メシヤ講座・特選集no.100(平成21年5月分)

<メシヤ様対談記・9>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)と

読売新聞社科学部次長

為郷恒淳氏との御対談
(栄百七十九号 昭和27年10月22日)

秋風戦(そよ)ぐ十月四日箱根神山荘の応接間に於て

現代人の悩みは何?

 為郷氏 私は科学部の次長をして居りますが、科学部と言いましても、自然科学ばかりではなく、精神科学の哲学、宗教という面もやる様に言われていますが今の処紙面があまりありませんがその内紙面が出来たら宗教欄の様なものを作ろうと思って居ります。又其(その)様な読者の要望もありますし、世の中がそう言う傾向でありますので・・・・・・一度お目に掛って御挨拶を申し上げたいと思って居りました処、幸い新宗連の大石先生が私の大学の先輩でありますので、御無理をお願ひして参上したわけです。

 大石氏 御存知の様に今迄新聞が余り調査もしないで新宗教を悪く書いて来たので、斯(こ)う言う人達が教団の教祖方に会って話し合い率直に理解して貰い、現場に当る新聞記者を指導して貰いたいと言うのが狙いなのです。

 明主様(メシヤ様) 良い事ですね。

 為郷氏 記者の指導もそうですが、若い記者は宗教といふものは理解もないし興味もないので、大石さんの仰言る様には中々旨くゆかないと思ってますが・・・・・・

 明主様(メシヤ様) 我々も所謂宗教には余り興味がありませんよ。宗教が斯(こ)んな事を言うのは可笑しいが、と言って科学でも仕様がないのです。特に現代の青年層などが学校で科学を習って社会に出ると結局科学では駄目だという事が分って、矢張り理屈通りに行きませんので、もっと深い大きな何かを欲しいと言う希望は必ず起るのです。では宗教をと言った処でどうも今迄の宗教と言うものは、あまりにも現実離れがして、行る気になれないという感じが・・・・・・非常に多いと思います。併しそうかと言って、マルクスの方は感心出来ないのでフラフラして居る者は大変な数でありましょう。それでも何か目標にしなければならない、という訳ですが、既成宗教はああ言う風に固まって了って興味がない許りか、もう内容根本が分ってますから、それを研究した処で理屈丈は旨く出来てますが、それに心血をそそぐとか、大いに期待をかけるとかは出来ないのです。そこで新宗教と言うことになりますが――新宗教は今迄の既成宗教にないものを夫々持っています。もちろん既成宗教と同じでは発展性もなにもないのですが――では、どのような理念が未来のそう言った力になるかと言うと、それが又難しいのです。私なら大いに自信がありますが、そうかと言って、大体新宗教と言うものは相当長い間軽蔑されていますから、斯(こ)うだと言った処で、直にそれに飛び附いたり呑み込む事は難しいですし、時代もそう言う現状です。私の方ではそれ等を救う自信がありますから、それを一生懸命にやっている訳なのです。今は新興宗教氾濫時代ですが之が結局整理されます。之は時の問題です。本当に良いもの丈が残ると言う訳でしょう。

一厘の神様のお仕組とは?

 為郷氏 明主様(メシヤ様)之はどんなものでしょうか、大分前から疑問に思って居りました事ですが、真理とか、正しい教えとか言うものは、世の中には一つしかないのではないでしょうか。

明主様(メシヤ様) 無論そうです。真理と言うのは一つしかないのです。

 為郷氏 そう致しますと昏迷して来る事になりますが、之が外国の様にキリスト教一本でありますと、宗教は楽なのですが・・・・・・。

明主様(メシヤ様) そうです。日本位多いのは無いでしょう。之は全く――それが日本の特徴なのです。其(その)点を言いますと、兎に角(とにかく)日本は世界のあらゆるものを綜合して新しい文化を作るという使命があるのです。ですから日本には宗教でも他のあらゆるものでも一番数多くあります。それは芸術でも文学、美術、演芸でもさうですし、衣食住もそうです。といふのは、日本から綜合したものが出来るのです。ですから真理と言うのは全般にいくのです。共産主義とか資本主義と言うのは真理ではないのです。それが含まれ最高道徳によって律せられるものそれが真理です。そこで宗教も、日本には世界中の宗教が綜合された様なものが出来るに違いないのです。夫(それ)で真の文化と言うのは宗教が中心です。宗教から哲学、科学となっているのです。ですからアメリカの文化は結局キリスト教が中心です。最初ピューリタンがアメリカに渡ってそうして開拓したのです。そうして宗教が中心なるが故にアメリカの文化というものは世界中に非常に共通性があると言いますか・・それに対して共産主義というものが頻(しき)りにやってますがあれも必要なのです。あれも手伝って矢張り本当のものが生れます。そうして神様と言うのは結局善悪両方を作って、それを闘はせて本当に良いものを生んでいくのです。今迄は、唯物文化が発展する時代だったので、唯物文化が善悪の争いに依って生まれたのです。原子科学も飛行機でもそうです。ですから悪も必要だったのです。此の見方と言うのは主神の見方です。主神は善悪両方共造ったのです。処が今迄の宗教というのは善の方の神様丈なのです。それで善の方の神様丈では物質文化は出来ないのです。発達しないのです。処がそういう行り方は無限ではないのです。或る時があるのです。というのは余り物質文化が発達した為にそれを悪が利用して、人類を滅亡させる様な時代に段々なってゆくのです。そうでしょう、原子爆弾を悪が使ったら人類は滅亡して了います。それで此の辺りで悪を止めると言う時が来るのです。それは独り戦争ばかりではありません。所有る面がそうなるのです。それで私の方で九分九厘と一厘と言う事を言いますが、九分九厘迄悪が勝つのですが、一厘で掌を引繰返すと言う事ですが、つまり一厘の力です。一厘の力と言うのは物質面の力ではないので見えざる霊的の力です。此の力で悪を押返して今後は善の方が多くなるのです。それで悪は全然無くなると言う事はないがつまり善の方が勝つのです。そういう時期と言うものは今なのです。それでキリストが言った「世の終わり」とか「最後の審判」とか言うのは今迄の悪が勝っていた世が終わるということです。それを今私はすっかり書いているのです。之は文明の創造という本です。それを世界中へ配るのは勿論、ノーベル賞審査会にも出します。各国の著名人にも読ませて批判をさせようと思っています。

