メシヤ講座・特選集no.99(平成21年4月分)

<メシヤ様対談記・8>

メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。

明主様(メシヤ様)

フランスのパリ・マッチ誌主筆

レモン・カルティユ氏夫妻と御対談
(栄百六十四号 昭和27年7月9日)

昭和二十七年六月二十二日、此日御引見の間に用意された神山荘(神仙郷内)の応接間は恰(あたか)も箱根大渓谷の樹海に乗り出した船橋の如き雄大な感じのする御部屋であった。

午後二時、フランスで一番大きいパリ・マッチ誌の主筆レモン・カルティユ氏夫妻、通訳の労を執られた外務省情報文化局々員、田付たつ子女史(信者)外随員一名、阿部執事、木原常任理事、長村長生中教会長、末席の記者等二名、一同静粛裡にお待ち申し上げる事数分、明主様(メシヤ様)には御簡素な羽織を召されて御出ましになり、御挨拶を終えて一同着座する。和やかな光を含んだ空気が漂う様な感じがする。以下御対談の模様を速記によって信徒の皆様にお伝えする次第であります。(前回の続き)

弟子でさえキリストの奇蹟を再現

カ氏 「キリストとかマホメットとか釈迦だとかああいう様な方々はやっぱり一種の神の使命を受けて此(この)世に現れたので―」

明主様(メシヤ様) 「勿論そうですがああいう人達は神様から与えられた力が少ないんです。弱かった。ですから私の弟子でキリスト位の奇蹟を表わすのは沢山あります。ですから私のメシヤ教は宗教じゃないんです。宗教では人類は救えないんです。只、宗教は私が出る迄人類が救われる程度のつなぎであったんです」

カ氏 「バイブルなんかにキリストが、死んで三日目に蘇生させたとあり、信者は固く之を信じてますがカトリック信者にそう言わせる様にするには、やっぱり信者の人を蘇生させる様な事を目に見せてやらないと信じないですが、そういう様な事が出来るので―」

明主様(メシヤ様) 「私の弟子で立派に出来ます。弟子で、一旦死んだ人が生き返る様な事をやってます。ですから、あなた方でも私の弟子になれば、キリスト位の事は出来ますよ」

カ氏 「言換えてみれば、兎に角(とにかく)死亡した者を再び生返す御力がお有りになるという事で―」

明主様(メシヤ様) 「そうです」

カ氏 「お弟子さんでも―」

明主様(メシヤ様) 「出来ます」

カ氏 「キリストの様に、食物が無くなると食物を与えるとか、土地をもっと豊富にするという御力は―

明主様(メシヤ様) 「出来ます。そういう事は沢山あります」

カトリック信者にキリストの霊が働きかける

カ氏 「私としては是非全世界に弘まる事を非常に希望しますが―」

明主様(メシヤ様) 「無論そうなります。それからカトリック信者が今にメシヤ教信者になります。それは誰がそうするかというと、キリストがそうするんです。キリストの霊がみんなをメシヤ教の信者になる様にするんです」

カ氏 「カトリック信者が必ずそういう風になるという事は、何か―お告げか何かで御存知なので―」

明主様(メシヤ様) 「そうではない。私が何もそんなに働きかけなくても、先方で何しても私に働きかけなければならない様にキリストが霊界から働きますからね。キリストでも釈迦でも、今迄私の生まれるのを待って居たんです。キリストも釈迦も予言者です。キリストは天国は近ずけりと予言されたが、自分で天国を造るとは言わなかった。釈迦もミロクの世が来るとは言ったが自分が実現させるとは言わなかった」

カ氏 「基督教信者は自分の神様以上のものはないと信仰して居ますが―」

明主様(メシヤ様) 「そんな事はありませんよ。天の父があります。天の父が私の行る事です」

メシヤの降臨について

カ氏 「キリストはメシヤであると―」

明主様(メシヤ様) 「メシヤではないです」

カ氏 「という事になっておりますが、カトリック信者が何ういう風に入って来るのでしょうか。二度目のメシヤ―。ユダヤなんかは未だメシヤが来てないと思って居るのですが降臨という事について―」

