メシヤ講座・特選集no.175(平成27年8月分)

<御教え>
『文明の創造』天国篇
天国篇

(文創  昭和二十七年)

本文は『文明の創造』358ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。また、研鑚資料『文明の創造(三)』では92ページです。)

なお、『天国篇』は平成27年9月に拝読し学び合う御論文です。同8月に学び合った『経と緯』については、HPアップしている各支部の内容を併せて参照していただければ幸いです。


≪解説≫
『文明の創造』拝読によりメシヤ様が奇蹟を与え給うた理由判明浄霊観が引き上げられる

メシヤ教代表 楳木和麿

8月の各支部、各出張所月次祭では、サイト八尾屋の紹介もあり数々の自然栽培野菜やお菓子を試食させていただきました。札幌支部の信者さんで長年自家採種にて自然栽培に取り組んでいる農家のズッキーニ、正和出張所の信者さんが正式に認可を受けた上で販売を開始した自然栽培生産物使用の無添加スイーツ、未だ販売までは考えていないが同様に無添加で製造を心掛けている各支部信者さんによるチーズケーキ、ショコラ、クッキー、あんパン等々。そして、自然栽培のスイカを初めとして各種野菜、それを使用した料理、自家製蜂蜜、ヤマモモの濃縮ジュース、梅ジュース・・・。そのどれもが感謝なしでは口にすることが出来ませんでした。

と言うのも、戦後日本は復興を果たし繁栄を旗印に努力を重ねてきましたが、多くの化学物質の使用を重ねた面もありました。取り分け食品には、健康を憂慮せざるを得ないような製造過程も用いられました。メシヤ様が戦前から警告を発した内容ではありますが、メシヤ教の信者さん方は御教えの実践を心掛け各地で改善運動に努めております。その誠がひしひしと伝わってくるからに外なりません。

「戦後70年の安倍首相談話」への感懐

さて、8月は日本としては戦没者を慰霊する行事が執り行われると共に様々な記念式典が執り行われました。一つひとつのどれも重要な催しではありますが、広島原爆投下の日に行われる「平和記念式典」では、新たな決意を胸に認(したた)めました。

メシヤ様は、戦争犠牲者は国家のために命を落としたのだから、たとえ霊体が粉々になったとしても復元が許される、と教えられておりますが、更に救霊が許され霊籍の向上が許されるようにお祈り申し上げました。不戦の決意としては、薬毒による精神病が戦争の原因である、とする御教えに基づいて、メシヤ様の御言葉『世界に知らせよ薬禍薬害』の宣布に一層身を捧げることをお誓い申し上げました。

また、この夏注目され続けたのは、「戦後70年の安倍首相談話」の内容でした。これに対して、劇作家の山崎正和氏は8月18日付読売新聞で「1995年の村山首相談話などと比べて、より歴史の流れに目を向けている。日本の侵略や植民地支配を歴史的背景の中に位置づけており、努力の跡が見える。」と評しています。私も同様の感懐を持ちました。

しかし、「満州事変以後の日本の行動は犯罪だった。関東軍は天皇の統帥権も無視しており、国内法から見ても弁解の余地のない誤りだ。」と指摘しています。

そして、今後の世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という談話内容に対して、「ドイツは、ナチスとその他のドイツ人を徹底して区別し、自らナチスの残党狩りをすることで、無罪を獲得した。これに対し、日本は、戦争犯罪者と一般国民が非常になだらかな濃淡の差でつながっており、全国民で罪を分け持たねばならなかった。」と解説している。考えさせられる事実です。

戦争に対してもそうでしたが、戦後処理も神道が利用され続けましたし、どのような人間でも他界すれば仏様だ、とする考え方が氏解説の「なだらかな濃淡の差」を生んでしまいました。勿論戦争へ国民を駆り立てるために神道は利用されました。

映画「日本のいちばん長い日」における真実

この点考えさせられることが、もう一つ話題になった映画「日本のいちばん長い日」に見ることができるのではないかと思われます。原作者の半藤一利氏は、1965年大宅壮一編として発表したものに追加取材して改訂し「日本のいちばん長い日 決定版」(95年、文藝春秋)を発表しましたが、その映画化でした。

