メシヤ講座・特選集no.179(平成27年12月分)

メシヤ様 御書『神人の力』

メシヤ様 御書『神人の力』

<御教え>
『文明の創造』『天国の福音書』序文  救世(メシヤ)教とは何ぞや
(文創 昭和二十七年)

本文は『文明の創造』380ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。)なお、『序文 救世(メシヤ)教とは何ぞや』は平成28年1月に拝読し学び合う御論文です。

≪「メシヤ様御降臨祭」特集≫

<体験記>
細胞癌で右腎臓摘出後、体調不良を救われる
本部直属 O.T
この一年を振り返り更なるお光の強さを知る
岡山支部 高橋幸治
箱根聖地に近い支部としてのご奉仕を担わせていただく
鎌倉支部 菅谷敬

<挨拶>
『文明の創造』拝読により本来の在り方への確信を持って御神業に邁進

メシヤ教代表 楳木和麿

本日は『メシヤ様御降臨祭』誠におめでとうございます。

12月度はメシヤ教を立ち上げてから初めて支部・出張所・集会所への出向をせず、皆さんに月次祭の祭行をお願いしました。そのため、今月皆さんとお目にかかるのは本日が初めてです。皆さん方から「素晴らしい祭典を執り行うことが許された」という報告を異口同音にいただきました。御守護をいただいたことに、メシヤ様にまず以て心から感謝申し上げます。

このことに関連して、私自身も誠に御守護とお導きをいただいたことがあります。実は、古いメシヤ講座には記載しているのですが、かつてサタンに命を狙われて交通事故に遭い瀕死の状態になったことがあります。その際左手の親指にフロントガラスの欠片が二個食い込みました。お蔭でその二個とも浄霊により排出しました。ところが、11月の出張を終えてから、その親指が痛み出したのです。痛みは強いのですが神経痛や痛風のそれとは異なり、やがてそれは人差し指まで拡がったのです。この段階では指がこわばりリューマチを疑いたくなる状態でした。車のハンドルもしっかりと握れなくなり、指先で摘まむこともできなくなってしまいました。そして、ついにわずかな振動でも尋常ではない痛みを発するようになりました。当然長距離運転も出来ず、本部改装がなくとも出張には出られないところでした。長期計画を立てていなければ、皆さんへ突然ご迷惑を掛けてしまうところでした。

その痛みの原因ですが、種々考えたところガラス片が食い込んだ際に処置した消毒薬だということに気付きました。医者はガラス片には気付かず、傷口の消毒のみを行ったのです。私は半日意識不明でしたから対応できませんでしたが、覚醒したら親指に消毒薬を塗った痕跡がありました。それがここに来て溶解したのでした。薬毒はまったくしつこいものです。しかしながら、不思議と重たい石もゆっくりとならば持ち上げることが出来、工事の手伝いや後片付けもスローながらこなせました。時期といい有り難い浄化を許されたのでした。

しかも驚くべきことを発見したのです。それは、天井裏の棟木に幅30センチ大で長さ2メートル弱の板が打ち付けられていたのです。それには天下太平・上棟祭・施主・施工者の名前(設計士・大工・左官)が書き込まれていたのでした。それを棟梁が見つけ「持ち主が変わったので外しましょう」と教えてくれのでした。通常は上棟祭を執り行った際の御幣を載せるのですが、そうではなくて扇のついた縁起物とその板でした。それを御神前にご処置物としてお供えして朝夕お浄めいただくようにお祈りしました。そして、上棟祭を執り行った同じ日の12月17日にご処置祭場で焼却することができたのです。その日朝から雪が舞い風も強かったのですが、不思議とご処置が終わると雪が止み日が差してきたのです。そして門をくぐってすぐの両側に移し植えた松を照らしてくれたのです。

このように何もかもが新たな形となり、現在、お蔭様で厳かな佇まいの新御神床が整い、漆喰の乾きを待つばかりとなりました。大工自身が「格の違いですね」と感嘆を漏らすほどの御神前に仕上がりました。また、御書をお掛けする場所を増やし、放送設備も完備し、あらゆる階層の方も気兼ねなくご参拝できるように進めております。初めに皆さん方の誠に対して報告を以て御礼申し上げます。

