メシヤ講座・特選集no.152(平成25年9月分)

 <御教え>
『文明の創造』科学篇
下半身の病気と痔疾

(文創  昭和二十七年)

 本文は『文明の創造』197ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。

また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では44ページです。)なお、『下半身の病気と痔疾』は10月に拝読し学び合う御論文です。解説は、各支部月次祭及び各会場で9月に学んだ『口中の病など』に基づくものです。

≪解説≫
『文明の創造』拝読により『主神様』への参拝し奉る姿勢が更に明確となる

メシヤ教代表 楳木和麿

御神体御奉斎と開拓布教

群馬・千和貴出張所で月次祭を執り行わせていただいた際に、体調がこれまでの当行事より格段に良いことを体感し、“これは御神体御奉斎と共に出張所発会が許されたからだ”と即座に感謝申し上げました。それまでメシヤ様御描画の「座御観音」様(御直筆・額表装)に御挨拶して「メシヤ講座」を執り行っていましたが、その間と比べて格段に体調が良くなっているのです。そのことを『文明の創造』の学びの後に述べると、驚くべき反応がありました。

「私も僭越ながら、“教団代表は御神体と共にある”と痛感しました。と言うのも、御神体御奉斎を許され出張所発会と共に浄霊の御光がすごいのです。背筋に痛烈に響くが如く御光をいただくのです。」

というものでした。同出張所で信仰歴最古参の人の話に参拝者の皆さんも強く頷いていました。それだけに御神体御奉斎を許されたことに対する感謝が二重に込み上げて参りました。と同時に、この「背筋」という言葉を耳にした際に、以前にも触れたことのある高知県の先達を想い出しました。

私が世界救世(きゅうせい)教職員時代に初めて現場布教施設の責任者になった際に、当時助師という資格でしたので集団浄霊ができませんでした。そのため、祭典の折りには集団浄霊ができる資格者(その地域を開拓布教した先達)に出向していただいていたのです。

その方の話の中で印象的であったのが、御神体に係わることでした。教団施設がある街から山間部へ移動すると、御神体がまだ御奉斎されていない土地ではバスの中でも悪寒が足元から忍び寄り、背筋が冷たくなったそうです。しかも、このことは何時も必ず決まって起きるとのことでした。それが、御神体御奉斎家庭が一軒また一軒と増えてゆく中で消滅したと言うのでした。

私は、全国で「メシヤ講座」を開催させていただいておりますが、御神体を御奉斎していない土地で執り行うのは疲れが出てしまうのです。これは開拓布教をしないと判らないものがあります。先月、三重支部の報告から御神体の意義について言及しましたが、布教をする上では加えて切実で深刻なものが実はあるのです。支部、出張所をはじめとして御神体御奉斎家庭が増えていることに心から感謝申し上げます。

こうした中、四国の「メシヤ講座」会場にて御神体の申し込みがあり、次のような報告がありましたので、紹介します。

***愛媛会場より***

感謝のご報告

愛媛県 伊藤 則子

6月15日、初めてメシヤ教での「地上天国祭」に参拝させていただき、御神体と御尊影を拝させていただきました。そこで、今までにない何とも言えない大きな御存在を感じ取らせていただき、それまで漠然とした“御神体御奉斎”が憧れとなり“願わくば、我が家にも許されたい”と思うようになりました。

また、7月の愛媛での「メシヤ講座」では、仏壇の位置、位牌の位置を正しく直していただき、8月には大黒様をお願いしておりましたので、大黒様の位置も決まり、後は 『御神体』をお迎えするだけの状態に整えていただきました。そして、無事 8月に大黒様をお迎えし、それまで憧れていました御神体への思いが確信となり、10月に御奉斎のお約束をさせていただきました。

それから、 8月20日過ぎぐらいからだったでしょうか、左側の頬がズキズキ 痛みだし、おたふく風邪のように腫れだしました。凄い痛みで心臓はバクバクするし、3~4日、水分を摂るのがやっとでした。楳木先生のご指導では「学生時代の蓄膿手術で使用された薬毒が溶解を許されている」ということでした。自己浄霊をさせていただきつつ祭典時の遠隔浄霊をお願いさせていただくことにより、痛みは次第に治まりました。

