メシヤ講座・特選集no.131(平成23年12月分)

<御教え>

『文明の創造』科学篇
病気とは何ぞや


(文創  昭和二十七年)

寒冒

愈々  私は前項迄に、誤謬ごびゅう医学のを大体かいたつもりであるが、尚なお進んで之から鋭いメスを入れて、徹底的に解剖してみよう。と言っても別段医学を誹謗ひぼうする考へは毫末ごうまつもない。只ただ誤りは誤りとして、ありのまま指摘するまでの事であるから、虚心担懐になって読まれたいのである。それには先まづ事実によって、説明してみる方が早かろう。先まづ何よりも医師が患者から、病気の説明を求められた場合、断定的な答へはしない。甚だ曖昧あいまい模糊もこ御座おざなり的である。例えば、患者に対する言葉であるが、何の病気に就ついても言ひ切る事が出来ない。貴方あなたの病気は治ると思ふ。治る訳である。医学上そういふ事になってゐる。此この療法が効果ありとされてゐる。此この療法以外方法はない。養生次第で治らない事はない。貴方あなたの病は万人に一人しかないなどといふかと思へば、貴方あなたは入院しなければいけない、と言はれるので患者は「入院すれば治りますか」と訊きくと、「それは請合へない」といふやうに、実に撞著的どうちょてき言葉である。又予想と実際と外はずれる事の、如何いかに多いかも医家は知ってゐるであらう。

そうして、最初診察の場合、型の如く打診、聴診、呼吸計、体温計、レントゲン写真、血沈測定、注射反応、顕微鏡検査等々、機械的種々な方法を行うが、医学が真に科学的でありとすれば、それだけで病気は適確に判る筈はずである。処が両親や兄弟等の死因から、曽父母、曽々父母に迄及ぶのは勿論もちろん、本人に対しても、病歴、既応症等微に入り細に渉って質問するのである。之等も万全を期す上からに違ひないが、実をいふと余りにも科学性が乏しいと言へよう。処がそうまでしても予想通りに治らないのは、全く診断が適確でないか、又は治療法が間違ってゐるか、或あるいは両方かであらう。事実本当に治るものは恐らく百人中十人も難しいかも知れない。何となれば仮かりに治ったやうでも、それは一時的であって安心は出来ない。殆ほとんどは再発するか、又は他の病気となって現はれるかで、本当に根治するものは、果して幾人あるであらうか疑問と言えよう。此この事実は私が言う迄もない。医師諸君もよく知ってゐる筈はずである。此この例として主治医といふ言葉があるが、若もし本当に治るものなら、それで済んで了しまふから主治医などの必要はなくなる訳である。

右によっても判る如く、若もし病気が医学で本当に治るとしたら、段々病人は減り、医師の失業者が出来、病院は閑散となり、経営も困難となるので、売物が続出しなければならない筈はずであるのに、事実は凡およそ反対である。何よりも結核だけにみても、療養所が足りない、ベットが足りないと言って、年々悲鳴を上げてゐる現状である。政府が発表した結核に関する費額は、官民合せてザット一ケ年一千億に上るといふのであるから、実に驚くべき数字ではないか。之等によってみても、現代医学の何処どこかに、一大欠陥がなくてはならない筈はずであるに拘かかはらず、それに気が付かないといふのは不思議である。といふのは全く唯物科学に捉はれ、他を顧みないからであらう。

そうして、診断に就ついて其その科学性の有無をかいてみるが、之にも大いに疑点がある。例へば一人の患者を、数人の医師が診断を下す場合殆ほとんど区々まちまちである。といふのは茲ここにも科学性が乏しいからだと言えよう。何となれば若もし一定の科学的規準がありとすれば、其その様な事はあり得る訳があるまい。若もし医学が果して効果あるものとすれば、何よりも医師の家族は一般人よりも病気が少なく、健康であり、医師自身も長寿を保たなければならない筈はずである。処が事実は一般人と同様処か、反って不健康者が多いといふ話で、これは大抵の人は知ってゐるであらう。而しかも医師の家族である以上、手遅れなどありやう訳がないのみか、治療法も最善を尽す事は勿論もちろんであるからどう考へても割り切れない話だ。そればかりではない、医師の家族が病気の場合、その父であり、夫である医師が、直接診療すべきが常識であるに拘かかはらず、友人とか又は他の医師に診せるのはどうした事か。之も不思議である。本当から言えば、自分の家族としたら心配で、他人に委まかせる事など出来ない訳である。それに就ついてよく斯こういふ事も聞く。自分の家族となると、どうも迷ひが出て診断がつけ難いといふのである。としたら全く診断に科学性がないからで、つまり推定臆測が多分に手伝ふからであらう。