半藤氏は8月14日付読売新聞で

「『宮城(きゅうじょう)事件』と呼ばれる14日深夜から15日未明の出来事は、当時、玉音放送の録音盤の奪取未遂事件として知られていました。当事者たちは、『あれはクーデターではない。天皇の放送を阻止し、もう一度御前会議をやってもらう計画だった』と言っていた。

ところが調べていくと、実はクーデターでした。皇居を占拠し、鈴木貫太郎首相以下を監禁して内閣をひっくり返し、軍事政権を立てて徹底抗戦する計画だった。うまくいかず、それなら録音盤を奪おうと方針が変わったんです。」

と、追加取材の内容を述べています。そして

「敗戦の原因は、日本人固有の精神構造にあると思います。情報を直視せず、自分に都合のいい結論のままどんどん行った。ミッドウェー海戦では、敵機動部隊は出てこないと決めつけ、ガダルカナル島の戦いでも、敵はすぐに引くと根拠もなく信じた。兵站(へいたん)が限界を超えても出て行った。

陸海軍合わせ240万人の戦死者のうち、7割が餓死か栄養失調か、それに伴う病死でした。そんな無残な死に方をする戦争なんてありえません。国全体が集団催眠にかかり、勢いで突き進んだ結果でした。」

とまとめていました。因みに、新潮新人賞の「指の骨」(高橋弘希著)でも、南方の戦争では戦闘行為による死の描写がほとんどなく、餓死や事故などで亡くなった悲惨さが描かれている旨同紙面に記載されていましたが、戦争犯罪を日本人として考え続けなければならない、と痛感させられます。これが、冒頭の奇蹟的な繁栄を享受してきた戦後日本と大いに重なるところでもあり、日本人の選択は改められぬままの歩みとして注視しなければならない内容です。

首相談話では厳密な分析を行った上での戦争の反省と、世界の国々が同じ過ち(情報統制や言論弾圧が出た時が危うい)を辿って欲しくない趣旨を訴えて、近隣諸国に啓蒙を与えるように希望するところです。それは、メシヤ様が罪人とその末路を解説し、霊界での厳格なる審判を御垂示しているからです。決して、“死んだら皆仏様”という甘い認識ではないことを鑑み、恒久平和を希求する取り組みを重ねなければなりません。それがメシヤ様を教祖と仰ぐ教団の務めでもあります。

問題の根本を見つめる

こうした責務を熟考すると共に、半藤氏指摘の「集団催眠」については『宗教改革』を掲げたメシヤ様の弟子が本来の役割を果しきれないばかりか、逆に墓穴を掘っている現状に陥っている教団すら存在するのは憂慮すべきことです。こうした事態に関連して、再びアマゾンで考えさせられるレビューを見つけました。今回は『天国の福音書』続篇(一)神観・補「祈りの栞」に関するものです。以下に添付します。

祈りと作法の本来の意味が明確になる

投稿者 叡智叡太郎 投稿日 2015/8/11

世界救世教岡田茂吉教祖がお作りになられた善言讃詞が収められている。

現在、岡田茂吉教祖をメシヤ様と仰ぐ約30の分派教団は、教祖御昇天後に改訂された善言讃詞で、祭典を行っている。(各教団の詳しい事情を知らない故、教祖原作の善言讃詞を復活して祭典を行われている教団があればこのレビューはお読みにならなくて結構である。)

そもそも何故善言讃詞が改訂されたのか?

