メシヤ講座no.145岡山(平成25年2月)

<今月の御教え>

御教え『文明の創造』科学篇 「腎臓病と其の他の病」(本文は『文明の創造』159ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

 

腎臓萎縮を起こさない生活を心掛ける

 

楳木代表:今日拝読をさせて頂いた所は、幾度もですね、腎臓の大切さを説かれてきているわけですけれども、今日拝読をした一番最後のところにですね、最後の所から前のページからですね、

 

『右によっても分かる如く、最初に述べた寒冒の原因である肩から上に固結する毒素は、凡て腎臓が元である事は明らかである。としたら寒冒も結核も肺炎も殆どの病気は腎臓萎縮が原因である事が判ったであろう。

 

処がそればかりではない。肋膜炎も腹膜炎も関節リョウマチも神経痛も婦人病も勿論そうであり、カリヱスも、肝臓病も、黄疸も、糖尿病も、胆嚢も、腎臓、膀胱内の結石も、喘息も、中風も、小児麻痺も、精神病もそうである。としたら実に腎臓萎縮を起こさないやうにする事こそ、健康の第一条件である。』

 

という事でありますので、腎臓が如何に大事かという、そういう事をメシヤ様が縷々お述べ下さっておられますので、私たちが浄霊をさせていただくとき、或いは浄霊をいただく時には、この言葉をですね、反復しながら浄霊をしても良いであろうと思います。

 

思いもよらない所に原因があることですので、今日お出での皆さん方にも、今読み上げた病名に係わり合いのある人もいらっしゃると思いますけど、それはその腎臓萎縮を起こさないように次はして行かないといけない、ということです。

 

だから浄霊は腎臓を良く浄霊をするという事は、今までしっかり勉強してきたでしょうが、次は腎臓萎縮を起こさないという生活を心がけて行かないと、浄霊をして、「ああ~やれやれ良くなった」と思っても、また腎臓萎縮を起こすと、また同じような症状を起こしてしまうところがあります。ですので、我々の生活というのは、次は腎臓萎縮を起こさない生活をしないといけないという事ですね。

 

これが、この前の倉敷出張所の発会の時のように、私の症状が腎臓萎縮のせいで歯茎が腫れてしまったわけですので、なぜ腎臓が萎縮してしまったかと言うと、4時間半にも及ぶですね、(二日に亘って)長時間右足だけを動かして、雪の上をちょっと動いたり止まったりというのを繰り返した為に、腎臓の周りを固めてしまった為に、毒素が背中に出て、それが上まで昇ってきて歯茎から出ようとした為に、ああいう症状が起きたという事ですのでね。

 

その姿をあの時、皆さん方は私の体を通して見て、”腎臓が如何に大事か”ということを姿を通して見ることが出来たので、今回こういう御教えを拝読するのと合わせて、しっかり心に留めておいて頂きたいと思います。

 

とりわけ、世界救世(きゅうせい)教の信仰というのは、メシヤ様ご昇天後ですね、御教えの実践については非常に・・・浄霊はしっかりするし、いただくんだけれども、御教えの実践が疎かになっているところがあります。

 

で、疎かになっているものが何かと言うと、浄霊をいただいて御守護いただくんだけれども、また腎臓を固めてしまう、萎縮させてしまうという生活になっているということですね。せっかく神様からお蔭をいただいても、また同じ症状を起こすような生活を続けているということが、反省すべき点であろうかと思います。

 

ですから腎臓萎縮のために起きた病気が、浄霊によって御守護いただいたならば、腎臓萎縮を起こさないように生活していかないといけないので、その為にはメシヤ様を神習って・・・、メシヤ様も毎日ですね、1時間以上お散歩をされておりました。しかも皆さん方ご承知のように聖地を散策されてたり、熱海市内を歩いておられたわけですから、物凄い急な坂とかをですね、早足でお歩きになっていた。それは腎臓を萎縮させない為に御自ら心がけていた事ですので。

 

メシヤ様が心掛けたことは我々信者も心掛ける

 

楳木代表:それから同時にですね、お供え物が全国からメシヤ様の元へ届きますので、どうしてもメシヤ様の生活というのはですね、美食になってしまいます。それですので、この美食を緩和する、或いは中和する為に絶えずサツマイモを食べておられたという事です。これはどうしても後々の中では「メシヤ様はサツマイモがお好きだった」という話しになってきてしまいます。

