、人のために損をするなんてことは考えたことがなかったので、そういうところから話のやり取りをさせてもらったっていうのが、もう何ともいえませんでした。

ああ、もうやっぱり人のためにさせてもらうことが、これから私のやることなんだなぁというとこまで来れた。

それまでは自分がかわいいので、良くなりたい、救われたいとしか思ってなかったので、そこのところの話をここ1ヶ月聞いていただいたというのが・・・時には二人で聞いていただいて・・・こんなことをって言うことを・・・。

夫婦でもめても、これは前進だと思えたんです。主人がものすごく怒ったんです。ものすご偉い人になったねぇと言われた時に、けんか腰じゃないけど、これは前進だと思いましたね。まず息子がちょっと態度が変わりました。今日はとにかく主人と話が出来ますようにと、参拝の時お祈りしました。話が出来ないとどうにもならないので・・・。

そうしたC家でしたが、自分の心の転換や家庭内の浄化を通して、色々と学ばれ、悟られる中、今年の3月には御神体の御奉斎をお許しいただきました。さらに先日、このような話を聞かせてくれました。

空白の十数年・・・。(笑い)今凄く感じます。今まで何をやっていたんだろうって・・・。

それから支部での奉仕で先日粗相したんですけど、それから帰って主人に、もうこれから先、そう簡単に御奉仕、許されていかんかもしれんて言ったんですよ。そうしたら、あの人も考えたのかなぁ。あんたね、何でもやっとけばええというところがあるからなって言われたんだけど・・・その時は神妙に私も聞いたんですけど。

本当にこれからはねぇ、(心してさせていただかないと)御奉仕も許されなくなるんじゃないかなぁとか言って、何か凄い話しました。

それで、こうして月次祭に来させていただくのも、許されて来ているんだなぁということも感じるし、ほんとに何か、自分が今まで幸せに埋もれていたというか、そういうことをもの凄く感じました。

実の母と会った時に、大変な中で私を育てたという話を強調するように最近よく言うんです。で、最初は何を分かれと言うことなのかなぁと思っていたんですけど、やっぱり「感謝」、その恵まれた環境の中の感謝を、省みないといけないという事を言いたかったのかなぁと思って、お腹の中にいた時から絶対生むぞーみたいな、姑からは下ろせと言われていたんでね、それを守って守って面倒を見てくれていたので、やっぱり幸せというものに埋もれて来たなと、そういうことを感じて、メシヤ様に感謝、ほんとに感謝で、親兄弟にもほんとに感謝しますよね。

そういうことをね、ぼーっとしてたなと・・・。

こういう言葉を聞いて、本当に嬉しく思いました。人のためにということより自分かわいさに活動していた○○A時代から、メシヤ様の本来の御神業に少しずつ目覚めてくることで、人生に指針を持つようになられたことに感謝しています。

この方も、入信してから数十年になりますが、長い間の信仰の中で身について変われない部分が、メシヤ教に出会えて、僅かの間に、それを悟られ、少しずつ行動に現すことが出来るようになりつつあり嬉しい限りです。

 

信仰の基本に立ち返ることで御神体を許される

また、DさんやEさんは、共に片づけや掃除が苦手でしたが、共に同時期くらいから、毎月の月次祭の参拝やメシヤ講座を聞くことで、自分の生活をどこから変えていかなくてはいけないのかという意識と自覚が少しずつ芽生える中で、毎日自ら掃除や片付けをされたメシヤ様を見習うしかないということを学び、それに習い、少しずつ家の片づけや掃除が、会員の方々の協力も得られる中で意識して出来るようになりつつありました。

そうして誠の感謝献金などの営みを通して、本人達の心がメシヤ様に通じたのでしょう、心、魂も少しずつ輝きはじめると共に、霊主体従によって肉体的にもご浄化を許される中、お二人とも御神体の申込みが許されてきました。

人類が三千年間待ち続けたメシヤ様が、御降誕されると共に、そのメシヤ様の御尊影を御奉掲申し上げることが出来るということと共に、さらには、その根源である主神様の御神体をそれぞれの家庭に許されるということが、如何にそれぞれの家庭にとって重要なことであるのか、また祖霊にとって見れば数千年に亘っての一大慶事であるか、手の舞い、足の舞いという感じではないかというように思っております。

また、その御神体、御尊影をお迎えするために壁の塗り替えや畳の張替えなど、御奉斎するために、精一杯の準備をされる三名の方々の姿に感銘を受けました。しかし、喜んでばかりはいられません。これからが本来の御神業のスタートですので、一層心して家庭の天国化を、さらには地域の天国化を目指して、日々信仰に励んでいただきたいと思いました。

