メシヤ講座・特選集no.51(平成17年4月分)

<御教え>
宗教は一つもない
(1936年5月文創のまま)

一、真理の具現とは

天地自然の運行、万象の流転と一切の生成化育の実相行姿其(その)ままであって、例へて言へば、人は人としての道を行じ、又、人は生れながら其(その)各々の天職使命があり、階級も儼(げん)として定ってゐるのであって、それを知り、それを実行する事が人としての真理の具現であり、それによって永遠の歓喜と栄を得、安心立命を得らるるのである。然るに今日はそれを教へ、夫を行ぜしむる力ある宗教がないから、人々は迷蒙に陥り、知らずしらず他の範囲を犯し、軌に外れ道を失ひ、其(その)極争や混乱を生むのである。之等は独り個人に限らず、社会も階級も国も世界も悉(ことごとく)それに漏れないといふ実状である。此(この)時に当って、宗教者なる者が天地の真理を弁へないから、人を教ゆる力もなく、感化する徳も無いのである。又之に就て、仏典もバイブルも、其(その)他の聖典も、実は真を説き、実を誨(おし)へて居ないのであるから、人として知る事が出来ないのも致方ないのである。何となれば、もし何れかの聖典に真実を説いてあったなら、今日の如き苦悩と混乱の時代は実現しなかった筈であるからである。又、真理が全具現されたならば、多数人が今日の如く病に罹り易く、天寿を全ふするものが暁の星の如く寥々(りょうりょう)たる筈がないのである。是等によって見ても、此(この)一箇条さへ現在の宗教中に有して居るものはないのである。

(以下次回掲載)

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<神界通信>

天照皇后様から「天岩戸隠れ」の真相を承りました。野洲河原の誓約以後、様々の謀略により世が乱れたために御自ら岩戸に入られたとのことでした。そして、今日までお出ましにはなられなかったということです。神話にあるようなことが岩戸の前で繰り広げられた際、臣下の女神様が少し岩戸を開いた折に引っ張り出され『天照大神』と奉られた由のこと。皇后様の代理神とされたそうです。このことが、夜の時代の‘すりかえ’の典型だそうです。

では、今後どのようにさせていただいたらよろしいのか、お尋ね申し上げましたところ、伊都能売神皇様がご教授くださいました。『ご祈願が大切』とのことでした。メシヤ教々義に基づいて、祈願参拝を積み重ねることが重要であることを認識致しました。

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素晴らしい御神業とは(Ⅱ)
メシヤ教 楳木和麿

浄霊観のステップアップをしよう

そこで、浄霊に対する認識について考えていただきたいと思います。私達が浄霊に出会った時は、何らかの問題を抱えている状態でした。そうでない人は幸せですが、多くの方は病気で苦しんでいたり、また家族が病気で苦しんでいたり、悩みを抱えていたり、等々の状態でした。そして、その状態から救われてまいりました。

その経験から、浄霊をいただきたい心境が生まれる時は体調の優れない時や疲れが出た時が多いのではないでしょうか。また、人様に浄霊をさせていただこうと思い立つ時も、具合の悪い人を探すようなことがあるのではないでしょうか。これが、病気治し的な浄霊観に留まってしまう原因です。

浄霊との出会いの動機は病気などが多いのですが、例えば、芸術家ならばその才能が更に開花するような浄霊を心掛けていただきたいのです。また、様々な職業に対する認識に勘違いが多く、例えば農業従事者は体力が勝負のように考えがちですが、実は本来頭がよくなければ務まりません。そのようなことが判った上で浄霊を取り次いでいただきたいのです。

これは、ご自分の子供に浄霊を取り次ぐ時も同様です。「健康を維持できますように」、「学校で怪我をしないように」という祈りは親として当然ですが、「社会や人のために役立つ人間に成長するように」という祈りをもって浄霊を取り次ぎたいですね。そして、天から与えられた「特性」を自覚できるような状態で成長が許されるように浄霊をさせていただきたいですね。

その姿勢が生活の中に行き渡ると、「これを着る者が健康を許されるように」と祈りながら洗濯物をたたむということに繋がるのです。玄関の靴を揃える時に「事故にあわないように」という祈りができるのです。「良い仕事ができるように」と祈りながら背広の手入れができるのです。

それが更に進化すると、『日本人種の霊的考察』という御教えに繋がり、「本来の魂が輝くように御力をください」という祈りをもって取り次ぐ浄霊になるのです。この三千年来、大和民族は歴史に埋もれて生きてきました。ともすると、現代社会を否定的に捉え生きる気力を持てずにいる場合もあります。そうした魂に力を注いで行かねばなりません。