 

ですから12月23日は必ず「イモを食べましょう」とかいう話しになって、我々の信仰が本筋から少しずれた形になっていってしまうわけですね。

 

メシヤ様はどうしても美食が過ぎるために、繊維質のものをお食べになって体の中を調整されていたということです。そういうことを絶えず自分の健康管理をされながら生活を、あれだけお忙しいですね、生活をされていたんだという事を、よくよく我々は腹に入れておかないと、メシヤ様に繋がっているにも拘らず、メシヤ様が心掛けていたことを我々も心掛けていかないと、信仰をしているという信仰姿勢としては欠けていくということがありますね。

 

これが住環境もそうですし、まずメシヤ様が信仰の道に入る前に、小間物屋をされた時期があるんですけれども、最初に光琳堂を開かれた時にも第一に自分がお店に出ていって掃除をされて、それから一日の仕事をスタートしております。

 

そういう教祖という御方をいただいている我々の信仰の中で、朝起きたらまず”掃除”というのがないと、メシヤ様と御神縁をいただいている人間として信仰をさせていただいているという事には繋がりにくい所があります。

 

それから奉仕者に物を取ってきてもらう時には、どこのタンスの『上から何番目の右の引き出しの左の奥から二番目に置いてあるから取って来い』というような御指示をされてたぐらい、整理整頓が行き届いておられたと言われておりますので、我々の生活も”メシヤ様に近付こう”とすれば、整理整頓を第一に心掛けておかないといけないという事になってきますので、そうした事を我々の信仰生活の第一位に持っておいていただきたいと思います。

 

ですから健康管理と同時に住環境もしっかりしておかないといけない。メシヤ様はお風呂上がった時にタオルを二枚御使いになっていたとか、聞いたことありますかね?聞いたことないですか?

 

上半身と下半身で二枚使ってました。だから顔を拭くので下の方は拭いていないと、そういうようなことを心掛けていましたね。

 

今はバスタオルですよね、バスタオルの場合どうしたら良いのかという事になりますよね。細かい話しをすると、私はバスタオルで拭く場所を決めております。顔と頭を拭く面と、それから腕とかお腹とか背中を拭く面を、二つに折りますでしょ、それを表と裏を分けて拭いて、それから下半身を拭くというように表と裏を分けて拭くようにメシヤ様に神習って拭くように今心掛けております。

 

そういう細かいことですけれども、”メシヤ様がなされた事に一歩でも近付いて行くように、日常生活で心掛けて生活をさせていただく”・・・それによって形からでも一歩ずつメシヤ様に近付かせていただくということですね。

 

それから倉敷出張所の発会の時には、「人の話はよく聞きましょう」という話をしましたけれども、やはりメシヤ様の御尊影で、どうしても耳が大きいというのは「福耳だ」ということで、”ああ~素晴らしい御方だったんだなあ~”という事を強調しておりますけれども、しかし、教祖として仰ぐ人物像の中に、”なぜ耳が大きいか”と言った時に、教祖になる前の時には「福耳」で結構なんですけれども、教祖になられた後の耳の形は、それはメシヤ様を皆仰ぐわけなので、なぜ耳が大きいかというと、『人の話をよく聞け』ということの形としては、そういう点を見ていかないとですね、信仰のない時期には福耳として捉えていけば良いんですけれども、メシヤ様が信仰の世界に入られた後は、メシヤ様ご自身が実践されている事ですので、その実践されている形を御肉体として示すために、”こういう耳を持たれているんであろう”という所まで、自分たちの心を高めてですね、”人の話をよく聞こう”と、”説教ばかりしないでおこう”と、自分の心をもっていかないとですね、メシヤ様の御縁を折角いただいてても、自分の心は豊かになっていかないし、大勢の人を救って行くという事には繋がっていきません。

 

ですので、どうかそうした所をですね、今回拝読した、『腎臓萎縮を防ぐ』という生活をするという所から、『我々の信仰生活全体をメシヤ様に近付けて行く』という、そういう生活を営むように心掛けていただければ、今日拝読した内容がですね、肉体のことだけではなくて、我々の精神面、日常生活のところまで大きく改善を許されて行くんではないかな、と思います。・・・そうした所を腹においてですね、今回の所は少し長いですけれども、毎日毎日ここを1回拝読して、他のところも拝読をしていただきたいと思います。