善言讃詞改訂の経緯を解き明かす事で、今日の現役専従者の御神業へ真向かう姿勢の勘違いの原因の一つが善言讃詞改訂に端を発しているとも言えなくはないと考えられるからである。それにとどまらずこの専従者の勘違いが「被害者」という名の信者を次々と生み出しているのである。(ここではあえて「勘違い」という表現を使わせていただく。何故なら今日の現役若手専従者は上から言われた事は何でも「はい。」と素直に従う。良く言えば、真面目で純粋。小生が文明の創造レビューで書いた内容と重複するが、4の悪をそのまま実践している若手専従者が全部とは言わないが如何に多いことか。)

ここで、4の悪について再度触れてみるが…

メシヤ様の御教えでは、

『悪を善と信じて行ふ以上正々堂々として而も熱烈であるから、其害毒も大きい訳である。…』文明の創造 「天国建設の順序と悪の追放」

こう書くと「其れはひどすぎるのではないか。」との声が真面目かつ純粋な若手専従者諸君から聞こえて来そうだが、これから書く善言讃詞改訂の経緯、礼拝への姿勢等についての真相をお知りになれば専従者ご自身が4の悪の実行者であることに自ずから気づかざるを得ないであろう。しかし真相を知らない以上、心からの悪では無い故、小生は現役専従者をお気の毒に思いはしても責める気は毛頭ない。寧ろ彼等も被害者であり、心から同情している事を付け加えておく。そして、彼ら若手専従者が教団の言いなりから自立し、自ら考え、行動するようになれば崩壊間近の世界救世教にもまだ希望があると信じている。

では、これから善言讃詞改訂の経緯について手元の資料と関係者からの聞き取りを元に述べたい。

まず、手元の資料によると…

昭和22年に観音教団が発足し、その翌年の何月かはっきり覚えていないが、明主様(メシヤ様)は、善言讃詞の一ヶ所に字句を加えられた。

「光明如来と現じ、応身弥勒と化し、救世主(メシヤ)とならせ …」

この「救世主(メシヤ)とならせ」の文句を追加されたのである。

観音教発会に合わせて、祝詞教本(現在の「祈りの栞」)を多数印刷していたが、この字句の追加で印刷したこの教本が没になった。

現役専従者諸君で、この事実を知っている方はどれくらいいらっしゃるか?

教祖メシヤ様の御昇天後の教団の様子について手記を読み進めていくと…

教祖メシヤ様御昇天後、二代様が就任されると、様々な面がかえられてしまった。まず御神体が変わり、祭典様式も多く変化していった。その変わった一つに従来大神様に奏上していた善言讃詞が中止され、霊壇、仏壇の専用祝詞と変わっていったのである。そして、大神様には、「神言」を奏上するようになった。(中略)

上記がいわゆる「二代様の宗教政策」である。これの間違いは『善言讃詞』を霊壇、仏壇用専用祝詞に変えてしまったことにある。

再び 手記に戻ると…

二代様の御昇天後しばらくして、明主様(メシヤ様)時代の様式に少しずつ旧に復してゆくような雰囲気になっていった。その内から善言讃詞の復活の希望の声が、専従者並びに信徒から多く寄せられた。そこで復活すべきか否か役員会の議題になった。役員会の結果は復活する方向になったが、「善言讃詞には仏の用語が多く、このままで復活するのはどうか」という意見も述べられ結論を得なかったのである。

上記の意見、この意見そのものがおかしいということがご理解出来るであろうか?

そもそも、教祖メシヤ様は善言讃詞を仏教の観音教を元にお創りになられたのである。その目的は「神仏混合」である。仏の用語が多いから改訂するという事は、教祖メシヤ様がお創りになられた「神仏混合」という当初の目的とは違っているのである。

メシヤ様御昇天後、このような意見を述べる専従者に誰もが違和感を感じなかったのか?この意見そのものが教祖メシヤ様の御神格を正しく理解できていない証である。

二代様が帰幽されたのが昭和37年。その後一元化問題勃発が昭和45年である事を考えた時、善言讃詞改訂を境にして教団は大きな問題を次々と起こしているのがわかる。そして世界救世教はその後衰退の一途を辿って行った事実からこの改訂は教団史上の汚点であると言える。

再び手記に戻ると…

現在信徒の方々がご神前で奏上されている善言讃詞は、原作と違う箇所が7ヶ所もある。ではどうして明主様(メシヤ様)の創られた善言讃詞がどの様な理由と経過で改訂されたか、そのことが不明のまま今日に至っている。