明主様(メシヤ様) 「それは私が精(くわ)しくお話する事が出来ないです。私がメシヤの降臨とかキリストとすると、ワーッと来て仕事が出来ないです。今色々仕事があるし、書くのも沢山ある。私のバイブルですね。それが出来る迄は公然と言わないんです。だから、ぼかしてあります。そういう意味ですからね」

カ氏 「恐れ入りますが、出来れば御手の写真を撮りたいと思いますが―」

明主様(メシヤ様) 「良いですよ」(明主様=メシヤ様=がお手をかざしになるのを正面より写す)

カ氏夫人 「世の苦しみを治す手、という題で出します」

カ氏 「何時バイブルがお出来になりますので―」

明主様(メシヤ様) 「そうですね。来年あたり出来ますがね。それは『文明の創造』という本です」

カ氏 「出来ましたら、私達の方に成可(なるべ)く早く送って戴きたいと思います」

明主様(メシヤ様) 「それから今迄の出版物が色々ありますが、それをみんなあげます。その中には私の弟子でキリストと同じ様な事をした人の手記とか色々出てきますからそれをお読みなさい」

カ氏 「英語で―」

明主様(メシヤ様) 「いや、日本語です」

カ氏 「非常に感謝して居ります。心から御礼申し上げます」

明主様(メシヤ様) 「美術館を御覧になりますか。それから、之を言って置こう。此処(ここ)に造ったのは、世界に天国を造る其(その)世界の天国の極小さい模型なんです。そういう意味ですからね」

************************

御対談中終始和気藹々(あいあい)として、時折放たれる洒落(しゃれ)にドッと笑う。特に面白いと思ったのは、ロジ・カルティユ夫人が明主様(メシヤ様)に「『世の苦しみを治す手』という題で出し度いから御手を写真とらせて戴き度い」と咄嗟(とっさ)に申し出た時である。全く奇抜な題ではあるとその機智に感心した。之に対して明主様(メシヤ様)は「ああ、いいよ」と心易く横向いて手を翳(かざ)されるとピカッとフラッシュが光る。まことに何のこだわりもなき流水の如き瞬間であった。御対談を終らせられて御退座、一行は美術館へと急ぐ、そこに再び明主様(メシヤ様)お出ましになり、御自ら御案内される。

目を瞠(みは)る様な大きな部屋に、些か処狭しと思える程並べられた古今の名画、名器の前に、驚嘆の声を挙げたのも無理はないが、彼等としてどうして之程のものが集ったのか、疑問の焦点であったでありましょう。到頭「どの様にしてお集めになられたのですか」と御質ねした。明主様(メシヤ様)はすかさず「奇蹟ですよ」とお答えされる。「実に感嘆すべきものです。本当に奇蹟です」とカルティユ氏はいたく感激する。明主様(メシヤ様)は更に言葉をついで、「私もそう思っています。死ぬ様な人が治って、非常に感謝して金をあげる。それが斯(こ)ういうものになるんです。命が助かったんだからね」と。カルティユ氏は成る程と肯く。そして、「私達がこちらに参りましたのも小さい奇蹟の一つとして考えましても・・・・・・」と洒落気たっぷりに言えば、明主様(メシヤ様)「勿論そうですよ」と大笑い。

カルティユ夫人が茶器の並べてある処を覗いて「これが一番良い様ですね」と指差せば明主様(メシヤ様)も「この中で之が一番良いですよ。偉いものですね」と鑑識の程をお褒めになる。夫人は之等様々の名品に陶然として見入っていたが余り素晴しいので「盗難の心配はないか」とえらく心配してお伺いした。明主様(メシヤ様)は気軽に「別に何の心配もしません」とお答えになる。夫人は茶目気たっぷりに「では心配がなければ、私が今晩入ってあの茶碗を取って行こうと思いますが」と言えば明主様(メシヤ様)は御笑いになり乍(なが)ら「試に取って御覧なさい。神様がギューッとやりますからね」と。まことに愉快な一時であった。

≪対談を拝読して≫
精神の拡がりをいただく

メシヤ教代表 楳木和麿

1.同席者の逸話

この対談に同席した人々は後に、大きな示唆を私達に与える役割を担うことになります。まず、阿部執事はご承知のように対談2年後メシヤ様から『本当は御守り(おひかり)はなくてもいいんだけどな』と承った方です。

