メシヤ講座no.188大阪(平成28年10月)

<今月の御教え>

「仏滅と五六七の世』文明の創造」

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』38ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 大阪支部】

 

拝読後の感想や覚り

楳木代表

地上天国祭から私達はお互いに覚りの世界を開こうということで、取り組みを進めさせていただいて、大阪支部では支部長代理を始め、出張所の責任者、それから集会所の責任者の方に報告していただいていますけれども、それを皆様方参拝者ご自身にも、当てはめて考えていただきながら、耳を傾けていただければありがたいと思います。最初にそのことをお願いしまして、支部長代理から、よろしくお願いしたいと思います。

 

支部長代理

今日は少しいろいろありましたので、長くなりますがご了解いただきたいと思います。

先日、御浄霊中に思わせていただいたことなんですが、この御浄霊の暖かな感じの中で、“この「暖かさ」というのは一体何かな”というふうに思いまして、そうするとこの御浄霊の光、“この光とは「明るさ」である”と。これはですね、主神様の「御恵み」から来るのではないかと、この「御恵み」は主神様の「愛」と「慈悲」と、こういうものであるから暖かいのではないかなと。そして主神様がメシヤ様となられて、この愛と慈悲によってですね、「地上天国の建設と救い」をなされているのではないかなというふうに思わせていただきました。

そう思いながら目の前におられる方を見まして、“この方は非常に愛と慈悲に長けた人だなぁ”というふうに思いまして、一方、私自身を見ますと、今いろいろ忙しくしている中で、そういうものが薄いのではないかなと。愛と慈悲の魂があるにしてもですね、それが曇れば感情が乱れたり、知恵が勝るという、この知が勝ると冷たさが出てしまう。医学革命の準備をしだした時に随分日々難しいことばかりで、知に没頭し偏りますけれども、“いつかはまた普通に戻らなくてはならないな”というふうに思っていたのですけれども、この「暖かさ」というものはですね、知のような、簡単、簡易さではありませんので、目に見えないものですので、“非常に戻りにくいな”と。“霊界でもそれがもし簡単に戻ればですね、数十年、人によっては数百年という修行はいらないのかなぁ”と。

そしてそういうことを思いながら、また別の日に御浄霊をさせていただく中で思わせていただいたことは、先々月から私のテーマの中に「この世の中の切り替え時にどのように善に転換していくか」というものがありまして、「覚り」というのはそのための「覚り」でありますが、そしてこの世の中の「善悪」で、一番小さいのは自分の「魂と副霊」そのものでございますが、そこで人にお伝えしていく上で、「自分の魂で相手の魂に語りかける」と言ってもですね、実は自分の足りない部分とか悪の部分というものも相手に写っていく、また移らせている場合もある、と。それは相手の進捗を見ていれば自分というものが分かるな、と。それは因縁という霊線のパイプが強い人ほど、良きも悪きも自分が相手に与える影響が強いということ。結局ですね、いろいろな角度から考えると、この世の中の悪を善に変えていくというためには、自らが「伊都能売(いづのめ)」の良き見本になって写していかないと、この「伊都能売の世界」というのはできないな、と。

そして今、私自身、この自分の悪の、他に対する影響というものは、「言葉」や「行い」だけではなくて、「想念」まで問われているな、と。むしろ「想念」の影響の方が非常に強い。“みんな私そのものが相手に写っているんだなぁ”というふうに、つくづく思いまして、メシヤ様にお詫びした瞬間ですね、相手の方の執拗な体の悪い個所が、相手の方が「ポコッと取れた。」というふうに仰っておられました。その時に、改めまして、『これからは想念の世界になる。』ということを、強く思わせていただきました。またそうであるからこそ、“平気で悪口を言うようでは、審判は乗り越えられない、正にその通りである”というふうに思わせていただきました。

その時“主神様は素晴らしいシステムを作られているな”と思いまして、御教えによりますと、人間というものの「悪」を考えますと、自分が前世で「人間離れ」したところの悪い性質(嫉妬心、猜疑心、独占欲、誤魔化し、怠惰、凶暴などといった強い執着心)となると、あの世で自分がその性質に応じた動物になる、と。そして、思うがままの醜態を行い、満足するところまでやる、と。しかし、満足したからといって、現界で自分についている副守護神のように容易に引き下がって、副守護神が犯した悪を自分の本体である魂が見て反省するというようなことは、なかなか霊界では起きにくい、そういうことは、やはりあの世で痛苦を味わいながら修行しないとなかなか脱していかない。そういうあの世の修行をして、またこの世に人間として生まれてくるというこの繰り返しをですね、「人間と動物の生まれ変わり」を仏教では「輪廻転生」と言いますが、御教えにもそうありますが、“『夜の時代』の人間の心というのはそういう動物性の執拗さが身についている、なかなか魂が上がらない、これが『夜の時代』の話なんだなぁ”と。それで『昼の時代』となりまして、私たちは真理を教えていただきました。しかしながら“魂の、そこに染み付くほど日々意識付けができているのかな”というと、私自身“なかなかそうではない”とそう思わせていただきました。

