<今月の御教え>
「『文明の創造』科学篇 小児病」(文創 昭和二十七年)
本文は『文明の創造』214ページに記載されています。
【メシヤ講座 三重支部】
『非常に結構なことだ』
楳木代表
本日拝読させていただいた内容に併せてメシヤ様が御講話の中でも御述べになっておられることをまとめて報告していただきました。
今回、総じて小児病というのは、『 非常に結構なことだ』と 、子供にいろいろ出てくる『病気症状は結構なことなのだ』と腹において子育て中の方やこれから孫が出来たりする人は、子供が病気症状的に熱が出たり病名が仮についたとしても『排毒するためにこういう症状が出ているので結構なのだ』というメシヤ様のお言葉を思い出しながら対応していただきたいと思います。
それから『排毒を止めたために(昭和27年当時は)結核が増えている』と御指摘になっておられます。それでは平成25年はどうかと言いますと、あるテレビでスマホ育児について触れておりました。お母さんが忙しいのでスマホを子供に渡しておくと良からぬサイトとかを見てしまいます。例えば事故の現場の映像とかです。それが精神的に悪影響を及ぼしてしまうことが現代では起きていると言うことです。
また、母親があまり育児について教えていないために、子供の育て方がよくわからないまま育てている方が多いということが起こっています。その典型的なことを示す笑い話ですが、パンパースのコマーシャルを見ているので、「自分の子供のオシッコはブルーじゃないが大丈夫でしょうか? 」 という質問を小児科でするお母さんが現実にいるそうです。 パンパースは水色の水を吸収している様子を見せるでしょう。黄色の液体ではないので、ブルーじゃあなくてよいのだろうかと思ってしまうのですね。テレビの影響を受け過ぎているということですね。
もっと笑えるのは、お米を研ぐ時に洗剤を使うお母さんがいまだにいるということです。その人の母親は如何に家事を教えて来なかったかということです。テストでよい点をとらせることばかりにガミガミいって日常どのようにしていけばよいかということを、あまり教えていないのです。
そういうことがありますので、今回の「メシヤ講座・特選集」の最後に広島支部のブログの内容を記載しておきました。
浄化力を身に付けて安心立命の生活
楳木代表
そういうことがわかっていますと、〝浄霊力を身に付けて子育てをしている″ということは大変有難いことなのです。
〝安心立命の生活をすることができる″というのはこの浄霊力が身に付いているからです。それで小児麻痺のような症状が起きても腕とか足とか触って痛いところを浄霊していけば浄化を終えて行くわけです。
恐ろしいと思い込まされている小児期の病気も実は自分の中に入ってきた先天的毒素や後天的毒素を全部排泄するために起きていることですので、浄霊という力を持っていますと、大変安心して子育てが出来ます。これが、第一の感謝と言えるかと思いますので、そうしたことを心にとどめておいていただいて、『小児病』という御論文を繰り返し拝読をしていただきたいと思います。
そして同じように子供を育てている人達に皆が思い込まされていることを「そうじゃないんだよ」と。目を覚まさせていただけるようにしていただきたいと思います。
検診の問題点
楳木代表
お蔭で近藤誠医師が発信していることを契機に週刊誌なども検診の問題点などを定期的に取り上げてくれております。テレビでも乳ガンの検診について検診によって癌ができるということを、報道していたようです。
四十代で検診をしていると五十代になると癌になりやすいそうです。被爆が原因のようです。それから早期発見早期治療ということを心がけているために、癌を発見するのですけども、医療的に見て問題のない癌もあるのだそうです。その癌まで切除してしまうために除ってしまうことによるリスクがまた現代医療の中では非常に増えているということを指摘してくれております。そういう記事なども週刊誌を少しめくると掲載されておりますので頻繁に取り上げられているのだと思います。
思い込みを目覚めるよう導くのが布教
楳木代表
そうした医療的に思い込まされていることを私達は一つ一つ自分の思い込みを切り替えていけるように友人同士で話をするときにはそういうことを話題のひとつにしていただきたいと思います。そして思い込まされているところを目覚めて行けるように導いてあげるとこれが大きな布教になって行くと思います。
