メシヤ講座no.135三重(平成24年4月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 結核と精神面」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』102ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 三重支部】

『こんなことで薬を飲んでたらどうしようもない』

楳木代表

メシヤ様は、今まで感冒に始まり結核を中心にした肺疾患について、詳細に解説してくださいましたけども、もう一つ精神面があるということです。昭和27年の御論文ですので、昭和27年当時の社会情勢に合わせてお説きになられたものですので、平成24年ということについて考えてみます。世界と日本の違いをみていきますと、4月2日の日にイギリスから御婦人が本部に参拝されました。その御婦人が、日本の小児科とイギリスの小児科の決定的違いを話してくださいました。

たとえば咳が出て病院に行きますと「このぐらいの咳だったら何ともないから学校へ行きなさい」という対応をイギリスの医者はするのです。「こんなことで薬を飲んでたらどうしようもないのだ」と、薬は出しません。世界と日本の状況はこのくらい違うのです。

 

心配が新たな病気を作る可能性

楳木代表

それからやたらと日本人は心配しすぎるのですが、人間ドックということがあります。この人間ドックは日本だけですね。世界では人間ドックというのはないのでね。

たとえばアメリカなどの医者達が日本の人間ドックをどのようにみているかというと、症状が出ていないのに、わざわざ検査をするということは、病気を探すわけなので、結果が出るまでの2週間くらいの間は大変な心配をしてしまいます。

この精神的な心配というのは新たな病を作る可能性があるというのです。症状がないのに、わざわざ病気を探すというのはいかにも愚かだという考え方です。

最近は日本人でも物事を判った人達は「定年退職したら健康診断は絶対に受けない」という考え方の人が増えてきているようです。

メシヤ様が60年前に御指摘したことに、やっと日本人が気付いて、今やっと対応し始めたところなんだ、というふうに見えるのではないかと思います。

それからテレビで最近、病気症状を説明する番組がたくさんありますね。癌(がん)になった場合、どこにどのようにできているのか。ということを映像で映していくと、自分が、ちょっとお腹(なか)が痛いとかなると「あれじゃないかしら」と。すぐ思ってしまいます。

ああいう解説を聞くと、我々でも学生の頃なんかですと、「もしかしてあの病気じゃないか」という心配が起きたりもしますので、メシヤ様の仰(おっしゃ)る精神面ということも良く認識しておかなければいけないと思います。

それから、

『彼女は結核と宣告されたので、一軒の離れ家を作って貰ひ、一人ボッチで住んでゐたが、其(その)離家は往来に面してゐ為(ため)、其(その)前を通る村人等は、口を覆ふて駈足(かけあし)で通る』

こういう経験はありますか。

 

受講者

あります。

 

楳木代表

そうですか、思い込まされてたものね。昔は。我々が子供の頃は、農薬でパラチオンというのがありました。そのパラチオンを散布しているところがあると息を止めて通ったものです。

今日本では、使用禁止になっている農薬です。我々の子供の頃はまだ使われていましたのでね、非常に気を使って通った記憶があります。

それで、その頃は劇薬だったために、作業小屋で農薬を扱っている時に目が見えなくなったりした人が大勢いらっしゃいました。農薬のために障がいになってしまった人が我々の近辺には大勢いたのです。

これは精神面というより実際に被害を受けた方がいらっしゃったということです。今日この御論文を拝読させていただいて、私が成長過程でズーッと感じてきたことを思い出しました。

 

腎臓・小腸・大腸が活性化すれば痛風は乗り越えることが出来る

楳木代表

それと、最近テレビで痛風についての番組がありましたが、痛風の原因は何かわかりますか。通常、何が溜まってくると痛風になるのでしょうか。

 

受講者

尿酸でしょうか

 

楳木代表

そう、尿酸が痛風の原因になるのです。それで尿酸が溜まるのですからどこを浄霊したら良いと思いますか。

 

受講者

腎臓ですか

 

楳木代表

そう、腎臓。今までは腎臓だと医学的にも考えられていたのですが、火曜日の発表では実は尿酸を排泄するタンパク質を作り出すのは、小腸と大腸だということが発見できたという研究発表がありました。