「アメリカを救う」とは?

 為郷氏 日光殿でお話を伺っていて感心したことは「アメリカを救ふ」といふ論文がありました。夫から美術関係のアレを伺って感じた事は非常に文章が達意といいますか、我々新聞記者も、そう考えているのですが、非常にむつかしい言葉を使わないで思っている事をピタッと言ってそれで野卑に流れないといふ事が、よく表われていました。

 明主様(メシヤ様) 兎に角私の説は恐ろしく飛躍的ですから聞きなれないと、ビックリしますが、実際に合って来ますからそれで判って来るのですが、結局高遠な真理を出来るだけ一般にわかりよく書くというのですから、中々やっかいです。それで私の目的といふものは世界人類を救ふのです。日本丈を救うのではないのです。アメリカを救うといふ事は、実に身の程知らないと思ふでせうが、私は世界人類を救うとしたら、一番勢力のあるアメリカを救うという事が一番効果的です。それから又、兎に角アメリカは宗教を根本としてそうして平和を維持するという点で、矢張り救わなければならない国です。どうも共産主義の方を救うといふ事は出来ません。彼の方は無神主義が根本で全然反対ですから、止むを得ません。それでアメリカは今、非常な病人で年々殖えてます。私は統計を見て驚いたのです。その統計もすっかり出します。

為郷氏 種類もそうなのでしょうか。

 明主様(メシヤ様) 種類も段々多くなって来たのです。それで病気の原因と言うのは薬なのです。ですから薬の為に病気が起ると言う事は単なる物理化学の為です。そこで私が今かいているのは、理論心霊学とそれを裏附けているのが今病気を治している奇蹟です。

 為郷氏 アメリカを救うといふ論文が出ますと、アメリカ人も相当救われますね。我々もアメリカ人とつき合っての経験ですが、ダメな奴はダメで、中々多いのですが、好い奴はコツンと頭を叩いてやると、「アアそうか」といって反省する―そういう点は、立派な所があります。

 明主様(メシヤ様) そういう点がアメリカを発展させた重要な原因でせう。兎に角伝統にこだわらないで、好いものなら良い、日本人だろうが中国人だろうが、良いものは良いといふ非常に広い世界主義的なそれが矢張りいいのです。日本人にはそれが非常にないのです。やはり島国根性でせうね。

大石氏 人が良くなると直ぐ攻撃しますからね。(後半は次回掲載します。)

 

「御神体御奉斎十周年記念祭」特集

≪体験報告≫

すべてが最高のタイミング

神奈川県川崎市 山本千春

本部御神体御奉斎十周年おめでとうございます。

このような素晴らしい日に、感謝のご報告をさせていただきますことを嬉しく思います。

1.ホームページ開設

平成12年、メシヤ教が発足しました。

これから、メシヤ教の教えをどのように広めて伝えていくのかが課題でした。

父の提案により、これからはインターネットの時代であり、不特定多数の方々に閲覧していただける利点を踏まえ、メシヤ教のホームページを開設することになりました。父は、楳木先生と連絡を密にし、ホームページのレイアウトを考え、メシヤ講座や体験記を掲載して、インターネットメールで気軽に質問できるように、準備が始まりました。

私も微力ながら、文章を入力する作業をお手伝いさせていただくことができました。

(ホームページの【浄霊】項目部分です)

現在では、三重支部、浜松支部にホームページが開設され、また神奈川ではブログも始まりました。メシヤ様を通してネットワークが広がりつつあり、とても嬉しく思います。

今思えば、私の人生もメシヤ教発足と同時に、最高のタイミングで歩み始めたように感ぜずにはおれません。

2.転勤、結婚、出産

私は入社して3年で、本社へ転勤になりました。平成11年のことです。

パソコンの2000年対応、グループ会社の統合、社長交代、社名変更、転籍者およそ150名受け入れと、激動の6年間でした。後半2年間は、朝9時から夜8時~10時頃まで仕事をしていました。よく、身体を壊さなかったなと思います。これも日々、御教え拝読、自己浄霊に取り組めたからではないかと思います。浄化もいただきましたが、必ず年末年始や、連休などで、仕事を休むことなく勤めることができました。