そうした矢先、お世話させていただいている〇さんから、「入会を決心した」という知らせを受け、8月末に、入会の手続きをさせていただきました。(以前から他の方と入信教修を受けていました。)

彼は、元々所属していた〇明会の信者ということもあり、物事を悪い方に考えてしまう癖がありましたが、謙虚に“何とかその癖を取り除きたい”という態度がうかがえ、大変感激致しました。私自身本当に辛い浄化でしたが、“薬毒を取っていただくと共に身魂を浄めていただき、そのことを通して霊線に繋がる人が御光をいただいたのだ”と思わせていただきました。

それから 、9月3日に「メシヤ講座」が無事終わって3日ほど経ったぐらいから、また以前と同じところが痛みだしました。今度は腫れることはなかったのですが、10日ほど鈍い痛みがずっと続き、その間も寝たり起きたりしながら、自己浄霊に取り組み、また私の子供たちやお世話させていただいている方から浄霊をいただいて過ごしておりました。

そして、痛みもだいぶ和らいできた頃、大阪にいる弟から「交通事故に遭った」という知らせが飛び込んできました。停車していたところに、後ろからスピードを時速70キロ出した3トンのタンクローリーが突っ込んできたそうです。後ろはムチャクチャに潰され、弟もかなりの衝撃を受け、一瞬体が浮いたそうです。

車の状態は、死者が出てもおかしくないような大破の仕方をしていたそうですが、頸椎捻挫だけで済み、他に異常もなく、大変なところを軽く済ませていただくことができました。

私は、これらの肉体浄化を通し、その時は 痛く苦しいものでしたが、そういう時にも御浄霊させていただけ、自分が浄まることで、霊線で繋がる御縁ある人たちにも御光をいただけるということを、メシヤ様より身をもって教えていただきました。

本当に、いろいろなことを顕著に分からせていただきました。そして、10月に御神体を御奉斎させていただくことで、素晴らしい御光と御力をいただき、多くの方が メシヤ様の御恩恵を賜わるであろうことに思いを馳せながら、御奉斎までの日々を感謝で過ごしていきたいと思います。

******

痛みを伴う厳しい浄化は辛いものがありますが、浄霊をいただくことにより排毒が促進されると共に自らの魂が浄められます。そして、霊線に繋がる人々にも、その太さに応じて御光が注がれます。そのことにより、関わる人々に想像を絶する御守護を許されます。

『景仰』には、

「でも、明主様(メシヤ様)が然毒でお苦しみになるのはもったいなくて・・・」と申し上げても、『なんでもったいないのだ。浄化だよ』とおっしゃいました。(教会長)

という場面や

私が詳(くわ)しくご報告するのを、“いかにもひどい浄化だ、さぞ苦しいであろう”といったお顔で、じっと聞いて下さいました。

ご報告が終わって、さていかなるお答えをいただけるものかとお待ちしておりますと、ただ一言、強い語気で、『結構じゃないか』とおっしゃいました。(教会長)

という場面があります。

浄化の意義をメシヤ様が御自らの御体を以って示された御言葉です。私たちの真の救いは浄化を重ねることで許されますので、伊藤さんの報告は、メシヤ様の『結構じゃないか』という御言葉が響いてくるような内容でした。しかも、一歩ずつ着実な歩を進めているからこそ、許されている御守護でもあります。

伊藤さんをはじめ全国で歩を進める方々が数々の御守護をいただいています。残念ながら文章にした報告が届いていないので、皆さんへ開陳できていません。そこで、今回は、次に岡山支部で話しの遣り取りをしたことを引用致します。

内容は、御神体に真向いご参拝し奉る際の姿勢に関することです。

***岡山支部より***

《他の御神体と『主神様』の御神体の違いを理解する》

参加者:熱が1ヶ月ほど下がらない一般の人をしばらく浄霊していたんですが、その方はその後検査入院をされているんですが、病院では浄霊しないほうがいいと聞いているんですが・・・。