【「痛風、腸にも一因 尿酸排出で新見解 東京薬科大など」(熊本日日新聞 2012年4月4日朝刊掲載より)】

そうすると、痛風になった人に今まで腎臓だけを浄霊していたのですが、そのタンパク質が活発に作られるためには、小腸と大腸も良く浄霊した方が治りが早い。ということになってきますので、背中だけではなくて、前のお臍を中心にして小腸、そしてその周りの大腸を良く浄霊することによって、タンパク質が良く作られるので尿酸を排泄することが出来るのです。

ですから、今は動物で明らかになったことですが、腎臓と小腸、大腸が活性化してくれば痛風は速く乗り越えることが出来る可能性が生まれたのです。

それと後は食生活ですよね。痛風の人はプリン体を多く含む食材に気を付けるように言われていますが、要は過剰摂取とストレスを抱かえ込まないことが大切です。食生活と浄霊の箇所をそのようにしていけば乗り越えられるのです。

この研究は薬理学的対処の仕方を研究しているので、そっちの薬を作ろうとしているのです。ですから我々は原因が分かったわけですので、根本的に良くしていけば良いので、その部分を良く浄霊していけば良いということです。

 

科学が発展すればするほど有効的な浄霊ができる。

楳木代表

ですから科学が発展すればするほど、我々は有効的に浄霊ができるようになるというわけです。時代が進めば進むほどにね。

そういうふうに考えていただいて、良い話があったら支部にメールを入れて、三重支部で情報を共有するようにしていったら良いと思います。

それから同じ日に、鬱(うつ)病についての脳科学の世界の発表がありましたが聞いていましたか。

 

受講者

聞いていました。

 

楳木代表

みなさんに教えてあげてください。

 

受講者

躁鬱(そううつ)病には躁(そう)病と鬱(うつ)病があります。鬱(うつ)の時にはどうしても自分が苦しいから医者に罹(かか)ってしまいます。それで鬱(うつ)病とは診断できるのですけども躁鬱(そううつ)病とはわからなくて鬱(うつ)病の薬だけを処方されてしまいます。

それで鬱(うつ)病の薬の副作用が出てきて大変なことになります。命に関わるようなことになってくるのだそうです。

それで今まで躁鬱(そううつ)病というのは精神的なものだと考えられていたのですが、脳の働きと関係があるということがわかってきたそうです。それで躁(そう)状態と鬱(うつ)状態を見分けられる医療機械が開発されたそうで、躁(そう)状態と鬱(うつ)状態では脳の働きが全く違うのだそうです。

治療法として光。電磁波だそうですが、その光線を脳へ当てることによって改善がみられるそうです。それで私は、光を当てるのですから、御浄霊の光は放射能よりも強力なのですから、御浄霊で全部解決できるじゃないかと思ったのです。

 

楳木代表

なるほど。さすが良く聞いていますね。脳科学の説明を少ししていたでしょう。

躁(そう)状態とか鬱(うつ)状態になる原因は脳の視床下部(ししょうかぶ)のところがハイになったり、落ち込んだりするのです。

【「視床下部」(ウィキペディアより〉)】

それでハイになった時に、視床下部(ししょうかぶ)の少し前の前頭葉(ぜんとうよう)の後側から抑制剤がそこから出てきて抑(おさ)えるのです。

「前頭葉」(ウィキペディアより)】

そういうことまで最近の脳科学の世界では、わかってきているのです。ですから、躁(そう)病の場合はその分泌物がまた出てくるようになれば良いのです。ですからそこを治療する必要があります。

それで今度は鬱(うつ)の場合、視床下部(ししょうかぶ)が落ち込んでいるので、今度は活性化するようにしてやれば良いのです。

そういうところまで最近わかってきているのです。(ただしこの度の発表は、躁鬱病の人に抗うつ剤を処方すると、鬱の時には良いが躁の時には大変危険なことが起きてしまう。そのため検査方法の改善が叫ばれいる中、新方法が開発できたというものです。)

それではなぜ分泌しなくなったのかと言いますと、それは精神面が必ず影響しているわけでね。

脳は何のためにあるのかと言いますと、魂が思考したりするときに脳を使って思考するのです。みなさんの魂が考える時に脳を使って考えるのです。するとやはり原因は魂の方にあるわけです。それでその魂が霊主体従の法則に従って脳を使うときにバランスよく使うようにならなければなりません。その治療法は、躁鬱(そううつ)病の場合は前頭葉(ぜんとうよう)の奥を良く浄霊すれば良いのです。

