メシヤ講座・特選集no.108(平成22年1月分)

<メシヤ様対談記・17>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)
「救世(メシヤ)会館」の構想と「日本の使命」について大いに語られる
報知新聞社取締役社長
竹内四郎氏外二氏との御対談(一)


(栄百九十三号 昭和28年1月28日)

既報(栄光第一七三号所載)マドレーヌ・ダヴィット女史と共に箱根美術館を訪れ、明主様(メシヤ様)に御面会戴いて帰られた、報知新聞社取締役社長竹内四郎氏は、この程小西広告部長、小坂編集局員の二氏を連れ立って、木原理事の案内にて一月七日午後三時三十分碧雲荘に到着、待つ間もなく明主様(メシヤ様)は御出ましになり、いつもと変られぬ明主様(メシヤ様)の御気軽さに、座談の花が咲き、後から後からと尽きせぬお話に、一時間半は一瞬の如く感じられた。

その間明主様(メシヤ様)には始終いともお機嫌うるわしく御款談(かんだん)遊ばされ、午後五時御退座遊ばされました。その時の模様を速記によりお知らせ申し上げます。

昔の宗教と、今の宗教

竹内氏 随分お元気ですね。

明主様(メシヤ様) ええ、尤(もっと)も体を良くするのが商売ですからね。

竹内氏 今工事をしていられる所(瑞雲郷)を拝見してきましたが、なかなか良い所ですね。出来ましたら立派になりますね。

明主様(メシヤ様) そうですね。

 竹内氏 東海道どころか日本の名所になりますね。

 明主様(メシヤ様) そうです。日本一いい所にするつもりです。

阿部執事 「報知新聞」は紙数は二十二万くらい出しているそうです。

 竹内氏 少ないですからもっと増やそうと思ってますが、新聞というのは金をかけないと駄目になりますのでね。

明主様(メシヤ様) なんでもそうですが、新聞は特に金ですね。つまり如何なる事業でも金です。宗教でもそうです。昔の宗教家は乞食坊主の様な恰好してやってましたが今では駄目です。尤(もっと)も昔でも死んでから名前が出る位で在世中は駄目だったのです。親鸞でも法然でもそうです。日蓮は死ぬ一寸(ちょっと)前からでしたが、そういう様ですから、まして今日はそういうやり方では駄目です。

竹内氏 やっぱり人々に希望を持たせなければ駄目ですね。

 明主様(メシヤ様) それには一つの機関が必要ですね。

 竹内氏 組織をつくってやらなければなりませんね。その意味で明主様(メシヤ様)は、組織がなかったので酷い目にあわれたのですね。

明主様(メシヤ様) そうですね。内容も肝腎ですが、やはり思いきってやらなければ駄目ですね。

 竹内氏 その点あの工事は相当に思いきったものですね。普通の頭では全く計算が成り立ちませんからね。

コルビュジエ式に宗教感覚を

明主様(メシヤ様) それに、大抵の宗教建築というのは古臭いもので、何百年何千年前の様式になってます。ところがそれでは何も意味がないと思います。やはり凡てその時代に合っていかなければなりません。むしろその時代よりも先にいかなければなりません。つまり指導的にやるべきものだと思います。従って救世(メシヤ)会館はその意味に於て、これからの宗教建築はこういうように造るべきだ、ということを天下に示す意味もあります。そこで今一番新しい建築様式はフランスのコルビュジエ式ですが。これはよく時代に合った一番新しいやり方です。ところがこの型式はアパート、官庁、会社というものにはいいですが、宗教的なものには全然駄目なのです。そこで私はコルビュジエ式を基本としてごく新しい図案にしようと思ってます。それは大体コルビュジエ式というのは荘厳味がありません。そこで荘厳味があるものというと、どうしても、洋館ならばもっと曲線的のルネッサンス様式というようなもの、日本ならば純東洋的の伽藍式とか神社式とかになります。そこで私はコルビュジエ式に荘厳味を表すという考えでやったのです。ですからこれが出来上ったら、世界的に相当注目される建築になると思ってます。

