メシヤ講座no.106三重(平成21年11月)

<今月の御教え>

「メシヤ様対談記・14」(栄百八十六号 昭和27年12月10日)

【メシヤ講座 三重支部】

楳木代表

三重のみなさんは「ミニ・メシヤ講座」でも「対談記」を拝読されたとのことですので相当読み 込まれたことでしょう。如何でしたか。私が説明する前にいろいろ感ずることがあるのではないですか。

 

受講者

今回は相当読みましたね。

 

楳木代表

今回特徴的なのは文芸春秋は日本を代表する月刊誌です。そこの顧問や編集局次長との御対談ですので非常にメシヤ様に突っ込んだ質問をされているということです。ですから興味深い内容になったのではないかなと思います。

突っ込んで聞いておられるので、メシヤ様はそのことを却って喜んでお答えになっている御様子が行間から伝わってきます。恋愛論まで引っ張り出してきておられますからね。しかも「情死」の心境まで語られておられます。信者でしたらとてもこのように突っ込んで質問をできないですね。

 

受講者

日置氏は後半で「人間というものは直接お会いしていろいろ話さなければ駄目なものですね。」と言われておりますので対談を通じてメシヤ様に抱いていたイメージとは異なるメシヤ様のお人柄を感じられて親近感を覚えた様子が伺えます。

 

楳木代表

そうですね。「直接会わなければ駄目ですね。」と言っておられるのは印象が変わったということですね。日置氏は相当博識ある御方で日本のものの言われとか調査して本にされておられます。

○○さんはこの人を知っておられるのでは?ものしり博士とか言われていた人です。

 

受講者

知りませんね。

 

楳木代表

対談の冒頭から、「なぜ観音教からメシヤ教に変わったのか」と鋭い質問をされておられますね。

これは信者じゃ聞けないですね。

 

受講者

メシヤ様は「メシヤという名前が非常に好きなのです」と答えられていますね。

 

楳木代表

「メシヤという名前が非常に好きなのです」と言っておられるということは「メシヤと呼んでほしい」ということですよ。それをなぜ皆「メシヤ様」とおよび申し上げないのかと言いたいですね。

 

受講者

そうですよね。「メシヤ様」と呼んでほしいということですよね。

 

楳木代表

このような対談の内容はぜひ知らない人に教えてあげてください。私達がよりお力を頂くにはメシヤ様の望まれることをさせて頂くこと。「メシヤという名前が 非常に好きなのです」と言っておられるのですから「メシヤ様」とお呼び申し上げることなのです。根本のことですね。

 

受講者

「仮名の「メシヤ教」では誤解を受けてはいけないと思って漢字の「救世」に仮名をつけたのです。」というところですが、なぜ誤解を受けるのでしょう?

 

楳木代表

カタカナでメシヤ教と書いてしまうとキリスト教とかいろんな方面との関係が出てしまうので、それで世界救世教と書いて世界メシヤ教と読ませたのです。

 

受講者

日本語では「きゅうせい」と読むのですか?

 

楳木代表

いえ、日本語でも「メシヤ」です。だから救世教と書いてもやっぱりメシヤ教なのです。

 

受講者

明主様と書いてもメシヤ様と読むのですか?特選集に書いてあるので。

 

受講者

あれはルビではないのです。

 

楳木代表

原本が「明主様」となっていますが、本当は「メシヤ様」なので原本を変えるわけにはいかないので「明主様(メシヤ様)」と表記しているのです。

 

受講者

この時代は「明主様」と呼んでいましたが現在私たちは「メシヤ様」とお呼び御 申し上げていますので括弧書きにしているのです。

 

受講者

ああ、そういうことなんですか。

 

楳木代表

だから、今のところメシヤ様とお呼び申し上げているのは私達「メシヤ教」だけなのです。世界救世教では「メシヤであられる明主様」という言い回しの表現を用いています。

 

受講者

救世主(きゅうせいしゅ)様とはおよびしないのですか?