代表:だからそういう病院に入ってしまった人は、病院に任せておけばいいです。そして、さっきの○○さんの話のように夢に出てくるような間柄になっていかなければいけないです。

で、その為には、自分が高まっていかないといけないです。自分の霊籍が高まるように御神体をいただいているわけです。御神体から出る御光が自分を浄めていただけるように、そういう気持ちでお祈りしていかないといけないです。ただ、挨拶としてお参りするのであれば「大光明」の方がいいです。

「主神様」は挨拶とかいうよりも・・・朝の天津祝詞を奏上する時に、その時にずーっと自分の魂に光をいただいて、自分の魂を太くしていただく、霊層界を高めていただくということで祝詞を奏上していかないといけないです。

参加者:そういう意識が少し薄かったです。

代表:少しじゃないでしょ、大いに薄かったでしょ。

参加者:はい、そうです。

代表:みんな、ちょっととか言うけど、全然ごまかしているから。そういう気持ちで祝詞を奏上していかないと、祝詞の言霊(ことたま)に力が籠(こも)っていかないので・・・。

《メシヤ様からいただくものとは・・・》

参加者:時間もまだきちっと守れてないです。

代表:そういうのは、決めてやって下さい。それから、「祈りの栞に寄せて」という本があるでしょ。御神体を迎えたら、「祈りの栞に寄せて」の本は繰り返し繰り返し読んでみて下さい。神様に真向かう姿勢というのをあそこには書いています。

それからメシヤ様からいただくものは一体何かと・・・メシヤ様からいただくものは何かと言った時に、メシヤ様は何故教祖になったのかということが、一番大事なわけです。メシヤ様という御存在が、岡田茂吉という実業家としてずーっと成功してきて、その中で教祖になる理由というのが実は二つあるわけですよね。一つは婦人病以外、全ての病気を患って、その患った時にどうしてよくなったかというのと、人がどういう声を掛けてくれたかというのがあるわけです。

例えば、私と○さんが商売敵だったとするよね・・・そして○さんが具合悪くなったら、「○さん、やっぱり天罰が下ったなぁ」とかいう話をするでしょ。しかし、非常に仲が良ければ、「○さん、ちょっと働き過ぎだよね、この病気をきっかけに少し体を労(いた)わっていかんといかんよね・・・」という話になるでしょ。

言葉というのはそれだけ状況に応じて千変万化するわけですよ。その時に、具合が悪い時に、力になる言葉を掛けられたことを、教祖になる人というのは絶対に忘れない。だから、一つは言霊を、言葉というのを、人を救う言葉というのを得ていく人生をずーっと教祖になる人は歩んでいくわけですね。

だから、教祖という方、メシヤ様からいただく力というのは、一つは「人を救う言葉を身に付けさせて下さい」ということを頼まないといけないわけです。自分はそれだけの経験をしてないから、言葉というものを十分身に付けてないので、人を幸せにしていく、人を救っていく言葉を「一つでも多く授けて下さい」というお祈りをしていかないといけないわけです。

で、お祈りをした以上は、自分が言葉を身に付けていく生活をしていかないといけないので、日々言葉を練っていく訓練をしていかない限り、メシヤ様に頼んだ以上は、そういう生活をしないといけないというふうに、自分の人生を組み立て直さなければいけないです、まずね。

それから、メシヤ様はある日突然神懸かり状態になったわけですね。そして、口を突いて出る言葉は押えられないのでしゃべったところ、『紙と筆を用意せよ』ということで50万年前から将来に亘ってのあらゆることをずーっと教えられたわけです。この時から、もうメシヤ様は力を授かっているわけです、主神様からね。

ですから、我々のもう一つの祈りというのは、浄霊力を、「さらに人を救う浄霊力を授けて下さい」という事を、メシヤ様にお祈りをしていかなくてはいけないということです。日々は、絶対に言葉と浄霊力を頼んでおかないといけないです。