『文明の創造』を学び終え御祈願書をお供えする

さて、本日は御神前に各支部、出張所、集会所毎に御祈願書をお供えしていただきました。これは『文明の創造』を学び終えて、次のように御示しになられた主神様の『最後の審判』の進め方を厳粛に受け止めたからであります。

『右の如く悪魔の経綸の中心はクライスト教であるから、最後の審判はそのクライスト教と眷属を抹殺して悪魔の奴隷になっている大部分の人類を解放させるのでなくてはならないのは当然であろう。』

但し、ここで基督教についての御記述に対して注意しなくてはならないことは、メシヤ様御自身は御論文

『九分九厘と一厘』

において

『これは歴史をみれば判るごとく、悪によって一時は成功したように見えても、いずれは必ず失敗するが、それに大部分は無頓着であったのである。従って歴史とは悪による成功と、悪による失敗との交互連続の記録でしかないと言えよう。右のように夜の時代は悪の力が強いため、その犠牲となった善者も少なくなかった。特にそれが宗教家に多く、最大な犠牲者としては、彼のキリストであった。私といえどももしその時代に生まれたとしたら、いかなる苦難に会ったかも分からないが、いつも言う通り今や夜が終り、黎明期に一歩入った現在であるから軽く済み、予定通りの進展を遂げつつあるのである。』

と論じられていることから、イエス・キリストついて御批判を加えている訳ではありません。メシヤ様が御指摘になられているのは『最上級の詐欺』によって勘違いさせられていることなのです。宗教の対立ではなく、人類共通の願いである『悪魔の奴隷』からの解放を進めるための問題提起なのです。

現時点では吹けば飛ぶような規模である私達に課せられた使命でもあります。冒頭お話ししましたように、メシヤ教立ち上げの頃に既にサタンが手を打とうとしました。しかし、天照大御神様が救いの手を差し伸べてくださいました。そのように正邪の戦いは幾重にも重ねられていることなのです。そして、正神側のためにメシヤ様が御準備されているものが次の内容なのです。

『その為の福音書拝読で、その為の浄霊で、その為の幽玄力で、その為に私が生まれてメシヤ教を創立したのである』

という内容です。この御垂示に沿って皆さん方に御祈願書をお作りいただいた訳であります。

『霊と心を浄め、正守護神の霊力を強くし・・・』という御垂示を実践した報告

本日御報告いただいた方々は、メシヤ様が『何故なら皆は霊と心を浄め、正守護神の霊力を強くして、邪神の頭目と闘って勝たねば天国人となるのは出来ないからである。』ということでありますので、本日報告いただいた方はこの一文にかかっている訳です。それが共通して本日発表していただいた方々からの、我々の学びであります。

最初に報告いただいたO.Tさんは残念ながら片方の腎臓を摘出しなければいけないことになりましたが、当時お世話をしてくださっていたスタッフは純粋にメシヤ様を求めて浄霊にすがって乗り越えようと寄り添ってくださっておりますけれども、その上司の議長が「手術した方が良い」と親に話す訳ですので、これが実は『最上級の詐欺』の影響を受けた内容であります。

イエス・キリストは二千年前余に生まれて、キリスト教は弟子達が練り合い練り合いしながら作り上げました。練り合って行く間に・・・実はイエス・キリストが日本に来て『浄霊力』を授かって、そして「最後の晩餐」に出られた弟子だけに『浄霊力』を授けて、そして、その浄霊の奇蹟によってキリスト教はズーッと広まりました。

しかし「最後の晩餐」に出た方以外が『浄霊力』を授かるということはキリスト教の世界ではない訳であります。

それを私達はメシヤ様から『浄霊力』を授かっているわけですので、人類史上の中で大変有難いことである訳です。

そして、奇蹟をイエス・キリストは起こして行ったのですが、その跡を継いだ弟子達が、少しずつ本来の教えを曲げて行った訳です。ですから『クライスト教と善悪』を見つめた時には私達メシヤ様の弟子たちも、自分を含めて“少しずつ教えを改竄(かいざん)していく方向に動く可能性がある”という訳です。これを食い止めるために、この御論文があると受け止めなければいけないと思います。

ここだけの話ですが、O.Tさんにも非常に辛い話ですが・・・(以下割愛)唯一残っておられるのがO.Tさんです。それは徹底して浄霊をしてきたからであります。そのスタッフとご家族のお蔭で今日まで命を繋ぐことが許されている訳であります。命を許された人間O.Tさんは最後に“魂を磨いて・・・”とまとめましたが、この魂の磨き方が世界救世(きゅうせい)教は献金とか参拝とか浄霊ということに特化してしまったために、信者さん達が真実の幸せになっていかなかった訳です。