ですから布教とは信者さんをつくるということではなくて、〝『夜の時代』に思い込まされていることを目覚めさせてあげる″ことが布教なのだと考えて、友人と交流するときには絶えずメシヤ様と共にお付き合いをしているというように考えていただいて、取り組んでいただければ大変有難いと思います。
最初にそういうことをお願いさせていただいていつものように質疑応答に入りたいと思います。
擬似癌について
受講者
〝偽の癌″〝癌もどき″というのはメシヤ様が『擬似癌』と仰っているのと同じことですね。
楳木代表
そう、『擬似癌』と一緒のことだね。そういうところまで気づき始めた医者が結構増えてきているのです。
受講者
『擬似癌』と本当の癌の違いは何でしょうか。
楳木代表
メシヤ様が仰っておられるのは本当の癌は霊的な部分が多いということです。
例えば前世で人間でなく他の動物であった場合は噛まずに飲み込んだりしたためにその怨念で胃に癌が出来たりします。これは塊のようになってしまいますので、それが本当の癌だということです。
現在は細胞の突然変異で癌細胞ができてそれが増殖すると言われています。
しかし放っておいて良い癌というのは、癌細胞の塊ができても根菜類とか繊維質のものを食べると繊維質で切り落としていけるということです。そういう癌は出来ても問題ではないのです。
スキルス性とかいう急激に増殖して行って他所の養分を取っていくとか、自分の臓器を圧迫してその機能を抑えてしまうような癌は医療的には取り除かないと命に関わってきます。
そういう二種類が大まかにはあるので、やがて排泄されるような癌は放っておいてもどうということはないのです。それを癌というのか肉腫というのか呼び方はいろいろあると思います。良性の腫瘍という呼び方になるかもしれません。
受講者
癌細胞というのは薬毒の塊ということでしょうか。
楳木代表
薬毒プラス化学物質の中には総体的に、突然変異性元素という作用があると捉えていますので〝細胞が突然変異するのだ″と、それで突然変異をすると普通の細胞ですと細胞分裂すると片方は必ず死滅しますので相対的には太っていきません。一つの臓器はズーッと同じ大きさなのですが、癌細胞になると分裂したものが死滅しないようになりますので、増えてきてそれが塊となって臓器を圧迫するのです。
この細胞分裂する時に癌化するのが薬毒とか化学物質とかですが、最近では化学物質の方が多いのではないかと言われています。昭和27年のメシヤ様の時代と現代では環境が全く異なってきているので、そうしたものが大きく影響してきているのです。
先月の話題にもありましたが現在では食材偽装が物凄く増加しています。
それで食材偽装するために残った細切れの肉とかミンチにして糊と一緒に混ぜてステーキ状に塊を作ってそれを切って一口サイズのステーキにするとかいうことを平気でやっていますので、そういうものを食べている人は、自分の中に癌細胞を作るために食べているような一面がありますので大変恐ろしい世の中になってきたと思います。
食材偽装が明るみになって来ているということは、我々の食材を〝徹底的に見直さなければいけない″ということの一つとして表面に出てきていることだと思いますので、皆様方も注意喚起をしていただいきたいのと世の中の人たちに食材の現状を知っていただきたいと思います。
先日、和食が文化遺産に登録されましたので、出汁をとっていくとか本来の和食というのを見直していただいて我々の食生活を見直すという方向に向いていただけると大変有難いことだなと思います。
それから最近テレビでやたらと養殖を勧めております。それで世の中の人は、「養殖は良いのだ」というフレーズが耳に残ってしまってつい買ってしまいます。養殖は商品価値を上げるために抗生物質とかを入れておりますので発癌性のあるものを口に入れてしまうことになります。
どうしてもテレビの影響が我々の生活には重くのしかかっているのです。そういうことが癌については言えるのではないかなと思います。
思考停止状態
楳木代表
三重支部ではハンナ・アーレントについての資料も作成していただきましたので参考にしておいていただきたいと思います。
最近はメシヤ教のために映画を作ってくれたのかと思えるような、すごいタイミングの良い映画だと思います。
これから随時地方の映画館でも上映されると思います。
※「ハンナ・アーレント」:世界が驚愕したナチス戦犯アイヒマンの裁判レポート。悪と真実に立ち向かった哲学者の愛と信念の実話。監督、マルガレーテ・フォン・トロッタ。三重県での上映映画館は伊勢進富座(12月28日~1月16日)