《人生の壁を乗り越える時、神様から力をいただくのが信仰》

参加者:中々自分としては、その言葉というのはまだまだです。

代表:だから、「まだまだです」というのは、分かるわけです、人間は。「まだまだです」と言った時には、壁にぶつかっているわけなんです。

参加者:それはもうずーっと前から・・・。

代表:人生の壁にぶつかりっぱなしなんですよ、それを越えていないわけなんです。これを超える力が神様の力なんですよ。そういう御参拝の仕方をしていかないといけないです。

人間が壁にぶつかって、それを乗り越える時には、「まだまだです」という言葉がずーっと、出続ける癖が自分についているわけなんです。それを取るために神様に力をいただくわけです。これが信仰なんですよ。信仰は・・・、何かを御守護いただくのが信仰ではなくて、自分が“まだまだだ”というのが分かっているので、その壁を乗り越えていく力を信仰は下さるわけなんです。

だから、○さんのような状況の人にこそ、御神体がいただけて良かったわけなんです。

《『主神様』の御神体に真向かう姿勢》

参加者:私、簡単にいただきましたけど、一時ちょっと考え直した時期がありました。けれども、やっぱり、こういうことまでも全然出来てないし、自分に弱いところがあるから、それをするために学びをする役目もあるでしょうし、いただかせていただいたのかなと思います。

代表:まあ、これはですね、御神体御奉斎のあり方が、世界救世(きゅうせい)教、それから○○之光教団が、皆さん方にね、きちんと教えてない最大のことなんですよ。神様のお祈りの仕方、メシヤ様に何時も頼むこと、こういうことをきちんと整理して教えて無いために、御神体をいただいてからのあり方というのがどうしてもね、おかしなことになってくるので・・・まあこの機会にですね、是非参拝のあり方というのは、そのように捉えていただきたいと思います。

それから、『主神様』という御神体をいただいたんだけれども、メシヤ様はこの『主神様』についてはですね、『表現し奉る言辞もない』というふうにおっしゃっておられるわけなんで、それぐらい尊い御神名なので・・・ですからこの御神名を唱える時には、必ず天津祝詞を奏上して自分を浄めて、浄まったからこそ、御神名を唱えさせて下さいという気持ちで、「主之大御神守り給え幸倍給え」と唱えないといけないわけです。

ですから、時間がないから祝詞を奏上しないで「主之大御神守り給え幸倍給え」とかという、挨拶の代わりみたいに唱える唱え方はとんでもないことなんです。この御神名を唱えるという事は、自分が相当浄まった上で唱えていかないと、畏れ多いほどの御神名なわけですね。

天津祝詞も、御神名を唱えるために天津祝詞を奏上するんだというくらいの気持ちで天津祝詞を奏上していただきたいと思います。そう簡単にこの御神名は、易々と唱えていただけるようなものではないわけです。

では、そんな大層なものを何故信者の家に御下付するんだという話になりますけれども、しかし、それを唱えるくらいの魂になって貰わなければ、地上天国を建設することは出来ないので、ですから各ご家庭にも、この御神体を御奉斎していただきたいという願いがあるわけですね。

で、月次祭の時とか、家庭での月次祭の時には、天津祝詞を奏上して浄まった上で善言讃詞を奏上して、天国を造る型を、霊界の型を読み上げさせていただいて、ここまで霊界が整ったので、御神名を唱えさせて下さいという気持ちで御神名を唱えていかないと、とても『主神様』には、我々のそういう思いというのは通じていかないので・・・ですから、「祈りの栞に寄せて」というのを繰り返し読んで、その言わんとするところを理解した上で、御神体御奉斎家庭としてですね、生活を送っていただきたいと思います。

参加者:仕切り直しですね。

代表:仕切り直して下さい。もう一回仕切り直して、やり直してくださいね。

参加者:ありがとうございました。

******

この内容は、翌日の大阪支部でも異口同音に語り合いましたので、併せて参照していただけると、より理解が深まるものと期待します。改めて思いますに、こうして全国で学びを深めていただいておりますことは大変心強いことです。

また、『主神様』に御参拝し奉る姿勢を整えさせていただくと、御教えの内容を更に深く受け止めることができるようになり、様々な事象の捉え方が変わって参ります。その一例として、以下のような話を三重支部で展開しました。