そんな中、平成16年に主人との結婚を許されました。

そして、平成18年に身籠り、楳木先生に【へなちょこ妊婦の楽チンお産】という本を紹介され、早速取り寄せました。

私は、小さい頃から薬に頼らない生活が許されていましたので、お産もあまり深く考えずに自宅出産を考えていました。

でも、現実は厳しいものでした。

私は病院で出産する選択肢はありませんでした。この本を読んで、助産院の存在を知ることができ、隣駅近くに助産院を見つけ、通い始めました。年配の先生でしたので、経験豊富な方に診てもらえるという安心感がありました。

病院では、エコーの現像代や診察で結構な金額になってしまいますが、助産院では、エコーはするものの現像せず、病院の約半額に近い金額でした。診察時には触診の仕方を教えてくださいました。

一時は逆子にもなりましたが、毎晩触診してお腹の赤ちゃんの位置を確かめ、「頭は下だよ~、あんよは上だよ~」と誘導していました。

そして、8ヶ月過ぎまで仕事を続けることができ、産休に入りました。

平成19年2月13日、陣痛が始まりました。

翌日、母と主人に見守られた中、無事息子を出産することができました。今思えば、息子はラッキーベイビーだったのかも知れません。

ナチュラルハーモニーのお野菜を頼んでいらっしゃる方は、ご存知かもしれませんが、【自然誕生に込めた思い】という本に、こう書いてありました。

【普通は赤ちゃんの頭が下がってきて、もうすぐ出るよというときにパッと破れて、羊水が出ることで産道が滑らかになって生まれてきます。それが自然な経過を待っているうちに破水しないで産まれてくる子がいます。いきなり外界の刺激を受けない状態で、産道から感染も起こらない。昔から「ラッキーベイビー」と言われていて、すごく幸せに育つと考えられているそうです。】

私は出産時のことを思い出し、息子の頭が出てきた時、まだ羊膜に包まれていて、助産院の先生が「まだ羊膜のままだ。破るわよ(人口破水)」と言ったのです。

もっと早くこのことを知っていれば、「そのままでお願いします!」と叫んでいたことでしょう。ラッキーベイビーだったのかな・・・と思うと、残念でなりません。

次に子供を授かることが許されましたら、もっと自然なお産をしたいと思いました。

出産後ですが、楳木先生に「75日間は、浄霊を取り次いではいけない」また「細かいことに眼を使ってはいけないから、テレビや新聞、本、携帯電話は見ないこと」と教えてくださいました。

初めは、何故だか不思議でしたが、実際身体で体感しました。

友人から沢山のお祝いメールなどいただき、少しだけなら大丈夫・・・と思いましたが、後でとても身体が疲れて気分が悪くなったのを覚えています。また母乳育児を心掛けていましたので、なるべく気を付けて過ごしました。

実家から戻り、浄霊を取り次げないことがとても不安で、主人に「私が浄霊を取り次げるまで、一日5分でいいから息子のためにお願いします」と浄霊をお願いしました。まだ主人は信仰に一線を引いておりましたが、私の気持ちを受け止めてくれて、毎日続けてくれました。本当に感謝しています。

3.復職

1年間の育児休業を経て、母の協力もあり、無事復職することができました。

私が妊娠した年から、国や会社の制度が良い方向に改正されました。国の制度は、平成18年10月より出産育児一時金が30万円から35万円に増額、育児休業者職場復帰給付金は平成18年3月末以降に職場復帰した者から給付金が10%から20%になりました。

会社の制度は、平成19年中に短時間勤務制度が制定されました。

以上のことを踏まえ、やはりメシヤ教が発足したと同時に、私の人生は全て最高のタイミングに歩んでいるのではないかと思います。

現在、川崎支部の月次祭に参加していますが、いつも皆さんにお会いできるのが楽しみでなりません。何故かと申しますと、お会いする度に活き活き生活していらっしゃる様子がお顔に表われているからです。私も頑張らなければと気が引き締まります。

そして、メシヤ講座のご高話では、まだまだ知らないこと、改めて気付かせていただくことが多々あります。

大黒様もお迎えすることができました。今までの感謝を胸に刻みつつ、これからも更に御教え拝読、浄霊に励みたいと思います。

ありがとうございました。

感謝が膨らみ継続することが全ての基礎

大阪府松原市 田中美栄

御神体の御奉斎から人生に転機

大阪から参りました田中美栄と申します。

メシヤ教本部御神体御奉斎十周年おめでとうございます。

以前、体験記にも書かせていただきました、その後の学びを報告させていただきます。

メシヤ教と御縁をいただき御神体を御奉斎させていただき、卵巣膿腫のために医者からは子宝の可能性は“低い”と宣告されていましたが、第一子を授かることが許されました。

メシヤ教に御縁をいただくまでは食品は市販のものでしたし、お米は無農薬でしたが高額で経済的にも負担が大きく、卵巣の持病もありましたが浄霊の急所も分からないまま、何時また身体が不調になるかと不安な毎日でありました。