 

そして、皆さん方がお持ちの『文明の創造』が早くボロボロになるくらい、「あの人の『文明の創造』は何であんなにボロボロになってるのか」というくらい・・・、また、ここに一筋手垢が付いて真っ黒になるぐらい拝読を繰り返していただいてですね、「もうこれは限界になった」というくらい、読み込んでいただきたいと思いますね。

 

『文明の創造』は地上天国建設の設計図

 

楳木代表:そうして自分の中に、この『文明の創造』というのは地上天国建設の設計図ですので、その設計図がしっかり御自分の肚に入ってくるようにしていただきたいと思いますね。

 

皆さん方も設計図持ってますね。持ってるでしょ?肉体に設計図を。小さい話しになりますけど、遺伝子は設計図ですから。ですから、私の髪質と○○さんの髪質は違うわけ。設計図が違うから。私のように体が大きくなる人間と、あまり大きくならない人間というのは設計図が全部違いますので。

 

この設計図は主神様が、38億年ずっと計画を立てて、我々の体の中に設計図を埋め込んでいるわけです。その設計図通りに我々は肉体を今持っているということです。この設計図は地上天国を建設するという設計図ですので、これを我々の中にしっかり拝読をして、自分の魂にですね、しっかり入れ込んでいくということを、日々取り組んでいただければ大変有り難いと思いますので、最初にそういう事をお願いをさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。

 

月次祭に来ないのは勿体ない

 

参加者:今日、○○さんが、月次祭では初めて・・・。

 

楳木代表:ああ、そうだね。前は月次祭じゃない時にお見えになってたけどね。

 

参加者:まあ1年ちょっと色々浄化がきつかったんですけどね。強い人だし○○さんのサポートも良かったので、ここまで乗り越えられてきて、ちょっと前とは違って髪もパーマもかけないようにして、自然の形にね。

 

楳木代表:うん、それは何よりです。

 

参加者:目に涙が・・・乾いてるのが辛いみたいですねえ。

 

参加者:今ちょっと浄霊をいただいた時に、瞬きをしたんですね、そのときにこの辺にちょっと水がたまって・・・こすっても全然とれないんです。

 

楳木代表:ああそうですか。やっぱり月次祭というのがね、ひと月の中で一番御光をいただける日ですので、そういうことを判らせていただけるようなね、そういうことだと思います。この、月に一度に最も光をいただける日にですね・・・存分に活かして光をずうっといただいていただきたいと思いますね。だから、月次祭に来ない、というのは本当に勿体ないね。

 

参加者:この前の18日に○○さんの家で代表から浄霊をいただいている時に、咳が凄くコンコン出て、そしたら足がね大分楽になって座れるようになったんです。

 

楳木代表:その時、そういう報告をしていただいていたのでね、咳と足が関係あるというのも不思議ですよね。素晴らしいことですねえ。

 

参加者:この前○○さんがこちらに来させていただいてた時に私来てなかったですが、「どういう話しだったの?」と聞いたら、「『光のある所にいらっしゃい』と言ってたよ」っていうのを聞いたから、今日は…(笑)

 

楳木代表:(笑)もう本当にね、月次祭は有り難いですねえ。私自身も、こうやって先達をさせていただいてね、お参りをして浄霊を取り次がせていただくと体が随分軽くなりますのでね、月次祭を全国廻ってしないっていうのは、私にとっても大変”損”なことになりますので、やっぱり『出来るだけやって廻らないと勿体無い』と・・・(笑)

 

参加者:代表がお若くて良かったですわ(笑)

 

楳木代表:(笑)ですから、もうこの支部にいただく光というのは素晴らしいものがあるし、その中でも月次祭の光はですね、ひと月の中で最高の光をいただけるので、それをいただきに来させていただいて、月々を過ごしていただいて、日常では自己浄霊とですね、時々出張所に行って浄霊をいただくと…そういうような事をさせていただければ、ず~っと改善させていただけるんではないかなあ、と思いますね。○○さんの頭も大分白くなってきましたね。もう素晴らしい、そういう白い所が広がってくるのを見ると、私はもう感動する。