私は以前、某博士の述懐談を聞いた事がある。それは仲々適確に病気は判るものではない。何よりも大病院で解剖の結果、診断と異ちがう数は、一寸ちょっと口へは出せない程多いといった事や、治ると思って施した治療が、予期通りにゆかない処か、反って悪化したり、果ては生命迄も危くなる事がよくあるので、斯こういふ場合どう説明したら、患者も其その家族も納得するかを考へ、夜も寝られない事さへ屡々しばしばあり、之が一番吾々の悩みであるといふので、私も成程と思った事がある。

此この様に、医学が大いに進歩したと言ひ乍ながら診断と結果が、実際と余りに喰違くいちがふので、医師によっては、自分自身医療を余り信用せず精神的に治そうとする人もよくあり、老練の医師程そういう傾向がある。彼かの有名な故入沢達吉博士の辞世に『効かぬとは思へど之も義理なれば、人に服のませし薬吾服のむ』といふ歌は有名な話である。又私は時々昵懇じっこんの医博であるが、自身及び家族が罹病の場合、自分の手で治らないと私の処へよく来るが、直じきに治してやるので喜んでゐる。以前有名な某大学教授の医博であったが、自身の痼疾こしつである神経痛も令嬢の肺患も、私が短期間で治してやった処、其その夫人は大いに感激して、医師を廃やめ、本療法に転向させるべく極力勧すすめたが地位や名誉、経済上などの関係から決心がつき兼ね、今以もって其その儘ままになってゐる人もある。今一つ斯こういう面白い事があった、十数年前或ある大実業家の夫人で、顔面神経麻痺まひの為ため、二目と見られない醜い顔となったのを頼まれて往いった事がある。其その時私は何にも手当をしてはいけないと注意した処、家族の者が余り五月蝿うるさいので、某大病院へ診察だけに行ったが其その際懇意である其その病院の医長である有名な某博士に面会した処、その医博曰いわく“その病気は二年も放っておけば自然に治るよ。だから電気なんかかけてはいけないよ。此処ここの病院でも奨めやしないか”と言はれたので『仰言る通り奨められましたが、私はお断りしました』と言うと、博士は『それはよかった』といふ話を聞いたので、私は世の中には偉い医師もあるものだと感心した事があった。その夫人は二ケ月程で全快したのである。偖さて、愈々いよいよ医学の誤謬ごびゅうに就ついて、解説に取りかからう。

 

≪『メシヤ様御降臨祭』挨拶≫
御神業推進の根幹部分を自覚させる
御論文『文明の創造』

メシヤ教代表 楳木和麿

皆さま「メシヤ様御降臨祭」おめでとうございます。

昨日ぐらいから“大寒波が南下してくる”ということで、随分とここへ足を運んでいただくことに心配をしておりましたけれども、予定されていた方々がこうして無事に集まることができまして“本当によかった”と思います。

体験報告

生理不順に御守護」 札幌支部 S.J

重要な使命に身の引き締まる思い」 正和出張所 責任者

本筋の御神業に出会えて」 岡山支部 原田多津子

今、三人の方からご報告いただきましたが、今月の各支部月次祭、各会場のメシヤ講座で12月23日を迎えるにあたって、まずメシヤ様がお歩みになられた御事績、一人の男性としての人生を見つめるということと、それを踏まえて「自分の一年間のことを見つめて、整理をして23日を迎えていただきたい」というふうにお願いをいたしました。