***三重支部より***

日本と世界の宗教について

(質問者)メシヤ様が〝『アメリカを救う』をお書きになられたのは何故か″と思っていましたが、現代ではやはりメシヤ様の御教えが広がっていかなければならないのですね。

(先生)〝本来の宗教がどういう順番で生まれてきたか″という教えというのはメシヤ様しかないわけです。

三千年前に朝鮮半島から素盞嗚尊(すさのおのみこと)が押し寄せてきたので日本の主宰者である伊都能売神皇(いづのめしんのう)様は絶対平和主義で皇位を天照天皇に譲って海外へ出られてインドへ降って仏教をお創りになられたのです。

素盞嗚尊(すさのおのみこと)は400年弱日本を治めたけれども性癖によって国が乱れたので、そのことを見てとった、中国から宮崎の高千穂峡に潜んでその情勢を見ていた神武天皇が東征して日本を治めて天皇家の始祖となったのが、2600何年という皇紀の歴史なのです。

素盞嗚尊(すさのおのみこと)は国を乱したという叱責を受けてキリスト教を作ったわけです。キリスト教はそれを挽回するために世界にキリスト教圏を広げていったのです。

キリスト教圏を広げる上で根っこにあるのは〝人類は最強の存在なので世界を征服する″という考えです。

強い存在ということだけでは人間というのは過ちを犯すということで“そういうものではない”ということからイスラム教ができてきたわけです。

ですから人間は弱い存在だとしてイスラム教を創っていったのです。

弱い存在だから〝女性は目以外を出してはいけない″としたのです。悩ましいところが男に映ると男は愚かな人間なので襲うから女性の色っぽいところは全部隠させたのです。

それから豚というのは雑食なので、人体には良くないので「豚は食べてはいけない」とする戒律が生まれてきたのです。それだけでは良くないので断食をしてお腹の中を全部空っぽにする時期を作らないと人間は生きていけないということで断食月を作るというように戒律を構成していったのがイスラムの教えなのです。

そういうように〝日本を征服したところから生まれてきている″のが世界の宗教の根っこにはあるのだということを教えてくださっているのはメシヤ様だけなのです。

ですから、それだけの世界観を持って各宗教を見つめているのは岡田茂吉教祖を教祖と仰いでいる信者さんしかそういう大きい考え方はできないのです。

しかし、残念ながら過去の教団はそこまでのことを教えていないので非常に狭い考え方の信者さんになってしまっているのです。

ですから、今回のメシヤ講座を通してメシヤ様から教えられていることを根底において一つ一つを見直していくと人間という存在の大きさとか偉大さがより一層認識できるのではないかと思います。

