本来の御神業に目覚めて

岡山支部 冨山晃世(元世界救世教東方之光教団所属)

 

主神様、メシヤ様より賜りました御守護の御報告をさせていただきます。

昨年、岡山支部において「メシヤ様」との称号を耳にした時、何等違和感もなく、「そうだ、メシヤ様と呼べないものはここから出て行きなさい、とまでおっしゃられた御心を、はっきりと感じ、それからは自分の中で何かが変わっていくのを感じました。そして、5月には何故かメシヤ教の本部へ参拝し、その月に入会しましたが、自分の心、思いとは裏腹に何故か入会してしまっていた自分が居ました。それから一年近く、ずっと心、思いと行動が一致しない、違う自分が居ましたが、メシヤ様は以前の浄霊力と全然違う浄霊力で、メシヤ様としての「御神格」の証しを見せていただき見せていただき、導いてくださいました。

 

入会以後、メシヤ様の証しを見せられる

具体的には、昨年、MOAの分院である○○(広田)さんは眼の上のイボが長年ありましたが、主神様、メシヤ様に対して「焼き切らしてください」との想念で浄霊することでイボが炭化してとれました。また、片山君の頻尿の改善が許されたり、△△(大塚)さんは、孫と共に浄霊力伝授が許され、自らの心言行を改めることを課題にして家の天国化を許されようと努力しつつあり、本人にも変化が現れています。また、□□(文屋)さんには、「真実の魂の目覚めが許されますように」と祈りながら背中を集中して浄霊しました。そうしたら、帰宅後その背中より真っ黒な液体のようなものが尾てい骨に降りた感じがして3日間すごく痛んだそうです。

そのような中、今年の、3月4日、片山君より御浄霊をいただいている時、いつまで背中が痛いと言えばよいのかとの想念を受けて、「本当だ!いい加減嫌になった。」小学6年の時、中学生になるので自転車の練習中に、そのまま田んぼの中に落ちて、練習で乗っていた大きな自転車が背中に落ちてきて、背骨を強打してしばらく息が止まるかと思うほどの衝撃を受けました。

以来、38歳まで上を向いて眠れなかったのが、入信後、ふと気がつくと上を向いて朝を迎えていた時のあの感動を思い出しましたが、それでもいつも何かストンと背骨の一部が落ちた感じがあり、入信当時は背中全体が皮バンドをはめているような圧通で、御浄霊をいただくとスルメが伸びるような感じで、手を当てていただくと焼け火箸を当てられたような痛みで長い間苦しみましたが、入信36年の月日の中で、3回ほど背中の曲がっているところがグキッという音がして、少しずつでも矯正されていたことは、昔から較べると随分楽にしていただけていると思いながらも、疲れたり無理をするとすぐ背中が痛み、私にとってそれが常態のような年月でした。

ところが、その日は何故か「もういいでしょう。」と自分でも不思議な感情が湧いてきて、「主之大御神様、メシヤ様、私はひょっとして打ち所が悪ければ、脊髄カリエスまたは下半身麻痺になっていたかもしれない程の、因縁の深い曇り多い身であったのでしょうが、御守護によりそれを免れてきたけれども、今日まで本当に苦しいことの多い人生であったけれど、それは致し方のないことで自分の身から出た錆です。本当に申し訳ないことで只々お詫びを申し上げ、お礼を申し上げるしかない自分ですけれども、もう許してくださったのだ。もういいのだ。常に自分を責めてきた人生でしたが、どうかもう神の子として、私の背中を治してください。」と心で祈りながら手を合わせていました。

すると、突然背中のその窪んだところがグキッと音がして3回屈伸し、右の腎臓から臀部のところがガクッガクッと、ちょうど整体師が骨を入れるというか、矯正されたような感覚を受け、本当にびっくりしましたが、その時、私の顔は笑い顔でした。

今まで数多くの奇蹟をいただき、御守護をいただいてきていましたが、こんな笑い顔でということは、未だ嘗てありませんでした。メシヤ様がそこにおられるというほどの存在感を感じ、恐れ多いことながら、その感動は言葉に表せないほどでした。

それ以来、本当に背中を常に意識していたのが、忘れたような軽さをお許しいただいております。主神様、メシヤ様と直結することのすごさ、ありがたさ。私がこの度賜りました、御守護は言葉にも筆にも表すことは出来ません。メシヤ様とのお約束で、残りの人生、無き命を今一度賜りましたご恩を、人のために尽くさせていただきたいと、ひたすら祈るのみです。

 