 

体操も取り入れた適度な運動を

 

参加者:前はキレイに白くなっていたのに、また染めて同じ事を繰り返してる。

 

参加者:染めたくないんですけれど、周りがうるさいいもんでそうすれば良いでしょう。

 

楳木代表:自分がしっかりすれば良い。周りとか言わないで。周りのせいにしないで。

 

参加者:はい。

 

参加者:お医者さんは歩くしかないと、私の足の事を言うんですけど、あんまり歩いてもダメみたいなんです。

 

楳木代表:なるほど、歩く時にあんまり歩いてはいけない場合は、体操を取り入れて下さい。腎臓をほぐす体操を。そういう点ではですね、ラジオ体操というのは良く出来てるんですよ、ラジオ体操全体ね。足をあんまり踏ん張って体操すると痛い場合は、今テレビ体操で椅子に座ってやってる体操とかもあるでしょ、ああいうのを取り入れて体をほぐして行かないといけないですね。

 

参加者:散歩だったら1時間くらい、自転車だったら20分くらい乗りなさいって言われるんですけれど。

 

楳木代表:自転車はね、逆に腎臓を固める方に働きますので、それはなぜかと言うと手を振らないし、腰も固定された中で動くでしょ。だからほぐれないんですよね。

 

参加者:歩いた方が良いんですか?

 

楳木代表:歩いた方が良いです。自転車はあまりほぐれないです。ほぐれないでお尻ばっかり横に大きくなってくるんです。体形上も自転車はあまり良くないです。自転車に乗る場合は立ち漕ぎならまだ良いですが、サドルにドカっと座って漕いでるとあんまり体はほぐれないです。ですから、そういうふうに心掛けてみて下さい。

 

参加者:ありがとうございます。

 

パーマが悪い訳

 

楳木代表:自分の体なので自分で少しほぐしながら浄霊しても良いですよ。やっぱり涙腺とか毒素で締められたようになっているのでね、涙腺をほぐすような、一番大事なのは首です。ドライアイは首でも少し前の首です。それをほぐしていけば涙がよく出てくるようになりますので、よく浄霊して下さい。これがメシヤ様の時代にはなかった事なんです。ドライアイはなかったんです。昔はここまで首が凝らなかった。

 

参加者:多分パーマ液をよくかけてましたからね、二ヵ月に一回くらい。

 

楳木代表:ちょっとかけすぎですよね。パーマ液と毛染めのね、美容師の方々の手の荒れ方ひどいでしょ。あれだけ劇薬を使ってるという事ですよね。

 

参加者:染める薬よりかける薬の方が強いんですかね?

 

楳木代表:強いですね。それはなぜかというと、パーマ液は二回塗るでしょ?一回目は何のために塗るんですか?最初の薬は何のために塗るか、二回目は何のために塗るか。

 

一回目はですね、毛を広げる、で、髪が広がったところへ二回目の本当のパーマ液を塗ると、その中にパーマ液が入っていって固まるの。だからクルクルっとなるんです。だからそれは髪の毛だけにその薬が入っていけば良いんだけど、我々の頭の中には穴がいっぱい開いてるわけだから、そこから中にダーっと入っていくわけです。

 

気をつけてる美容師の人は「地肌に着けないでやりますよ」と言うんですが、地肌に着けないで髪の毛にね、パーマ液だけを塗るっていうのは、これはなかなか難しい事ですので、十分気をつけていても肌に入っていくわけですからね、それがやはり恐ろしいわけですよね。

 

参加者:それを続けていたら頭に爪を立てても感覚が無かったですね。

 

楳木代表:それは最初に塗る薬が、痛みを麻痺させるような薬なわけなんです。そういうのは広げるから、毛穴も広げるでしょ?そうすると毛穴の周りには、痛点という神経の一番先端があるんですけれども、そういうのを全部破壊していってしまう。だって、ビシッとなってるのを広げていくわけですから、汗が出るときだけ汗腺は広がるようになっているんだけれども、汗が出ない時でも広げようとするから組織が崩れていくでしょ。その隣の神経の痛点も壊していくわけです。こんな恐ろしい事はないわけですよね、「美」のためとはいえ・・・。(笑)

 

参加者:(笑)

 

楳木代表:髪の毛は命ということなんだけども、それをですね、パーマにしてしまうとちょっと怖いところがありますので、昔ながらに髪を伸ばして結い上げるとかね。

 

見てくれよりも中身の成長を

 

参加者:爪なんかもオシャレでやりますよね?それなんかもやっぱりしたらいけないんですかね?