ぜひ年配者の方も後45年くらいはありますので、そういうことを積み上げて行ってみんなに啓蒙をして行ってください。

(質問者)霊界へ行ってからそれはできますか。

(先生)できません。生きている人間を変えない限りダメなのです。

霊界は霊界の各宗の支配者がおります。その教祖の元に集ってやっていかないといけないのです。ですから現界にいるうちに一人でも目覚めさせておかないといけないのです。

まあ、みなさんはこうしてメシヤ講座を学んでいますからメシヤ様の集団の中に入れていただけると思いますがね。

しかし、世界宗教をこのように考えることができるのは他所の教団にはないのです。

メシヤ様の教えに基づいてもう一度世界の宗教を研究していかないと、こういう考え方というのはできないわけです。

(質問者)こうして話を聞くと岸本英夫先生とその弟子たちがまとめた「世界の宗教」にまとめられた各宗の成り立ちと見事に順番があっているなあと感心させられました。

メシヤ講座・特選集にイスラムの事が出ていましたので世界の宗教のことを勉強しておかねばと思い取り寄せて読んだばかりです。

(先生)そういうふうに繋いでいかないと地上天国はつくれないからね。

こういう話がわかる人達と一緒に地上天国を建設していかないと、ただただ浄霊一筋だけでは地上天国はできないのでね。宗教観が確立されていかないといけません。

(質問者)相手の宗教のことも分かっていかないといけませんね。

(先生)ということで世界宗教の講義になりましたが、時間になりましたので終わらせていただきます。

******

【御教え イスラエル民族と日本人 昭和24年1月7日】

【問】イスラエル民族と純正日本人との関係(純日本人━天孫民族━イスラエル民族と存じますが)――

【答】いろんな説があるが、私の解釈は違ふ。イスラエル民族はユダヤで、純正日本人とは関係はない。猶太の本元は素盞嗚尊で、朝鮮民族である。素盞嗚尊が世界を放浪して、今でいふユダヤのエルサレムへ住居して、朝鮮民族とヨーロッパ人との混血児(民族)が出来た。これがイスラエルの祖先である。十二人の子を生んだが、之が十二の流れである。その中の一種族は二千年前(イエス昇天後間もなく)東の方面へ行って帰らぬ。それは支那の後漢時代(北方へ住む進歩的民族。勢力扶植せんとしたが支那は進歩的でない)日本の九州へ渡来して天孫民族となった。日本民族はコーカサス方面から来た。今のアイヌ族と、出雲朝━朝鮮民族は最初出雲へ来た。その後、越後、越中方面から信濃、茨城方面へ相当入った。それから右の天孫民族である。純正の日本民族は、弥生族で、これ等が混血しているのである。

【御教え 瓊々杵尊と日本民族】

【問】皇孫瓊々杵尊と日本民族に就て――

【答】瓊々杵尊に就ては今言えない訳がある。日本民族は日本、朝鮮、支那の三人種が混血したものである。本来の日本民族は絶対闘争しない。大和民族が征服されてから戦いが起った。

日本の歴史は戦争の歴史である。然し乍ら、他民族が入ったために、仏教等の文化が日本へ入ったので、これがやはり神の経綸である。

【御教え 日本と天孫民族】

【問】天孫民族に就て――。又、天孫民族種が一番最初に神様によって造られたのでせうか。

【答】天孫民族は支那の漢族で、瓊々杵尊とは漢の英雄である。これは確実な事はいえぬが、猶太ではないかと思ふ。といふのは、イスラエルの十二種族の中、一種族だけが東方へ行ったきり帰らぬといふ事で、それは支那へ行った。そして支那で何かしようとしたが、支那では国が栄えていて、事を挙げる事が出来なかった。それで日本へ来たものと思ふ。

もう一つ、ユダヤ民族は放浪癖があり、一個所に固定しない。それでその支那へ渡ったものの中の一族が九州へ渡り、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)となり、神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)となった。当時山に居たんで、誰言ふとなく天孫民族といった。富士山に住んでいたといふ説があるが、これは本当ではないと思ふ。天孫民族は二千数百年前のものである。

神が一番最初に人間を造られた時は、何万年か何十万年前か分らぬが、木の葉の着物を着ていた時は随分古い事である。

素盞嗚尊が日本へ渡来し日本を征服した。それを又神武天皇が征服した。そして今日迄日本を支配した。要するに、朝鮮系と支那系が日本を征服したので、原住の大和民族は下積みとなり、埋もれてしまった。本当の日本人は被支配者となった。

素盞嗚尊は神須佐王、速須佐王、武速須佐王と三代続き、それから大国主命となった。

日本歴史は朝鮮支那両民族の天下の奪り合いで、大抵の戦いは此両民族の争いが多い。であるから、日本には人民の歴史はない。これは外国とは大いに違ふ。外国では人民の歴史が多い。日本だけは支配者の歴史である。これからが人民の歴史になる。

徳川家康は大国主命の霊系の直系である。天皇は多く神武天皇の霊系である。南北朝もそれで、南朝が素盞嗚尊、北朝が天孫の系統で、之は寧ろ歴史に歴然としている。

天理教の御筆先にも「日本の真の柱は唐人や」と書いてある。大本教でも支那の盤古大神(支那民族の先祖)が渡来して、日本の天皇になったと言っている。瓊々杵尊と神武天皇の間には意外な事がある。

******

三重支部が掲載した御講話は、『夜昼転換』の御教えと関連付けて拝読すると私たちの歴史観がより明確となり、地上天国建設の基礎概念が確立されます。何故なら、最後に御述べになられた『これから人民の歴史となる』という大指針があるからです。そのことを認識しておかないと、メシヤ教で時折触れる批判的な文言の背景を理解できないことになってしまいます。