そうすると、『日本人と精神病』という御教えをそこに当てはめて考えますと、頸肩(くびかた)が凝(こ)ってくるために血液を頭に送る量が減ってくるので、それで脳貧血を起こしてくるので霊がうすくなる。するとそこへ憑依(ひょうい)しやすくなってくるのだ、と。この御教えと当てはめて考えるとピッタリなわけです。

先程の話のように測ると血液の送量が足りないので前頭葉の付近の熱が低いのです。これは血液が行っていないという状態なので、メシヤ様の理論を裏付ける研究成果だと言えます。

 

受講者

バランスが大事なのだということでしょうか。

 

楳木代表

そうですね、交感神経と副交感神経のバランスがとれていませんと、交感神経ばかり活性化していると躁(そう)状態が続いていきますし、副交感神経が活性化してくると落ち込んで行ってしまいます。

これを肉体的に体主霊従的に考えた時には、そのような作用が出てくるのだと言えます。しかし、原因は『霊主体従の法則』に従って考えていった方が良いので、そういう研究が出来たからこそ、浄霊をする場所がより明確になるということです。

そうしますと、前頭葉(ぜんとうよう)と視床下部(ししょうかぶ)を良く浄霊すれば良いので、メシヤ様は『延髄を良く浄霊しなさい』と仰っておられますが、大体掌(てのひら)の広さで延髄を浄霊しますと視床下部(ししょうかぶ)までしっかり光が入っていきますので改善が見られるということになります。

 

やさしさと力強さ

楳木代表

それと、NHKの朝ドラの「梅ちゃん先生」を見ていますか?

終戦時と終戦直後の社会情勢を今ズーッと説明しています。終戦までは教育勅語を中心として教育をしてきました。すべて国家のためと教え込まれて生活をしてきていました。自分のためよりも国家、世間のためという倫理観が成立していました。

それが戦後自分のためという倫理観が広がってきましたので、若い人ほど自己充足を重点にした生活になってきています。

それから世の中全体が「やさしくなければならない」という風潮がありますので、やさしさの中に生まれてくる精神病ということが出てきているのです。

そこで、「やさしさ」ということを分析してみますと、やさしさがなければ生きる資格がないわけですね。しかし、強くないと生きていけないわけです。

やさしさばかりになってくると、生きていけなくなって来ますので、生きていけない人が今増えているのです。やさしさばかりですから。家でもそうでしょう。あまり厳しいことを父親が言わなくなっていますのでね。

子供たちと父親が友達関係になっていますのでね。やはり厳しさがなくなり、強さがなくなっているのです。それで生きていくことができない精神状態にみんななりかけているのです。

親が厳しく躾(しつけ)ておけば、やさしさも身に付くし、人間として生きていける力というものも備えていけますので、問題なく生きていくことができるのですが、今の世の中は「やさしければ良い」ということだけが前面に出てきていますのでね。このために影響を受けているということがあります。

それと、私たちの頃は経済学を習う時に、背景に哲学がないと拝金主義に陥ってしまう、ということで哲学を同時に教えられてきています。

その時に「人間と言うものはやさしくなければ生きる資格がない」しかし「強くなければ生きていけない」と。この強さとやさしさということをいつも兼ね合わせて持っていかないと人間としてズーッと生きていくことはできないのだとその頃の教授から教わりました。

 

『日月地』『五六七』の調和 バランスのとれる生活を心がけよう

楳木代表

そして、今日ここに経綸を進めていく時の『五六七(みろく)』と力を与えていく時の『日月地(みろく)』が掲げられましたが、このように揃った状態になるということが人間として大切なわけです。

また、経(たて)と緯(よこ)ということを考えた時に、不思議なのですけども『五六七』の方が縦書で、『日月地』が横書の方が、良いかなと思うのですけどもメシヤ様はこういうふうにお書きになられました。

『五六七』は経(たて)の経綸になっていきますし、『日月地』は緯(よこ)の経綸になっていきますのでね。そういう揃って調和がとれた状態になっているなあと思いながら、今日は参拝をさせていただいたのですけども、そういう想いで参拝をすると、より主神様から力をいただけているような、そういうものに包まれながら祝詞を奏上させていただきました。

我々はどうしても偏っている世の中に身を置いていますので、どうかバランスがとれるような、とっていけるような生活を心がけていただきたいと思います。

きょうの御論文でそういうことを最初に感じさせていただきましたので、そのことをお話させていただきまして、いつものように質疑応答に移りたいと思います。

 

質疑応答

受講者

『五六七』が緯の経綸ではないのででしょうか

 

楳木代表

経綸上は『五六七』、縦の『五六七』なわけです。『日月地』の方は力をいただけるということで、そしてそのことを主体にしていくと発展していくことになります。

だからこの『日月地』も良い字だなと思って何回も見つめているのです。

 

受講者

前からありましたか?