 

楳木代表:ええ、いけないです。自然のままにしていただくのが一番良いですよ。

 

それから、もう一言いえば、「景仰」の中にですね、メシヤ様はリンゴがお嫌いだったという項目があったでしょ?あれはメシヤ様がリンゴを嫌いなわけがないんです。だって創った側なのでね、創造主として創ったわけなのでね、リンゴが嫌いなわけではないんです。

 

しかし、リンゴが嫌いという時の言葉を皆見てないんですよ、『リンゴは見てくれは良いが、中身がないから嫌いだ』と。これはリンゴを持って来た人に言ってるんです。『お前は見てくれは良いが中身がないぞ』っと言われてるんです。だから、その人がメシヤ様からお前は化粧をしたり色々してキレイだけれども、中身が全くないぞと言ったのがリンゴの話しですので、メシヤ様がいつも御教えをたれる内容というのを十分吟味しておかないと、変な捉え方になってしまうんです。サツマイモが好きなのと一緒でね。

 

そういうようなふうに我々が捉えてしまうと、とんでもない教祖観を作り上げてしまうということですのでね。だからこれからは、見てくれよりも中身を成長させる、中身の美人になっていただくように。

 

メシヤ様との共同作業ということが一番大切

 

参加者:先日、MOAの人に風邪気味だというので、浄霊をさせていただいたんですが、その時最初は「寒い」と言っていたんですよ。それが「熱い、熱い」と言って服を脱ごうとするんですよ。だから「脱がなくてもいいから、汗かいたらいいが」と言ってしたんですけど、「何か焼き尽くされるような感じだった」と浄霊が終わったら言うんですよ。

 

それから、やはりMOAの中で、御用と思って色々やって来られているけど、やっぱり活動の為の御教えであったりするんで、自己を見つめてない。だから家が全然変わってない。そんなんでMOAの分院クラスが、家庭のこと、親子のことが解決できてない。今まで何をしてきたのかなぁと思いますね。

 

楳木代表:ですから、今回「立春祭」に、本部でね、お話した内容は・・・倉敷出張所でお話したことを、より想念的にどのような取り組みをするかということで御願いしたのはね・・・我々の御神業というのは、『メシヤ様との共同作業』ということが第一義なので、『メシヤ様との共同作業』ということは、”メシヤ様で在られたらどうされるか”ということを一番に思っておかないといけないので、人間的なものや、或いは施策的なものが全面的に出て行くと、もうこれはメシヤ様の方針ということではないのでね。

 

やはり、”メシヤ様で在られたらどうされるか”と・・・そしたら、”この人に対してはメシヤ様ならどういうお言葉を掛けてあげれるか”、”どういうふうに導いてあげるか”ということを、いつもね、念頭に置いて、やらせていただかなくてはいけないと、いうことを一つ御願いしたんです。

 

それから、学校へそのような取組みで行くにしても、それから人を迎えるにしても、メシヤ様のお供で行くんだと、だから御守護いただくんであって、自分が行ったから御守護いただくんではないわけですからね。

 

メシヤ様の御光がそこに無ければ、大きな奇蹟は生まれてこないしね。

 

だから、その・・・メシヤ様だったらどうされるかということ・・・これはね、御教えを拝読していかないとね、そういうような気持ちはフッと湧いて来ないので、やっぱり今までの世界救世(きゅうせい)教の取り組んだ点は、口では「メシヤ様と共に」と言うんだけれど、具体的にメシヤ様だったらどうされるかという、そういう点がですね、考え方が非常にね、浅かった部分があるので、そういうことをしっかりやっていただきたいというふうに御願いしたんですよね。

 