 

組織信仰から脱皮して・・・Fさんの場合

さらには現在、出張所の責任者として日々、浄霊を中心に御用奉仕をしていただいておりますFさんについてですが、この方も以前は私と同じ団体に所属されておりまして、以前の教団では布教員として、又ある時は分院として教団から出されたことを御用と思い、割り当てられた目標達成に一生懸命努力して、一番に目標を達成するなど、先頭に立って教団の旗振りをされてきた人ですが、祖霊の大いなる働きによってメシヤ教と出会い、御浄霊の証しを通してメシヤ様の御存在をまざまざと見せられる中、明主様ではなくメシヤ様なんだとの理解も一層深まり、さらに毎月の月次祭の参拝やメシヤ講座によって、改めて浄霊力拝受の重要性、入会の重要性を理解され今日を迎えられております。

本人の具体的体験は、ホームページへ掲載の体験記を見て頂ければ判るので省略しますが、そうした中にあって、メシヤ様が本来願われた御浄霊を中心にした御神業が、出来てきつつあり嬉しい限りです。

教団の中で一組織人としてがっちりと組み込まれ諸活動をされていたにも拘らず、メシヤ様との出会いによって、その大きな組織から抜け出してでも、メシヤ様と直結して、さらにはメシヤ様との霊線をさらに太く許されようとされておられますことは素晴らしいことであると思います。

出張所発会の挨拶の中では「自分に与えられた因縁の御用にお使いいただけましたら、これに勝る幸せはないと・・・」と仰っておられるし、人間らしい人間になるよう努力する旨も述べておられますので、これからも尚一層、布教三訓、るな三訓を拠り所として、日々努力精進していただきたいと思っております。

このFさんの体験記や出張所発会の挨拶を通して考えるに、組織信仰から脱皮して、本来の取り組みが許されるようになった良い事例ではないかと思います。

また、取り上げた方々に共通することは、今までの教団では活動する事が御神業だったので、信仰という部分においてやや弱い面があり、皆さん入信してから何十年と信仰歴が長いに関わらず、中々変わらなかったことが、メシヤ教に出会って、メシヤ様とお呼びするようになって、毎月の月次祭に参拝されメシヤ講座を聞くことで、多くの気付きが許され、転換が早まったという事です。こんなに早く、多くの方々が、今まで変わらなかったことが僅かの間に変わっていくということを目の当たりにして、感謝と共に感動を持って学ばせていただいております。

 

メールで繋がった青年

それから話は変わりますが、現在支部に週に1回、浄霊を受けに来られている青年がおります。年齢は30代としておきます。

最初に彼から次のようなメールがありました。

お伺いします。

浄霊?で脳出血後の半身不随が元通りに治りますか?

現在私は半身不随一年生です。

あと5か月以内に完治しないと会社クビになります。

メシヤ教岡山支部です。

脳内出血の時、患部を冷やしましたか?

手術はしましたか?

術後、更に水や氷などで患部を冷やしましたか?

全てに該当すれば、残念ながら浄霊しても元通りというわけにはいかないでしょう。

患部を冷やした為、脳内に溢れた血液が残っていて、神経を麻痺させているか、手術の時、神経に傷をつけたか、どちらにしても現代医学の被害者ですね。お気の毒です。

浄霊力伝授は無料なので、試してみる価値はあると思いますが・・・。

そうとう焦っています。

5ヶ月後、半身不随のままだと私は首を括らないといけません。左側が麻痺です辛うじて歩けるかな?程度です。足は摺り足あるきみたいな感じです手の方は動かないです

このようなメール交換からはじまりましたが、その後、支部へはじめて浄霊を受けに2月の上旬頃に来られました。用心深くて最初は中々現状は話されませんでしたが、その日の浄霊で頭に痛みが出て、驚かれたのでしょう、帰る間際になって、浄霊力拝受をお願いしたいという事で、その日にお願い書を書いてもらい拝受しました。

 

浄霊の証しを通して

2回目、3回目と来られた時に、少しずつ事情を話してくれました。それによると、ちょうど1年前に脳出血で入院、左半身麻痺で手術後半年間、リハビリをしたけれどよくならず退院。

その後、姉妹が○○○○会に入会している関係で、半年間毎日その会の支部へ通い浄霊をいただいたけれど、体の一部にさえも痛みが出ず、何の変化もなく、交通費や浄霊のお礼で貯金がなくなり、お先真っ暗で光明が見えず、半分絶望の中で、岡山支部へメールを入れたとのことでした。