特に明主様(メシヤ様)の創られた祝詞の内容の変更ということは本教にとって大変なことである。またどのような宗教団体でも教祖の創った根本祝詞を変更することなどない。もしその様な場合は教主が神示を受けるとか、全信徒のすべてが納得のゆくような理由が必要であり、この様な根本教典の扱いは教主の専管事項である筈である。

残念ながらこの変更の時の事情は違うのである…(以下省略)

世界救世教はここまで信徒が激減した理由の一つとして小生は、善言讃詞改訂を始めとする専従者の言霊への認識の甘さが原因ではなかろうかと考えるのである。

教祖は言霊の重要性について繰り返し御教え下さっている。

特に善言讃詞の言霊については、

『善言讃詞を奏上するや、その周囲の霊界は大いに浄まるのである。…』(昭和25年)

教祖がお創りになられた善言讃詞でなければ、大いに浄まる事は絶対に無いのである。ましてや、凡人が寄り集まって改訂した祝詞など以ての外である。

昨年12月23日にメシヤ教によって出版されたこの「祈りの栞」には、善言讃詞の他、天津祝詞、神言、が収められている。

其々の礼拝(朝拝、夕拝、日常の参拝、祭典、祈願参拝、節分祭、大黒様、氏神様、慰霊祭)に応じての御神名、お祈りをさせて頂く際の【想念】【作法】についての解説もある。

ここで、実際の礼拝に際して幾つか整理、確認しておく。

まず、『善言讃詞奏上』『御神名奉誦』と言うが、この「奏上」と「奉誦」其々の意味を理解しておかねばならない。

「奏上」の意味は辞書で調べると、天子・国王などに申し上げること。とある。

それゆえ、祝詞の一字一句に心を込め祈りの栞を見て先達者のみでお上げする。

先達者のみが奏上するのは、大人数で祝詞奏上すると、大ホールなどの場合、先達者と参拝者最後部で声がズレて何重奏にもなり、神様へお上げする祝詞としては失礼であるという理由からである。

「奉誦」の意味であるが、「誦」という字の意味は、書物を見ないで読む、そらんずる、となっている。

ゆえに「御神名」は参拝者全員で奉誦させて頂く。

そしてこの「御神名」の奉誦が重要である事を認識していただきたい。

この地球上の多くの人々は、「救世主」「メシヤ様」とは具体的にどのようなお方なのかをご存じ無いのである。

しかし我々は有難い事に、「メシヤ様」とはどのようなお方であるかを存じ上げているだけでなく「浄霊」によって直につながり、日々多くの御守護をいただいているのである。この事がどれほど尊い事かを考えた時、「御神名奉誦」が重要であり且つ、祈りの全てなのであることを認識しておかねばならない。言い換えれば、「御神名奉誦」が祈りの全てと言っても過言ではないのである。

ここで再び、 現在幾つかの教団で行われている大きな勘違いについて触れねばならない。

それは祭典時の礼拝の順序である。

祝詞奏上に続いて、御神名奉誦→個人的な祈願→「惟神霊幸倍坐せ」の順序で参拝されていると思うが、この礼拝は順序を間違えている。

これについて巻末の【作法】の解説から抜粋すると…

本来は御神名奉誦の後に個人の祈願としての最高の祈りの言葉である「惟神霊幸倍坐せ」を奉誦、その後頭を下げたまま個人的な祈願を念じ奉ります。と解説されている。

人間によって改訂された善言讃詞を、それも礼拝の順序をも逆にしていては、たとえ全身全霊でお唱えしたところで、その言霊はメシヤ様の御元へは届かず、悲しいかな、この世は地上天国にならず地上地獄になっているのは、何よりも現在の信徒の状態を見れば一目瞭然である。

その他にもこの度出版された「祈りの栞」には注目すべき点がある。

メシヤ教では、祝詞奏上する時、御文字の部分を指に触れないように工夫して装丁されている。

それは、大和民族の宗家である神様がお創りになられた「天津祝詞」、メシヤ様がお創りになられた「善言讃詞」を奏上させて頂くということは、日々それにふさわしい自分自身にならせて頂く事をお誓い申し上げ、神様へ真向かう上で最大の礼を尽くすという意味で当然たる事なのである。