 

楳木代表

三日前にお掛けしたそうです。ですから私も今日初めて拝したのですよ。

主之光教団は折角(せっかく)縦書きの『五六七』を見つけたのですからそれだけで行けば良かったと思いますね。『大神』をくっつけずにね。

 

受講者

東方の光教団は『大光明』で『みろくおおみかみ』との御神名としていますからね。

『五六七』だけで『みろくおおみかみ』との御神名として良かったわけですね。

 

楳木代表

その方が断然力をいただけたと思います。しかも経綸の中心を担えると思います。

東方の光教団が経(たて)の働きをしていて、いづのめ教団が緯(よこ)の働きをしているので、それを纏めるのが主之光教団として進んでいけたはずなのです。

決定するときには、我々末端の布教所長の意見は聞かれることもありませんでしたからね。立ち上がった当初は末端の意見にも耳を傾けていました。聞かないと膨らんでいかないからね。ある程度大きくなると強権を発動し始めたのです。ですからそういう姿勢に転換したがために失敗したのだと思います。ズーッと下の意見を聞きながら進んでくれば良かったのですけどね。

 

受講者

先日、亡くなって五十年経った祖母の霊を先祖代々のお位牌にお移りいただきました。(五十年祭、遷霊式をさせていただいた)

 

楳木代表

今度本部が移転するということを聞いておられると思いますが、五月五日から新本部で祭典をさせていただきます。そう、その写真の建物です。

それで敷地が広くなりますので、お位牌の処置をする場所とかも造れるようになりました。ですからお墓に戻せないとかで困っているお位牌があればご処置をさせていただきます。

それから他教団から来られた方は御神体とかお守りをどうしたら良いかという相談もあります。なかなか教団へ返せないとかでお困りの方もいらっしゃいます。

そういう方のためにご処置をする場所を作らせていただこうと思います。

 

救いに向かって取り組む人に寄り沿う場が組織

楳木代表

医療と宗教の違いということで少しお話しますと、因縁ところは医療では救えないのです。どうしても宗教でないと救えない。それから『文明の創造』の校正を皆さん方ずいぶんやってくださっていますが、その中の組織の考え方の箇所ですね。

(後記・『天国の福音書』続篇の作成へ より抜粋:
『私自身の拙い布教経験からも、真実を伝えることは、正しいが故に冷酷な内容となることもあり、それこそ行基上人を見習ってはっきり伝えた場合、「余りにも冷たい話だ」と酷評されたこともあります。しかしながら、救いとは真理の具現でもあり、その意味から曲げて伝えることはその場を取り繕うことはできても真の救済には繋がりません。その点宗教組織として仲間が寄り添うことで、冷酷とも取れる内容も共に歩んでくれる人がいるということで、その課題に取り組む力が生まれるものです。組織とは、事業を進めるものではありますが、宗教においては救いに向かって取り組もうとする人々に寄り添う場であるのです。』)

楳木代表

今までの組織でいう組織論というのは何か事業を進める。あるいは世界救世(きゅうせい)教であればその事業を進めるために組織を運営するということでズーッっと取り次いできましたけども、メシヤ様の教えに基づいて人々を救う場合には、救いに向かって取り組もうとする人に寄り沿う場が組織であるのだと。こういうことは今まであまり打ち出したことはないので、この点をメシヤ教の根底においていきたいと思いますので、『文明の創造』の後記に書きました組織論を心に留めていただきたいと思います。

事業を進めるための組織、という面ももちろんあるのですけども、やはり救いに向かって取り組もうとする人に寄り沿う場が組織なのだと。そういう点を明確に持っておいていただければありがたいと思います。

 

受講者

行基上人は厳しかったのでしょうか。

 

楳木代表

たとえば、法話を聞きに来る人がいますね。そこへ、めかしこんできたりすると「お前は仏法を求めて来たのか!」と叱りつけて「そんな浮ついた態度で来るな!」と大きく叱責した人が、行基上人です。

やはり言わなければいけないことは言っていかないといけませんからね。

 

受講者

透析を受けているのですが、最近動脈硬化が進んでいます。透析をするため動脈と静脈をくっつけてあるのですがその血管が時々詰まります。

 

楳木代表

それは血管同士をくっつけているの?

