メシヤ講座・特選集no.33(平成15年10月分)

<体験記>
宗教のもつ意味
日田市 佐藤直美

母が突然の吐血

平成11年3月、私の母は何の前触れもなく突然吐血し、救急車で運ばれ、そのまま入院しました。何度も検査を重ね、胃癌と診断されました。

私は、‘母を何とかしなければ’と考え、その当時親しくしていた先輩の同僚に相談しました。その方は、フェニックスパワ-や宝地院というところを紹介してくれました。

その当時の私は、‘母が完治して長生きできるならば、どんなに高額なものでも借金をしてでも宗教グッズを購入しよう’と思いました。グッズを手に入れ、手術の日を迎えました。母の病状は、思った以上に悪く全身に癌が転移していました。

また、「半年後には再発し、延命はとても無理」と、医者から説明がありました。私は、さらに益々お金と時間をかけ、グッズを購入するために走り回りました。しかし、母は医者の予告どおり半年後に再発し、12月に再入院することなりました。

私は、また同僚を頼って、生命活性酵素水、ライト・セラミックの腰巻を購入する機会を得ました。宝地院へも足を運び祈願をし、グッズを購入しました。しかしながら母の症状は全く良くなりませんでした。

浄霊との出会い

そして年の瀬も押し迫った頃、同僚が「120%信頼できる人」と言って楳木先生を紹介してくれました。話を聴いた時、正直言って‘手かざし?’‘新興宗教?’と心の中で思いましたが、その時の私は‘何でも良くなりさえすれば…’との考えで、お会いする機会を約束しました。

12月30日、年末の忙しい中先生は母の病室まで来てくださいました。母は30分ほど浄霊をいただきました。するとどうでしょう。それまで自分の力では起き上がれなかった母がス-ッと上体を起こし「あらっ」と驚きと共ににっこり笑ったのでした。

その時先生は、母に次のことを話してくださいました。

・人としての役割
・宇宙や地球の仕組み
・メシヤ様と浄霊

浄霊により、家族の最後の願いが叶えられました。それは、‘お別れの旅行’の実現です。正月に親子兄弟全員で旅行に出かけ、思いもよらぬ幸せな一時を過ごすことができました。旅行から帰ってきて皆で「チャンポンを食べよう」ということになり、母は「美味しい」と言って一口食べました。忘れられないひとコマです。

しかしながら、人間の欲求は限がないもので、母の全快を願いました。旅行を終えるとまた母の病状は悪化しました。私は、’どうしてここまでいろいろグッズを買ったのに・・・’また‘教えられた通りに浄霊をしているのに・・・’と思いました。母の命が「後20日」と医者に言われても尚、私は別のお寺へ祈願に行きました。

そんな中、先生は次のことを話してくださいました。

「長女である直美さんに、今、分かってもらっておきたい事がある。今のお母さんの身体で延命することは難しい。(胃、膵臓、胆のうを切除しており、全身に癌が転移して体力がない。)現界でのお母さんの役目は終わって、お母さんはこれから霊界での役割がある。直美さんがこれまで生きてきた時間よりも長く、お母さんの供養が現界でできる。肉体が滅んでも魂は永遠である。」

これらの内容は、私にとってはひどく辛く悲しいもので、すぐには受け入れることができませんでした。何故ならば、他の宗教とは違って、先生の言われたことはあまりにも現実的、真実的、誠実的だったからです。

母は、痛み止めの注射を打たれ、たくさんの管を刺されながらも、痛みに何日間も耐え抜いてこの世を去りました。最後の最後まで人間らしく生きたと思います。

もしも、先生にお会いできていなければ、モルヒネを多用し、他界後は分骨をしたりと、恐ろしいことを重ねていたと思います。

宗教の概念の変化

もっと早く楳木先生に出会えていたら母は助けられただろうか、という考えが頭を巡り涙でいっぱいになることもあります。しかしこれはどうしようもないことです。

私は仏教系の大学を出て教員資格を得ましたが、幾つかの宗教も遍歴し、不思議体験も重ねてきました。しかし、宗教というものを深く考え、人生を問い直すということは少なかったように思います。

メシヤ教にご縁をいただいてからは、真剣に考えるようになりました。また、母の供養のことを始め、人生上のわからないことを何でも先生に質問できることは幸せなことです。もし先生に出会えていなかったら、母の死と共に私は錯乱し、お酒か何かにのめりこんでいたかもしれません。

『親への孝行は、死後本当にできる』という教えを基に供養の仕方を教えていただいたことは、大きな救いでした。

「〇〇%延命する」と告げたり、希望ありげな言動を重ねた他の宗教関係者と違って、私に‘母の死’を自覚させてくださり、来るべき時が来ても狼狽しないように心の準備をさせてくださった教え方こそ本物の宗教と言えると思います。

私は、それから二児を授かり、復職もして慌しい毎日を過ごしていますが、本来の人生のあり方を、その都度その都度丁寧に教えていただき歩ませていただいております。母が残してくれた‘人生の宝物’がメシヤ教です。

ありがとうございました。

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<お話>
青年布教師時代(補)
メシヤ教代表  楳木和麿