その上で、御神業に臨む姿勢づくりをさせていただくことが必要不可欠です。

そうしなければ、伊藤さんの体験記とは逆に楽な方へ流れてしまうことが生じてしまいます。参拝や浄霊も既成概念のままの取り組みとなり、信仰を狭いものとしてしまいます。結果的に自らに流れる霊統、血統から来る精神の癖を変容させることができ難くなります。個人の幸せのためにも重要な要素なのです。

そうしたことではもったいないので、「メシヤ講座」を重ねているのです。

最後になりますが、9月は日本中に「東京オリンピックの開催決定」という明るいニュースが流れました。それ以後に日々語られている内容が経済面に偏り気味ですので、考えるべきこととして、決定当日の浜松支部での「メシヤ講座」でお話ししたことを末尾に引用します。

***浜松支部より***

東京オリンピックの開催が決まって

先生  メシヤ様が唱えたことがだんだん認められているということの一つが、今日決定された東京オリンピックの開催が7年後に決まったということと関連しています。今朝のテレビ番組では、ほとんどが“どうして決まったか”ということと、決まったあと“東京オリンピック開催に目指してどのような効果があるのか”ということに触れていました。

アベノミクスの3本の矢に、プラス4本目が加わって、それから7年後までは東京を中心に経済的な計画が立つので、安定した伸びができるという話をしておりました。

一方では、最近テレビには出てこないけれど、天野祐吉という評論家がいますが、その人が言っていたのは、最近日本は金ばかりの話をして、経済状態がどうだ、こうだという話ばかりですが、実はこれから一番問われるのは、日本人、あるいは日本の文化のことなのだ、と。

それで、明治維新を迎えて、日本が開国したあと、海外から訪れる人がその当時の日本人を評して、大きく分けて3つの感動したことを言っております。

それはどういうことかというと、日本人ほど世界で明るい国民はいないということ。2つ目はマナーが非常に行き届いているということ。礼儀正しいということ。そして、3つ目は非常に親切だ、と。というふうに世界から日本は非常に評価を受けています。じつはこういった国民性が日本の本来持っている力ですので、こうしたことを日本人が取り戻していくような、そういうことを目指していく方が大事ではないか、と非常に良いお話をされていました。

メシヤ様は日本というのは芸術の国であるので、そういうことで世界の公園のようになっていかなければならない、と御教えの中で仰っていますが、この東京オリンピックの開催を目指すことを契機に、より一層浸透していくように、これから取り組んでいかなくてはいけないなぁ、と思います。

それと同時に、私たちの家庭、そして、その周辺もこうしたことが行き届くような家族になっていくようにしていきたいと思います。

ですから、日本のよさとしては、“我が家はいつも明るいという状態になっていきたい”わけですし、“非常にマナーが行き届いていて、礼儀正しい”ということが行き届かなくてはいけないですね。それから“非常に親切だ”と。

〈御教え〉

【『光』四十三号(昭和二十五年一月一日)より】

『日本文化の特異性』

『日本人諸君に対(むか)って大いに言いたい事がある、というのは、日本の国柄と日本人としての特異性である、之が心底まで判ったとしたら決して敗戦や亡国のような悲惨な運命にはならなかったのである、よく自分を知るという言葉があるがそれを推(おし)ひろめて自分の国を知らなくてはならない、昔のように鎖国時代なら兎も角、現在の如くすべてが世界的となり国際的となった以上、どうしても自分の国を知る事が肝腎である、即ち我邦(わがくに)としては如何なる役割をなすべきか充分知る事である。

右の如く日本の存在理由を認識出来なければ国家の大方針は確立される筈はないのである、何よりも終戦迄の日本を見ればよく分る、それ迄は国内的には、軍閥と称する特権階級が絶対権力を揮(ふる)って少数者の意図の下に勝手放題な政治が行われたのである、それが為一般民衆は権力者に対し、何等の発言権もなく、唯々諾々(いいだくだく)として奴隷化されていた事で之は今尚記憶に新たなる処である、成程明治以来憲法を制定し、代議政体を作り、民意を尊重するかのように見せかけて、実は政権は少数者の手に握られ、終に無謀な戦争を惹き起したのである、恰度(ちょうど)羊頭を掲げて狗肉を売るのと同様である。