また、他の教団にもメールしたようですが、どの教団からも何の連絡もなかったとのことでした。これほどの浄化なら、どの教団も引き受けなかったでしょうね。

このようにして、1週間に1度ですが、彼の浄霊がはじまりました。電車を乗り継ぎ支部まで1時間半~2時間の道のりです。

現在も来られています。

浄霊を受ける度に、頭に痛みが出たり、首に痛みが出たり、麻痺している左手や左足に痛みが出たり、先日は1週間ほど下痢が続いたという事でした。

最初はメールの通りで、左手は右手で握って動かさなければ膝へも乗せられないという状態で、足も装具なしでは歩行は難しいという程度で、支部の階段を上がる時には、介助していたくらいです。それが、今では自分で左腕をぐるぐる回せるまでに回復、左足も膝が上に上げられるようになり、皮膚の感覚も7~8割程度回復しているようで、まだ装具は必要ですが、少しずつ改善に向かいつつあります。

また、支部へ来る前は、血圧も170台でしたが、その1ヵ月後は138、現在は128となり、さらに手の可動域も、ほぼ健常者に近く以前と全く違うとドクターもビックリしているそうです。まだ、手の握力が戻ってないのと、足ももう少しなので、社会復帰までにはいま少し時間はかかるでしょうが、本人にも希望の光が見えつつあります。

そうした彼が、半年間毎日通った○○○○会での事や、事情があって現在も毎日そこへ通ってその場で自己浄霊をしており、その責任者との遣り取りを色々と話してくれますが、あきれるばかりで、思わず笑ってしまい、お茶を噴出したこともありました。

 

こんな笑い話のようなことが・・・

具体的には、「血圧が高いのは、心臓、腎臓の周りに毒素が固結して臓器を圧迫しているから・・・」とか、「時代の変化で毒素の固結場所も変わってきてるから心臓、腎臓の浄霊で血圧は下がる、明主様が御存命の時とは時代が違う」とか。

さらには、「明主様の浄霊急所の御教えは全て正しい事は限らないから参考迄にしといて。身体の急所は人それぞれ千差万別だから自分で浄霊してみて楽になれば、そこが急所ですよ。明主様の御教えにこだわりすぎないで」とか、「毎日、毎日浄霊の御取次ぎの御使いをされるのは結構ですが、自己浄霊ばかりでは光の力(浄霊力)が弱くなるから支部で浄霊をいただいてください」とか、「携帯からだと明主様の教えは読めるが、携帯画面からお光は出てないから、ちゃんとした出版物を見るように」とか。

また、○○○○会での浄霊が効かない事を姉に話すと、「あんたに信仰心が無いから御守護が貰えないんだ」と言われたり、支部責任者からは、「貴方の心持ちが明主様の御教えにかなってないから御守護を貰えないんだよ」と言われたり、さらにその幹部からは、「浄霊いただいて、3日に1回全財産を奉納させていただくという感じでないと治りませんよ」とか、「現在は浄霊の御光が強いので食べ物はしっかり浄霊をいただけば気を使わずに何を食べても大丈夫」とか、言ったらきりがありません。

さらに追い討ちを掛けるように、この団体では「一回浄霊受けるのに御礼が1000円無いとお取り次出来ません」ということのようです。お金のない人はお呼びでないのかとガックリしたそうです。

 

各宗教の課題は・・・

これは笑い話ではありません。本当にあった話です。

私が以前在籍していた○○○光教団でもメシヤ様の御教えと違うことは、非常にたくさんありました。教団方針として言う事や専従者が話す内容には、どこを見て、何を拠り所にして、どうしてそういう話になるのかという事がたくさんありました。

だから最終的には、私の場合は、夫婦でメシヤ様の御教えを拠り所に進んでいくしかないという所へ、行き着いたわけです。そうした中、メシヤ教との出会いがありましたが・・・。

また、他の団体にしても、然りです。多かれ少なかれ、このようにメシヤ様の御精神と言うか、お言葉を、又は御教えを軽んじて、役員などの幹部と言われる人たちが、方針を立て作り上げていく方向になってきている為に、いただく御守護も奇蹟も段々薄くなっている傾向にあります。

それを本来のあり方に戻していくことをしていかないといけないと思います。お言葉には、してはいけないと書かれてあることをしてみたり、書かれてないことを実行してみたり、むちゃくちゃです。専従者は、御教えを中心に物事を判断するのではなく、御教えと違っていても上司の言葉を聞きそれに従い、さらにそれを信者に取り次ぎます。