 

楳木代表

「メシヤという名前が非常に好きなのです」とおっしゃっておられるのですから 「メシヤ様」とお呼び申し上げるべきでしょう。

 

受講者

想いは救世(きゅうせい)主様のつもりで構わないわけですか。

 

楳木代表

救世(きゅうせい)主の気持ちで良いですよ。今メシヤ様が原稿をお書きになろうとしたら、殊更複雑な教団になってしまったと御思いになられると思います。このようにメシヤ様と現在および申し上げていない教団ばかりなので、文章に書くとややこしくなりますね。ですからそういったことをすっきりさせようとメシヤ教は活動しているわけです。

メシヤ様もそのように神界から見ておられると思います。

 

受講者

すっきりしてますよ。メシヤ様とお呼び申し上げているわけですし、教団の名称 は「メシヤ教」でカタカナなわけですし。(笑い)

 

受講者

「ミニ・メシヤ講座」で話題にあがったことですが、「子供は宗教とは関係がないのですか」との問いに「関係しているのもあるし関係していないのもあります。それも私は本人の希望に任せています。」とお答えになられているので、宗教をやるやらないは本人の自由だと。しかし、「薬を飲んだら親子の縁を切る」とのお話ですので宗教をやっていない子供たちにも「医者にいかない」「薬を飲まない」ということを徹底されたということでしょうか?

 

楳木代表

いえ、子供たちも信仰はみんなされていたのですよ。

当時の世界救世(メシヤ) 教の信者ではあるわけです。教団に関係してますか?という質問は教団の仕事をしていますか?という意味なのです。

メシヤ様はアメリカにも美術館をつくろうという大きな企画があったとこの対談で御話になっておられますね。京都にもつくるとおっしゃっておられました し、教団としては本来矢継ぎ早になすべきことがあり、大変忙しいわけです。

他に「ミニ・メシヤ講座」で話題になったことはありましたか。

 

受講者

祭服の色についての記述が特選集にありましたが、「色の順位」ということについてお教え願います。

 

楳木代表

いづれ教団の祭服の色についても規定していくつもりですが、「白」が一番上ですね。それから「金」で金の裏の位が「紫」ですね。ですから夜の時代は「紫」が一番上位だったわけです。

 

受講者

今回の対談の中でも、メシヤ様は前世の中で「聖徳太子」に生まれたことがあるとの話題がありましたが、聖徳太子は官位十二階を定めましたが、その官位の階級を色で区別したとあり、はっきりしてはいないのですがある考証によると、以下だそうです。

楳木代表

紫は良いですが、白が低いですね。青とか赤より黄色の方が上ですね。世界救世(きゅうせい)教の祭典の担当の袴の色を覚えていませんか?

 

受講者

薄い青だったと思います。

 

楳木代表

そうですね。水色は初心者の人の袴の色です。上位の資格になると白い袴を着るとなってます。そして、最高位になると今度は衣冠束帯になってきます。衣冠束帯は天皇ですと茶色になります。皇太子はまた違う色です。

下の位になると淡い色になります。皇室も下の人はやはり水色ですね。

 

受講者

十二単のあの色は何か関係はありますか。

 

楳木代表

十二単については私は良く知りません。

 

受講者

色に順位をつける根拠はなんなのでしょうか。

 

楳木代表

色に階級付をしたということです。もうひとつ色の見方で言うと皆さん方の臓器にも色がついているでしょう。心臓の色とか肝臓の色とか腸の色とか・・

何で色が付くのでしょうか。何で、こういう色に見えるのでしょうか。

 

受講者

光が反射するからですか。

 

楳木代表

そうです。光の反射なのです。例えば黒を反射すると黒色になるのです。太陽の光の中で、ある色だけを反射してその色を吸収しないのです。ですからこの臓器にとってこの色だけを入れてはいけないから反射してこの色になるのです。これは最近の肉体の研究で分かってきたことです。

 

受講者

すると血液の赤いのも・・

 

楳木代表

だから赤を入れてはいけないということなのです。その色だけを吸収しているように思えますが、反対でその色を取り込まずに反射していると理解した方が良いというのが今の学問の通説です。これは御教えにはないですよ。ものの考え方を言っているのです。そういうこともあるのだということをわかっていくと、色にも意味があるのだということが分かってくるわけです。

それから、例えば我々の御椀の内側の色は何色ですか。

 

受講者

赤色です。

 

楳木代表

外は黒色ですが中は赤色ですね。この赤色で飲むことによって「命」を頂くというそういう意味があるわけです。それから古代人は翡翠を好みましたが翡翠はこの辺ではどこで採れますか。糸魚川ですね。その糸魚川でとれた翡翠が青森とか北海道とか生産地でないところから出土しているのです。これはなぜかというと その時代に交易をしていたということなのです。

そこで、翡翠は何色ですか?

 

受講者

青っぽい色?