これはどういうことかといいますと、人類が長い間苦労してきた、取り分け日本人が苦労してきた内容と言うのは、真理が隠されていたからであります。三千年前に伊都能売神皇様が素戔嗚尊の攻撃によって自分の座を退いてインドに降って行かれて仏教をおつくりになりました。その理由に併せて仏教が何故日本に定着したかという理由を、メシヤ様の御教え無くして知り得ることは出来ません。

私達がメシヤ様と御神縁をいただいた最大の恩恵は浄霊力を授かるということですが、三千年来隠されていた真理を知ることが出来るということなのです。これが真理を得る最大な幸せな訳です。

そして、そのことを教えてくださったメシヤ様は人々を救うためにどのように進めてきたかたと言いますと、これは『利他愛』というのは非常に分かりやすいです。それから『即時性』・・・何事も直ぐにやらないといけない。これも非常に分かりやすいです。しかし唯一課題となっているのは『合理性』です。メシヤ様は『合理性』を追求していかれたにも拘わらず、先程の高橋さんの発表で言いますと「スマホでいろいろ調べて、病気に関していろいろ調べてみたらどうか」と指示したのがその当時の世話をしている専従者のトップでありますので、ここに『合理性』があるかというと、全く『合理性』が無い訳であります。

専従者が合理性を磨くためにやらなければいけない事は、社会的な学びとそれを実践してみるということです。このことを世界救世(きゅうせい)教の専従者は疎かにしてきたために、信者の皆様方を救って幸せにしていくということが出来なかった訳です。

『筋が通らなければ愛にはなりませんよ』

「直ぐにやるのだよ」というのは非常に言いやすい。「あなた自分のことより人様のことを大事にしていかなければいけないよ」というのは言いやすいのですが、「この問題についてはどうしたら良いか、どのように受け止めてどのように対処したらよいか」ということがメシヤ様がズーっと積み上げてきた『合理性』です。ですから『神様は愛ですが、筋が通らなければ愛にはなりませんよ』と仰っているのは、そういうことである訳です。

そのことが実は最も大切であるに拘わらず、「メシヤ様を求める」とか言いながら疎かにしてきたということがO.Tさん高橋さんの発表から浮かび上がってくる問題であります。これからはこうしたことを更に私も学びを深めていきますし、各支部責任者の方々、出張所の責任者の方々、集会所の責任者の方々、共々に学びを進めさせていきながら、人々の悩みを救済して行くという具体的なあり方をこれからも研鑽しつつ、それを広めて行くような、そうした取り組みをさせていただきたいと思います。

そういうことをさせていただこうと考えたときに、もう一度高橋さんの報告の内容を考えていくといづのめ教団というところが、大変アバウトな指導をしているために、信者さん方は増えてはいるのですが、徹底的に救われていくというところを見い出せずにいるところがあります。それは先程から申し上げているように『合理性』というところを追求して行っていないためであります。

先程菅谷さんが報告してくださったように韓国から今日、盧(の)さんご兄弟が関わった際の話しも大変なものがありますが・・・(内容は割愛します)。

そうした人達の元で指導が作り上げられてきたということを、私達はそろそろ明確に認識しておかなければいけないと思います。それから東方之光教団にO.Tさんは所属しておりましたが、そこは何事に対しても“一体何か”という追求が非常に弱いところであります。東方之光というのは西洋の神殿はほとんど東を向いていると言われているのですが、それは将来東方から救世主が現れてその光によって救われるとの考えからとも言われています。

ですから「東方之光という名称とは西洋の教団なら東方之光でも相応しいのですが、日本にいる人間に東方之光と言った場合は“日本の東とは何か”となって非常に不明瞭な論理建てしか出来なくなってくるということであります。」ということを宗教評論家から私は指摘を受けたことがあります。

(挨拶では取り上げませんでしたが、指摘にはもう一つあり、「教団改革を謳っていますが、改革を進めて効果があるのですか?理解できる教団人がどれ程いるのですか?そこへ力を注ぐよりも世の中の識者に教祖の卓抜した教えを伝えた方が地上天国建設に繋がるのではないでしょうか。」との話しには愕然とするものがありました。しかしながら、せっかくメシヤ様と御神縁をいただいた方々が本来の在り方を知らないのは不幸でありますので、働きかけは続けなければならないと考えています。)