現在長引く浄化で苦しんでおられる多数の信徒の方々へ、問題解決の第一歩として先ず、この「祈りの栞」で日々の朝夕拝を改められる事から提案したい。

内容としては、☆5つのところではあるが、巻末の写真が少しぼやけているのと、写真に加えて【作法】の動画、実際のメシヤ教での祭典の動画等があれば、そしてそれをYouTube等ネット上で公開していただく事で、今後国内外を問わず多くの方々が正式の礼拝作法を身に着けられると思う。是非とも動画の作成と公開を願うところである。

正に、「恒久平和の地上天国建設」を目指していることが謳い文句だけに終始して、世の中の推移に対する分析もなければ、改革心も喪失している現状を言い当てています。

浄霊は『霊の行使』ということから受け止められること

こうした現状があるが故に、8月の終わりに執り行われた出雲支部の月次祭では、言葉を荒げてお取り次ぎをする場面もありました。最後に掲載しますので、ご参照ください。

メシヤ様から『力の行使』を許されて頂く為に!

しかしながら355頁次の頁の1行目にいきますと

『右の如く、今日迄の世界は、東洋文化の精神的に偏した思想と、西洋文化の物質的に偏した思想とであったが為、どちらも極端に偏する以上、一切が巧うまくゆかなかったのである。従って人類の苦悩は何時いつになっても解決出来ず、世界の混乱は停止する処を知らない有様である。』

ということなので、どうしても偏った文化の為にですね、この世の中の問題は何時迄経っても解決しないし、恒久平和の理想世界も実現しなかったのだ、というふうに、メシヤ様は分析されております。ですから

『斯こうみてくるとどうしても経緯たてよこ両方が結ばれなければ、完全な文化は生まれない筈はずである。としたら此経緯このたてよこの結ばる時こそ問題であるが、驚くべしそれが今日であり、その力の行使こそ本教の使命であって、』

と書かれております。私達がどうしても陥ってしまうのはですね・・・。『浄霊』をいただくと楽になっていく、あるいは奇蹟をいただく、健康になっていく、精神的に非常に明るくなっていきますので、この浄霊は大変有り難いのですけれども、問題はこの『東洋、西洋を結ぶ』ですね、『経緯たてよこ結ぶ』為に『力の行使』を許しているのだ、ということです。

『其その力の行使こそ本教の使命であって』

という所が、浄霊をしていく上において高まっていかないといけないところが、ここにある訳ですね。

先月学んだ所ではですね、無神思想の為に悪が生まれてくるので、それを浄霊によって神様の実在を認識させて、そして悪を無くしていくという事が先月学んだところです。今月はですね東西を結んでいく、経緯たてよこを結んでいく為にこの浄霊はあるということでありますので、「浄霊観」が高まっていかないと当然ですね、ここに『力の行使』というふうに書かれておりますので、この浄霊観が高まっていかないと何時まで経っても、初心者的な浄霊をしていくと、『力の行使』はなくなってくるということです。

ここのところを見極めておかないと、浄霊の力をズーッといただき続けるかどうかという分け目が・・・ここに東西文化を結ぶという所まで高めていかないと、浄霊の力をズーッと続いていくということには繫がっていかないということで、キリスト教についてのところではですね、浄霊観を非常に高めていかないといけないということを、メシヤ様は強く求めていらっしゃるということが、よく分かると思います。昔の人は、メシヤ教のバッチを着けておりましたので、『バッチもそういう意味があるのだ』ということです。そのバッチを変えたりしてるところもあるので、この思想がどうしてもですね、理解できてないところがある訳ですね。

「応変自在」「千変万化」「自由無碍」

そして、

『次に私は前から言ってゐる事だが、観音力の働きもそれであって、即ち径たてにも非ず、緯よこにも非ず、といって経たてでもあり、緯よこでもあり、何いずれにも偏らない応変自在であるから、千変万化、自由無碍むげといふのも此この意味である。此この理によって人間の心のあり方もそうなくてはならない。』