それからは、先生より自然食品、自然農法産のお米やお茶を教えていただいて、極力添加物を排除した食品を心掛けるようになりました。

身体の方は出産を機に痛みが無くなりました。

そして、三年後には次男を授かりました。その三年間は、仕事をしながら子育てをしておりまして、授けていただいたにも拘(かかわ)らず、保育所に預けて仕事、家事とに精一杯の日々を過ごしておりました。

“何か、今やらなければならないことがある・・・” “このままではいけない・・・”と思うところがありまして仕事を辞め、次男が生まれてからは専業主婦となりました。

しかし、辞めた途端に何をして良いか分からず、毎日力が抜けたような感じがしておりました。

“やっと授かった子供・・・私は何をしているんだろう・・・私は何をすべきなのだろう”と、そんな事ばかりを考えていました。現実にはできることとできないことがあります。生まれたばかりの次男、幼稚園に通い出した長男、家に籠もることが多い自分・・・。

気持が先走り、出口のないトンネルをあてどもなく進んでいるような気持でしたので、何度も何度も先生からご指導いただきました。

錯覚に気付く

結局、私自身の“依存性”“幼児性”に原因があると気付いたのでした。仕事を理由に、御教え拝読、浄霊が疎かになっていたことも事実です。

“やらなければいけないことは分かっていて、専業主婦になり行動しているつもりでも、まだ分かっていなかった”過去の自分は、仕事をしている事で“自分は頑張っている”と錯覚していたのです。慢心していたとも思います。そこまで気付くには、私自身大変骨が折れました。

自分で自分に気が付かなければ、本当の意味で『人格向上』になりません。

そのように気付いた時からは何か吹っ切れたような気持ちになりました。そして、その時に本当の子育てということを学ばせていただきました。

また、“唯一今、私ができることは”と考えました。それは、月一度の月次祭の準備です。お仕事をしておられる方、高齢の方、浄化をいただかれている方、小さいお子さんが学校に通われている方、皆さんはこの日のために頑張って来られます。私は、心地良く居てくださるように・・・と掃除をいたします。

月次祭の場としてとして我が家を提供させていただけるのも大変有り難いことなんだ・・・私に許された御用だ・・・と思うようになりまして、その日を軸に何事も考えて行くようになりました。

そのようにさせていただきますと、日々ブレそうな現実を月次祭でリセットしていただけるような感じになり、また次の日から清々しい気分で人格向上を目指して行こうという意欲が出ます。

友人にいただいた御守護で更なる確信

そして、日々御教え拝読、浄霊を重ねていきますと、新たな出会いや御縁、やるべきことへの方向性が見えてきます。そうした学びの間に、一度離れてしまっていたYさんから連絡が来るようになりました。

以前にメシヤ教に御縁をいただかれたのですが、私の学びが足りず疎遠になっており、連絡があったのは三年ぶりくらいだったでしょうか。その時は、もうそれは暗い声でして、後で聞いた話ではYさんは最後に私へ電話して、死を覚悟していたというのでした。

そんなことがありまして、それからまたお世話させていただくことになりました。時間のある時は、夕飯の支度をしてから子供を車に乗せて定期的に御浄霊に行かせていただくようになりました。

それから少しずつ好転して行き、私もYさんも身を持って体験したことも重なり、二ヶ月後には大きな御守護をいただき元気になりました。

初めはどうなることかと、幼友達ですので尚更心配しておりましたが、だんだん周りの環境も変わり始めました。Yさん自身も前向きな気持ちになり、神様中心の生活をさせていただくことで、色々なことがクリアされていく変化を見て、目で見えなくても神様の御力を更に確信いたしました。

再度繋がりお世話させていただくまでは、よくお酒を飲みに行ったりして家を空けることが多かったようですが、今では「全く関心が無くなった」と言っていました。

そして、現在忙しい仕事の中、月次祭を軸に頑張って来られます。

こうして考えますと、私は御神体を申し込ませていただき子宝を許されました。それが、私にとってメシヤ教の信仰における原点であり、その感謝が膨らみ、継続されることが必要だと思います。メシヤ様の手足となって御神業を担わせていただく時に、絶えず初心に置くことが大切だということが、自分自身の人格向上の基礎にしっかりと根付いていなければならないと思いました。

現在私は、新たな御神業を許され、スケジュールも御神業中心としますと予定が上手く枠にはまっていくようになり、毎日遣り甲斐、生き甲斐が持てるようになりました。

まだまだではありますが、御神体をご奉斎させていただいてから七年目になりますが、少しでも人格向上を目指して一歩一歩焦らず日々努力し、小さな良き種を蒔いて神様のお役に立てますように頑張りたいと思います。

ありがとうございました。

≪挨拶≫
御神業の方向と幸福への道

メシヤ教代表 楳木和麿

御神体御奉斎十周年を迎え感慨一入

皆さん、おめでとうございます。また、遠路にも拘(かかわ)りませず、このように大勢の方々がご参拝くださいまして心より感謝を申し上げます。

本日ただ今、この御神床に御神体を御奉斎させていただいて丸十年になります。早いような、ずいぶん時間がかかったような感慨がありますが、このように大勢の方々と記念祭をさせていただけることを重ねて感謝申し上げたいと思います。と言いますのは、十年前に御神体を御奉斎させていただいた時に、私の家族と信者さんはまだ1軒しかなかった訳です。ですから十人に満たない方々と御神体御奉斎式をさせていただきました。