支部月並祭で孫に御守護

3月7日、岡山支部月並祭での代表の集団浄霊で、孫が肩の固結がなくなり、脊柱のゆがみが本来の姿に戻ったと言いました。自分で思っているだけで、背中は曲がっていないし、18歳の男子の健康な体であるにもかかわらず、本人は曲がっていると感じていたらしい。それが、背中からもう1本背骨のようなものが出てきたような衝撃を受けたらしい。そして、肩にあった固結が取れ、脊柱が治った、楽になったと言った。これは何なのだろう、これこそメシヤ様直接の御力以外、ありえないことと痛感し、ただ感動です。

 

MOAの中で葛藤の日々を過ごす

思えば私は、昭和51年12月10日、世界救世教に入信。

教団浄化の時、じっとしていたらMOAになっていました。以来36年、使命と思い数々の資格をいただき活動する中で、色々と疑問を持つようになり、センターでの奉仕中、もう一人の自分が冷ややかに自分に問いかける。「これでよいのか」「ここへ来ていることが本当なのか」と。そして「もういいでしょう。」もう組織の中から抜けて神と自分、今後どうすればよいかを考えようと強く思い、身を引いてより今年で9年目に入りました。

明主様は自分をどのようにお使いくださろうとしておられるのか、自分の行動に間違いはないのか、組織の中にあって本部から出されたことを御用と思い一生懸命真向かいながら、言い知れない重圧を感じ、御用とは使命とはこんなにも苦しみが多いことなのかと、自らの曇り多い身を嘆きながら過ごしたことを思う中で、これからは自分の責任で因縁の御用を許されていくにはどうあるべきかと、只管(ひたすら)御魂の向上をお許しいただきたいと求める中で、「楽ではあるけれども責任は思い」との御教え通り、信者とは、地上天国建設にお使いいただくにはどうあるべきかと、今まで以上に明主様に求める日々が続きました。

 

青少年自立支援クラブ「愛クラブ」の活動を通して

平成17年、青少年自立支援クラブを立ち上げ、活動していたことをMOAの中では異端者の目でみられていました。そして7年目に入った今、いつまでもお茶やお花で奉仕することに疑問があり、いつも止めようと思いながら常にこれではいけない、メシヤ様の最後の救いは御浄霊なのに、難しい教育界に御光をと願いながらやってきましたが、昨年メシヤ様と恐れ多い事ながら強く想念を結ばせていただく事により、今までは忘れていたようになっていた魂の力を許され、もう何も怖くない、学校であろうとどこであろうと、「メシヤ様の最後の御救いを今、出させていただかなければもう間に合わない。何を躊躇しているのだ」と内なる声に促がされ、今年になって、新学期の始まりに、「天国の礎」、「浄霊」上下巻、及び医者が書いた「長生きしたければ医療にかかるな」他2冊の本も併せて某中学校の校長に、

「病気の心配のなくなる本を読んでください。今次々と読みたい人達が待っているので1ヶ月お貸しします。大切な本なので大切に読んでください。」

と、今までならとんでもない様な上から目線でお渡ししました。そして学期末に校長より、「今までの価値観と違う本を見せていただいた。目からうろこが落ちた。ストンと腹に落ちた。」と言われ、また、新学期には教頭に読ませてあげてくださいと言われ、本当にびっくり致しました。この教頭が以前足を挫いておられた時、校長室で御浄霊をさせていただき、「温かくなった」と言われたことがありました。

この某中学校には、愛クラブとして行きはじめていましたが、県下でも荒れた学校だと言われており、廊下で赤い髪の男女がたむろし、男子はタバコ、携帯、ジュースを並べて大きな音で歌を流し、その側で先生達はなすすべもなく、何名かで見張っているという状態でした。寒い廊下で本当に涙が出ました。

最初はお茶お花も何だそれはという感じでしたが、不思議なほど素直になっていき、挨拶が出来たり、又、3年生の子供たちは夜学に就職にと決まり、校長先生をはじめ、PTAの役員の人達も「皆さんのお陰」と言われ、今は静かな学校になり他校から研修に来られたり、県が特別にお金を出して私達にお手伝いの若い先生を配置して、学校中に先生はじめ、PTAの親など、又、特別学級にいる子供たちで花を活け、活けたのを各部署に置いております。

先日も校長先生より、「花代その他の費用を学校として払わせて下さい。自分達も仲間に入れて下さい。」と言われました。行きだしてより2年足らずですが神様の深いお計らいを感じずにはおられません。他にも5分室、倉敷には不登校の子の教室があります。岡山県は全国でワースト1位です。子供の不良化は親の不良化とあります。5分室は、愛クラブとして入っておりますが、MOAの人達がしてくれております。この人達にも何時の日か、メシヤ様の真の信者になっていただけますように努力させていただきます。