それから昨日、清掃奉仕が終わって一息ついた途端に、電話が入ってきました。「松原出張所へ浄霊をいただきに行きたいけれども、松原出張所の連絡先が分からないので支部の方に電話をしました。」ということで、“大変また良いように開けてくるのかな、めでたいことだなあ”と思いまして、その電話が終わるとすぐにまた電話が鳴りました。“続けて、何かいいことを覚らせて下さるようなことがあるのかな”と思って電話に出ました。そのお方はですね、こちらのメシヤ教のある方に浄霊の急所を聞いて自己流の手かざしをされている方でして、ご自身、頻尿が30分置きに起きるので、ずっと寝れないというような状況が続いていたそうですが、この手を当てるという自己流の手かざしですが、それでたった1回で5時間貧尿が止まったということで、これは世の中に伝えて行かないといけないということで、冊子を作って配布して、そうしてお伝えした方々の、なんと3割の方の貧尿が良くなっている、と。それから、日々いろいろ感謝の手紙も届くようになったということで、私はその話を聞いて「西洋医学よりもはるかに成績が良いですね。」と、大変感嘆して話をしてですね、“人間の思いとか想念の強く働く時代に来たんだなぁ”というふうに思わせていただきました。

これをですね、浄霊をする人が聞くと、ともすれば批判しがちでありますけれども、しかしこれほど救った実績というのは、やはりその方に「愛」とか「知恵」とか「行動」というものがなければできなかったであろうと思いまして、大変感服して私の方から敬意を表しました。

またそのお方は「宗教嫌いだ。」というふうに仰っておられまして、しかしながら「神様とか仏様というのは人間の魂の奥の奥の奥の奥底にあるんだ。」と仰ってまして、さらにその方は、「しかしそういう神は、人間の想念が作り出したものだと思うんですよ。」と話を振られるので、それにたいして私は「神様とか仏様というのは、私は実際に見たことはないんですけれども、大事なことはそうした神様や仏様が人間に伝えてきた、人間が本来あるべきもの、これをいかに実践できているか、そういうことのほうが大事だと思うんですよ。」というお話をしましたら大変頷かれて、さらに私は「いくら宗教に入っていても、そういう本来の人間性が身についていかないと、人間性が乱れた世を、人様を救い得ないですね。」というふうにお話したら、「大事なことは、全くそれなんですよ。」と、同じ意見だと大変に喜ばれました。

次に声のトーンを少し落とされて「木原さん、いいですか、私はこの年になるまで本当にいろんな経験を、たくさん積んできましてね。しかしですね、人間というものはどんなにいくら努力をしてもですね、この努力というものは人を裏切るんですよ。」と。私は、ふっと首をかしげました。しかし続いて仰られたのは、「いいですか、9割の努力というのは人間を裏切るんですよ。しかし9割の無駄な努力が次に活きるんですよ。」と。私もこれまでの人生を振り返り、ジーンと来ましてね、私は「全く同じ意見です。失敗は成功の母なりですね。」と言ったんですね。

そうして最後に、そのお方が仰るには「自分には非常にずっーと気にかけてきた某人がいる。しかし、自分は宗教が大嫌いなので宗教から見たら自分は敵ですよ、某人やみんなからみたら敵かもしれないですよ。しかしその某人が、たとえ仏教でもいい、メシヤ教でもいい、決して諦めないで、一つの道をやり遂げて欲しいんですよ。いままでの人生、ずっと中途半端なままだったんですよ。だからね、絶対にやり遂げて欲しいんです。」と声を絞られながら語られたのです。「どうか、このことをメシヤ教の代表に伝えて欲しいんです。どうか某人を立派に導いてやって欲しい、たったそれだけを伝えていただきたいんです。」と懇切丁寧にお願いされるので、私は“このお方は、大きな人だなあ”と心から思えました。そうして私のほうからは、その某人にずっとお世話されてきた想いとかですね、いろいろなことにたいして、「もしそのままであれば、某人は街角の隅で倒れていたかもしれませんね。○○さんのずっとこれまでの絶え間ない愛と慈悲のお世話があったからこそ今があると、きっとその方も感謝されていると思いますよ。」とお讃え申し上げますと、相手の方は感極まって言葉にならない声を出されて、電話を切られました。

なお、このお方は「もし願いが叶えば、箱根建設に献金させてもらってもいいと思っている。」というふうに仰られました。

このお方とおよそ1時間半ばかり心弾む話をさせていただいて、ふと頭の中に、宗教をしているかどうか分からないぐらいに宗教臭さを取らねばならない、というような御教えを思わせていただきました。いくら「メシヤ様、浄霊」といっても自分が人としての人格が身についていなければ、もはや宗教の意味がなく、反対に宗教に入らなくてもその努力を続けて結果を得たものほど、世の中のためになり、先程のお方はそういう点で“大乗だなぁ”と。そこでさらに頭の中に浮かんだのは、『小乗の善は大乗の悪なり』ということで、宗教臭い「善」を説いていると結局人の救いにはならないので、“大きく見れば、大乗の悪かな”というふうに思わせていただいて、改めて自らの今迄の人様への伝え方というのは、その話が核心に触れれば触れるほど、“まだまだ宗教臭い小乗善だったなぁ”と、“それに比べてこのお方は懐が大きいなあ”と思わせていただきました。“そしてこの小乗信仰では世界はおろか日本ですら転換できない、または発展しない”ということを、自らに返して強く思わせていただいた次第であります。以上でございます。