次に、木原理事は対談2年後御守りの印刷に踏み切った方です。その際には理事長職にあり、メシヤ様がご浄化のために御揮毫できなくなり、理事会で御文字の印刷を決議したのです。この模様は一月分に【メシヤ様の『御守りは要らない』というお言葉に対して、当時の理事長が“御守りを下附しなくなった場合の布教に与える悪影響”を更にご説明申し上げることにより、『それなら印刷しなさい』と御方針の変更をされた】と掲載いたしました。

しかし、ご昇天後二代様と意見の相違で離脱し、現・新健康協会を設立され、御守りなしの浄霊を普及されました。二重に大きな役割を担われた方です。

三人目に名前が出ています長村長生中教会長は、薬毒論を実践するために歯医者で麻酔をせずに歯を抜いたという猛者です。後日メシヤ様から『長村、痛かっただろう。次からは麻酔を使え』とお言葉を賜った方です。この時代の方々は、例えば中島一斎氏は近眼を浄霊によって治すために自分のメガネを叩き割るなど、自らを崖っぷちに立たせて臨むというようにメシヤ様の御力、浄霊に掛ける強い精神性がありました。

また、長村会長のご長男(故人・元常任理事)は幼少の頃、観山亭の前でメシヤ様から『ボク、ちょっとおいで』と呼ばれ、『誰にも言うなよ』と丈3メートルもある大石を指先でお動かしになる様子を拝したそうです。子供のことですので、教会で皆に伝え大騒動になったと言われます。“メシヤ様は人間のお姿をしているが、神様なのだ”ということを浸透させる一翼を担われました。

そして、後記にありますように『メシヤ様の御手』のお写真は、対談相手の申し入れによって撮影が実現したものです。私達がお写真を通して浄霊のイメージを膨らませ、浄霊力の強化に努めることに大いに役立てることができるのも、この御対談があったればこそです。

このお写真は、諸事情により御神体をご奉斎できない家庭では、心の拠り所として掲げられています。霊能者からは「強く温かい御光が放射されている」と告げられるなど、有り難い存在が信者以外のしかも外国の方が撮影したものであることに、大きな意味を見出します。

神様はあらゆる人をあらゆる場面で御使いになる、ということを私達に教えられているという意味においてです。

このように、同席した方々も後世に貴重な資料を残されていまして、感慨深いものがあります。

2.御教えの解釈の在り方

また、前文において「御対談の模様を速記によって信徒の皆様にお伝えする次第であります。」と説明されているところが、御教え拝読に臨む私達に改めて大きな示唆を与えます。

メシヤ様は、御論文に対しては口述筆記の後何度も朱を入れられております。資料としても御自ら朱を入れられた原稿が保存されていますので、拝観された方もいらっしゃると思います。この朱を入れられる御様子を先達から聞くところによれば、『どのような表現をすれば人々が理解できるだろうか』と添削の作業を重ねられたそうです。

感謝に堪えないお話です。

これに対して、問答形式の御教えは速記でありました。しかも、教会ごと(天国会系、五六七会系)に行われていて、あくまで質問に対するお答えですので、それに普遍性を持たせることができにくい面もあります。正反対(例えば『石の上にも三年と思い・・・』とお答えになる場面もあれば『三回言っても分からない場合は・・・』とお答えになる場面もある)のお答えがあることを、皆様もお感じになられたことでしょう。

どこまでも、質問者およびその所属教会に対してお答えになったものだからです。それ故に質問の内容をよく吟味して、お答えである御教えを拝読しなければ履き違えた捉え方になることもあります。また、お答えの文面に固執してしまい、どのような事にも当て嵌(は)めて考えてしまうこともあります。

しかも速記ですので、注意が必要です。また、校正ミスや誤植が原本には目立ちます。原本とは、「岡田茂吉全集」の基になっている御教えのことです。この他、教会ごとに発行したものもあり、それ等は内容的には臨場感があって興味深いのですが、御論文以外は慎重に拝読させていただかねばなりません。