だからこそ、魂へ向かって浄霊を取り次ぐ想念を確立しなければならないのです。

浄霊を取り次ぐ際の感じ方

また、浄霊を取り次ぐ際に、手の平が熱くなったり、ビリビリしたりする場合があります。これに対して、「水の性」の人は感じやすく「火の性」の人は感じにくい、という解説が過去ありました。そうしたことから、「浄霊は‘火の洗礼(昭和23年からは「洗霊」を使用)’だから感じない方が良いのですか?」という質問が出たり致します。感じるか感じないかは、その人その人の持ち味であって、これも浄霊の入り口なのです。

ご承知のように、「水の洗礼」は水で物を洗うのと同様で、相手はきれいになるが自分も汚れます。しかし「火の洗礼」は、火の性質そのままで、物を火に入れれば入れるほど火力が増すように、相手もきれいになるが自分も更にきれいになります。水は、汚れたものを入れれば入れるほど汚れますが、火は益々盛んになります。

浄霊を数多く取り次げば取り次ぐほど、霊力を増すのはこうした訳があります。しかし、祈祷師などはお祓いをすればするほど、自らが汚れ、次第に霊力が弱まるばかりではなく、祓われた霊から恨みを買い悲惨な末路を迎えることがあります。私は、幾人かそうした方に出会い、メシヤ様に救っていただきました。

浄霊は、だからこそ有り難いのです。取り次げば取り次ぐほど霊力が増し、「魂幸坐せ(たまちはえませ)」という願いが叶うのです。

過去に高弟と言われた方が道を誤り、教団紛争を引き起こした経緯がありました。そのことについて、前の組織で最も尊敬していた上司に「何故このようなことが生じるのでしょうか?」と質問したことがあります。「火の洗礼と言うけれども、やはり色々な因縁を受けるから・・・」という回答でした。私は、その一言で急に尊敬の念が醒めてしまいました。神格の捉え方が低いからです。因みにその元上司は、現在その組織の会長職にあります。

油断するといけない、と思い知らされた瞬間でした。自らの想念や言動で神格を下げることのないように自戒をもちました。そして、絶えずレベルアップを目指して生活しなくてはならない、と強く自覚しました。

どうか、浄霊に対する想念を高め続けてください。また、感じ方に囚われていますと病気治し的浄霊から脱し切れません。もちろん楽になるということは大変重要なのですが、そこに留まって欲しくないから申し上げているのです。

自らの体を光がス-ッと通過して行く想念をもち、結果はメシヤ様にお任せする心境で積み上げてください。

浄霊の取り次ぎとご祈願

大切なことは祈りと心掛けです。

今月から、神様に合わせた祭典と人間の都合に合わせて執り行わせていただく祭典ということについて、深く考えさせられております。

毎月一日に「一日祭」を執り行わせていただき、前月度の奉告を申し上げて感謝のお祈りを捧げ、当月度の御守護願いをさせていただいております。この祭典は、毎月の元旦ともいうべき日に執り行うもので、当然ながら動かすことのできない日の祭典です。謂わば神様に合わせるべき祭典です。

これに対して、各地で執り行う月次祭は私の都合や皆さんの都合に合わせて神様に奉告して執り行わせていただいております。謂わば、人間に合わせていただける祭典です。そうしたことから、私自身それぞれの想念を確立して取り組まねばならないと考え、ひと月の動きも変えて行かねばならないと思索しておりました。

そうした時に「神界通信」にご紹介したようなお知らせをいただいたのです。

ご祈願の内容は、「信仰読本」をよく読んでいただけばよろしいかと思います。言葉で申し上げるならば、『全宇宙のご経綸にただただ感謝申し上げますと共に、真善美完(まった)き恒久平和の理想世界実現を謹んでお祈り申し上げます』というご祈願です。

主神様の御神体の御前で祈願参拝に取り組む‘場’が増加するように、願っております。

このご祈願が、『ご神前から天界へス-ッと繋がる』と教授されました。その神柱が次第に太くなって行き、天国化が進むのです。しかし、『パッと変わるということはない』とも釘を刺されました。礼を尽くし、誠を尽くし、感謝を尽くして執り行わせていただくことが尊いのですね。

浄霊を取り次ぐ際の心掛け

そうしたことを重ねながら、日常の浄霊に取り組んでいただきたいのです。先程もお話致しましたように、子供には「本来の特性が発揮され、社会や人様のお役に立てる人材に成長を許されますように」という祈りで浄霊を取り次ぐことをプラスしてください。

また夫には「神様から与えられた天職使命を果たして行けますように」という祈りで、妻にも同じ祈りです。そして子供が生まれたら、「叡智を以って、子育てができますように」という祈りが夫婦間に加わります。

人様へは次の祈りを以って取り次がせていただきましょう。
①天職使命を自覚でき、それを果たして行けますように。
②因縁使命を自覚でき、地上天国建設のお役に立たせていただけますように。
③霊線に繋がる全ての方へも御光が行き届きますように。