 

楳木代表

はい、ありがとうございます。では松原出張所お願いします。

 

松原出張所責任者

8月から個人の向上と、先月は『九分九厘と一厘』ということで、今月は仏教の真髄、諦めの境地というふうに学ばせていただいて、こうして学びが深まっていくたびに家庭内の浄化が出てきまして、肉体的な浄化は別にないのですけれども、精神的浄化の方が多いですね。

浄化もありますけれども、一方では、2月の節分祭の時に夕食会でたまたま鎌倉の支部長代理の目の前になりまして、「大黒様の台座をいただきたい。」ということで話をして、「ちょうど本部の建設の際にあった台座があるのだよ。」ということで、調整していただきまして3月3日の日に台座をいただくことができまして、ご報告するのが遅れたのですが、そこから動きがありまして、主人の昇進の話が9月にあるだろうという話があり、今月10月に昇進致しました。その台座をいただいた時からそういう話があったのだということで、金額的にはまだ分からないのですけれども、“経済的にも余裕が出て来るかなぁ”と思いつつおります。

そんな中、長男が反抗期ということもあり、塾に通っておりましたが約束も破るので、携帯も解約して塾もやめさせたのですね。そうしましたら家のガラスを割り出して、大きな浄化でしたが・・・。

これまで、携帯を持っているから寝不足になってしまって、“結局今まで何していたのだろうか”と。お金も負担だし、精神的にも負担で、夜は遅く帰って来るし、寝不足なので学校に行っても寝ているのですね。塾へ行くといっても、「行ってきます。」と言って行くので、“行っているのだ”と思っていたら、ずっと行ってなかったのですね。ということは勉強していなくて、睡眠不足で、悪循環だったのですけれども、“携帯も塾もすべて止めて、テレビもいらないな”と思っているのですけれども、“一切止めて、一からだ”と思って、今1週間ぐらい経つのですけれども、夜は7時に寝て朝7時までぐっすり寝ております。そういえば脳が育つ時期なので、ゲームも外でしかできないし、ワイ・ファイも切ったので家ではインターネットは絶対できないようになっていますし、早く帰ってくるようになりました。十何時間睡眠して、ちょっと寝すぎなのですけど、“今まで疲れていたんだろうな”と。ですので、部活もちゃんと行くようになって、結局ぐっすり家で寝ているので、授業中はたぶん聞いていると思うのですね。(笑)ちょうど正されたといいますか、すごく転換されたなという感じで、その中で長男が家にいることの大切さということを気付かしていただきました。

また三重支部の遷座祭に9月9日行かせていただき、その時に『九分九厘と一厘』という御教えであり、ちょうど9月9日だったので、“偶然だな”とお話を聞かせていただいておりました。むかし三重支部の方に一度参拝に行かせていただいた時、「ドンドンドンドン」という音が聞こえたことを思い出し、その時は人が押し寄せて来たのだということを、一緒にいた○○さんと話したのですが、三重支部の方も人が「押し寄せて来る音なのかなぁ。」と仰ってましたけど、私はそういう風に言われたからそう思っていたのですが、何かキラキラしていたのです。よ~く考えたら、シッポみたいなのですよ。こういうシッポが障子を「ドンッドンッ」と叩いている、その音に間違いないなと。地震があったような「ドッドッドッドッー」という音で、キラキラ見えたのはシッポだったのですね。その時私はシッポだというのが分からなくて、でも「人が押し寄せて来る音だ。」とみんなが言うから、“そうなのかな”と思って言わなかったのですが、気にかかっていました。その龍のシッポというのが、パッと思い浮かばなかったのです。みんな言っているのだからそういうことじゃない、と思っていました。その頃は、未熟だったので、何か知らんけど・・・。龍のシッポなのです。“キラキラしていて、何かついてきたんかなぁ?”というぐらいで、この9月9日の日にやっぱり“金龍様だったのじゃないかな?”と思い、やっぱりメシヤ教を守られているというか、その時見たのはそうだったのかというふうに自分で腹に落ちました。

それから先日の楳木代表のメール内容で『強制』と『自然』ということ、むかし三重に行かせていただいて、こういうふうに三重が発展されて遷座祭に行かせていただいて、まるで内装も本部と一緒の内装でびっくりしたのですけれども、そういう.むかしのことから自然に物事が運んで来られていましたので、強制じゃなく自然に向上許されて、本当に雰囲気もよく清々しくて、そのことが腹に落ちたといいますか、「こうするのだ!」という強制ではなくて、自分で個人の向上ということ、自分で気付かないと来られないので、“自分で気付いて向上されてここまで来られたのだな”という思いが腹に落ちました。以上です。