竹内氏 それは教主の御設計ですか。

 明主様(メシヤ様) そうです。

竹内氏 ステンドガラスか何かお使いになられるのですか。

明主様(メシヤ様) いくらか入れるかも知れませんが、沢山は入れません。あんまり入れると安っぽくなりますからね。

 竹内氏 日本ではあんまり出来ないのでしょうか。

 明主様(メシヤ様) そうでもないでしょう。マチスがステンドガラスの図案を出しましたが、あれは感心できませんね。

 竹内氏 マチスのは妙に色を組合わせて、それで三回目くらいに、やっと“これだ”ということになるのだそうですね。

 明主様(メシヤ様) われわれから言えば千代紙(ちよがみ)の新しいものでしょうね。

 竹内氏 そうですね。日本の千代紙細工を新しくしたという感じですね。マチスの絵は日本の浮世絵からヒントを得たのですかね。

 明主様(メシヤ様) そうです。あれから出たのです。マチスは日本の写楽を研究したのですね。

 阿部執事 谷川徹三さんが「改造」の新年号に書いておりましたが、コルビュジエ式も日本の建築様式からとってある。西洋式のは窓がせまいが、それを広くとってある。それから壁などもそうだ。というようなことを言っておりました。

 明主様(メシヤ様) そうです。日本の光琳がフランスにはいった時は、ルネッサンスの極端になっていた処で、そこに光琳がはいっていって、その単純さに驚いたのです。そこでアール・ヌーボーという人が曲線的のヌーボー式をつくったのです。又、それとは逆にその曲線的に対して直線式にやったものがセセッションで、これも相当流行しました。私もその時分に本をとりよせて相当研究しました。私はその時分小間物屋をやってましたので、セセッションの模様でやって相当売りました。その時博覧会でそれをとり入れてました。しかしセセッションではあまりに軽薄です。それから構成派とか未来派とかいろいろのものが出来ましたが、結局コルビュジエが狙ったのは、極端に制約して、凡てを簡素化したのです。だからできるだけ煩雑(はんざつ)なものを省いたのです。それで屋根も無駄だというわけで切ったのです。丁度豆腐のようにしてしまったのです。それから庇(ひさし)もなくしてしまったので真四角になったのです。それから色も、白一色で外の色は使いません。ですからあれ以上の簡素化はありません。従って製作費も安く様式も簡単ですから図案にそう苦心することはありません。それで非常に享(う)けたのです。そこにもっていって戦争で各国が財政的に困っているので、大きな建物を造るにも、なるべく安くという意味からもピッタリしたわけです。しかし宗教建築となると、それだけでは全然条件に適いません。そこで私はコルビュジエ式に宗教感覚を出そうと思って、ああいう様式をつくったのです。あれですと大体荘厳味が出ると思います。

 竹内氏 色調はどういう工合になさるのですか。

 明主様(メシヤ様) 柱は人造石ですから鼠色で、間は白です。玄関は、建築家はもっと高く立派にしようとしましたが、私は削ってああいうようにしたのです。

某大家にも図案を書かせましたが、どうも気に入らないので、直接私が指図して製図屋に画かしたのです。それも幾度も直させて、やっと外郭だけは思った通りにいったのです。それがあの模型です。そういうわけで玄関もずっと小さくして、腰の大理石を高くして天井も大理石で色を互い違いにして格天井にしました。天から欄間は金メッキで金色の新しい図案ですが、今話はできないです。ですから純然たる西洋式ではなくと言って日本式でもないという一つの新しい試みです。

完成の暁には世界的大演奏会を

竹内氏 救世(メシヤ)会館が完成したら、ああいう処も世界的の音楽家、たとえばコルトーとかをよんで、演奏させたら、非常にいいと思いますね。私は若い時に聞いたことがありますが、それも粗末な市の公会堂でしたので、なんとなく気の毒な気がしましたが、やはり周囲の環境にマッチしなければなりませんからね。

 明主様(メシヤ様) そうです。だから私はあれは将来演芸館と言うか芸能専門の処にするつもりです。従って宗教的の本山という意味のものではないのです。救世(メシヤ)会館という宗教的な名前ではありますが、将来は劇場的なものにするような考えでやっているのです。たとえば外国の有名な音楽家に演奏させて大いにいいのを聞かせるとか、すばらしくよい映画を写すとか、日本の第一流の芸能人にあそこを使わせるとかするつもりです。つまり絵とか彫刻ではなく芸能的の芸術家に、環境のいい、景色のいい処で、建築もごく新しい立派な所でやらせるというのが将来の計画です。又そういう日本人の文化的頭脳の優秀性と言うか、それを世界の人に見せようという意味でもあります。