 

受講者

そうです。血液を押し出す力がないのでそうするのだそうです。

 

楳木代表

それは血圧を下げるように下げるようにしているからね。圧が無くなるのは当然ですね。

体は血圧を上げようとしているのですからね。それで高いとまた心配だから薬を処方して血圧を下げようとするのです。ですから医療は体にはものすごく負担をかけてしまっているのです。ですから外せる薬をできるだけ外していけるようにしていけば、そういう動脈硬化というのは起きないはずなのですがね。

 

受講者

血圧の薬は6月からやめています。それから利尿剤も以前は飲んでいましたが今はやめています。胃薬は胃が荒れるので飲まないといけません。副作用で胃が荒れるのです。

 

楳木代表

最近の鶏と一緒でどうしても籠の中で飼わされると精神異常が起きるので、その薬を飲まされるそうすると胃の中が荒れてしまうので抗生物質を飲まされています。やはり、薬がきついのでしょうね。リウマチのね。

 

受講者

ある程度まで減らしてきたのですが、薬が切れると痛くてどうしようもなくなります。全身が痛くなるのです。トイレに行くのも必死です。

 

楳木代表

やはり胃が痛むくらいの強烈な薬が入っていると他のところもね、悪くなってしまうからね。薬をもうちょっと何とか減らしていけると良いのですがね。大変ですけども努力し続けてください。

カーネーションの最後の方でね、末期がんの患者さんが綺麗な洋服を着て、ファッションショーに出て、子供たちにお母さんの綺麗な姿を見せることで、生きる気力が湧いてきた。というシーンがありましたが、なかなかドラマも良いことをとりあげるようになったなあと思いました。

 

受講者

精神面が大切だということですね。

 

メシヤ様の話を中心に交流を広げよう

受講者

ある教団の方と話す機会があるのですが、どのように対応したら良いかわからなくて。

 

楳木代表

機会があれば「EM菌だけは使わない方が良いよ」と教えてあげてください。教団あげて取り組んでいるからね。

そういう人達と交流すると、より明確にメシヤ様のことがわかってきますから。感情論を飛び越えてね、メシヤ様のことをより深くわかってくために向こうの持っているものとこっちの持っているものと突き合わせてね、そういう学びの場にしていければ良いですね。相手はどうあれこちらは勉強の場にしようと思えば良いですね。

 

受講者

一緒に勉強しても良いものかという迷いがありましたので。

 

楳木代表

ですから一緒に勉強会をとかいうのではなくてね、交流することでメシヤ様のことを中心に話をしていく、と・・・。そうすると自分の中で不明瞭だった部分がより明確になっていきます。相手の思い込みのところを少し啓蒙してあげるのです。光を投げ込んで波紋を起こしてそんな気持ちで大らかに付き合っていけば良いのです。

 

主神様直接の御啓示

(支部責任者:当日の質問に内容を補足させていただきました。
最近の各支部のホームページやブログを拝見していて、御神体ということでいろいろ考えさせられました。御神体と御尊影の二身一体ということでは、私も『五六七大神』様の御神体の時からこれは当時の教団の形式とは違いますが、御神体と御尊影の二身一体形式で御奉斎しておりました。御教えに基づくと、御尊影を神床の外へ出すのはおかしいと思ったからです。

そして、座御観音様を参拝させていただいたときに、『主』のお文字が浮かび上がったという先生のお言葉や、支部発会前に「御神体を御奉斎するその白壁に、光輝く階段、そして階段上には丸い輝く光々しい物を拝しました。」ということ。

「次に、御神体の黒の「ヽ」とその周りの白い部分の輪が浮き出て球体になり、その中心には瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まっておられる感じ」と喜多さんが拝した情景などを考えます時、「メシヤ様のお書きになられた御神体」という被造物という捉え方ではなく、主之大御神様に参拝させていただく想念の確立こそが尊いことではないかと思わせていただいたのです。