と書かれておりますので、例えばですね“○○さん、今度こういうことがあるのでお願いします”とか言ったら「いやぁ、私はそんなこと出来ませんよ」と、言った場合には「浄霊」をいただいている価値がないということなのです。

「応変自在」なんです。「応変自在」になる為に、浄霊をいただいているということです。それから「千変万化」・・・どのようなことに対しても、問題解決に取り組んでいく為に浄霊をいただいているということであるし、心がですね、何時も「自由無碍むげ」にある為に、浄霊をいただいているということ。ですから、体は元気になったけれども「応変自在」「千変万化」「自由無碍」という精神状態、あるいは体の動かし方にならないということは、浄霊のいただき方が低いレベルでいるということになってゆきます。メシヤ様がここで強く私達に求めているのは、『そういうことが出来る為に、この「力の行使」を許してるのだ』と神様は・・・。ですから自分がですね応変自在ではないなと思ったら、日々自己浄霊をする時にですね、応変自在になるように、魂に浄霊をいただかないと・・・この奥に(眉間の辺りを指される)魂がありますので、どの様なことにも対応出来るように自己浄霊をする時には、そこに光をいただいて、『夜の時代』の癖を抜いてですね、どの様なことにも対応出来る、そういう人間にならしていただく為に浄霊があるのだ、というふうに思って、しっかり浄霊をいただいてくだされば有難いというふうに思います。

そしてですね、今、世の中はですね・・・、例えばバラエティ番組ばっかり見ておりますと、例えば「私はこういう人間だから」とか、「私はこういう人だから」というような表現が非常に多いですので、どなたもですね応変自在、「心」が自由無碍むげにあるという事を目指してないということに繋がります。それが個性だというふうに思い込んでしまって、日本人がそういう風潮に流されて行っているところがあります。しかし、メシヤ様の願いは『それでは地上天国が出来ないので、どの様なことにも対応できるような人間になっていきなさい』ということで、この浄霊力を我々に授けてくださっておりますので、そろそろですね、そういう境地に皆さん方が上がっていただく、そういう時期を迎えているというふうに思いますので、本日のところは、そういうところをしっかり受け止めておいていただきたいと思います。

物事を進めようとして行く時に絶えず見ておくこと!

そして更にですね、6行目から読んでいきますと

『右の如く経たては高いが小さく、緯よこは低いが大きいのが真理である。従って私は此この方針で進んでゐるので、例へば箱根と熱海がそうである。箱根の聖地は高くて小さいが、熱海のそれは低くて大きいのである。又経たては霊であるから箱根を先に造り、熱海は体であるから後に造るので、之が霊主体従の順序であるからで、此この通りにすると実に順調に巧うまくゆくが、少しでも之を狂はせると、必ず故障が起るのは殆ほとんど絶対的といってもいい。』

というふうに書かれておりますので、何かをやろうとした時に巧うまくいかない時には、この順序が狂っているということです。『霊主体従』の順序が、少しでも狂っていると巧うまくゆかないということになって来ます。しかし、その通りの順序で進めると巧うまくゆくのですよ、と。ですから、何か進めようとした時に故障が起きた時には、必ず霊主体従の順序になってないと、これは『殆ほとんど絶対的』とメシヤ様が仰っておりますので、物事を進めようとして行く時には、この『霊主体従』の順序であるかということを絶えず見ておかなければいけないという、そういうことをメシヤ様は教えていただいている、ということであるかと思います。

許されている大きな学び!