 竹内氏 壁画などは附けませんか。

 明主様(メシヤ様) 壁画を附けるには何年も暇がかかりますからね。小川菊蔵さんがイタリアのヴァチカン宮殿の壁画の写真を今度持って来ましたが、それはすばらしいもので、一寸頭を下げざるを得ないくらいのものです。将来は日本にもそういう物は必要になりますが、金もかかるし、年数もかかりますからね。いい物は十年も二十年もかかりますよ。

 竹内氏 現代の画家では画くチャンスがありませんですね。

 明主様(メシヤ様) それは画かせる者がないのです。

 竹内氏 最近では大きい物があまり出来ませんようですね。

 明主様(メシヤ様) あれは国家が非常に興隆した時代に出来るのです。日本で言えば桃山時代、西洋ではローマ時代という時代に出来るのです。ですから日本の桃山時代の建物には、天井まで金箔極彩色にしてあるのが多いです。京都の二条城などはその代表的なものです。兎に角(とにかく)日本は明治維新この方は、そういう時代がまだ来ませんからね。というのは戦争に熱中して、そういう事に金を出す余裕がないからです。しかしこれからはそういう時代が来るでしょう。と言っても、米ソの問題の決まりが附かなければ駄目です。

今後の新聞

竹内氏 今のところ報知ではスポーツ、芸能、文化の三つを主眼としてやってますので、外の新聞とはスタイルが違ってます。

明主様(メシヤ様) やっぱり外の新聞と同じ編輯の仕方では駄目です。

私は斯(こ)う言うことを考えたことがあります。サン新聞は写真が汚くて、鮮明を欠いてます。もっと大きく目立つようにしなければ駄目です。それで月並的で魅力がないのです。ですからサンでは小さいから、普通の新聞の大きさにして、サンほど写真を多くしないで写真半分、記事半分というようにしたらいいと思います。つまり今の新聞よりは写真を多くして、サンよりも記事を多く出すという建前でやればいいと思ったことがあります。

小西氏 教祖様が新聞経営すると、いい新聞ができると思いますね。

日本の使命

明主様(メシヤ様) もう一つはこういう事も言いたいのです。講和以前には言いませんでしたが、民族では日本人が一番優秀なのです。これは事実を見れば分りますが、日本人くらい世界中の文化を吸収できる国民はありません。以前に一寸した小さな講演会で話したことがありますが、日本は自動車の組み立て工場と思えばいい。フォードでは部分品を各工場に作らせて、それを本社に集めて来て組立てて売出すということですが、それが丁度日本だと思います。アメリカの文化、イギリス、ドイツの文化、東洋でも、中国、インドの文化などがみんなはいって来て、それを組立てて立派な文化をつくるというのが、日本の使命だと思います。その使命を果たす民族が日本人とすると、日本人が一番偉いということになります。ところが今迄は、各国の部分的の文化を見て感心していたのです。それは機械的なものはアメリカには迚(とて)も敵いませんし、又英国の社会主義を見ては感心するとか、フランスの芸術面に於る絵画、文学に頭を下げていたのです。今後はそういう各国の特長をとり入れて、それを綜合した理想的な文化をつくるのが日本人なのです。それはこれからそうなるのです。ですから今迄の日本はその準備行為でしょう。そうして第三次戦争が済んでから、急にそうなってくるでしょう。日本人の素質は将来そういう使命があるのです。又日本人位各国の文化を消化できる国民はありません。大体、東洋というのは精神文化で、西洋は物質文化です。東洋は経で西洋は緯です。それを結ぶ時期は今言った通りでその結ぶ国は日本です。それで日本に於ける結びは救世(メシヤ)教がやるのです。救世(メシヤ)教のバッチは十の字なのです。この赤い丸は日本を象徴し黄色いのは黄金時代というわけなのです。なにしろ日本人は劣等感が非常にありますからね。

竹内氏 終戦後は特にひどいですね。

明主様(メシヤ様) そうです。だから「アメリカを救う」という本を出したのは、その狙いもあります。「アメリカを救う」と言うのですから、アッチより上の立場になるのですから、少しは刺戟するだろうと思います。