墓上げを通して確信した『御教え』の絶対性

私は、二十数年前の話をするに当たって、実名を伏せるにしてもご本人の諒解を得ておきたいと思い高知を訪ねました。既にご他界の方もありましたが、お会いした方々は快い応対をしてくださいました。有り難く思い、感謝でいっぱいになりました。

そして、車窓に流れる懐かしい風景を見ていて、どうしても取り上げておきたい内容を想い出しました。

原因不明の頭痛で悩んでいた人がいました。その原因については、代々祈祷師を受け継いできた家柄だったために、‘その因縁のためだろう’と片付けられていました。私はその人から様々な話を聞き、訪問を重ねる中で墓のことが気に掛かりました。

詳しく尋ねると、近隣の人が通る農道(人一人が通れるほどの幅)が家の裏にあり、「そこに気になる石がある」と言うのです。何時頃できた道かは知れないけれども、小さな石はどうやら墓石らしいのです。

自然石で作った墓は古いものにはありますが、それを何時しか道の石ころと思い踏みつけていたと言うので、私は驚いてしまいました。これは解決しなければならないことです。私は、早速墓地一帯を検分しました。

墓の中には400年を越すものもあり、その一番古い墓のある高台で参拝を致しました。善言讃詞を奏上致しますと不思議なことが起こりました。その日は真冬で牡丹雪が降りしきっていたのですが、奏上し始めると、ス-ッと雲が切れ薄日が差し込んできたのです。その一画だけ雪がやみ、春のような様相を呈したのです。私は神様の御守りと先祖の喜びを感じ、‘墓上げを実施しよう’と意を決しました。

しかしながら、私は墓上げの経験がありませんでした。そこで、まず墓に関する教えを改めて研鑚し、手順、留意点などを入念に整理しました。特に留意点は3点ありました。

土葬の骨は100年間存在する

1、土葬の場合、骨は土に還るまで約100年を要する。もちろん土壌の状態や土質によって多少異なる。そのため100年前までの墓は、お棺の底の部分まで丁寧に土を掘り起こす。

2、100年以上前の墓は、骨が土に還っているので、約30センチまで土を掘り、その下にある土を‘骨’という想念で掘り上げる。

3、作業は誠を込めて執り行う。先祖に通じるものは誠である。また、誠を込めると私語はなくなり、作業は丁寧となる。

墓上げの当日、私は念には念を入れて、一体たりとも上げ忘れのないように埋葬日を確認しながら慎重に執り行いました。当家はもちろんのこと、近隣の方々が寒い中を手伝いに来てくれ、中には天理教の分教会々長の方もいて、若輩者の私の指図通りに動いてくれました。そして、踏みつけていたという墓をはじめ28体の墓上げをし、新たに設えた「先祖代々」の墓に納骨致しました。

一体一体掘り上げていくと、教えの通り100年前までの墓には指の大きさほどの骨が必ず残っており、それより古い墓には残っていませんでした。また、墓を掘り上げていくと、30センチほどの深さまで進むと土の状態が変わり‘ここからがお棺だったのだな’と解りました。そして更に掘り進むと、土が固くなり‘ここが底だな’と解りました。

これらのことから、100年以上古い墓は30センチ下の土を上げる、という意味が良く解りました。私は、‘確かだな’と何度も心で頷きながら作業を進めました。

恙無く滞りなく作業を終え、「先祖代々」の墓の建墓式を執り行いました。天の数歌を唱え遷霊を執り行い、善言讃詞を奏上する時に、また冬を忘れさせるような日差しが辺りを明るく照らしてきました。さながら極楽浄土の様相で、先祖達の喜びが静かに伝わってきました。

祈祷師による霊査で確証を得る

この話には後日談があります。頭痛持ちだった人の奥さんは、懇意にしていた祈祷師に霊査を依頼したそうです。やはり若い者が執り行った祭事に不安感を抱いたのでしょう。‘本当に霊が上がって、満足しているのだろうか?’と思うことは致し方ないことです。

祈祷師は、一ヵ所一ヵ所丁寧に霊査したようです。そして、奥さんに「このように素晴らしくきちんと上がっているのは初めてだ!」と答えたそうです。

そのことを嬉しそうに私へ報告してきました。あっけらかんとしていました。‘失礼な人だなあ’とも思いましたが、これは‘確証’として私へ神様が下さったのだと受け止めました。実は、その地域の人々はその祈祷師を「太夫さん」と呼んで信頼しているそうで、その人が太鼓判を押したのですから、絶大な信頼に繋がることは間違いない訳です。

私は、こうした取り組みを重ねる中で、メシヤの教えの絶対性を確信するに到りました。そしてこの頃が「この教えを実践していけば必ず人を救うことができ、世の中の役に立つ」という確信が胸に満たされていく時期でした。また、前回でも述べたように、救いの言霊である「善言讃詞」を奏上することの有り難さを日々新たに体験できた時期でした。

御守護の秘訣―‘勘違い’をなくす

高知を再び訪ねて色々な方と交流する中で、胸に迫ったものがありました。それは、「現・世界救世教の‘問題解決力’の脆弱さ」のために、信者が苦労しているということでした。新たな問題を抱えている人もいました。