楳木代表
タバコを吸いながら思考を巡らせる格好良い女性として描かれています。
受講者
先生は、〝日本人は思考停止状態にある″という話をもう随分以前からメシヤ講座でされていましたね。
「メシヤ講座・特選集no.121(平成2155_mie3年2月分)」
楳木代表
思考停止状態にさせる組織論がある宗教団体があるということです。それがカルト集団になってしまう恐れがあるのです。そういう集団にならないように気をつけておかないといけません。
離婚したら姓を戻して先祖供養を行う
楳木代表
話は変わりますが、例えば、不幸なことに離婚をして女手一つで子供を育てて子供が成人した頃にメシヤ教に入会された方がおります。
先祖供養をしていかないといけないが姓を変えておらず、離婚した相手の姓を名乗っているために御位牌は〝離婚相手の姓で作らないといけない″という矛盾点にぶつかったのです。
本来は〝元の姓に戻さないといけない″のに戻さないままズーッと来ているために仏壇を拵えても御位牌をどうやって拵えたらよいかという現実にぶつかったのです。それでメシヤ様の御教えからすると離婚したら縁が無くなってきていますので、自分の生家の方の先祖供養をしていかないといけないわけですので、まず裁判を起こして自分の実家の姓に戻してそれから仏壇を拵えました。それで今は御守護の生活をされておられます。
受講者
やはり姓を戻さないといけないのですか。
楳木代表
ほぼいけないですね。なぜなら縁が無くなっているのに姓を戻さずに前の姓を名乗ること自体がおかしいでしょう。その姓の墓に入れてもらえないでしょう。
「○○家先祖代々之霊」という墓に入っていけないでしょう。
受講者
もし異なる姓のままお墓に入ったらどうなりますか。
楳木代表
御先祖様が嫌うでしょう。絶えず排除されてしまいます。そういう自覚がないまま入ってしまうのです。『霊界は厳しい』とメシヤ様は仰っておられますのでその点はきちんとしていかないといけません。
ですから離縁したら元の姓に戻して、子供のために、学校などで通称として元の姓を名乗った方が良い場合は、教育委員会と相談すれば良いです。学校を卒業するまではその姓でいけると思います。
受講者
離縁して子供を連れて行った場合には、子供も自分の実家の姓を名乗る方が良いということでしょうか。
楳木代表
そうです。そういうアドアイスをしてあげてください。
自分自身がキャリアがあって仕事上困る場合は、退職するとかその仕事を終えるまでは、仕事上前の姓にしておけば良いわけです。
受講者
サザエさんのマスオさん状態ですか。
楳木代表
そうですね。ああいう場合はマスオさんが磯野家に入っていけばよいわけです。
養子に行ったのですから磯野の姓を名乗らないといけないのです。
受講者
実際養子に入ったのに姓を変えない人も多いですね。
表札が二つかかっています。
楳木代表
少子化ということも現実問題としてあるのです。
同居しているのに姓が異なるのですね。
受講者
長子同士の結婚で跡取りがない場合はどのように・・
楳木代表
そういう場合は子供をたくさん生んでね。
こちらの姓を一人が継ぎ、一方の姓をもう一人が継ぐようにして跡を絶やさないようにする。そういう努力をしていかないといけません。
受講者
子供というのは〝主人の方の御先祖様から授かったのだ″と私は思っていました。離縁したら子供は守り神ではないということでしょうか。
楳木代表
それは間違った家に嫁いだということです。
そこの先祖からお預かりした娘として育ててその家に還したつもりが、〝その家の娘でなかった″ということです。それが結婚を間違えていたということです。それでまた帰ってきて再婚してそこで添い遂げれば〝そこの御先祖から預かった娘だったのだ″とそういうふうに考えれば良いです。
自分が高まっておればそれなりの人と出会うのですが、それなりの生活をしていると中くらいの人と出会うわけです。最低の生活をしているとこんな人と結婚をという苦労をするわけです。ですから結婚までに心身を清らかにしておくと、本来の人と結婚できるのです。あるいは本来の御先祖の所へ結婚していけるのです。
受講者
それは先祖返りということで・・
楳木代表
いえ、そういうことではなくて、嫁という字は女偏に家と書くでしょう。本来の家に帰るということが結婚して嫁に行くということです。