それから、ここでもいつも、『るナ三訓』を皆さん方にお話しして下さっておりますけれども、やはりメシヤ様中心であればあるからこそ、御用を担う人間というのは、『るナ三訓』で行かないとね、いけないんだと。『威張るナ、怒るナ、早まるナ』という、これを絶えず自分に言い聞かせてね、動いていかないことには、『メシヤ様のお供をしている』ということには繋がっていかないので、まぁそういうことを「重々お願い致します」ということでね、頼んだんですよね、お願いしたところなんです。

 

参加者:それは厳しいです。自分自身を律して、していくしかないと思ってますし、そうでなければ使っていただけないかなと思ってます。

 

御神体のある家が増えていくことを願って

 

楳木代表:私がこうして一から御神業を進めて行く中でね、集団浄霊をこうして御神体のあるところでするのと、無いところでするのとではね、まぁ、初めての所へ行って、まぁメシヤ様の御尊影がある信者家庭の場合はまだしもですね、全く無いところやそういう設(しつら)えをしてないところに行って浄霊して勉強会をずうっと全国やってきたんだけれども、やっぱりね、御神体の無いところだとどうしてもね、力を出し切れてないんですよね。 集団浄霊しても、『メシヤ様』とお祈りしてもね、集団浄霊となるとやっぱり御神体が無いことには、自分自身も安心しきって浄霊出来ないところがあるので、そういう意味からでも”御神体の掛かる家が増えていくということは、この地域にとって、どれだけ素晴らしいことかなぁ”というふうにね、非常に思わしていただいた、この十数年という年月だったと思うんですよね。

 

参加者:こうして代表と巡り合わせていただけたのも、神様のお計らいですし、ここまでお導きいただきましてありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

 

楳木代表:よろしく御願いします。(笑い)

 

今の話の様にですね、やはりドンドン浄霊して廻らないといけないですね。だから、支部とか、或いは昔布教所とかに、日参とかということがあったけれど、メシヤ様のお立場からすると、『日参する暇があったら人を救いなさい』ということだからね。自分の徳を積むためには、やはり人を救っていかない限りは徳を積んでいけないので、やはり人様に浄霊を如何に取り次がせていただくかということを課題に持って、生活をしていただきたいと思いますね。

 

参加者:代表は、『本来の御神業』と仰っておられるでしょ。今、それをつくづく感じます。

 

「神言」にある文言のような思いで

 

代表:それから皆さん方は、節分祭を長年やってきてないので、この「神言」をですね、ズーッと唱えてないと思うんですね。御神業というのを展開する時にですね、もうすばらしい文言がここに書かれてるんですよ。

 

メシヤ様の教えを取り次いでいく、或いは浄霊を人様にしていくという時にですね、すばらしい文言をここに書かれていらっしゃるんだけれども、この中にですね、どこから読んだらいいかと思うんですけど・・・国つ神からいきましょうかね・・・

 

『国つ神は高山の末短山の末に上り坐して 高山の伊褒理短山の伊褒理を掻き分けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば罪と言う罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を舳解き放ち艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以ちて打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ』

 

というふうに、こういう想念でメシヤ様の御光と御教えをバァーと拡げていくようなね、そんな気持ちで御神業に臨んでいただくと、どういう方針で行くとか、そういうこととは全く違って、メシヤ様の御光をそのようにグーッと拡げていくということで救いが展開されるのだというふうに受け止めてね、皆さん方、大いに力を発揮していただければ大変ありがたいというふうに思いますね。

 

だから、まぁこの「神言」の後半部分が御神業する上に於いては、”勢い”という点で非常にいい文言が並んでいるのでね。そういう勢いは自分達も付けて御神業に臨んでいくといいと思いますね。

 

『大船を舳解き放ち艫解き放ちて、大海原に押し放つ』
ように、という、こんな大きな想念を持てると非常にいいと思いますね。

 

中々、「舳解き放ち」というふうにはいきませんけれども、しかし、やっと今ですね、多くの方々がこうして御神業に臨むようになって、そういう感じになりつつあるなぁ、というふうにですね、そう思って今やっているところです。

 

「M●A」の浄霊は効かない?!