 

楳木代表

はい、ありがとうございました。では八尾集会所からお願いします。

 

八尾集会所責任者

三重支部の話が出ましたけれども、三重支部の遷座祭には以前から“行きたい”と思っておりましたが、主人の浄化もあり諦めておりました。先月○○さんに「空いているよ。」と言われたんで、また迷っておりましたが、夕方から行けると思いつき、行くことを決めさせていただきました。ありがとうございました。

どうして三重支部の遷座祭に行きたかったかと申しますと、「タイにいた時はやっぱり強くメシヤ様を求めていたけど、日本に帰って来て安心して求める力が弱くなっている。」ということを、楳木代表にチラッと言われて、“どういうことかなぁ”と自分ではよく分からなかったので、それが“分かりたい”という思いもありまして、本当にありがたいことにご参拝が許されました。素晴らしい御参拝だったのですけれども一番頭に残ったのが、「覚りには肉体の浄化が伴う。」ということだったのですね。なぜかそれがすごく残っておりまして、帰り車の中で○○さんにも・・・。薬情をもらって、つまり薬の情報ですね、それを今いる病院で先生に薬を止めてもらうように言っておかないとリハビリに移ってからではなかなかしてもらえないよ、ということもアドバイスいただいて、私は“薬の情報なども取ってなかったなぁ”と思って早速病院に電話して薬情を取らせてもらったのです。病院へ行きましたらもう準備されていまして、後で聞こうと思っておりました。主治医の先生とは入院する最初だけ話して、その後は全然話してなかったのですが、たまたま1分しかかからない距離で主治医の先生に会うのですね。そして主治医の先生から「何を持っていらっしゃるのですか?」と声をかけられ、「薬情です。」と。「今度先生にお話しをしたいと思っておりました。」と申しましたら、「説明しますよ。」と、そこで説明されてしまってね。いままで全然話してないのに、今話されるということは、“これはメシヤ様がもう私に、時間をとってその話をしても無駄だ、ということを仰っているのだな”と、私はその時思いました。

家に帰りましたら息子たちが「すごく疲れた顔しているよ。」と、「お見舞いに行くのを少し休みなさい。」と言うのですが、次の日も行くつもりでおりました。その内具合悪くなって、39.4分前後の熱が6日ほど続きました。私はそういう浄化をしたことがなかったので、風邪を引いても2、3日だし、初めての浄化で、“いやぁ~これは覚りの御浄化をいただいた~(笑)”と思ったりして、覚りというのも良く分かってないのに、子供にも「覚りの浄化だ。」と言って、私の世話をしてくれている娘も、私がうなされて変なことを言ったりしているから、えらく悩んでいたらしいのです。そういうふうに自分の言動には非常に間違いが多い(笑)、ということが分かりましした。今までこうした浄化をしたことがなくて、高熱が6日間も続いたのでなかなか体力が戻らない、長いこと寝てしまうと体力が戻っていかないのです。たまたま三重支部の遷座祭の次の日にリハビリの病院に移ることになっていましたが、三重支部に行く前日に主治医の先生から「リハビリの病院に移る日が延びた。」という電話があり、だから“延びた機会に、先生に薬のことを話そう“と思っていたし、“またリハビリ病院に移った時にそのリハビリの主治医の先生に薬を使わないようにお願いしよう”と思っていたのです。だけど、そうして寝込んでいたので、私が行かない間に、主人は一度退院してリハビリ病院の方に入院し、カンファレンスも子供たちが受けて、子供たちもその時に「できるだけ薬を減らして下さい。」と言ったらしいのですけど、なかなか「受け入れ難い。」ということでした。私の熱下がってから、娘に「何か覚ったか?」と聞かれ、「私が出て行くなということだったな、ということを覚った。」と言いまして、また2,3日また考えまして、娘には「自分は、これは正しいと思ってすることは正しいこともあるし、間違っていることもある。そしてこれがまた、時期が合っている時もあるし合ってない時もある。いろんなことがあるから、思ったことをすぐにするのではなくて、いろんな状況を考えてやらなくてはいけないということを覚らしていただきました。」と言って、子供たちからも「ちゃんと人の話を聞きなさい。」と言われたりするのだけれども、私も信仰的に考えた場合に、本当に時代というのもあるし、自分は“これは正しい”と思っても、必ずしもそれが正しいかといえば間違っていることも十分あるし、すべてにおいて自分がやろうと思ったことは、そこにメシヤ様の答えがあると思うのですね。やろうと思った時に、これはいいよ、これはあかんよというふうに、返事が出て来ると思うので、本当に愚かな自分なので、“メシヤ様の御声を聞きながら自分のしようと思ったことを、考えながら、させていただきたいな”と思いました。