アメリカは結核が非常に多いのですが、菌に対することもすっかり書いてあります。菌が伝染するから殺さなければならないというのが医学の建前ですが、われわれから言うと幼稚なものです。それは菌が伝染するとしても、その最初の菌は忽然(こつぜん)として出来たものではなく、発生源というものがある筈(はず)です。それが医学では分らないのです。それで徽菌というものは何処で発生して、どういうように進むかという経路を書いてあります。

竹内氏 これからは、あなたのような方に考えを出して戴いて、そういうことでも大いに日本に呼び掛けていただきたいですね。

 明主様(メシヤ様) そのつもりでいます。

 竹内氏 そうしていただきますと、日本の国民も自信を持って来ますから、大変いいことですね。

 明主様(メシヤ様) 日本は、社会がすっかり汚れきっているので、これを取って磨けば大したものです。丁度ダイヤモンドのようなもので、八角形にでも切って磨けば素晴しいものになりますが、川から出したままでは駄目ですからね。

 竹内氏 終戦直後は朝鮮人が威張っていて、朝鮮人になりたい様なことを言っていた人もありましたが、こういうことを言っては悪いが、今では李大統領が来ても鼻もひっかけない状態ですが、あの頃からみますと違って来てますね。

 明主様(メシヤ様) そうですね。それは日本人はそういう使命がありますから、戦争後苦しんだことによって大いに磨かれたのです。

 竹内氏 私の方の新聞であなたの声を時々伝え度いと思いますが、いろいろ御協力願い度いと思います。

 明主様(メシヤ様) 骨折りますよ。兎に角(とにかく)今迄の文化が間違っていたということもすっかり、はっきりさせたいと思います。それには一人でも余計に読ませなければ分らないのですから、将来それが呼物になって、報知新聞が大いに売れるという位にならなければならないと思います。私の説など容(い)れると問題になりますから、問題になればみんな読みますからしめたものです。結局なんでもそうですが、社会の問題になるということが一番です。それはくだらないものでは一時的で駄目ですが、本当のものなら簡単に早く知れますから、どこまでもいい意味の問題ですね。

小坂氏 明主様(メシヤ様)は最近、そのいい意味での問題になりつつあります。といいますのは、東京での救世(メシヤ)教に対する見方が、三年前と今とでは殆(ほとん)ど変って来てます。今迄は色々な誤解がありましたが、今では社会に貢献するところがあるということが分って来たのです。つまりプラスの面が分って来たことから、救世(メシヤ)教に対する社会の見方が変って来たのですね。ですから新聞でもそういう点を研究して取り上げてみたいと思っております

「鎌倉支部」発会
新「広島支部」移転・特集

≪発会式・責任者挨拶≫
「救いの場」として大いにご活用を


鎌倉支部 菅谷敬

皆さま、本日は鎌倉支部発会式誠におめでとうございます。また、遠方よりご参拝に来られた方々には心より感謝申し上げます。

私の今日までの歩みは「メシヤ様御降臨祭」で発表させていただきました通りですが、今日から鎌倉支部としてメシヤ様より素晴らしい御神前をお許しいただきましたので、「救いの場」として大いに皆様で活用していただきたいと思います。どんどんご参拝に来てください。また、多くの方々をご案内してください。

支部発会に向けて様々な御守護をいただいて参りましたが、先週私の母に御神前で御浄霊させていただきました際に、手をかざした直後から蓄膿の膿が鼻から流れて口の中に一杯になってしまいました。

あまりの凄さに私も母も驚いてしまいました。御浄霊の御光が益々強くなっているようです。本当にありがたいと思わせていただきました。

今後より一層皆様方と共にこの素晴らしい御浄霊を宣べ伝えて、一人でも多くの方がメシヤ様と太く繋がることを許され、救いの輪を拡げて参りたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

(発会式後の感想――私の母は発会式の前日から準備の為に来ておりましたが御遷座祭、発会式どちらも体が熱くなるほどの御光を感じたそうです。また、家に帰った直後から数日間寝込みまして、鼻水が出続けております。また目の奥が痛くなるなど今までに体験したことのない浄化をいただいております。