ですからそこが本当に自分の故郷か見極めていかないといけません。家系とか家の持っている風習というのが懐かしくなければ自分の先祖ではないわけですのでね。若い時からメシヤ様の御教えを知って成長するとそういうことが段々わかってきますので物凄くスムースに物事が進んでいくのです。
知らないと霊的なことがわかりませんので、ただ単に感情で進んで行ってしまうのです。
受講者
死別して実家に戻った場合はどうなりますか。
楳木代表
それは〝実家に戻った″ということになりますので実家の姓に戻した方が良いですね。
受講者
そういう場合亡くなった御主人の御位牌は持って来てはいけないのでしょうか。
楳木代表
それは縁が切れた状態でしょう。
しかし旦那が死のうがあなたは家にいてちょうだい。という家庭もあるでしょう。それはもうそこの先祖だったということです。
それでまだ若い場合養子をもらうことになる場合もあるわけです。そうすればその家も守られていくわけです。いろんなケースがありますね。こんな話をすると盛り上がりますね。
一同
笑い
受講者
ある家庭ですが、マスオさん状態で子供もおりません。実家の長男さんがお亡くなりになってその家を継ぐ人がその女の人しかいませんので、表札が二つ掛かっている状態となっています。
養子に行ったという感覚は全然ありません。一緒に老後をみて行くという感覚で住んでいる場合はお墓としては御主人の方に入れば良いのでしょうか。
楳木代表
それで良いということではなくて、そのことを絶えず話し合いをしていかないといけないのです。娘さんの方が考え方を〝私が両親をみていくのだ″〝御主人にはこの家に入ってもらいたい″というところから想いを膨らませていかないといけないですね。
受講者
正式に養子としてということですか。一緒に住む以上はそのほうが良いということでしょうか。
楳木代表
そういうことです。
受講者
そうしますと、先ほどのお話の、嫁が〝元々の御先祖様のところに戻る″ように、養子に入るということは、男の人が〝元々の御先祖様のところに戻る″ということですね。
楳木代表
そういうことなのです。他所の家を通して生まれてきたけども、本来の自分の家に戻ったのだと。男でもね
養子を貰うときには〝優しい名前の養子″をもらうと良いのです。ごっつい例えば「熊五郎」とか言う名前ですとあまりうまくいかない。さっきのマスオさんとかですと優しい名前ですので養子に入ってもうまくいくのです。
ですから養子縁組をするときには十分先のことも考えてやっていくべきなのです。本来の人は養子に入るべくして名前も付けられていますので、その人が養子に入る人だと決めていけば良いのです。
そういうことを60歳を過ぎた人達が考え始めないといけないのです。ところが年金生活に入って趣味の交流を始めて〝本質的なこと″を見ない人たちが日本中に溢れているためにそういう家系が乱れてしまっているところがあるわけです。60歳、70歳になった時にはそれぞれの家系ということや〝墓をどうしていくか″とかをそろそろ考えないといけないのです。そういう人が少なくなっているので家がバラバラになっていることが多くなっているのです。
口伝の桃太郎物語
受講者
お墓のことですが、兄弟がいた場合、長男は昔からの墓を守りますが、次男は新しいところへ建てることが世間では多いわけです。そういうのは駄目なのでしょうか。
楳木代表
そういうふうにせざるを得ない御家庭もありますが、昔は兄弟も同じ墓に入っていくことが習わしでした。九州ではそういうことがきちんと守られていることが多いです。都会へ出てきていても死んだら夜行列車で骨壷を持って地元へ帰っていました。そして納骨して奥さんや子供はそこで働いたり、〝その人たちの生活をどうするか″ということを皆で考えていました。そういう風習を守るためにお盆の里帰りがあるのです。お盆の里帰りというのは、〝私はそこの墓に入ります″という挨拶でもあるわけです。
それを〝親に顔を見せに帰る″というようにヘンテコリンな里帰りに変化してしまったのです。
これが大正文学から日本が狂わされた内容でもあるわけです。
桃太郎を作り変えた時からね。昔は桃太郎は〝夫婦の道″とか〝性教育″とか〝人間とはどうあるべきか″ということがすべて盛り込まれた長編だったのです。しかし純文学が出てきた時に性教育の箇所を削除してしまったのです。
それで鬼にさらわれたのが救われて良かったという物語にしてしまったのです。