3.地上天国の雛型づくり

さて、今回の御対談相手はジャーナリスト、それも当時のフランス一を誇る雑誌の主筆ですので、核心をついた質問を受けています。またそのためなのか、内容はあたかも入信教修の手本のような内容になっています。その意味から、布教を志す私達にとっては大変参考になるものです。

最初に『私(メシヤ様)の目的』としてお述べになっているのは、地上天国の雛型づくりの内容と世界救世(メシヤ)教という宗教の本質です。

地上天国の雛型は『芸術郷』であり、その姿は人工の美と天然の美の調和したものであります。私達が、地上天国の雛型づくりを身近なところから目指す場合には、どのような在り方があるのかを考えてみます。

メシヤ様がお活けになられた生け花を拝すると、庭に咲く花をスパッスパッと切られて桶に収め、客間などにスッと活けられています。生け花自体非常に素晴らしいのですが、花器も美術館に展示できるほどのものをご使用になっています。正に生け花も天然の美と人工の美が調和したものとなっています。

私達が日常的にそれほどの高価なものを使用するということは適わぬところがありますが、分相応の調度品を御教えに沿って揃えることは大きな意味を持ちます。地上天国の雛型を我が家に、という願いを持つ時に必須の要素になります。

神慈秀明会からメシヤ講座にご参加の方々と交流を持つと、信者さん方は非常に真面目でいらっしゃいます。しかし、全てを捧げ切っていることから、生活は非常に質素です。まるで出家僧のようです。その上忙し過ぎて自宅の掃除もままならぬところがあります。そこで、前述のようなことを話し合っていると、ご本人達は矛盾点に気付きます。

これはメシヤ様研究が偏っているために起きる現象です。メシヤ様は画家を目指したが眼病のために断念され、蒔絵師を志すが指の筋を切って断念、そこで小間物屋を始められます。この時にメシヤ様が心掛けたことは、毎朝の清掃です。私達はメシヤ様の才能ばかりに眼がゆきますが、メシヤ様が心掛けられたことを見落とすこともあります。見落とすと、私達の信仰生活が本来の“メシヤ様の追体験”にならないのです。

そうすると、御神業奉仕により徳は積むことができますが、天国天人を目指す生活になりにくいのです。

ましてや今回の『今迄の難行苦行や、苦しみに依って救うのではなくて、反対に楽しみに依って救おうという、そういう意味に於て宗教に芸術は最も必要だという考え方です』というお言葉に沿うことにはならないのです。

『御教え集』に、美術館に関するお話が出ているのですが、その御構想を拝察すると現在のMOA美術館の在り方や箱根美術館の在り方は御心からずれている、と判断されます。

余談ながら、かつて教団改革を進める上でMOA美術館をどうするかということが検討されました。当時(昭和59年)、熱海瑞雲郷の一日の電気料が60万円を超えており、大半はMOA美術館に費やされていました。何しろ“東洋美術の粋”ですから、見えないところの空調に神経を使わなくてはなりませんし、見えるところでは特大のエスカレータがあるなど消費電力は膨大なのです。そこで、「浄財を節約して使うためには、国へ寄贈して国立美術館にすることも意義があるのでは」などという意見も続出しました。

しかし、御教え集を拝読すると、『・・・そこで、そう言う事に趣味がある人は、一々面倒だから、信者にならなければならない―形式丈ですがね。信者になる人が沢山あります。形式でも、信者になれば、神様に結びますから、それで良いです。その代り、信者さんは、何時でも見られますからね。ちょいちょいキップを買ったり、面倒臭い―そう言う事がなくなりますからね。・・・(昭和27年1月5日)』とお述べになっています。

また、後日にも同様のお話から『・・・信者の籍丈でも置いておいた方が良いと言う事になる。それで良いんですよ。形でも信者になれば、霊的には信者になるんですからね。段々解って来ます。最初から理解するとか、そんな事は要らない。・・・(昭和27年1月7日)』とお述べになっています。