三浦隆之さんは、御神前に入り御神体や御尊影を拝した時に神様の御存在を強く感じ、とても高貴なものを感じたそうです。

私の姉は式典の後にご参拝に来ましたが。御神前に入った時に泣きたくないのに涙が溢れてきました。「こんなことは初めてだ」と言っておりました。

私も発会式に向けて準備をさせていただく際に仕事が今までにない程忙しくなっておりました。どうやって発会式を迎えられるのかという状態でしたが、結果としては全てが無駄なく御守護の中で進んでいたことがわかりました。御神前だけではなく引っ越した際に家具の配置までもが計ったようにピッタリと収まり驚きました。全て神様の方で準備して下さっていたことがよくわかりました。発会式後は動ける範囲で肉体浄化をいただいております。日々の礼拝中も体が温かくなることがよくあります。また浄霊力も一段と強くなったように感じております。本当に感謝で一杯です。

本来の在り方でメシヤ様と太く繋がらせていただくことで、これ程までに大きな御守護と御光をいただくということを改めて感じさせていただくと共に、一人でも多くの方に宣べ伝えて参りたいと思います。)

≪新年祭・責任者挨拶≫
ご自分の支部としての自覚と誇りを

広島支部 茶谷敏子

新「広島支部」における平成22年新年祭おめでとうございます。

メシヤ様のお導きによりまして“仮住まい”から“本住まい”へとの念願が実りまして、昨年末新「広島支部」の御神前が完成し「御神体遷座祭」を執り行うことが許されました。

ブログで報告させていただきましたように「主神様の御文字が御神床いっぱいに、沢山パッパッと広がり回転し白光色でとても美しい情景を拝させていただきました」という、神秘的な光景を目にすることを許された方もおられます。

これは絶大なる御守護を賜っていることを、皆で共有して認識するための報告と受け止めております。

誠に素晴らしいスタートを切らせていただきました。これも一重に皆様方の誠の取り組みによる実りと受け止めております。皆様も言葉では言い表せない感動と新たなる決意をなされたと思います。

私自身も私達家族も、メシヤ様は勿論のこと皆様にお使いいただける“場”を許されたことに心より感謝申し上げております。

これまでの私は“時間も気の余裕もお金もない”、ましてや“面倒だ”と逃げていたところがありました。しかしながら、自分一人の救いを求める小乗から人を救う大乗の気持ちに変わらせていただくという心の変化は、多くの奇蹟を見せていただき、加えて救われた人々の笑顔に言い知れぬ感動と使命感を感じたからです。

多くの困難においても、全て主神様、メシヤ様のお許しをいただかなければ、また、愛されなければ、人間は無意味で無力であると気付かせていただきました。

私達は逸早(いちはや)く救っていただいたのですから、より自己研鑚に励み浄霊力を身に付け、より多くの方が真理に目覚め、浄霊による救いに与(あずか)るために、「真理の具現者」「浄霊実践者」となって、先導役を務めさせていただく使命があります。

この新「広島支部」は皆様の真心により仕上がったものですから、どうぞ、ご自分の「支部」であるという自覚と誇りをお持ちになりまして、“救いの場”として遠慮なくお使いいただき、自らの“向上の場”、“徳積みの場”として活かしていただきたいと願っております。

無責任者ではなく責任者と言われるように全力で向かいますので、この場をお借りして、どうぞ叱咤激励を心よりお願い申し上げます。

ここで今後の取り組みの一つを報告させていただきます。来月より「一日祭」をさせていただくことになりました。(中略)

最後になりましたが、新支部建設についての報告をさせていただきます。(中略)重ねて申しますが、どうぞご自分の「支部」であるという自覚と誇りをお持ちになりまして、存分に活用されますことをお願い申し上げまして決意と報告とさせていただきます。誠にありがとうございました。

(祭典時の報告――岡崎さんという方は「参拝が始まる前から御神前は光に溢れていました。参拝者を包むような感じです。参拝が始まりますと、御神床の壁や参拝席のあちらこちらに主神様の御文字が飛び交っていました。パッパッという感じです。それから御神床の下から整列したように綺麗な大波が押し寄せているようでした。」と伝えてくださいました。

また、「御遷座祭でも同じような光景を拝したのですが、主神様の御文字が御神床いっぱいに輝き回転しているように拝しました。そして、この度は、メシヤ様の御尊影も同じように神々しい御光が御神床いっぱいに広がっていました。」と伝えてくださった方もいました。)

≪挨拶≫
信仰の有効的な活用の仕方

メシヤ教代表 楳木和麿

おめでとうございます。

ただ今の支部責任者の挨拶を、そのまま皆さんのものと受け止めて、実行に移していただけると大変素晴らしいことになります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