そしてですね、最後に

『実に神様の御経綸こそ、一糸紊みだれず洵まことに整然たるものである。』

というふうに書かれております。先月お話ししましたですね、この地上の地固めが出来上がったので、恐竜を絶滅させた、と。恐竜を絶滅させた時にですね、直径10キロから11キロの大きい隕石がメキシコのユカタン半島にぶつかって、それで硫酸を巻き上げてですね、酸性雨を降らせて、海のプランクトンが死滅することで食物連鎖が狂ってしまった、と。そして、大きい生き物から66%が死滅した、と。そして、これは「メキシコのユカタン半島にぶつからなければ、そういう事が起り得なかった可能性がある」という事からですね、地球がずーっと出来てくる過程に於いて、今の大体世界地図のようになる時に、メキシコのユカタン半島に、硫酸になる土壌に含まれる物をあそこに凝縮させたということです。ここまでは先月お話ししたのですけれども、そこにですね隕石がぶつかるという時に、この隕石はどこから飛んで来たかというこを、先ず考えないといけないと思うのですね。(中略)

代表先生:大体隕石どの辺りから飛んで来たというふうに想像出来る?

隕石だから太陽からではない・・・石の塊とか岩の塊なので、そうするとハレー彗星の軌道は、何年毎にこう来るとかいうのは聞いたことある?テレビから・・・。

参加者:60だとか、あんな数字が来る筈なんで・・・。

代表先生:そうそう76年位に一度・・・、エンケ彗星が最も短く3.3年に一度来る。

参加者:何年かは軌道が変わってやってくるとかいう、

代表先生:それは2千年とか何百年という周期で軌道を回ってくるっていうような・・・。

参加者:あ、閏年かあの分だったかな、何かテレビでやっていました。

代表先生:楕円形で回っているので、だから太陽が一つの中心と、もう一つの所に中心があるから、その楕円上に回って来るということなので、恐竜を丁度絶滅させる時に、遥か彼方から隕石を主神様が、投げている訳。そうしないとぶつかって来ないので・・・例えば千年前に投げたのが、その隕石が凄いスピードで飛んで来て、地球が回っていて・・・地球の自転の速度は知っていますか?我々ここに今座っているのですけれど、凄い勢いで回っているのですよね。赤道上は4万キロあるのですよ、長さは・・・それを24時間で回っているので、24で割ると時速1700キロ位で今地球は回っている、時速1700キロというと、ここからですね九州迄往復しても、やっと900キロ位しかならないので、それより遥か1時間でそこ迄シュッと行っているということです。だから秒速約400mで地球は回っているのですよね。その回っているメキシコにぶつけないといけないので、これ数学的に研究すると物凄く緻密な計算なので・・・、それから地球の傾きの角度は、U田さん知っている・・・?

参加者:・・・。

代表先生:約23.4度位、23.4度位傾いてこう回っているのですよね。だから四季折々がある訳なのですけれども、こういうふうに回って時速1700キロで回っている地球の、メキシコのユカタン半島に当たるように、千年前に主神様が投げたとして・・・。それがですね、『神様の御経綸こそ、一糸紊みだれず洵まことに整然たるものである。』というこの一文を実証する内容だということです。先月もお話しましたが、昨年のですね3月10日に発表した論文が、千葉工業大学のですね、研究チームが「メキシコのユカタン半島にぶつからなければ、恐竜は絶滅しなかった可能性がある」という論文を発表したのですが、その論文があってこそ、この「一糸紊みだれず洵まことに整然たるものである。」というメシヤ様の御言葉が、現実に具体的に理解出来るということです。これだけ読んだ場合は、“ははぁ、そういうものか”というしか読めないのですけれども、しかし「恐竜を絶滅」させる為に、メキシコのユカタン半島に6500万年前に、直径10キロから11キロの隕石をぶつけるという、このことによって恐竜を絶滅させるという計画の基に、遥か彼方から隕石を飛ばしている訳ですので、これが「一糸紊みだれず洵まことに整然たるものである。」という御言葉のですね、裏付けということになります。

それから今、千葉工業大学というのが出たんだけど、千葉県の市原市に学者がいっぱい集まったのを今月の最初にニュースで流れていたのを見てない?

参加者:何かあったのは憶えてる。

代表先生:ゴールデンスパイクを打ち込むという・・・。

参加者:ゴールデンスパイク?