形が大きかろうと小さかろうと、一貫した道理があります。神様は問題解決に向かって取り組み始めた時、御守護の前渡しのような形で奇蹟を見せてくださいます。そのときの受け止め方が大切です。

‘よし、このやり方を継続していけば大丈夫’と思えば良いのですが、奇蹟に依存してしまう人がいます。その結果努力をしなくなります。これが信仰をしていく上での大きな‘勘違い’です。

聖域とも言える場所で話し合い、方向性を見出したことへの奇蹟であるにもかかわらず、‘人事を尽くす’ことをせずに‘良い結果’を得ようと錯覚してしまうのです。御守護をいただくためには、‘方向性の正しさ’を見せられたらそれを継続すべきなのです。

一時期改革を志し鮮やかな奇蹟を見せられた宗団も、時の流れと共に継続心やそれに伴う実行力が薄れてしまったのでしょう。その結果、「問題解決力」の脆弱さを招いてしまったのです。かわいそうなのは信者です。前に出ることも下がることもできなくなり、組織に帰属していることに意味を見出しているに過ぎないのです。

私も過去改革に立ち上がった一員として、数々の奇蹟を目の当たりにし方向性の正しさを確信致しました。それを継続することが重要なのです。その頃のことは次回にお話致します。

今回から連載するレポ-トも、私達の頭を柔軟にして触れて行かなければ自分の生活の参考にはならないでしょう。人間というものは、油断するとどんな素晴らしいことをやってきたとしても元の木阿弥となってしまいます。

また、良い情報を採用したならば、取り組みに対して足を引っ張られないように絶えず新たな気持ちでいなくてはなりません。低い視座に立った‘ずれた意見’に惑わされないことが肝要です。

そのためには、共通の認識と協力的な行動の積み重ねが不可欠です。より良い情報交換を期待致します。

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『信仰即生活』レポ-ト
安全神話の崩壊

「水と安全はタダ」と言われたのは一昔前の話で、今の日本を見るとどうでしょうか?どのス-パ-やコンビニへ行っても‘水を売っているのは当たり前’で、売っていない店を探すほうが難しいくらいです。また、「安全」という点からも「凶悪事件の急増」「過去最悪の検挙率」という言葉が象徴するように、とうてい「安全」とは言えないのが現状です。

そして更に、私たちが日々使用しているシャンプ-や歯磨き剤、家庭用洗剤等の日用品、毎日口にする食物も決して安全ではないということをどれだけの方が認識しているでしょうか?かく言う私自身もつい最近まで、その危険性を全く認識していませんでした。

このぺ-ジを読まれる方々は、日頃からメシヤ講座を勉強しておられ、その危険性に気付き考えられている方も多くいると思います。ここでは、日用品の安全性、食の安全性を私の身の回りの体験を含め、最近勉強したことをお伝えできれば、と思います。

日用品と経皮毒性(1)

合成界面活性剤という言葉を聞いたことがあると思いますが、これはシャンプ-や歯磨き剤、家庭用洗剤等にほとんど使用されている毒性の強い化学物質です。私も以前から毒性の強い有害物質ということは知識としては知っていましたが、ただ知っているだけで危機感はなく「普通に売られているから問題ないじゃないの?周りの人も皆使っているし・・・」ぐらいにしか思っていませんでした。

しかし、ある事をきっかけにして「本当に大丈夫なのか?」と疑問を持つようになり、やがて危機感へと変わってきました。一番の理由は‘我が子’のためです。

大人が自分の判断で使用する分には文句も言えませんが、何も知らない子供たちはそうはいきません。親や大人が与えたものを何の疑いもなく使用していきます。だからこそ、親や大人がしっかり吟味し、‘安全な物’を与えなければと強く思うようになりました。そのためには、自分自身が良し悪しを判断できる‘確かな知識’と‘確かな目’をもたなければなりません。

現在、世の中には200種類を越す合成界面活性剤があり、全てが悪い訳ではありませんが、市販されている製品に使用されている合成界面活性剤の多くは毒性が強く危険度が高いものです。よく「ゴキブリが出たらシャンプ-か洗剤をかければすぐに死ぬ」と言いますが、裏を返せば生命力の強いあのゴキブリを殺せるようなものを私達は毎日使っているのです。

今では、国も企業も国益、利潤を最優先させ、国民、消費者の安全は二の次です。北朝鮮の拉致問題、BSE(狂牛病)、食品偽装表示等の問題を見れば明らかです。安全は、国や企業が与えてくれるものではなく、自分達で手に入れなければ得られないということです。

私も最近やっと気付いたばかりですので偉そうなことはいえませんが、知らなければ知らないままです。皆さんの中にも「安全」ということに気を配り、生活の中に取り入れている方も多くいると思います。そういう情報を一つでもいただければ幸いに存じます。

日頃はそのありがたさも忘れがちですが、かけがえのない家族、友人、知人が「安全」で「健康」に暮らせることほど幸せなことはありません。

佐藤将宏
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