御垂示録でぴったりの所がありまして、『善言讃詞』の『日々の施業にも妙智を賜い眞覺を得さしめ』ということで、やっぱり妙智を賜り本当の覚りをいただいて、させていただかないといけないなということを思って、そのことがちょうど御垂示録に妙智のことが出ていましたので、『世界を救う、世界的な考え方を持つ』というところがあったのです。考えてみたらタイにいた時は“主人が救われたら世界が救われるかもしれない”と、強い思いでやっていたのです。“それが意外とポイントかなぁ?”とすごく思いました。ありがとうございました。

 

【同責任者からのご要望で「御垂示録4号  昭和二十六年十一月一日」の御教えを掲載させていただきます。】

【御伺い】京都で、之から土産をやるとおつしやられました、あの事をお聞きしまして、自分の事を考え、人力と神力の差をお教え戴き、有難く――

【御垂示】さつき話すのを忘れましたが、割合に肝腎な事ですね。つまり、浄霊は力を抜く程良いとしているが、あれと同じで、他の事にも共通している。一番分り易く言うと、之を欲しいと思うでしよう。欲しいが、何うしても之を自分の方に引寄せ様と思うと、来ないものでしよう。欲しい欲しいと思つた時は、必ず来ないものです。病人でも、之を治したら宣伝力もあるし、是非治したいと思うが治らない。そんな事を全然考えないで、なーに、とやつていると治る。それは、是非治したい治したと言うと、執着ですから人間の働き許り出る。そんな事を考えずに神様にお任かせしようと、執着を取るでしよう。すると神様の方から来る。人間の執着が――想念がそこにいくから、神様の方を邪魔する。病人でも、こんな病気に負けるものか、俺の精神力で治して見せると言うのは、大抵死んじゃいます。そうでなく、神様の御意の儘だ。と諦めると、助かります。だから、よくもう駄目だ。諦めなさいと言つてから、治るのが沢山あります。面倒なものは、何でも神様に任かせて了えと言うんです。そうすると、案外旨くいくんです。私なんか、始終やゝこしい事がありますが、えゝい。と、神様にお任かせする。やゝこしいのがあつて、あつちを立てればこつちが立たない。と言う場合に――お任かせすると、旨くいきます。思つたよりか旨くいく。よく、「惟神の大道」と言つてね。惟神と言う言葉は良いです。「カミナガラ」ですね。神様の思召しの儘に進んで行くと言うので、非常に良い言葉ですね。

【御伺い】あゝ言う場合に、教えて戴きますと、自分でもゆとりが出て参ります。

【御垂示】そうです。余裕――気楽になりますね。一番は金がそうです。金が欲しい欲しいと思う時は、決して入って来るものではない。もう、金なんかどっちでも良いと思うと入って来る。処が世の中の事は全て、人間の力を過信するんです。戦争なんか、こうしたら勝つだろうとか、こうして一挙にやってやろうとか、日本の戦争みたいに、色んな計画を立てゝやるのは、皆んな駄目になったですね。

【御伺い】昔、自分を偉く思って、何時もアクセクして失敗して居りましたが、あゝ言う御言葉を戴きますと自分も楽で、旨くいきます

【御垂示】楽ですよ。それも、その人があんまり依頼心が強くて怠者ではいけませんが、やる丈やつてその後ですね。人事を尽して天命を待つと言うのは、旨い言葉ですね。又、お任かせする神様ですが、力のない神様なら駄目ですが、メシヤ教の神様は絶対の力があるからね。

【御伺い】宗教迷信と申しますか、よく大光明如来様と申しますが、私などは、それよりも何事によらず明主様と申しますと、楽になります。

【御垂示】大光明如来様が私の仕事をしているんだからね。仏に化けてね。神様にお任かせすると言う事は良いんですが、神様に惚けると言うのはいけないんです。之は神様の思召しだらうと思うと、それ許りじゃ失敗して了う。そこに於て叡智と言うのが必要になる。結局に於て、一つの事に捉われてはいけない。又人間力に捉われてはいけない。凡るものを綜合調和させると言うんです。それが、一つの伊都能売の働きですね。それによつて――伊都能売と言うのは、経にあらず緯にあらず、経であり緯でありと言うので、そこに言うに言われない一つのものが出来上る訳ですね。それが一つの――仏教の方で言うと、妙智と言うんですね。

【御伺い】何事を致します時でも、神様を信仰して悪い事をすると言う事はないと思ひますが、スースーいくと言う事は、良いと思つてやるのが――。

【御垂示】いけないし、スースーいつても駄目です。何故なら、邪神にやられてもスースーいくんです。そこで叡智です。大乗ですね。小乗でスースーいくのは危ぶないんです。大乗と言うと――何うかと言うと、仮にこの人を助けると言う場合に、人間の力は限度があるから、両方助ける事が出来ない。較べてみて、どつちが大きいか考える。一番大きい事は世界人類を助けると言う事です。それで良くなれば、決して間違いはない。そこで、私は「世界人たれ」と言う論文を書いている。だから、世界中の人間が一国の人間になれば、戦争はなくなつて了う。今迄、それ程でなかつたが、之からは全て世界的にならなければならない。

 

楳木代表

はい、ありがとうございました。では豊中集会所の方お願いします。

 