『最上級の詐欺』に遭わない体制づくりを皆で

ですから一つ一つ突き詰めると、過去可笑しい中で私達は信仰させられてきたということがありますので、そのことを踏まえて『クライスト教と善悪』の御教えから最上級の詐欺に遭わないという体制を私達はとって行かないといけないと思います。

これからも絶えずこのことを見つめて進ませていただかなければ、折角メシヤ様がこの地上に天国を樹立されようとされて・・・、司会者がお伝えしたように、その力と方法を私達に授けてくださったにも拘わらず、それがズーッと活かされていく方向には進んでいきませんので、どうか今日を新たなスタートとして進めさせていただきたいと思います。

そうした気持ちを私達が持って進んでいることを通して菅谷さんが報告してくださったように、英文サイトや各支部の発信している内容を通して様々な方々が繋がってきております。そして、その人達は皆さんメシヤ様を心底求めて、「メシヤ様が揮われる力とはもっとすごいものだろう」ということを胸に抱えて繋がってきております。この方々は箱根に一番近い鎌倉支部に受け入れのお世話をこれからもしていただきながら、この御神業をより一層進めさせていただきたいと思います。

これから支部で話し合っていく、出張所で話し合っていく内容は、どこまでもメシヤ様という御存在が中心であります。そして、御教えが根底にある訳なのですけれども、その御教えを根底にして『メシヤ様が如何様になされたか』ということを絶えず信者さん同士の会話に上げて、どのような問題に対しても『メシヤ様はどのように御垂示されるか』あるいは『どう対処されるか』ということを話題にしていただきたい。そして、その話題に基づいてある程度積み上げた内容を月次祭で報告し合ったり、あるいはメシヤ講座で質問をしていくという形をとっていただきたいと思います。

ですから、メシヤ講座で質問が出ないということは普段練り合っていないということになります。そうかと言って重たくなるといけませんので、メシヤ様という御存在がこの地球を救おうとして神界から御出座されておりますので、その御出座された力と教え、方法を我が物に皆さんしていけるような、そういうことをお互い積み上げさせていただきたいと思います。

そういうことをお願いさせていただいて、年末忙しい中を時間をかけて、そして寄り集った皆様方に、一層の御力と御光をいただけるように御祈念申し上げて、私の挨拶とさせていただきたいと思います。

本日はおめでとうございました。 (要旨)

***御論文***

御論文『九分九厘と一厘』

『栄光』138号、昭和27(1952)年1月9日発行 この論文は文明の創造の中の一節である
このような訳で、人類は原始時代から今日に到るまで、善と悪が相対峙しつつ、現在まで何万何十万年にわたって来たのであるが、もちろんその期間邪神の力の方が強いため、ともすれば正神の方が圧迫され勝ちであったが、結局において悪の方が敗北し、善の方が勝ったのは歴史がよく証明している。それはもし邪神の方が勝ったとしたら、世界は崩壊され、今日見るがごとき世界は、あり得なかったはずであるからで、それというのも今日までは時が悪にある程度味方していたので、つまり夜の世界であったからである。もちろん夜は暗黒そのもので、悪を制御する光が足りない以上、止むを得なかったのである。右のごとくこれまでの世界は悪でも目的を達せられ、相当期間持続されたので、これを見た人間は悪で成功する方が早道と錯覚してしまうと共に、その追随者も出来るという訳で、滔々(とうとう)として一般が悪に感染し、処世の常識とさえなってしまったのである。
前項に述べたごとく、戦争の原因は人間に内在する悪そのものであって、この悪なるものの本質は何であるかというと、さきにもかいたごとく動物霊の意欲の表われであって、その行為が動物的であるに見ても明らかである。動物とはもちろん獣類が主で、次が鳥類、まれには虫類もあり、魚族もあるが、いずれも人間の体欲をつかさどる必要から、神がそのように人間を造られたもので、いわゆる必要悪である。ところがこの動物霊は霊線によって、邪神界の頭目に連繋しているので、その頭目の思うまま自由自在に操られているのである。そうして邪神界にも階級があって、人間個々の霊的階級に相応し憑依するので、上級から下級に至るまで差別があり、これも正神界のそれと同様の組織になっている。『栄光』138号、昭和27(1952)年1月9日発行 この論文は文明の創造の中の一節である