こういう御言葉が残っているからには、信者に関しては入館を無料にせねばならないのです。将来、世界救世(メシヤ)教が復興され、被包括にメシヤ様を教祖と仰ぐ教団が入った場合には、その信者まで入館無料とすべきなのです。そうなった時に、初めて会費(教費)と言うものの存在意義が生まれるのです。勿論各教団の会費の半分を包括へ納めればよい訳で、それで信者証のようなものを一年ごとの有効期限で発行すれば良いのです。

そうしたところまで、今回の対談記で思いが馳せました。

4.特殊性のある教祖―「入信教修」の如き内容

次に『世界でも、兎に角(とにかく)文化の高い国から先に解らせ様と思う。そうすると、文化の低い国は自然に解りますからね』とお答えになっているところが、平易な表現ながら宗教学を修めた方のような的確なお考えに基づいたお話になっています。この物言いは不遜な表現であることは承知していますが、宗教というものは文化の高いところから低いところへ流れてゆくことが原則的な現象です。

ですから、浄霊をする時の想念として、例えば目上の人や世俗的に地位の高い人へ浄霊する時には『虫けらだと思って浄霊しなさい』とメシヤ様は仰られています。これは気後れせぬように心掛け、しかも想念によって霊格の差を付けて、より浄霊の効果を生むように導かれているのです。

宗教の原理原則を踏まえてメシヤ様の御教えの体系がなされていることが拝察できます。

また、『霊線―光の繋がり』という表記は、私達に改めて強い示唆を与えます。皆様には、メシヤ様に直に繋がることをお勧めし、霊線を太めていただけることをお願いしていますが、霊線とは光の繋がりであると捉えれば、よりイメージが具体化します。有り難くも素晴らしい表記です。

さらに、「例えば頭を痛くする事もお出来になりますので」という質問に、『できません』とズバリお答えになっています。

その理由として『之は何処(どこ)迄も善ですから―痛めるのは悪です。苦痛ですからね』と仰られています。浄霊の本質を善とご説明されています。ここでは、祈祷や呪術の内容についても善悪の判断基準を示されているのです。内容の深い一文です。

そして、浄化作用についても言及されて『但し痛みを取る為に一時痛む場合もあります。それは浄化作用です。』とご説明されています。

この他、浄霊力を拝受するには『修行は要らないです。』とご説明していますし、『最初から疑っても良いです。』と、普通の教祖では有り得ないような話をされています。しかも、浄霊力を拝受するのに資格の判断基準に関する質問に対しては『全然そんな事はないです』とお答えになり、全く勿体ぶったところのない在り方をお示しになっています。

まだ御守り(おひかり)拝受を続けている教団の中には、非常に勿体ぶっているところがありますが、メシヤ様の御心とは程遠い行為なのであることを対談記で確認できます。

このように、今回の御対談内容は「入信教修」の如き、まるで入信教修内容のエキスのような内容が鏤(ちりば)められています。

5.『メシヤの降臨』に関する認識

最後に、前回の『必要ないんです。それは何ういう訳かというと、私は世界中の病人を無くするんです。世界から病気を無くするんです。病気を無くするという事は、病気が無くなれば悪人がなくなるんです。悪人というのはみんな病人なんです。悪人が無くなるから宗教の必要がなくなるんです』というお言葉に触れたいと思います。このお言葉の内容は、実現していません。

疑問を持たれた方も多いことと思います。今月掲載分と非常に関わりがありますので、ご説明いたします。

メシヤ様は120歳までは御存命であるはずでした。しかし、昭和25年5月の御法難において度重なる脳貧血に襲われ、4年後の昭和29年4月、その後遺症に見舞われます。そして、翌年2月10日73歳でご昇天になったのです。そうしたことで50年間の「御神業」空白を生んでしまいました。

ここで御法難の起きた理由に触れなければならないことは、非常に残念なことですが、今後の御神業を考える上で避けては通れません。

メシヤ様がいよいよ表に立たれて御神業を進められようとされた時に、「世界救世(メシヤ)教」開教5日前に中島一斎氏がご他界になってしまいました。また、渋井総斎氏は重篤な症状に見舞われておりました。メシヤ様を草創期より支えてきた大先達を失う状態になってしまったのです。ここに、新たなる御神業の門出とは裏腹に混乱が生じた、と申しても過言ではないでしょう。