豊中集会所責任者

先月、眼科の検査を受けました。そして副作用のかなりきつい目薬を処方されて、「次回、目薬を差して来るように。差さなければ失明します。」と言われました。日を改めて、木原さんと一緒に行き、「薬を使っても失明する確率が非常に高いです。使わなければ、残り僅かな視野もダメになるので100%失明するだろう。どっちを選ぶか自分で選択してください。」と言われました。

主神様がミクラタナの神様を引き揚げられた『夜の時代』では、病気は治らないという「消極的な諦め」だから、一般の人は仕方なく目薬を使うことになるのだろうと思います。

しかし、光の玉が充満している『昼の時代』の今、主神様が地上天国に身をおけるように、「魂の向上」を許してくださる、そのための浄化であるということに、改めて気付きました。

この間、木原さんから「オルゴール療法研究所」のオルゴール療法による緑内障についての完治事例を教えてもらいました。それは、精神面を癒すことから血流が良くなっていくというものでした。いまでは、緑内障の原因が、血流が悪くなり、酸素と栄養が不足するため、ということが唱えられています。

精神とは、魂のことでもあると思うのですが、8月から御教え拝読を少しずつ始めていますが、私は、家庭内ですぐ、自分で正しいと信じてしまったことを、家族の気持ちも考えずに主張しすぎてしまうところがあります。“自分が正しい”と思った瞬間に、副守護神が出て来て、副守護神が勝ってしまうことがあります。周りからみると、主人を傷つけているようにみえます。執着した副守護神が満足したころ、本守護神が出てきて、副守護神がしたことを目のあたりにして、反省したりしているんだと思います。

そういうことを、支部で、『副守護神と自分の因縁』などの御教えに基づいて、語り合いをするうちに、自分の魂を磨くために、自分の悪を反省させるために、副守護神も必要であるということが分かりました。

そうしたことが日常生活で起きてくるのですが、“もし自分が元気だったら、きっと「魂を磨く」ということに気がつかなかったままなのだろうな”と思いました。“浄化に感謝しないといけないのだなあ”って思っているところです。

 

「覚り」のあり方を御垂示

楳木代表

只今四人の方から貴重な報告をしていただきました。実は、地上天国祭から皆様方にお願いしていることはですね、支部長代理が報告してくれたことと同じ内容で、今迄「世界救世(メシヤ)教」を復興しようということで取り組んで来ましたけれども、『取り組みの中での論立ては、今迄の先達の誰もしてこなかった、そういうことができたので、これからいよいよ本腰を入れてもらいたい。』ということが神界からの御垂示だったわけです。『本腰を入れる』とは一体どういうことかというと、支部長代理が言ったように論立ては非常に冷たいものになるので、『非常に素晴らしい論立てではあるのだけれども、それは非常に冷たいので人の心を打っていかない。魂に響いていかないので、心底、自分自身の論立てが「覚り」のところまでいかなければ熱がこもってこない。その熱がこもっていかないと人に伝わっていかない。』ということが地上天国祭の時にですね、いただいた御垂示だったわけです。

しかし、それは支部毎にそういうことが分かるところまできた段階でしかお取り次ぎできませんので言わなかったのです。今日、こうして四人の方から報告していただいたので、“そのことをやっと伝えることができるなぁ”というふうに思いますので・・・。要は言葉では○○さんが言ったように、“これは正しい”と思うと、その言葉だけを家族に仮に押し付けた場合には、それは家族にとっては十分理解できないために伝わっていかない部分になります。それは小さい世界ですけども、それは大きい世界でも同じことなので、『心底自分が論立てしたことを、世界あるいは日本に当てはめてやって考えた時に、心底やっていかなければいけない内容だというふうに腹がズーッとできた時に熱がこもって、そして、それがこもった時に人に伝わっていくという、そういう、この世の中システムになっているのだ。』ということを神様から教えていただいたのですけども・・・。

 

「自然の覚り」を御垂示

楳木代表

まぁ、それと先月から、この月次祭は・・・、八月から九月、九月から十月、そして今、十月ですよね。これから十一月に・・・こういうふうに繋がっていくようにするように言われて、しかも我々の生活におろして考えていくというふうに、メシヤ教はずっとそのように生活におろして御教えを捉えていって、そして生活の中で実践しようというふうに取り組んできて、更にそういうことをやろうとした時にですね・・・。

私は、代表者にメールを送ったように、神界に対して“非常に不親切過ぎる”というふうに神様に不遜ではありますが、腹が立ってきて文句を言ったわけです。“メシヤ様がこれだけ絶対的な真理を教えて下さったにも拘わらず、先達は「高弟」と言われながら、なぜ信者さん方のことを細かくお世話してくれなかったのだろうか、そういう指示をなぜ出さなかったんですか?”というふうに、私も心底ぶつけてしまいまして、その時即座に答えが降りてきたのは、

『神界からそこまでしてしまうと、人間に対して強制してしまう。強制してしまうと人間が、自らが高まっていくということに繋がっていかないので、それで自然な形にならないので、そういうことはその時期はしなかったのだ。』