三人の方々のご報告が、正にそういうご報告でありましたので、じっくりと聞かせていただきました。

札幌支部・S.Jさんの報告を通して―青年期から主神様という御存在を中心にした思想体系を構築するように願う

まず、Sさんは「いづのめ教団」で青年活動をズーッとしてこられて、それから少しの空白がありメシヤ教に入会をされました。この青年活動という事を見つめていった時に、世界救世(きゅうせい)教時代に“青年活動とはいったい何であったのか”ということを見つめていくと、そこには大変残念ながら不足していたものがあったがために、せっかく動いたり共に活動してもですね、自(みずか)らの信仰というものを育てるということになかなか繋(つな)がりを得(う)ることができなかったように思います。

とりわけですね、我々にいただく救済力の根源であるメシヤ様の認識がどうしても深まっていっていないところがあります。

それからメシヤ様が主神様から御啓示をいただいて、そして、我々に救いの方法、御教えをですね、垂(た)れてくださったにも拘(かか)わらず、その主神様という認識が深まっていかない。あるいは自(みずか)らの意識の中で高まっていかないために、本来青年としてどのような信仰を培(つちか)っていくべきかということがはっきりしないまま今日(こんにち)を迎えてきました。そして、そのことに気づかないまま、まだ今も続けている人達がいるわけなのですね。

その方々に手を差しのべなければいけない、ということを強くSさんの体験報告を聞きながら感じさせていただきました。

学生とか青年というのは勉学に励む一方、“人生というものをどのように歩んでいくか”ということを真剣に考えていく時であります。

この人生を考えていった時に、その中心に主神様という御存在をおいて、そして、自分の人生を組み立てるという、そういう作業を若いうちにしておかないと、日々の学びが自分の中に思想体系として培(つちか)うことができません。

今、科学者の方々の中では以前ご紹介しました“サムシング・グレート”という表現によって“ある偉大な存在によってこの宇宙は創(つく)られて、そして、我々人類も誕生を許された”という表現をしている村上和雄氏の本が、ずいぶん売れております。

読む人が多いということなのですが、その“サムシング・グレート”という概念をズーッと意識して持っていくと、実は、今月は特に地球から500光年先に地球の約2.5倍の水を持った星がある、ということがわかったとされる発表がありました。そういうことを知ると生命の可能性があるということが期待されます。しかし、一方では我々の身体は約60兆個の細胞で構成されて、で・・私は体が大きいのでもう少しあると思いますが。(笑い)平均で大体人間の身体はその位の数の細胞で成り立っている、と言われています。

その1個の細胞が誕生するのは・・・、みなさん年末ジャンボ宝くじを買われたと思いますけれども、大黒様に堂々とお供えしている支部もありまして、年末が非常に楽しみですね。(笑い)例えば、この宝くじ1億円が100万年連続して当たるくらいの確率だそうです。この宇宙に細胞1個が生まれるという確率は・・・。ですから我々はその確率の中でこの世の中に生まれてきているわけですね。1億円が100万年連続して当たるくらいの、ほとんどゼロに近い確率なのです。

生命の誕生の38億年前からズーッと続いて暫(しばら)くしてやっとその細胞1個が生まれたくらいですので、この地球の中に今様々(さまざま)なことを言う方々がいらっしゃるのですけども、この地球の中に生命が宿って、そして、その生命が我々人間というところまで、進化してくる過程というのは大変に長く複雑な仕組みのもとにズーッと人間が生まれてきたのであって、この人間として生まれたことが実は大奇蹟なわけなのです。

その奇蹟的な人間に生まれたということをまず感謝するような若者になっていただく、ということが本来青年活動の根幹にあらねばならないわけなのですが、どうしても訪問活動とかですね、夏とか冬の練成(れんせい)会というような行事を進めていくことに時間を費(つい)やしてしまって、人間が本来見つめないといけないところをですね、どうしても疎(おろそ)かにしてしまっているところがあります。

Sさんの報告を聞きながら、地上天国祭に見えたときのいろいろ躊躇(ちゅうちょ)する内容ということも含めると、我々がメシヤ様からいただいた教えというのは自分の中に取り込んでいく、そして、自分の人生設計をしていく。あるいは自分の人生観を確立していくという作業が、中々今まで体制側というか、教団側の方針のもとに培(つちか)うことができて来なかったので“大変だなあ”というふうに感じながら聞かせていただきました。