そして、勢いに乗って、ジョイスクールで「御浄霊をします」と先生に話すと「してください」と言われ、今始まっています。

この学校の子らは、倉敷に1校ある支援学校の高等部を卒業した18歳以上の子供達で、親達が10年もかかって自分達の子供も人並みに短大くらいはと願い、もちろん障害のある人達なので普通の短大というのではありませんが、親の切なる願いで、3年前に初めて中国地区に立ち上がった学校です。

そこへ、開校当初から先生方に御願いをされてお花、お茶を授業として入っておりますが、今そこで、校長、生徒とお取次ぎを許されることができました。

校長は「椅子にちゃんと座ることが出来た。」と喜ばれ、生徒たちは、じっと落ち着いて座って受けております。願いは、生まれ変わった時には、普通の体であって欲しいと思い、祈っています。

また、岡山の児童学園は親の虐待、また育児放棄された小、中、高の子供が24時間、その学校で生活しております。小学生の子供を見るに付け、本来ならば親の元で甘えて暮らせるものを、何の因果か、こうして団体生活の中で、私達が1ヶ月に1度の訪問を楽しみにして待っていてくれる。何とか、1回の御浄霊で、地獄に落ちるのを許されるとの御教えにある通り、御浄霊をと思っておりましたが、前の校長は、「やはりそれは教育委員会が駄目」と言って断られていたのですが、今度女性の校長に代わり、メシヤ様をお念じして話すことにより、短い時間ですが許可が出て、校長に取り次ぎ、先生や子供達に「将来必ず幸せに」と祈りながらさせていただいております。

その中の男性の若い先生ですが、今月の21日に「浄霊力伝授」が許されるようになりました。その先生とも今まで言葉は交わしていたのですが、今回、子供に御浄霊をしていると「私にもして下さい」と言われ、私は「先生、こんなことを信じることが出来るのですか」と尋ねると、「自分は信じる」「それであるなら、子供達にしてやって欲しい」と言いますと、「そうですね、いいですね。」と言われました。

御教えに、「自己自身の精神革命こそ喫緊事である。」とあります。

これも皆、主神様、メシヤ様と強い思いで直結のお許しをいただいてから、自分の中で違う力が湧き、恐れることなく、臆することなく、先生方に話すことが出来たと確信しております。

思えば平成3年、布教員体制がなくなってから、学校関係、社会に向かって走りましたが、拡大せず、プツンプツンと切れていく中で、平成17年、愛クラブ立ち上げからは、初めて社会の中で求められ、信頼され、不思議な拡大を見ました。

そして、昭和12年、ある伯爵が世の中で密かに善行している人達を、明治神宮で表彰したいと言われ、御教えに反すると思いお断りしたのですが、是非と強く言われ、紫聖殿での表彰式に臨んだり、又、新聞に出たりしましたが、今思えば社会の中にあって、そういうことも一つの履歴として必要なのかもしれないと思っております。

 

本来のさらなる御神業に向かって

昨年6月、代表が「冨山さん、これからは確実に徳を積んでくださいね。」と言われた時、私はある衝撃を持って受け取らせていただきました。

それは、私には徳を積むというようなことは許されていない、三千年の大きな穴を埋めることも不徳の家であり、自分であると思って信仰の中で苦しんできましたので、代表のお言葉はとても温かく、嬉しく、「やっとお許しいただけたのだ」と思うことが出来ました。本来、私は疑い深い性格で、MOAの中の資格も大変な葛藤の中、神様のお申し付けなのだと、強く自分に言い聞かせ、ストレスで髪は薄くなり声も出なくなる中を、必死の思いで御用と思い、担わせていただいてきました。

そして、血の涙の出るような御浄化と御守護をお許しいただき、ここまでお導きを賜りました。メシヤ様は御用とは天国的で、下から押し上げるのは苦しいが、上から引き上げるのが本当だと御教えいただいております。

恐れ多き事ながら、今の私は、自分なりにそれなりに、毎日が楽しく、生かされていることに心より感謝を申し上げ、主の神様、メシヤ様の懐に抱かれたような今日この頃でございます。

最後になりましたが、今後、学校の先生方を家に招いて、浄霊をさせていただけるようにしていきたいと思います。その為には、出張所としての想念を持って、これから本来の御神業を目指して努力精進させていただきます。

この度は、このような御守護の御報告をさせていただき、心よりお礼を申し上げます。

「足るを知る 日々の暮らしや 福寿草」

本日は、誠にありがとうございました。

 

[御蔭話(御神業の変遷)新本部竣成祭 2012(平成24)年5月]

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