伊都能売大御神様御出世奉祝記念大祭(平成30年10月)

伊都能売大御神様御出世奉祝記念大祭 式次第

平成三十年十月二十六日 定山渓 観音堂  

 

一、祭典 十分前

参拝者の皆様は、着席をお願い致します。

※本祭典について(別途配布 次ページ)読み上げ

想念作り

一、開式の辞(午前一一時)・・・司会

只今より、伊都能売大御神様御出世奉祝記念大祭を執り行わせていただきます。

一、天津祝詞、善言讃詞奏上

御神名「伊都能売大御神」一回奉唱

一、御浄霊

一、御教え拝読

「世界救世(メシヤ)教教義」

一、御讃歌朗詠御歌六首(下に掲載)

一、閉式の辞・・・司会

一、連絡事項・・・司会

 

朗詠御讃歌

 せまり来て 往きも戻りもならぬ世を 導きたまふ  伊都能売の神
せまりきて ゆきももどりもならぬよを みちびきたまふ いづのめのかみ
「明光」14号S 2.10.30雑詠

東方の 光いよいよ伊都能売の 神業照り初む  時となりけり
とうほうの ひかりいよいよいづのめの みわざてりそむ ときとなりけり
「明光」59号S 6. 7. 1雑詠

有難し 嗚呼有難し伊都能売の 神の恵みの  いやふかければ
ありがたし ああありがたしいづのめの かみのめぐみの いやふかければ
S.11.大御恵

伊都能売の 御神の天降りなかりせば これの大地は  滅びしなるらめ
いづのめの みかみのあもりなかりせば これのだいちは ほろびしなるらめ
S.11. 和光同塵

全地球  十字に結ぶ時こそは 人類悉と 眼醒まさむ
ぜんちきゅう じゅうじにむすぶときこそは じんるいことごと まなこさまさむ
S29. 2. 4立春祭

力なき 身にしあれども世の為に 尽させ賜え 伊都能売之神
ちからなき みにしあれどもよのために つくさせたまえ いづのめのかみ
御讃歌集(初版)S23.7.1

 

本祭典について

本日の祭典、伊都能売大御神様御出世奉祝記念大祭に就きまして、お伝えさせて頂きます。

今からおよそ三千年前、主神様のご意思を受けて、天照皇大御神様が霊的太陽のエネルギーを少しずつ絞って火素を減少させることによって、善がしっかり機能して「裁き」と「救い」のバランスが取れていた伊都能売大神様の経の部分の御力、即ち支配力が衰え、完全に光がなくなって「夜の時代」に突入しました。

そうなると善の働きは出来なくなり、悪を退ける力を失い、善悪無差別の慈悲の御働きしか出来なくなられたので、そこで観音様になられて二千六百年余りの長きに亘って、「夜の時代」では、悪が強くなって、これでは人間もかわいそうだと思われ、我々人間を蔭にあってずっと見守り続けて下さっておりました。

そうして昭和の時代に、メシヤ様が天照皇大御神様を御迎えされて以来、霊的太陽の日の力、火素が日増しに強くなっていく中、観音様の御働きから光明如来様へと御位を上げられ、我々人類の御救いをして下さっておりましたが、昭和二十九年、再び正しい神を人間が押し込めたことで夜の時代に戻ってしまいました。

しかし、主神様の御意思を五六七大御神様が展開され、神界の準備が整い、無知である我々人間を使って、昨年、平成二十九年六月十五日には、全ての根源である天照皇大御神様をお迎えさせて頂きましたが、その太陽の光でしか仏様は神様に御戻りになれなかったので、仏界に観音様として化仏されていた伊都能売大神様も、いよいよ本来の御働きになられる時を迎え、無知である我々が、メシヤ様の御配慮で、この現界にお迎えしたのが、昨年の「伊都能売大御神様御出世奉祝大祭」でありました。

 

神界からは、一年の御猶予を頂いていますが、一とは「はじめ」ということでありますから、一年後から本格的な御経綸がスタートすることを考えますと、今年の三月三日には国常立尊様と伊都能売大神様が一体化されたメシヤ様を現界にお迎えさせていただきましたが、六月十五日の天照皇大御神様の祭典を期して益々日(火素)が強くなることで霊体の救済に欠かせない浄霊力に反映されたように、本日の祭典から伊都能売大神様の御働きが現実のものとなって現れるということであります。

伊都能売大神様は左進右退になるのであって、伊都能売とは「五と三」「火と水」「日と月」ということであり水は月でありますから、今まで右進左退で西洋文明を造ってきた素盞嗚尊様であり、天照皇大御神様の日が強くなれば、当然「月」の働きはそれに従うような動きになってくるので、今まで右進左退で進んできていたものが逆回転して、いよいよ左進右退に回り始めるということであります。

そして、この度の祭典を通して左進右退のリズムが世界大に拡大するということは、日本は世界の型でありその中の北海道はアメリカの型なので、その地にお出ましになるということは、世界的になる、世界経綸がいよいよはじまるというふうに捉えるべきではないかと思いますし、そうであれば国常立尊様の「裁き」も一段と厳しくなって、救われるものと救われないものが出来るということであり、自力を出せば小乗信仰となり御守護がなくなるので、我々は心を謙虚にして神の愛を胸にたたんで御教えを拠り所として進んでいくことが何よりも必要になってきます。さらには、体とは水(熱海)と土(京都)であり、京都は七で現界の型でありますので、左進右退のその現われが、我々人間の目に見える形で進んでいくというふうに思われます。

また一方、伊都能売大神様の御精神ということで考えますと、絶対平和主義という神様であられるわけで、その御精神を私達は人間として、自分自身に下ろして、どこまで実践させて頂くのか、という事も大切なことであります。

そういう時を迎えている現在であればこそ、その「御裁き」の御働きに対しては、今まで体主霊従で積み重ねてきた我々人類の罪穢れへのお詫びと共に、改めてこの二千六百年間という長きに渡って誠に申し訳なくも御位を落とされて待ち続けられ、そして、蔭にあって我々を守り続けて下さったことへのお詫びと感謝を申し上げ、更には地上天国、彌勒の世の建設に向かうに当たり、アメリカの型であるこの北海道の地に於いて、東西を結ぶ為の西洋文明の救いの始まりを期して、又その「御救い」の御働きに対しては、より一層その御手足とならせて頂くことを御許し賜ると共に、伊都能売大神様の慈悲の心を持った人間として、伊都能売の働きが出来る人間にならせて頂けるように、御守護のお願いと共に我々の決意を捧げる祭典であるということを心に強く刻んで臨ませて頂きたく思います。皆様、よろしくお願い致します。

 

[本部祭典 伊都能売大御神様御出世奉祝記念大祭 2018(平成30)年10月26日]

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