人間が肉体を持って生まれて来て、本来人間として持っている生理活動というのは、人間の考え方一つで不調に陥(おちい)ったり、あるいは生活環境の変化で不調に陥(おちい)っていくことがありますけれども、それがメシヤ様の御光(みひかり)に浴(よく)す中で、だんだんと許されてきたそういう過程が最後のですね、ご立教の御心(みこころ)という形でまとめていただいたので、非常に良かったなと思います。

「枚方支部・正和出張所」責任者の報告を通して―決心により自分の周辺の『夜昼転換』が進む

それから一方「枚方支部・正和出張所」責任者の報告ですが、ご自身は◯◯◯◯の中にいるのですけども、次々と浄霊力伝授を許されております。

そして、発表されましたように、大きな御守護をいただいてきたわけなのですが、この出張所を開設するにあたっては、冒頭述べました『メシヤ様を見つめる』という見つめ方の中の一つにですね、世界救世(きゅうせい)教がきちんと教えていないところがあります。

それは何かというと、鋸山に昭和六年六月十五日にメシヤ様がお登りになって「鋸山で夜昼転換の御啓示をいただいた」という、そういう話し方を教団ではズーッとしてきておりますけれども、『夜昼転換』の御啓示は昭和元年に既(すで)にいただいているわけです。

しかし、メシヤ様の御性格から“これはひょっとすると本当の主神様の御啓示ではないかもしれない。充分検証しなければならない”という慎重さのために一つ一ついただいた御啓示を世の中の流れとか、それから大本教時代にズーッと蓄えてきた霊的知識から検証するのにおおよそ五年弱かかっているわけですね。

そして、“これは主神様の御啓示に間違いない”という決心が昭和六年にできたので、“決心をしてくれたのであれば鋸山に六月十五日に登るように”という御啓示が次に下ってくるわけです。これはどういうことかというと、メシヤ様が主神様の御啓示をすべて検証して“これは主神様の啓示に間違いない”という確信を持った時に大きく『夜昼転換』していったというわけです。

ですから報告者も信仰三世として成長してこられたけれども、当時の教団におそらく何の魅力も感じなかったために、距離を置いた生活をしてきたのでしょう。この距離を置いた生活をせざるを得ない教団状況であったという内容は、この『夜昼転換』が、ただ単に神界からの示された内容で『夜昼転換』されたという認識だけなので(教団がそういう教え方をするので)人間の魂がなかなか変わっていかないわけですね。

我々が、メシヤ様の浄霊、御教えに出会うというのは我々を守護してくださっている先祖の代表からいろいろ思わされて、あるいは手順を踏まされてメシヤ様に出会うということになって、メシヤ様と御神縁(ごしんえん)が結ばれれことを許されます。ここまでが先祖のお働きであるわけですが、ひとたびメシヤ様の御教えに出会ったならば、そこからは自分の責任で決心を固めていかないといけないわけですね。これが魂の問題であるわけです。

この自分自身が決心をして、そして、“メシヤ様の御手足として御神業にお使いいただこう”という決心をしない限り、自分の周辺の『夜昼転換』というのはなかなか進んでいかないわけですね。

おそらく、我々の先祖の中には非常に徳を積んだ先祖がいらして、その先祖によって神様に許可を願い出て、そして、許可の下りた数だけ入会ということが起こってくるわけなのですけれども、先祖の徳によって許されたこの数は次は自分達の決心と徳積(とくずみ)によってしか、およそ広がっていかないくらいの決心、心構えを持っておかないと、大勢の方々を救うということには繋(つな)がってこない、というように思います。

ですから、出張所発会の時には、この『メシヤ様の御決心』と、それに続く「我々の決心」が『夜昼転換』を進めていくのだ、というふうに覚悟を決めて臨まなければいけないと思います。しかし、世の中の流れは、ズーッと『夜昼転換』が続いて、『昼の時代』にどんどんなっていっています。メシヤ様と御縁をいただいた人達がその流れの中にいるかどうかというと、残念ながら遠ざかっている方々が大勢いらっしゃいます。