 

楳木代表

緑色ですね。緑色には再生という意味があるのです。

 

受講者

それで、棺とかに翡翠をいれたりしたわけですか。

 

楳木代表

そうです。ですからそういうようなことを色に求めていたということです。で、 赤とかいう色は生命力という意味合いがありますが位からいうと高くはないのです。

しかし大事な色ではあります。緑色も再生という意味ですが最も高貴な色ではない。で、高貴な色というのは「金色」です。そして最上位というと光を反射 しない、全体を包む最高のものとして「白色」ということになります。そういうことが書かれた御教えがあるのでゆくゆくは明らかにしていきたいと思っています。

それから色の影響を受けるということから考えて行くと、赤いパンツは「生命力」をいただけて良いという考えがあるわけです。それから結石のできやすい人は水色のパンツを履くと石が水に溶けてよいと、そういう考え方も医療上あるわけです。占いとかいうものではなくて本質的なものです。紅白の幕を家の周りにかけていたら今日この家は何か目出度いことがあるのかなと思うでしょう。

そういった長い歴史の中で色の本質に起因して決まってきた決まり事というものもあり、我々は様々な影響を受けて生活をしているわけですので、生活環境を整えていくということを念頭において生活して頂きたいと思います。

 

受講者

「ミニ・メシヤ講座」で出た話題で、絶対的な数字、人智を超えた数字ということで、インターネット上のあるサイトでの記述で、

【大ピラミッドの高さ×10億=1億4700万・・・これは地球~太陽の最短距離に相当する。大ピラミッドの重量×100兆=地球の質量】

というのがありました。

 

楳木代表

神様は地球と太陽の距離や質量を知っておられるので古代人に命じてピラミッドをつくらせたと言えるかもしれませんね。こういった人智では計り知れない絶対的なものがあるのだということを知っておかねばなりませんね。

 

受講者

今回の「メシヤ講座・特選集」は「認識」ということがテーマなのですね。「認識」の文字を数えましたら19回も出てきました。

 

楳木代表

そうですか。18回位にしておけば良かったですね。(笑い・・・しかし題名を抜くと挨拶の中では18回ということになります。)

 

受講者

「メシヤ講座・特選集」の「神界通信の内容は50年前にメシヤ様が説かれた内容です。」との記 述がございましたが、これはどういう意味で・・・。

 

楳木代表

神界通信という形を通じて同じことを言っておられるわけですね。

で、すでに御 教え頂いていることを神界通信で出てくると「すごいことだ」と感じてしまうわけです。

 

受講者

50年前に「神界通信」があったわけではなくて「神界通信」の内容はすでに御教え頂いている内容だという意味ですね。

 

楳木代表

そういうことです。

「認識」がテーマだという話が出ましたが、「絶対性」ということを認識して頂かないといけないので、伊都能売観音様入仏祈念式典ではあのような挨拶となったわけです。いつも正しい神が憑るわけではないのだとわかっていないと。固執してしまうといつも御伺いをたてなければ前に進めなくなります。そうではなくて、我々は絶対の神様を信仰しているのだと認識して頂きたかったのです。

多くの教団がそういったことで正しい方向を見失ってしまうのです。教祖への最初の啓示があるのですが、教団運営をしていくうえでいろんな想いがワーッと来てしまうのです。ですから教団運営に関わる人たちが教祖の御神格、絶対的な神様を認識していないと教団方針も変質していってしまうわけです。

 

受講者

すると、今回の世界救世(メシヤ)教教義の『聖旨』と『聖業』の違いも同じことなのでしょうか?

 

楳木代表

そうですね。後の幹部の方が『聖業』より『聖旨』の方が良いと書き直したのかもしれませんね。ですから今回は変更ではなくて元に戻すのだと捉えて下さい。

 

受講者

御神業の根幹に関わることですからね。先達が変えてしまったことが信じられません。

 

受講者

辞書を調べますと「聖旨」は天使の言葉・教え、「聖業」は天使の事業とありました。

我々は神様の事業、御神業ですから「聖業」を行っているという想いを持ちたいものです。

 

受講者

芸術品で肉食では力がでないと、菜食でないと力のある作品にならないとありますね。なにゆえですか?