と。そして「なぜか?」というと、それは今日拝読させていただいた40ページのですね、最後の行に

『「そうして真如といふ文字は、真の如しとかくのであるから、真ではない訳で、此点もよく考へなくてはならない。」

とまります。まだ時期でなかったのだ、だからどうしてもメシヤ様が真理を説いても、その時の人間のレベルがまだそれをしっかり受け止めることができなかったので、『仕方がなかった部分があるのだ。』というふうに教えていただいたので・・・。

 

「覚り」を助ける覚醒先達の神霊たち

楳木代表

まぁ、“それは時期の問題なので仕方がないかなぁ”と思ったら、次から今度は、先達がドンドンとメッセージを送ってくれるようになってですね、「霊界に行って、そしてメシヤ様のことがやっと分かった。だから(私に対しても)その時々に人の口を使ったりしながら論立てを導くように働きかけをして今日まで来たのだ。」と。それで「ミクラタナの神様から認められるような論立てを積み上げてこられたのは、まぁ恩着せがましいけれども、そういうふうに霊界から手助けをしてきたということは、この機会に理解してもらいたい。」と・・・。

これが、よく書店にいくとですね、本をよく読む人達は、書店にずっと本が並んでいる中で、自分に必要な本自体が輝いてきますよね。あるいは、「自分に必要な本だけが浮かび上がってくるから、それを手に取って読む」と。「今、自分に必要だった知識とか考え方というのがスーッと入ってくる。」と、そういうことをよく言われます。「それと同じような世界がそういうところにあるのだ。」と。だから「メシヤ様から直に教えられるような神夢を見た時には、必ず先達がそこに何人かいただろうと思います。それが、その時にメシヤ様の代理で(私に)教えていた方々なのだ。そういうことを分かっておいてもらいたい。」ということでありました。

 

覚醒先達からのご指導

楳木代表

それで、「これから更に先達が動き始める。」と。動き始めているので、各教団の中で気づき始めた方がいらっしゃるので、その人達が目覚めた中でメシヤ教にドンドン繋がってくるので、「繋がってきた時に、これからはその方々に接する接し方というのを十分気を付けてもらいたい。」と。その中の一例が、今日、支部長代理が報告してくれたようにですね、「自分達は分かった人達、あなた方はまだ分かってない人。」というような形で接していくと、もうみんな“自分は正しい”と思って歩んできているので、そういうことがチラッとでもこちらの想念が写るとですね、せっかく繋がってきたものが、また離れていってしまうので、十分受け入れの方に気を付けてもらいたい、ということです。

そういう形で繋がってきた人達が、昨日は、松原出張所に繋がってきたり、それから、この支部に電話があったりということでありますので、皆さんが、魂が目覚めてくるので、魂が目覚めてきて「メシヤ様にお繋がりしたい。」ということから繋がってくるわけなので、私達のさせていただくことは、「よりメシヤ様に繋がるようにお世話をしていく。」ということであります。そして、メシヤ様に繋がるようにお世話する時には、非常に宗教は嫌いだけれども、しかし、この手かざしの効果はもの凄いとかいうような・・・、「非常に今までのわれわれが積み上げてきた信仰の世界とはちょっと違う形の方々が繋がってくるので、そういう、より一層特徴的な方が繋がってくるので、その人達に対する対応というのは、自分を磨きつつメシヤ様に繋がるようにお世話をしていってもらいたい。」というのが、霊界からの「悲痛な願い」でありました。

 

先達のお働きとお導きに適うように

楳木代表

それから、確定したので報告しますけれども、今年の十二月にですね、東京に支部が発会されることが決まりました。その打ち合わせはですね、新潟出張所で行ったのですね。新潟で物理学の学会がちょうど四日間あったので、それに出席する人がちょうど新潟出張所の月次祭の日程とピッタリ合ったので、それで当初は「その日に月次祭が終わってから・・・、学会は午前中が主体でズッと執り行われるので、午後だったら時間が取れます。」ということだったのです。それで、こちらも「直会の終わり頃に来てください。そうしたら私から十分説明ができる。」ということで打ち合わせしていたのです。

ところが、学会の日程調整をしてくれて、月次祭に御参りに来てくれたのです。それで、細かく「支部のあり方」ということの説明を進めさせていただいて、そして、発会できるようになったのですけども、その話が決まった途端にですね・・・。(詳細の内容は割愛します。)

その中心者は、メシヤ教の信者さんの誰とも繋がっていなかったのですけれども、中国で痛風の人に浄霊をしようとして○○Aに連絡をしたら、「すぐに病院に連れて行け。」というふうに言われたので、もうその一言で○○A・・・御在世中からの○○○光教団への繋がりだったものを断って、それからネット検索をする中でメシヤ教のホームページに繋がってきて、「メシヤ講座」をほぼ全て読んだ時に私のところに電話してきました。そういうように、先達の方々が霊界で動いているために人と人との繋がりがない中で、魂と魂の繋がりで、今幸いにネット世界があるので、そこでこれからも益々繋がってくる人達がいらっしゃると思います。そういう人達がでてきたら、“必ず神様と先達と我々の先祖の霊界での働きによって繋がってこられたのだから、その人達は全て背後にそうした働きがあって繋がってくるので、その働きに対して無駄にならないように誠心誠意、心を込めて対応していかなければいけないなぁ”というふうに、その事例から思わせていただきました。(後略)