それでは初めに、支部を通して取り組ませていただくことに触れてまいります。大きい視点から見ますと、御神業推進を支部全体で支えるということがあります。『可能な限り全人類を救済する』『地上天国を建設する』という、メシヤ様の御悲願を達成するために、支部を通してお尽しするということであります。

皆様方が捧げる真心が結集されて御神業が推進されます。この支部で多くの方々を救済させていただくに留まらず、皆さんが捧げられる御玉串料や感謝献金によって新たな土地で更なる救済活動が展開されます。

その結果、多くの感謝が寄せられ、それが皆さん方の徳となります。小さい視点で言えば、御神業奉仕に臨むことにより、お一人お一人においては、より幸せになってゆくための力をいただき、学びを深めてゆくということであります。人生に深みが生まれ、意義の確認ができ、喜びの実感を持つことができます。

取り分け本年は、「メシヤ様御降臨祭」でご報告いたしましたように御論文『文明の創造』を仕上げる作業を推進します。そうした取り組みを支部全体で支えるということでありますので、こうした時期に新たな支部を許されたということは、そこに大きな意義を感じるところです。

さて、本日は「メシヤ講座」を兼ねておりますので、「メシヤ様対談記」に触れてまいります。

現在「対談記」を連続して拝読させていただいておりますが、まさに、支部を通して私達が取り組ませていただく内容にピッタリ合うように、今回の「メシヤ講座・特選集(12月)」で次のように御述べいただいております。

お手元の2ページに目を通していただきたいと思います。ここで、メシヤ様は

『人間には、宿命と運命と両方ある。よくこれを一緒にするが、これは大変違う。宿命はもう動かすことはできない。運命というのは宿命の中に運命という一つのワクがあるんだね。運命の方は下にいても上へ上ることもある、上にいても下に下ることもある。運がよくなることは出来る。つまり自分の与えられた最高に行くわけだ。しかし宿命というのはそうでない、天皇陛下の次に皇太子が出来る。これは宿命だ。それから人間で一番悪いのは、あせりだ、あせるから無理をする。一番心得べきことだ。大事なことは急所を発見する能力だ。いかなるものでも、どっかに急所が一つある。今の政治家など急所を知らない、だから、余計なことをしてしまう。』

と平易な御言葉で解説されております。

拝読させていただくと、『大事なことは急所を発見する能力だ。』とあります。急所を発見することについては、今回の体験報告(メシヤ講座・特選集no.107「メシヤ様御降臨祭」特集)が大変参考になります。

急所を発見する能力とあせらない姿勢

5ページをご覧ください。高校1年生の松井さんは末尾で

「そして今後の課題は自分に染み付いた悪い癖を改善していくことです。十何年として(続けて)きた癖は改善はとても困難なことです。それは母親の嫌なところが、自分にそのまま染み付いていることや嫌なことからすぐに逃げてしまうところです。

しかし、すぐにめんどうくさがったり、気に入らないことを言われたら不機嫌になるなどの癖は将来の自分のためには改善しなければなりません。なので楳木先生がおっしゃったように、これからも自分のためにも周りの人たちのためにも”掃除”や”家の手伝い”を徹底してやりたいと思っています。」

とまとめております。

高校生の立場で、今現在、何に取り組むべきかを発見して、課題を設定して生活しております。年齢や時所位の差はありますが、皆さん方においても課題を整理する上で参考にしていただきたい内容です。

また、御言葉には『人間で一番悪いのは、あせりだ、あせるから無理をする。一番心得べきことだ。』ともあります。

松井さんは「十何年として(続けて)きた癖は改善はとても困難なことです。」と自覚しておりますが、メシヤ様が『一番悪い』と仰る『あせり』を起こさぬようにして、お互いに努めて参りたいと思います。

この『急所』と『あせり』ということでは、三重支部の吉田さんも8ページで

「不思議なことにアトピーの時と火傷の時に浄化した箇所はポツポツと少ししか膿が出ず、今まで浄化していなかったお腹周辺は今回かなりの浄化でした。」

と述べております。報告原稿を作成中に浄化の意義を発見しております。そして、今後の自らの在り方について次のようにまとめています。

「これからもメシヤ様に直接太く繋がる事ができますよう、努力していきたいと思います。

そして、いつなんどきでも家族のように温かく支えてくださる濵口さんご夫妻を見習い、御教えやメシヤ講座を生活の軸とし、御神業に邁進できますよう頑張りたいと思います。」