また、ブログ「日月地」で今回「御神体御奉斎記念祭」についての質問に答えてあります通り、最初はメシヤ教という独自の活動をするということよりも世界救世(きゅうせい)教の教団改革を一旦外部から事の真相を書籍に著わす形で進めるという予定でありました。

しかし、諸事情により急遽メシヤ様から『教団改革は、批判するだけでは本当の改革にはならない』と、また『ゼロから御神業に取り組むように』という御神示をいただいて、それでは“信仰の中心になる御神体をどのようにさせていただいたら良いのか”ということを僅かな期間で決めることになりました。

以前の教団で御神体について異論を唱えてはおりましても、いざ自分で御教えに沿って準備するということは大変な決意が必要でありました。そして、メシヤ様のお文字の決定、御神体の謹製方法の在り方選択、というように矢継ぎ早に進めねばなりませんでした。しかし、お蔭様でその当時の方々の尽力によって短期間で準備が整い、表具師と綿密な打ち合わせをして表装の作業に入った訳です。

4月の末に表装が仕上がりましたので、“何時、御奉斎をさせていただこうか”と考えていたところ5月5日に決まりまして、この場で「御神体御奉斎式」を執り行わせていただいたのです。いざ御奉斎させていただくと、大変に意義深い日取りとなった訳です。(参照:「メシヤ講座・浜松」5月分)

そして、その後“何故この大分県の玖珠という所で「主之大御神」様の最初の御神体を御奉斎しなければいけないのだろうか”、“どうしてこのようになったのだろうか”ということを考えつつ御教えの検索、それから「○」に「・」というお文字の研究に没頭をしましたところ、以前「メシヤ講座」でお話した通りのことが明らかになったのです。

このお文字は今から約三千年前に使われていたホツマ文字の中では「あ」という文字であります。「日本人に神様が『あ』という言霊(ことたま)を教える際に、『あ』という言葉が出る前に霊界の方でまず『クスツフムヌル』という無声の声が響いて、それが飽和状態になった時に「あ」という言葉が成り出でたとのことです。それでこのお文字というのは「クスツフムヌル」ということをしっかりと認識しなければいけない、という想いに至った訳であります。

【参照文献】

【悠久なる大宇宙の歴史の間に於ける一時(ひととき)、この葦芽気(あしかび)の姿を具へた大宇宙が、自己みづから、此のクスツフムヌルの『リズム』の飽和に耐えかねて、自ら鳴り出しました。

之が『宇宙剖判』の始まりで、その宇宙初の声は即ち『ア』という母音であります。】(「日本超古代秘史研究原典」吾郷清彦著・新人物往来社)より抜粋)

こうした取り組みや作業を進めつつ、家庭用の御神体の準備が整いましたので、当時少数ではありますが支えてくださった関東、東海で御神体御奉斎が許されました。そして、そのお宅で毎月「月次祭」をさせていただくようになりました。

また、山本さんが発表してくださったように実家のお父さんから「これからはインターネットの時代だからメシヤ教の情報を発信していったらどうか」との申し出をいただきました。その頃の私はパソコンを一切触れなかったので、一から学習しながらという状態で、種々教えていただきながらスタートいたしました。

それから、「善言讃詞」は前の所属教団でもメシヤ様が最後に御手をお入れになったところまで戻すという作業をしたのですが、どういう訳か『仁愛の御手に帰一され』というところだけが抜けてしまっていたのです。それでは三派の統一とか万教帰一という言霊(ことたま)が響いてゆかないので、これを入れて、そして一部読み方の違うところがあるので、これも改正して「祈りの栞」の作成をさせていただきました。

また、「祈りの栞」を作成したので、メシヤ教の基本理念をまとめた「祈りの栞に寄せて」という本を上梓するという作業を進めて、それがその年の6月15日に仕上がりました。

メシヤ様のお導きがあったればこそ

同時に、「御守り(おひかり)なしでの御浄霊」をどのようにして皆様方に伝授してゆくかということでは、貴重な出会いがありました。御神体の準備を終えてから大阪府茨木市にある「健富和協会」という教団を訪ねました。これは現・新健康協会から枝分かれした教団ですが、ある宗教辞典では「五六七大御神」様が主宰神というように紹介されていましたので、そこに至る経緯などを確認する意図で本部に立ち寄った訳です。

そうしましたら、本部なのに誰もいらっしゃらないような状態でした。そこで裏へまわってみましたらご婦人が出てこられましたので、私が来訪の趣旨を説明いたしますと、「御神体については誤報」だったのですが、そのご婦人は初代会長の奥様でありました。そして、「急遽留守番をする人がいなくなったので、今晩私が当直をすることになったのですよ。予定外に私が当直することになったのは、あなたと出会って何がしかの話を明主様(メシヤ様)が『伝えよ』という理由があってのことでしょう」と、快く応対してくださいました。

まず、現・新健康協会が創立された謂れ、次に健富和協会が独立するに至った経緯、更に「御守りなし」で浄霊を普及してきた経過を細々と話してくださいました。その一部が「祈りの栞に寄せて」という本に引用している内容だったのです。