 

楳木代表

これは宮本武蔵とか牧谿(もっけい)とかいうのは、どういうときに絵を画くのかということです。

水墨画とは何を描くのかということです。景色を描いているようで景色ではない、その人の悟りの世界を描いているということなのです。それで悟りを得ようとすると「行」をしてゆかないと悟りは得られませんね。 肉食に耽っていては悟りの世界は無いんだということを、ここではメシヤ様は御指摘されているわけですね。

 

 

受講者

悟りの世界を絵に描くということからすると、肉食ではだめだというわけですね。

 

楳木代表

そうです。悟りが開けていないのです。ですから高い境地で描いたものでないと芸術性がないわけです。ヨーロッパなどですと酒浸りの人が多いわけでですから塗り固めないといい絵にならないわけです。ですから油絵などは盛り上がってしまうわけです。その点水墨画は線ですね。ひと筆で書かなければならないところもあります。枝とかね。神経が研ぎ澄まされていないと描けないのです。

 

受講者

書道をやっていますが、気持の入っていない書ですと見た目は良くとも見る人が見たらわかるようで、書道の先生に「あなたちょこちょこと書いたでしょう」と見破られてしまいました。ですから御教えにもありましたが御玉串料や感謝献金をするにしても気持ちが籠っていないと駄目なのだということをわからせて頂きました。

 

楳木代表

それは良い経験でしたね。ですから御玉串料の字も筆で書いた方がボールペンで書くよりも心が込めやすいということはありますね。そうすると封筒より半紙の方が書きやすいということになりますね。

 

受講者

「感性の豊かな人がいらっしゃる訳なのですけれども、感性が豊か過ぎると真っすぐに正神から流れてくるものと、あるモノを経由して流れてくるものが頻繁に起きてくるので、次から次へと求めていくという心理現象を起こしてしまいます。」と話された、あるモノとは邪神とか霊とかいうことでしょうか。

 

楳木代表

人の想いとかいうのは動物霊とかに乗かってくるのです。

 

受講者

「仏陀再誕」の映画を見ました。霊が全てを支配するというような内容でした。

 

楳木代表

霊は存在しますが、支配はしないのです。指導する立場の人はそういうことをわかっていなければいけません。大川氏も沢山本を出版されていますね。

 

楳木代表

これから年2冊位のペースで研鑽資料を出版していきたいと考えています。テーマは色々考えられますが、浄霊に関する出版物はたくさんありますので、例えば「人間が幸せになっていく道」とか、そういったテーマなんか良いかと思います。いろいろ皆さんの意見を聞きながら検討してゆきたいと思います。

 

受講者

○○の足に瘤ができまして、歩くと痛いのです。浄霊をしていたら痛みが少なくなってきたようです。

 

楳木代表

何が溜まるのか聞きましたか。

 

受講者

脂肪ですか

 

楳木代表

脂肪は痛くないのです。カルシウムが溜まると痛いのです。なぜカルシウムが溜まるのかというと体のバランスが崩れているのです。

 

受講者

骨粗鬆症にもなっておりカルシウム不足ということでサプリメントを飲んでいます。

 

楳木代表

カルシウムは体に定着し難く、すぐに外へ出てしまうのですが、定着させるには太陽の光を浴びて運動をすることによって定着をさせるのです。サプリメントでカルシウムを採ると定着が局部に集中してしまうことがあるのです。また、体が食物から吸収しなくてもよいのだと勘違いしてしまいます。それが体のバランスを崩してしまうのです。ですから、サプリメントを控えて浄霊し体のバランスをとること、そして太陽の光を浴びて運動を心掛け、カルシウムを体に定着させることです。

鼠蹊部(そけいぶ)と痛いところを良く浄霊してください。自分で浄霊ができるようになれば乗り越えやすくなるのですがね。

 

受講者

御浄霊をさせて頂くときにメシヤ様をどのようにイメージすれば良いでしょうか。

 

楳木代表

光の玉そのものをイメージできれば一番良いのですが、なかなかできないので神界におられるメシヤ様の光の玉から現界の浄霊をする人の脳天に光が降り注ぎ体に充満し掌の幅で光の束になって相手に放射されるそのようなイメージを持って浄霊してください。そして手の力を抜いて下さい。

メシヤ教の行は下座行と手の力を抜くことだけです。下座行は人の御世話をするようになったら取り組んでいただくとして、まずは浄霊で「手の力を抜く」練習をしてください。そしてメシヤ様に直(じか)に太く繋がらせて頂く想念を持って取り組んで頂ければこれからの御神業がより清々しいものになっていくと思います。

これから一か月、今言ったことを念頭において清々しく御神業に取り組んで頂ければと思います。

 

<来月の御教え>

「メシヤ様対談記・15」(栄光百八十六号 昭和27年12月25日)