茲(ここ)で、日本歴史を省りみてみよう、実に此国は神武以来内乱の絶間がなかった、政治は全然武力に支配されて了(しま)った、武士道の美名に隠れて個人としては殺人行為の優れたものが勲力を得戦争の勝利者が時代の覇者たり得たのであった、以上のような暴力的太い線によって引きずられて来たのが、終戦迄の日本であった、その太い線が敗戦という一大衝撃にあって、もろくもたち切られたのである、此意味を日本人全体が深く認識しなければ平和国家としての真の国策は生れないのであろう。

右に対し重要なる事は日本の再認識である、というのは元来日本という国は吾々が常にいう処の封建的武力国家とは凡そ反対である平和的芸術国家でなくてはならない、それが日本に課せられたる天の使命である、従而(したがって)、再建日本という事をよく言うが、ただそれだけでは大した意味がない、文字通りとすれば軍備のなくなった民主的国家というだけである、それも勿論喜ぶべきではあるが実は世界に対し日本の特殊的役割を自覚し全人類の福祉により貢献すべきで、それが新日本としての真の役割である、吾等はその理由を順次かいてみる事にしよう。

先(ま)づ何よりも日本国土の風光明媚なる点である、之は恐らく、世界に比を見ないであろう、外客が称讃の声も常に聞く所である、又気候に於ても春夏秋冬の四季が鮮明であるという事にも大きな意味がある、それは山川草木は固(もと)より風致に於ける絶えざる変化である、此四季に就ては、先年高浜虚子氏が、世界漫遊後の言に徴(ちょう)しても明かである、氏は「日本程四季のはっきりしている国は世界中何処にもない、俳句は四季を歌うのであるから日本以外の国では本当の俳句は出来ない」との事である、其他、草木、花卉、魚介の類に至るまで日本程種類の豊富な国はないといわれる。

特に、日本人の特異性としては手指の器用である、という事は美術工芸に適しているという事で何よりの証拠は前述の如く殆んど戦国時代の続いた過去を有(も)つ日本が幾多の優れた美術が作られた事で、今に於てもその卓越せる技巧に驚歎するのである。

大体以上の理由によってみても日本及び日本人が如何なる使命を有するかはよく分るであろう、之を詮じつめれば日本全土を打って世界の公園たらしめ美術に対する撓(たゆ)まぬ努力によって最高標準にまで発達せしめるべきである、即ち吾等の唱える観光事業と美術工芸の二大国策を樹立し、それに向って邁進する事である、此結果として全人類に対し思想の向上に資するは勿論、清新なる娯楽と慰安を与える事である、一言にしていえば高度の文化的芸術国家たらしめる事である。

現在、全人類は戦争を恐れ平和を如何に欲求しているかは、今日程痛切なる時代はないと言ってもよかろう、吾々が常にいう如く戦争の原因は人間に闘争心が多分に残っているからである、勿論、闘争心とは野蛮思想に胚胎(はいたい)するのであるから、いわば口には文化を唱え乍(なが)ら実は野蛮性の脱皮は未だしで此解決の方法こそ人類の眼の向う処を転換させる事である、その転換の目標こそ芸術であらねばならない、言い換えれば闘争という地獄世界を芸術という天国世界に転換させるのである、要するに恒久平和の実現は、武器の脅威で作るのは一時的でしかない、どうしても根本としては思想の革命である、思想の革命とは宗教と芸術以外決してない事を断言するのである。

以上の意味に於て再建日本といわず再建新日本といいたいのであって、その国策としては勿論芸術化国家以外にないのである。』

******

浜松支部以降は、こうした内容も加味しながら「メシヤ講座」を執り行いました。そこでは、映画「飛べ!ダコタ」に見る日本人の親切心をはじめとする素晴らしい特異性も紹介しながら、日本人として心掛けること等にも触れました。

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