それが、木原さんとの出会いでですね、本来メシヤ様が進められようとするものに少しずつ目覚めていくことができたので、大変良かったなあと思います。

岡山支部・原田多津子さんの報告を通して―メシヤ様の御教えを根幹において御神業を見直す働きかけを

それから最後にですね、原田さんに報告していただきました。原稿を各支部、各メシヤ講座会場分を印刷してくださっておりますので、支部責任者は帰りに一部ずつ持って帰ってください。

これを読めば、私が解説する必要はありません。それくらい、原田さんの原稿はまとまっていますので、このまとまった通りを受け止めていただければいいのではないかと思います。

ただ、◯◯A自体があまりにも酷(ひど)い状態になってきておりますので、原田さんの話を読んだり思い出しながら、原田さんと同じように気づいた人達が浄化を起こしてきておりますので、その浄化をいただいている方々の中身を少し解説しておきたいと思います。

まず、御教えを拝読し始める。そしてメシヤ様のことをズーッと求めてしていると、“これは、この教団は、◯◯A活動というのはメシヤ様の本来の御神業とは違う”ということに気づいてきます。

これは、理性によって前頭部で気づいていきますが、いろんな方針がまた入ってくるので“どうしたらよいか”ということで後頭部が曇ってきます。その前頭部で方針とそれから御教えということの整理をすると、やはりこれは明らかに間違っているということが前頭部でわかってきますが、“今まで世話になったところだし、根本霊地の箱根を離れるわけにはいかない(実際は離れることではないのですが)”という感情論がズーッと後ろにできてくるために曇りが発生します。

そうすると前頭部と後頭部のちょうど中心に曇りが発生してきて、これがだんだん、だんだん頭に曇りの固まりを形成していきますので、頭の病気を防ぐために浄化を起こします。

そして、何とか何とか浄化を重ねながら、生命が維持できるわけなのですけれども、しかし、御教えを拝読すればするほど真理に目覚めていくので、どうしても“おかしい”という気持ちが膨らんできます。頭の中には前頭部と後頭部の衝突によって中央に曇りが発生するのです。

こういう状況にある方々が◯◯Aの中にはたくさんいらっしゃると思います。というのは、目覚めていることを期待をしているわけですね。御教えを拝読することによって、この教団の方針はおかしいということに気づいている方々が、おそらくいっぱいいらっしゃるだろう、という期待をしているわけです。

その気づいた方々の頭の中には、日々そういう曇りが発生しておりますので、早く手を差しのべていかないと、その中の曇りが物質化してくると頭の病気が起きてきます。具合が悪いだけではなくて、いわゆる脳の病気として症状的に出てきますので、そうならない前に大勢の方々に手を差しのべてあげていただきたいと思います。

地上天国祭の時に枚方支部の竹内淳子さんが発表してくださった、あの原稿と付き合わせて、そして、◯◯Aで活動している方々に読んでもらってください。そうすればおそらく少しは動いて(気付き、目覚めを得るという意味で)ゆくのではないかと思います。(そして、『文明の創造』を細かく拝読することを通して学びを重ねてきた御神業の根幹部分をお伝えください。)

そうしなければ、世界救世(きゅうせい)教自体が本来の役割を担えない形になっていきます。それはメシヤ様の教えを根幹において、薬とかあるいは医療ということを見つめていく見つめ方がどうしてもですね、医者に丸投げになってしまっているからです。

先ほどの出張所責任者が報告してくださった中にですね、“具合が悪くて休むと仕事が止まってしまうので、御神業が止まってしまう。だから薬を飲みながら仕事を続ける”という、こういうちんぷんかんぷんな話が今の専従者の中で横行しておりますので、これを目覚めさせなければいけません。