元々は、鬼というものは何かということから論じて行っているのです。
それで〝女性をどう守るべきか″〝人間としてどうあるべきか″ということを教え込む物語だったのです。人間とは弱い存在を守って、〝集落を守っていくのが男としての役割なんだ″と男には教えて、女性には男には鬼のようになってさらって行ったりする者もいるから〝自分の身は自分で絶えず守っていかなければいけない″ということを教えていたわけです。
男の子にも女子にも桃太郎の物語を話して生きていく上での諸注意とかをおばあちゃん達が徹底的に教え込んで育てていたのです。
それが大正時代から変わってしまったのです。変哲のない、浅い物語になってしまいました。
受講者
その物語は本になっていないのですか。
楳木代表
なっていません。本にする時に変えてしまったわけですから。
受講者
御教えに桃太郎が出てきますがあれはどういう・・
楳木代表
比喩的に桃ということを表してあのような話をされたわけです。
昔の人はこの桃太郎の話は知っていましたのでメシヤ様はそこへ霊的意義を付け加えてお話されておられるのだと解釈して行ったほうが良いと思います。
家庭祭
受講者
家庭祭の話が特選集に出ていましたが、家庭祭と慰霊祭は違うものと考えてよろしいか。
楳木代表
未信者さんに話しているところは家庭慰霊祭です。
受講者
「一日祭」では『世界救世(メシヤ)教教義』を拝読しています。家庭慰霊祭では『人間とは』を拝読させていただいています。
楳木代表
それで良いです。しかし支部以外のところで家庭祭をする時には『世界救世(メシヤ)教教義』を拝読していただいています。支部は月次祭が家庭祭でもあるわけです。
受講者
わかりました。
受講者
信者さんの家庭では御神体御奉斎の日を家庭祭とすれば良いのでしょうか。
楳木代表
そのようにしても良いですし、その家の都合で毎月○日と決めても良いです。
御玉串を用意するので給料日の翌日とかでも良いのです。
受講者
家庭祭と家庭慰霊祭は別の日とした方が良いのでしょうか。
楳木代表
家庭祭の日に家庭慰霊祭を行っても良いです。料理を作ったりしますので一日かけてね。大黒様の日に合わせてということになっても忙しいのですから仕方がないですね。
受講者
お嫁さんが来ないというのはそこの家庭がまだ向上していないということでしょうか。
楳木代表
現代人は○○家とあなたの実家ということと自分の長男ということを複雑に考えて置かないといけません。長男自身の健康状態はどうなのかと。健康であれば結婚して子供を育てたいという気持ちが自然に起きて来るのですけども、食生活とか生活習慣で現代では腎臓とかが弱って来ていることが多いのです。そうすると結婚するという意欲が出てこないのです。ですから一方では健康面を見ていくのとそれから我家の霊界が整ってきているかということです。
自然農法を通してだいぶ整ってきましたね。
このままズーッと家を整えていけばそういうことは可能なのだと思って取り組んでいったら良いです。自然農法のお米も提供できるようになったら良いかと思います。皆さんも送料分は安く提供できますからね。
大分のお米は土建業者を元々やっていた人ですので、山を切崩して増田されていますので、汚れていない田圃で作っているので美味しいわけです。肥毒が入っておりませんし、山も消毒した山ではありませんからね。土が汚れてなくて水も綺麗なのです。しかし御高齢になってきましたので全国で自然農法の米を作れる人を増やして行かないといけないと思っています。
先祖供養について
受講者
先祖供養ということが入会のキッカケになる人が多いですか。
楳木代表
メシヤ様の時代でもそうでした。一旦御守護を頂いて、それから教習を受け始めると先祖のことからきちんとしていかないといけないと先達の人達は思っていましたので、仏壇を構えたり御位牌を整理したりということから始めています。やはり浄土真宗が日本では多いですので、繰出位牌が多いわけです。
それで御位牌を一基一基拵えることから始めたわけです。
受講者
没後50年を超えた柱の御位牌は先祖代々へ入るための法事を別に行うべきでしょうか。
楳木代表
そうです。支部責任者に頼めばやってくれますから。
遷霊式と言って、霊が移るというお祭りです。その遷零式をしてその後その御位牌の名前を消せば良いです。
受講者
一緒に消さないで残してはいけないのでしょうか。
楳木代表