ですからずーっと辿って思い起こしてゆくと、メシヤ様のお導きによってこの御神体の御奉斎を迎え、また「御守りなしの浄霊」という取り組みが許されてきたことが、思い知らされます。

そして実質的にメシヤ教を発足させたのは翌年ですので、来年の2月4日に創立十周年になります。その発足の2月4日に「メシヤ講座」の第一号として、宗教宗派人種を超えて浄霊力を伝授するための「浄霊」という本を作り上げた訳です。(不思議な期日が重なったので、「このような慶事が、ミレニアム(千年紀)を迎えた今、訪れようとは、願ってはいても“有り得ることか”と我が耳目を疑う思いです。」と記述しました。)

それを皮切りに「メシヤ講座」を始めまして、パソコンも慣れたところで皆さんと種々勉強し合っている内容をホームページの中で紹介してゆこうということで、「メシヤ講座・特選集」の掲載を始めた訳であります。

こうして皆様方と出会って今日の十周年を迎えることができたのも、ほとんどの方がこのホームページを通してでありますので、大変な役割を担ってきたという訳です。これからも、よりホームページの充実を目指したいと思います。(お蔭様で、支部のホームページやブログが相次いで開設されネットワークが広がりを見ています。)

情報精査の仕方が明暗を分ける

そういった十年前を彷彿とさせてくれる山本さんの発表は、涙を誘われてしまう感動的な報告でありました。

山本さんの報告を聞いていますと、御本人にとって一番大きいのは何かと言いますと、情報の精査と時流に乗ることの大切さです。二千年以上前に御釈迦様が「人類の不幸は無知である」という言葉を残していらっしゃいますが、それはまさに仏滅を迎えた現代に最も相応しい言葉であると感じております。

お産の際に書籍を参考にして助産院で出産を行ったら、後々に更に素晴らしい様々な情報を手に入れることができ、視野が広がりました。それから日本の社会で、育児制度が大きく改正されて女性にとって働きやすい環境作りがなされていますが、自らその恩恵に与(あずか)りました。

それらをどのように捉えるかというと、世の中というのは愈々「最後の審判」の形というものが出てきているために、テレビや新聞紙上の報道では目を覆いたくなるようなものばかりですが、同時に人間の叡智というのが結集されて制度面で非常に良くなっていっている部分もあります。ここには理想世界に向かって着々と築かれている人類の叡智というものがあります。

私達が生活してゆく上においては、この叡智の部分で築いてきたことを如何に自分が「知って活用してゆくか」ということが大事なのです。そういうことを山本さんの体験発表から改めて感じさせていただきました。これからも「メシヤ講座」を通して人類が叡智を以って築いている良い面の情報を共有することが課題です。

また一方、田中さんの報告では、田中さんという方はホームページを通して初めて御神体を申し込んだ方です。私を最初から支えてくださった方々の御神体御奉斎が終了した後に、全く私という人物を知らないでホームページだけで情報を得て「メシヤ講座を読んで、非常に解り易いので連絡しました。」というメールから、すぐ御神体御奉斎の申し込みをされた方です。その時の様子は卵巣膿腫という非常に重い病気を抱えておられ、医者からは「妊娠はあきらめるように」と言われていた中で、御神体を申し込むために奉納金を納めた月に懐妊を許された訳です。

そして、報告では「人格向上」ということを柱にして報告してくださいました。田中さんは神慈秀明会から別の独立教団を経て、そしてメシヤ教に繋がってこられました。それとホームページを見て繋がってこられたということは、メシヤ様を教祖に仰ぐ教団に関する情報を数多く持っておられる訳です。

それ故に、御神体御奉斎を通して大変な御守護をいただいたのですが、心の面がしっかりと定まるためには、氾濫する情報を自分なりに精査しながら自分の中に信念体系を築いてゆくということが課題としてあった訳です。

それから同時に、赤裸々に田中さんが語ってくださったように、自分が幼少のころからずーと育った過程で身に付いたものと身に付いていないものがあって、御教えから得る理想像と現実の自分とのギャップに随分と悩んでおられました。

自らによって『最後の審判』を選択する

それで私が一貫してずーっと話したことは、「祈りの栞に寄せて」という本の中の「教祖とは」というところを主軸にした内容です。面談の度に、その話を重ねてまいりました。「教祖とは」というところを読み返していただくと解ると思うのですが、教祖になる人は教祖になるまでに大変な苦労をされているのです。この苦労をする中で何を身に付けるかというと、「人を救う言葉」を身に付けるのです。

「どのような人にも救いの言葉をかけて上げる」という、その言葉を身に付けるために苦労します。そして、もう一方ではご啓示が降りた瞬間に、人を救う力が授けられます。この力と言葉によって教祖というのは様々な人を救ってゆきます。

そこで重要なことは、教祖という方が苦労の中で「人を救う言葉を身に付ける」とは何かというと、「感謝を絶対に忘れない」ということなのです。自分が病気になった時に励ましてくださったり、慰めてくださったりした、その時の相手の言葉を全く忘れない人しか教祖になれない訳です。