代表先生:これは北極と南極が入れ替わった年が・・・、今から77万7千年前に、北極と南極が入れ替わって今の北極、南極になったのですね。その地層が残っているのが日本では千葉県の市原市。極が入れ替わったそこの断層が残っていて、世界では千葉の市原市とイタリアの2箇所が候補となっており、これから1年間かけてその3箇所で、何処が一番地層に相応しいかということを決定すると、ゴールデンスパイクが打ち込まれる、というものです。来年の8月にですね千葉の方が良いといったら「千葉時代」というのが年表の中に入るのです。

参加者:あ、ニュースでやってました。

代表先生:ニュースでやっていたでしょう。「カラブリアン」「ジェラシアン」や、そういうのが並んでいる中に「千葉時代」が入るかどうかというところは、今空白に・・・年表に名前が付いてない、そこに千葉が認められると「千葉時代」と、この初めて日本語の時代が入ってくる。全部横文字だったのですけれど、そういうこと迄ですね振返ってみると、その地層が入れ替わった7万年後に、ネアンデルタール人が出現しているのですね。ネアンデルタール人は、3万年前に絶滅している。

ネアンデルタール人はDNAをこう調べて行くと、狩りは非常に上手だったらしいのですね、集団で狩りをするのが・・・しかし、言葉を十分持っていなかったので、狩りの技術を伝承することが出来なかったらしいのです。そこへ行くとホモ・サピエンス、我々の先祖ですね、ホモ・サピエンスの方は言葉を多く習得して来たので、技術的なことを子供に伝承して行ったので、技術が非常に伸びて行ったらしいのです。しかし、ネアンデルタール人は言葉を充分取得出来なかったので、非常に狩りが上手だったのだけれども、それは一代限りで終わってしまうような技術だったらしくて、発展性が無かったらしい。そこで主神様が、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人を比べた時にホモ・サピエンスをこの世に残して、ネアンデルタール人は絶滅させようということで、3万年前に絶滅している訳ですね。

ですから、先月拝読をしたですね、352頁のですね後ろから4行目

『之を一言にしていへば、進化の道程として動物と同様の人類が進化し、半人半獣であった人間が、即ち外表は人間、内容は獣であった。其その獣性を除去して全人間にするのが今や来たらんとする神意の発動であって、それに服従出来ない者が、自然淘汰とうたによって滅亡の運命となるのである。』

ということですから、優秀なネアンデルタール人も3万年前に絶滅しておりますので、ここで主神様が『改心しない者は自然淘汰とうたする』と、滅亡の運命になるというふうに書かれている以上、その様になっていきますので、そのことを知らせる為に、実は「浄霊」があるのだということです。

この浄霊をですね、これは本当に他教団の悪口を言うことになって非常に心苦しいのですけれども、“施術に戻しては絶対駄目だ”ということなのです。浄霊が更に進化して行ってですね、悪を滅して行く、改心して行くような浄霊に高めて行かない限りですね、我々のいただいている使命は、達成出来ないということです。

そして、しかも本日拝読したですね、東西を結ぶ、経緯たてよこを結んで行く、その行使として与えられているのが浄霊である訳ですので、そういうところまで自分の心を高めて浄霊をしていかなければ、この神様から許されている『霊の行使』ということは、許されなくなって行くということなのです。だから浄霊の奇蹟が出続けるか、途中で出なくなるかの境目は、こうしたことに気付かないといけないということです。

それを分かっていただく為に、この『文明の創造』の表紙には《『主神(エホバ)』様直接の御啓示》と書かれております。この主神様ということの認識と主神様直接の御啓示ということが分かっていかない限り、この浄霊力の認識というのは高まっていきませんので、そうした意味ではですね、この『文明の創造』を皆さんと共に、ずーっと勉強させていただいて本当に良かったなと思います。

来月から『天国篇』に・・・いよいよ総仕上げに入って行きますので、大きな学びを許されて来てですね良かったなぁ、と・・・そういうことを確認させていただいてですね、何時ものように質疑応答に入らせていただきたい、というふうに思いますので、よろしくお願いしたいと思います。(以下省略)