そして、『善言讃詞は観音経を縮めた』とメシヤ様は仰(おっしゃ)っておられますが、その観音経には「私の御名を奉唱せよ。さらば救われん」ということが繰り返し書かれています。いわば、神様の御名を奉唱すれば救われるということです。とすると、奉唱する御神名が一番大切になってくるのではないでしょうか。)

 

「三重支部」発会式・報告より抜粋:

座御観音様はメシヤ様御在世当時の御神体でもありましたので、偉大な御力が発揮されるだろうと思う反面、昔に逆戻りするような心配もありましたが、楳木先生より参拝すると「主のお文字が浮かび上がってくるので主之大御神様として参拝されてよろしいですよ」お言葉を頂き心強くなりました。

また、先生より「日月地」は力を授ける時の働きで、「五六七」には御経綸の働きがあります。

両方の働きが合体しないと本当の救いの働きが発揮できないのです。両方を発揮できるのは主之大御神様なのです。万教帰一とは主之大御神様の分神である八百万の神達が元の神につながっていくことです。と御教導頂き、座御観音様の見えない背後におわします主之大御神様に礼拝している想念を持って参拝をさせていただいておりました。

 

御蔭話「メシヤ様にお使いいただける喜び」より抜粋:

「後は御神体を迎えるだけ」となった4月4日に、御神前で、御浄霊をいただきに見えたある方と参拝をさせていただいている時に、御神体を御奉斎するその白壁に、光輝く階段、そして階段上には丸い輝く光々しい物を拝しました。その時、感じたのは、六十段の神界のそのまた上段ではないのかということと、善言讃詞の中の一節『光明如来と現じ 応神弥勒と化し 救世主(メシヤ)と成らせ・・』で、まさしく我家にお迎えさせていただくのは、最高の御神体なのだと、強く強くわき上がる喜びに、胸に熱いものが込み上げてきました。

 

御蔭話「厳しい薬毒排泄の浄化を乗り越えて」 より抜粋:

「そして、何とも不思議な光景を見させていただきました。向かいの窓から朝日が入り始め、やがて御神前まで届き、朝日の光と御神体のお文字が一体となって輝きだしたのです。

次に、御神体の黒の「ヽ」とその周りの白い部分の輪が浮き出て球体になり、その中心には瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まっておられる感じで、その球体の輪郭からパッパッと光が放射され音が聞こえてくるかのように噴出しているのです。やがて穏やかな細かな光の放射状となって輝きだしました。球体は水晶とか水ではなく空気か酸素の塊かと思えるような光景でした。

“今までにない素晴らしい御神体を私達の支部はいただいている。何と有難いことか”と思わせていただいた瞬間でした。」

 

楳木代表

メシヤ様が『主神直接の啓示』と仰っているにも関わらず、『みろくおおみかみ』と御神名を唱えることになぜ先達は疑問を持たなかったのかなあ、と思うのです。それはその時代であったから仕方がない部分もあります。文化形態もまだ発展していませんでしたのでね。主神様ということを判って解かれたのは、やはりメシヤ様とほんの一握りの人達だけでしたので、形成することはできなかったのではないかなあと拝察いたします。

ですから、『主神は、伊都能売神を介して観世音菩薩に、救の力を与え給うたのである。』ということですから時代と共に伊都能売神様から主之大御神様に入っていかないと、それが時代の変遷なのでね、そういうところに行って貰いたいとの思いで、最後に抽象的に書かせていただきました。

 

新本部建設について

楳木代表

新本部建設について後三分で説明しますと、三重支部はこのように通しで二間床を拵(こしら)えていますが、本部は昔ながらの一間のお床に脇床が半間ずつついていて、メシヤ様の御尊影を御奉斎しているところは少し広めになっているのですが、支部がどんどん二間床になって行っているのに、本部だけなってないと申し訳ないので、三月に大工に依頼して五月五日の祭典は広いところで迎えようと思って、大工に依頼しましたら今仕事が詰まっていましたので、友人の設計士に宮大工の紹介を依頼しましたら、丁度良い物件が出ているのでそちらに移ったらどうかという話が浮かび上がったのです。

それで見に行きましたら八畳二間で回り廊下があって相当広い御神前になるので、これはいいなと話を進めていくことになったのです。

神様の方からの『古い家を改装するよりもそちらへ移れ』との御指示だと受け止めさせていただいたのです。

それでは時間になりましたので、一旦終わらせていただきます。

 

一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 自然を尊重せよ」(文創  昭和二十七年)