 

参加者:この前、以前から知り合いの人に偶然会ったんですよ。その時、少し話をして帰り際に、「○○さん、メシヤ様と言って御浄霊してくださいよ」と言ったら「ありがとう。いい事を聞いた。」と言われて別れたんです。

 

そうしたら、その人と2、3日前に偶然また会ったんですよ。その時、「□□さん、『メシヤ様』と言ったら凄くよくなってる。ありがとう。また色んな事を教えて」って言って別れたんですけど。

 

私もあんまり勉強不足なので、”今度、出張所へ一緒に行かせてもらって、話を聞かせてもらったらいいかな”と思っているんです。その人はどこへでも行って浄霊するような人なんです。

 

楳木代表:話を聞いたら早速、『メシヤ様』とお祈りして浄霊することを実践しているわけですね。

 

参加者:はい。

 

参加者:その人とは私も去年会ったんですが、その人は、浄霊があるから救世(きゅうせい)教に入ったと。まぁ、その時は、膀胱炎のようだと言ってたんですが、「あんたねぇ、浄霊なんか効かんよ」と私に言うんです。「それで医者に行って来た」と。「○○分院へ浄霊をいただきに行っても全然効かん」ということで、腹を立てていたんでしょうね。

 

その後ですよ。この人が会って話したのは・・・。

 

楳木代表:そういう人だったら、メシヤ教の中でやった方がドンドン生甲斐を見出すことが出来るのでね、だから自然と出張所へ繋いで、それでその後支部へ繋いでいただいてね、やっていただければいいですね。

 

御神業というのは、救いがないといけないのでね。どうしても健康とか、そういう面ばっかりに目がいっていると、その人の家系を救っていくことが出来ないのでね。

 

メシヤ様の御光でないと救えないのは、そこなんでね。そういう取り組みをこれから大いにさせていただきたいと思いますね。

 

本部にも主(ぬし)が居た

 

楳木代表:本部の話をするとね、実は主(ぬし)がおったんです。ずうっとあの家は空いていたから。猫が、主(ぬし)がいたんです。それでうるさいものだから、姿を見たら「こらっ」と言って追いかけていたんです。神聖な場所なんで祓っていかないといけないのでね。そうするとね、腹いせにね、糞をするんです。それで、その都度片付けて廻らないといけないので、それを私は片付けていたんですね。そういう闘いをしてたら、節分祭の前の日に死んだんです。

 

しかも私の執務室の前の縁の下で・・・。寒い日が続いていたから良かった。カチカチになってたんで、役場に連絡したら「焼却させてもらいます」と言って、連れて行ってくれたんで、又一つ本部がきれいになったんです。

 

動物というのは、自分の匂いを縄張りを明確にするために付けているので、私の方が新参者だという目で見ていたからね。徹底してやったんだけど、やり返してくるから大変だったんですけど・・・掃除をして廻らんといけないので大変だったんですけど、一つ一つそういった因縁とか、その土地土地のものをね、メシヤ様の御光と人間の努力によって、段々段々と変えることが出来るので、やっぱり我々の努力を積み重ねていかないと、自分の霊界も地域の霊界も変わっていきません。

 

メシヤ様の御光をいただきつつ、自分の出来ることを精一杯させていただくという、そういうことをこれからも引続き取り組んでいただきたいと思います。

 

まぁ、そういうことを御願い致しまして、時間が来ましたので終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

参加者一同:ありがとうございました。

 

午後の部から抜粋―M●A活動で身に付いた心の癖を治す

 

参加者:メシヤ教は・・・とにかく私達が忘れていた原点に帰る感じで、私らが忘れてしまっている、長年のMOAで・・・。何かMOAの活動の中で、何か信仰ではなくて活動みたいなことになってしまっていたのが、メシヤ様との出会いによって原点に帰る、信仰の、メシヤの本来の原点に帰らせていただいたという感じだね。

 

だから何をどうしていけばいいかということを、MOAの中では、自分であんまり真剣に考える習慣はなくなってしまって、どう言えばいいかな・・・信仰じゃ無くて、言われたことをすればいいというようなことになってしまっていて、本当に信仰を忘れていたのが、メシヤ様との出会いによって、本来の自分で考えて人の対応する、そういうことが出来る体質に戻りつつあるというのが今の感じです。私はですけど・・・。

 

だからメシヤ様のご浄霊をいただいて、どこか浄化してても、それが治るのが不思議ではない、普通。メシヤ様の御力は。治らないのは、やっぱりその本人に、私はよ・・・何か心の癖とか、何か直さないといけないことが、ここ(メシヤ様)とピントが合わないから浄化を浄化たらしめることが出来ないというのか、解消できるものがないのは、心癖とか生活習慣をここ(メシヤ様)に合わせていけば、全てが解決できると。