いけません。50年過ぎて先祖代々になっているはずなのにまだ個人のままということは向上ができないのです。ですから名前を消してあげないと霊界で向上ができないのです。
楳木代表
消すのは簡単に消せるのですか。
楳木代表
仏壇屋に頼んで塗ってもらえば良いです。
それで片方だけになっているのでおかしいなと感じれば真ん中に書き直せば良いです。しかし彫り込んである場合は片方だけ埋めてもらって片方だけ残せば良いのです。
それで「どうしたのですか」と聞かれたら「おばあちゃんでもう50年過ぎたのよ」と説明してあげればそれをキッカケに霊界の話が出来ますので、それによって皆の役に立てば霊の向上も許されていくのです。
受講者
いっぱいあるように思います。
楳木代表
全部調べて一度支部責任者に見てもらってください。
それを今〝やってみよう″と思ったことが霊界が変わっていくことなのですからね。〝ああ、ややこしいからそのままでいいわ″となると霊界はそのままになってしまいます。ですから家の御位牌を〝全部チェックして支部で見てもらおう″と思えば霊界が整っていくのです。
受講者
私どもの方では繰位牌が先祖代々だと聞いたのですが、和尚さんに聞いても「先祖代々の御位牌は拵えても拵えなくてもどっちでも良いですよ。」と言うのです。
楳木代表
それが浄土真宗のやり方ですからね。基本的には御位牌が無くて良いと思っているからなのです。
受講者
御位牌を拵えたら繰位牌はどこへ置けば良いのでしょうか。
楳木代表
繰位牌を無くして御位牌を一基一基拵えないといけないのです。50年までの柱は御位牌を拵えるのです。
受講者
法要の時には繰位牌を前に置いてお経を唱えていただきますので、無くすことは出来ないと思います。繰位牌を先祖代々だと思ってやっているところもありますのでね。
楳木代表
そういうところは自分のところだけ整えて行けば良いのです。繰位牌は高いところへ置いておいて良いですから。
受講者
ああ、そうなのですか。
楳木代表
古い先祖が入っているわけですから。○○家先祖代々之霊位の大きい御位牌を真ん中に置いて親戚付き合いもありますのでその繰位牌も置いておけば良いです。しかし一番下に置くと昔からやってきたことですから、おかしなことになるからいけないです。右上に置いておいてください。
受講者
両サイドに御位牌があり置く場所が無いのです。
真ん中に花台とお茶とご飯を置く場所があるのです。
楳木代表
それは阿弥陀様用なのですよ。ですからお仏飯をお供えしてもそれは先祖が食べることはできないのです。先祖様のは別にお供えしないといけません。
受講者
えー。食べられないのですか。
楳木代表
今日を機会に先祖は非常に救われていきますね。
お膳をつくれば良いのです。お膳に朝ごはんで作ったのを添えてお供えして、「御先祖様おあがりください」と言えば良いのです。そのようにして整えてください。
受講者
先祖代々の御位牌はどのように置けば良いですか。
楳木代表
先祖代々のは阿弥陀様の前で良いので真ん中に置いて、幅がなければ向かって右側に置いて、繰位牌を向かって左側に置いて・・
受講者
何段目ですか。
支部責任者
何段もあるのですか。
楳木代表
それはね、支部責任者に直(じか)に見てもらってください。それで置き方を決めてもらってください。繰出位牌の名前を全部書き出して御位牌はどうすれば良いか支部でチェックしてそれに基づいて仏壇を見てもらって置き方を決めてください。
受講者
写真とって来ようかなあ。
楳木代表
まあ、それでも良いですね。絵でも良いです。わかるような絵ならね。
これで○○家も整って行きますね。〝良くここまでになったなあ″と思いますね。最初はこの人は〝どんな信仰をやって来たんだ″と思ったのですよ。それがこの何年間の間に自然農法に切り替えて今回先祖のことを整えて行くのですからね。素晴らしいことです。大変な向上を許されています。
受講者
まだまだです。これから良くやっていけるのだろうかと思うのです。
楳木代表
だから今のことをこれから整えて行けば良いですからそのようにしてください。
それでは時間になりましたので一旦終わらせていただきます。
一同
ありがとうございました。
『御教え「御光話録10号」(昭和24年7月10日)
(問)幼いとき母が離婚いたし、母に育てられましたので、現在仏壇に母方の先祖の位牌のみお祀りしてありますが、父の位牌もしたほうがよろしいでしょうか。