そうしたお世話をさせていただく中で、もう頂点の神様の指示に基づいて神界から、それからメシヤ様に御神業に身を捧げてきた先達の方々が、このメシヤ教を通してですね、世界救世(メシヤ)教を復興して、そして世界を救っていこうという動きが、大きな渦が回っているということを分からせていただけると思います。

 

世界宗教帰一の神仕組

楳木代表

そして、一つ今日はですね、心に留めて置いていただきたいのは、キリスト教だけを考えてみても、キリスト教は・・・、イエス・キリストは、天の父を祈り人救いをしたのですけども、この天の父というのは主神様なのですけれども、主神様としての御存在を薄めたために天の父として捉え、天の父というと非常に人間的な表現になってくる、これは主神様という信仰を認識するところまでいかなかったために、そこへ『文明の創造』の『基督教と善悪』に書かれたことが生じた訳です。(詳細は割愛)

しかし、これから私達が「世界救世(メシヤ)教」を復興するという取り組みをずっと続けて、私は勿論、皆様方の覚りが啓けていくと、『その影響を受けて、キリスト教がもう一回純粋化してくる。』そうです。『キリスト教が純粋化してきて、そして主神様という御存在を捉えられるように皆なっていくので、それぞれの宗教の中でそうしたことが行われてくる。』と。

ここに千手観音様が掛かっておりますけれども・・・。今日、三重に行ったお二人から三重支部遷座祭の報告がありましたけれども、三重支部の支部長代理が仏教の講座に夫婦で出てですね貴重な報告をしてくれました。諸説あり、解釈も種々あるが「この仏像の姿自体は、実は、背後にある光の輪というのが本来の祈る対象なのだ。しかし、それでは恰好がつかないので、前に仏像がいるのだ。」という報告をしてくれたと思うのですけども、仏教も本来の形に戻ると、この背後の丸に仏像のここ(眉間)にチョンがあります。この主というものが分かってくるように、今後なっていくということです。それぞれの宗教が・・・。

イスラム教もアラーの神は『主神様』を中東の方で捉えた姿がアラーの神なので・・・。しかし、アラーの神と言って一神教ながら、イスラム教は部族宗教の形態をとっています。そのため諍いが絶えないわけです。しかし、それもですね、私たちの覚りとこの取り組みを進めていけば、本来のアラーの神を認識する宗教にズーッと高まっていって、そして、アラーの神の本来のあり方は主神様だということに、そういう近づいてくる。そういう時代を、今後、すぐ迎えてくるので、そのためにはメシヤ教の信者さん方は、今の取り組みをより高めていって・・・。私が高まらないといかんのですけども、私自身が高まっていけば、皆さん方も同時にずーっと高まっていくので、『そうすると世界が大きく動いていく。』ということであります。どうかお互いにですね、今の取り組みを一層進めさせていただきたいと思います。

そして、こういう取り組みがですね、十月は神無月と言われているように、出雲系の神様が故郷へ帰っている時なので、この時に本来の大和民族の宗家の御神業が一番進む時です。御縁のある方々に一層働きかけをさせていただきながら、御神業を進めさせていただきたいというふうにお願いしたいと思います。

 

曇粒子の重さ=『夜の時代』の悪癖

楳木代表

今月は、26日に札幌の定山渓温泉で伊都能売観音様の入仏記念式典を執り行わせていただきます。より一層ですね、伊都能売神皇様のことを思い出す機会もありますので、参拝される方、あるいはこちらで留守をされる方共々に、そういうところに想念を向けていただければ大変有り難いと思います。

後、二分間、ちょっと聞いていただきたいのですけれども、さっき○○さんが取り上げた『強制』と『自然』ということ、それから自然に執り行うためにはですね、先程拝読をした御教えの中にある、その魂というものの重みで・・・、入信教修を受けた時にですね、我々の体の中には現魂という魂が宿っていて、霊界には幽魂が在籍していて、それが現魂と繋がっていて、その幽魂が上がれば非常に幸せな生活をするけども下がっていくと悲喜交々の生活になっていく、と。この幽魂が上がるためにはですね、曇りが取れていかない限り幽魂は上がっていかないので、言わばこれが霊の曇りの重さになっていて、この霊の曇りの重さとは、実は『夜の時代』の癖なのだ、ということであります。これをですね、できるだけ取っていくように生活を心掛けていただいて、幽魂の霊籍が上がっていくような生活をさせていただければ有り難いと思います。そういうことをお願いさせていただいて終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『最後の審判』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)主神様とメシヤ様』42ページに記載されています。

「『最後の審判』文明の創造」は平成28年11月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.188 大阪支部 2016(平成28)年10月6日]