 

参加者:心言行な。

 

参加者:じゃあないかなぁ、というような思いが今しているんです。だから、あなたの膝も治るよ。私も膝が治って正座が出来るようになったから。勿論浄霊力はいただいているんだけど、年に甘えていた。そうじゃなくて、年は年なりのお務めがある。しなくてはいけないことがある。そこを自分で考え直す癖。その悪い心の癖を取って、新しく生まれ変わったいい状態にしていくことが大切じゃないかなぁ。

 

ただ単に体的な浄化のことばっかり言っても、それはやっぱり無理だと思う。何故そうなるか・・・体力的な衰えは年相応にはあるけれど、自分が今どうするべきかということを、考えて生きていくのが80を過ぎた者の務めだと思いました。

 

楳木代表:今、下から上がってきたら、この熱気に当てられました。これからの御神業が非常に楽しみで・・・。

 

サプリメントが必要という勘違い

 

参加者:サプリメントについてですけれども、・・・疑問に思われないというのはね。

 

楳木代表:まぁ、サプリメントの意味が分かってないからね。年をとったらサプリメントに頼らないといけないというところまでは、何故頼らないといけないかというね、栄養補助だから・・・。

 

栄養補助してみたら良くなったと・・・。そしたら今度はサプリメントの成分を調べて、それが含まれている食べ物を探して、野菜を食べ始めようというのに繋がっていけばいいわけなのでね。

 

メシヤ様は『薬は依存が付くからいけない』と言われているんで、『薬毒が残るからいけない』(ということに重点を置いてきたのですが、サプリメントについては依存が重要)わけなんでね。だから点滴も『1~2回くらいだったらかまわないけど・・・』と『文明の創造』に書かれてあるでしょ。読んでるでしょ・・・。

 

参加者:そうでしたっけ・・・。(笑い)

 

楳木代表:要するに、『薬毒として残る』のと『身体に薬への依存性がある』ので、『人間の体が退化してしまう』から駄目だ、とおっしゃっているわけなんでね。だから、その辺の組み立てをどうしても過去の世界救世(きゅうせい)教は教えてないので、そのまじめにやってきた人もその思い込みで、すっと割り切っちゃうからおかしな形になってしまうわけなんでね。

 

そうするとね、皆マニアックな御教え拝読になってくるわけで、薬毒は1滴たりともいけないという形になってしまう。だけど知らない人は、1滴とか2滴とか入っても、これはしょうがないわけなんでね。

 

信者さんは、しっかりした人は、そういうのを1滴も入れないという主義を通してもいいけど、それを他の人に当て嵌めてしまうと、これはね、どうしても布教になっていかない。敵対してしまうんでね。その人達まで救っていかないといけないので・・・そこの気付いたことをもう少し「メシヤ様の理論と科学とを繋いで、解釈をしていきましょう」という話をしてあげないと・・・。

 

何と言うか、世界救世(きゅうせい)教の専従者がズーッと勉強不足のために、変わった信仰を植えつけてしまっている最たるものが、「年取ったら浄霊だけじゃ駄目、サプリメントも必要」とかいう、そんな話になっちゃうんですよ。

 

で、それに対して、それはこういうことなんだよという道筋をつけてあげられない、専従者が、で、許してしまうということになってくる。

 

参加者:今、代表の話を聞いていて、こういう頭を私達が持ってないということだなぁと、今聞いてみて・・・。

 

楳木代表:だから、今日みたいに、家庭が大きく変わってきていることを伝えてあげればいいわけだから。分院を何十年やってても変わらなかったのがね・・・。

 

参加者:だから、来て話を聞くということが大切なんですね。

 

楳木代表:そうそう、そうしないと何話しているか分からないからね。(笑い)

 

だから、その御教えの言葉を知っているのと、その御教えに基づいて自分はどういう生活をしたらいいのかとか、世間の起きていることをどのように解釈したらいいかという、そういう考え方とか生活の仕方というのを自分で整理出来ておかないと話が出来ないから、方向性が違うというだけで何話したらいいか分からんということではね・・・。