(答)やっぱり父も祀らねばいけませんね。しかし、これもどっちって決めることはできませんよ。離婚の場合、善意で離婚したんなら祀ったほうがいいし、道楽してお母さんを捨ててしまったって言うんだったらお祀りしなくていいですよ。そういう事情によって決めればいい。』
『御教え「地上天国3号」(昭和24年4月20日)
(問)夫婦の霊を同じ仏壇にお祀りしてもよいでしょうか。また離婚せられた親の位牌の位置はどういう順に入れたらよいのでしょうか。
(答)同じ仏壇でよろしい。妻の霊は夫の霊より次の位に祭る。一方だけ祭るのはまずい。すべて左が上座である。夫婦の位牌は並べたほうがなおよい。離婚された親の霊は次位に祭ればよい。』
『御教え「地上天国4号」(昭和24年5月25日)
(問)連れ子をして再婚した者ですが、夫に愛情がなく観音様の道も理解してくれません。離婚したほうがよいか迷っております。御指導願います。
(答)お指図はできない。これは観音様にお任せしておくのが一番いい。決して無理をしたり、荒立てたりしてはいけない。観音様にお任せし時を待っていれば必ずうまく解決する。罪穢相応に苦しむのである。人間は霊層界に籍があるが、夫婦のうちいっぽうが磨けて向上し、あまり両者の位置が離れると、どうしても生き別れ死に別れすることになる。
右の理によってどちらかが磨けたほうへ接近しなければ、共白髪まで添い遂げることはできない。』
『御教え「御光話」(昭和23年6月28日)
(問)夫婦の先祖の霊を同じ仏壇にお祀りしてもよいでしょうか。
(答)いいです。そこの実の先祖の次の位に祀ったらよい。夫婦の霊は片方だけでなく必ず一緒にして祀らなければいけない。妻は妻の先祖を祀ればよいが、主人は先祖のほか、亡くなった兄弟なども祀る。位置は左が上座です。
養子は女の家が主体になる。養子を迎えるのは養子が女になるのです。名前で「三」の字がついたのはたいてい養子になる。「三」とは女の働きなのです。』
『御教え「御光話」(昭和23年7月8日)
(問)血統は混っても霊は混らないとのお言葉でございましたが、父母のうちいずれが主となるのでございましょうか。
う
(答)ふつは父のほうの霊統が主です。養子もその系統が主となる。養子なんかは祖霊が結びつけるんです。先祖も一夫一婦ならよいが、たいていあちこちに種まきしている。その子孫が結びつくのです。また子供のうち、男は育たず女の子のみ育つ家があるが、これは母系であり、女が全権を握っているのです。龍宮系または龍女系と言って特殊なものです。』
『御教え「御垂示録1号」(昭和26年9月15日)
(問)最近入信した人の主人は養子であり、子供が白痴のようで入信しましたが、二年前より商売不振で、祖先を祭っておりません。親と祖父は天理教で、その前は禅宗でございました」
(答)天理教でお祭りしなさい。死んでも、霊界ではその宗教の団体にいるんです。それ以前の禅宗の先祖は仏教で祭るんです。ある時期になると、霊界も全てメシヤ教になる。』
『御教え「地上天国8号」(昭和24年9月25日)
(問)お位碑を祀らずに過去帳だけ、または繰位牌で祀っている家庭がありますが、差し支えないでしょうか。
(答)位牌が本当だ。そうでないのは嫌がる霊もある。過去帳は祖先の帰幽を忘れぬために、年、月、日、を書くのである。毎日の礼拝、法事や供養するとき霊がうつるための位牌である。過去帳は、位牌の用途とおのずから違う。過去帳を拝むのは間違いである。繰位牌も感心しない。』
『御教え(昭和24年4月10日)
(問)位牌に何々家先祖代々とか代々霊、代々之霊位、代々之精霊とかいろいろありますが、いずれが一番正しいのでございましょうか。また過去帳だけで位牌がない家、または繰位牌の家がありますが、いかがでございましょうか。
(答)いずれもたいして問題はないが、常識的に言えば代々之霊位がよい。過去帳は元来祖先の戒名や命日を忘れぬために記録してあるもので、供養の対象ではない。供養するために位牌があるので、それに祖霊がお憑りになるのである。繰位牌も感心しない。』
『御教え(昭和23年12月10日)
(問)轢死溺死者などの変死者の霊は地縛の霊と言って、相当の期間その死の場所から遠くはなれることができず淋しがって、ほかの霊を招く。これが魔の踏切とか魔の渕とか言われるゆえんであることはご存じのことと思います。そして、お仏壇にその人の位牌に祀り供養する場合は霊はその位牌に来れるでしょうか。
(答)来れません。しかしお祀りする人々の想念によってその霊に伝達し、その功徳で霊は浄まり地縛の期間が短縮されます。よく供養をなすべきです。』