御教えの理解を深めるための専門書を紹介

それで、目覚めさせる時にですね、「薬理学の基本がわかる辞典(久保鈴子監修・西東社)」というのは非常にわかりやすい本ですので、活用していただくように紹介します。

薬がどのように体の中に入ってきて効いていくか。そしてこの中に、排泄されるところまで書いていますけども、メシヤ様は『排泄が十分できないために新たな病気を作っていく』というふうに御指摘しておられるわけですが、御教えを理解するためにはこの本を読んでおいた方が理解が早まると思います。どうして飲んだ薬が排泄されないのか、ということで、これは信者さん方、回し読みでも良いのでグループで買ってでもですね、まず、信者さん方一回は目を通してしていただきたいと思います。全ページカラーでわかりやすく載っていますのでね。

それから、支部の責任者の方にはですね、「史上最強図解」と銘打った「これなら解る薬理学(丸山敬著・ナツメ社)」という本があります。これを支部の責任者は読んでおいていただきたいと思います。

赤いシートが付いていまして暗記できるようになっています。自己教育するために非常に良い本ですので、支部責任者は大変ですけれども、これを読み込んでおいていただきたいと思います。そうしないと、メシヤ様の『浄化作用』のメカニズムとか薬毒が形成されていた時にどこへ溜まっていくかというようなことが、言葉だけを聞いていてもわからないところがありますので、こういう図解のものを見ると御教えの理解度が深まっていくと思います。ひとつやっていただきたいと思います。

それから、文藝春秋の12月号と新年号ですが、12月号の中では、「患者よ あなたに透析は必要か」というタイトルで、いわゆる透析の概論が書かれております。そして新年号にはですね、透析を先送りすることを目指す保存療法について書かれてあります。

それで、その最後のページに、保存療法ができる病院名が書かれておりますので、これを参考にしながらですね、今年一年ズーッと学んできた、高血圧に対する浄霊の仕方と薬の効き方の問題点というところを指摘してきましたけども、この二号を読むと我々が救っていかなければいけない対象者の方々の状況が、わかってくると思います。

ここで、腎臓の働きというのをもう一度確認しておきたいのですけれども、腎臓は血液を濾過(ろか)して体に有害な老廃物や余分な毒素を排泄するというところがメインです。

このメインが壊れてくるので透析をしないといけなくなるのですが、透析をし始めると腎臓自体がどんどんどんどん機能が弱ってきます。この機能が弱ってくる時に、次の問題として起きるのが、血液中のナトリウムなどの濃度とか体液量の調節、血圧も含めてですけれども、そういうことができなくなってきます。

そのために新たな症状が体のあちこちに起きてきくるので、命に関わるような方以外の方々が透析を受けてしまうと、そういう障害が起きてくるので、人間として生きていく上には大変なことが加わってきます。

それから、もう一つは造血ホルモンの分泌がしなくなりますので、造血ホルモンに変わる薬をまた投与しなければいけないという状況に陥ってきて、透析を受けている方々は、生きている間ズーッと地獄のような生活を余儀なくさせられます。

因縁使命に基づいた御用に邁進を

非常に気の毒ですので、メシヤ様は『浄霊は腎臓をよくしておくように』ということを絶えず我々に投げかけてくださっておりますので、御教えを左手に持って、このような本を右手に持って見比べながら勉強しつつ、参考にしながら浄霊力強化と浄霊の仕方を高めていくような取り組みをしていっていただきたいと思います。

今日から新しい年に入りましたので、今年はそうした知識を元に積極的に大勢の方々に働きかけてゆく年にしていきたいと思います。

この場で、一層メシヤ様に対する自分の考え方、それから自分自身の決心の度合ということを見つめ直していただいて、自分の因縁どおりの御用とは一体なにかということを見つめ直していただいて、因縁使命に基づいた御用にですね、邁進(まいしん)していただきたいと思います。

そういうことをお願いいたしまして、挨拶とさせていただきたいと思います。

寒波がきておりますので、特に西に向かわれる方々は雪の心配もありますので、気をつけておかえりいただけるようにお願いをして終わらせていただきます。ありがとうございました。

(要旨。また、時間の関係で『文明の創造(三)』の説明、頒布は祭典終了後に執り行いました。一年を通して学ばせていただいた『文明の創造』は、拝読を重ねるごとに、私達に御神業推進の根幹部分の自覚を促しました。心から感謝申し上げます。)

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