かつての教団では、浄霊の奇蹟が顕著なので、思考が停止してしまったところが見受けられました。また祈願参拝についても、前回のご論文で指摘されていたように『教化事業を宗教の全部と錯覚』したようなところがありました。レベルが低かったのですね。

主神様の御経綸のまにまに時代は進んでおります。私達の取り組みも進歩発展してまいりたい、と願うものです。それが素晴らしい御神業へ繋がるのです。

(以下は次回)

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<メール交換>
※参考になる点が多いので、ご本人の了解を得て3回に亘って掲載します。3回目

質問メール「本当に明主様信仰の難しさというかレベルの高さを思い知るばかりです。」

Q.  いつもありがとうございます。

(1)たぶん先生は護持派にいらしたと思うのですが、前回のメ-ルを読む限りは新生派(特に幹部クラス)にあまり良い印象をもたれていないのではと思います。(中略)ただし平安郷(大弥勒様)がどうしても私の中で不可欠なのです。あと新生の渡辺理事長はすばらしい先生ではないかと思っています。(中略)先生の平安郷(大弥勒様)、渡辺先生、新生派への思いを教えてください。

(2)大和民族が使用していた文字とありますが何か現在の日本語と異質の言語なのでしょうか。天津祝詞が大和民族の言葉により作成されたというのはしっているのですが・・・。また明主様は大和民族の宗家でいらっしゃいましたが、地上天国への道のりは大和民族の復権・台頭と思うのですがそれはどのような形で行われるのでしょうか。またそれと浄霊との関連はどうなるのでしょうか。

(3)4代様が3代様への対抗としての存在と仰ってますが、かつぎだしたのは再建派と言うことでしょうか。あと取り巻きが悪いと仰ってますが(中略)どの教団も同じ様な感じです。ところで3・4代様の悪い取り巻きとはだれのことですか。また具体的にどのような点がいけないのでしょうか。

(4)御昇天後の祭式が最後に執り行われた立春祭とは全く違った祭式に変更されているとありますがこれを見るにつけ、本当に明主様信仰の難しさというかレベルの高さを思い知るばかりです。信仰の最大のポイントは何なのでしょうか。

(5)話はかわりますが、浦島太郎=観音様で乙姫様の玉手箱=如意宝珠。こう思います。この解釈はあっているのでしょうか。
<2004.4.27・PM10:20>

A.  今晩は。

(1)私も平安郷のことは気になっておりまして、3月に立ち寄りました。今は新生派のご努力に掛かっているので、御教えに沿って建設を進めていただければ有り難いと思います。渡辺先生については信徒の立場と宗教者の立場で当然見方が変わるのは仕方がないと思います。信徒の立場からすると「これほど素晴らしい先生はいない」と考えてよいのではないでしょうか。私もかつて、中村総長の後任は渡辺先生が相応しいと考えていた一人でした。しかし、事件を起こした側の指導者ですので残念でなりません。事件が受動的と言うならば論外ですし、能動的と言うならば「天之若彦命」的となってしまいます。

(2)薬毒がない時代は記憶力が良く文字を必要としなかった、と伺っております。そのため、特別な立場の方のみ使用されていたようです。平仮名の基になったもので、非常に論理的構成となっております。神代の文字なので当たり前な事です。現在はそれに漢字を当てて平仮名やカタカナを作り出している訳です。しかし、それを知らねば言霊学は理解できないでしょう。

前回も触れましたが、取り組みは「宗教改革」と「医学革命」に集約されると思います。あなたの霊視にあったように、時代苦を救う取り組みの過程で皆がメシヤ様に頭を垂れるようになる。これは復権という表現では言い尽くせないもののように思います。浄霊なくしてそれは考えられません。浄霊は宗派を超えて、「おひかり」という物にこだわらず伝授されていかねばなりません。それがメシヤ様の下に帰一するということです。

(3)メ-ルでは個人名は差し控えさせていただきたいと思います。教会制時代、三代様には数々の奇蹟談があります。ご活躍の場がもっとあったはずです。それを執行部の都合のよいように利用したのです。秀明は逆に利用されました。

(4)『信仰の標準は智慧と誠』という表現をされていることを想い出します。そして生活態度としては、「教祖の精神を現代に求める」ということが大切であろうと思います。本来あっさりとした形がお好きだったにもかかわらず、コテコテした祭事になっています。これは出雲系です。

(5)解釈の背景に何かの意図が感じられます。御教えには『観音とは乙姫-音姫を観ている事を意味する。・・・今迄は乙姫が財宝を握っていた・・・』という表現が随所に出てまいります。

メシヤ教
楳木和麿<2004.4.28・PM11:16>