このように、あせらず地道に取り組みを重ねるような姿勢を持っております。報告からお解りのように、浄霊に出会ってから浄化作用の真の意義を実感するまでに二年弱掛っております。その間、次々と大きな御守護をいただくのですが、ともするとあせりが出てきてしまいます。“何時まで続くのだろうか?”という不安もひたひたと押し寄せてきます。

吉田さんが「濵口さんご夫婦がいらっしゃらなければ、このような厳しい浄化、試練は乗り越えられなかったと思います。」と述べているように、そばで寄り添ってくれる人がいたからこそ御教え通りに進めたのです。ここに支部の存在意義を見い出すことができるのです。

しかも、吉田さんは御教え拝読の積み重ねにより視力の劇的な回復を許されております。支部責任者である濵口さんが率先垂範を心掛けてお世話することで、御守護の輪が拡大しているのです。

壁を乗り越えるための力をいただける信仰

このように整理させていただいた時に、確認していただきたいことが「信仰の有効的な活用の仕方」です。

私達が課題を明確にして、あせらずにコツコツと取り組ませていただくのですが、取り組みを重ねようとしても時として人間の弱さが出てきます。「何故私だけがこんなことをせねばならないのか・・・」とか、「あの人もするべきでは・・・」とか、いろいろな思いがムクムクと湧いてきます。

人間はとかく“楽して儲けたい”とか“楽して人から良く思われたい”とか、“威張りたい”、“偉く見せたい”などという精神の癖が『夜の時代』に染み付いております。また、人から褒められるとお世辞と分かっていても気分の良いものですし、“人の不幸は蜜の味”という言葉に代表される忌まわしい精神構造も有しています。その癖が無意識のうちに思いとなって浮き出てきます。

それを“いやいやそうじゃない、私が取り組まねば問題は解決しないのだ”と、認識を改めつつ進んでゆくのが意義ある人生を歩む生活だと言えます。しかし、意識して進んでいても、弱さゆえに壁にぶつかることもあります。実は、壁にぶつかった時に、それを乗り越えるための力をくれるのが信仰なのです。

神様は、人間の正しい祈りは叶えなくてはならない役目があります。これは厳とした役割です。正しい祈りとは、急所とあせりで整理できていますので、この御言葉に沿って進ませていただけば“間違いなし”ということなのです。

そうした取り組みを重ねる集合体が支部であるのです。菅谷さんの報告がある10ページをご覧ください。そこで菅谷さんは

「秀明会は御教えからは程遠い教団ですが、私はメシヤ様と出会うきっかけをいただいたので、その点では良かったと思っております。

そして、メシヤ教に入会させていただき、メシヤ様と太く繋がらせていただき、浄霊力の強化に努めさせていただく中で沢山の御守護と体験をさせていただいております。(中略)

私は楳木先生に出会いメシヤ教に御縁をいただいてから、本来の在り方でメシヤ様と直に太く繋がらせていただくことで、心から充実した日々を送らせていただいております。

また秀明会の頃とは比較にならない程、浄霊力が強くなっていますし、何よりもメシヤ様を近くに感じることが出来ます。大黒様の大きな御守護も沢山いただいております。家庭内も明るくなって子供達ものびのび育っているように感じますし、地に足が着いたような気がします。」

と述べています。

支部で育んでゆくこと、御守護に包まれることは、この文面に集約されています。しかも、以前に帰属していた教団の問題を批判するに留まらず、感謝すべき点を見い出し、自らの取り組みを明確にしているのです。

最高最貴の御存在と自分

このように素晴らしい一歩一歩を歩ませていただく訳ですが、全ての御教えを手にして、自らの中に「教・論・律」を確立させつつ、大きな視点で御神業を推進することを心掛ける時に注意しなくてはならないことがあります。

その内容を解り易く説明するために、私の青年布教師時代に体験した内容を紹介します。

メシヤ様の真似をするということは、ある意味で大切なことであります。独自性というものは真似から始まるものであるという側面を持っているからです。学習がそうであります。勿論、追体験とはまさにメシヤ様の真似をするということでもあります。