“喉元過ぎれば熱さ忘れる”というような人は教祖にはなれないのです。そういう意味では、教祖に続く布教師もそういう人でないと本物の布教師にはなれない訳です。

ですから田中さんにも「自分がいただいた御守護というものを絶対に忘れない」という心をまずしっかりと持っていただきたい、と強く取り次いだのです。御神体を申し込んだ時に医師が「不可能だ」と言った子宝を許された、「このことを絶対に忘れないで、感謝が膨らんでいけば、人生というのは後々非常に豊かなものになるんですよ」ということを私は繰り返しお話しさせていただきました。

最後にそれをまとめて報告くださいましたが、「メシヤ講座・特選集」に掲載いたしますので、どうか皆様方お一人お一人の人生と照らし合わせて考えていただければ有り難く思います。

そういう意味で大変学びのある体験談だったと思います。山本さんに続いて涙無しには聞けない体験談だったと思います。

そこで、このお二人の体験を通しまして、その学びを今後どのように活かしてゆくかと言いますと、お二人には共通するものがあります。

先程もお話しましたように「情報」というものが非常に氾濫しております。「最後の審判」の時には何か「大地震」が起きたり、「大洪水」が起きたりそういうことを私達は想像するのですが、実は、正しい情報と間違った情報が大洪水のように押し寄せてくるということが「最後の審判」の一番大きなところであります。その情報を如何に自分が取捨選択してゆくかということが大事なのです。

だから四月に「インフルエンザ・ワクチンは打たないで!」(母里啓子著・双葉社)という本を紹介しました。疫学について長く貢献してきた方の著書ですが、内容を見ると、今世の中で「新型インフルエンザ」と言って騒いでいることが物凄く陳腐に見えます。

ある解説者は「インフルエンザで騒いでいるのであれば、日本で結核患者は毎年十万人単位で発症している。そしてお亡くなりになる人達がいる。こっちはどうなっているんだ。このことに触れないで今わずかな発症者が出ているインフルエンザで騒いでいるのはどういうことだ」、「自殺者は近年増えているが、インフルエンザの対応策よりもこちらの方が重要ではないか」と、指摘しています。

全くその通りで、例えばインフルエンザ脳症という病気がありますが、この病気にかかった人の脳を解剖してみるとインフルエンザ・ウイルスは脳の中に入っていなかったのです。しかし、インフルエンザ脳症という病名を付けたために“インフルエンザになると脳症になる”と錯覚してしまうのです。

こうした矛盾を承知しておかないと、私達はテレビから流れてくる情報で大変な不安感に襲われてしまいます。ですから、こういう研究者や長年疫学に取り組んできた人達の正確な情報というものを取り寄せて、「最後の審判」に差し掛かった現代を、正しく有意義に生きてゆくということを私達は得ていかなければなりません。

そうした意味において、重複しますがより一層「メシヤ講座」を充実させていただきたいと思います。充実させるためには、皆様方も自分の身の回りでより良い情報というものを手にして会場に集って、取り組むことができれば大変有難いと思います。

何故なら、その積み重ね、日常生活の心掛けが、「最後の審判」を選択していることになるからです。

宗教とは何かを理解する

昨日大雨が降りましたが、本日まで続くと困るなと思っていたところ、今朝は晴天に恵まれ、洗い浄めていただいて「十周年記念祭」を迎えられるという御神慮を感じました。今朝は神様に対する感謝の念というものが沸々と湧いてきて、予定より早く目覚めました。

この御神慮というものを私達は受け止めながら、これからもより一層御神業を進めてゆく上において、皆様方に是非もう一度肚に入れておいていただきたいことがあります。

それは宗教に関する認識です。宗教界では一番話題になったオウム真理教の問題を整理しておかなくてはなりません。教祖という人はチベット密教を修めて悟りを開いたと言ってます。しかしそれに続く人達が同じ悟りを開きたいために薬物に手を出し、ヘッドギアというモノを使って悟りを開こうとしたところに狂いが生じて、ああいう大事件を起こすことに繋がった訳です。

この狂いが何故生じるかというと、宗教というのは目に見えないものを相手にして、目に見えないものを中心に動いてゆくのですけれども、そこに“モノ”を取り入れてしまうと狂いが生じてくるです。ですから、日本の場合は、まだオウム真理教の問題に対して学者も整理をつけないで今日を迎えているために、本来の宗教観というものが日本人全体にキチンと整理された形で浸透しておりません。

先月も各地で触れましたように、古代の生活そのものが宗教なのです。神律あるいは自然の摂理というものを重んじて生活していた、その人間生活こそが宗教なんだということです。この認識を持っていただかないと、宗教と言うと特定の宗教団体というように勘違いをしてしまいます。人間生活そのものが本来宗教なのです。

しかし、本来の人間生活が営まれていないために、諸問題が生じているのです。ですから、私達がこのメシヤ教を通して進んでゆこうとしているのは、宗教団体という組織として進んでゆこうとしているのではなく、人間生活そのものを本来の在り方に導き、より充実した人生を歩むために信仰を培っているんだという認識です。

そういうことをこの「十周年記念祭」でもう一度認識しておいていただければ有難いと思います。

それを踏まえて私達の信仰生活は何かというと、これは教祖であるメシヤ様の追体験を日常生活で行うということです。追体験をするということは一体どういうことかと言うと、多くの方々はメシヤ様の偉大さを全面的に知らされております。だからメシヤ様という御方は「神様だ」と、そして「この終末期に救世主としてご出現された御方だ」と教えられてきました。それは、そのものなのですけれども、神様というところに力点を置き過ぎると我々の信仰生活というものがメシヤ様の追体験になってゆきません。