『御教え(昭和24年3月23日)
(問)変死をした人の霊は死に場所から数間ないし数十間以内しか動けないことになっておりますが、その霊を供養する場合、仏壇に祀ってある位牌に霊が来られるのでございましょうか。もし来られない場合はいかなる方法でお祀りすればよろしいのでございましょうか、お伺い申し上げます。
(答)位牌には霊は来られませんが、たびたび御仏壇で供養することによって御仏壇に来られるようになりますから、そこで供養すればよろしい。』
『御教え(昭和23年12月10日)
(問)祖霊様を供養する場合、墓標と位牌のいずれを重視すべきものでしょうか。
(答)位牌を重視すべきです。位牌には祖霊が毎日お出になっています。墓標にはこちらがお参りのときだけ祖霊がお越しになります。』
『御教え(昭和24年4月21日)
(問)位牌が「先祖代々之霊位」以外に四つ以上あります場合のお祀りの仕方を御教えお願い申し上げます。
『御教え(昭和24年7月10日)
(問)お盆の意味についてお伺いいたします。
(答)釈尊の大慈悲から盂蘭盆会というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。
元来祖霊は全部仏壇にいるわけでなく、平常は選ばれた留守番の霊がいるだけで子孫が拝むときだけ仏壇に集まるものである。その際仏壇にはある程度救われた霊だけしか来られない。つまり八衢(やちまた)以上のものが来られるので、地獄にいる霊はお盆のとき以外は来られないのである。
お盆には種々の儀式を行なって霊を迎えるのであるが、「おがら」を焚くのはここからお入りくださいという目印である。これはいままで夜の世界だったため霊界も暗いので灯りを見せないと霊がまごつくからである。
ここで注意したいことがある。それは仏事はどんな古い先祖でもするほどよい。また長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるがこれはよくない。霊界人となってもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じことで、自分の子供のどの家へでも行けるようにありたいわけだ。従って、次男も三男も全部祭るべきである。
位牌が多くて始末に困るときは面識ある祖霊はそれぞれに位碑を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。』
『御教え(昭和24年9月10日)
(問)人の死後四十九日間は位牌を仏壇の中にお祀りせず、別にお祀りする習慣ですが、都合で三十五日とか七日ですませる人もありますが、それでもよろしいものでしょうか。また拍手は新仏には一拍手が正しいのでございますか。
(答)四十九日しなければいけない。五十日間は霊は霊界には行けない規則になっている。拍手は一週間は一拍手、一週間後は二拍手で、五十日間は拍手の音をさせない。苦しんで死んだ霊は一週間くらいはボンヤリしています。また体がバラバラになって死んだような場合、霊がもとの形になるのに一週間くらいかかります。』
『御教え「御垂示録1号」(昭和26年9月15日)
(問)「別家になったために、先の仏壇と二つありますが、二つでもよろしいでしょうか」
(答)一つのほうが本当です。仏壇を一つにして、中に戒名――位牌を両方を入れておけば良い。
(問)「二つあるということはいけないのでございましょうか」
(答)そうです嘘です。それで、両方の階級がありますからね。実家のほうを脇にして、向かって右のほうに戒名を小さくしておく。
(問)「前の仏壇は処分してもよろしいでしょうか」
(答)そうです。
(問)「宗旨の違った場合はどういうふうに――」
(答)違いさがあります。真宗と日蓮宗とではいけないですね。だいたい養家を主にして、実家のほうはお客様扱いくらいで良いです。祭らないよりは良い、祭った ほうが功徳になるという程度です。実家のほうはそういう程度にすればいいですね。ずっと低いほうでいいです。長男であっても養子に出たら――養子になれば 実家のほうはごく縁が薄くなるから祭らなくてもいいですよ。祭らなければいかんということじゃないが、実家を忘れないように気持ちだけを祭るという程度で しなければならない。仏壇は道具屋に売っても良いです。』
<来月の御教え>
「『文明の創造』科学篇 総論」(文創 昭和二十七年)