ところが、最高最貴の御存在を超えることは不可能です。

二十代半ばの頃、本部で祭事講習を受けました。その折、研修の責任者である方が質疑応答をしたのですが、まさにメシヤ様の真似をされているのです。煙草を燻(くゆ)らせながら、質問に対して快刀乱麻のごとく答えようとされているのです。その姿勢は良しとしても、内容は必ずしも御教えに沿ったものではなのです。

参加者は神妙にしているのですが、私は“御教えと違うことを言っているじゃないか”という思いと共に、気恥ずかしささえ湧いてきたのです。ちょうど、素人のど自慢で音階を外して歌う人を垣間見ている気分に似ていました。

また、例えば御教えを読み込んでほとんど暗記するくらいになりますと、ともすると自分の文体や言い回しまでが御教えそっくりになってくる場合があります。神の座から記述していることを真似してしまうと、ともすると自分までその位にいるように錯覚してしまいます。かつて編集部という部署に所属したということから、そのような錯覚に陥りかけたことが自他共にありました。

今思うと、何のために編集部という望まない部署に所属する理由があったのか、ということを考えましたところ、やはり神の座と人間の座というものを弁えた文章作成に取り組むための修業期間であったのであろうと思います。

何故このようなことをクドクドとお話しするかと言いますと、真理を知ることの喜びとは別に、知ったことにより優越感が芽生えたりすることがあるのです。また、ともすると立ち居振る舞いが“上から目線”からのものになってしまうこともあるのです。優位性が前面に出ると、鼻を摘まみたくなる存在にもなり兼ねません。

今後の御神業が壮大であるがゆえに、推進すればするほど喜びや遣り甲斐が出てきますが、学習や体験を重ねるだけでなく人格を磨くことに重きを置いていただきたいのです。

日常生活の中で『精神的な革命』を

最後になりましたが、今回の研鑚資料「主神様とメシヤ様」を通して強く感じることは、メシヤ様の宗教観の特異性です。

今日までの宗教では悪に対する認識は対立軸にありました。それは主神様からの御啓示ではないために善悪の真意を認識できなかったからです。メシヤ様を教祖と仰ぐ多くの教団でもその認識と教義の整理が充分とは言えません。また『宗教と科学の一致』という御教えからの文明論も未確立のままであります。中でも『宗教こそ進歩しなくてはならない』はずなのに、御昇天後停滞を余儀無くされて来たことは深刻な問題です。

そのことを一段と強く思わされたことが「対談記」の最後の部分です。

『そう、つまり、いままで右か左に片寄った。片寄るということは左が縦、右は横。そこで、これを組合せなければならない。その組合せる時期にまだ来てないが、組合せて、はじめて本当の大思想が生れるわけだ。それが生れて、はじめて世界国家ができる。それこそ戦争のない平和な、病気、貧乏、争いはなくなる世界で、わたしの方のバッジはそれを象徴したわけだ。これをわたしの方では伊都能売思想といっている。イズノメとは「五三」とも書くが「五」は即ち火、「三」は水、これが、世界の思想の中心になるという意味で、これからまず米国に働きかける予定になっている。というのは、とにかく今日、世界の覇権は米国が握っている、だから米国にそういう思想を打ち樹てるということが根本で「アメリカを救う」という本も、そのごく第一歩だ。』

『また、世界を救うことになる。そこでは米国は横の国、横の中心になる。日本は縦の中心になっている。だから両方結ばなければならない。それをいろいろ学問的にやってみると、はっきり出てくる。まあ、ひとロにいうと世界革命だが、世界革命でも、精神的な革命だね。』

この御言葉の中から『五三』つまり伊都能売思想を生む、ということを強く認識させられたのです。メシヤ様は『はじめて本当の大思想が生れるわけだ』と仰っています。この御言葉を目の当たりにして、改めて主神様の御意図に沿う御神業の在り方を再認識させられたのです。

冒頭述べました「メシヤ様御降臨祭」でご報告した新しい御神業―『文明の創造』の仕上げ―への認識を、より強く持つように厳命されたように受け止めました。

どうか、この意義ある御神業を支えていただきつつ、支部を活用してお一人お一人が幸福者になっていただきたいというのが最大の願いです。そして、私達の日常生活の課題は、御言葉にありますように日々『精神的な革命』を心掛けることであります。ご精進いただきますようお願いして、挨拶とさせていただきます。(両支部での挨拶の要旨)

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