これは歴史をみれば判るごとく、悪によって一時は成功したように見えても、いずれは必ず失敗するが、それに大部分は無頓着であったのである。従って歴史とは悪による成功と、悪による失敗との交互連続の記録でしかないと言えよう。右のように夜の時代は悪の力が強いため、その犠牲となった善者も少なくなかった。特にそれが宗教家に多く、最大な犠牲者としては、彼のキリストであった。私といえどももしその時代に生まれたとしたら、いかなる苦難に会ったかも分からないが、いつも言う通り今や夜が終り、黎明期に一歩入った現在であるから軽く済み、予定通りの進展を遂げつつあるのである。

ところでここに注意すべきは、邪神の計画や行動といっても、戦争や暴力のみではない。あらゆる分野にわたって、いとも綿密にして遠大なる計画の下に進んで来た事である。その中で最も成功したものとしては唯物科学であって、この唯物科学こそ、彼らの最大なる武器であって、これによって全人類に素晴しい恩恵を与えたと共にこれを利用して信頼させ、最後には絶対権を握ろうとするのが彼の計画であって、その狙いは何と言っても、人間の生命を左右する事である。その意味から進歩させたものが現代医学である以上、徹頭徹尾物質的方法によって、病気を治そうとし、外面的には、いかにも治りそうに見えるが、内実は決してそうでないにかかわらず、彼らの智能はすこぶる巧妙にあらゆる手段を尽して努力しているのである。もちろん、方法としては機械、光線、新薬、手術等であり、また病理も微に入り細にわたって理論付けているが、この真相を看破し得た者は今までに一人もなかったのである。この意味によって、例えば病気に罹りその病原を質問しても御座なり的で、適確な説明は出来ないで、曖昧きわまる答弁をしている。また病気に対してその見込を訊いてもだろう的で、断定は出来ない。よしんば断定しても、十中八、九は齟齬(そご)するので、これは医家も常に経験するところであろう。

次は食糧問題であるが、これも医学と同様ほとんど科学的論拠によって作られた、彼の化学肥料である。これも最初は一時的効果を見せられたので、人間は瞞されてしまい、今日のごとく各民族に行き渡ったのであろうが、これは別の項目で詳説する。

次は戦争であるが、これもさきに述べたごとくその時代の手腕ある野心家が、多くの人命を犠牲にして、覇者たらんと企てたものであるが、これらも一時的成功の夢をかち得るに過ぎず、最後は必ず失敗し、歴史上の語り草に残るのみである。

以上大体悪についての検討をしてみたが、これによってみても、神は唯物文化の清算をされ給う時期が来た事は明白であって、邪神の目的通りにならんとするその一歩手前に来た現在、神は私を通じて真相を明らかにさせ給うのである。これを深く考えればその深遠微妙なる大神策は、実に端倪(たんげい)すべからざるものがある。ここで別の意味からみれば、神の力は十全であり、邪神の力は九分九厘であるから、神の方が一厘勝っており、この一厘の力をもって掌を反すので、この力こそ如意宝珠であるから、私が常にいうごとく、現代文化は九分九厘までで切替えとなり、その時がキリストの言われた世の終わりであるという訳である。従って、この時こそ霊界においては仰天動地の一大異変が起こるのは必然で、この事を信じる人にして、永遠なる幸福者となるのである。

そうして、かの計画の唯一のものが現代科学であるから、医学の革命も当然起こるであろう。それに代るべきものとしては、本教の浄霊法である。というのは、幾人もの博士が手古摺(てこず)って、死に垂(なんな)んとした病人が医学のイの字も知らない普通人が、数日の修行によって治し得る力を与えられるにみても多くを言う必要はあるまい。従ってこの力をもってすれば、何十世紀も掛かって積み重ねた現代文化の誤れる点を解消するのも、あえて難事ではないであろう。

ここに至って、夜の帳(とばり)は切って落され、赫々(かくかく)たる太陽が現れるので、その黎明期こそ今である。キリストの言われた信ずるものは幸いなりとしたら、信ぜざる者は、滅亡の運命となるより致し方ないであろう。(本文に戻る