かつての日本観音教団側(天国会側)が五六七教側(五六七会側)の経理上の問題を当局に流したと言われています。当局への密告は“質す”姿勢ではなく、主導権争いに利用する目論見です。しかしその目論見とは裏腹に、メシヤ様が直接取り調べを受ける事態を招いてしまったのです。とんでもないことです。

取り調べの模様は『頭脳の拷問』と述懐されているように、執拗で厳しいものであり、そのために度重なる脳貧血に襲われたのです。そのため、“これでは身体が持たない”とお考えになったメシヤ様は、担当者の霊を呼び出して内容を確認された程です。詳細は『法難手記』で述べられています。

では、何故こうした事態が生じたのでしょうか。民間療法的活動の期間が長ったために信仰の形態が整っていなった面が考えられます。それは、『日本観音教団教義(光号外・昭和24年5月30日)』と『五六七教教義(同)』を拝読し比べても、推察できます。御経綸と教団の使命に関するまとめ方が両教団で異なるのです。

それが、世界救世(メシヤ)教教義では御経綸は基より神観や教祖観も整理されています。僅か一年足らずで整えられたということは、両教団の教義浸透が不十分であったことが推測されますし、『開教の辞』に対する理解度の浅さがあったとも考えられます。そのため、新たなる御神業推進よりも権力欲に心を奪われてしまったのでしょう。

これはメシヤ様のご存在そのものに対する認識不足から起きています。今回のメシヤ論についての質問に対して、メシヤ様がお答えになっている次のお言葉は大きな意味を持っています。

『それは私が精(くわ)しくお話する事が出来ないです。私がメシヤの降臨とかキリストとすると、ワーッと来て仕事が出来ないです。今色々仕事があるし、書くのも沢山ある。私のバイブルですね。それが出来る迄は公然と言わないんです。だから、ぼかしてあります。そういう意味ですからね』

『ぼかしてあります』という表現は、信者に対しては宣していることと同じなのです。当然ながら幹部は真っ先に受け止めなければならないことなのです。ところが、『ぼかしてあります』のお言葉を額面通りに済ませてしまったのです。因みに、こうした姿勢に対して問題意識を持っていただくために、以前「『景仰』を如何ように拝読するか」を連載したのです。

この問題は冒頭触れました御守りに関する事項と対比して検証すると、人間の癖が浮き彫りになります。

どういうことかと申しますと、メシヤ様は『要らない』と仰ったが、布教のためには必要と説明し印刷を継続したことと対比すれば、この“メシヤ論”だけは信者に対しては徹底的に説明するようにお願いすることはできたはずなのです。そしてそれができた後は、メシヤ様の御神格を中心にして信仰態勢を築き上げるべきでした。しかし、現実にはそうした言上はなかったようです。自分に関わることには懸命になるが、そうではないことには消極的になるという人間の癖が見え隠れします。

また、『私のバイブルですね。それが出来る迄は公然と言わないんです。』と述べられていまして、バイブルは『文明の創造』と明言されていますので、『文明の創造』が完成した暁には公然と仰る訳ですから、準備を重ねておかねばならないのです。

しかし、その取り組みは未成熟のままでした。しかも後年、世界救世(きゅうせい)教では全御論文整理の作業で『文明の創造』を未定稿扱いにしてしまいました。

ついでながら『文明の創造』の内容は、『総篇』『科学篇』『宗教篇』『天国篇』からなっています。また、28年には『医学革命の書』及び『医学革命の書 附録(おかげ批判)』を記されていますが、この御論文も同様に未定稿扱いにしてしまいました。

メシヤ様は、信教の自由が保障されてから宗教という形態で御神業を推進されました。そして、急発展することで更なる実証を得られ、御論文の内容を練られたものと拝察されます。それ程のものを著わされたにもかかわらず、弟子達の受け止め方は浅かったのでしょう。

今回の対談記を通して“私達は心して御神業に臨ませていただかねばならない”と深く感じた次第です。

5月5日には、御神体を初めてご奉斎させていただいてから十周年を迎えます。当日には心新たに祭典を執り行わせていただき、御神業推進の所信を皆様へお伝えしたいと考えております。

[print_link]