メシヤ様という御方は最初画家になりたかったが、眼病を患ったために画家を断念しました。画家がダメなら蒔絵師になろうと修行をされている時に人差指の筋をお切りになります。ですから御写真を見ると人差し指が反っていますね。

そこで芸術品を扱う小間物屋を始められて、大成功を収められます。成功を収められた才能に目がゆきますが、メシヤ様が一番実践されたことは朝一番先に起きて掃除をするということだったのです。何事においても自らの持ち場を掃除し、整理整頓してゆく、というご姿勢がメシヤ様にはおありになったということを改めて私達は持っておかないと、浄霊の奇蹟をいただけばいただく程私達の信仰はぶれてしまいます。

日々メシヤ様は何を心掛けていたかということを忘れていると、奇蹟をいただく程に人間が横柄になります。だから「威張るナ 怒るナ 早まるナ」という『るナ三訓』をメシヤ様は与えてくださっている訳です。

更には、メシヤ様は御在世中40万人くらいまで信者が膨らんで偉大なる教祖として仰がれた時にでも、夜2時に御神業例えば口述筆記を終えられた時に、口述筆記の担当者には後片付けをさせずに部屋を退かせています。後片付けは御自分でなさっておられます。

ここが他の教祖と全く違うところなのです。全部準備が整ったところへサッサッサーと出て来て、何か喋って「後は頼むよ」とサッと退かれるような教祖ではないということなのです。口述筆記を終わった時に「御片付けしましょうか」と言った担当者に、メシヤ様は『お前は口述筆記の担当だからそれだけをやっていれば良いのだ。部屋の片付けは私がする』と仰って、全て御自分で片付けて就寝されております。

ここが偉大なる神様であると共に、“人間として日々絶えず心掛けておられる素晴らしいお姿がそこにあるのだ”ということを私達がしっかりと捉えておかないと、自分の信仰がずれてゆきます。

ですから、メシヤ様を教祖として仰でいる信仰者というのは、「メシヤ様が御在世中の、言わば“生きざま”というものを追体験する」という生活を積み重ねてゆく生活者のことなんだということです。つまり、朝起きた時に男であろうが女であろうが真っ先に掃除から始めないといけないということになってくる訳です。

そういうことを今日は心に置いていただいて「信仰生活というのはメシヤ様の追体験をすることなのだ」と、そういうところからもう一回自分の生活を見つめ直していただきたいと願います。そして、メシヤ様の御精神を現代に求める生活というものに、より一層高めてゆこうというお気持ちになっていただけると大変有難く思います。

私達の信仰と御神業推進

御教えについては、現在、担当の方々に全論文・全質疑応答形式の御教え・詩歌を全て揃えてもらうように、作業を進めていただています。これを皆様方の手に渡しますので、それを根本の「教」として、それに基づいて現代の世相を判断する「論」を形成して、“こういう世の中だからこそ自分はどういうことを心掛けて生活をしないといけない”という「律」というものを築いていただきたい。この「教・論・律」を日々自分の中で培っていくのが信仰生活なのです。

そして、一人でも多くの人々がメシヤ様の偉大なる御力の恩恵に浴することができるように、一層宗教宗派を超えて、人種を超えて浄霊力を伝授してゆくという取り組みを進めさせていただきたいと思います。

また、浄霊を通して私達の病気が治ったり問題が解決してゆきますが、御守護をいただくというのは霊の曇りが解消するからなのです。しかし、解消された後に再度霊の曇りを発生させると、それでは信仰を何のためにやっているのか判りません。それで、霊の曇りを解消すると同時に再び霊の曇りが発生しないような生活をすることが信仰生活だということになります。

曇りが発生しないためには、『霊体一致の法則』に基づいて身体を汚さないということで、食べ物をはじめとして衣食住に細心の注意をしてゆくという取り組みが一つです。そして、「心・言・行」の中で曇りを発生させないということが同時にあります。言うこと、行うこと、思うことの中で曇りを発生させない、という心掛けです。

そういうことが揃った時に初めて、私達はメシヤ様の御教えを実践しているということになるのです。どうか、今日のこの時に再確認してください。十週年ですので、縦横諸々結ばれて今日から愈々新たなる御神業が始まります。

その御神業の中で根底に置いていただきたいことが「メシヤ様の御教えに基づいて『教・論・律』を日々形成してゆく」信仰生活を歩みながら「宗教宗派、人種を超えて浄霊力伝授する」取り組みをより一層拡大してゆくということです。

そして、自分自身が幸福者になってゆくためには曇りを解消すると共に、二度と同じ曇りを発生させない生活を心掛けてゆくということ、つまり「心・言・行」と「衣・食・住」に気を付けてゆく課題を持ちます。

そういう日常生活を送らせていただくことが今日よりの信仰生活なのだ、御神業の推進なのだ、ということを心にお留めいただいてスタートしていただければ幸いであります。

本日は誠にありがとうございました。(要旨・10年前のエピソードは割愛しました。)

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