ですから信者は、御教えに従っているのではなく、教団や専従者の言葉に従っているので、御守護が薄くなるわけです。メシヤ様のお言葉に従うという事が、御守護いただく元であることを軽く見ているわけです。

もう一度、原点に戻って、御教えに求めていただきたいと思います。メシヤ様は奇蹟で、証しでもって答えて下さると思います。宗教の価値について、メシヤ様は、『奇蹟の顕著なことと多いことが宗教の値打である』とおっしゃっておられます。

また、明主様じゃなく、メシヤ様なんだということをはっきり認識しないといけません。御神格をはっきり認識する事が、間違いを正す一番の課題であろうと思います。

 

責任者としての学び

話は、関連教団の問題点にまで話が及びましたが、支部を発会依頼、多くの学びをさせていただきました。また、人間の非常に素晴らしい部分と醜い部分との両面も見て学ばせていただきました。

以前所属していた団体の時であれば、こういう場合はこうすればこうなるということがわかるので、ついついその前にお世話をし過ぎてしゃべったり、手を貸したりしていました。

その為、その浄化は乗り越せても、また形が違う浄化がくると乗り越せないで同じところをぐるぐる回っているだけで、一つも向上しない信者さんをいやというほど見てきました。さらには、お世話をしてくれるのが当然という顔をして、お世話をされる方が上で、お世話をする方が下のようなことさえあり、信仰者の集団ではありませんでした。

支部の責任者を受けてからは、代表のスタンスを見習っています。要するに『布教三訓』と『ルナ三訓』、それと『一言話して先方が言ふ事を聞かなかったら時期を待つ様にするんです。』との御教えです。

というのは、以前の組織で身に付いた癖が出た時がありました。私はその人のことを思って大乗的に話したのですが、その人は自分で考えていたことと私の言ったことが違っていたので、受け止めきれない様子でした。言った後「しまった」と思いました。昔の癖が出た時でした。

それ以降は、相手の言葉に会わせ、メシヤ様だったらどのようになさるだろうかということを常に考え、出来るだけ言わないように、じっと様子を見ながら対応しております。

そうしていると、メシヤ様は、メシヤ様の御存在が理解出来ない人には、奇蹟や御守護を通してその御存在を示され、ある程度理解している人には、御浄化という形で神の愛を示されつつ導かれており、また、明主様とか明主之御神とかではなくて、さらに上がってメシヤ様であるとお伝えし、メシヤ様とお唱えした方が浄霊力はさらに強くなるとお伝えすれば、その証しをメシヤ様御自らお示し下さっております。

そういう導き方をされているメシヤ様のお働きを見るにつけ、その人自身はまだまだ理解できないことではあるでしょうが、何と表現したらよいか、実に微妙な、絶妙なタイミングで働かれておられる様を見て、実に感無量でお讃えする言葉が見つからないくらいであります。

 

今後のあり方は・・・

どの信者さんにも言える事ですが、自分中心の考え方、参拝の仕方から、毎月の月次祭を通してメシヤ講座を学び、御教えで話することで今まで身についていた癖、長い○○A時代に身についていた癖が、少しずつ支部中心の考え方、参拝の仕方、又奉仕のあり方等も変わってきつつあり、その中で、本来の御神業とは何か、信仰するということはどういうことかということが、段々と分かり始めてきています。

メシヤ教の浄霊力は、他教団に較べて段違いではあるけれども、これはあくまで入り口に過ぎません。どこまでもメシヤ様が世界メシヤ教を立教された時の御心へ返り、ミロク世界に住むことができる資格をいただく為にも、御教えに沿った信仰生活を会員一人一人が、こつこつ実践し、人格の向上と共に嘗て持っていた美しい心を取り戻し、人間らしい人間になってもらいたいと思いますし、その為に日々努力精進することをメシヤ様は我々に求められておられますので、人の言動をとやかくいうことなく、自分自身、御神意通りの生活をさせていただいているか、自分の心言行はどうであったかという事を自分に問いかけながら、常に人ではなく日々自分を御教えに照らしながらこれからも生活をさせていただこうと思っております。

自力を抑える修行が自分の魂を大きくする力になります。これからも先ほど言った『布教三訓』『ルナ三訓』に加え、ホームページにも掲載している「焦るな、怒るな、怠るな」のミロク会の『ルナ三訓』も自分の座右の銘にして、責任者としての使命を果たさせていただこうと思います。

長時間、お聞きいただきまして、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

 

[御蔭話(御神業の変遷) 竣成記念大祭  2013(平成25)年5 月5日]

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